鈍っている。
GBNからログアウトして、幾分か熱が冷めた俺が真っ先に思い浮かべたのは、達成感よりなにより、その一言に尽きた。
高を括るつもりはさらさらないけど、あの「イフ・コンクルーダー」は推奨ランクCのミッションだ。
言い換えるのなら、そうでしかない。
射撃武装を持っていなかった? それが一体なんの言い訳になる。
理想と現実が乖離することなんて珍しくもないのだろう、だからこれはそのギャップに対する苦しみなんかじゃない。
当たり前にできていたことができなくなっていたという、事実の確認だ。
ガンプラバトルから遠ざかっていた、それ故にブランクがあるから、なんてものは言い訳にもならない。
それはどんな経緯があれど、俺自身で選んだことなのだから。
本当の俺なら、なにができた。
鏖殺できた。
あのハイネ専用デスティニーを含めた、全てを。
NPDが仕様として抱える欠陥なんてものは、本来利用するまでもないものなのだ。
当たり前に立ちはだかった全てへと最善の手を打って斬り捨てる。
かつての俺であれば、間違いなくそれができていたはずだった。
「……だけど、今はできない」
鈍った感覚を取り戻すだけなら、そう時間はかからないのかもしれない。
今からでも閉店時間ギリギリまでGBNにログインし続けて、ハードコアディメンション・ヴァルガで適当に組み手の一つもやっていれば、感覚それ自体は取り戻せるという確信がある。
だけど、そうじゃない。そうじゃないんだ。
自分でも上手く言語化できない、なにかが抜け落ちてしまったような感覚。
それは剥離した現実が理想に変わってしまったからなのか、それともなにか別な理由があって抱いているのかはわからない。
ただそれが、単純にヴァルガ行きという荒療治で解決できそうなものじゃないことだけはわかっていた。
「……つまり、別のアプローチを考える必要がある」
果たしてそれがなんなのかはさておくとしても、まずなにを差し置いてもやらなきゃいけないのは、今の自分を認めることだ。
ああできたはずだ、こうできたはずだと思い描くことそれ自体をやめるのは難しいとしても、それが思考の癖になってしまうと、いつしか今できていたことすらできなくなる。
過去の現実が今の理想へと変わってしまったのなら、今はそれを受け入れて、前に進む糧にすればいい。
それが大人の特権だ、なんていえるような歳じゃないし、簡単に割り切ってしまえるものでもないのはわかっている。
だけど、少なくとも今できていたことすらできなくなるより万倍マシだ。
とりあえず今は、足りないものを補うことがやるべきことなのだろう。
清々しいまでの対症療法だと、そう苦笑する。
それが根本的な解決に繋がらなくても、一時凌ぎでしかなくても、今日できなかったことができるようになるならそれに越したことはない。
そんなモヤモヤを振り払うように凝り固まった肩をほぐしながら俺は、ガンダムベースシーサイドベース店を一旦後にした。アサムラ何某が、床にモップをかける手を止めて、営業スマイルを浮かべていた。
◇◆◇
果たして自宅との反復横跳びでシーサイドベース店まで戻ってきた俺を出迎えたアサムラ何某がなにをどう思っていたかは定かじゃない。
また来たな、ぐらいのことは思うんだろうか。流石に自意識過剰か。
なんの益体もない話はともかくとして、家からガンダムベースまで戻ってきた理由はただ一つだった。
マンション暮らしは塗装ができない。
いや、できないと言い切ってしまうのは少々語弊があるかもしれないけど、これには深い事情、とまではいかなくとも、ガンプラを塗るのに使われている塗料の種類が絡んでいるのだ。
基本的に、ガンプラを塗装するビルダーが使っているのは、有機溶剤で希釈するタイプのラッカー塗料と呼ばれるものだ。
他にもスミ入れにはエナメル塗料を使ったり、時には水性塗料も使ったりするけど、それはややこしくなるから割愛しよう。
ラッカー塗料のなにが問題かといえば、単純に片付けてしまうのであれば、その臭いに尽きる。
マンションのベランダでエアブラシなんかを稼働させていた日には、隣人からのクレームが入ることは請け合いだろう。
それに、エアブラシを使うために必要な空気を送る機械──コンプレッサーの駆動音がうるさいだとか、そういう事情も絡んでくる。
要するに、マンションのベランダでエアブラシ塗装をするのには色々と問題があるということだ。
だったら筆で塗ればいいじゃないか、と考えるやつもいることだろう。それは多分正しい。
ただ、筆塗りというのも厄介なもので、一見簡単に見えて、上手くムラなく塗ろうと思えば結構な……いや、かなり尖ったスキルが要求される。
誤解を恐れずにいってしまうのであれば、単一の面を均一に塗装するなら、エアブラシの方が筆と比べて色々と楽なのだ。
もちろん、筆塗りには筆塗りならではの味とか、良さとか、そういうのがちゃんとあるんだけどな。
閑話休題。だから俺は、制作ブースでエアブラシを借りることができるガンダムベースシーサイドベース店までわざわざとんぼ返りしてきたのだ。
カウンターに腰を据えた店長に制作ブースを借りる旨を伝えて、最新の換気扇がフル稼働してているブースの中へ。
当然時間あたりの料金はかかるけど、変に意地を張ってできもしないことをするよりは、コストがかかってもできることをする方が確実だろう。
「箱を開けるのも久しぶりだな」
アインフェリアを作って以来か。
独り言と共に持ってきた箱を開ければ、そこに収まっていたのは未組み立て状態のままランナーにくっついている二丁拳銃のパーツだった。
シュヴァルベカスタム(シクラーゼ機)に付属する二丁の130mmハンドガン。銃身の下部にブレードを備えているそれを、今の自分にできる最高の形でブラッシュアップする。
それこそが、俺の考えた現場打破の方法だった。
射撃武装を持っていないなら、足してしまえばいい。
実にシンプルな足し算の発想だ。それゆえに効果もまた大きいといえる。
どうせ採集系や採掘系のミッションしか回らないのなら、そういったミッションに現れる敵対的なNPDに対処するだけなら、別段射撃武装を作る必要はどこにもない。
ゲートを少し残してランナーパーツを丁寧に切り離し、残った部分を二度切りしながら考える。
俺は、なんのためにこれを作っているんだ。
ミッションで自分の感覚が鈍っていることが、あるいは昔からは考えられないほどに変質してしまったことを自覚したからか。
それもある。というか、そのつもりでここに来たはずだろう。
なのに、そんな問いかけが脳裏で明滅して離れない。
雑念を振り払うかのように、持参したヤスリで切り離したパーツの表面処理に取り掛かる。
だけど、なにをしていたってその考えはいつまでもついて回ってくる。
多分それは、根本的な問いかけだからだろう。ミッションは、感覚の鈍麻は、所詮そのきっかけに過ぎないのだ。
だったら、射撃武装を必要としていなかった頃の自分と今の自分で変わったことはなにか。
その答えは、驚くほどすんなりと喉から迫り上がり、舌先を滑り出していた。
「……ルリナ」
良くも悪くも天然で、なにを考えているかは未だにわからない、「運命」とやらを信じているあいつの顔が脳裏に浮かぶ。
もしも明日、俺がGBNにログインすることをサボったとしても、咎めるやつはきっといないのだろう。
それでも、ルリナは悲しそうな顔をするような、そんな気がした。
根拠なんてものはどこにもない。
ただ、そう感じたというだけだ。
だとしても、ルリナがそんな顔をしているのを想像すると、罪悪感じみたモヤモヤとしたものが、胸の奥から湧き出てくる。
底抜けに明るいあいつのことだから、案外平然としている可能性の方が大きそうなもんだけど、果たしてどうなのか。
「……誰かのため、か」
表面処理を終えて、浅くなったモールドをケガキ針で掘り直しながら、脳裏に閃いた言葉を口に出す。
もしも今、俺がこの二丁拳銃をブラッシュアップしていることに根本的な理由があるとしたら、ルリナの存在に辿り着く気がした。
誰かのため。美徳のようにも見えて、隠れ蓑にもなる理由。
そんなもので自分を誤魔化すのは決して褒められたことじゃないのだろう。
それでも、ルリナが悲しんでいる顔を見たくないと心のどこかで思っているのが本当なら、俺の本心なのだとしたら、それは少なくとも誤魔化しじゃあないはずだ。
二丁のパーツがブレード含めて合計六つ、エッジのシャープ化を含めた全ての表面処理とモールドの掘り直しを終えた俺は、マスク越しに小さく溜息をつく。
明日も俺はきっと、GBNにログインするのだろう。
そして、なんだかんだでルリナに付き合うことになるのだろう。
流されているような気もしたけど、ミッションを終えた時に見せたあいつが満面に浮かべた笑顔を思い出せば、それも悪くないという気がしてくるから、不思議なものだ。
少しだけ、作業を進める手に熱が込み上げてくる。
今はその僅かに燻る火種の温度に身を任せて、俺はブレード部分のパーツを少しだけ切り欠いて、銃身にあとから嵌め込めるような加工を施す。
熱が冷めやらないうちに速乾性の流し込み接着剤で合わせ目の出るバレル部分を接着、やすりを再び当てて合わせ目を消していく。
時計を見れば、閉店時間までにまだ余裕はあった。
新武装はどうやら今日中に完成することができそうだ。
そのことに安堵と小さな満足感を抱きながら俺は、一度目のサーフェイサーをパーツに吹き付けてから、乾燥機へと放り込んだ。
◇◆◇
翌日。GBNにログインした俺は、昨日と全く同じ光景を見ることになった。
「アスカ! 待ってたよ!」
セントラル・ロビーに降り立つなり、ルリナがフレンドワープでお出迎え。そして即座に左腕に両手を絡めて抱きついてくる。
二の腕に押しつけられる柔らかい感覚のフィードバックには多分これからも慣れることはないのだろう。
それはそれとして、この状況そのものにはたった一日で予測がついてしまったのがなんというか微妙にもにょるな。
出会って二日かそこらでルリナならそうするだろう、という確信が自分の中にできあがっているのはいいことなのか悪いことなのか、まるで見当がつかない。
知ってるやつがいたら、教えてほしいくらいだ。
そんなこんなでルリナのお出迎えを受けながら、俺はとうとう人目も憚らず頬擦りを始めたこの恋の暴走ロケットを止めるためにも口火を切る。
「……それで、今日はなにをするんだ?」
「それって今日も一緒にGBN、やってくれるってことだよね、アスカ?」
「……そのつもりだけど」
「やったぁ! ありがとう、アスカ!」
二の腕に押しつけられている力が強くなる。だから気まずいし、年頃の女子がそもそも男にベタベタくっつくもんじゃない。
言っても運命がどうのこうので押し切られるんだろうからそれはさておくとして、遅かれ早かれそういう話になるんだろうから、先に話題を出しておけば予定も立てやすい。
もっとも、ルリナの中では予定というよりは既に決められたことなんだろうけどな。
「だから引っ付くな。それで、なにをやるんだ」
とりあえずは引っ付いているルリナをやんわりと引き剥がしながら、周囲から向けられる好奇の視線に気付かないフリをして、ルリナへとそう問いかける。
「えー? アスカのいじわる……」
「そういう問題じゃない」
「アスカはわたしの運命の人なんだから、恥ずかしがらなくたっていいのに……やることかぁ」
お前にとってはそれでいいのかもしれないけど、俺にとってもそうとは限らないんだよ。
ルリナは心底残念そうに言葉を返すと、しばらく小首を傾げて、細い人差し指を唇の下に当て、考え込むような仕草を見せる。
とりあえず俺とGBNをやること自体は決まってたようだけど、なにをやるかについてはまだ決めてなかったらしい。
「そうだ! ガンプラバトル!」
「……平気なのか?」
思い立ったように拳を手のひらへと打ち付けると、ルリナはその単語を口に出した。
ガンプラバトル。こいつが言うところの「運命」の分岐点になったあの出来事は、傍から見ていても気分が悪いものだったのに、当事者であるルリナからすれば、ガンプラバトルそのものに嫌悪を抱いてもおかしくないだろう。
「あの時のこと? アスカ、気にしてくれてたんだ!」
「気にもなるだろ……本当に大丈夫なのか?」
「うーん……ショックといえばショックだったかなぁ、でもでも、アスカに出会えたから、プラスマイナスゼロどころかすっごくいいことだったんだと思う! まさに運命の日、って感じ!」
だから、わたしは大丈夫。
ルリナは胸を張って、堂々とそう答えた。
なんというか、強いな。強がりだとしても、その理屈が理解しがたいものだとしても。
──そんな風に強がることすら、俺には。
影から滲み出した冷たい指が、背中をなぞるような感覚に溺れながら、俺は純粋な尊敬に近い思いを初めてルリナに抱いていた。
「……なら、いいんだ。ガンプラバトルっていっても、なにをどうするんだ? 凸待ち配信でもするつもりか?」
「それでもいいけど、わたしのチャンネルって、登録してくれてる人少ないから、来てくれなさそうだなぁ……」
「……すまない」
「ううん、全然! 今が少ないってことはこれから伸び代があるってことだよね! だから平気だよ、アスカ! これから二人でがんばってこうよ!」
常に太陽の方を向いているヒマワリかってぐらいに、こいつは明るい。
いっそ眩しいほど、一周回って羨ましく思うほどだ。
ナチュラルに俺を計画に含めてるところは除くけど。
「だからね、今日はシャフランダム・ロワイヤルをやってみようかなって!」
「正気か?」
思わず、思ったことが口をついて出てしまった。
それにしたって株の乱高下が激しすぎる。
俺はルリナという人間をわかったようでいて、その実やっぱりなにもわかっていなかったのだろう。
「失礼だよアスカ! わたしはいつだって真面目だもん! だって、掲示板でフリーバトルを募集するより早いでしょ?」
「……シャフランダム・ロワイヤルの評判は知ってるんだよな?」
「えーっと……確か、味方ガチャとか言われてることぐらいは!」
それを知っているなら、なぜあの闇鍋の井戸の底へ飛び込もうとしたんだ。
確かに掲示板でフリーバトルを募集するよりは圧倒的に話は早いかもしれないけどさ。
思わず、天を仰いで嘆息する。
シャフランダム・ロワイヤル、それは運営がフォースを組めないランク帯のダイバーでも気軽に五対五のチーム戦をできるようにというコンセプトで設計されたものだ。
コンセプトだけ聞けばまともに聞こえるかもしれないけど、このルールにおける最大の問題点は、実力差が全くといっていいほど考慮されていないことにある。
即興で連携をとることの難しさに加えて、参加したダイバーを完全ランダムで振り分ける都合、相手チームに高ランクが偏って、こっちの味方がほぼ全員初心者、という事態も頻発しているからこそ、あれは闇鍋と呼ばれているのだ。
完全ランダムに関しては後に「事前にパーティー申請を送って参加すれば固定のメンバーで出撃できる」という変更が加えられてるけど、敵の強さを選べないことに変わりはない。
それに俺たちは二人組だ。
パーティー申請を送っていたとしても、残り三人の味方はどうあがいてもランダム抽選になる。
まともな試合になるかどうかは運を天に任せる他にない。そして任せたところでどうにかなってくれるもんでもないと、相場が決まっているのだ。
「うーん……でもでも、アスカは強いし、わたしも運には自信があるから大丈夫だよ! 多分!」
「……本当に行きたいなら、止めはしないけど」
「うん! じゃあ決まりだね! それじゃ早速パーティー申請しなきゃ!」
恐ろしいほどに迷いがないな、こいつは。
運がいいという自信がどこからきてるのかについては、聞かない方が多分精神衛生上よさそうだ。
どの道ルリナに付き合うと決めた以上、これは不可避の出来事だったんだ、そうに決まっている。
それだけ見れば天使のような笑顔で送られてきたパーティー申請と書いて闇鍋への招待状と読むそれを受諾する。
いくら溜息をついてたって仕方ない。一度付き合うと決めたんなら、筋は貫き通すべきだ。
俺は観念し、腹を括って、チーズケーキがぶち込まれたような闇鍋の中に飛び込む決意を固めるのだった。
イントゥザ闇鍋