「第一ステージは寺山修司の詩による6つのうた『思い出すために』より――」
アナウンスを聞きながら私は目を閉じる。息をひとつ吐いてから目を開けると、少しだけ世界の色が変わった気がした。
拍手に出迎えられながら舞台に出る。リハーサル通りの一連の流れだ。舞台袖での忍は緊張しているように見えたが、舞台に出てからは落ち着いているように見えた。いや――今までとは別の人にも見える。わずかに重なって見えていただけの孤独な青年をその中に宿して、唯一客に背を向ける指揮者がこちらを見る。
忍の手が空中の一点を打つ。その瞬間に音楽が持つ世界が広がっていく。まずは一曲目の「かなしみ」。詩に描いた世界と自分自身が乖離している悲しみと怒り。誰か特定の人に対して怒っているのではないだろう。どこに向ければいいかもわからないやり場のない思い。だからその目は海を見つめる。海が全てを受け止めてくれるのを知っているから。
苛立ちを表すような
静かに、消えていくように二曲目が終わる。そして三曲目「世界のいちばん遠い土地へ」の入りはピアノの強い音からだ。忍の目が私を見る。女声のヴォカリーズに導かれて男声の旋律が始まる。穏やかだけれど決意を秘めた深い音。孤独だった青年が愛を知り、世界が広がっていく。
一連進むごとに、本当にわずかだがテンポが速くなる。楽譜の指示があまりに繊細で、聴いている人に本当に伝わるのかはわからない。けれどそれで高まっていく心を表現しているのだ。これまで青年の生きていた世界は砂を噛むようなものだったのだろう。くすんだ色の世界。それが鮮やかに変わっていく。純恋に出会ってから、世界がまるで違うものに見え始めた私のように。
三十四小節目からのバスの旋律を皮切りに歌に登場する二拍三連。その特徴的なリズムが旋律に力強さを与える。詩自体はそこで終わるが、歌は最初の二連を繰り返す。作曲家はどうしてその言葉を最後に持って行きたかったのか。孤独な青年が愛を知ったことを表現したかったからではないか。忍がそう言っていたし、私もおそらくそうなのだろうと思う。
一本の樹は
歴史ではなくて
思い出である
一羽の鳥は
記憶ではなくて
愛である
そして完全には終止しないまま三曲目が終わり、四曲目の「ぼくが死んでも」はうってかわって穏やかに始まる。若くして患い、死を意識していたと言われる詩人。けれどこの曲では、自分が死んでも特別なことなどせずにいつものようにしてくれと言う。
この曲でも鍵となるのは海だ。詩人にとって海は自分の感情を全て受け止めてくれるものだったのだろうか。けれど孤独だった青年に、「ぼくが死んでも」と語りかける相手がいる。合唱の中にある、純恋の声の穏やかな光を感じながら私は鍵盤を叩く。弾きながらも、なぜか一緒に歌っているような気持ちになった。
四曲目が終わり、私は息を吐き出した。ここで雰囲気が一変する。五曲目の「思い出すために」は曲集のタイトルにもなっている。忍の手が振り下ろされた瞬間から始まるのは私の独壇場。転げ落ちるような三連符が続く数小節から曲全体を支配するスウィングのリズムへ。どこか退廃的で美しく、激しい旋律で、恋人と過ごした過去の記憶を「忘れてしまいたい」と歌う。
長野の高原で、あの合宿の日に純恋と交わした口づけ。私がそれを忘れてしまいたいと思う日は来るのだろうか。できれば永遠に来ないで欲しい。
この歌の青年は初めての愛に未練を残しているのだろう。断片的なあまりにも美しい思い出。それをどうして忘れてしまいたいのか――全ては最後に明かされる。
青年は本当に愛していたのだろう。それどころか今でも変わらず愛は燃え上がっているのだろう。けれど、理由はわからないものの二人は別の道を歩くことになった。単純に別れたのだと考えることもできる。忍は恋人でなくなった理由はそれぞれが好きに予想すればいいと言った。だから私の解釈は他の誰にも言っていない。
詩人は若くして患っていた。それが詩の中の青年にもどこか影を落としている。愛しているのになぜ離れたのか。恋人に別れを告げられたのかもしれない。けれどこうも思う。愛しているからこそ別れを選んでしまうときもあるのだと。
実際のところはわからない。考えても結論など出ない部分だから、忍も好きに予想すればいいと言ったのだろう。離れた今も熱く燃え上がる思い。一人きりで海を見ていた青年の心は今や愛によって変質してしまっている。
はじめての愛だったから
おまえのことを
忘れてしまいたい
みんなまとめて
今すぐ
思い出すために
記憶が蘇るということは、それまでは忘れているということになる。愛の記憶をふとした瞬間に思い出す美しい思い出に変えるには、一度は忘れてしまわなければならないのだ。日常に流されて、人はどんな出来事も思い出にしてしまえる。けれど忘れてしまいたいと歌うということは、それはまだ思い出にはなっていないのだ。過去のことだとわかっているのに、自分の傍には恋人はいないのに、記憶とは呼べない鮮明な光景の中で藻掻いている。
詩は切ないものだが、演奏していると気分が高まる曲だ。私の奏でるスウィングのリズムに乗って、歌は情熱的に広がっていく。そしてその歌に私の気持ちも高ぶっていく。低音の響きが深いこのピアノも曲によく合っていた。
最初に現れた三連符の渦から雪崩れ込むように曲が終わる。最後の低音の残響が消えると、忍は指揮台に置いた楽譜のページをめくり、一瞬だけ目を閉じた。
次が最後の曲。これでこのステージは終わりだ。まだ第一ステージだとわかってはいても寂しさを感じてしまう。もうすぐ終わってしまうのだ――そう思えるほど、私はこの舞台を楽しんでいた。
六曲目は「
きみは
荒れはてた土地にでも
種子をまくことができるか?
きみは
花の咲かない故郷の渚にでも
種子をまくことができるか?
静かに、穏やかに、しかし重く問いかける。実らないとわかっている種子をまくことができるかと問うのは何故なのか。そして種子とは何を表した言葉なのか。広がりを持ったハーモニーと湧き水のような旋律を奏でるピアノ。
その問いは詩人から発せられたものであり、作曲家から発せられたものであり、演奏する私たちがそれぞれに発しているものだった。
きみは
流れる水のなかにでも
種子をまくことができるか?
たとえ
世界の終わりが明日だとしても
種子をまくことができるか?
旋律はアルトからソプラノに移り、問いかけは続く。流れる水のなかに種子をまいても、世界の終わりが明日なのに種子をまいても、決して実ることはない。それでも青年は種子をまくのだろう。詩の最後に、その理由が示される。合唱では高声部――ソプラノとテノールが歌うフレーズだ。
恋人よ
種子はわが愛
沢山の声の中に、純恋の声が溶け込んでいるのがわかる。その輪郭を捉えるのは難しいけれど、その気配を確かに感じた。種子はわが愛――実ることはなくても、花どころか根を張ることもなく終わってしまうものだとしても、愛を知った青年は種子をまく。音楽は暗闇から穏やかな光へと昇華されていく。数多の音楽家が描いてきた物語。大団円ではなく、暗闇から優しくすくい上げられたような、雲の切れ間から光の筋が降りてくるような終わり方。傍にいなくとも変わらず愛している存在に向かって、青年は語りかける。
右手の八分音符の連なりは、まるで光を浴びて輝く水面のようだと思う。青年が孤独を抱えて見つめていた海に、今は光が差し込んでいる。そんな優しい終わり方。私は最後の最後まで気を抜かないように、その煌めきを脳裏に思い描きながら鍵盤を押した。
その音の残響が完全に消えると、忍はゆっくり頷いてから楽譜を閉じた。指揮台を降りて礼をすると、嵐のような拍手に包まれる。忍が頭を上げて、純恋に軽く合図をすると、純恋が静かに舞台袖に向かった。
舞台袖に向かった純恋が花束を抱えて戻ってくる。私はあと一曲、アンコールでも弾くことになっているが、花束の贈呈はここで行われることになっていた。純恋は満面の笑みで私に花束を手渡す。
「すごく良かったよ、遥希」
「そっちこそ、今日が最高の演奏だった」
花束を受け取った私は純恋に手を伸ばした。打ち合わせにはない動きだが、純恋はすぐに私の意図を汲んで私の手を握った。
「ふふ、何だかすごい人になった気分」
「大丈夫だよ、指揮者ともちゃんと握手する」
純恋と手を離し、私は今度は忍に手を伸ばす。忍はどこか解き放たれたような笑顔で私の手を握った。もう定演が終わってしまったかのような顔をしているが、彼はまだ歌い手として二つのステージを残している。
「ありがとう。永野さんのおかげで全部出し切れた気がする」
「その勢いで告っちゃえばいいと思うんだけどな」
あまりここで時間を取るわけにもいかない。私たちは手を離し、再度客席に向かって礼をした。