俺たちは今日も、海水浴場を使ったトレーニングを行なっていた。
海にはウマ娘用のトレーニング機材などが所々に設置されている。海には拠点に使えるテントやビーチパラソル、巨大タイヤや、なぜかクイズ大会用機材などもあり、それらを存分に利用させてもらっていた。俺はビーチパラソルの陰から四人のウマ娘を監督していた。
海岸擁壁の上から練習の様子を見ている地元の人やファンが集まっていて、毎日賑わっているような状態らしい。なかなかに賑やかな環境で、クリップボードを手に練習内容と結果を記録していると、学園指定のスクール水着姿のナイスネイチャが息を切らした歩み寄ってきた。
「トレーナー、五セット終わりました……! 次、どうすればいいですかっ」
「10分のインターバルを取ろう。そのあとイクノディクタスともう1回セットだ。君のトレーナーが向こうにいるから、水分補給のボトルを受け取っておくように」
「了解っ……!」
相当に疲労しているはずなのにネイチャの目はギラついていた。日常と違う環境でのハードトレーニングでも、やる気を滾らせて自分を追い込んでいる。ひたむきに努力する姿はまさしくレースウマ娘の鑑だ。
しかし努力ならうちのウマ娘だって負けていない。やる気と根性と極限状態を楽しむことに定評のあるうちのツインターボは、ものすごい水柱をあげて、海を真っ直ぐに爆進していた。放っておくと沖のほうまで泳いで行ってしまうのではないかという勢いだ。
「うらーーーーっ!!! ターボぜ・ん・か・い、だーーっ!!!」
海にはうちのグループだけでなく他のトレセン学園のウマ娘も来ているが、ターボの派手な泳ぎっぷりが一番目を引いた。あんなにパワー全開にしたら絶対後半バテると言ったのに。海で溺れるとさすがにまずいと思い、もう一人を探して声をかけに行こうとした。
「……あれ、オグリはどこに行った? 一緒についていったはずなんだが」
何の気兼ねもなく気持ちよさそうに泳いでいるターボを止めるため、探したのだが、オグリの姿がどこにも見当たらない。確か一緒にトレーニングをすると言って、砂浜ランニング、ストレッチ、巨大タイヤ引きと、どちらが早く全部の課題をクリアできるかで勝負していて、さっきまで僅差だったはずなんだが。
周囲を探していると、ターボが去ったあとのバタ足の波の合間にプカプカと灰色のナニカが浮かんでいるのを見つけた。浅瀬なのでそれほど遠くはない場所だ。目を凝らすと、それはどうやら芦毛の長髪で……
「ごぼっ。ごぼぼぼ……」
「おっ、オグリいいぃぃーーーっ!!!??」
溺れていた。
俺は真っ青になりながら、慌ててクリップボードを放り投げて海に飛び込んだ。幸いそれほど深い場所ではなく、暴れるどころか動きもなかったので引き上げるのには手間取らなかった。波打ち際まで引っ張り上げて、顔を覗き込む。ぐったり仰向けになって青ざめたオグリはポツリと、力なく言う。
「む、無理だトレーナー……ウマ娘は、水に浮くようにはできていない」
「大丈夫か? 海水飲んでないか!」
「飲んだが美味しくない……塩水は、私には
意外に張りのある返事がかえってきたので、ホッとした。思ったより水も飲んでいないし意識はある。打ち上げられた動物のように横たわるオグリに肩を貸して、なんとかビーチパラソルに用意した休憩スペースに横にならせた。
グッタリとしている間に簡単に脚を触診したのだが、どうやら足をつってしまったようだ。これが原因か。大事に至る前に気付けて本当によかった。
「走るのは得意なんだが、泳ぐのは苦手なんだ……すまない……」
「そうだったのか。すまない、こんなことになって。怖い思いをさせたな」
そういえばカサマツトレセンにいた頃、オグリのトレーナーがプールが苦手とちらっと言っていたっけ。今日のトレーニングではやる気満々だったので、まあ大丈夫だろうと思っていたのだが甘かった。これは大反省だ。
遅れてネイチャのトレーナーも気づいて「オグリさん、どうかしましたか……!?」と、慌てて駆けつけてくれた。呼吸は安定しているし、すぐに返答してくれるくらい意識もはっきりしている。仰向けに休んでいるオグリキャップの介抱を二人でしていると、一人で泳ぎ続けていたターボが海からあがってきた。
「ぷはぁーーっ!! 泳ぐの楽しかった! ありゃ、オグリどうしたんだっ!?」
「泳ぐのはだめだ……おぼれた……」
「ええっ!? 溺れたのか!? とれーなー、オグリ死んじゃわない!?」
「死なないさ。ちょっと足をつったくらいで、安静にしてればすぐに回復する」
俺は足をつったとき用のマッサージをオグリに施しながら答えた。最初に触れた時は若干顔を歪めていたが、マッサージが効いてきたのか徐々に気が抜けたような表情に変わってくる。
「よし。オグリ、どうだ。とりあえず痛みはなくなったか?」
「ありがとう、だいぶ楽になった……こんなに早く良くなるものなのか。トレーナーはすごいな」
「足に違和感を覚えたらちゃんと言うんだぞ。泳ぐのがダメなら別な方向でトレーニングすることもできるんだからな」
「そうしてもらえると助かる……しかし、迷惑をかけてしまったな。今回の勝負はターボの勝ちだ」
「ちがうぞ!! 勝負はなし!! だってターボ勝ってないもん!!」
ターボは腕でバツ印を作って、のーげーむね!と、拒否した。オグリは申し訳なさそうな顔をしながら灰色のウマ耳をペタンと垂らした。ウマ娘も「ちょっとだけなら大丈夫」と我慢してしまうことはよくあることなので、今後はこれを教訓にしよう。
元気になってきたオグリに、ペットボトルの水を含んで口をすすがせつつ、ターボに尋ねた。
「ターボは一周終わったのか?」
「終わったぞっ! ターボ頑張ったから褒めてっ!」
「うん。よくやりきったな、えらいぞ」
元気が戻ってきたところを見て安心したのか、ターボが腕を回して首にぶら下がってきた。体重がしっかり背中に乗ってくるのを感じる。頭を撫でると気分よさそうにウマ耳を垂らした。
「それなら休憩だな。念のためにターボも脚の調子を見ておこう」
「わかった! 絶好調だから、たぶん大丈夫だけど!!」
空いている隣のパラソルに移動して、ビーチチェアに座らせる。タオルで軽く拭ってやってから脚を上げさせて触診。指先で筋肉の調子を確かめていく……うん、全く問題ナシだ。まだまだトレーニングを続けても大丈夫だな。
「トレーナーさん、それは一体何をされているのですか?」
診察している最中、背後から誰かが声をかけてきた。手を止めて振り返ると砂浜ランニングを終えたイクノディクタスだ。首に下げたタオルで汗を拭い、メガネの位置を軽く直しながら首をかしげている。
「触診だよ。ターボの足の調子を見て怪我をしていないかをチェックしているんだ」
「そんなことができるのですか」
「まあ、ある程度、ざっくりとだけどな。ターボを安心して走らせてやるために、絶対に必要な仕事なんだ」
「ターボエンジンのメンテナンスだぞっ」
綿密に脚をチェックして手早く手元のボードに詳細を書き込んでいく。彼女から驚いている気配を感じたが、まあここまでやるトレーナーは他にいないので、そんなものだろう。
ターボは怪我をしたことで散々な目に遭ってきた。一時は調子が全く出せなくなるほどの影響が出ていて、その後も修正が大変だった。怪我を怖がっていたターボが安心して走るために、常にこうして確認をしている。
もちろん怪我のリスクを減らすという意味も大きく、適正のないオグリのフォームを取り込んだ『ターボジェット』で走らせたり、ハードトレーニングに取り組むなど、未勝利からGⅠ勝利という無理を通すためにそれなりの無茶を通しているゆえ、他のウマ娘より綿密なチェックをするべきなのだ。今やこれはツインターボの育成に決して欠かせないルーティンとなっていた。
見ているだけだとつまらない作業だが、イクノディクタスはひどく興味を持った様子だった。
「実際に触れることで、どのようなことが分かるものなのですか?」
「そうだな……病気の初期症状や、怪我の兆候を見つけられる確率はぐんと上がる。疲労度合いもある程度分かるから、無茶をさせすぎないようにコントロールできる。成長を確かめられるのもメリットだな」
むろん夢のような技術ではなく、どれも確実ではない。触診を始めたのもどちらかといえばターボにわかる形で安心してもらうためという側面のほうが大きい。イメージとしてはやらないよりも、やるほうが遥かにマシというところだ。
「イクノ〜どうしたんだ。ターボの脚になにかついてるか?」
「いえ。特には」
しかしイクノディクタスは俺の想像以上に興味を持った様子だった。年頃の女学生の脚に触れる大人というのは絵面が悪いので、普通は避けられる。しかし彼女は真剣で、ひどく興味を持ったように、ターボの脚をじいっと観察していた。
「怪我の早期発見やリスク低減の方法というわけですね。とても興味深いです。資格などをお持ちなのですか」
「一応学生時代に専門の資格を取っているよ」
「医療資格をお持ちなのですか。トレーナーとして採用される方はどなたも優秀であるとお聞きしていましたが、そこまで学ばれている方もおられるのですね」
「逆にそれしか取り柄はないけどな。診察や簡単な処置はできるけど、本格的な医者みたいに治療までするのは無理だし」
医者の資格に比べれは遥かにできることは少ない。とはいえターボの育成では大活躍していて、今回のオグリの応急処置でも役立った。学んでおいて本当によかった。無駄にはならないものだな。
「イクノさん、どうかされましたか」
トレーニングを中断したことで、ネイチャトレーナーが様子を見にやってきた。倒れていたオグリのほうを見ると、もうすっかり元気そうだ。暇だったのか背後で砂の城を作り始めているのが見える。
「トレーナーにお聞きしたいのですが、トレーナーも同じようなことができるものなのですか」
「えっ。わ、私ですか……すみませんが、そこまでは難しいですね。ウマ娘の脚の触診には専門的な知識と技術が必要ですから」
「ツインターボのトレーナーさん。この分野の知識をどのように学ばれたのか、お手すきの際にでもご教授いただけないでしょうか」
「それはいいんだが……レースを引退した後に医者を目指すのか?」
自分自身が走ることにしか興味のないウマ娘が多い中、医療分野に目を向ける子は希少だ。しかし俺の問いにイクノは首を横に振った。
「いえ。引退後のことは詳細に決めていませんが、私の目標達成に必要なことだと判断しました」
「この世界でできるだけ長く走り続けること、だったか?」
「はい。それが私が自分自身に課した最重要目標です」
「なるほど」
少し変わった目標にも思えるが、同時に自分の夢に相当な熱意を持っているのが伝わってくる。
イクノディクタスは今まで一度も怪我をしたことがないウマ娘だ。苛烈なトゥインクルシリーズ走り続けている4年目ウマ娘の中では極めて稀なケースでもある。なるほど、それが彼女がレースウマ娘としてやりたいこと、成すべきことなのだろう。
「パソコンは持ってきてるから、今日の晩飯の後に色々と教えるよ」
「そんなに早くよろしいのですか?」
「トレセン学園のウマ娘を支援するのはトレーナーの義務だからな。トレーナー、イクノさんをお借りしても構いませんか」
「もちろんです。私も興味があるので同席してかまいませんか?」
「ええ、ぜひ。それじゃあ大部屋でやりましょうか」
「それターボも聞きたい!! とれーなー、ターボも行っていい!?」
「いいけど、ターボが面白いと思うような話はしないぞ?」
触診中もじっと話を聞いていたターボは、終えた瞬間に後ろに回って、再び首元に巻きついて体重をかけて乗ってきた。絶対行くぞという顔をしている。きっと面白くない話なのだが、こうなったらターボは止まらないだろう。
しかし案の定。その日の晩になると眠たくなったのか、夕食が終わってお風呂に入るとぐっすり寝入っていた。お世話は完全回復したオグリとネイチャに任せて、その日の晩はイクノとトレーナーの三人で講義しながら時間を使った。興味を持って聞いてくれる子に説明するのは、なかなか楽しいものだった。
そうやって俺たちのチームメンバーは着実に力をつけつつ、小さなアクシデントに見舞われながらも平和に過ごしていった。
夏合宿も中盤に差し掛かった頃の、ある夜。浴衣を着たツインターボが、ショックを受けたように後ろのめりに驚いた。
「えーっ!? オグリだけお祭りに呼ばれたのーー!??」
持っていた箸をテーブルの上に叩きつけるように置いて、悲痛な声をあげる。ちなみに現在は夕食中。トレーナー二人の前には肉じゃが主軸の定食、ターボ・ネイチャ・イクノの前には肉野菜果物がバランスよく盛られたトレーニング専用定食。そしてオグリの前には天井まで届きそうなほどに盛られた白米と、富士山の如く積まれたおかず類がセットの専用定食が置かれている──ネイチャは当初その食事量に普通にドン引きして、イクノは自分の目を疑いメガネを拭いて曇りを取っていた。
「うん。トレセン学園の先生から、絶対に参加するようにと言われた」
「あ、それアタシにも来てたよ。イクノも言われてたよね?」
オグリは高額な合宿費用の何割かを胃袋に消し去りながら、ターボの問いに頷く。もはや突っ込むのが無駄だと悟ったネイチャは、削れていく白米から強引に視線を逸らしながら相棒に尋ねる。イクノはメガネのブリッジを指でくいっと持ち上げた。
「ファン感謝イベントの件ですね。お祭りというのは合っていますが、私たちのためではなく、応援してくださっているファンのためのものです。ですので我々が出し物をします」
「具体的には何をするんだ?」
「主にエンタメ系かな。ライブの曲を踊ったり、あとはトークショー的なやつとか。去年はテイオーと並んで次のレースの抱負とか聞かれたりしたっけ……あーっ。懐かしいなぁ」
「動画サイトに過去のやつがアップロードされているので、ご覧になるのがよいかと」
わいわいと話している最中、寂しそうにしていたターボはその場で世の理不尽を叫んだ。
「なんで! ターボは呼ばれてないの!?」
「呼ばれる条件、GⅠ出走経験のあるウマ娘だけなのよね。勝負服を着て出る必要があるからかも」
「それなら持ってるぞ!! とれーなー、ターボの勝負服はまだできてないっ!?」
「夏合宿直前に提出したからできてないぞ。それに衣装だけあっても、GⅠにはまだ出てないから資格はないな」
ぐぬぬ、と、ターボは尖った歯を噛み締めて悔しがった。
残念ながら有名ウマ娘が呼ばれるこのイベント、ツインターボには声がかかっていなかった。もちろん相応の実力はあるし、GⅢ勝利で実績も伴った。知名度もオグリの影響で上がってきたとはいえ、まだこの界隈では有名なウマ娘ではない。
一方で、現在クラシック三冠街道を突っ走っているオグリは言わずもかな。ネイチャとイクノも当然勝負服を持っていて、これまでの活動内容もあいまってファン数も比べ物にならない。
(仕方ないとはいえ、さすがに可哀想だよな)
イベントの最中に一人でトレーニング続行というのはあんまりだ。これは未勝利戦の段階で勝たせてやれなかった俺の力不足が原因でもある。俺はターボに顔を寄せるように促して、しおれた花のように力なく折れたウマ耳にこっそりと耳打ちする。
「感謝祭でみんながいない日、かわりにバイクで遠出しよう」
「ほんとか!?!?」
悲しげな感情が反転して、ターボは一秒で元気を取り戻した。
「少し離れた場所だけど、温泉付きのトレセンの保養施設があるんだ。そこに行って過ごすのはどうだ」
「いくっ! ぜったいいく!!!」
「む、いいな。私もそっちがいいんだが」
「いやオグリ先輩がいなかったら大変なことになりますって。ファン感謝祭の顔ですよ?」
「むぅ。そう言われると、確かにその通りか」
こそこそ話は鋭敏なウマ娘イヤーには筒抜けだった。聞いていたオグリが羨ましがったが、ネイチャの言う通り。オグリ不参加はありえない。応援してくれているファンあってこそのレース界隈なのだから、いま最も勢いのあるウマ娘が出ないわけにはいかない。
「スペ先輩も去年で引退してるし、私たちの世代の花形・テイオーは怪我の治療中。マックイーン先輩とライス先輩もいますけど、やっぱりみんなオグリ先輩が来るのを楽しみにしてると思いますよ」
「オグリ先輩が楽しめるようなイベントも用意されていたはずですよ。どうですか、トレーナー」
「ええ。感謝祭の大食い対決、オグリキャップさんがエントリーされていますね」
「本当か!? それは絶対に行かなくては……!!」
大食いと聞いた瞬間にオグリは急にやる気を出して燃えはじめた。担当ウマ娘が二人とも揃って手のひらを返したので、俺は苦笑いせざるを得なかった。ひとまず話がまとまって、俺はほっとした。
……そんな経緯があって、みんなと一日別れることになった。
夏合宿中に開催されるファン感謝祭、オグリのことはネイチャトレーナーに任せることにした。俺とターボはみんなより早く起床して、まだ朝日が昇りかけて空が白んでいるような時間に瓦屋根の宿を出た。海辺は静かだ。普段はトレセンの掛け声や足音が響いているけれど、今は波の音しか聞こえない。
「ターボが一番早起きだったな!」
バイザー越しに見えるターボの笑顔は、希望に満ち溢れてキラキラ輝いていた。すでにヘルメットやプロテクターなどの装備は整えてきているあたり慣れ始めたのかもしれない。駐車場に停めていたバイクカバーを外してまたがり、完全装備のターボがそれに続いた。
『ようし出発だぁっ!! とれーなー、ターボ全開でぶっちぎれーーーーっ!!!』
『市街地だから安全運転でいくぞー?』
エンジン点火、アクセルを回す。慎重に駐車場から一般道に出て安全運転で道を進んだ。スピードを直に感じられる乗り物を気に入ったターボは朝のうちから上機嫌。最近よくCMで流れている歌の替え歌を、繰り返し歌っていた。
『タ〜ボタ〜ボタ〜ボ、タ〜ボを舐めると〜っ♪』
今日は天候に恵まれた。空は青く澄んでいて絶好のお出かけ日和だ。これならばオグリ達の向かったファン感謝祭の方も盛り上がることだろう。
海沿いの道を気分良くアクセルを回して走っていると、後ろからしがみついているターボが脇腹をつついてきた。インカム越しにターボの声が聞こえてくる。
『とれーなー、そういえば今日はどこに行くんだっけ』
「昨日ちょっと話に出したけど、トレセン学園と提携してるリハビリ施設だな』
『りはびりって怪我したときに入院するやつ?』
『おおむねそうだな。実は中央トレセン学園の学生なら誰でも使えるんだ。距離が遠いから、使う人は限られるんだよ』
マイク越しに言葉を返す。今は夏合宿中だからバイクで行ける距離だが、とても東京のトレセン学園から日帰りできる場所ではない。怪我でもしない限り話にあがることのない場所だ。
ヒトよりも力の強いウマ娘は怪我も多くなる。レースウマ娘ともなれば苦労は人一倍で、限られた期間で現役に復帰できるように治療する必要があるのだ。今日行くのはそのうちの一つ。有名な温泉地に設立された療養施設だ。
天下の中央トレセン学園のトレーナーになれた役得だ。学園所属の生徒とトレーナーしか使うことができない場所らしいので俺も今日を楽しみにしていた。道中を道の駅で休憩を挟みながら下道を三時間ほど走る。ターボと雑談しながらしばらく山間を抜けて、目的地にたどり着く。
ひび割れ一つない綺麗なコンクリートが敷かれた駐車場に停車する。降りてそうそう、『リハビリテーションセンター』と書かれた古びた建物の前でターボは大きく伸びをした。
「はぁっ、とうちゃくだ!! ツインターボが来たぞーーーっ!!」
元気いっぱいな声だが、長距離移動だったので声に若干の疲れが見えた。
周囲を見渡すと物寂しい場所だ。三方が山に囲まれてどこを見渡しても緑色。駐車場そばの林ではミンミン蝉がけたたましく鳴いていて、これぞ田舎の夏の雰囲気という感じだ。賑やかだった夏合宿のリゾート地とは真逆の空気が流れている。
肝心の施設だが、建物はかなり年季が入っていて元々は白いコンクリートだったであろう壁は黒ずんでいる。新しいと聞いていたんだが聞いていた話と違うな……と、首をかしげながらターボを連れて建物の中に入ると、そこで一気にイメージが様変わりした。
「おー、すごいな」
外観とは真逆で、内装はかなり綺麗に整えられていて、ちょっとした高級ホテルのようだ。思わず二人で「おーっ」と声を出した。
「とれーなー、あれなんだろ!? 画面にでっかくターボが映ってるよ!!」
「顔認証の機械だな。ここは予約制の設備だから、誰が来たのかをAIが自動で識別しているんだ」
「ん〜〜? だれかがターボのことを見てるってことか?」
「まあそういうことだ。ほら、受付を済ませるぞ。靴を脱いで、あそこのソファで待っててくれ」
「うん!」
ターボは爆速でフロントのソファに飛び込んだ。長旅で疲れたのか、ぐったり背中を預けている。
俺は後ろの部屋からやってきた受付のお姉さんに促されながら、用紙に必要事項を記入した。手書きも必要なんだな。受付の途中でちらっと見ていたのだが、外観からは想像できないほど良い環境が用意されているのがうかがえた。
まず使っているコンピューターは最新式。ガラス越しに見えるトレーニング室には、リハビリ用と思われる多機能マシンなどが充実している。下手をするとトレセン学園に置いてある設備よりも新しいんじゃないかこれ。俺はそのことを尋ねてみた。
「初めて来たんですけど、中央トレセンのリハビリテーションセンターってどこもこんな感じなんですか?」
「まさか。ここはシンボリ家とメジロ家の出資で運営されている特別な施設なんです。ウマ娘が一日も早く復帰できるようにと、環境、設備、人員に投資をされているんですよ」
「ああ、そういうことだったんですね」
シンボリとメジロと聞いて納得した。トレセン学園の中でも特に歴史が長いこの二家は、名ウマ娘を何人も排出している家系だ。山奥でありながら不便さは感じさせないほどの投資をしているようだが、お金を惜しまない理由がよく分かった。
受付を終えて戻ると、ターボはフロントのソファで退屈そうにぽかんと上を向きながら足をぶらつかせていた。俺が戻ってきたことに気付くと、待ってましたとばかりに勢いよく顔をあげる。
「とれーなー!! 待ってたぞ、もう行ってもいいのか!?」
「ああ、とりあえず疲れを癒しに温泉に入ろうか。ここは飯も美味いらしいから午後も期待していいぞ」
「ソフトクリームあるかな!?」
「ああ。いちごメロンぶどうはちみーブルーハワイ味を全部ミックスできるらしい。ターボはそういうの好きだろ?」
「とれーなーわかってるじゃん! そういうの大好きだぞっ!!」
GⅢに勝った後よりも上機嫌になった。ファミレスに連れて行った時は、ドリンクバーでいつも全部混ぜを作って後悔しているはずなんだがなあ。まあソフトクリームならそうそう外さないだろう。
「ソフト♪ ターボのソフトっ♪ つよいぞかっこいいぞ〜♪」
「こら、他のウマ娘もいるんだから静かにな」
迷惑になる行為はつつしむようにと軽くたしなめる。人の気配はほぼないが、一応リハビリ施設だから騒いだりしてはいけない。するとターボはピクリとウマ耳を廊下の左方向に向けて足を止めた。
「ん……?」
「急に立ち止まってどうした?」
立ち止まったターボと同じ方を見る。するとリハビリ用の歩行訓練のバーが何本か設置された部屋があり、一人のウマ娘が腕を震わせながら前に進もうと歩いている最中だった。後ろを向いているので顔までは分からないが、同じトレセン学園のレースウマ娘だろう。
「じろじろ見るのは悪い。行こう、ターボ」
「うん」
ターボは珍しくその後ろ姿を見ていたが、促すと素直に温泉のあるほうに歩いた。俺も後ろに続いてその場をあとにする。そのあとでも鹿毛のウマ娘は振り向くことなく、ひたむきに一人ぼっちでリハビリを続けていた。
ターボにとってこの休日は、突然降って沸いたような幸運だった。
思いもよらずバイクでの遠出。気持ちの良い天気の中、風とスピードの世界を抜けて知らない道を走っていく。その快感はたまらないものであり、満身創痍で走る時と同じくらい気持ちがいい。しかも田舎の温泉まで満喫することができた。
ファン感謝祭に出られなくて駄々をこねていたことなんてスッカリ忘れてくつろいでいたターボは、休憩室で昼寝をしていた。リクライニングチェアで横になっていたが、途中でふと目を覚ます。
「んがぁ……あ、れ。ターボ寝てたのか……?」
昼寝から目覚めたターボはあたりを見回した。休憩室にはほかに誰もいない。一緒に昼ごはんを食べていたはずのトレーナーの姿はどこにもなかった。心細くなったが、ふとテーブルを見ると『外を散歩してくる。15時までには戻る』とメモ書きが残されていた。
「とれーなー……いないのか。どうしようかな……」
休憩室の壁には壁掛け時計があったが、しばらく時間が開いてしまうようだった。今からでも追いかけようと思ったけれど、どこにいるかわからない。建物の中なら何とかなるけれど、大人がいないのに勝手に外に出て知らない土地で迷子になったらまずいことになると分かっていた。
しかし、だからといってこのままだと暇すぎる。暇つぶしが必要だ。危ないことをすると怒られるし、どうすべきか。むむむ……と頭を押さえて考えた末。名案を思いついてぽんと手を叩き合わせた。
「そうだ! この建物を探検するぞっ!!」
さえた思いつきだ。これだけ広いのだから探索のしがいがあるではないか。例えば、かくれんぼなんてしてトレーナーを驚かせたらすごく面白いに違いない。ターボは自分の閃きに感心した。
さっそくリクライニングチェアから飛び起きたターボは、ほぼ無計画のまま休憩室をあとにした。スリッパをかぱかぱと鳴らしながら廊下を歩き出す。
何の音もしなくて物寂しい感じだが、歩いてみると興味深いものがたくさん目についた。窓の外には植物園のようなドームのある庭や小さなレース場、ウマ娘の石像が飾ってあるのを見つけた。三女神の絵画や掛け軸もある。奥には学園にあるようなジムやコンピューターばかりの部屋があったりして、見るもの全てがツインターボを楽しませていた。
「ターボターボターボっ♪ ターボを舐めると〜♪」
一人の時間は久しぶりで、思わず歌ってしまうほど上機嫌だった。メモと一緒に置いてあったお小遣いで、自動販売機でにんじんジュースを買ったターボは、腰を落ち着けられる休憩場所を探した。そんなとき、ふと隣のガラス張りの部屋が目に入る。
「あのウマ娘ずっといるなあ」
ターボは立ち止まって、ガラス越しにじっとその後ろ姿を見た。施設を訪問したばかりの時に見た一人のウマ娘が、全く同じ姿でリハビリに励んでいる。午前中に見かけたポニーテールを束ねた鹿毛のウマ娘の姿を覚えていた。
それを見たターボは、むしょうに懐かしい気持ちになった。トレセンに入学してすぐ怪我をした時に同じリハビリをしたからだ。思うように足が動かないのが辛くて、大変だった覚えがある。そうして見学している間に名案が浮かんだ。
「そうだっ! いいこと思いついたぞっ!」
頭の上にピコンと電球が浮かべたターボは、すぐさま廊下を逆走していった。それから1分後にもとの場所まで戻って、今度は堂々とリハビリ室のドアをあけて入り込んだ。
一人でリハビリに励んでいたポニーテールのウマ娘は、ちょうど運動を終えてベンチに座り込んでいた。めくれあがった赤ジャージの下。自分の足に巻いた包帯を見下ろしていたところだったが、ターボが近づくと顔をあげた。そこでようやく二人の視線が合う。
「キミは……」
「これあげるっ!!」
ポニーテールのウマ娘が何かを言う前に、ターボはニッと尖った歯を見せて笑いかけた。自分が買ったのと同じ種類のジュースを差し出した。初対面のウマ娘は、若干困惑したようにターボを見つめる。
「……それボクにくれるの?」
「うん! 水分補給は大切だってトレーナーが言ってたからな!」
前髪に白い流星の入った鹿毛のウマ娘は、戸惑いながらターボを観察していた。待てども一向に手が引っ込まない。やがて彼女は差し出された紙パックを受け取った。しかしそれに手をつけることなく、お節介を焼いたターボをジト目で見上げる。
「キミ、さっき歌ってたでしょ。はちみーの歌だったのに、なんで買うのはにんじんジュースなのさ」
「はえっ。はちみーってなんだ?」
「ええ……? キミほんとにトレセンの生徒? 合言葉はね、『硬め濃いめ多め』。これ常識だよ」
「もしかして嫌いだったか……?」
「いやそういうわけじゃないケド……ま、いいか。ボク、にんじんジュースも好きだし」
ターボには、目の前のウマ娘が何を言っているのか分からなかった。しょんぼり悲しげな顔で落ち込んだのを見て、ポニーテールのウマ娘は小さくため息をついて付属のストローを刺して口にする。受け入れてもらえたターボは嬉しそうに表情を輝かせた。
「ここで一緒に飲んでもいいか!?」
「うん、いいよ」
許しを得てから隣のベンチに座って、ターボも自分の手元のパックにストローを刺して口をつけた。
初対面の相手に堂々としているのは人見知りしがちなターボにしては珍しい距離の詰め方だったが、それには理由がある。親近感だ。ターボは包帯を巻いた痛々しい脚のことを尋ねた。
「それ怪我したのか?」
「そう、骨折。やっと治ったと思ったのに、今年もまたやられちゃってさ、ホント嫌んなっちゃうよ」
「そっか……でも大丈夫だっ。ぜったいすぐに治るからな!!」
「なにそれ。全然根拠ないじゃん。もしかしてそれでボクのこと励ましてるつもり?」
ポニーテールのウマ娘はターボを呆れ目で見つめる。それに対してターボは気を悪くすることはなく、腕を組んで考える仕草をしながら答えをかえした。
「ん〜〜ターボも骨折っちゃったけど、ちゃんと治ったから。だから大丈夫だって言いたかったんだ」
「治っただけじゃ足りないよ。トレセン学園の生徒ならレースに勝たなくちゃね」
「それならよゆーだぞっ。ターボはすごいレースで勝つからな!!」
首をかしげながらこいつは何を言っているのかと、訝しげにターボを見た。
「すごいレースってなにさ。言ってみてよ」
「聞いておどろけ! ターボは今年GⅠに勝って最強のウマ娘になるっ!!」
「え〜〜GⅠ? たしかにすごいレースだけど、キミにはちょっと荷が重いんじゃないの?」
「そんなことないもん! えっと……まっくいーん、を倒すんだもんっ! 秋のてんのーしょーで一着を取ってやるっ !」
「キミがマックイーンを倒すって? あははっ! それは無理だよ!」
鹿毛ポニーテールのウマ娘は怪訝そうな顔から一転、あまりにも無謀な話を聞いてその場で大笑いした。馬鹿にされたように感じたターボはむっと頬を膨らませて反論した。
「無理じゃないもん! ターボが勝つのっ!!」
「そもそも知ってる? GⅠに出るためには条件があるんだよ。まずはそれをクリアしなくちゃ」
「それなら問題ないもんね! ターボはもうGⅢに2回勝ってるし! 次のレースに勝てば、ぜったいGⅠに出られるって約束してくれたもん!」
「……2回も勝ってたんだ。それは、ちょっとビックリかも」
最初こそターボの言葉を冗談と思い笑っていたが、具体的な話が出てきたあたりから言葉通り舐めたような表情はなくなった。GⅢに2回も勝てるのは強いウマ娘のみ。それが実力の証明に他ならない。
秋の天皇賞でメジロマックイーンに勝つ。世代最強かつ『天皇賞』という舞台にこだわるメジロ家から冠を頂こうなんて、普通のウマ娘なら口にするのもおこがましい。今語った実績ではGⅠウマ娘にはまだまだ届かない。しかし態度こそ子供っぽさを感じるものの、本気だと伝わってくる。
「へえ。キミ、そこそこやるウマ娘になったんだね」
「そこそこじゃなくてっ! ……ん? おまえ、ターボのこと知ってるのか?」
「ちょっとね。ま、GⅠウマ娘になれる風格があるようには、まったくぜんぜん見えないけどさっ」
「なんだとーっ!?」
「だって体も小っちゃいし。パワーがあるようには見えないし。マックイーンを倒すっていうのはちょっと無理かな。GⅢ勝っただけじゃ全然まだまだだよね〜っ」
「むむむ〜〜っ。でも一番速いのはぶっちぎりでターボなのっ!! ターボがGⅠで勝つもんーーっ!!」
見えすいた挑発にあっさり乗ったターボは、プンプン怒って名前も知らないウマ娘に食ってかかった。それに対してポニーテールのウマ娘は意地悪に笑っていたが……途中で思い出したように笑うのをやめてうつむいた。
「……GⅠ、挑戦するんだ」
「どーした!? ターボのすごさに気付いて恐れいったのか!」
彼女が顔を上げる。白いラインが入った前髪が揺れ動き、青い瞳がツインターボをとらえた。いきなり神妙な顔をされたのでターボは怯えて身を引いてしまう。
「な、なんだ……?」
彼女はターボに何かを言おうと「キミはさ、どうして」と尋ねようとした。だがその瞬間。ベンチの反対側に置かれたウマホがバイブレーションをはじめる。
突然のことにビビるターボをよそに、彼女は慣れた手つきでウマホを取り上げて「ありゃ」と後ろ手で頭を押さえた。
「うわあ、いけない。もうこんな時間。そろそろトレーナーが仕事から戻ってくるから行かなくちゃ」
「え? あ、うん……」
彼女は飲み干した紙パックをジャージのポケットに雑にしまうと、立てかけてあった松葉杖を取って立ち上がる。あっけにとられながら立ち上がるのを見ていると、今度はニッと気持ちよくターボに笑いかける。
「ジュースありがとね。本気で天皇賞に出る気なら、ボクみたいに何度も怪我しちゃダメだぞ」
「うん……あっ、ちょっと待った! まだおまえの名前聞いてない!!」
「え〜〜〜っ!? きみ、ボクのこと知らないの!!?」
「え。そういえば、どっかで見たことある気がするけど。どこだったかな……?」
ターボは首をかしげて思い出そうとする。目の前のウマ娘、どこかで見た気がするのだ。しかも見たのはつい最近だった気がする。
喉まで出かかっているのに思い浮かばない。一方でまさか自分を知らないとは思っておらず、ポニーテールのウマ娘はかなりビックリしていた。しかし、まあ。そういうこともあるかとため息をついてから……背を向けながら不遜な態度で言った。
「名前が知りたいなら、キミがマックイーンを倒して勝ち残ったら教えてあげるよ。どこかで嫌でも知ることになるだろうけどさ」
「ひょっとして、GⅠウマ娘なのか?」
「まあね。まっ、このボクを差し置いてそんな奇跡が起こせるとは思えないけどさ!」
「なにーーっ!?」
ふふーん、と鼻を鳴らしたウマ娘は、そう言い残して松葉杖をつきながら部屋を出ていこうとする。
「ボクも早いところ、この脚を治して復帰する。キミも奇跡を起こせるといいね」
幸運を祈るようなことを言って、鹿毛ポニーテールのウマ娘は部屋を去った。ターボはリハビリ室にぽつんと一人取り残された。
「へんなウマ娘だったなー。ターボのこと知ってるみたいだったし……ま、いっか!! なんかまた会える気がする!」
いまのウマ娘が何者だったか思い出そうとしたが、どうにも思い出すことができなかった。なのでいったん気持ちを切り替えて忘れることにした。それとこれは完全に勘だが、今のウマ娘とは遠くないうちに再会できる予感がした。
「ようし、温泉に入ってもう一回完全復活だ! そんで勝つために早く帰ってトレーニングっ!!」
すべてはGⅠウマ娘になるために。ツインターボは一人で胸を張って、えいえいおー、と気合を込め直した。