私の音が聞こえない   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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26.リハーサル(すやすや)

 十二月中旬。定期演奏会の最初の通し練習が行われることになった。ここで出た反省をもとにあと一ヶ月かけて本番まで仕上げていくことになるらしい。しかしもちろんリハーサルで実際のホールを借りることはできないので、大学の講堂を借りてステージを再現することになる。

「おー、これマジで本物みたいじゃん!」

「そうでしょ?」

 忍と他の団員たちがVRゴーグルを手に盛り上がっている。以前、彼が個人的な趣味で作ったメタバース世界は改良を加えられ、今回はこの講堂に重ね合わせる形でその世界が見られるようになっている。ゴーグルは忍の私物であるひとつしかないので、純恋は自分のスマホを色々な場所にかざしてはしゃいでいる。

「あ、永野さん。よかったらそこのピアノに座ってからこれつけてみて」

 人の輪から抜けてきた忍がゴーグルを私に手渡す。私は首を傾げながらも忍に言われた通りにそれを装着した。

 目の前に映る景色は、ゴーグルをつける前とは違う別のホールのもの。恐る恐る目の前のピアノの鍵盤を押すと、二重に音が響いた。

「実際のピアノと重なってる……?」

「そう。だからここじゃないところでメタバースに入ったらちゃんと弾けるよ。まあスマホでアバター操作しながらだと難しいとは思うけど。もちろん追加鍵盤も音を作った」

「すごい……これめちゃくちゃ大変なんじゃ?」

「そうそう。これやりながら毎日寝落ちしてさ。もうすやすやと八時間くらい」

「意外にいっぱい寝てた……」

 寝不足よりその方がいいとは思うが、毎日寝落ちもあまり健康的ではない気もする。

「まあ今日はこれつけないでやるんだけどね。しらかわも来年には閉館するし、残せるものは残しておきたいと思って」

 そんな話をしていると、団長が騒いでいる団員たちに声をかけた。そろそろ通し稽古が始まるらしい。

 

 

 オープニングとして歌われるのは大学の学生歌。純恋によると、団によっては団歌があってそれを歌うところもあるらしい。それが終わり正指揮者が合唱団の列に加わると、今度は第一ステージのアナウンスが入る。私の出番は第一ステージだ。

「永野さんって、あまり緊張しない方?」

 隣に立っていた忍が尋ねる。彼はまだ最初の通し稽古だというのに緊張しているらしい。

「緊張するにはするけど……コンクールよりはマシかな」

「ピアノの人って一人で舞台に立つんだもんな。そう考えるとすごいなって思うよ」

「私は指揮者の方が緊張するだろうなって思うけど。客に背を向けるって怖くない?」

「怖いから緊張してるんだよ。でもまあ……僕が多少ミスっても、みんなちゃんと歌ってくれるって信じてるけど」

 一人でピアノを弾く時は、私の音は私だけのものだ。けれど合唱では自分の音だけでは音楽は完成しない。ましてや指揮者は、自分では音を出さない。自分がその立場に置かれたら――と考えると眩暈がしそうだ。

「イメージは出来てるんだよ。何せ毎晩VRだけど本番のステージに立ってたんだし。まあ寝落ちしてたけど」

「それならきっと大丈夫だよ。一番かっこよくできてる自分を想像すればいい」

 私自身を邪魔するものがなくなった今、自分が求める自分自身の姿を描くのは容易になった。西陽の中で描いていた自分の姿をいつでも呼び起こせる。

 アナウンスに続いて、少しぎこちない足取りで忍が舞台に出ていく。私は背筋を伸ばしてその後ろについていった。リハーサルとはいえ、本番さながらの緊張感だ。

 礼をしてそれぞれの場所につく。私は鍵盤の上に手を置き、忍の手が拍を叩くその瞬間を待った。

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