第8話 新天地
岐阜ウマ娘カサマツトレーニングセンター学園。
通称カサマツトレセン学園は地方レースウマ娘の専門養成機関だ。各地に存在する地方トレセン学園でこの場所に決めたのは、受け入れてくれると最も早く返事をくれたことがきっかけだ。ターボの地元という選択肢もあったけれど、レース現役でいられる期間を重要視した。
その移籍初日。堂々とした笑顔を浮かべながら、使い古された雰囲気の教室にツインターボは立っていた。そして意気揚々と名乗りをあげる。
「ツインターボだぞ!! みんな、よろしくな!!」
教室には学生が十数人座っていて、これからクラスメートになるウマ娘たちに向けて元気よく挨拶をかました。割と人見知りする性格だが、突っ走ると決めた時のターボは強い。すぐに友達ができるだろうと思っていたが、しかし初対面であるはずの彼女たちの反応は芳しくなかった。
ほぼ全員、まるでツインターボを無視しようとしているみたいだった。あからさまに視線を逸らしている。まったく思ったような反応がかえってこなかった。
「ありゃ……?」
ターボは色違いの目をぱちくりさせて戸惑った。自己紹介をすると同級生は笑顔で受け入れてくれていた。だから何か間違えてしまったかと思ったけれど、原因が思い当たらない。もう一度挨拶をしたほうがいいかと思ったが、それより先に高齢の教師が柏手を打った。
「はいはい注目。聞いていると思いますが、ツインターボさんは中央からの転入生です。みなさん仲良くしてくださいねぇ」
しわがれた声でそう言ったが、やはり彼女たちはターボから視線を外していた。あからさまに話しかけられたくないという雰囲気を出している。しかし鈍感なターボは避けられていることに気づくことはなく、休み時間になると話し込んでいる生徒たちに割り込んだ。
「ねえ、なに話してるの!?」
「え……あ、あはは。なんでもないから」
「ねえねえっ! ターボと友達に──」
「あ、センセに呼ばれてたんだった!!」
自分から話しかけるのは大得意だ。それでうまくいかなかったことはないのだが、朝のホームルームを終えても、休み時間に突撃して行っても反応は同じ。怯えるようにそそくさと立ち去っていった。作戦がまったくうまくいかず、ターボは自分の席で腕を組み首をかしげて唸った。
「うむむ……うまくいかないな。そうか、みんなシャイなんだな!」
この学園は人見知りのウマ娘が多いのだろうと一人で結論づけた。話しかけられるのは苦手なのだが、こうなっては仕方がない。今度は受け身で待つ作戦をとることにした。
胸を張って『さあ話しかけてこい!』と言わんばかりの空気を放ち続けた。しかし、やはり誰もターボに話しかけてくることはない。がっくりと背中が垂れて悲しげにウマ耳がしおれた。
「うう、なんでなんだ……だれもターボと話してくれないぞ」
昼ごろまで誰とも話すことができなかったので、すっかりへこんだ。ターボを困らせたのは、この現象がクラスメートに限ったことではないということだ。廊下で出会ったウマ娘も最初はもの珍しい目を向けてくるが、ターボの青い毛並みに気付くとそそくさと距離をとった。まるで人除けのバリアが張られているみたいな状況が続く。
そんなツインターボを遠巻きで見ている、カサマツトレセン学園のウマ娘たち。すぐ近くのウマ耳にだけ届くような小声て囁いてやりとりしていた。
「見て。あの青い毛並みの子が、中央トレセン学園の子なんでしょ」
「聞いた聞いた。しかも中央のエリートトレーナーと一緒にここに来たらしいよ」
「レース目指すの? うわあ、やだなあ……アタシらが中央のウマ娘に勝てるはずないじゃん」
実のところ学園生はツインターボの話でもちきりだった。
彼女たちにとって中央トレセン学園といえばエリート中のエリートで、授業でも雲の上の存在として教えられる。たまに移籍してくることはあるが、カサマツでは近年はそういうことがなかったために異常に特別視された。結果として陸の孤島が完成したのである。
もちろんターボがそんな事情を知るはずもない。
「はぁぁ。とれーなーにも友達を作ってくるって言ったのになぁ」
昼食の時間になっても状況が変わらないまま。しょんぼり食堂までやってきたツインターボだが、そこでふと顔を上げてキョロキョロと周囲を見回した。
「ここ、どうやってお昼ご飯もらうんだ……?」
料理を出しているらしいカウンターはあるが、メニューが見当たらないので注文ができない。普段の元気な時ならば、食堂のおばちゃんに突撃して「ご飯ちょうだい!!」と元気よく申し出ていただろうが、ここはアウェーの学園だ。弱気モードになったターボは突撃できない。
周囲のテーブルで食事中のウマ娘に弱々しく視線を送るも、すがるように見られていることに気づくとそそくさと顔を逸らした。ターボはいよいよ泣きそうになった。
「うぅぅ〜、どうすればいいんだ……」
孤独の中で、ただ一人取り残されたような気持ちになる。しかし誰もが同じ対応をとるわけではなかった。あるウマ娘が食堂に訪れて、困っていることに気付く。他と違ってなんの恐れもなくターボに近づいて声をかけた。
「注文の仕方が分からないのか?」
「ほへっ」
振り返ると、いつの間にか背後に芦毛のウマ娘がいて。首をかしげながらじっとターボを見下ろしている。自分から求めておいて大いにビビった。しかしこくこくと頷いた。
「う、うんっ。そうなの」
「やはりそうだったか。メニュー入口に書いてあるぞ。食堂のおばちゃんに食べたいものを直接伝えるんだ」
「トレセンと一緒なんだ! あっ、メニュー見つけたっ!」
その芦毛のウマ娘が指差した入口のほうを見ると、確かにメニューの一覧が置いてある。ターボは嬉しくなった。注文方法が分かったということよりも、初めて自分を助けてくれるウマ娘と出会うことができた。改めてぼんやりした表情のウマ娘を見上げる。
「おまえ、ありがとな! ぜんぜん分からなくて困ってたんだ!!」
「力になれたのならよかった」
芦毛のウマ娘は頷いた。二人のやりとりを見ていた周囲、中央のウマ娘を恐れていた学園生は大きくざわついている。それに気付くことなく、さらにターボに対して恐れ知らずな申し出をした。
「これから昼食だろう。よければ同席しても構わないだろうか」
「ターボと一緒にごはん食べてくれるのか!?」
「ああ。誰かと一緒に食べるのが好きなんだ」
「やったーーー!!」
孤独が嫌で友達を求めていたターボは無邪気に喜んだ。それを見た地元の生徒である芦毛のウマ娘は穏やかに微笑んだ。しかしそれを見てふと名前も聞いていないことに気付く。ターボは自分よりもずっと背の高いウマ娘を指差した。
「あ、ええっと。お前! 名前はなんだ!!」
「オグリキャップだ。よろしく頼む」
「そうか! ターボはツインターボだぞ! よろしくな、オグリ!」
オグリキャップは胸に手を当てて自己紹介する。納得したように頷いて名前を呼び、中央トレセン学園と、カサマツトレセン学園のウマ娘の友情が成立した。
二人が出会ったこの日、運命の歯車が大きく動き出した。
カサマツトレセン学園には中央と同じく練習用コースがある。
胸に銀の蹄鉄バッジをつけた俺は、コースを一望することができる校舎から練習風景を見下ろしていた。これから働くことになるトレセンの生の空気を知っておきたくて見学していたのだが、目に入った光景は期待を大きく外していた。
「……これは、酷いな」
目の前の光景に落胆を隠せない。
まずカサマツトレセン学園は、地方で行われる『ローカルシリーズ』に出走するウマ娘を排出している育成機関のひとつだ。小学生の頃からローカルシリーズに通ってウマ娘のレースを見て回っていたのでそれなりに知識はある。中央に劣るとはいえ、地方ウマ娘のレベルだって低くないことを知っている。
「ふぁぁ……いい天気だわ。こんな日に授業なんてやってられないわ」
「ねえ見て。このイヤリング、ちょー可愛くない?」
「私のトレーナー、また頭の上に乗せた老眼鏡なくしたって言ってんの。ちょー笑えるよね」
レースウマ娘を排出しているのだから、トレセンならばどこも高いレベルにある。そう思い込んでいたのだが、これは酷い……。
目の前にあるのは、トレーニングの時間にトレーニングを行っていないウマ娘たちの姿。寝転がっていたり柵に腰掛けて雑談したり、一人で携帯を弄っている不真面目なウマ娘。極め付けは周辺にいるトレーナーが彼女たちを注意しようとさえしないことだ。真面目に励んでいるウマ娘は、少なくとも視界の中には一人も見当たらなかった。
……普段からこういう感じなのか?
空気が緩いとかそういうレベルじゃない。しかし思い当たることがないわけじゃない。俺が今まで見てきたのはローカルシリーズの中でも重賞で、そして重賞に出るウマ娘は上澄みだ。それ以外にもレースは毎日のように開催されていて、一般的なレースウマ娘はこんなものなのかもしれない。
「ターボがあの雰囲気に当てられないといいんだがなあ」
ひとつため息をついて踵をかえして与えられたトレーナー室に戻ってくる。椅子に腰掛けて息をつき、そして引っ越してきた部屋全体を見渡す。この何の変哲もない会議室のような部屋が新しい城だ。
中央トレセンから引き継いだ資料や論文、私物の書籍などが置かれている。壁の本棚にぎっしりと資料が並んだ。あとは部屋の隅にツインターボ用のバイク用具を詰めた段ボール箱が置いてある。これで中央と同じように仕事ができる環境が整ったわけだ。
はぁ、と。天井を見ながらこれから先のトレーニング計画に想いを巡らせる。
練習環境が悪いのは痛手だな。彼女たちが自分の時間をどう使おうと構わないのだが、あのだらけきった空気の中にターボを置いておきたくない。最後まで諦めずに走り続ける胆力があるターボがトレーニングをサボるとは思えないが、朱に交われば赤くなるともいう。モチベーションに及ぼす影響はゼロにはならないだろう。
「同レベルのライバルでもいてくれればいいんだが、それは難しいだろうな」
移籍してからすぐ、俺はカサマツトレセンのデータを自ら集めて資料を作った。ツインターボと対等に走ってくれるウマ娘はほぼいなかった。
世間から見れば、ツインターボは未勝利ウマ娘。しかし俺は現時点でターボをGⅢ級とみている。『全力で走ることができれば』という但し書きはつくが、俺はそのくらいツインターボの走りを買っていた。
GⅠに勝たせるためにも練習相手がいてほしかったのだが、全力のツインターボに真っ向からついてこられるウマ娘が一人しかいなかった。唯一見つけたウマ娘。その資料には、端正とした表情でうつっている芦毛のウマ娘の写真が貼り付けられている。
「連勝中の芦毛のウマ娘、オグリキャップ。条件に合いそうなのはこの子だけか」
オグリキャップというカサマツトレセン学園の生徒。見ればぶっとんだ記録を残し続けていた。今まで出走したローカルシリーズを、中央顔負けのタイムを連発して全戦全勝しているという。まさしくライバルになりうる条件を満たしているウマ娘だ……下手をするとターボより速いかもしれない。
「ただターボとは学年も違うし、候補が一人じゃどうもなあ……」
突出したウマ娘が一人だけというのが微妙だ。距離適性もかぶっているようで、確実にどこかのレースでぶつかる。そうなると独走状態の中に割り込むことになるわけで、ライバルどころか疎ましく思われる可能性が高い。
「ライバルの獲得まではさすがに高望みだな」
そもそも相手と知り合う方法がないという問題もある。新人である俺は当然地方のトレセン学園にコネなんてない。こればかりは運が絡むから、やはり俺たちだけでやらなければならないと思っておくべきだろう。
「現実を見よう。ライバルは必須じゃない。安定して実力通りに走れるようにするのがマストの目標だ」
やるべきことはターボの『大逃げ』を復活させるだけでない。指導を受けられなかったせいで歪んでしまったランニングフォームの改善や、筋力のバランスを整える矯正など。課題を消化しなければならないのだ。
俺は空白のトレーニング表を手に計画を練っていた。その最中、どーんと勢いよく扉が開いた。乱入してきたのはもちろん担当ウマ娘のツインターボだ。
「とれーなーっ!!」
「きたな」
明るい声を聞いただけで俺も元気が湧き上がってきた。やってきたターボは普段の紫基調のトレセン制服と違う白黒デザインだ。カサマツトレセン指定の制服である。青緑色の髪がよく映えて普段よりも可愛らしい。
「よし。それじゃあカサマツ初ミーティングだ。心機一転頑張っていくぞ」
「おーっ、やるぞー!!」
気合を入れるべく腕をあげると、ノリノリで片手を上げて応じてくれた。しかしその途中でツインターボは腕を上げたまま、はっと我にかえったように固まった。
「あ、そうだった! ちょっとまってとれーなー!!」
「ん、どうした?」
「えっとね、ターボの友達がトレーニングを見せてほしいんだって。いま外で待ってるんだけど」
「おおう」
ターボは指先同士を突き合わせておそるおそる尋ねてくる。初日からお願いとは何かと思ったけれど、友達が来ているとは驚いた。というかさっそく友達ができたんだな。
「まあ、いいぞ。何なら参加してくれても構わないが」
「ほんとに!? よかったぁ、怒られるかと思っちゃったぞ」
「一応ダメな日とかもあるから、今度は事前に教えるようにしておいてくれよ」
はぁい、と返事をくれるターボ。緊急の話とか日程をずらせない日じゃなくてよかった。そのままバタバタと廊下の方に戻っていくのを見送る。
しかし、友達ができないんじゃないかと心配していたのは杞憂だったな。
どうやらこのトレセン学園は中央所属というだけでかなり畏怖されるようだった。俺が挨拶回りしたときも「中央のトレーナーさんだ……」とめっちゃビビられた。常に距離を置かれていて仲良くなれた同僚はいない。だからターボのことも内心で心配していたのだ。
(飛び込みでトレーニングを見に来たいなんて。やる気のある子もいるんだな)
つい先ほど、だらけきったウマ娘を見たばかりだから自然と評価が上がる。ターボの友達なのだからしっかり歓迎してあげないとな。
「連れてきた!!」
「ああ。ようこそ……」
ツインターボが連れてきたウマ娘を歓迎しようとして……言葉が途切れる。相手の顔を見たとたん、持っていたクリップボードを取り落としそうになった。ターボに連れられて入ってきたのは芦毛のウマ娘。初対面だが、その顔にものすごく見覚えがあった。
「ここがターボととれーなーの部屋だぞ!」
「貴方がトレーナーだな。オグリキャップという。よろしく頼む」
「あ、ああ……よろしく」
彼女は俺の正面に立つと、礼儀正しくぺこりと頭を下げた。
なんで。え、なんで???
差し出された手を握って握手を交わした。なんとか平静を保とうとしたものの、声が震えないようにするのが精一杯。何せ相手はついさっき警戒しようと心に決めたばかりのウマ娘だ。突然の遭遇に俺はビビり散らかしていた。
(敵情視察? いやまさか。初日からそんなことあるか?)
なぜ、うちのターボとオグリキャップが普通に話しているんだ。仲良さげに話しこむ二人を前に混乱しながら焦って考える。
オグリキャップは腰まで伸びる芦毛と、ダイヤが連なったような形状の髪飾りが特徴的なウマ娘だ。生で見るのはこれが初めてだが、中央に在籍していてもおかしくないアスリートの肉体だと分かる。身長はターボよりもずっと高く、実際年齢差があるはずだ。
俺が考えていたのと同じように、相手もターボを意識してやってきたのかと思ったのだが……どうも雑談している二人を見ている限りそういう雰囲気じゃない。年下のターボにも敬意を持って接してくれているように見える。
(これはマジで偶然友達になっただけ? 在籍するウマ娘の数を考えればあり得ない話じゃないか)
仮にそうだとすると、これはとんでもない幸運かもしれない。
何せライバルになりうる相手が初日から来てくれたのだ。得難いチャンスだ。実力差はまだどの程度か分からないが、本気のターボにも勝てるかもしれないのはデータから見て確実。切磋琢磨しあうことができるかもしれない。
敵情視察だったとしても構わない。俺はそう割り切って、あえて水を向けてみることにした。
「それじゃあトレーニングの話をしようか」
「今日はなにするっ!?」
「普段通りのメニューでいこうかと思ったんだが、せっかく友達が来てくれたんだ。オグリキャップ。もし君のトレーナーが許してくれるなら、軽くターボと走ってみるか」
「見せてもらうだけのつもりでいたのだが、いいのか?」
オグリキャップは少し驚いたような顔をした。俺もカサマツトレセン最強ウマ娘が走る姿を見たいと思っていたところだ。親交を深めるうえでも都合がいい。
「ターボは大移動と引越しで疲れが溜まっているから、全力でレースするわけにはいかない。でもせっかく興味を持って来てくれたのに、見学だけっていうのは寂しいだろう。どうだ?」
「それは嬉しいな。ターボとは一緒に走ってみたいと思っていたんだ……!!」
なるほど。どうやら本当に何も知らずにここに来たみたいだ。嘘偽りや、他人の指示があるような気配はまったく感じられない。嘘をつくのが得意なウマ娘には見えないもんな。
「ターボもそれでいいか?」
「勝負できるの!? ! うわぁ、楽しみだぞ!!」
「勝負はダメだっての」
走れると分かったターボは大喜びでその場で飛び跳ねた。
「となるとオグリキャップ、君のトレーナーに連絡をとりたい。これが俺の名刺だ。トレーナーに渡してほしい」
「ああ、分かった」
オグリは名刺を受け取ると、浮き足だった様子で部屋を出て行った。一方ツインターボは大喜びで「勝負っ、勝負っ」と口ずさむ。練習後に飲むためのにんじんジュースを冷蔵庫から取り出して、移動の用意をしはじめた。
いきなり凄い展開になったけれど逃す手はないな。俺はツインターボの生まれ持った豪運に感謝しながら、練習用コースを貸し切る手続きを始めた。