ツインターボの勝利で中京盃は幕を降ろした。俺は喜び勇んで真っ先に控室に飛び込もうとすると、ドアノブに手をかける前に待っていたかのようにドアが開き、カサマツトレセンの制服に着替えたターボが弾丸のように胸に飛び込んできた。
「とれーなー!!」
「おうっ!? ターボか、びっくりした。なんで分かったんだ?」
「とれーなーの足音だったからな!」
抱きついてきたターボは、ウマ耳を垂れさせながら甘えてきた。きっと人間よりもずっと鋭いウマ耳の聴覚で、足音を聞き取ったのだろう。その頭を優しく撫でると猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。尻尾を振り回しているのは初勝利に浮き足立っているからだろうか。
重賞の初勝利ということもあって、ターボは見たこともないほど喜んでいた。得意分野でないため完全燃焼させてやれるレースではなかったが、全力を出させてやることができたのでトレーナーとしても満足な内容だった。
「とれーなー見てた!? ターボね、一着とれたよ!! センターで踊ったんだよ!!」
「全部ちゃんと見てたぞ。録画もバッチリだ。これがようやく掴んだ俺たちの初勝利だな」
「うん! ターボたちの勝ちだね!」
「ああ。よく頑張ってくれた……本当に、よくやったよ」
大袈裟な身振り手振りで感動を伝えようとしてくれるターボを見て、ちょっと泣きそうになった。自分の担当ウマ娘がウィニングライブをセンターで踊ったのだ。ライブ自体は小規模だったが、こんなに嬉しい日はない。俺はやっと担当ウマ娘を勝たせてやることができたんだ。
レースが終わってあとは帰るだけだ。しかしこんな特別な日を祝わずに帰るのは、あまりにも勿体ない。帰り支度を整えるのを手伝いながら、人差し指を立てて提案した。
「ようし、今日はお祝いだ。帰りは美味しいもの食べにいくぞ!」
「ほんとか!? ターボね、ドーナッツが食べたい!! テレビに出てた虹色ですっごく綺麗なやつ!!」
「じゃあそれはデザートで買っていこう。前に行きたがってた黄金のシャチホコエビフライの店で祝杯なんてどうだ」
「マジで!? どっちもいいの!?!? やった、やったぁーーーーっ!!」
「初勝利で重賞に勝ったんだから、そのくらいは当然……おう!? しっかりしろ!」
「ふにゃぁ〜〜力が抜けるぅ……」
ターボは喜びすぎて目を回してしまい、大口を開けてくらくらと体を揺らした。倒れそうになったところを慌てて支える。一気にレース疲れが襲ってきたようだ。
「疲れたのか。大変だったもんな。車まで背負っていこうか?」
「うん……お願い……」
「ご飯は食べられそうか?」
「たべるぅ、ターボガス欠だもん。お腹減ったぁ〜」
ちょうど俺によりかかっているターボの腹の虫が鳴った。うん、しっかり燃料は補給しないとな。疲れ果ててぐったりしたターボを背負って荷物を持つ。夕焼けに照らされた中京レース場をあとにした。
「すごいぞターボ、強いぞターボ♪ 誰より早いし負けないぞ♪」
帰りの道中、ターボはウィニングライブの曲を小声で口ずさんでいた。どれほど嬉しかったのかが伝わってきて微笑ましい。駐車場まで戻ってきたとき、俺たちの乗ってきたワゴン車のそばに誰かが立っていることに気付いた。
「あれ。とれーなー、だれか待ってるぞ」
「ん、ほんとだな」
誰かの車と間違えているのだろうか。そう思って声をかけようとしたが、それより前に相手が俺たちに気付いて顔を向けてくる。そこでようやく姿が明らかになったウマ娘を見て絶句した。
待っていのは、昭和を感じさせるシックなデザインのパンツスーツを着た鹿毛のウマ娘だ。彼女は余裕のある温和な微笑みを俺たちに向けた。
「こんにちは、初めまして」
嘘だろ。
勝利後のふわふわとした気持ちが、丸ごと吹っ飛んだ。一方でターボは彼女の顔に全く心当たりがないみたいで、俺の知り合いかと尋ねるように視線を向けてくる。
「とれーなーの知り合いか?」
「いや、違う。この人は……」
「あなたがツインターボちゃんね、初めまして」
「おまえ、ターボのこと知ってるのか?」
客席でレースを観戦していたドリームウマ娘の一人だ。数々の栄光をものにした『生ける伝説』を前に、俺はどう反応していいか分からなくなった。ターボの態度が無礼に思われないかとヒヤっとした。だがマルゼンスキーは全く気を害した様子なく、むしろ気さくに接してくれた。
「知っているわ。あたしはマルゼンスキー。今日のレースは見させてもらって、あなたとお話ししたいなと思ってここに来たの」
「どうだった!? ターボすごかったでしょ!」
「ええ。あなたの走り、凄かった。あたしすっかりファンになっちゃった」
「ほんとか!? ターボのファン! とれーなー、ターボもファンがついたぞ!!」
……いやいや。ファンなんて、そんなレベルの相手じゃないぞ。
レースウマ娘としてファンがつくというのは名誉なことで、レースで活躍した証でもある。初めてトレーナー以外で自分の走りを見てくれる人が現れたことにツインターボは大喜びで興奮していたが、相手の身分を知っている俺は気が気ではなかった。
マルゼンスキーは喜んでいるターボに、さらに付け加えて言う。
「あたし以外にも、たくさんの人がグッときていたみたいよ。すごいウマ娘が出てきたぞーって。あんなにパラダイスな盛り上がり、なかなかあるものじゃないわ♪」
「えへへ。ターボがすごかったから、とーぜんの結果だな! でも勝てたのはとれーなーのおかげなんだぞ!」
ターボはふふんと誇った。マルゼンスキーは今度は俺の方に視線をうつしてくる。
「帰るところだったのに、突然押しかけちゃってごめんなさいね。ツインターボのトレーナーさん」
「いえ、とんでもない! あなたのことはよく存じています……!!」
「あら。そんなに固くならなくても大丈夫よ。ふふ、リラックスリラックス」
思わず声がこわばってしまい、くすくすと笑われた。すると普段とあまりにも違う俺の様子に気付いたターボは頭上に疑問符をいくつも浮かべた。
「とれーなー、なんでさっきからウマホみたいに震えてるの?」
「ターボ。この人はマルゼンスキーといってな、中央トレセンですごい成績を残したウマ娘なんだぞ」
「え!? じゃあターボの未来のライバル!?」
「あ、いや。もう引退しているぞ。昔にトゥインクルシリーズを走っていたんだ」
声を低くして彼女が何者なのかを教えると、相当ビックリした様子で目を丸くした。
「ってことは、もしかして速いウマ娘なの?」
「当時は全戦無敗で、必ず一着を取るウマ娘として活躍したんだ」
「無敗!? すっごいじゃん!!」
教えると、ターボのオッドアイに尊敬の光が宿った。とりあえず凄いウマ娘だということは理解してくれたらしい。俺も当時、彼女の現役時代を追っていたファンだったのでよく知っている。マルゼンスキーが現役だったのはもう相当前で、引退後の話も有名なので少しは耳に入っている。
「確かシンボリルドルフさんとURAの職員をされている……ですよね?」
「そうねぇ。いまは他にも色々とやらせてもらっているけど、今日は来たのはそのお仕事かな」
マルゼンスキーは少し考えるように空を見て、俺に含みのある笑顔を向けてくる。悪戯っぽく、かつ妖艶な大人の笑みだ。俺は唾を飲んで全神経を使って耳をすませた。
「私達はトゥインクル・シリーズを走る素質のある子を探している。実は今日のレースでは目当ての子がいてね、その子の実力を確かめに来たの」
「それってオグリキャップですよね」
「当たり。だからオグリちゃんは、今頃ルドルフちゃんが声をかけているはずね」
どうやら前々から口にしていた俺の予想は当たっていたようだ。地方で数々の栄光を刻んだオグリキャップがスカウトされないはずがない。マルゼンスキーも「今日ほどの凄いレースは久しぶりに見たわ」と言い、お茶目に笑った。
「俺たちのところに、あなたが足を運んだということは。そう思っていいんですか」
俺は期待に胸を高鳴らせていた。オグリキャップのところに一人が行っていて、もう一人の伝説が俺たちの前に姿を現した。これがどういうことかは考えればすぐに分かる。ターボも何か特別なことが起こりそうだと気づき始めているようで、キョロキョロとせわしなく俺とマルゼンスキーを見比べていた。
「あなたたちが中央を出た理由も、どういう目的を持っているかも知っています。けど今日ここに来たのは本当に偶然。本当はルドルフちゃんに全部任せるつもり来たんだけど、あんなドキドキする走りを見せられて、黙っていられなかったの」
マルゼンスキーはターボをじっと見つめる。神妙な雰囲気にあてられて少し怖くなってしまったのか、ターボはその場から若干身を引いた。
「ツインターボちゃん、あなたをスカウトしてもいいと思っているの」
赤青のオッドアイが、驚きで大きく見開かれた。
マジか。期待していたが、まだ遥か先だと思っていた展開がいきなり転がってきて心臓がいつになく高鳴る。しかし俺たちが何かを言う前にマルゼンスキーは素早く釘を刺してきた。
「もちろん今すぐにスカウトするわけじゃないわ。トレーナーのあなたなら言いたいことは分かるわよね」
「重賞とはいえ一勝したばかりです。当然ですね」
ターボは「なんで!?」と言いたげだったが、理解している俺はすぐに頷いた。スカウトを受けるウマ娘には相応の実績がなければならないのだ。確かにツインターボは全力を出せるようになったが、他者から見ても納得のいく成績を残したかと問われれば否だ。重賞レースでオグリキャップに勝ったとはいえ、実力の証明としては弱すぎる。
しかし、それでも彼女はスカウトという未来を言葉にして触れた。スカウトレディとしてこの場に現れたことを名言したのだ。つまり今が空前絶後のチャンスであることに変わりはない。
「俺たちは、何をすればいいんですか!?」
「ふふ、焦っちゃだめよ……と思ったけど。あまり帰りが遅くなったら、ルドルフちゃんに怒られちゃうか」
焦らすように薄く微笑んだが、途中で妖艶な雰囲気を消して軽く息をついた。そしてもう一度視線を合わせてくる。マルゼンスキーは緩い雰囲気をなくして真剣な真顔で俺たちに言った。
「今から言う条件を達成できたら、その時はあたしがツインターボちゃんを中央にスカウトするわ」
「っ……!」
「それホントか!!?」
「もちろん。女に二言はないわ」
完全に言質を取った。俺は息を呑み、ターボは興奮気味に俺の服の裾をぐいぐいと引っ張った。
一生を棒に振る覚悟でローカルシリーズに来たつもりだった。早々にこんなことがあるなんて。本当にツインターボの夢が繋がるかもしれない。しかしまだ分からない。生唾を飲んでから、彼女の提示した『条件』について尋ねる。
「教えてください」
「ええ。単刀直入に聞くわ。あなたは今のままターボちゃんが復帰したとして、夢を叶えられると思う?」
「それは、どういう意味ですか……?」
マルゼンスキーの問いに戸惑ったが、しかし彼女は俺の疑問に答えない。微笑みを見せながら返答を待っている。
(何だ、いまの質問はどういう意味なんだ……?)
俺の発言にツインターボのレース人生がかかっている。もし間違った答えを出せば、このスカウトの話はなくなってしまうかもしれない。そう思うだけで心臓が早鐘を打ち、背中が恐ろしいほどの冷や汗を流した。
(俺たちの夢は最高で最強のウマ娘。仮にマルゼンスキーがそれを知っているとして……それが叶えられるかと言われれば、まだまだ先の話だ)
今のまま復帰しても、トゥインクルシリーズでそこそこには勝てる。でもそれでいいはずがない。それが考えた末に導き出した結論だった。どう伝えるか悩んだ末、そのまま答えるしかなかった。
「正直に言うと全く自信がありません。今のままだとGⅠは夢のまた夢です」
本人の前でトレーナーとしての本心を打ち明けるのは憚られたが、今回ばかりは仕方ない。ターボは少し動揺したように俺を見上げたが、本人も実力不足なのは分かっているので我慢してぐっと口をつぐむ。マルゼンスキーは小さく頷いてから話を続ける。
「今日のターボちゃんの走りは確かにすごかったわ。トゥインクルシリーズでも勝ち上がれる強さがあったと思う。でもあたしには、まだ必要なものが足りていないように見えた」
「分かっています。でも、足りない部分はここから補います」
「頂の高さは、トレーナーのあなたなら分かるでしょう。届かないかもしれないわよ?」
「いえ、届かせます。全ての手を尽くしてツインターボを勝たせます」
この世に不可能なことはない。成せば届くのだと諦めずに信じ続ける。自信がなくても、前向きな気持ちで一直線に突っ走るのがツインターボから学んで得た俺のやり方だ。だから真っ直ぐに言い返した。
「ターボの夢は、俺の夢です。だから必ず届きます」
俺はツインターボを信じている。ターボと一緒に夢を見ている限り歩みを止めることはない。一点突破の天才的資質を持つこの子を夢の果てに導けるのは、俺しかいないのだ。
俺の答えを聞いたマルゼンスキーは手を叩き合わせて、楽しげに笑ってみせた。
「うんっ! よかった、それなら話は早いわね♪」
俺の出した答えはお気に召すものだったらしい。俺は気を緩めることなく意識を集中させた。マルゼンスキーは指先を立てて俺たちに告げてくる。
「あたしの出す条件は一つ。ツインターボちゃんを
「えっ?」
気を張っていた俺は目を丸くした。
(全力で走る……だって? どういう意味だ)
今より強く鍛えろという意味ではないだろう。そんなことはわざわざマルゼンスキーが忠告してこなくても、トレーナーであれば理解している。確かにまだまだ未熟でフォームなども矯正しなければならないが、今日のターボは全力で走っていたはずだ。
混乱する俺をよそに、彼女は話を続ける。
「今のままでも、そうねえ。GⅢくらいなら十分に通用するかもしれない。実力だけならすでにスカウトの条件は満たしている。けれどそれは、あなたたちの目指すところではないでしょう」
「……今のターボには足りないものがある。そういうことですね」
「いい目ね、分かってるじゃない。今の言葉をよく考えてみて。謎を解いたらこの番号に連絡をちょうだい」
マルゼンスキーは前もって用意していた一枚のメモ用紙をポケットから出して俺に手渡した。綺麗な文字で数桁の数字が記されている。
「アタシ直通の番号よ」
「……あの。ここまでしてもらって本当にいいんですか?」
「まったくもって、問題ナッシング♪ 頑張っている後輩を支えるのは、あたしたち卒業生のお役目だから気にしないの」
彼女は少々古風なセクシーポーズで胸を張った。レジェンドウマ娘の電話番号、とんでもない代物を受け取ってしまったと、メモを持つ手が僅かに震えた。気持ちとしては総理大臣のプライベート連絡先を一般市民が手に入れたような感じだ。
「あら。そろそろルドルフちゃんを拾いにいかないと怒られちゃう。それじゃあアタシはこれで失礼するわね」
マルゼンスキーは話を切り上げた。その場を離れて、ワゴン車の向いに止めてある派手な高級車の運転席に手をかける。真っ赤なスポーツカーが停まっていて、こともなげに乗り込む。
「二人とも、また会いましょう。アデュー!」
マルゼンスキーの私用車すごすぎるだろ。そう思っていると窓を開けた彼女に軽くウィンクされて、ものすごい勢いでエンジンをふかして土煙をあげながら、驚くような速度で駐車場を出ていった。
法定速度をぶっちぎったようにも見えた彼女の車を、呆然と見送ることしかできなかった。ターボは色々と追いついておらず唖然としていた。
ついさっきまであった勝利の余韻は消えた。
俺はマルゼンスキーから受け取ったメモ用紙を持ったまま呆然として、しばらくその場から動けなかった。