「いいと思うよ、ベーゼンドルファー」
メタバースでのことを忍に話すと、忍はこともなげにそう言った。
「お金のことなら心配することはないよ。積立金もそこそこあるらしいし。あとOBOGからの寄付もね。まあ僕のお金じゃないけど」
「最後急に無責任だね?」
「本当に僕のお金ではないわけだし。でも、本人が弾きたいと思うもので弾くのが一番だと思うよ」
忍がそう言うのだから問題はないのだろう。私はピアノの希望が通ったことを遥希にLINEで知らせた。既読がつかないから、きっと今は練習中だろう。
「そういや次の伴奏付きの練習っていつだっけ?」
「来月はコンクールがあるって言ってたからその後だよ」
「そっかぁ……」
しばらく遥希と会うことはできない。メタバース上でやり取りすることはできるかもしれないけれど、やはり直接会いたいと思った。そもそもあの時だって、遥希のアバターが悪霊だったせいで、あまり遥希に会えた気がしない。溜息を吐くと、忍が心配そうな顔をして私を見た。
「僕は多分『何かあった?』なんて聞く立場じゃないんだよな。そういうのは梨恵とかがやることだ」
「えっと……」
「僕は二人の事情に首を突っ込むべきではないと思うから、あえて何があったかとかは聞かないよ。でも……何となく、純恋の答えはとっくに出ているんじゃないかなって思うけど」
「私の答え?」
「歌うしかないんだよ、僕たちみたいな人間は」
忍はそう言いながら一冊の楽譜を私に差し出した。今回の定期演奏会で歌う曲と同じ作曲家のものだ。表紙には『こころよ うたえ』とタイトルが書かれている。
「あ、この曲知ってる」
「知ってるのかよ……せっかくちょっとかっこよく言ってみたのに……まあ純恋相手だとそうなるかもしれないとはちょっと思ってたけど……」
「この曲いいよね。聴いてるとすごく歌いたくなる」
梨恵や樹里あたりには「純恋は大体の曲は聴くとすぐ歌いたくなるじゃん」と言われてしまうかもしれない。でも歌いたいという気持ちは心の底からこんこんと湧き出るものであって、簡単に止められるものではないのだ。
「歌っていうのは何も声を使うものだけではないんだよ。楽器だって、音を出さない指揮だって、出力の仕方が違うだけ」
言葉にならずに体の中をぐるぐる回る感情は、歌でしか外に出ることはできないだろう。それは叫びのようなものかもしれない。綺麗なものではないかもしれない。けれど遥希のことを思うとき、私の喉は歌うために開かれている。
ああ、確かに――私の答えはこれしかない。忍が言っていることは間違っていないのだ。
ギターも
ハーモニカもなくても
その声でいい
引っ掻き傷のような
その声でいいから
僕は
おもいっきり悲しく
おもいっきり切なく
そして
おもいっきり肯定的な歌を聴きたい