ツインターボの機能回復訓練は極めて順調だった。
かつてトラウマを背負った時は手がかりが何もなかったために苦しんだが、幸い今は多くの手段があって、しかも本人もものすごくやる気があるときた。厳しいメニューも全てこなしてしまうため、乾いていたスポンジが水を吸いあげるように強くなっていった。
「まだまだ、ターボエンジンはそんなものじゃないはずだ!」
「はひぃ……! ふへぇ……けどターボ、まだ走れるぞっ!!」
夕暮れ時、今日もツインターボはコース上で渾身の力を振り絞っていた。中央でもトップクラスの超絶ハードトレーニングを今日もターボは乗り切っている。しかし今日は早朝5時に起きて、かなりしんどさを感じているはずだ。
普通のウマ娘なら音をあげるようなところだが、ターボは違う。それは根性が並外れているということもあるだろうが、一番はその性格だ。ターボは追い込まれれば追い込まれるほどに楽しげに笑った。
「だりゃぁぁーーっ!! げ、ん、か、い、とっぱだぁぁぁーーーーっ!!」
尖った歯を見せて嬉しそうな笑顔を見せている。 つまりこの極限状況を楽しんでいた。ターボは何があっても絶対に倒れないが、その秘訣の一つがこれだった。
(ターボは俺を尊敬してくれるけど、助けられているのは俺の方だな)
すごいなとれーなー! とよく言ってくれるターボだが、青春をトレーニングに全振りしても文句一つ言わないターボのほうが凄い。もちろん退学の憂き目にあった経験からか、それともライバルに勝ちたいがゆえか。理由は色々あるだろうが、トレーナーとしての理想を100%実現してしまうウマ娘なんて普通はいない。
「あと5秒、フォームを崩すな! 絶対に怪我はさせない! 俺が見てる間は安心して走り続けろ!!」
「うん……! はぁ、ぜひぃっ。はっ、はっ! だあああぁぁぁっ!!!」
担当を失って失意に暮れていたあの夜、切り株の広場でターボと出会った。あの出会いが、俺をトレーナーとしてあり続けさせてくれていることに心から感謝している。
俺はその恩を返したい。最短距離で夢を駆け抜けさせてやりたい。
そうやって体力を絞り出して全力で駆けた数秒後。ストップウォッチが甲高い電子音を鳴らした。今まで必死にフォームを保とうとしたターボは、そこで糸が切れたように力尽きて芝に倒れ込んだ。
「ハァ、ぜぇっ。ターボ、いい感じで走れてた……?」
「いいぞ、今回はフォームも完璧だ。よくやったな。タイムもびっくりするくらいに伸びたぞ」
「えへへっ。ターボエンジン、フルパワーだったからな」
汗まみれの顔面を冷たい濡れタオルで拭ってやると、うっすらと赤青のオッドアイを開けて、にいっと誇らしげに笑った。ターボ専用フォームも完成しつつあり、実践レベルに仕上がってくるにつれタイムは明らかに伸びた。
「でもターボ出力1000%にはまだまだだな。そうだよね、とれーなー!?」
それでもターボは強さを求めて、さらに上に行きたいと俺に迫ってくる。その貪欲さが本当に素晴らしい。中央を辞めた決断はやはり正しかったと思わせてくれる。
「ああ、まだターボは速くなれる。今教えている必殺技を完璧に身につければ、最強の『大逃げ』ウマ娘になれる」
「フ・フ・フ。いよいよターボの時代がくるんだな!」
「ああ。トレーニング結果をまとめるから、いつもと同じように休んでいてくれ」
全く、こんなウマ娘を支えられる俺は世界一の幸せ者だな。
充実感を感じながら計ったタイムや気付いた点などの記録をつけていると、途中でターボは甘えるようにぴょんと肩に飛びついてきた。タブレットと俺の顔の中間の隙間に顔を差し込んでくる。無邪気なオッドアイは、何かを期待するように爛々と輝いていた。
「どうした? なにかあったのか?」
「とれーなー! ターボね、またとれーなーとバイク乗りたい!」
「……そうか。オグリと一緒に中央に行ったら、なかなか機会がなくなるからな」
「前みたいに綺麗な湖にも行きたいぞ!! バイクでとれーなーと二人旅っ!!」
なるほど。中央に行けば本格的にオグリも担当することになるので、前にやったようなバイク旅は難しくなる。二人きりになれる時間がそう長く残っていないのは確かだ。
「そうだなあ。また楽しく走れる場所にいくか、トレセン提携の療養施設に行ってもいいな」
「ね〜〜いこうよとれーな〜〜〜トレーニングのやすみ中ならいいでしょ?」
「確かに一緒に行くって約束をしたもんな。休養日に行くのは構わないけど、うーん……今年中は時期が悪いな」
せっかくの願いを無碍にするのはトレーナー的には無しなんだが、直近はタイミングがよくない。しかし俺が乗り気でないことが分かるとターボは、思いっきり不満そうに大声をあげた。
「えーーーっ!? やだ、ターボ、またバイク乗りたいよ!!」
「すっかりハマったんだな。まあバイク用の装備も揃えたわけだし、行くのはやぶさかでもないんだが。今年は次の休みで最後で、そこはみんなでパーティしようって話してただろう?」
「ん〜〜? あっ! そうだった!! クリスマスだ!!!」
ターボも思い出してはっと顔をあげた。次の休暇がちょうどクリスマスイブ。せっかくだから四人でパーティをしないかとオグリトレーナーに誘われていたのだ。
板挟みになったターボは悩んだ。トレーニングで酷使した体を休める休養日を増やすわけにもいかず、かといってクリスマスパーティも逃せない。
「う〜〜、でも行きたいもん……」
「来年連れていってやるさ。パーティに行かなかったら、ケーキの上のサンタさんはオグリに丸ごと食べられちゃうぞ」
「それはだめ! そういうのはターボがほしい!!」
「それに一緒に観戦するって言ってたGⅠレースも見逃すだろうなあ」
「やだ! ターボ、ぜったいバイクに乗らないからっ」
ターボはそっぽを向いて手のひらを返した。そういえばもうクリスマスも近いのかと、コース周辺を見た。空が灰色に曇って樹木はすっかり葉を落としている。この間まで春だと思っていたんだけどな。ターボと出会ったのがつい昨日のことのように思える。
(もう十二月になったのか、時間が経つのは早いな……)
人生でこれ以上ないほど激動の一年だった。だから、年末が近づいてくるのを感じて若干センチな気分になる。中央トレーナーを辞めて全く違う土地で過ごしているなんて、過去の自分は絶対に信じないだろう。
「そうだとれーなー聞いて聞いてっ!」
仕事の手を止めていると、元気になったターボがトレーニングで火照った体を寄せてくる。
ターボは可愛らしく小首をかしげながら目をパチクリとまたたかせた。よそ見したまま返事をすると、水を得た魚のようにトレーニングで火照った体を寄せてくる。
「この前オグリの部屋に遊びに行って一緒にゲームしてたんだけどさ、ターボが3連勝したの!」
「そういえばターボはゲームも得意だもんな」
「それでねっ。すごいのが、オグリの部屋はでっかいこたつがあったの!! みかん美味しかったんだー。オグリのおかーさんが送ってくれたんだって!」
「それじゃあ今度はターボがお礼に何か持っていってやらないとな」
日常の他愛もない話をしながら、残り少ない時を過ごしていく。『最初の三年間』のうちツインターボに残された時間はあと僅か一年。しかし着実に歩みを進めて、実感を得ている俺たちの心は穏やかだった。
クリスマスイブ。
世間の人々は家族や恋人と日常を過ごし、レースウマ娘にとっても羽目を外すことが許された貴重な日だ。それは厳しいトレーニングを乗り越えている二人にも例外ではなく、今日一日はどんなに遊んでもいいと決めてあった。
俺とターボはオグリトレーナーの部屋に招かれて、四人でのんびりクリスマスランチをつついていた。
なぜかトレーナー室に置かれたファミリーサイズのこたつの上には、つみれ鍋、チキンや串カツなどのオードブルやホールケーキ、どて煮や団子などの郷土料理まで並んでいる。食事制限や栄養管理など知ったことかと言わんばかりのパーティメニューを、何も気にすることなく頬張っていた。
まったりとした空気の中で、俺は一人で思いきり動揺していた。
(い、いや。メニューはいいんだが、この量はなんなんだ?)
机に乗っている料理だけでも四人で食べ切れるか怪しいほど大量だ。しかしそれだけではない。この部屋の隅にはホールケーキの箱が十箱以上用意されており、オードブルが富士山のように積まれ、鍋用のカット済み野菜も大量に積み上がっている状態だ。
「あの。今日はほかの人も来るんですか?」
「俺たちだけですね」
「もしかして誤発注とか……」
「心配しなくても、暗くなるまでに全部なくなってますよ」
説明を求めてオグリトレーナーを見ると、どこか遠い場所を見るような死んだ目でかえされた。この量がたった四人の胃袋に収まるわけがないだろう。そう疑ったのだが、5分後に俺は理解することになった。
「ああ……幸せだ。こんなに美味しい料理を山のように食べられるなんて、夢みたいだ」
「う、うぅ〜〜っ、た、ターボだって負けないから……ぐふっ」
溶けて、消えていく。
あまりにも膨大な料理の数々が、瞬く間にオグリキャップの胃袋に飲み込まれていく。まるで録画の早回し。タイムラプス映像を見ているような速さだ。『オグリはものすごく食べるんだぞ!!』と言っていたターボの言葉を思い出したが、いや、これは。
(よく食べるって、バラエティ番組に出ている大食いウマ娘もこれほどじゃないぞ……?)
幸せそうに舌鼓を打つオグリの持つ箸とスプーンが止まることはない。そういえばオグリキャップの食事管理はオグリトレーナーが行っていたし、一緒に食卓を囲む機会はなかったので見る機会がなかったのか。ちなみにターボは途中で大食い勝負を挑み、調子に乗って食べ過ぎてテーブルに突っ伏して力尽きていた。
「ひょっとしてこの食事量がオグリキャップの強さの秘密なのか……!?」
「え。そうかな。そうかも……」
普段からこれだけ食べるからパワーがあるのかと、閃いて納得した。しかしオグリトレーナーは半信半疑で微妙な反応。「食べてる量と運動で消費してるエネルギーが合ってないんだけど……」とぼそりとつぶやいたのを聞き逃していた。
「もしかしてトレーナー室の冷蔵庫とか調理器具は」
「オグリの食事代を少しでも浮かせるために工夫してます」
「この食事、トレセンの経費で落とせるんですか……?」
「……レースの賞金で、なんとか」
オグリトレーナーは気まずそうに黙って目をそらした。授業のある日はいいが、休日でトレーニングしている時などは専用の予算から落とすことになっている。パーティの今日はともかく、それ以外の日も同じ量を食べるなら確実に予算オーバーだ。
しかし、なるほど賞金で補えばいいのか。大食い番組常連のタレントウマ娘も真っ青な食べっぷりを見せるオグリの今後の食費については、あとで考えることにしよう。
「あっトレーナー。始まるみたいだぞ」
頭の中でそろばんを弾いて費用を計算していると、つけっぱなしのテレビが年末の中山レース場を映した。俺たちがずっと待っていた、今日のための特別番組が始まったのだ。
『さあ。今年のトゥインクル・シリーズの総決算・有馬記念、その当日がいよいよやってきました』
『この光景を見てください。全国各地からファンが集っています。超ビッグイベント、夢の舞台に出走する十六人のウマ娘がパドックに集まっております』
トゥインクルシリーズの総決算、有馬記念の当日だ。
有馬記念はファン投票で上位に選ばれたウマ娘のみが出走できるGⅠレースだ。クリスマスという時期もあいまって国民視聴率が最も高いレースであり、かつて80%、つまり日本国民の8割が視聴していたという伝説を叩き出したこともある。
「うわあかっこいい!! すごいすごいっ!!」
勝負服を着たウマ娘が順に舞台に上がってくる様子に、この部屋の全員が釘付けになった。特にGⅠ出走ウマ娘のみが着ることのできる勝負服に憧れを持っているターボは、食べ過ぎ状態から復活して大喜びした。
一方でトゥインクルシリーズをまだよく知らないオグリは、そのまま疑問に思ったことをトレーナーに聞いた。
「トゥインクルシリーズに移籍したら、ジャージとゼッケンではなく、ああいう服で走ることになるのか?」
「あれは勝負服だな。GⅠに出走するウマ娘だけが着られる特別な衣装なんだぞ」
「とりあえずクラシック三冠は勝負服だな。ウィニングライブも専用の舞台で、あの人数の中でライブすることになるわけだ」
俺が補足すると、さすがのオグリも「それはすごいな……」と感心していた。クリスマスイブという特別な日であるにもかかわらず中山レース場は超満員。俺もこの世界に憧れてトレーナーを志した人間なのでよく知っているが、現場を見ると改めてレース界の人気の高さを実感させられる。
テレビに映し出されているパドックには、舞台下にあふれんばかりのファンの姿がうつっていた。舞台上から勝負服を着たウマ娘が出てくるたびに熱い歓声があがっている。そんな熱狂に包まれたレース場を見た俺は、半年前に一緒に挑んだ未勝利戦を思い出した。
(あの時はガラガラだった。今度は、こんな中山レース場をターボに走らせてやりたいな)
未勝利戦と同じ会場なのだが、有馬記念とは天と地だ。あの時は閑散として誰にも注目されていなかったけれど、今度は最高に格好いい勝負服で、大勢のファンに囲まれる中で走らせてやりたいものだ。
『有馬記念はファン投票によって出走バが決まります。さて今年はどんなウマ娘が出走するのでしょうか』
『注目は何といっても投票数一位。昨年度優勝のサイレンススズカのライバル、スペシャルウィークですね! 彼女は今日で引退を表明しています。ファンからの熱い声援と惜しむ声が寄せられています……あっ、今スペシャルウィークです! スペシャルウィークがパドックに登壇しました!』
テレビ画面上。パドックの舞台上に一人のウマ娘が姿を表した。カーテンの幕をくぐって現れたのは、白くふくらんだ前髪が特徴的な、紫を基調としたアイドル衣装よりの可愛らしいウマ娘。
ファンが感極まったような黄色い歓声をいっせいにあげた。本人は慣れた様子でファンやカメラに順に手を振っている。画面越しに見ている俺たちも、その人気具合に圧倒された。
「さすがはスペシャルウィーク、すごい人気だ」
「横断幕もほとんど日本総大将ばかりだし。あれ全部手作りでしょう。東京まで行くファンの熱意はすごいなあ」
「トゥインクルシリーズですからねえ。それも有馬記念となれば気合いが入って当然でしょう」
オグリキャップが食べ尽くしたクリスマスのご馳走をテーブルに補充するのを手伝いながら、オグリトレーナーと雑談した。これから走るのは世代最強のウマ娘だ。特にスペシャルウィークについては、今日が引退レースということも影響しているだろう。彼女の人気は他ウマ娘の追随を許さない。
「とれーなー! ターボもこのレース出たいぞ!! 有馬記念!!」
「うおっ!?」
有馬記念の放送を楽しんでいると、ターボが座ろうとした俺の腕を掴んでゆさぶってきた。おかわり分のホールケーキをいったんテーブルに降ろして、ターボのウマ耳を指で軽く撫でた。
「こんなレースに出られたら最高だな。まずは人気投票で選ばれるくらい有名にならないと」
「じーわん勝ったら出れるかな!?」
「そうだな。あとは2500メートルを走り切らなくちゃいけないけど。うーん……」
「そっかぁ。んー、今のターボじゃちょっとだけ足りないかな?」
ターボはむむむと唸り始めたが、まあ現実に出走するのは難しいだろう。何度も勝たないとファンは離れていってしまうし、奇跡が起きて出走できたとしてもターボの適性距離に届かない。しかし有馬記念は名誉なレースなので、出走できたならそれだけで一生誇れるだろう。
(でも……もしもツインターボが有馬記念に勝てたなら、死んでもいいな)
あり得ない話だが、未勝利ウマ娘の看板も適性も全部ぶっちぎって有馬記念に勝つなんて、こんなにワクワクする話はない。現実になったなら夢が叶ったどころの話じゃない。
まあ、ほぼあり得ない話だ。一体どれほど才能の限界を越えれば届くのかという話で、まずスカウトを勝ち取るのにいっぱいいっぱいな現状をなんとかしないと。とはいえ妄想は自由だ。こたつの暖かさにつつまれながらぼんやりと皮算用を楽しんでいると、実況中継は今年一年を振り返るように他のウマ娘の話題を出し始めた。
『VTRのファンからはトウカイテイオーの名前も多くあがっていましたね。今回あの軽快な走りが見られないのは残念です』
『ええ。トウカイテイオーは今年、無敗クラシック三冠を達成したウマ娘です。菊花賞のあと長期休養に入っており、故障後まだ復帰の目処は立っていません』
『私も一人のファンとして復活を待ち望んでいます。さてトウカイテイオーといえば、外せないのはこのウマ娘。一番人気スペシャルウィークに続く人気投票第二位、春秋天皇賞連覇達成のメジロマックイーン。第三位は最多GⅠホルダーのウマ娘、ライスシャワーとなりました』
四人のウマ娘がカットイン・エフェクトとともに、まるでゲームの登場シーンのよう映し出された。
無敗のクラシック三冠を勝ち取った帝王。
同年天皇賞連覇の偉業を成し遂げたメジロ家の名優。
GⅠタイトル5冠を達成した現役最強ステイヤー。
さらにその三人の人気を遥かに凌ぐ
(三強と、ドリーム入りウマ娘が上位独占か。まあ当然の結果だな)
有馬記念は特に優秀なレース成績を残したウマ娘たちが選ばれて、今年度のトゥインクルシリーズの顔となる。特に世代最強とされる今年のウマ娘は、全員主戦場が長距離に適正がある。今年の有馬記念は荒れるだろう。
「とれーなー、サイレンススズカって、なんで出てないの?」
「ん?」
解説をぼんやり聞いていると、グイグイ袖が引っ張られた。テレビを見るといつの間にか現場の映像ではなく、過去のリプレイ映像を流している。橙色の髪を靡かせながらぶっちぎりで先頭を駆けているウマ娘がうつされ、右上のテロップには『最速大逃げウマ娘・サイレンススズカvs日本総大将スペシャルウィーク』と書かれていた。
それを見たオグリトレーナーはそれを見て、懐かしいなあとつぶやいた。
「二年前の有馬記念のレースか。これの影響で全国で大逃げが流行ったんですよね。ターボも大逃げするけど、やっぱりサイレンススズカを意識しているの?」
「ちがうぞ! でもターボのライバルになるかもしれないウマ娘だから知ってるの!」
「ターボの大逃げは元々ですよ。俺が教えるまでスズカの名前も知りませんでしたから。ちなみにスズカは去年引退したぞ」
「うえーっ!? 引退しちゃったのっ!?」
ターボは大袈裟にのけぞって驚いた。その大声でオグリキャップは驚いてピクリとウマ耳を震わせたが、よほど美味しくて気に入ったのか黙々と寿司をつまみ続けていた。
「こんなおっきいレースに出るくらいすごいのに、なんで!?」
「何年も現役だったからな、さすがにドリームシリーズに移籍したよ」
「どりーむ……ん、なに? レースにはでるのか?」
「さっきまで映ってたスペシャルウィークも来年からドリーム入りするから、またレースが見れるんですね。そういえば」
俺とオグリトレーナーが話している中、ターボは話についていけず、伸ばした人差し指を頭に置いて「???」とふらついた。
ドリームシリーズを知らないのだろうか。中央トレセンではウマ娘の進路について教えるはずなんだが、どうやら忘れてしまったらしい。しかし説明しようと思った矢先に、テレビの映像が再びパドック生中継に切り替わった。そして話そうと思っていた内容が、そのまま吹っ飛んだ。
「あ! おい見ろターボ、ナイスネイチャだ!!」
「え!? ネイチャ!? わわ、ネイチャだ! とれーなー、ネイチャいるぞ!?」
俺も驚いて、ターボのテンションもはちきれてこたつが大揺れした。
ちょうど画面にうつったのは赤みがかった髪のウマ娘だ。緊張した様子で壇上に姿を表した彼女は、俺もよく知っているターボの親友・ナイスネイチャだ。
「あれは知り合いなのか?」
それまで黙々と箸を進めていたオグリキャップも、さすがに食べる手を止めてターボに問いかける。ターボは自分のことのように誇らしげに紹介した。
「うんっ! ネイチャはすごいんだぞ! なにせターボに勝ったウマ娘だからな!!」
「トウカイテイオーと一緒に今年のGⅠクラシック路線に出走してたウマ娘だ、有馬記念にも選ばれたのか……まあ実績があるから当然だな」
「というかさ、とれーなー! もしかしてあれがネイチャのしょーぶふく!?」
「ああ。ナイスネイチャに似合っているいい衣装だな」
今日は特別なGⅠレースのため、ターボと一緒に練習していた時のようなジャージ姿ではない。今日という日を意識しているわけではないはずだが、クリスマスカラーである緑と赤を意識した勝負服だった。
『彼女はこれまで非常に優れた成績を残していて、特にクラシック三冠で最もトウカイテイオーに食い下がったウマ娘として知られています』
『あ、VTRが流れました……ああ、ここです、ここ。素晴らしい末脚ですね。スペシャルウィークや、メジロマックイーン、ライスシャワーが特に票を集めている今回の有馬記念。今度こそGⅠの栄光を勝ち取れるのか。テイオーに次ぐクラシック第二の刺客である彼女にも注目するべきでしょう』
過去のレース映像を交えながらナイスネイチャの戦績について話しているが……すごいな、めちゃくちゃ持ち上げられてる。しかし確かに年末の総決算のレースで、クラシック級から出走するウマ娘の中でトウカイテイオーに次ぐウマ娘なのは間違いない。
そしてあまりにも実況がナイスネイチャを讃えるものだから、そのウマ娘と知り合いだと知ったオグリは目を輝かせた。ついでにオグリトレーナーも『GⅠウマ娘と知り合いなんて、やっぱ中央のトレーナーすげえ』と、久しぶりに尊敬の眼差しに変わった。
「ターボはこんな凄いウマ娘と友達なんだな……!!」
「ただの友達じゃないぞっ。ターボのだいしんゆーだもんねっ!!」
「中央に行ったら戦えるだろうか」
「ふふん、ターボがじきじきに頼んでやる!」
むふーっと、自慢げに胸を張るターボ。まあ将来の話はさておき、一ヶ月特訓に付き合ってもらった彼女がここまで推されていることは素直に誇らしい。こうなると今日応援するウマ娘は確定だな。
「よぉぉし! ネイチャ、ターボのぶんもがんばれぇーーーっ!!」
テレビ画面越しにナイスネイチャはぎこちない笑顔でファンに手を振っていた。こたつの中のターボはブンブンと手を振りかえし、オグリと俺たちトレーナーもまったり見守った。すでに夢の舞台に立ったウマ娘たちを応援しながらクリスマスイブを過ごしたのだ。
有馬記念のレースは結局、スペシャルウィークの勝利で最高に盛り上がった。応援していたナイスネイチャは三着で見事に入賞を勝ち取った。親友が踊るウイニングライブを見て楽しみ、そのあともターボの持ち込んだゲームをしたり、バラエティ番組を見ながら楽しく過ごし。この日を最後まで楽しみ尽くしたのだった。
有馬記念のレース鑑賞を兼ねたクリスマスパーティが終わって、オグリキャップたちと解散した後。夜が更けたカサマツトレセン学園の真っ暗な廊下を帰っていた。ターボはもとより絶好調だったが、ニコニコと笑顔を絶やさないくらいには機嫌がいい。
「今年ももう終わりか」
ぽつりとつぶやく。俺もたっぷり羽目を外すことができて楽しかった。しかし楽しかっただけに、しんと寝った廊下にいると、心に穴が空いたような寂寥感が胸に居座った。寮に送るために一緒に来ているターボが袖を引っ張ってきた。
「とれーなー、はしゃぎすぎで疲れちゃったのか?」
「そうかもしれないな。久しぶりに休んだから、日頃の疲れがドッと出たよ」
「ダメダメだな〜。ターボはもうすっかり元気になったぞっ!」
「はは、ターボはまだまだ若いからなあ」
まあ一応他のトレーナーに比べれば最若手だが、いつどんな時も元気いっぱいなターボには勝てないな。えらいぞと頭を撫でると、軽く目をつむって手を受け入れてくれた。ちょっとくすぐったそうだったが、青白いウマ尻尾はリラックスしている時のように垂れていた。
「まだ数日残ってるけど。有馬記念が終わると、もう今年が終わったって感じがするな」
「むむ。そうかな、そうかも……んー、またネイチャのライブ見たいなあ」
「ライブといえば、この前ターボが出たレースのウイニングライブ、地元のテレビで特集されるみたいだぞ」
「マジで!? うわぁ〜っ、すごい! ターボもテレビ出られるんだ!!」
ターボはその場でピョンピョン飛び跳ねて、小さな子供のように大喜びした。
頑張ってよかったなと心から思う。前のトレーナーから酷い仕打ちを受けて、俺の力及ばずで未勝利戦に負けて地方に移籍して。普通ならどれか一つでも心が折れる悪夢のような境遇だ。しかし今年の後半は大収穫だった。
すでにターボはレースウマ娘として地方新聞にとりあげられている。オグリキャップ相手に勝ったウマ娘ということでファンの間で少しずつ認知されているのだ。未勝利戦に負けたあのときに諦めていたらスカウトもなかったし、ファンのいる未来は訪れなかった。
(ターボは諦めなかった。諦めなければやれるんだな)
無謀にも思える生き様が俺には眩しくて仕方がない。それについていきたい、何とかして勝たせてやりたいと。思い返せばいつだって俺をそんな気持ちにさせてくれた。諦めずに努力するツインターボは、キラキラと輝いていた。
「なあ、ターボ」
「なあに、とれーなー?」
「来年は復帰して。GⅠにも勝って、有馬記念に選ばれるくらいビッグなウマ娘になろうな」
最強を目指すターボはどこまで行けるのだろう。俺にも分からない。しかし中央トレセン学園を辞めた時に吐いた大言壮語が現実になりつつある今。気が大きくなってそんなことを口走っていた。
しかしターボはそれさえも当たり前のことかのように、ドヤ顔した。
「ふふ、そんなの当たり前だぞっ。選ばれるだけじゃなくてターボが勝つもん。有馬記念!!」
「……ああ、そうだな。勝とう。それを目指すなら俺が支えるよ」
GⅠに勝って最強と呼ばれるウマ娘になる。有馬記念に勝つためには高い壁があるけれど、本当に勝てたならトレーナーとして終わってもいい。そんなふうに思いながら俺は小さく笑った。
上機嫌なターボを連れて荷物を取りにトレーナー室に戻ってきた。ソファの上には、やけにカラフルな色合いのリュックが起きっぱなしになっている。数秒で帰り支度を整えたターボをよそに、俺はトレーナー席に戻って声をかけた。
「待ってくれ。寮に送る前にターボに渡すものがあるんだ」
「あっ、来週のトレーニングの予定?それとも学園のお便りとかか?」
しっかりリュックを背負ったターボは俺を見た。普段からトレーニング計画書を渡していたり、学園からの配布物を渡しているのでそれかと思ったのだろう。
「なにか忘れてないか?」
「えっ。ターボもしかして忘れ物したのか……!?」
「違う違う。今日はクリスマスイブだぞっ、と」
こんな日に渡すものといえば一つしかない。ずっと仕事机の下に隠していた赤色の箱を取り出して、棒立ちして待っていたターボに見せつけた。それは両手で持つくらいの大きさの正方形の箱だ。金色のリボンでラッピングされている。
ターボはそれが何なのか分からず一瞬目を丸くして見つめていた……やがて、なんなのか気付いてウマ耳がぴんと立った。そしてびっくりしすぎて叫んだ。
「うぇーーーっ!!? そ、そ、それって、もしかして……サンタさんのプレゼントっっ!!?」
「ん? えっと……そう! サンタさんからプレゼント!」
「トレーナーばっかりずるい!! ターボにはないの!?」
「え。いやいや、これはターボのだぞ」
えっ、と。あっけにとられたターボに箱を渡した。きっと喜んでくれるだろうと思ったのだが、ターボは予想外の出来事すぎて完全にフリーズしてしまっていた。
「ひょっとしてとれーなー、サンタさんと知り合いなの……?」
少し待っていると、おそるおそる尋ねてくる。
あっ……
「ま、まあそういうことだな。今年いい子で、ものすごく頑張った……ってサンタクロースが言ってた」
「あ……うわぁーーっ!! すごいすごい! 引っ越したのにちゃんと届けてくれるんだ!!」
ターボは箱を天井にかかげながら、犬のようにくるくるとその場を回り始めた。サンタさんの存在を信じているターボに、あえて俺が買ったものなんだと明かすような無粋な真似はしない。喜んでくれているので、このままサンタクロースが届けたということにしておこう。プレゼント、ちゃんと用意しておいてよかった。
しかし嬉しい気持ちで見守っていたが、どういうわけか。ターボは渡した箱を大切そうに抱きかかえているものの開けて中を見ようとはしなかった。
「開けないのか?」
「だってターボ、まだいい子にして寝てないぞ」
尋ねると、きょとんと目を丸くして素でかえされた。ん〜〜……ああ、なるほど。『いい子にして寝ないとサンタさんが来ないぞ』という親がよく使う常套句を信じているのか。
しかし、これはまいったぞ。立役者はサンタさんでも何でもいいのだが、選んだプレゼントを喜んでもらえるかちょっと不安だからターボの反応は見たい。喜んでいるところも見たい。
「そういうことなら、サンタさんも今日中に開けていいって言ってたぞ」
「そうなの!? 毎年ちゃんと寝てなきゃダメだよって言われるのに!!」
「ターボがいい子だったからサービスしてくれたんだよ、きっと」
「そっか! えへへ……サンタさんも、ターボをちゃんと見てくれてるんだな」
頬を赤らめて、照れ臭そうな笑顔を見せたターボは後ろ手で頭を撫でた。そしてそれなら、と机に箱を置いてウキウキでリボンの封をときはじめる。包装紙をやぶって蓋を開ける。中から両手で抱き上げるように取り出した。
「わ……!!」
ターボが脇を抱くように持ち上げたのは、ぬいぐるみだ。青と白色の布がツギハギに組み合わさっている不思議なデザインをしている手縫いのウサギ。
有名なマスコットキャラクターというわけではなく、オリジナルの製品らしい。街の雑貨店でたまた見つけて、何となくこれがターボに似合いそうだと思って買ってきたのだ。ターボの好みは把握していつもりなのだが、ドキドキと反応をうかがう。
「これ、すっごくかっこいいしかわいい!!」
ほっ……よかった。気に入ってくれたみたいだ。緊張の一瞬を通り過ぎて胸を撫で下ろした。
ツギハギウサギを高く持ちあげるターボは、頬が赤く染まってはっきり感情が上振れていた。ウマ尻尾も耳もぶんぶんと激しく揺らしている。そして目をキラッキラに輝かせて俺に迫ってきた。
「ターボが連れて帰ってもいいんだよね!?」
「ああ、もうターボのものだ。大切にしてあげてくれよ」
「うん!! 届けてくれてありがとね、とれーなー! 一生大事にするもんっ!!」
まるで子供を抱きしめるように、ターボはぬいぐるみをしっかり胸元に抱きしめた。青白のうさぎのぬいぐるみもターボにもらわれて、心なしか幸せそうだった。
「寮まで送るから、今日は帰ってすぐに寝るんだぞ」
「分かってるもん。ターボはいい子だからな! ちゃんとウサギと一緒に寝るぞっ!」
ターボはニッと笑ってみせる。俺も表情を崩して微笑んだ。
きっと今年の俺たちは、誰よりも最高なクリスマス・イブを過ごしたに違いないと思った。