【完結】ツインターボは諦めない   作:クロ

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終章
第20話 帰還


 

 トゥインクルシリーズGⅢ・福島ウマ娘ステークス。福島レース場で行われる4月のレースで、一人のウマ娘が平凡からかけ離れたレースを展開して観客の注目を奪い取っていた。

 

 十五人の出走ウマ娘の中でぶっちぎり先頭を駆けているのはツインターボだ。このレースはトゥインクルシリーズ復帰の試金石。しかし未勝利戦に一勝もできていないことは知られていて、ぶっちきり最下位の人気度で期待されていなかった。

 

 

『さあ先頭を一人で逃げ続けるのは7番、ツインターボッ! 後続を十バ身以上引き離したまま最後のコーナーに入りました!!』

『ここまで非常にハイペースでしたが、まったく落ちる気配がありませんね』

 

 

 いまターボは二十バ身以上差をつけている。こんな展開を誰が想像しただろう。実況解説も心なしか興奮気味に、レースを牽引しているツインターボに寄った説明になりはじめている。

 

 ウマ娘のバ群は遥か後方だ。あまりに大差をつけられた焦らされたのか、多くのウマ娘が掛かって距離をつめようとしている。一方で最初は動揺していた観客だが、時間を置いて冷静になってくると反応は冷ややかなものになった。

 

 

「おいおい。あんな走り方じゃスタミナが持たないぞ」

「無名のウマ娘がスズカの真似か。GⅢでやることじゃないよなあ」

「サイレンススズカ以外にあんな走りができるわけないのにな」

 

 

 一見するとツインターボが勝っている。しかしファンたちが揃って思い浮かべたのは、数年前に同じ『大逃げ』で勝利を掴み取った伝説のウマ娘の姿だ。

 

 彼女の華々しい活躍に感化され、同じように大逃げしようとするウマ娘が次々に現れたが、結果を出したものは一人もいなかった。いつしかあの走りは『サイレンススズカにしか無理だった』という風潮が蔓延するようになり、大逃げウマ娘は期待されるどころか悪目立ちと捉えられるようになった。

 

 普通であれば伝説の再来かと期待があつまるところ、そうならなかった。だから担当トレーナーを除いて、この展開を誰も予想しなかった。

 

 

「行けっ、ターボォォォ!! そのまま行け、勝てえええええぇっ!!!」

 

 

 レース中は風切り音や他の歓声にあふれて、一人の声なんてきっと届かないだろう。それでも負けないように、かき消されないように。初戦を勝てるようにと必死にターボに応援を送り続けた。

 

 ターボは俺の想いに応えて、一度たりとも笑顔を絶やさなかった。

 

 ターボジェットから変速(ギアチェンジ)を決めて確保したリードは、いつまで経っても縮まる気配がない。素人でも目に見えて実力差が分かるほどの大差だ。夢の大舞台にあがってもフォームにも淀みはなく、尋常でない汗を飛ばしながらもまったく崩れない。このまま逃げ切るかもしれないと、終盤になってようやくそんな空気が蔓延し始めた。

 

 

「お、おい。あれマジでこのままゴールするんじゃないのか」

「ただの未勝利ウマ娘じゃなかったのか!?」

 

 

 レース展開を見て、ツインターボを舐め切っていた他のトレーナーもすっかり青ざめていた。俺は応援しながらトレーナー席を見て、ほくそ笑んだ。

 

 

(もう遅い。序盤で潰せなかったうえ、中盤でこれだけの距離を取らせたのなら……!!)

 

 

 コーナーを曲がりきってなお、二番手と十五バ身以上の差をつけている。そして毎日のように見ているターボの顔を見ている俺には、この残り距離でスタミナ切れはないと分かる。

 

 

「ターボっ、ぜんかああぁぁぁぁいいいいーーーっ!!!!!」

 

 

 ツインターボは滝のように汗を流しながらキッと目を細めて、中盤の最高速度に劣らない速さでターフを踏み込んだ。失速はしない。未勝利ウマ娘と舐めて、ペースが落ちると舐め切っていた他のウマ娘が今になって必死に追いすがったものの、多少リードを縮めても背中に手は届かない。

 

 

『信じられません! ツインターボ、ゴールイン!! 未勝利ウマ娘ツインターボ!! 敗北の屈辱を返上してッ、トゥインクルシリーズに返り咲きました!!』

『これは……凄まじい大逃げでしたね。最後まで全くペースが落ちませんでしたよ』

 

 

 圧倒的な差をもってツインターボがゴール板を通り過ぎた瞬間、レース場が歓声と悲鳴であふれかえった。人気最下位で期待されていなかったのに、蓋を開けてみれば、あり得ないはずの大逃げで八バ身差の圧勝。掲示板の頂点にはツインターボを示す七番の文字があがった。

 

 走り終えたターボはふらふらとよろめきながら速度を落として、芝生に膝と手をつく。懸命に呼吸を整えた。俺は周囲の目も忘れて客席から身を乗り出して喜び叫んだ。

 

 

「よし、よしっ……! やったぞターボ!! 勝ったぞ、俺たちの勝ちだ! GⅢで一着だ!!」

「へっ……?」

 

 ターボは疲れ顔の呆けた表情。全力を出しすぎて意識が曖昧になり、自分がトゥインクルシリーズを走っているということさえ忘れているようだった。しかし徐々にわれにかえってくると、掲示板を見上げて自分のゼッケンと同じ番号が頂点に刻まれているのを目にする。

 

 赤青の瞳が大きく見開かれた。そして、そのあとでうずうずと震えだす。両手を大きく上げて、張り裂けんばかりの声で喜び叫んだ。

 

 

「っ〜〜〜!! やったぁぁぁーーーーっ!!! ターボの勝ちだぁ〜〜っ!!」

 

 

 その喜びっぷりは、周囲のウマ娘やトレーナーがぎょっとしたほどだ。

 

 無理もない。中央トレセンに入学できたとしてもGⅢに勝てるウマ娘は1%程度。未勝利ウマ娘として退学になり、一度は夢を諦める覚悟をしたターボが見事その確率をくぐり抜けたのだ。現実に掴み取った勝利の幸福が心の大半を占めた。

 

 

(嬉しい、嬉しすぎる。でもまだだ。必ずGⅠにも勝たせてやるからな)

 

 

 誇れる勝利だが、あくまで通過点。まだ俺たちは夢の途中に立ったにすぎない。

 

 ここからトゥインクルシリーズに勝ち続ける。GⅠに出られるほどの勝ち星をあげなければならない。満足してしまいそうになる自分の心に鞭を打ったが、それでもターボが大喜びして跳ねている姿を見ていると、幸せな気持ちは止められそうになかった。

 

 四月。未勝利ウマ娘ツインターボが、GⅢ勝利を携えて完全復活を遂げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツインターボのトゥインクル初勝利から二週間後、もう一人の担当ウマ娘が夢の舞台に立った。

 

 登竜門となった福島ウマ娘ステークスの後、四月末に行われる伝説のレース。生涯に一度しか出走できないクラシック三冠の一角。その名は『GⅠ・皐月賞』。先人が数々の名勝負を行ったウマ娘レースで、ローカル出身ウマ娘が出走権を勝ち取る。そのニュースは瞬く間に全国を駆け巡った。

 

 トゥインクルシリーズのメイクデビューに勝利し、その後のレースも連戦連勝という好成績。世間の時流が明らかに変わり、驚くほどに注目されるようになった。二ヶ月前まで地域外ではほぼ無名だったのに、街頭の広告に走っている姿の写真が使われたりテレビでも扱われるなど。途方もなく大きな期待をかけられるようになった

 

 そんなトレセン学園一番の話題性をかっさらったクラシック級最強ウマ娘の担当。それを引き受けたトレーナーが着任したばかりの俺で、そのプレッシャーは大変なものであった。

 

 

「き、緊張する。まだ始まってないのに外から歓声が聞こえるぞ」

「大丈夫かトレーナー。汗をかいているが、もしかして暑いのか……?」

 

 

 皐月賞のレース前。その控室で、今まさに夢の舞台に出走しようとしているオグリキャップに気遣われていた。控室でガチガチに緊張しながら、マジでGⅠが始まるのかと気が気ではない時間を過ごしていたのだった。

 

 しかしトレーナーがこんな状態ではあまりにも情けない。呼吸を繰り返して、なんとか心を落ち着かせるようにつとめながらオグリを気遣った。

 

 

「俺のことはいいよ。オグリは緊張してないか。靴紐や蹄鉄はチェックしたか? 全力で走れそうか?」

「うん。体の調子はすごくいい」

 

 

 俺と違ってオグリは全く普段通りだった。担当バに逆に元気付けられるなんて本当に情けない……正直へこんだ。でも、だってそうなるだろう。つい三ヶ月前までメイクデビュー・未勝利戦しか経験してこなかったのに、いきなりクラシック三冠なんて相当なプレッシャーなのだ。

 

 

「そんなに心配しなくても、前のレースは勝ったんだ。今回も勝ってみせるさ」

「そりゃあカサマツのエキシビションから一回も負けなしで、スプリングステークスも勝ったけど。今回は頂点のGⅠだぞ? ……あっ。いや悪い、俺がこんなにビクついてちゃまずいよな」

「ふふ。トレーナーも意外と可愛いところがあるんだな」

 

 

 笑われてしまった。相手が動揺とは縁遠いオグリだからよかったものの、他のウマ娘にこんな姿は見せられないな。やっぱり俺はまだまだ未熟なトレーナーだ。

 

 オグリキャップがこれほど注目されているのには理由があった。カサマツ最後のエキシビションマッチで弾みがついたのか、ここまでのトゥインクルシリーズをなんと無敗で勝ち進んでいるのだ。トライアルGⅡのスプリングステークスにも圧勝して、皐月賞の出走権を獲得。だから今日は一番人気にまで推されている。

 

 ……だから俺も、そのウマ娘の担当トレーナーとしてインタビュー出なくちゃいけないんだよな。大勢に囲まれるの苦手なんだけど、逃げるわけにもいかない。想定質問とか考えておかないと。

 

 

「なあ。インタビューって何聞かれると思う?」

「ん……当然レースの話だろうが、あとはトレーニングや、この勝負服のこととかだろうか」

「ああ、そうだな。勝負服も間に合ってよかったよ。よく似合ってるぞ」

「ありがとう。私もこの服が気に入っているから、褒められると嬉しい」

 

 

 オグリは照れたように頬を染めて小さく微笑んだ。

 

 今日のオグリは普段レースに出走する時のようなジャージや番号を示すゼッケンをつけていない。代わりにセーラー服のような独特のジャケットをまとっている。GⅠ出走ウマ娘のみ身につけることが許される『勝負服』。着たウマ娘の本気を引き出すと言われる、この世に一つしかない特別な衣装だ。

 

 正直、かなり格好いい。頂点に上り詰めたウマ娘っていう感じがかなり出る。

 

 

「もうすぐ時間だな。用意ができたら一緒にパドックに行こう」

 

 

 そしてそんな衣装を着て気合い十分……かと思ったのだが。オグリは若干ウマ耳を伏せる。つい今まで嬉しそうな空気を出していたのに、突然神妙な様子になった。

 

 

「トレーナー。レースの前なんだが、聞いてほしいことがあるんだ」

「ああ、なんだ?」

「私は今日このレースに本当に出走できるのだろうか」

「……どうしたんだ、急に」

 

 

 ……なんだ? 何か困りごとがあるのだろうか。

 

 さっきまで普段通りに堂々としていたのに、出走を目前にしてやっぱり緊張してきたのか。不安げに視線を落として弱気を見せた。しかし俺は打ち明けられた内容がよく分からずに戸惑った。

 

 

「できるだろうっていうか、出走直前だぞ? もしかして調子が悪いとか。何か忘れ物をしたりしたのか」

「いや、そういうわけじゃないんだ。カサマツで目標を決めた日。三冠ウマ娘を目指そうとトレーナーと約束した時のことは覚えているだろうか」

「もちろん」

「こんな話は笑われるかもしれないんだが……」

 

 

 前置きして、オグリはちらりと上目遣いで俺を見る。冗談でもなんでもなさそうだ。当然笑う気なんてないので真剣に耳を傾けると、続きを話してくれた。

 

 

「あの日からたまに夢を見るようになったんだ」

「夢?」

「ああ。皐月賞に出られずにトレーナーとの約束を果たせない。私は目標を諦めることになるんだ」

「……夢なんだよな?」

「ああ。とても嫌な夢だろう」

 

 

 レースを目前にしてオグリはそんなことを言ってきた。大舞台を前に弱気になっているのかと思ったが、どうもそういう雰囲気ではない。

 

 

「とてもリアルな夢なんだ。気にしないようにしていたんだが、実は不安だったんだ。いまここにいるのは夢じゃないか。ふと目が覚めてしまうんじゃないかと恐れている」

「…………」

「いや、すまない。忘れてほしい。こんな話はレース前にするべきじゃなかった」

 

 

 オグリらしくないと俺は思った。しかしどんな言葉でも耳を傾けるつもりで、特にその内容には理解を示した。

 

 

「いいや分かるよ何もおかしなことじゃない」

「トレーナーは私が変だと思わないのか?」

「普通のことさ。そもそも日本の頂点に立とうってレースでプレッシャーを感じないほうがおかしいんだ。それに、実はな。レースで大成するウマ娘にはそういうジンクスがあるんだ」

「ジンクス……?」

「その夢は、ほかの夢とくらべて現実味があったんじゃないか?」

「ああ。目覚めたあとも、そのときの嫌な感触が残っているくらいハッキリしている」

 

 

 俺が尋ねると、オグリは控えめにおずおずと頷く。

 

 

「これはオカルトじみた話なんだがな。中央トレセン学園で活躍するウマ娘には、たまにそういうことがある」

「みんな悪夢を見ているのか?」

「人による。予知夢みたいなものでな、GⅠの舞台に立つレベルのウマ娘は『未来』を見ることがあるらしいんだ」

 

 

 俺の言葉にオグリは目を丸くした。まあ、そりゃあそんな反応にもなる。誰がどう聞いてもオカルトじみているもんな。

 

 しかし中央トレセン学園のトレーナーは真剣に受け止めている。育成カリキュラムの一環として必ず教えられるくらいに周知されている内容だ。

 

 

「レースを走ったり、出走できなかったり。場合によっては大怪我を負うような経験をすることもあるらしいが。どれもレース関係の夢で、実際に自分が体験したみたいにハッキリ感じるらしい。そしてそれは現実になることが多いらしいんだ」

「夢が現実に……そんなことがあるのか?」

「信じ難い話だがな。レースに限って、実例がいくつも確認されている」

 

 

 科学的には根拠も何もない話だが、担当ウマ娘がそういう話を打ち明けてきた場合は真剣に向き合う必要があるとされている。現実が予知夢の通りになるケースがいくつも確認されているからだ。ベテランのトレーナーになるほどこの話を真剣に受け止める。

 

 大学でも研究されている分野で、ウマ娘の中に宿っている『別世界の自分の(ウマソウル)』が夢を見せるのだという説が有力視されているとか。専門ではないのでよく分からないが、やっぱりオカルト感が強い。しかし真面目なオグリは、ますます弱気な顔を見せた。

 

 

「それが未来なら、私は出走できないのか……?」

「いや。予知夢は確実じゃない。あくまでそうなる可能性が高くなるっていうだけで、そうならなかったウマ娘も大勢いる」

「そうなのか……?」

「夢の話をもう少し詳しく聞かせてほしい」

「理由までは分からないが、走れるのにレースに参加することができなくて。とても悔しい思いをしたことを覚えている」

 

 

 不安は思ったより深く根付いているらしい。しかし俺はレース直前の今でも慌てない。なぜなら今の話は移籍前にオグリトレーナーから共有されていて知っていたからだ。

 

 

「夢は外れた。だから大丈夫だ」

 

 

 ぽんと肩に手を置くと、オグリは少し驚いたような顔をした。

 

 

「このまま会場に出てみろ。お前は一番人気で、応援してくれるファンの人が大勢待っているぞ」

「……そうだな。だがこの舞台に出られることが、まだ信じられないんだ」

「出走登録は済んでいるし、出走ももうすぐだぞ? そんな夢なんてあてにしなくていいさ」

 

 

 そこまで言うとオグリは小さく息をついた。どうやら納得してくれたようだ。

 

 

「すまない。トレーナーを不安にさせてしまったな」

「むしろ事前に話してくれて嬉しいよ」

「そうだな。私はこれから出走するんだ。トレーナーとの夢を叶えるために……!」

「舞台は整っている。あとは思いっきり走ってこい」

 

 

 何の心配もいらないと伝えるために、オグリの肩を軽く叩いた。

 

 クラシック登録も終えて、トライアルレースに勝って出走枠を取っているのだ。諦める理由なんてどこにもない。一番強いウマ娘がオグリキャップだと今日、世間に知らしめるのだ。

 

 不安な感情をすべて消し去った後、オグリキャップは勝負の表情に変わった。凛とした表情で夢の舞台に立つために身を翻して前に進む。

 

 

「キミは私のもう一人のトレーナーだ。一緒に勝つところを見ていてくれ」

「ああ、ちゃんと見ているよ」

 

 

 今日のレースはオグリキャップが必ず勝つ。

 

 初GⅠのプレッシャーがあったうえで、トレーナーとしての勘が俺にそのことを確信させた。

 

 

 

 

 

 

 

 宣言通り。オグリキャップはウマ娘ファンの心を奪った。

 

 

『オグリキャップ! オグリキャップが後方を置き去りにして、恐ろしいスピードで最後の坂を駆け上る!!』

 

 

 同期の中でも突き抜けた『最強』を感じさせるレースに、誰もが目を離せなかった。全国に中継される生放送で初めて彼女の走りを目にしたレースファンたちは言葉を失った。

 

 カサマツエキシビションレースで見せた展開。速すぎて『逃げ』にも見えるような走りのあと、更に末脚を爆発させる。オグリを抜こうとした他のウマ娘をさらに突き放した。その末脚には、誰一人として追いつくことができない。

 

 

『なんということだ。ほかのウマ娘に影も踏ませず、今先頭でゴールイン!!』

 

『強すぎるぞオグリキャップッッ! クラシック一冠目・皐月賞、堂々とその頂点に立ちました!!』

 

 

 ローカルシリーズ出身で、ここまで華々しくデビューを飾ったウマ娘は過去一人もいなかった。

 

 芦毛のウマ娘は天高く片腕を上げる。中山レース場で、はちきれんばかりの大歓声が上がった。トゥインクルシリーズに新しい伝説(スター)が誕生したのだ。

 

 

「やった。よくやったぞ、ちゃんと見てたぞオグリ……!」

「っ。これでオグリもGⅠウマ娘。ターボ、先を越されてしまったな……」

「いいもん! じーわんに出て勝って、すぐに抜き返すから!!」

 

 

 観客席に座っていた俺も、わざわざ休みを取って遠方から駆けつけたオグリのトレーナーもボロボロ泣いた。ツインターボもライバルの活躍を見てさらに発破がかかった。

 

 

 皐月賞は最も速いウマ娘が勝つと言われているレース。

 

 オグリキャップほどその称号に恥じないウマ娘はいない。後のレジェンド達にさえそう言わしめさせるほど鮮烈なレースを見せて伝説を作った。オグリキャップもまた、最高の夢へと続く一歩を踏み出したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 担当ウマ娘が中央トレセン学園に移籍して、二人とも華々しい成果を持って帰ってきてくれてから数日後のこと。彼女達のトレーナーである俺は理事長室へと呼び出されて赴いた。普段はラフな格好でいることが多いのだが、この日は呼ばれて、即座に用意していたスーツに着替えてすっ飛んでいった。

 

 

「しっ失礼します」

 

 

 ドキドキしながら重厚な扉をノックして入ると、重々しい執務部屋の中で理事長とたづなさんの二人が待っていた。これが中央トレセンを移籍して以来の対面だ。緊張で手汗がすごいことになっていたが……秋川理事長はかなり上機嫌な様子だ。

 

 

「本来はすぐにご挨拶に来るべきところ、遅れてしまい申し訳ありませんでした」

「いえ。すぐに連絡は頂いていましたし、むしろこちらの都合で延期してしまいました。今日は突然呼んでしまい申し訳ありません、トレーナーさん。まずはお二人の重賞制覇おめでとうございます」

「見事ッ!! 君の健闘に敬意を表するっ!!」

 

 

 満面の笑みでパンッと扇子を開いた理事長、そしてたづなさんに「ありがとうございます」と、頭を下げる。約束通りターボは移籍を果たし、退職届を出した俺も再雇用されて再びトレーナーとして復職させてもらうことができた。

 

 

「たづなさんと理事長のお力添えがなければ、この結果はありませんでした」

「否定ッ! この場所に戻ってきたのは全て君自身の力で、我々は何もしていないっ!」

「先日ツインターボさんと授業でお会いしましたが、トレーナーさんのおかげで勝てたと喜んで皆さんに伝えていましたよ」

「そんなことを言ってるんですか。参ったな。全部あいつの努力なのに……」

「いいや、導いたのは紛れもなく君だ! 賞賛ッ! この結果を勝ち取った君達に敬意を表するッ!!」

 

 

 ターボ自身の努力。ファンやカサマツトレセンの人々。みんなが応援してくれたからこその結果なのだが、秋川理事長はピシャリと扇子を閉じて俺の言葉をさえぎった。

 

 そして理事長やたづなさんだって裏で奔走してくれていたはずだ。地方に移籍したウマ娘が中央に戻るなんて話、絶対すんなり通るはずない。しかし苦労した様子はおくびも見せなかった。

 

 

「正直ホッとしました。信頼に応えることができたんですね」

「本当に、最後に在籍していた時と見違えました。あの状態のツインターボさんを育て上げるのは並大抵のことではなかったはずです」

 

 

 そう言いながら、たづなさんはテーブルの上に置かれていたバインダーを手に取った。俺の位置からは背表紙の名前が見える。この間出走したターボのGⅢレースの結果が載った資料だ。

 

 

「一時は復帰は厳しいと思われていたのに、走りには何の迷いもなく。そのうえ独自の(フォーム)まで成立させている」

「運がよかったんです。オグリの力を借りただけで俺の実力じゃありません」

「指摘ッ! 謙遜は美徳だが、君はもっと自信を持つべきだ! 特にこれからはGⅠトレーナーとして世間から扱われるのだからなッ!」

「うう……胃が痛い……」

 

 

 GⅠトレーナー。俺はいつの間にか新人で皐月賞を勝たせたトレーナーとして新聞やテレビで扱われ始めていた。オグリを仕上げたのは俺じゃないのに……

 

 とはいえ今後もダービー・菊花賞が控えていて、ターボのGⅠ計画も本格的に始動する。GⅠトレーナーになっていかなければならないのは本当だ。心なしか痛んできたお腹のあたりを抑えると、たづなさんに苦笑されてしまった。

 

 

「特にオグリキャップさんは世間からの注目度が非常に高いですからね。いきなりGⅠの挑戦となって、とても大変だったと思います」

「未勝利戦とは仕事量が段違いですね。たづなさんに助けて頂けて本当に助かりました……」

「早いトレーナーさんでも、担当の子がGⅠに出走するまで十年以上は経験を積むことが多いですから、分からないことが多いのは当然ですよ。中には新人でもそつなくこなす方はいますが、専門の教育を受けていた方か、代々トレーナーの家系の方ですね」

 

 

 今回のGⅠ、たづなさんが裏で手を回してくれたことで、研修の時に関わりのあった先輩トレーナーが助けにきてくれた。そのおかげで何とか仕事を乗り切ることができた。一人だったら取材やら調整やら、書類チェックや対面での対応が山のように増えたせいで、過労死していたかもしれない。いつか自分でやりきらなくちゃいけないのか、と。そう考えると、うう。また胃がキリキリと痛くなってきた。

 

 

「あの……オグリの担当。このまま俺が続けてもいいものでしょうか」

「むっ?」

 

 

 俺の言葉に、秋川理事長が閉じた扇子を手のひらで握って小首をかしげる。

 

 

「お話しした通り、オグリキャップは俺が育てたわけじゃありません。カサマツトレセン学園のトレーナーから預かっています。だから他の人間にオグリを任せるつもりはありません」

「既知ッ! そのことならスタッフから耳にしているぞっ! 非常に優秀なトレーナーだそうだなッ!」

「はい。でも……この間の皐月賞出走前の会見はご覧になりましたか」

「無論だ。ウマ娘一世一代の晴れ舞台ッ! その責任者として、全て目を通しているッ!!」

 

 

 理事長が頷いたのを見て、ずっと抱えていた不安を打ち明ける。

 

 

「新人トレーナーに任せても大丈夫だろうか、と不安に思われているみたいで。実際そういう質問も受けました。オグリキャップの三冠をこいつがやりきれるのかって思われたんでしょう」

「ふむ……確かにそういう声があるのは事実。しかし問題あるまい!」

 

 

 理事長は「そんなことか」という表情で即答。たづなさんもニコニコと俺を見ていた。

 

 どういうわけか、オグリキャップが今年のトゥインクルシリーズの顔のように扱われていた。俺が失敗したら、URAや中央トレセン学園に大きな損害を与えかねない。それを心配していたのだが、二人はそれを取るに足らないことのように扱った。バッと再び扇子を広げると、表面の文字が『一任ッ!』に変わっていた。

 

 

「学園側としては新人の方がGⅠウマ娘を受け持つことに問題はないと考えます。よほどの事情がない限り、我々からトレーナーさんやウマ娘に契約を変えるように促すことはありません」

「けど俺、ごく普通のトレーナーですよ……?」

「いいですかトレーナーさん。普通は退学になった子と信頼関係を築いて、ローカルシリーズからトゥインクルシリーズに引っ張り上げたりできません。まして二人とも高グレードのレースで圧勝したんですよ」

 

 

 たづなさんは少し呆れたように、俺に言い聞かせる。

 

 

「い、いえ。でもそれは色々運がよかっただけというか……」

「大切なのは信頼関係です。今、オグリキャップさんは自らの意思であなたを選んでいる。そこに障害があるなら私たちが全力でサポートします」

「必要なのは即ち、教示ッ! 彼女は他の誰でもなく、キミが道を示すことを望んでいるっ! その想いに応えるのがトレーナーの役割だ!!」

 

 

 余計なことは全て任せろと、二人は俺にそう言ってくれた。ベテランに数十年に一度現れる逸材とまで言わしめたほどのウマ娘であっても対応を変えずにいてくれる。なんともありがたい話だ。プレッシャーはあるけれども、不安だなんて言って嘆いていられないな。

 

 

「ターボの移籍の時から無茶を通してもらって、本当にありがとうございます」

「いえ。むしろトレーナーさんも無理をしないでくださいね。担当が二人になって重賞勝利となると、以前とは全く違った仕事も増えてきますので」

「この間の皐月賞の時も助けていただいて、正直ありがたかったです」

「いえ。むしろ、この程度のサポートしかできなくて申し訳ないくらいです……トレーナーさんには、ツインターボさんを救って頂きましたから」

 

 

 たづなさんの言葉で、浮かれていた俺は僅かに表情を曇らせた。そう。今回の勝利を手放しで喜んでいるばかりではいられないのだ。学園に戻ってきた以上は解決しなければいけない問題がある。

 

 

「あの。ところで例のトレーナーは、今、どうしていますか……?」

 

 

 そのことを尋ねると二人の表情が曇った。問題とはすなわちターボが学園で味わった不遇の件だが、どうやらいまだ良い状況にはないようだ。

 

 

「我々経営陣は今回の件を非常に重く見ています。詳細をお伝えすることはできませんが、まだ慎重に調査を進めている段階です」

「すぐにどうにかなる問題じゃないんですか?」

「ツインターボさんの証言は頂いていますが……相手のトレーナーさんも、ターボさんが自分で署名をしたと言ってきているんです。そして裏を取れるような証拠がありません」

 

 

 俺の握った拳がきしんだ。怒りはもちろん、たづなさんや理事長に対するものではない。

 

 ターボの前のトレーナーは嘘をついた。言葉のみではなく正式な書類まで提出している。ターボの言葉が本当ならその書類は偽造されたものなのだが、その証拠がなければ契約解除は正式なものとなってしまう。そもそもの原因になったトレーナーがのうのうと過ごしていると思うと、悔しい。

 

 

「あのような状況に陥らせてしまったのは、私達に責任があると考えています」

「無念ッ! 不当にウマ娘が害されることなど、断じてあってはならない。許されないことだというのにっ……!」

 

 

 二人が重々しく、悔しげに言った言葉に嘘はない。ウマ娘に対して手の届く範囲で最高の環境を作ろうとしている理事長の仕事は、トレセンに所属する人間なら誰もが全面的に認めている。

 

 しかし今回の件は学園側に責任がある。

 

 トレーナーになれる人材が限られていることは仕方がないし、担当トレーナーが最低の指導をしたことも、相性の問題もあるので、そのときは部外者だった俺には何も言えない。しかし嘘の契約解除によって未勝利戦の機会を奪ったことだけは絶対に許されない。

 

 

「俺は、ツインターボのような目に遭う子が今後出ないことを望みます」

 

 

 いま、俺が言えることはそれだけだった。

 

 明けない夜のようにも感じた、未勝利戦までの一ヶ月。あれを生涯忘れることはないだろう。明るく人懐っこいターボが絶望したときの泣き顔は脳裏にこびりついている。実際ターボも心に消えない傷を負った。前のトレーナーの話になると石のように口を閉ざして、嫌悪と怯えの混ざった表情を浮かべるようになっていた。

 

 こんな目に遭うウマ娘が他にいてはいけないと、心から思う。

 

 

「分かっています。学園としても全力で解決に当たるべき問題と認識しています」

「謝罪ッ! もう少し待ってほしいっ!」

「いえ。ターボのために動いていただき、ありがとうございます」

 

 

 たづなさんと秋川理事長が頭を下げて、俺も深く頭を下げた。

 

 すぐに解決できない問題であることは俺も重々承知している。処罰を下すためには証拠が必要だが、現状それがない。強引に解雇などを進めれば学園とトレーナー間の契約のありかたを揺るがす大問題に発展するだろう。だから学園が慎重になるのも分かる。

 

 だから今は、必ず解決しますように、と。そのように願うことしかできなかった。

 

 

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