私の音が聞こえない   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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8.セントラルパークにて(こもれび)

「名古屋にもセントラルパークっていうのがあるんだよ。まあそっちは地下街なんだけど。でもどうなんだろ……作ったときは、地上の方はちょっとここ意識したりしたのかな」

 セントラルパークのだだっ広い芝生の上にはそれぞれに腰掛けてそれぞれに楽しんでいる人たちがいた。瑞希は木陰でそれを眺めながら、隣にいるマリアに話しかける。マリアは瑞希の話を聞きながらも近くの草を眺めていた。草笛でも作るつもりなのだろう。マリアはいつも音のことを考えている。

「それでセントラルパーク行きたいって言ったの?」

「本物見てみたいなぁとは思ってた。いや栄のセントラルパークが偽物ってわけじゃないけど。でもやっぱり日本と違ってスケールが違うね、土地広いから」

「名古屋の、道路の真ん中に公園作るのもスケール違うなって思ったけど」

 マリアは草笛に使える植物を見つけたらしい。小さなそれを引き抜いて、器用に丸めて音を出す。マリアを見ていると、音と戯れる子供のようだと思うことがある。

「このあとさぁ、どっかのバーにでも潜り込んで飛び込みでなんかやる? できるところ見つけたんだ」

「面白そうだね」

「まあ客はめちゃくちゃ厳しいらしいけどね。下手な演奏すると即ブーイングだって」

 でも、それが心地よかった。これまでマリアと旅をしてきて、私たちのことなど何も知らない人の前で演奏するのは楽しかった。東南アジアの陽気な酒場では、酒を飲んだ人たちが私たちの演奏に混ざってきたりもした。ドイツでは強面のおばあさんにピアノを教えてくれと言われて面食らったりもした。その音には私の名前はついていなかった。紛れもなく私の音ではあるけれど、聴いている人たちは誰も私のことなど知らなかったのだから。

 何もかもが嫌になって日本を飛び出して、マリアと出会って、私は久しぶりに音楽を楽しいと思えている。そもそも音楽なんて、それがあったところで癌が治るような代物ではない。それならめいいっぱい楽しむべきなのだ。この時代において、音楽のために苦しむなんて馬鹿げている。ましてや他人にそれを強要されるなんて愚の骨頂だ。

 音楽を手放したところで、それが直接の原因で心臓が止まるわけではない。いい音楽を奏でたくて、そのために練習が必要なら練習をすればいい。そう思わないのならやらなければいい。単純な話だ。

「ミズキ、珍しく難しい顔をしてる」

「私だってたまには考え事くらいするよ」

「こんなに気持ちいい天気なのに……日本語では、こういう光を木漏れ日って言うんでしょ?」

「そうそう。でも気持ちいい天気だからこそ考えちゃうこともあるのよ」

 純恋という子は、私が日本を出てようやく辿り着いた答えを最初から知っているような気がした。そして遥希も純恋の影響で前とは少し変わり始めている。でも――こうして自由に振る舞っていても、どこかでかつての呪縛から逃れられないでいる自分に気付いてしまうこともある。

「好きで縛られてるわけじゃないんだけどなぁ」

「何の話?」

「んー……日本にいた頃は、こんな風に木があるところでゆっくりすることもなかったなぁって」

 マリアの太ももの上に頭を乗せて横になる。本当にいい天気だ。上を見れば太陽の光を葉っぱの緑が優しく遮っていた。

「……マリアは、どうしてそんなに自由でいられるの?」

 マリアの手が私の頭を優しく撫でている。本当はわかっていた。私は自由にはなったけれど、それは何もかもを放り出して逃げた結果だ。スッキリとはしない。いっそ母のことや遥希のことを嫌えたらよかったのに、そうはできないから、心の一部がまだそこにあるのだ。

「……私は自由というよりは、ひとつのところに留まれないだけかもしれないよ? ミズキと一緒にいるのも、いつまで続くかわからないし」

「そっか。でも、マリアのそんなところが私は好き」

 いつかマリアが気まぐれに離れていくとしても、それならそれでいいと思える。マリアの一番好きなところを私自身が壊してしまうわけにはいかないからだ。私たちは結婚することを選んだけれど、別に離婚する自由がないわけではない。そう思える関係性が、私には心地よかった。

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