私の音が聞こえない   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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エピローグ

 定期演奏会は盛況のうちに幕を閉じた。私の伴奏者としての役目は終わり――と思ったのだが、どうやらそうは問屋が卸さないようだった。

「いや、来年の選曲やってから伴奏者が必要なら永野さんに紹介してもらうことになるからさ」

「毎年、前の年の人が紹介してるの?」

「最近はそのパターンが多いかな。でも全ステージ無伴奏になる可能性もゼロではないからね」

 横で話を聞いていた純恋が「全ステージアカペラの定演も面白そう」と呟いている。その隣にいる梨恵は小声で「恐ろしい定演だ……」と言っていた。

 これからもこうやって音楽は続いていくのだろう。伴奏者だった私は、彼らについて半分も知っているとは言えないけれど、彼らが音楽のことが好きなのは間違いない。

 そして私も――今の私の世界には音楽が溢れている。

 純恋には留学を視野に入れているということを話した。先に忍に話してしまったことには多少文句も言われたが、彼女は思いの外私の留学には賛成のようだった。

「遥希、留学するならバルト三国とかにしない?」

「バルト三国ってどこだっけ? エストニアと……」

 正直地理はあまり得意ではない。そもそもなぜバルト三国なんて言い出したのかもわからなかった。

「エストニア、ラトビア、リトアニア。バルト三国って結構合唱が盛んで、ここ十年くらいで急速に日本でもバルト三国の曲が歌われるようになってる。そもそもバルト三国で合唱が盛んになったのもソ連崩壊後の――」

 忍が早口で説明してくれたおかげで理由は大体理解できた。しかし皇先生が候補に挙げた国の中にその三国は入っていなかったはずだ。

「純恋は永野さんに行かせてちゃっかり向こうの情報手に入れるつもりでしょ」

「だってバルト三国の曲やったことないし。世の中にはそういう合唱の世界トレンドをどこからか仕入れてくる人がいるのよ」

「純恋たちより上の合唱オタクってこと?」

「まあ……そういうことにはなるかな?」

 まだまだ世界は広いらしい。そういえば瑞希とマリアはバルト三国には行ったことがあるのだろうか。機会があったら聞いてみよう。

「候補とかはもう出てるの?」

「今のところはフランスとドイツあたりかな……先生のツテがあるみたいで」

「フランスかぁ……あ、そういやこの前私の推しがパリコレに行ったってインスタ上げてた」

 梨恵は相変わらず推しに熱を上げているようだ。けれど推し活と恋愛は別だったりもする。部外者である私が口を出すことでもないが、この二人はこれからどうなるのだろうかと少し気になった。

「でも、まだ何も決まってないから。ただもっと広い世界を見て、沢山の音楽を知りたいなと思って」

「来年も伴奏やってほしかったんだけどな。やっぱり『クレーの絵本第二集』でもやるか」

「終曲でソプラノを殺す気なの?」

 前に言われた通りに純恋に聞いてみたところ、最後の曲のソプラノの最高音がとにかく高い上に難曲揃いらしい。第一集よりも明らかにとっつきにくいからか楽譜も受注生産になってしまったという。

「まあでもしばらくは基礎練習とかやりながらって感じになるんだけどね。一年生が入ってこないと人数とか読めないところはあるし」

「一年生いっぱい入ってきたら夢の二群合唱もいいよねぇ」

「いや、二群は振る自信ないんだけど……」

「やってみなきゃわからなくない?」

 弱気になっている忍に梨恵が発破をかけている。その微笑ましいやりとりを見ながら私は目を細めた。

 

 

「海外かぁ……」

「人によっては『日本でも一番になれないのに』って言うかもだけどね。でも一番になりたいわけじゃなくて……ただ、音楽をやりたいだけだから」

「うん、わかるよ。私もだんだん合唱やる理由とかただ合唱やりたいからやってるって感じになってきたし」

 留学するなら冬のうちに話をまとめようと先生には言われている。そして海外に行った後に何が起こるかは全くわからない。そして――純恋と離れるのは、自分のこととはいえやっぱり寂しいと感じるのだった。

「……最近このあたりの大学合唱団の卒団生が集まって新しい合唱団を作ったんだって。私もね……そこに入ってみようかなって思ってる。春樹と比べると小さいことかもしれないけど」

「そんなことないよ。新しいところなんて多分大変だろうし」

「大学卒業してからのこと、あんまり考えてなかったから……いい機会かもって」

 私は頷く。音楽はずっと続いていく。ここじゃないどこかへも、音楽は広がっているのだ。

 そしてその広い世界で、私たちの音が交わるときが、きっとまた来るのだろう。私は空風で冷えた純恋の手をゆっくりと握って歩き出した。


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