「やだやだ!! そんなのやだっ! それじゃぜんぜん行く意味ないじゃん!!」
ある日の昼下がり。いつものようにトレーナー室で三人過ごしていたのだが、今日はターボが半泣きで腕を振り回して駄々をこねていた。俺はすっかり困り果てて頭を抱えていた。オグリは申し訳なさそうにしゅんとうつむいていた。
普段なら言って聞かせることで、分かってくれたり我慢してくれたりするのだが、今日はそうもいかない。今回ばかりは俺にも責任の一端があるので何も言うことができなかった。
「トレーナー、バイクでどっか連れていってくれるって言ったじゃん!!」
「そうだな。重賞に勝ったんだから、ご褒美でどこか連れて行ってやると約束した。二人でどこかに行こうとも約束した。だけど今回ばかりは仕方ないだろう……!!」
「三人乗ればいいって、それで全部うまくいくよ!!」
「そんなことしたらお巡りさんに捕まっちゃうよ」
揉めているのは重賞を勝ったご褒美についてだ。復帰後のレースで勝てたらどこか連れて行ってやると約束していたのと、オグリを受け入れる時に交わしていた約束がバッティングしたのだ。
出かけようと話した時、最初は『ほんとか!?』大喜びでオグリも楽しそうにそわそわしていた。しかし、乗り物がバイクでないと分かってから、こうして揉めているというのがことの経緯だ。
「車じゃダメなのか……? ウマ娘の休養ってことで申請を出せば、トレセン学園が貸してくれるんだが……」
「やだ!! それじゃ意味ないもん。ぶるるるぅぅん、って全力で走りたいの!!」
どうしようかと俺は考える。当然バイクに一緒に乗せるのは無理。かといって休養日かつ仕事を空けられる日はそう多くないので、次の機会はずいぶん先になってしまうだろう。これは中央に戻ってきた後、ターボをどこにも連れていってやれていなかった俺の失点だ。
「連れて行ってやりたいのは山々なんだが、今回ばかりはなあ」
「そんなこと言わないで。とれーなーならやれるぞっ! お願いだから、ねっ……!!」
どうしようもない。俺が両手をあげると、ターボも理解し始めたのだろう。しかし子供のようにだだをこねていたのに、今度は涙目上目遣いで迫ってくる。ここまで粘るのは珍しいことで心が痛んだ。オグリが気を遣って、おずおずと申し出る。
「トレーナー、今回は遠慮するからターボを連れて行ってあげてほしい。私は次の機会で構わない」
「いや、それはだめだ。約束は約束だし、それに……」
「ちーがーうっ!! オグリも一緒に行くの!!」
今回は重賞に勝ったご褒美なのだ。特に頑張ってGⅠに勝ったオグリを置いていくなんて、絶対にありえない。ターボだって一人で行くことはまるで望んでいない。
「どうすればいいかなあ……」
「じゃあさ、交代で走るのはどう!? とれーなーのバイクをオグリとターボで追いかけるの!!」
「バイクと同じ速度出し続けたら危ないし休暇にならないし、道路交通法でターボが捕まっちゃうぞ」
「えーーーっ!? なんでなんでぇ!?」
名案だと胸を張ったターボはショックを受けた。
確かにウマ娘のスピードで走る乗り物なので、ウマ娘なら追いつけるだろうけど。後先考えない大逃げで意気揚々とバイクを追い抜いて、数キロでヘトヘトに突っ伏すターボが目に浮かぶようだ。レース場以外でレースの速度で走るのは法定速度違反なのでお巡りさんに大目玉をくらうことになる。オグリを公道で走らせたなんて噂になったら、間違いなくネットで大炎上するだろうな。
(ナイスネイチャのトレーナーに車を出してもらうように頼むか? いやでも、俺より忙しい人だしなあ。かといって他に頼れる人はいないし……)
ここにきてトレセン学園での知り合いの少なさが仇になった。条件が噛み合わない。何か良いアイデアはないかと唸っていると部屋の扉がノックされる。
「ん? お客さんかな。ターボ、頼めるか」
「わかった。おーい、はいっていいぞーっ!」
ちょうど近くに立っていたターボが元気よく部屋の扉を開けて訪問者を出迎えた。入ってきたのは、長い茶髪をポニーテールで束ねた女性だ。スーツに近いカジュアルな服装。彼女は人の良さそうな笑顔で出迎えたターボに微笑んだ。
「こんにちは。開けてくれてありがとう、ツインターボちゃん」
「……おまえだれだ?」
ターボは見知らぬ人間が入ってきたことで表情を変えて、ウマ尻尾で警戒心を示しながら身を引いた。よく見るとジェット柄のウマ耳も体と一緒に後ろにさがっている。
そういえばターボは初対面だったか。俺が相手の顔を知っているのを悟ったのだろう。オグリからの視線を感じたので、率先して紹介した。
「この時間に来るって説明してなかったな。俺がお世話になっている人だよ。お疲れ様です、
「おつかれさま。いやあ、皐月賞の事後処理やっと終わったよ〜」
気さくに「やっほー」手を振ってくれたこの人は、俺の先輩だ。ワイシャツの胸の蹄鉄バッジが身分を示している。俺が頭を下げて挨拶している様子を見て、オグリも真似するように礼儀正しく立ち上がってペコリと頭を下げた。
一方で、全く見知らぬトレーナーを警戒しているターボはそれでも信用せず、ファイティングポーズのような格好で警戒心をむき出しにしていた。彼女はターボの様子に気を悪くすることなく「どもども、よろしくねっ」とかえしていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だぞ。研修の時に面倒を見てくれた俺の先輩なんだ」
「へっ……じゃあ、とれーなーのとれーなーってこと?」
「まあ、そんな感じかな。この人はGⅠウマ娘を育成した経験もある大ベテランなんだぞ」
トレセン学園の新人研修でサブトレーナーを経験させてもらっていた時、お世話になったのがこの人だ。彼女は改めてにこりとターボに微笑む。どういう人か分かったことでターボは少し警戒心をゆるめて、ぽけっとした表情で彼女を見上げた。
俺は立ち上がって荷物を抱えた初瀬トレーナーのほうに駆け寄った。
「手伝っていただきありがとうございます。それ、今月分の書類ですよね。本当に助かりました」
「いやいやいや。たづなさんから直々のお願いってこともあるけど、何より可愛い後輩の頼みだからね〜。誰かが手伝わないとこんなの絶対無理でしょ」
「トレーナー。その紙の山はひょっとして仕事の……?」
「レース関係の書類だな。俺が慣れてないもんだから、先輩が手伝ってくれたんだ」
オグリとに経緯を話しながら先輩から書類を受け取った。握り拳よりも分厚い紙束は、皐月賞と福島ウマ娘ステークスの事後の手続きに関する書類だ。普段こんな厚さのプリントを目にしたことのない二人は揃って口をポカンと開けていた。
戻って早々に迷惑をかけることになってしまったな、なんて思っていると。むしろ先輩は俺を心配してくれた。
「手続きはなんとでもなるけど、そっちは大丈夫なの? 新人トレーナーの担当ウマ娘がいきなり皐月賞取るなんてさ。学園は大騒ぎだよー?」
「今の所は大丈夫です……まあ、なんとか」
「大丈夫なのか?」
「とれーなー、このあいだウマ娘に追いかけられてたぞ」
ターボとオグリは顔を見合わせて、全く大丈夫ではないと認識を合わせていた。うまく仕事をさばけていない俺は何も言えず、苦笑いせざるを得なかった。
「先輩こそ、お仕事でいつもお忙しい身でしょう」
「いいっていいって。うちのチームで研修していった仲なんだから気にしないでいいの。それにほら、今は私の担当の子が怪我しちゃって暇なのよ」
「え、そうだったんですか」
「あら? 知らないんだ……あーそっか。去年はそれどころじゃなかったもんねえ」
いろいろあったので、俺は過去一年分のトレセン学園の事情には疎い。一方で彼女はこの一年間であった出来事を知っている。だから最初こそ意外そうな顔をしたがすぐに納得してくれた。
ちなみに新人のくせに大言壮語を吐いて中央トレセンを辞めたという話は、どうもトレーナー間ではかなり有名になってしまっていたらしい。顔見知りのトレーナーからは微妙な顔をされるようになり、どうにも居心地が悪くなってしまった。皐月賞に勝ってからはますます距離が離れた気がする。まあ、仕方ないといえば仕方がないことだな。
「ふうっ。しかしトレセンを辞めたって聞いた時はほんとビックリしたよ。半年経たずに戻ってきたのはもっとビックリだけど……確信があったの?」
「まさか。そりゃあターボに素質があるとは思ってましたけど、9割は運ですよ」
「ま、そうだよね。運でウマ娘は勝たせられないわけだし。怪我してるうちの子にも聞かせたんだけどさ、わたしよりビックリしてたよ。人生ってほんとに何があるか分からないものだねえ」
先輩は腕を組んで、一人で何度もうんうんと頷いていた。そして会話しているこちらの姿を、ソファの上に正座しているターボがそわそわと興味ありげに伺っていた。こういう時に黙って座っているのは珍しい。相手が知らない中央の女性トレーナーだからか、まだ警戒心が消えきっていないようだ。
とはいえ、この人は前のトレーナーとは似てもにつかない。本物のベテラントレーナーだ。
親しみやすく、教えるのが非常に上手いと研修を受けた新人トレーナーの間でもすごく評判がよかった。それはウマ娘も同じで、概ね放任する方針で今まで幾人ものウマ娘を勝たせてGⅠホルダーにまで導いている。その手腕は理事長からも買われている本物だ。
俺はどちらかといえば管理主義よりの方針だが、先輩から学んだおかげで色々と柔軟にトレーナーができているところがある。だからターボにも、できれば仲良くなってほしいと思っているんだが……まあこればかりは仕方ない。
「ところでターボちゃんと、オグリちゃんは何をみてたの?」
小さくため息をつくと、初瀬トレーナーはターボのほうに視線をうつした。ちょうど二人の座っている席のテーブルには雑誌が開いたまま置かれている。それを見た彼女は何かに気付いたような顔をして、興味ありげな様子で近づいていった。
「あっ、これバイク雑誌! わ〜懐かしい!!」
「トレーナーは知っているのか?」
「私もたまに乗ってるから知ってるよ。旅特集が好きなんだよね〜」
「えっ。とれーなーのとれーなーも、バイク持ってるのか……!?」
そこで初めてターボは正面から視線を初瀬トレーナーにうつした。先輩は待っていたかのようにニッと気持いい笑顔でターボに笑いかけ、うんうんと頷いた。
「ウマ娘と同じ速度で走るのが好きなんだ。ターボちゃんもこういうのに憧れてるの?」
「うん! あのね、ターボも前に連れていってもらったぞっ!! キラキラした湖のそばに行ったんだっ」
「へえ、そうなんだ。トレーナーに連れていってもらったの?」
「退学のまえだったけど、すっごく楽しくて、初めていっぱい走れたんだ!!」
ターボは机に広げていた本を手に持ち、バッと広げて掲げてみせる。見開き一面に乗っているのは湖を背景に撮影された赤色バイクの写真だ。以前に二人で行った湖とは違うが、森に囲まれているあたりの自然の雰囲気は良く似ている。
先輩はうんうんと頷いて。しかし途中で俺に指を曲げて、耳を寄せるようなジェスチャーをする。
「後輩クン、それ学園の許可は取ったの……?」
「……違うんです。あの時は色々あって仕方なかったんです」
ジト目で責めるように見られて、俺は思わず視線をそらした。
やばい、そういえばバレちゃいけないんだった。実は遠出や外泊には学園側の許可が必要になるのだが……あの時はレース前日に思いつきで山奥の湖畔まで走ってしまったので、当然誰にも知らせてはいなかった。かなり際どい行いだった。
恐る恐る顔色を伺う。幸いにも先輩はターボの事情を分かってくれているので、深く息をついて、聞かなかったフリをしてくれた。助かった……あとで誰にも言いふらさないように言っておかないと。
「ねー、とれーなーのとれーなーっ! 聞いてよ〜〜とれーなーがさ、ターボと一緒に出かけてくれるって言ってたのに。行けないって言うんだ!!」
「……って担当の子が言ってるよ?」
「そうなんですよ。勝ったら連れていってやるって約束はしたんですけど、オグリの面倒も見ているので。三人だとどうしても車になっちゃうんです」
「ああ、なるほどね、そういうこと」
事情をすぐに理解してくれた。先輩は考えるように天井をあおいで、さらりと口にする。
「そういうことなら、どっちか私のバイクに乗せてあげようか?」
「えっ」
「ほんとか!?」
「うん。私もついていっていいなら
先輩は可愛らしくウィンクした。諦めかけていたオグリは目を丸くして固まり、オグリと一緒にバイクで行きたいと主張していたターボは一も二もなく飛びついた。俺もビックリした。
「え、それはめちゃくちゃ助かります……!! でも、いいんですか?」
「言ったでしょ、今は担当の子が怪我しちゃって時間があるの。それに二人とも重賞に勝ったんだからご褒美をあげなくちゃ。もちろんちゃんと申請を出すのを忘れないようにねっ」
「はい……肝に命じます」
先輩から軽くお叱りを受けてしゅんと凹む。俺が落ち込んでいるかたわらで、三人で話が盛り上がり始めた。
「ターボちゃんはそもそも大好き、と。オグリキャップちゃんも興味はあるんだよね」
「うん。ターボがいつも楽しそうに話すから、私も同じように乗ってみたいと思っていたんだ。そんなに楽しいものなのか?」
「ウマ娘はみんなスピードを感じられる乗り物が大好きだからね、きっと気にいると思うよ。走ること自体も楽しいけどさ、行きたい場所はある?」
「前にとれーなーが楽しそうなところを教えてくれくれたんだ! ええとね、ちょっと待ってて!」
ターボが率先して棚にしまっていた雑誌を何冊か持ってきて、熱心に初瀬トレーナーとオグリに説明しはじめる。最初にあれほど警戒していたのが嘘みたいに、あっという間に打ち解けてしまった。さすが先輩。ベテランのトレーナーの手腕に、感心せずにはいられなかった。
……と、そんなやりとりがあってから数日後の日曜日。
早朝のトレセン学園の駐車場。ガラガラに空いたスペースに2台のバイクが停まっていた。一台は俺の所有している黒色中型バイクで、もう一台はターコイズブルーのアメリカンバイクだ。街でもよく見かける洋風のデザインだが、特徴的なのはバイクの隣に車台が付属しているということ。二人乗り、いわゆるサイドカーというやつだ。
「どう? 私の愛車、格好いいでしょ」
「すごいすごいぞっ!! とれーなーっ、 オートバイの横に小さな車が付いているぞっ。あんなのもあるんだね!」
公道でもなかなか見ない珍しい車体に、初見のターボは大興奮で飛び跳ね、表情に感情が出辛いオグリも珍しく驚いているのが分かった。黒レザーのライダースーツ姿という峰不二子のような服装で来た先輩は満足げにニヤついた。
「いや、たまにバイクに乗ってるとは聞いてましたけど、こんなに良いものを持っているなんて知りませんでした」
「あはは。私は普段一人かウマ娘としか旅に出ないからさ。担当の子と二人きりで出かけたくてこれにしたんだよ」
「そういえば先輩、専属主義ですもんね」
専任主義とは複数人のウマ娘と契約せずに一人のウマ娘に注力することを指す。少数派なスタイルだが、先輩はそのやり方で実績をあげてきたトレーナーだ。このサイドカーは、二人きりで旅行に行くにはピッタリの乗り物だ。
「それにしてもヘルメットのサイズが合ってよかったよ。付け心地はどう?」
「ん、大丈夫そうだ」
そして最初に乗せてもらうことになったオグリは、彼女から受け取ったヘルメットを装備した。これまた珍しい雰囲気のゴーグル付きのタイプだ……あれは確かウマ娘用かつレトロな希少価値のある品のはず。サイドカー自体けっこう高級なので、先輩はこういうものにお金をかけるタイプなんだなあとぼんやり思った。
なかなか格好いいバイクだったので、ターボも乗りたがるかと思ったが、意外にもだだをこねたり突撃することなく、俺の隣で腕を組んでそっぽを向いてた。
「ターボはあっちじゃなくてもいいのか?」
「いいもん。だってターボにはツインターボ号があるもんっ」
「……それもしかして俺のバイクのこと?」
そう、とかえされる。いつの間にかバイクが命名されていたようだ。そのあとも「とれーなーの後ろはターボのだから!」と言い張った。しかしやっぱり羨ましいようで、チラチラと目を輝かせているオグリのほうを流し見ていた。あとで帰り道では乗せてもらえるように頼んでみよう。あと、俺もちょっと乗ってみたい。
『それじゃあ安全運転で行くよっ。出発進行ーっ!!』
いつものようにバイクにまたがって、後ろに乗ったターボが腰を掴んだことを確認してエンジンをかけた。すると接続したインカムから先輩の快活な声が聞こえてきた。続けて、オグリの驚いたような声がリアルタイムで聞こえてくる。
『おおっ。すごい、動いた、本当に動いたぞっ』
『うー、負けるなとれーなー、ターボ全開で二人を追い抜けぇーーーっ!!』
「危ないから追い抜かないぞ」
まだ日が昇り始めるほどの早朝だというのに、ものすごいテンションで腕をあげたウマ娘とトレーナー二組が学園を出発した。こうして、二人にとってご褒美の休日が始まったのだ。
今回の旅の目的。それは、スピードを感じながら走ることそのものだ。
ウマ娘は走ることが好きだ。特にレースに人生を懸けるようなウマ娘ほどその傾向は強い。全力で駆け抜ける数分に人生を懸けるアスリートなのだから当たり前と言えばそうなのだが、一方でそれ以外の普通の人生を歩むウマ娘にも同じことが言える。
オートバイという乗り物が大流行して日常に浸透したのは、誰もが平等にトップアスリートの感じるスピードの世界に踏み入ることができるためだ。自分の脚で駆け抜ける充実感だけは得られないが、その他全ての欲求を満たしてくれる。普通に走れば数分が限度だが、数時間ぶっ続けで全力疾走できるのだから、走るのが大好きなウマ娘にとってはたまらない。
『いけーっ!! ターボのツインターボ号ーーーっ!!』
だからこそ全力疾走が大好きなツインターボは、スピードの世界に居続けられる乗り物に大いにハマっていた。5月のまだ若干肌寒い空気を感じつつ、トレセン周辺の都会を真っ直ぐに抜けて、トンネルを抜け森を超え。俺の後ろでずっと楽しそうに声をあげていた。途中から順番を変えて先頭を走るようになってからは、最高に楽しんでいた。
そして親友兼ライバル、バイク初体験のオグリもやはり気に入ったようだ。信号で止まって後ろを振り返ったとき、子供のようにわくわくした表情でいたのが見えた。インカムからたまに聞こえる声も若干甲高い。風が冷たくて気持ちいいとか、空を鷲が飛んでいたとか。見えたり感じたものを常に報告して、子供のような反応を聞いているだけで一緒に楽しくなった。
最終目的地は、県道の途中にある道の駅だ。
そこそこ有名な観光地で、折り返しのポイントかつ休憩地点としてピッタリの位置にある。長い道のりを経て到着すると、早朝に出てきたにもかかわらず多くの車やバイクが停まっていた。やっぱり人気スポットだから相当混んでいるなあ。
駐車場に入って、周囲にならってバイクを停車させてエンジンを止める。ターボが慣れた足つきで降りてみせた。続けてヘルメットを外すと収納されていたウマ耳が伸びをするように動く。遅れて降りると、ターボは青白いウマ尻尾をブンブン振りながら、キラキラな表情で迫ってきた。
「着いたね、楽しかったぞとれーなー! ターボね、おなかへったんだ! ここでご飯か!?」
「ああ。今日はご褒美の日だから、好きなものを頼んでいいぞ」
「やったぁーーーっ!!」
ターボは嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねた。すると同じように駐車場スペースに停車させた先輩とオグリも俺たちのほうにきた。よほど楽しかったのか感激した顔で余韻に浸っていて、ターボと同じようにぐんと顔を近づけて迫ってきた。
「トレーナー、凄かった……!! 本気を出したときくらい速いのに全く疲れなくて、ずっとビュンビュンと風が通り抜けていくんだ!! こんなの初めてだ!」
「なかなかいいものだろう」
「ふふ。ターボに感謝していいんだぞっ!!」
「ああっ。いいものを教えてくれてありがとう、ターボ」
「フフフ。トレセンを卒業したら今度はターボが後ろに乗せてやるからなっ」
なぜか自分の手柄のようにターボが胸を張って、オグリはなぜか素直に感謝を伝えていた。ここまでオグリを乗せてきた先輩は微妙な顔をした。だがまあ二人はいつもこんな調子だ。
時計を見るとちょうど昼時だ。駐車場が満車気味なことからも察していたけれど、建物のほうも人でいっぱいだった。バイク装備を背中のケースにしまってから四人で建物のほうに向かう。すると客の何人かがざわめき立った。
「ねえ。ちょっと、あのウマ娘もしかして……」
「オグリキャップ!? きゃっ、うそ。本物!」
「隣にいるのってテレビに出てたトレーナーだよね。もしかしてお忍びの旅行!?」
家族や仲間内での雑談に興じていた客。露天の店番をしていたおばあちゃんに至るまで。彼らの視線がいっせいにオグリキャップに注がれた。
うわっマジか。いつものダイヤの髪飾りは外してもらっているんだが……すんなりバレてしまった。
人が押し寄せるかと思ったが、しかし意外なことに、オグリのファンと思われる客は遠巻きに色めき立つのみ。不思議に思ってこっそりと先輩に囁き尋ねた。
「サインとか握手くらいは覚悟してたけど……GⅠウマ娘でも案外大丈夫なんですね?」
「レース場じゃないからね。君だって街で有名なウマ娘を見かけても、直接話しかけにいこうとはしないだろう。マナーが行き届いているんだよ」
「ああ、なるほど。確かに」
そう言われてみれば、確かに街で応援しているウマ娘を見かけても邪魔になるようなことはしない。せいぜい「応援しています」と伝えることくらいだ。オフを楽しんでいるのだから邪魔になってしまう。
そのあたりはファンのマナーがしっかりしているというべきだろう。もしサインなどが欲しければ中央トレセン学園側が、ファン感謝祭などのイベントを定期的に開催しているため、そちらにきてほしいとアナウンスもしている。地道な努力の成果なのかもしれないな。
しかしそれはさておき、オグリはファンサービス精神が旺盛だった。顔を赤くしているファンたちに微笑みながら手を振ると、ざわめきがより大きくなり、悲鳴にも聞こえる歓喜の声があがった。
「とれーなー、ターボも!! ターボもあれやりたい!!」
「GⅠに勝ったらな」
いつものようにグイグイ袖を引っ張ってきたので、いつもと同じ約束を交わしながらレストランに入った。意外と空いていて座るスペースは十分にありそうだ。食券の券売機の前だいちど立ち止まって、順番を待っているオグリとターボに言った。
「今日は好きなものを頼んでいいぞ」
「えっ。なんでもいいのか?」
「もちろん。重賞に勝ったんだからな。二人とも遠慮しなくていいぞ」
俺はかなり深い覚悟を決めながら言った。先輩は急に神妙になった俺を怪訝そうに見た。
「はいはい! ターボは、にんじんハンバーグ定食とミックスソフトクリーム!!」
「そうだな……メニュー全部でお願いする」
「え……?」
「全部って、全種類だよな。そんなに量がないと思うが一つずつでいいのか?」
「うーん……その通りだな。じゃあ十個ずつ注文したい」
「はい……?」
オグリが真面目な顔で言うものだから先輩は固まった。一方、心の準備を全て済ませてきている俺は動揺せずに済んだ。事情を伝えるために店員を呼ぶと「お、オグリキャップがうちの店に……!?」とリアクションをくれて、ついでに注文も快諾してくれた。
記念にお願いしますと頼まれて、店に飾る用の写真一枚を撮影してから四人で席についた。先輩はとんでもない顔でオグリを凝視していたが、慣れているターボはオグリの注文内容に触れさえしなかった。
「オグリ、すっごく有名になったんだな〜」
「あまりトレセンの外に出る機会がなかったから知らなかったが、それだけみんなが私の走りを見てくれたということだろうか」
「すぐあとにダービーも控えてるからねえ。あ。ほら、ちょうどテレビにも出てる」
先輩が視線で示した先に、天井付近に薄型のテレビが一台置いてあった。放送している映像にうつっていたのはオグリと俺だ。え、また皐月賞後のインタビューの再放送やってるの? 日本ダービー前の特集番組のようだが……もうそろそろ許してほしい。
「ガチガチに緊張してるねえ、初々しいねえ」
「やめてください。何度見ても恥ずかしいんですから……」
「とれーなー。ターボがインタビューに出るときまでに、カッコよくうつるようにしといてよね!」
「面目ない」
そりゃそうだ。ターボに突っ込まれるほどガチガチに固くなっている姿が映っている。こんな情けない姿が日本全国のお茶の間に届けられているのはつらいが、早くこの悪癖は直さないと。店内の客も俺が映像の人物と同じだと気付かれているようで、生暖かい目で見られていた。ほんとうにつらい。
「もう皐月賞からしばらく経ったのに、話題の旬はいつ過ぎるんだ?」
「まあ地方ウマ娘が、新人トレーナーと一緒に連戦連勝でGⅠ獲っちゃうなんて面白い話だし。最低でも三冠が終わるまでは擦られると思っておいたほうがいいね。代わりにトレーナーとして有名になったんだからいいんじゃない?」
「いやそもそもみんな勘違いしてるんですよ。オグリの場合は俺の実績というより、元々のトレーナーが最高の指導者だったってだけなんです
「あー、インタビューでも言ってた元のトレーナーの話ね。オグリちゃん、そのへんどうなの?」
「私のトレーナーの話か? ああ、私を一番に考えてくれる大切な人だ。私はたくさんの人に支えられていて幸せ者だな」
なるほど、オグリちゃんの強さの秘訣はそれかと。先輩は一人で納得して頷いていた。
将来、オグリが移籍した時に困らないようにインタビューでカサマツのトレーナーのことは公言している。しかしそれによって世間的な俺の評価が割れており、それも再放送されまくっている原因の一つだ。彼が中央に来た時にすぐにでも移籍できるようにと思ってのことなのだが、すっかり裏目に出てるな……
「オグリちゃんの強さの秘訣はそのトレーナーなんだ。でも、すごいといえばターボちゃんも凄いよねっ」
「え!? ほんとか!? フフ、トレーナーのトレーナーは見る目あるな!!」
「うん偉い偉い。いろんなウマ娘を見てきたけど、素質でいえば一番かも」
珍しく俺以外の大人から褒められたターボは気をよくして、かなりドヤ顔よりの笑顔を見せた。聞いていた俺はちょっと驚いた。先輩は褒めて伸ばすのが得意なトレーナーだが、それでもここまで手放しでベタ褒めするのはかなり珍しい。
「ターボはとれーなーと一緒にさいきょーになるウマ娘だからなっ!」
「トレーナーってみんなどこかしら尖ってるものだけど。自分のクビまで賭けて、挑戦してくれる人はなかなかいるものじゃないからね。いいトレーナーと出会えてほんとによかったよ」
「まあ、うん。同じことをやれって言われたら二度とできる気がしないけど……」
「謙遜しなさんな。大人しく褒められておきなさい」
急に先輩から面と向かって評価されて、ちょっと気恥ずかしい気持ちになった。先輩は俺の背中をバンバン叩いた。
「秋川理事長からも言われたでしょ。私もトレーナーとして君のやったことに敬意を表するよ」
「いや……ほんとそんなんじゃないんです。俺はただターボならやれると思って後先考えずに突っ走っただけで、ここまでうまくいったのは結果論ですよ」
「だから謙遜しないの。私、君たちにはすごく感謝してるんだからね」
「え……俺何かしましたっけ?」
先輩にそう言われて一瞬ぽかんと呆けた。トレーナーとして独り立ちしてからは、最低限の連絡こそしていたものの関わりはなかったはずだ。すると先輩の表情にわずかな暗い感情が混ざった。
「話したでしょ、うちの担当が怪我で走れなくなって大変だったって。この間までかなり元気無くしちゃってたんだよ」
「そんなに重い怪我だったんですか……?」
「治らないわけじゃないんだけど、まあ色々あって。それこそ引退考えるくらい落ち込んじゃってさ。でもさ、どうもターボちゃんを知っていたみたいでね。君が後輩ってこともあって、ちょっと注目してたんだ」
そう打ち明けられた。そういえばこのバイク旅の話が出た時に「自分の担当が怪我をした」と先輩が話していたことを思い出す。全く身に覚えのないターボがビックリ反応した。
「えっ!? トレーナーのトレーナーは、ターボの友達のトレーナーだったのかっ!?」
「ううん、一方的に知ってるだけだって。選抜レースでターボちゃんが怪我してたのが印象に残ってたって言ってた」
なーんだ、とターボはわかりやすく肩を落とした。どうやら友達ではなかったらしい。そんなのテンションの緩急に先輩は苦笑いしながら話を続けた。
「あの子って結構頑固でさ。自分の本音もぜんぜん打ち明けてくれなくて、もうダメかもってところまでメンタルがきてたんだけど。あのレースを見て立ち直ってくれた」
「あのレースって、ターボのトゥインクルシリーズ復帰戦ですか?」
「そう。あんな目に遭って諦めなかったんだから
そう言われて、俺は唾を呑んだ。まさかターボの復帰戦を見ていたとは思わなかったからだ。
俺は先輩の今の担当ウマ娘を知っている。先日再会した後に調べたのだが、これまで数々の実績を残してきた中でも、今年の子は特に凄かった。
……まあ、俺は。去年は色々とそれどころじゃなかったのだ。ほんとに。
そんなふうに語った先輩だが、この時はしんみりとした笑顔でうつむいていた。一方で何も知らないターボは自分のことで嬉しかったのか、表情を輝かせて先輩のほうに迫った。
「そっか……! ターボ、すごいって思ってもらえたってことだよね!?」
「うん。ターボちゃんはすごいことをしたんだ。君のトレーナーも超すごい人なんだよ」
「おおっ! やっぱりターボのとれーなーは、すごくてすごいんだな!!」
「語彙力よ」
盛り上がっていくのに反比例して語彙力を失っていく二人を見て苦笑いした。まさか先輩や、その担当の子までがターボに注目してくれているとは思っていなかったのでちょっとビビったけれども。褒められるのは嬉しいものだ。
そして話が一度切れたところで、タイミングを見計らってレストランの店員が注文した料理を運んできてくれた。そして涙ぐんだ声で先輩に「ファンです、ずっと応援しています……!!」と伝えていた。もしかすると話を聞いていたのかもしれない。ターボとオグリは首をかしげていた。
俺たちは旅先での食事をきれいに食べ終えて、帰り道もバイクを飛ばしてみんなでトレセン学園に帰った。
この日の写真が、この店で何十年にもわたって飾られることになるのは、また別の話だ。