二人のための特別な特訓が始まった。ツインターボは完全燃焼を目指してオグリキャップから学び、オグリキャップは中央のウマ娘を超えるスピードを手に入れるためにターボから学ぶ。ライバル同士が互いを高め合うトレーニングを企画したのだ。
よってトレーナーとしてやるべきことが山積みだ。合同トレーニングとはいえ、この貴重な機会を活かして少しでも担当バを成長させてやらなきゃいけないからだ。さらにターボは
よって、俺はターボと二人きりで過ごす時間を作ることにした。
トレーニングに行く前に一度集まって、パイプ椅子に腰掛けたターボの素足に指先で触れる。パイプ椅子に腰掛けたターボは無邪気に涙を目尻に浮かばせながら大笑いした。
「あははっ。とれーなー、くすぐったいぞー!!」
ジャージをおおきくめくりあげた肌色の素足を、異常がないか指先で念入りに確認。ターボに我慢してもらっているうちに手早く作業を済ませていく。
「と、とれーなーっ! ふひゃははっ、もうげんかい、げんかいだぞぅっ!」
「……よしっ、これで終わりだ。今日もよく頑張ったな」
手を離すとターボは上げていた脚をストンとおろして、気を抜いたように大きく息を吐いた。他人に脚を触られるというのは大変くすぐったいようだ。素足でもウマ娘パワーで蹴ったら大変なことになるため、ターボも俺を蹴飛ばさないように我慢してくれていた。
手元のクリップボードに書き込み終えて、確認した結果を伝えた。
「問題なしだ。怪我や病気の兆候も見えないし、トレーニングの成果もちゃんと出ているぞ」
「前に折れちゃった部分は大丈夫かな……」
「それも大丈夫、万全な状態と変わらない。違和感があるのか?」
ううん、とターボは首を横に振った。
かなりハードなトレーニングに変わったため、きっと昔の怪我が心配になったのだ。二人の努力量は中央ウマ娘基準でもトップクラスの練習量だ。当然、普通よりも大きな怪我のリスクが伴うため始めたのが触診だ。
「また今日もトレーニング後に触診するが構わないか?」
「うん。っていうか、やってくれないとターボ怒るから! 怪我しないためにくすぐったいの我慢してるんだぞ!」
「分かってる。脚に何か違和感を感じたら、いつでも言うんだぞ」
最近になってはじめたのは、レースウマ娘とはいえ年頃の女性に触れることに躊躇があったからだ。しかし怪我のリスクを抑えることに比べればためらいは些事。出会った頃とは比べ物にならない信頼関係も生まれているし……まあ、そもそもターボは全く恥じらっていないが……ともかく。使える武器を全て使って勝たせることを決めたのだ。
「むむむっ。でもターボには、怪我するかどうかなんてサッパリ分かんないぞ」
触診を終えたターボはジャージを下ろさずに屈んで、不思議そうに自分の太ももを指先でつついた。
「車やバイクと一緒だよ。故障する前の不調を掴むことは、その道のプロにしかできないだろう」
「とれーなー、プロなの?」
「まあ。興味があって資格を取ったんだよ」
「じゃあとれーなーはっ、ターボ専門の整備士だなっ!!」
「まあ整備というより、ウマ娘の療法士だな」
ターボはテンション高めに尊敬の眼差しを向けてくれた。
ウマ娘の脚を触診するのは専門技術だ。初めはライセンス試験の息抜き程度に本を買って読んでみたのがきっかけだったが、そのうち『ウマ娘の育成に必要になるのでは……?』などと考えるようになり、専門の勉強をして資格を取った。息抜きついでに採用の役に立つと思ったのだ。
そんな趣味と実益を兼ねた資格が、怪我に若干のトラウマを持つターボのより深い信頼を勝ち取るという形で生きた。怪我の不安と戦ってトレーニングをしていかなければいけないターボにとって、常に見てもらえるというのは相当にありがたいみたいだった。
とはいえ不安が一個取り除かれたからといって、すぐに完全燃焼とはいかない。トレーニングの時間になるとターボは苦しそうに歯を食いしばって、俺はその背中に激しく檄をとばした。
「もっと足幅を大きく! 力を込めて踏み込まないと意味がないぞ! オグリの走りを思い出せ!!」
「ぐ、ぐぬうううっ!! まだ、だぁぁーーーっ!!」
そう言いながら何セットも走るターボ。普段よりも前のめりな姿勢で走っていた。脚を大きく広げて歩幅を大きく取って、普段とは全く違うやり方で練習を繰り返している。オグリキャップのストライド走法をもとにした
まだ練習不足で真似しきれないまま、ターボは走り終えた。前のめりだった体勢を少しずつ戻してスピードを緩める。いつもよりも早い息切れを起こしていて、何度も荒っぽい呼吸を繰り返した。
「大分よくなってはきたが、まだ体の重心がブレているな」
「はぁっ、はぁ。う、うまくいかないぞ……とれーなー。この走り方はあんまり楽しくない……」
「分かっている。全力で走れないのは気持ち良くないだろうな」
不安が伝わってくる言葉に深く頷いた。以前のトレーナーが指示したように不得意な状況で走っていて、ターボの目指す『完全燃焼』とは遠いように思えるトレーニングだと分かっていた。しかしこれが強くなるための最短経路だ。
「いいかターボ。気持ちよく走れないのは嫌だと思っているな?」
「う、うん。だめか……?」
「それでいい。嫌なことは嫌だと言っていいんだ。ただこのトレーニングはターボを一番早く、完全燃焼しながら思いっきり走らせてやるためのものだ。将来気持ちよく走るために俺が考えた作戦だ」
この辛い時間はツインターボの将来への投資だ。しかしそんなことはトレーナーだから言えることで、ただ耐えろと言ってもウマ娘からしたら納得し難い話だ。それでもターボは俺を信じているので素直に受け入れてくれるだろうが、そこに甘えていてはダメだ。
「ターボエンジン全開で走れるようになるまで、必ず俺がそばについている」
「えっ。でもとれーなー、仕事が忙しくなるって言ってなかったか?」
「何のその。ターボが辛い時に俺がいなくてどうするんだ。いつも一緒にいるって約束しただろう。今日からトレーニングの間は必ず一緒にいるよ」
トレーナーとしての力不足は信頼で補うのが俺のやり方だ。手を握ると、ターボは目を輝かせて握り返してくれた。そしてブンブンと縦に頷く。
「これを乗り越えたら、ターボだけの必殺技ができるようになるんだよね!!」
「ああ。確実に今より速く走れるようになるはずだ」
「信じるぞっ! とれーなーはいつだってターボを気持ちよく走らせてくれたからな!!」
キラキラした眼差しを向けられていると、充実感と決意がみなぎってきた。前のトレーナーから裏切られて、不安を感じる指示を出されてなお、ターボは俺に全面の信頼を置いてくれている。この想いに応えなければトレーナー失格だ。俺はできる限りのことをしよう。
そして一通りのメニューを走り終えたターボにクールダウンに入るように言いつけ、今度は一緒にコースに出てきたオグリのほうを見た。いつもの野球帽を被ったオグリトレーナーが、俺と同じように特別なトレーニングの指示を出していた。
「次はオグリ、お前だ。ツインターボに手本を見せてやれ。3、2、1……始めっ!」
「ふっ……!!」
オグリトレーナーの指示でオグリが走り出す。相変わらずの美しいフォームだ。コースに立った瞬間から普段の穏やかな空気は消える。場に圧迫感を生じさせる気迫とともに、地面を蹴り揺らした。
「おぉ〜〜……オグリすごいなぁ」
ターボが感動して憧れの眼差しを向けている。相手は倒すべきライバルなのだが、すごいものはすごいと素直に受け入れるのはターボ特有の性格だな。
真剣勝負に向けた特別トレーニングを指示して以来、ターボはずっとオグリの
「ねえねえオグリ。どうやったらあんなぶわーーって感じで走れるの?」
「ぶわー……ううむ。すまない、何をいえばいいのかわからないな……」
擬音で例えられて困ったオグリは、案の定答えられずにしょんぼりウマ耳を伏せた。
「一応、コツならあるぞ」
「おおーっ! カッコよく走るコツがあるならターボも知りたい!!」
「走っていると心臓がバクバクとしてくるだろう」
「うんうん」
「あの音を感じながら走っていると普段より力が出せるんだ。ターボも真似をするといいかもしれないな」
「ん〜〜〜……?」
オグリが自分の胸元に手を当てながら教えてくれたが、全くピンときていない様子で首をかしげた。俺も話を聞いていたが心臓の鼓動とは独特の感性だな。ターボと同じく、オグリも割と感覚派なのかもしれない。一応何かのヒントになるかもしれないので、頭の中にメモしておくことにしよう。
「今日はこのあたりにしておこうか。続きは明日。今度はターボがオグリのトレーニングに付き合う番だ」
「はあい。じゃあオグリ、今度はさいきょーのターボがなんでもしてやるぞ!!」
「うん、よろしく頼む。今日は何をしようかトレーナー」
ターボのための時間は終わり。俺は指導をオグリトレーナーにバトンタッチして、少し下がった場所で三人を見守る体制にうつった。平等に時間を割り振って自分の担当を育てる。今はそういうトレーニングの時間だ。
「ターボ、オグリも。頑張れよ」
俺はウマ耳に届かないように小さくつぶやいた。協力しながら高め合う二人はキラキラしていて、これから一気に夢を駆け上がる力をつけてくれるだろう。最高のウマ娘になってほしい。今はサブトレーナーとして、静かに壁際から二人の様子を見守った。
そしてトレーニングを終えたあと。夜になってトレーナーと別れたウマ娘二人は、カサマツトレセンから寮に続く夜道を歩いていた。ターボはグッタリ状態で腕を垂れ下げており、体力に自信のあるオグリも疲れきった気配を隠しきれずにいる。
「疲れたぁ〜〜〜、ターボの燃料はもうゼロだぞぉ」
「頑張りすぎてお腹が減った……」
普段は弱音を吐かない二人ともぼやいた。ここまで追い込むほど最近のトレーニングは過酷だ。しかしそれはそれとして、ターボはジト目で突っ込んだ。
「オグリはいつも腹ペコじゃん。お昼、ターボの十倍は食べてたの覚えてるぞ」
「あのくらいじゃ全然足りない、夜は三十倍は食べないと」
「うへえ」
一体どれだけの量が胃袋に入るのかと、呆れたような顔でオグリを見た。いつだって無邪気なターボには珍しい表情だ。
とはいえまるっきり分からない話というわけじゃない。24時間全てをレースに勝つために費やしているような生活がはじまって、少食だったターボも倍くらいは食べるようになっていたからだ。オグリの食事量には遠く及ばないが、きっとネイチャが見たらびっくりするだろうなと思っていた。
「今日のごはんなんだろ。久しぶりにカレー食べたいなぁ」
「それよりみんな食べ終えた頃だから、ご飯が残っているだろうか」
「最近、オグリ用の炊飯器買って置いてもらったんでしょ。あのターボが入れるくらいでっかい、ぎょーむよー?のやつ! 今日から使えるってとれーなーが言ってた!」
「ふふ、私のトレーナーはいつも優しいんだ。ならターボ、今日の晩御飯で勝負しないか?」
「やだ。オグリに大食いで勝てないもん」
ターボはぷいとそっぽをむいて断った。何事も諦めなければやれると思っているターボだが、毎日のように体積を超える量の米をゆうにかっこんでいるオグリキャップにドン引きしていた。
とはいえ一度も勝負をしなかったわけじゃない。一度勝負を持ちかけ、食堂でオグリと同じ特盛の量を頼んで撃沈したことがあった。ターボの中ではその経験が若干トラウマになっていて、これだけは勝てないと認めていた。まあ、レースで勝てればそれでよいのだ。
「だめか?」
「ターボの燃料タンクが破裂するからだめ。真剣勝負ならレースじゃないとっ」
「それはそうだな」
プンプンとかわいらしく頬を膨らませるターボに対して、オグリは静かに肯定した。疲れ切っていたターボはそこで何気なしに隣のオグリを見ながら、気になったことを尋ねた。
「ねえねえ。オグリって、どうしてそんなに走るんだ?」
「ん?」
「いっつも燃料切れまで頑張ってるよね。ターボみたいに最強のウマ娘を目指してるのか?」
「最強……ああ、ターボの夢はそうだったな。私は別にそういうわけじゃない。レースで叶えたい夢があるんだ」
オグリは歩みを止めて夜空を見上げて言った。限界まで疲労していたはずなのに、そのことも忘れて青い瞳を輝かせている。夜空の銀河をうつした眼には確固たる意志が宿っていた。
「私はみんなに大切に育ててもらった。強くしてもらったこの脚で、頂点に立つ姿を見てもらいたいんだ」
オグリはジャージ越しに自分の脚に優しく触れる。そこに決して忘れることのできない思い出が宿っていることをターボは知っている。小さな頃は体が弱くて自力で立つこともままならなかったということ。治療のために母親が人生を注いで、トレーナーがそれを育てた。
「お母さんやトレーナーがそうしてくれたみたいに、私も誰かを幸せにしたい。この脚で走ることで、みんなに勇気を与えられるウマ娘になりたいんだ」
それが夢の原点だ。オグリは拳を力強く目の前で握りしめた。オグリキャップの心に常に母親とトレーナーの存在がある証だった。
それを受けたターボの心を占めたのは『負けたくない』という感情だった。普段から抱いている勝負っ気とは違う、獣のようなもっと荒々しい気持ち。他のウマ娘が一体どんな気持ちで舞台に立っているのか。ターボはこれまで一度も聞いたことがなかったし、考えたこともなかった。しかし自分だって想いの強さでは絶対に負けていない。
「ターボにも叶えたい夢があるんだろう」
「うん。レースでいっぱい勝って、最強で最高のウマ娘になるんだっ」
普段は子供のような笑顔ばかり見せるツインターボの純粋なオッドアイが、最大のライバルを見上げる。オグリはそれに応えるように見下ろしてハッキリと言い放った。
「同じレースに出ても勝者は一人だ。私は中央に行って三冠ウマ娘になるために、キミを倒そう」
「それならターボだって絶対負けないからな! オグリに勝ってGⅠウマ娘になるっ……!!」
ツインターボの瞳に彗星のように赤青の炎が宿った。空腹であったことも忘れて強気な笑みを見せあう。特訓を重ねるたびに友達としての絆が、ライバルとしても相互理解が深まっていく。
夢を叶えるために競い合う日々が楽しい。いつのまにかツインターボのウマ娘人生は、一年前が嘘のように充実していたのだった。