今回でカサマツトレセン学園編終了です。
書き溜めぶんが少なくなってきましたが、とりあえずいけるところまで更新頑張ります
年が明けて、ツインターボの現役三年目が始まった。今年からターボはシニア級に上がり、オグリキャップはクラシック級になる。特にオグリのトゥインクルシリーズが始まったというのは特筆すべき点だろう。
『五番オグリキャップ速い、しかもさらに加速した!! 序盤から先頭を誰にも譲らず、全く差が縮まりません!! そして大差をつけて今ゴールインッッ!!』
「よしっ!!」
「よっしゃあ! お前は最高だオグリぃぃーーーッ!!!」
一月早々に出走したメイクデビュー戦。初の中央所属ウマ娘との対戦だったが、オグリは悠々と勝利をもぎ取ってみせた。本来であれば逃げ脚質ではないのだが、ターボ基準で鍛え続けてきたウマ娘だ。ほかのウマ娘と比べてあまりにも早すぎた。結果は序盤からつけた大差を守り切っての逃げ切り勝利。俺と一緒に観戦に来たオグリトレーナーは、最高の結果に思わずハイタッチした。
そしてターボも順調にローカルシリーズで連勝していた。移籍してからここまで数戦したが、重賞や苦手な短距離ダート含めて一度も負けなしだ。オグリの後に開催された年明けのレースも見事に完全勝利を決めてみせた。
「よくやったぞターボ!! 今回も最高のレースだったぞっ!!」
「とーぜん。ターボどんどん早くなってるからなっ! もうだれにも負けないぞっ」
理想通りのとてつもない結果を出したターボは、むふーとドヤ顔をした。こちらは本家『大逃げ』をぶつけて大差で逃げ切った完全勝利だ。芝のレースでよほど気持ちよく走れたのか、その日は普段よりもずっと機嫌がよかった。
いよいよマルゼンスキーの課題もクリアしつつある。この調子ならオグリとの模擬レースには十分に間に合う計算だ。俺はトレーナー室の壁掛けカレンダーに「×」印をつけながら、来たる日に思いを馳せた。
勝負の日は二月の末日に決まった。
ツインターボは未勝利GⅠウマ娘、オグリキャップはクラシック三冠。それぞれの夢を叶えるために、このカサマツトレセン学園で決着をつけて先に進まなければならない。
毎日レースやトレーニングを重ねて、お互いを追い抜こうと必死になって。
そして──
本気の勝負が行われる日が、いよいよやってきた。
勝負が行われるのは普段から使っているカサマツトレセン学園の練習用コースだ。今日は周辺に多くのウマ娘が集まっていた。コースを囲む坂には学園の生徒たちがピクニックのように並び座って、わくわくとした表情でお喋りしている。今日行われるレースの結末を予想して、互いに雑談に花を咲かせていたのだ。
「なあ。今日の勝負どっちが勝つかで賭けないか」
「そりゃーやっぱオグリでしょ。てか、もうトゥインクル走ってるんでしょ? あれが負けるところなんて想像もつかねーって」
「いやいやツインターボのほうが強いでしょ。中央のウマ娘だし、前のレースでもオグリに勝ってるじゃん?」
「どっちが強いかなんてわかんねえよ。一緒に走らせてもらったけど、おれたちに比べてあいつら別格だもん」
ウマ娘たちも意見が真っ二つに割れていた。そして周辺にいるのは学生だけではなく、教師やトレーナーが随所に立って生徒たちを監督している。普段はないテントも立っており、そこには学園の最高権限者である理事長や幹部、笠松の有力者であるOBなどが一同に介していた。看板には『オグリキャップローカル移籍記念レース』と書かれている。
(なぜこんなことに……)
大観衆の中で俺は頭を抑えていた。
最初は四人だけで勝負の場を作るつもりだった。するとそのレースを見たいと言ってくるウマ娘がいるとターボが言うので、まあ友達が来るくらいならいいだろうと許可を出した。それがあれよあれよと話が進んで、気付いた時にはこうなっていた。
練習用コースはいつになく綺麗に整備され、普段設営されていないゲートまで設置されている。コースの外には最後に行われるウィニングライブの舞台まで用意されていて、地方レース場よりも気合が入っている。そこら中に『カサマツ希望の星オグリキャップ』『目指せトゥインクルシリーズ制覇!!』などの横断幕がいくつも掲げられているのはいいのだが、これじゃあアウェーだ。
「おお、すごい人だ……! こんなにレースを見にきてくれる人がいるのか」
「お前ほどのウマ娘が、ここで走るのが最後になるんだ。そりゃあみんな来るさ」
その光景を目の当たりにした黒ジャージ姿のオグリキャップは、じゅうじゅう焼けたハンバーグを目の前にした時のように表情を輝かせて喜んだ。オグリにとっても大好きな地元の人が期待をかけてくれていて、その気持ちが嬉しくないはずがない。
「とれーなー、今日はターボが勝つんだからねっ!!」
「ああ、分かってるよ」
幸いなことにターボはまったく物怖じしていなかった。三ヶ月間の特別特訓の成果を試したくて仕方がないとウズウズしていた。ターボがいいなら、まあ構わないか。観客に手を振っては、きゃーっと黄色い声援を貰っているオグリを遠い目で眺めた。
「こんにちは。ターボと、ターボのトレーナーさん」
準備中だった俺たちのもとに数人のウマ娘が近づいてきた。カサマツトレセン学園の学生で同じ黒ジャージを着ている。その顔ぶれは、普段二人と一緒にトレーニングをしにきている熱心な学園のウマ娘たちだと気付いた。先頭のウマ娘が片手を差し出してくる。
「ターボちゃん。今日はよろしく」
「追いつけないかもしれないけど、私たちも頑張って走るからねっ!」
「うん! ターボは手加減しないぞ。最高の勝負をしようなっ!!」
代表で手を差し出した彼女に、ターボはニッと笑ってかえして握手を返す。
名目はオグリキャップの引退レースだが、走るウマ娘にとっては違う。彼女たちは自分達の成長を確かめたり、中央ウマ娘を感じる機会として、真っ直ぐにターボとオグリに挑戦しにきているのだ。本気で走ることができるのは、これが最初で最後の機会。気負った様子はありながらも、挑んでくる彼女達の根性にターボは応える気まんまんだった。
(ターボにとっても、今日のレースは最初で最後の機会になる)
俺が視線を逸らして、レースが最もよく見える位置に設置されたテント席をちらっと見た。カサマツトレセン学園の偉い人が数人控えているブースだ。その中にマスクやメガネで顔を隠しているウマ娘が
現役と謙遜ない鍛え上げられたバ体は、ただそこに存在するだけで別格のオーラを放っていた。二人に対して周囲の大人達が明らかに気を使っている。そのうち片方。鮮やかな鹿毛とリボンの耳飾りを付けた大人のウマ娘の正体は、間違いなくマルゼンスキー。ターボの課題が克服できたと電話で伝えたのだが、その成果を見るためにわざわざ足を運んでくれたのだ。隣にいるのは、オグリの走りを目当てに訪れたシンボリルドルフだろう。
勝たなければならない。
今日はオグリキャップのローカルシリーズ引退レースで、アウェーだ。しかしツインターボにGⅠで勝てる実力が備わっていることを証明する。それが俺たちのすべきことなら、仲間の晴れ舞台だって容赦はしない。
「ターボ、ちょっといいか」
レース開始前のやりとりを終えたカサマツのウマ娘たちが離れていったところを見計らって、屈んでターボを呼んだ。
「なあに、とれーなー?」
「今日のレースは特別だ。本気のオグリと戦う心の準備はできているか?」
「もちろんできてるぞっ。でも勝つのはターボたちだよね!?」
「ああ。やれるな」
「とーぜんだ! 強くなったところを見せてやるもん!!」
気合いの入った表情でふんっと両手を握った。出会った頃に比べて見違えるほど成長したことを実感する。俺が拳を突き出すと、ターボも笑ってコツンと合わせてくれた。
「それなら言うことはない。この勝負、全力で楽しんでこい」
「うん! いってくる!」
ターボは意気揚々とコースに踏み出した。
これでトレーナーとしてやれることは全てやってやれた。あとはターボ自身が完全燃焼して舞台を走りぬけるだけだ。スカウトがかかっていることは重々承知のうえだが、これだけやってダメなら諦めもつく。勝負を楽しんでくれれば俺は満足だ。
送り出した後は控室がわりのテントを離れてトレーナー用の客席に向かった。すると同じタイミングでオグリトレーナーも戻ってきた。いつもの野球帽を外して、礼儀正しく俺に頭を下げてくる。
「今日は素晴らしい舞台を用意してくださって、ありがとうございます」
「用意したのは俺じゃないですよ。いつの間にか大規模になっててびっくりしました。学園のウマ娘はともかく、学長に理事長、OBの方まで来るとなると。これはオグリキャップとあなたの人望ですよ」
「はは……オグリは期待されてますからね」
オグリトレーナーはそう言って客席のほうを向き、今もターフから客席に向けて手を振っているオグリキャップを見た。彼女を讃える声は続いていて、まるで英雄の凱旋のようだった。
「これが俺がオグリに挑ませてやれる最後のレースになるかもしれない。中央のウマ娘ツインターボに勝って、三冠を獲れることを証明しますよ」
普段は弱気がちな彼だが、今日は最初から表情が違う。担当ウマ娘と同じように極めて落ち着いている。俺とターボが強くなったように、彼とオグリキャップも劇的に進化した。彼女達の成長が俺たちトレーナーもさらに先へと進ませてくれる。
しかし勝者は一人だ。ツインターボかオグリキャップか。勝負の結果が今日示される。
『それではカサマツトレセン学園主催、エキシビションレースを開催します。出走ウマ娘は十二名、レースは芝の2000メートル。登録順にオグリキャップ、ツインターボ──』
会場にアナウンスが流れるはじめると、うわついていた場の空気が一気に引き締まる。バ場にあがったオグリとターボの表情も真剣なものに変わった。いよいよレースが始まろうとしているのだ。
芝2000メートルは現状ターボが安定して全力で走り切れる距離で、オグリキャップにとっても最も良いタイムが出せている。走り慣れたコースであり、二人を競わせるにあたってこれほど良い舞台はない。
天気は晴れ、空気も乾いている。全力を出すにはもってこいな日だ。 出走準備を整えていよいよゲートに入ろうとしているとき、ターボはそばに立っていたオグリに意気揚々と指先を突きつけた。
「オグリ! 待ちかねたぞっ。ついに本気でしょーぶする日がきたな!!」
「ああ。二度は敗けない。本気のキミに追いつけるだけの脚を私は持っている。頂点に立つため、約束のために勝たせてもらう」
「ふふん。とれーなーとフォームを完成させたターボに追いつけると思わないことだな!」
見下ろし、そして見上げる。身長差のある二人の間に青色の火花が散った。こまごまとした勝負を日々挑んでいたけれども。一番負けたくないのはやっぱり本気のレースだ。その気迫を感じた他の十人の参加ウマ娘は唾を飲んだ。それでも、彼女達の中ではリーダーのウマ娘が激励するように声をあげた。
「みんな。追いつけなくても、絶対諦めないでいこうね……!」
「うん。せっかく一緒に走らせてもらえるんだから、格好悪いところは見せられないよ」
「オグリ先輩とターボちゃんにだけ見せ場は作らせないんだから!」
勝てないことは分かっている。それでも中央のウマ娘同士の勝負に混ざったのは自分の意志だ。それぞれの目的のためにこの場に立った者達だ。怯える気持ちはあっても闘志を折ったものはいなかった。
そんなかカサマツのウマ娘たちを客席から見ていた一部のOBが感心したように見ていた。一部では手元のパンフレットからわざわざ名前を確認して、チェックしている者もいる。カサマツのウマ娘の未来は明るいな、などと。そんなことを話している客席の中。
「あら、なんだかとっても楽しそう。やっぱり時間を作って来て正解だったわね」
「勇往邁進、目指すべき場所に全力で向かっているウマ娘達か。なんとも胸熱くなる光景だな」
変装して顔面を隠しているにも関わらず、マルゼンスキーは傍目にわかるくらい上機嫌になって、シンボリルドルフも感心した様子で彼女達を見ていた。URAに勤めてさまざまなウマ娘を見てきた彼女をして、出走表明したウマ娘達を高く評価した。
『それでは、出走するウマ娘はゲートに入って準備をしてください』
その言葉でターボとオグリはゲートに向かう。これ以上の余計なやりとりは不要だと言わんばかりに、言葉は交わさない。視線を合わせずにゲートに入っていく。
同じくローカルシリーズの中でも着実に実力を上げた十人のウマ娘も順次ゲートインしていった。準備が整うと空気がひりつき、レース場全体に恐ろしいほどの重圧が漂う。
『各ウマ娘、出走の準備が整いました』
姿勢を低めたオグリは普段と違って気を緩めることなく、射殺さんばかりにゲートを睨みつけている。ターボの脚にはすでに力が溜まっていて、前のめりな姿勢で重心を普段と変えている。観客は出走の気配を察知して息をひそめ、トレーナー達も唾を飲んで担当ウマ娘を見守っている。
そして──
ゲートの開く機械音よりも早く、弾丸のような速さでウマ娘が放たれた。序盤で誰よりも早く飛び出したのは二人だけだ。
『各ウマ娘、一斉にスタートしました。まず先行したのは、ツインターボ。すぐ背後にオグリキャップがつけています』
完璧なスタートダッシュを決めたターボは並のウマ娘では決して届かない速度で駆けた。しかし、そのすぐ背後にオグリキャップが迫ってくる。オグリは『大逃げ』の戦略を知っているため、初手から潰すために仕掛けてきたのだ。
観客は当然ざわついた。ターボの『大逃げ』については知られるようになっているが、一方でオグリキャップが当たり前のように『逃げ』のような加速で背後につけた。
「ターボ、ターボエンジン1000%でいけぇーーーっ!!」
「嘘だろ……!? 本気のオグリが追いつけないだって!?」
オグリのトレーナーにとっては予想外だった。レース前からターボが先行することは当然読めていた。それゆえに彼を驚かせたのは走り方ではなく、本気でターボを抜くように指示したオグリが『追いつけないでいる』ことだった。
「ねえ。いくら中央のウマ娘とはいえ、あれ早すぎない!?」
「あの姿勢、なんだか終盤のオグリ先輩みたい」
「ターボちゃん、前に見せてもらった時よりぜんぜん速くなってる……!!」
ターボをよく知る一部の観客は違いに気付いた。初手から、まるで終盤のオグリキャップのような
「ほう。これは、すごいな。君が目をかけるわけだ」
「ふふ。あの子をここまで仕上げるなんて、予想以上の結果ね♪」
ツインターボの走りは、以前よりも何倍も磨きがかかっている。その秘訣は加速力だ。序盤の加速力が劣っていた以前と段違い。まるでジェットエンジンのような早さで加速しきってしまった。
「オグリの
オグリトレーナーが最初に答えに行き着いた。序盤の加速力が依然と段違いなほどにあがった秘密がターボの走り方で、終盤に発揮するべき爆発的な加速力をスタートでぶっ放したのだ。
本来であれば脚質に合わずに破綻する走り方だが……しかしそうはならない。ターボは強い前傾から体を持ち上げて、本来あるべき基本であるピッチ走法の姿勢に戻っていた。体の軸を全くぶらさない。素人が見ても美しいと分かる
トレーナーに伝えたのはあくまでツインターボが未だ抱えている課題についてのことだ。それがある限り、中央トレセン学園で再デビューしたとしても大成はしない。打破するための切っ掛けを与えたにすぎなかったが、あの二人は予想を上回ってきた。
(最初に会った時とは見違えたわ。これがあなたたちの出した答えなのね)
自分の目はやはり間違っていなかった。マルゼンスキーは意味深な笑みを浮かべて青髪のウマ娘を見る。
体の軸を全くぶらさず、腕の振りも足運びも規則的。素人が見ても美しいと分かる
課題を見つけるだけでも大変だったろうに、いったいどれほどの努力をしたのか。それが伝わってくるからこそ楽しい気持ちが溢れてくる。ターボの走りはマルゼンスキーに、かつてトゥインクルシリーズを走っていた時の滾る気持ちを思い出させるものだった。
躊躇なく地面を蹴って前のめり気味に爆走するツインターボは、まさしく『最速』を体現した。後続のオグリキャップは徐々に離されて、ほかのウマ娘とはすでに十馬身以上の大差がついている。それを見たオグリトレーナーはかたく腕を組み、冷や汗を流していた。
「マジか。いくらオグリが力を貸したとはいえ、ここまで完璧に仕上がったのか」
「弱点をいつまでも残しておけませんからね」
「ツインターボの弱点……?」
「課題は二つありました。序盤で先手を取れなかったら詰むこと。無意識に脚を庇って走ってしまうこと。これらは新しい
序盤の走りを名付けるなら『ターボジェット』。
本家のオグリにも劣らない末脚を最序盤に、強引に発揮してぶっちぎる。これによって序盤の加速力の弱さを補って確実に前にあがれるように調整した。
しかし不向きな走り方を続ければターボの脚に負担をかける。だから筋肉に悪影響を与える前。序盤のカーブより前でギアを切り替える。姿勢をゆっくり戻し、本来のフォームで慣性を維持して走り続けるのだ。
「例の中央のウマ娘、早いですね。ですがあれは無茶ですよ」
「中央のウマ娘が大逃げをやるとは聞いていたけど、あんな走り方で最後までやりきれるのか……?」
「持ちますよ。おそらく脚の力と体力を完璧に使い切るように計算されています」
観客のほとんどが「あんなペースが持つわけない」と懐疑的で、テントの中で腕を組んだOBが怪訝そうにつぶやいた。すると話を聞いていたシンボリルドルフがレースを見つめたまま言う。言葉を交わしていたOBたちは凍りついたが、気にせずに考察を続ける。
「あのフォームはオグリキャップのものに似ているが、あの小柄なバ体で力を出せるように調整されている。序盤は加速用のフォーム、それ以降で本来のフォームに切り替えることでリードを稼ぐというわけか。唯一、脚質に合っていないのが気になるところだ」
「ずっと一速で走り続けたらエンジンが焼けちゃうのと一緒ね。車のギアチェンジの仕組みと同じように、速度を維持するギアに変えている。意図してこの
マルゼンスキーは二人への評価をさらに引き上げた。もっともこの作戦は意図して生まれたものではなく、もともとは踏み込みを躊躇するターボの課題を解決するための案の一つだった。だから意図していたわけではないのだが、このレベルに仕上げたのは間違いなくトレーナーの手腕で、高難度の技術をものにしたツインターボの実力であることは確かだった。
「……中央でもこれほどのウマ娘はそうはいないぞ」
ぐんぐんと背後に迫るオグリキャップからも距離を離していく。その姿を見たルドルフは、思わずそう呟いていた。隣を見たマルゼンスキーがくすりと笑う。
「あら、ルドルフちゃんのお眼鏡にも適ったかしら?」
「ああ。何より驚かされるのは、夢を絶たれてなお自身を磨き上げた胆力だ。キミや理事長が目をかけるのも、分かった気がするよ」
最初に与えた課題はトレーナーの推測通り。ツインターボが実力を出し切れていないため、その解決を目指すことだった。僅かなミスが命取りになる世界で生きていくためには必須の課題。それを解決するだけではなく生来の弱点まで補ってしまった。十分にGⅠで戦っていく実力があることを証明したのだ。
「だが勝負はまだ分からない。この場にはもう一人の天才がいるのだから」
ツインターボの走りは完璧。しかし競っている相手は、そもそもそのきっかけを与えたウマ娘だ。日々強くなっていくライバルを見て甘んじているはずがなかった。
レース中盤で徐々にあらわになる。
「まさか、まだ余裕があるのか」
「ええ。絶対にオグリのやつからは逃げさせませんよ」
気持ちよく先頭をぶっ飛ばしているターボの表情に余裕はない。浮かべた笑顔に焦る気持ちが混ざる。後方から聞こえる蹄鉄の足音が思ったよりも引き離せていないのだ。
勝負はここからだと。オグリトレーナーは帽子のつばを上げて視線をコース上に落とす。
『ツインターボ十バ身以上後続を離しています! しかしオグリキャップだけは離れない!! オグリが後方に食らいついているっ!!』
他のウマ娘は遥か後方に離されたが、しかしオグリキャップだけは、ターボの背中をとらえて離さなかった。末脚を温存してなお同程度で駆け抜けている。前傾姿勢は
「脚を温存しつつ距離を離されない、ギリギリの速さを見極めている……!」
「ええ。必ず勝たせてやると約束したんだから綱渡りくらいしますよ」
オグリは引き離されている。しかし焦ることも自分の走りを崩すこともなく、自分が全力で末脚を発揮できるギリギリを冷静に見極めている。
大逃げを決めているツインターボについていけているオグリは、普段から一緒にいるために
いまのところ先頭をぶっちぎっているターボが優勢に見えるが、オグリキャップは順位逆転可能なポジションを維持しているため、勝負はまだまだ分からない。
背後から与えられれるプレッシャーの中、ターボはなんとか動揺を押し殺して走っていた。
(とれーなーは目を逸らすなって言ってた。前を見なきゃ……! いつも通り走れば、ぜったいターボのほうが速いんだッ……!!)
そもそも『大逃げ』は他人と争わない代わりに、自分自身と戦う必要がある作戦だ。いかに自分が最善のレースをしきれるかにかかっている。だからターボは必死に頭の中で念じた。
後方から足音が迫ってくるのが怖い。そんな気持ちを殺して、絶対に意識をぶらさずに道の先だけを見る。追い抜かれるかもしれないという恐れを置い払って、前へ。ひたすらに前へ。ただ無心に突っ走る。
「っ……! うりゃぁぁあーーーっ!!」
「ふっ──!!」
いよいよ終盤に差し掛かったコーナーの最中。疲れ果てた身体に鞭打って、自分を鼓舞するためにターボは咆哮する。それを聞いたオグリは、後方からターボを見据えて足を溜め──出鱈目な脚力で芝の地面を抉り抜いた。
「っ……! みんな! きた、ついにオグリがきたぞっ!!」
いよいよ最後の勝負となって、観客は息を呑んだ。
『最後のカーブに差し掛かり、ここでオグリキャップが一気に加速! 前のめりにグングン速度を上げてツインターボに迫りますッ!! だがまだ差は大きいぞ! 我らの希望オグリは中央出身の大逃げウマ娘に追いつけるのか!?』
地面に対して並行なのではないかと錯覚する前傾姿勢。まるで鳥が地面数十センチ上を滑空しているように見えた。オグリ専用の
「っ、きたなオグリ……!」
中盤で取ったリードが溶けるようになくなっていくのを感じて、抑えていた焦りを隠せなくなっていく。ここまで快調に走ってきたターボも、予定調和とはいえ体力の底が見え始めてくる。スタミナ切れが間近に迫っているのだ。それに対してオグリはまだまだ力を残している。あと十数秒もすれば追いつかれて、負けてしまうかも。
(違う!! 勝てるんだ、とれーなーは勝てるって言ってくれた! ぜったい、絶対に逃げ切る……ッ!!)
トレーナーがやれると言ったらそれは現実になる。 この三ヶ月。いや中央トレセンで救われてから、一日たりともターボが俺の指示を信じなかったことはない。肺が締めつけられるように苦しくて、心臓が張り裂けそうだ……それでも守りきれば勝ちだ。
「だりゃあぁっ!! ターボが、ぜったいに勝つんだああああぁっっっ!!!!」
青い逃亡者が残った体力の一滴まで絞り尽くす。怪物オグリキャップも、ターボの背中を恐ろしい眼光で射抜き続ける。
──トレーナーのために、必ず勝って中央へ行く……!!
オグリキャップの眼には、決意の炎が灯って──さらに加速した。
彼女のこれまでのレースを知っていたウマ娘やファンのOBは驚愕した。スカウトに当たったシンボリルドルフでさえ思わず腰を浮かせる。オグリキャップが見せた末脚が、さらにもう一段階ギアを上げたからだ。怪物は最速を超えるために、全てを振り絞る。
「はああぁぁあぁあああああっ!!!」
まるで空気が鼓動しているみたいに観客にも地面の振動が伝わった。彼女の背には、綺羅星を纏っているかのような残滓がきらめいている。 まるで怪獣が敵を喰らい尽くすかのごとく、常識を超えた速度でリードを瞬く間に詰めてゆく。
『きた……!! きた、きたぞ! オグリキャップがここで猛追ッ!! 先頭を逃げるツインターボを差しに行ったあッ!!』
最終カーブが終わる頃には残り3バ身まで迫る。もうターボの表情に笑顔はなく、ギザギザの歯を食いしばってオーバーヒートした脚を回転させている。一ミリたりとも緩めない。
逃げ切ればツインターボの勝ち。だが、オグリキャップも夢を現実のものとするために身命賭して爆走している。脚に残していた最後のパワーを振り絞って、残り200メートルのハロン棒に届いた時──二人の順位が入れ替わった。
『オグリ! オグリ間に合ったッ! 並びました!! 並んで、そして抜け出したァァァ!』
ターボの先頭はそこまでだった。滝のように汗を流し、最後の燃料を使い果たしてなおスピードを落とすことがなかったツインターボを差し切った。そしてその速度を維持したまま、数秒後に決着。おおよそ半バ身ほど抜けた状態で二人はゴールラインを通り過ぎた。
『ゴールイン!! あれほどの距離差がありながら届くなんて、凄い、信じられない! オグリの勝利ですッ!! ありがとう、オグリキャップこそカサマツトレセン学園の誇りだ!』
割れるような歓声の中。ゴールラインを通り過ぎたあとで、二人はおびただしい汗を流しながら速度を落としていく。特にターボはなんとかスピードを殺して立ち止まったあと、大の字になって仰向けにぶっ倒れた。過呼吸状態で胸を上下させる。
一方のオグリキャップは、大木のように揺れることなく威風堂々とした佇まいで立っていた。そして全員の視線を釘付けにしたオグリのスタンディングポーズ。片腕を天に掲げる。
それは新しいスターの誕生で、旅立ちにふさわしい姿だ。
誰もが待ち望んでいた結果に、観客は爆発したような大歓声をあげる中。参加していたウマ娘たちが続々とゴールにかけこんでくる。遅れてゴール板を過ぎたあと、彼女達は過呼吸気味に膝をおさえていた。そして勝者になったオグリキャップを目にする。
走り終えたあとに見せる顔はさまざまだった。スッキリした顔、悔しげな表情など。共通しているのは誰もがこの結果に納得していることだった。オグリキャップは強い。悔しいが、負けても納得できるレースだった。
「負けちゃった……でもすっごく楽しかったっ……!!」
唯一食い下がっていたターボも仰向けで、青空を見上げながら楽しそうに笑っていた。観戦していた俺は、ふうっと息をつく。三ヶ月もの間張り詰めていた気が抜けた。
「……完敗だな」
敗北感や悔しさはある。しかし未勝利戦でギリギリのところで届かなかった時の陰鬱とした感情は少しもない。むしろオグリの努力と健闘を讃える気持ちがほとんどだ。二人がどれほどの努力をしてきたのかは見ていたし、全てを賭してレースに臨んだのだから悔いはない。
(やっぱりレースを企画してよかった……ってちょっと待てよくない!)
スカウトの件が残っているではないか。思い出して、さあっと青ざめる。思わずテントのほうを見ると変装した二人のウマ娘が立ち上がったところだった。シンボリルドルフが先に外に出て、マルゼンスキーも出ていこうとするところだ。
もしかして駄目だったのだろうか……?
絶望的な感情を抑え切れずに呆然と見ていると、しかしマルゼンスキーは、途中で何かを思い出したかのように立ち止まって振り向いた。青ざめた表情で立ち尽くしている俺と目があった。
すると彼女は申し訳なさそうに一度苦笑い。サングラスをずらして、翡翠色の両目をあらわにした後、ウィンクしながら指で丸印をつくってみせてくれた。
「あ……」
元々忙しいのか、あるいは騒ぎになるとまずいと思ったのか。マルゼンスキーもバレないうちに、先に行ってしまった相方を追いかけるように去った。嬉しい気持ちよりも安心する気持ちのほうが強く、ヘナヘナとその場に座り込んでしまう。
(……これで終わりじゃない。次は勝とう。もっと強くなって、勝ちまくって。最高の舞台で再戦しよう)
ちょっとでも気を抜くとボロ泣きしてしまいそうだった。本気で戦ったウマ娘達を讃える声が絶えることなく響き続ける中、次は絶対に勝つぞと。ターボの担当トレーナーとして心に誓った。
俺たちのカサマツトレセン学園での生活が、これで幕を降ろした。
* * *
四月。学生たちは一つの節目を迎えて、新しい出会いの季節に胸踊らせた。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称中央トレセン学園。日本中のウマ娘が憧れる最高峰のレースウマ娘育成施設の校門の前に、新入生である二人のウマ娘が立っていた。初めて制服に袖を通した芦毛のウマ娘は、田舎者っぽい仕草でキョロキョロと物珍しそうにあたりを見回した。
「これが中央……こんなに大きい場所だったのか。写真で見るのとは違うな」
「ふふん。どうだ、すごいだろー」
「ああ、本当にすごいよ。ここに有馬記念を走っていた君の友人もいるんだったな」
「うん。ネイチャだけじゃなくて、ターボの友達がたくさんいるんだぞ。あとで紹介してやる!」
二人は新入生のウマ娘。しかしどう見ても偉ぶっているほうが下級生で、初々しい芦毛のウマ娘は上級生だ。やりとりを小耳に挟んだ通りすがりのウマ娘は怪訝そうにチラチラと見た。しかしそんな視線もまるで気付いた様子はなかった。
「こんなに広いと迷ってしまいそうだな。初日から遅刻してしまわないだろうか」
「ターボ案内するから大丈夫だぞっ。最速でどこだっていけるもん!」
そんな二人の立っている正門の向こう側。桜並木が続く道の先に立派な尖塔を備えた建物が構えている。あれこそが中央トレセン学園の象徴である学舎、ウマ娘達の夢の一里塚だ。
「今日の授業が終わったらさ、とれーなー呼んで走ろ! そんでまた、きょうそうだーっ!!」
「ああ。そのためにも行こう。中央トレセン学園へ」
新しい未来に胸をときめかせながら、いまいちど夢の入り口に足を踏み入れた。
中央トレセン学園、敷地内。
まだ日も登っていない早朝。
「さてと、行きますかね。今日は一段とさっむいわ〜……」
空を見上げると、朝焼けがようやく紺色を照らし始めるような空模様。いつになく冷え込んでいると思ったけれど、こんなに暗かったら寒くて当たり前だ。口からも白い吐息がこぼれて、思わず引き返したくなってしまう。
一度足を止めて考えるが、どうせ走れば暖かくなるのだから耐えた。頑張ろうと自分に言い聞かせて、両腕を組むことで寒さに堪えながら寮の石段を降りる。次のレースこそ勝つためにトレーニングは欠かせないのだ。
決心が鈍らないうちに、彼女は急ぎ足でランニングをはじめた。大通りのほうに走っていると、目の前から誰かが走ってくることに気付いた。朝トレとは珍しいなあ、と。自分のことを棚に上げて感心した。暗くてよく見えないが、トレセン学園指定の赤色ジャージなので同じ学舎に属するウマ娘で間違いないだろう。
(こんな寒いのによくやるわ……ってアタシもか。まあ、挨拶くらいはしておきましょうかね)
おそらく熱心な新入生だろう。顔くらいは拝んでおきますかと、そんな想いで近づいていく。そして影が近づいて徐々に姿があらわになる。初めて出会う朝トレ仲間の顔が見えてくると、寒いから足を止めずに走り続けようと決意していた足が……止まった。
ありえない。
一度大きく高鳴った心臓が、驚きと期待で早鐘を打ち続ける。だが、そんなことがあるわけがない。だって未勝利戦で惜しくも勝てずに退学になったのはまだ半年前の話。二度と会えないかもしれないと覚悟していた。
対面したウマ娘も自分を見つけて立ち止まった。二人が固まっているうちに徐々に日が昇りはじめる。そこで、はっきりと姿を見せた青い毛並みのウマ娘の名前は。
「ツインターボ、なの?」
「ネイチャぁ……」
ターボはオッドアイに涙を滲ませ震える声で名前を呼んだ。
ネイチャの喉が震え、瞳が揺れる。冷気が肌を刺す。何を言えばいいのか分からず声が出てこなかった。そこにいたのは2年目の8月まで勝てずに退学になった親友・ツインターボだった。
しかしありえないはずなのだ。実績を残せずに中央から落ちたウマ娘が這い上がった例はない。自身のトレーナーにも詰め寄ったがそれは無理だと首を横に振られていた。だからこそ、ナイスネイチャは長く後悔していた。
友達を境遇から救うことができず、辛かった時に何もしてあげることができなかった。
退学が決まった時には自分のせいでこうなったんだと責めた。
……だから現実的に無理だと決まっているのに、親友が見ているものと同じ希望に縋った。親友が信じているように自分も信じたかった。愚かなことを考えている自覚があっても縋らずにはいられなかった。
儚く消えると分かっていた光景が、いま現実にある。
「ターボっ!!」
先に駆け出したのはナイスネイチャのほうだった。なりふり構わず石畳を走って、涙目で固まったまま動かないターボを胸に抱きしめる。
「よかった。本当に……よかったっ」
ネイチャの声は絞り出したような情けない涙声だった。抱いて、強く抱きしめて離さない。ツインターボはされるがままに抱かれた状態だったが、大粒の涙を流しはじめた。
「ごめんね。ずっと助けてあげられなくて、ごめん」
「ネイチャっ、ターボ、ターボねっ。がんばったんだぞ。うわぁぁぁ……!」
「おかえり、ツインターボ。待ってた」
ツインターボはそのまま感情に任せてボロボロと泣いた。抱きとめたナイスネイチャも堪えきれずに膝から崩れ落ち、その場でうずくまって地面に涙を落とした。伝えたい言葉が山ほどあったはずなのに一つも出てこない。
眩い朝日が道を照らすまで、二人は互いのことを離そうとしなかった。