【完結】ツインターボは諦めない   作:クロ

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第30話 因縁

 

 

「次にターボが走るレースはオールカマー。中山レース場で開催されるGⅡだ」

 

 

 夕食を食べ終えた二人を大部屋に呼び、俺たち三人だけの作戦会議をはじめた。ホワイトボードに大きく文字を書いてみせる。出走する当人のターボはごくりと唾を飲み、オグリも言葉の裏にある意図を理解した。

 

 

「ターボの目標、秋の天皇賞への布石か」

「ああ。そして今後を占う試金石にもなる。ここで勝てれば一気に目標に近付くことができるだろう」

「というと?」

「この時期は他のGⅠがないぶん、強いウマ娘が出走してくる可能性が高い……特に、メジロマックイーンやライスシャワーが出てくる可能性が高い」

 

 

 マックイーン、と聞いたターボは若干怯えたように青白いウマ尻尾を逆立てた。しかし自分自身で何度か深呼吸。その末に落ち着きを取り戻して、オッドアイの眼差しでホワイトボードをじっと見つめた。

 

 ここからは、GⅠウマ娘が当然のように出走する領域に足を踏み入れる。『三強』だけではなく、ナイスネイチャやイクノディクタスが出てくるかもしれない。特にこのレースは秋の天皇賞の前哨戦という側面があるため、可能性は極めて高い。

 

 さらにこの場では口にしないが、もう一つの懸念事項はオールカマーが中山レース場ということ。つまり、惜敗(せきはい)した最後の未勝利戦と同じレース場ということだ。

 

 

「……条件は今までより厳しくなるが、逆に言えばチャンスでもある」

「GⅡに勝ったら、次に進めるもんね!!」

「ああ。ここで勝てば秋の天皇賞の出走枠は確実に手に入る。だからまずはオールカマー用の調整をして、それが終わったらすぐに秋の天皇賞用にトレーニングだ」

 

 

 俺が頷いて見せると、ターボはぐっと浴衣の袖を握りしめた末に勢いよく顔を上げて、唾を散らした。

 

 

「とれーなーっ!! ならそのレースはぜったいに、ぜ〜〜ったいに勝つから!!!」

「だがトレーナー、距離が長すぎるんじゃないのか?」

「……そうだな。2200メートルは、ターボには少し長すぎる」

「そんなことないぞっ! どんな勝負でも、本気になったら勝てるもん!」

 

 

 ターボはライバル心を剥き出しにしながら強気に言い張ったが、残念ながら距離の壁はある。どんな距離でも走れる万能ウマ娘が存在しないように、ターボにも限界はある。主にマイルと中距離。短距離は『ターボジェット』のおかげでタイムは出るものの、常に他のウマ娘が背後に迫ってくることから不得意。そして長距離は確実にスタミナ切れを起こす。

 

 さらにその中距離でも、2000メートル以上の距離を『大逃げ』するのは、なかなか難しい。体調やメンタルが絶好調であっても2200メートルが限界というところだろう。たった200メートルと思われがちだが、ウマ娘にとっては本気で疾走する時間が10秒ほど増えるということを意味する。だから2200メートルのオールカマーへの挑戦は、限界への挑戦という意味も含まれているのだ。

 

 

「かなり厳しい勝負になる。だが、ターボならやりきれると思っての提案だ。どうだ?」

「心配しなくていいぞっ。ターボが一番速くて最強なんだからなっ!!」

 

 

 だがターボはギザ歯の見える強気な笑顔でこたえてくれた。ああ、そうだよな。俺たちはやるしかない。日和ったせいでラストチャンスのGⅠに出走できませんでした……なんてことになるのは絶対に嫌だ。

 

 まずは走る。後先考えずに全力で突っ走るのが俺たちだ。

 

 

 

「オーケー。だがここからは単に大逃げしたからといってペースを崩すウマ娘は減るはずだ。GⅢまでとは文字通りレベルが一つ上がる。油断はするなよ」

「任せて!!」

「オグリも同じだ。今度の菊花賞、ダービーの時より厳しくなると思ってほしい。ライバルの中には長距離に適性を持ったウマ娘がいる。前回と同じようにはいかないぞ」

「もちろん。分かっているさ」

 

 

 闘志は宿っていれども油断の色はなかった。今のオグリに勝利の余韻はなく、最後のレースに向けて本気で打ち込むことしか頭にない。元々持っている資質に加えて、成長したということなのだろう。

 

 本当に、この夏合宿で二人は見違えるほど強くなった。他のウマ娘も強くなったのだろうが、それを軽く上回る。迷わず一直線に俺を信じてついてきてくれたおかげだった。

 

 

「よし。今日話したかったことは、ここまでだ。最後になるが……今日で合宿で予定していたメニューは全部終わりになる。本当によくついてきてくれたな」

「うん! ターボは毎日限界ギリギリで走れて楽しかったぞっ。オグリもそうだよね!?」

「楽しかったよ。ずっと力がついた。あとは美味しい料理と温泉に入れたのが特によかった」

 

 

 その言葉に思わず苦笑いしてしまう。マジでGⅠに勝っていてくれててよかった。そうじゃなかったらトレセン学園から経費が出なかったので俺が食費破産していたかもしれないな。

 

 しかし、そうなっていないおかげで余裕があった。二人が勝ってくれたおかげで夏のボーナスも出て懐に余裕がある。

 

 

「夏合宿を乗り切った二人に、ちょっとしたご褒美を用意してある」

「ご褒美ってなに!?」

 

 

 ご褒美という単語に、ピクンと二人のウマ耳が同時に反応して、期待するように輝く上目遣いで俺を見上げた。ポケットから6枚のチケットを取り出して、ちらちらと振ってみせる。

 

 

「メジロ家のホテルで開催しているスイーツバイキングのチケットを手に入れてきた。向こうのチームの分も合わせて、ここに六人分ある」

「おお、甘いものだねとれーなー!」

「ただの甘味じゃないぞ。有名和菓子職人やパティシエがオーダーでどんなお菓子でも作ってくれるそうだ。和菓子から洋菓子まで、なんでも食べ放題だ」

「食べ放題……っ!?!? たくさん食べてもいいのか!?」

「いいぞ。特にオグリは温泉に連れて行ってやれなかったからな。思う存分楽しんでほしい」

 

 

 ターボは予想通り小さく喜んで、オグリは目を大きく見開いて口元から欲求のよだれが流れた。さらに一秒後には「合宿に来てよかった……!」と感極まったように涙ぐむ。え、そこまでなの? 合宿で一番喜んでいる姿を見て、ちょっと複雑な気持ちになった。

 

 

 そして約束通り。最終日に全員でメジロホテルのスイーツバイキングに出向いた。

 

 宣言通りオグリが会場のスイーツを富士山盛りにして、全員分を一瞬で食べ尽くすかと思ったが……なんとどれだけ腹に入れても在庫が尽きることはなく、全員でしっかりお腹を満たすことができた。これだけ食べてもバイキング出禁にならないなんて、さすがはメジロ家だ。

 

 最終日の最後の羽目を外したパーティに満足しながら、長い夏合宿を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とうとう8月が終わり、GⅠ・秋の天皇賞まで残り二ヶ月を切った。

 

 中央トレセン学園、真昼のトレーナー室。俺は届けられた一通の封筒と向き合い、睨めっこしたまま封を開けられないままでいた。申請したGⅡオールカマーの出走表がついにきてしまったのだ。

 

 

「GⅡ、ターボの出るGⅡレースかあ……ちゃんと名前あるよな……?」

 

 

 この厚さの書類が届いたということは、出走は確定だ。未勝利ウマ娘がGⅡ出走なんて奇跡にも等しい出来事だ。しかし俺がためらっているのは別な理由があった。

 

 それは、この書類がターボの未来を決めるかもしれないということだ。ターボやオグリの前では胸を張っているが、一番怯えているのは俺だ。『最強』を目指すターボはどんな相手でも蹴散らしていかなければならないが、厄介な敵と当たるのは最後だけのほうがいい。矛盾するようだが、夢と現実はいつだって相反するものなのだ。

 

 

「ええい、ままよっ!!」

 

 

 どうか希望のあるレースになりますように。願いながら意を決して勢いよく封を開けて、出走表を取り出して確認する。ドキドキしながら目を通して視線を滑らせて……紙をテーブルに置いて、椅子の背もたれに身を預けて天を仰いだ。

 

 

「……マジかよ」

 

 

 それしか言葉が出てこない。深くため息をついて出走表を見直した。できれば一生会いたくない相手(・・・・・・・・・・)とターボがぶつかることが確定してしまった。

 

 俺はどうするべきか迷った。

 

 しかし来てしまった以上は逃げられない。こんな形で来るとは思わなかったけれど、どうせいつか戦わなければならない相手だ。 だが、どうしても苦しい想いがあふれる。出走表の紙を強く握り過ぎて、端にシワが寄る。

 

 

「ここでターボを負けさせるわけにはいかない。絶対に……!!」

 

 

 いずれにしても伝えなければならないだろう。相手が誰であったとしても、ターボと一緒に倒していかなければならないのだ。決意した俺はその日、トレーナー室にやってきたターボに全てを話すことにした。

 

 

 ツインターボは、いつものように元気よく部屋に飛び込んできた。

 

 俺が全てを伝えた。対戦相手を知ったターボの顔から笑顔が消えて、表情が抜け落ちていく。

 

 

 

 

 その十数日後、波乱のオールカマーが幕を開けた。

 

 九月半ばの時期は中距離以上のGⅠレースが開催されていない。そしてオールカマーは他レースに比べて制約が少ないことから、腕試しに多くの有名ウマ娘が挑んでくる。最近の実際身近なところでは、昨年度の勝者がイクノディクタスで、ターボが入寮している美浦寮・寮長のヒシアマゾンもタイトル保持者だ。

 

 今日、ツインターボはGⅠの扉をこじ開けるための前哨戦としてこのレースに挑む。しかし、その雲行きは非常に怪しいものとなった。出走当日は、どんよりした雲に覆われた暗い空模様だった。

 

 雨の予報はないため、寒すぎも暑すぎもしないこの気温はウマ娘にとっては最高の天気とも言える。大逃げという博打を打つターボにとって、このバ場の状態を喜ぶところだが、そんなことに気を回している余裕は俺たちにはなかった。

 

 

「今日のターボは様子がおかしいと思うのだが、大丈夫か……?」

「……ああ、大丈夫だよ」

「トレーナーもなんだか怖い顔をしているみたいだが」

「ここで勝てばGⅠだからな。緊張しているのさ」

 

 

 車で会場に向かう道中でオグリが耳打ちしてくる。ターボの変化は誰が見てもおかしいと思えるくらいに顕著だった。移動中も後部座席でだんまり。唇をぎゅっと結んで黙り込んでいる。俺もうまく隠しているつもりだったのだが、表情には出てしまっていたようだ。

 

 今感じているのは大舞台へのプレッシャーではない。モヤモヤとした感情を抱えていた。そしてそれはターボも同じこと。普段なら「勝つのはターボだ!」などと言いながら不敵に胸を張るところだが、今日ばかりはそういうわけにはいかなかった。考えているのは今日の対戦相手のことだろう。様子がおかしいことも、その理由も知っていても、俺は何もアドバイスをすることができなかった。

 

 駐車場に車を止めて三人で会場のほうに足を運んだ。いつものようにスタッフ用の入り口に入ろうとすると、外で待機していたファンの何人かが俺たちを差して声をあげた。

 

 

「……なあ。あそこにいるのってオグリキャップじゃないか?」

「すげえ、今年の本命ウマ娘。本物だ……!」

 

 

 気付いてふと我にかえる。入り口で待っていたファンたちの視線は完全に俺たち三人に向いている……うわめっちゃ押し寄せて来たっ!?

 

 

「トレーナー。みんなこっちに来るぞ」

「う、うおおおっ!?」

 

 

 オグリに指摘された時には遅かった。あっという間に俺たちは囲まれて、身動きが取れなくなってしまった。俺とターボは横の力で押しつぶされて、ファンたちはオグリキャップに向かって口々に応援と握手を求めた。

 

 

「オグリキャップさん!! あの、わたし応援してますっ!!」

「クラシック三冠絶対に取ってください!!」

「ああ、みんなありがとう」

 

 

 オグリは焦らずに普段と変わらない微笑みを浮かべながらファンに対応してくれた。……すっかり忘れてた。一緒に行動する時は注意しなきゃいけないとたづなさんからも言われていたのに。

 

 

「あ、あの! トレーナーです!! ファンの皆さん、この後のレースの準備があるので通してください!!」

 

 

 津波のように押し寄せた人をかきわけた俺は、叫んで道を開けてもらおうとした。すると幸いにもスッと人が別れて目の前に道ができた。すごいな、マナーが行き届いているぞ。

 

 何人かは諦めずに手を伸ばそうとしてきたが、オグリが「また今度、応援してくれると嬉しい」とファンサービスを終えて腕を降ろしたため、諦めたようだった。その中でターボの手を引いて進み、オグリも後ろについてきてくれる。関係者用エリアに入る道中、ファンたちの雑談の声が聞こえてきた。

 

 

「すげえ〜〜〜っ、生オグリだ。初めて見た〜〜〜!」

「オグリキャップと一緒にいるウマ娘、誰だ?」

「あれだろ。あのトレーナーが担当してるウマ娘がもう一人いるって、この前の月間トゥインクルで載ってたぞ」

「オグリの出走予定はないから、そっちのウマ娘が走るんだろ」

 

 

 ピクリと、自分のことを話していると勘づいたターボのウマ耳が揺れる。しかしファンは名前が思い出せないと唸るばかりだ。

 

 

「なんか早そうな名前だったよな。えっと……ダブルジェットだっけ?」

「違う、ダブルターボだよ。オグリのトレーナーさん、3年目の未勝利ウマ娘を担当してるって私レース雑誌で見たわ」

「違う、デュアルロケットだ。ネットの掲示板で見た」

 

 

 うーん、知名度はまだまだか。俺は声こそ出さなかったものの思わず唸った。GⅢに勝ったとはいえ、やはり世間が注目するのはGⅠウマ娘という現状は変わらないか。

 

 三人で会場の関係者エリアの準備用の部屋に入る。するとすぐにターボは不満げに頬を膨らませた。あー、やっぱり聞こえてたか。

 

 

「むぅ……ターボ。名前間違えられてた!」

「ダブルジェットに、デュアルロケット……なかなかな間違え方をされていたな」

「やだやだ! みんなちゃんとターボのこと覚えてよーーっ!!」

「全然知られてないよりは、認知はしてもらえてたんだからいいじゃないか」

「でもターボはツインターボだもんっ!! まちがえるなー!!」

「まあまあ。今日のレースが終わったら、間違えられることがないくらい有名になるさ」

 

 

 俺はそう言ってなだめだ。今日の結果がどうあれ、ツインターボというウマ娘が有名になることは確定しているのだ。なぜなら前回はGⅢで多くはいなかったメディアが、今回はレース自体の注目度や出走バの関係で非常に多く集まっている。まずインタビューを受けるのは確定だろう。

 

 今日の出走バでターボは注目株だ。時のウマ娘・オグリキャップのトレーナーの担当ウマ娘という話が、前回の七夕賞以降に広く出回った。すでにさっき、オグリと一緒にいる姿をカメラマンが撮影していた。故に勝てば雑誌の片隅ではなく大面に写真が載せてもらえるだろう。

 

 

(本当なら緊張するところなんだが、逆に緊張をほぐすいい機会になったな)

 

 

 今の俺とターボにはありがたいイベントだった。名前を間違えて覚えられていたのは少しいただけないが、朝から浮かべていた憂鬱な表情がマシになった。頬を膨らませて怒っているターボはいつも通りだ。

 

 

「よし。早くきたおかげで、まだ少し余裕がある。今日走るレースを振り返っておこう」

 

 

 鞄からタブレットを取り出した俺は、不機嫌そうにするターボの前で作戦会議を始めた……といっても取れる作戦は大逃げだけなので、それほど意味はない。しかし今回はそうする意味が大いにある。

 

 

「まずバ場の状態や天気だが、想像以上に良い。ターボ自身の調子はどうだ?」

「……わかんない」

 

 

 俺の問いに対して首を横に振った。ううむ……微妙なラインだな。身体や脚の調子は悪くないのだが。やはり課題になるのはメンタル面ということか。

 

 

「気にしているのは今日戦うウマ娘のことだな」

「うん」

「ターボが心配している通り、意識するべき相手は三人いる。まずは大物からいこう。確実に迫ってくるうちの一人が──この子だ」

「『漆黒のステイヤー』ライスシャワー。三強の一人か」

 

 

 タブレットに表示した資料を見たオグリが読み上げ、俺は「ああ」と頷いた。ターボはごくりと唾を飲んだ。彼女こそ今回のオールカマーにおける一番人気。現役最強『三強』の一角を守るステイヤーウマ娘(長距離走者)

だ。

 

 

「ライスはマックイーンと同じ四年目のウマ娘で、現役最多のGⅠホルダー。あのマックイーンから天皇賞の盾を奪ったこともある強豪だ」

「ついにターボが『最強』と戦うんだね……!!」

「ああ。『三強』が出るからといって作戦は変えない。終盤で末脚を使って迫ってくるタイプだが、幸いオグリと並走しているおかげで慣れている。ペースを崩さずに、最後まで思いっきり逃げれば勝てるはずだ」

 

 

 奇襲が通用するかどうかは不明だが、厳しく見積もったとしても勝算はある。ツインターボは一本の武器だけを磨き上げてきたウマ娘だ。懐に入られれば脆いが、貫けばどのウマ娘よりも強力な槍のようなもの。たとえ相手がライスシャワーであったとしても通用すると自信を持って言える。

 

 やはりこれはGⅠの前哨戦。『三強』相手でも自分を乱さずに走れるか、それが試される。

 

 

「次に意識すべきなのはイクノディクタスだ。一緒にトレーニングしてきたから、実力はよく知っているな」

「うん。中距離の模擬レースではほとんど勝てなかったぞ……」

「確かにまだ模擬レースで負け越しているのは事実だ。でもターボは本番に強いタイプだから心配しなくていい」

 

 

 ちょっと悔しそうに涙目になったターボの頭を撫でる。

 

 夏合宿では何度か四人で模擬レースをやったのだが、マイル走では勝てているものの、中距離では三人に勝つことができていなかった。原因は9割がたスタミナ切れによる失速だ。

 

 とはいえスタミナ切れさえなければ、イクノディクタスにも勝ちうる。今まで本番で数々の奇跡を起こしてきたターボなら今回もやってくれると俺は信じた。

 

 

「……問題は、最後の一人。この(・・)ウマ娘だ」

 

 

 俺はタブレットを操作して、そのウマ娘に関する情報を表示してみせる。ライスシャワーやイクノディクタスのような『誰もが知る強敵』ではない。全く別の意味で警戒しているウマ娘だ。

 

 

「初めて見るウマ娘だ」

「ああ。成績だけでいえば、いまあげた二人ほどの強敵とは言えない」

 

 

 事情を理解していないオグリは首をかしげた。

 先んじた二人に比べて際立った成績ではなく、ターボのような特異なレースをするわけでもない。先の二人に比べればパッとしないため、その反応は当然だ。最初からその相手を意識していたターボは表情とウマ尻尾をこわばらせている。

 

 

例のトレーナー(・・・・・・・)の、今の担当の子だ」

「そういうわけか……」

 

 

 オグリも合点がいったのだろう、けわしい表情を浮かべる。そう、ツインターボの夢と未来を奪い去った因縁の相手──未勝利戦前に全ての契約を打ち切って去って行った元担当トレーナーの担当ウマ娘。それが彼女だ。

 

 彼女とは因縁がある。写真には黒鹿毛で、目つきの鋭いウマ娘がうつっているが、おそらくはターボを切った代わりにスカウトしたのがこの子だ。

 

 

「この子もターボと同じくGⅢのタイトルを二つ持っている。優秀なウマ娘だ。そして出走表に『ツインターボ』の名前が出た以上、間違いなく相手もこちらを認知しているだろう」

「……とれーなー」

「ウマ娘同士で顔を合わせたことはないんだったな?」

 

 

 ターボは頷いた。前のトレーナーは、ターボと自ら新しくスカウトした子を引き合わせたことはなかったらしいためウマ娘同士に因縁はない。だからターボが顔を見たことがあるのは、トレーナーのみだ。

 

 

「勝負はする。だが一人きりの時に前のトレーナーに会わないように、今回は俺が常についていよう……気の利いたことができなくてすまないな」

「ううん。ターボなら大丈夫だぞっ」

 

 

 ターボは無理をしながらもにいっと笑った。

 

 問題が解決していない今、彼女はまだトレーナーを続けているらしい。相手のトレーナーを糾弾する証拠はターボの証言しかなく、なかなか進展がないのだ。トレーナーとして不安を全て取り除いてやれないことへの力不足を痛感した。

 

 とにかく肝心なのは、今回は厄介な敵が三人いるということだ。

 

 強敵。ライバル。因縁の相手。いずれも倒していかなければ道は開けない……そして、これで伝えられることは全て伝え終えた。

 

 

「ともかく一緒にパドックに行こう。オグリは俺抜きで一人でいて騒ぎになるとまずい。レースまでに呼びにくるから、ここで待っていてくれ」

「分かった。ターボ、頑張ってきてくれ」

 

 

 パドックへと連れていくため、ゼッケンをつけたターボを連れて俺は控室を出る。建物は色褪せたベージュ色の関係者用通路だ。俺たちのちょうど目の前を一組のウマ娘とトレーナーが通り過ぎていく。

 

 

「────っ」

 

 

 俺は息を詰まらせた。部屋を出て1秒も経たずに心が乱された。それはターボも同じで、オッドアイが大きく見開かれる。

 

 目の前を通り過ぎたのはリボンで黒鹿毛を二つに結ったウマ娘と、シャープな型のメガネをかけたスーツ姿の女性だった。何度も写真を見ていたので、彼女こそがターボの元トレーナーだとすぐにわかった。

 

 よく考えてみればこの時間は、オールカマーの対戦相手がパドックに向かう時間だ。それなのにばったり出会う可能性を考えていなかったのだろう。

 

 動揺していると対戦相手である二人もまたこちらに気付いて足を止め、元トレーナーはあからさまに顔をしかめた。ツインターボに視線を向けて心底呆れたように、見下しながら言った。

 

 

「誰かと思えば……はぁ。なぜあなたのようなものがここにいるのですか」

 

 

 言われたターボは喉を詰まらせ、泣きそうな顔をして怯えた。握りしめた拳は怖がるように震えていている。しかし同時に尖った歯を剥き出しにしながら、敵意を示している。

 

 

「今日のレースに出走するからですよ、ターボの元トレーナー」

 

 

 そんな担当ウマ娘を庇うように俺が前に出る。こうして真正面から話すのはこれが初めてだったが、まず眼差しの冷たさが深く印象づいた。

 

 スーツとメガネで外見はしっかりと整っていて出来るOLという風だ。しかし目線から感じる熱量のなさが極めて不気味だ。特に彼女がターボを見下ろしている間には敵意すら混ざっている。それは同じトレセン学園に属するウマ娘に対して、大人のトレーナーが向ける視線ではない。

 

 

「出走表で名前を見た時は冗談かと思っていましたが。未勝利バが一体どんな手を使ったのですか」

「どんな手も何も、順当に勝ってきただけですよ。俺たちは」

「あの程度の実力で? オグリキャップのおこぼれにあずかっただけでしょう」

 

 

 今も追求を逃れてのうのうと職務を続けている元トレーナーは疑念半分、小馬鹿にする感情半分という表情で俺とターボを見比べる。

 

 

(分かっちゃいたけど、なんてトレーナーだ)

 

 

 わかっていたとはいえ、正直かなりショックだ。

 

 敵意を向けてくる理由は、切り捨てたウマ娘をトゥインクルシリーズに戻した(トレーナー)の存在が面白くなかったためだろう。俺は強く睨み返したが、ターボはすっかり萎縮してしまっている。

 

 そしてこの場にはもう一人。険悪な雰囲気を感じ取ったのか、向こうのトレーナーのそばにいる黒鹿毛のウマ娘は怪訝な表情を浮かべて俺たちを見る。

 

 

「トレーナー、誰なのこいつ?」

「あなたが気にする価値はありません。未勝利戦に最後の方まで勝てなかったウマ娘です」

「ふーん……?」

 

 

 怪訝そうにしたものの、特に深く聞いたりはしなかった。ターボのことは教えていないようだが……警戒は必要だ。なにせ相手は書類を偽造して契約を解除してくるような相手。担当の子を使って何をしてくるか分かったものじゃない。だがスーツの元トレーナーはさっさと踵をかえした。

 

 

「時間は無駄にできません。行きますよ」

「……なんか睨んできてるけど、いいの?」

「気にする価値はありません。所詮は運と、他のウマ娘の名声で生き残った最低のウマ娘です」

 

 

 スーツの女性トレーナーは短く吐き捨てた。

 

 構うべきじゃない。分かっているのに怒りが破裂した。

 

 

「最低のウマ娘? 担当のトレーニングもろくにせずに本番も適当な指示ばかり。さんざん担当を貶めたあんたが、言うに事欠いて最低のウマ娘だと……!?」

「こちらの指示に従わず暴走を繰り返したのです。誰が見ても当然の裁定でしょう」

 

 

 元トレーナーはまるで虫を見るような目で鬱陶しそうにこちらを見ている。俺の怒り声に対して、我関せずという態度で冷たくかえしてくる。

 

 

「ふざけるなっ!! あんたのせいでターボがどんな思いをしたと思ってるんだ!! あんたを信じてたんだぞ!!」

「未勝利戦で一勝もあげられなかったウマ娘の感情など知ったことではありません」

「ろくに面倒も見なかったくせに。契約を一方的に打ち切って知らん顔か。それで教育者を名乗っているあんたは、最低のトレーナーだな」

「そうですか。二冠(・・)ウマ娘のトレーナーであるあなたが憶測で感情論を振りかざしますか……少々ご自分の立場を自覚されてはどうですか。場合によっては名誉毀損で訴えますが、いかがいたしますか」

 

 

 言い返したい。だが引き下がるほかにない。

 

 二冠というあたりに相当な嫌味が籠っていた。今のは、このまま責めるならタダでは済まさないぞという警告だ。俺は黙り込むしかなくなった。下手に問題を起こせばターボとオグリの未来を閉ざしてしまうかもしれない。

 

 だが俺の代わりに今度はターボが前に出て、言った。

 

 

「とれーなー、ターボに嘘ついたんだよね」

 

 

 さっきまで怯え切った表情で俺の後ろにいたのに、目元には大粒の涙が溜まっている。前に出たターボを見下ろす元トレーナーの視線は冷ややかだ。

 

 

「何のことですか」

「勝たせてくれるって言ったのに、ぜんぶ嘘だったんでしょ」

「努力をしなかったからでしょう」

「したぞっ! ぜんぜんターボを見てくれなかったのに、なんでターボのこと分かるの……っ!?」

「結果が全てだからです。努力せず才能もないウマ娘は勝てない。弱いウマ娘に構っている時間はありません」

「だからターボのこと騙したの!? ターボ、とれーなーと(・・・・・・)頑張りたかったのに。勝つために一生懸命走ったのに……!! なんでとれーなーやめちゃったの!?」

「勝てないあなたは不要だった、それだけのことです。あなたのようなウマ娘は、私には必要なかった。二度と視界に姿を現さないでください」

 

 

 冷たく言い切り、呆然と立ち尽くすターボから視線を外した。腕時計を見て話を打ち切るかの如く背を向けた。

 

 

「さて。あなたのような有象無象のウマ娘に構っている暇はありません。随分無駄な時間を使いました……行きますよ。ライスシャワーの調子を確認しなくては」

「……はい、トレーナー」

 

 

 元トレーナーは去っていく。恐らく事情を知らないであろう現担当の黒鹿毛ウマ娘はターボを怪訝そうに見ていたが、気にしないことに決めたのだろう。従順に言うことを聞いてそっぽを向いた。

 

 

「今日のレースっ。勝つのは、ツインターボだ……っ!!」

 

 

 握りしめた拳を震わせていたターボが、彼女たちを見据えながら大声で叫んだ。しかし負け犬の遠吠えとでも思っているのか、僅かに振り返ったときに嘲笑するような感情が垣間見えた。そのまま立ち去っていく。廊下から背中が見えなくなるまでターボはその場から動かなかった。

 

 レース前になんてことになったんだ。失敗したと歯噛みしていると、ターボは静かに言った。

 

 

「とれーなー、勝つから」

 

 

 明るく暴走気味な普段のターボは、どこにもいなかった。

 

 普段はおどけた幼い色違いの瞳には執念が宿っていた。必ず勝つという鋼鉄のような意志があった。今までに見たことがない、まるで別な人格が宿ったみたいなぞっとするような表情だ。

 

 

「誰にも追い付かせない。ターボがぶっちぎって、勝つ」

 

 

 その意思が良い結果に繋がるのか、最悪の結末を招いてしまうのか。俺にも全く分からない。しかしこの決意がオールカマーに嵐を起こすと確信した。

 

 俺は結局、一人で舞台に登ったターボを、ただ見送ることしかできなかった。

 

 

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