【完結】ツインターボは諦めない   作:クロ

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第4話 ターボエンジン

 

 ナイスネイチャと最初の邂逅からさらに二週間以上が過ぎた。

 

 あれから可能な限り復帰方法を考え、さまざまな資料を調べ上げて、元通り全力で走れるようになるトレーニングに全てを賭けていた。 レース本番まで残り二日間。ほとんどつきっきりでターボと一緒に残り時間を過ごしていた。

 

 

「とれーなー、もうすぐだね」

「ああ」

 

 

 夜のトレーニング後。自分の席でデータを整理していた俺は顔をあげずに返事をする。俺たちの間に流れる空気は重い。この一ヶ月はこれ以上ないほど濃くて意味のある時間だったけれども、『全力で走る』という課題は、いまだに達成できていなかったからだ。

 

 このままぶつかれば今までの未勝利戦の二の舞になる。本来の走りが戻らないとレースに勝てない。それが分かっているからこそ暗い気持ちになる。しかし俺は仕事の手を止めて席を立ち、ウマ耳に触れないようにターボの頭を撫でた。

 

 

「そんな顔しなくても大丈夫だ、一緒にトレーニングを頑張ってきただろう」

「でもこのままじゃ負けちゃうよ」

「めいっぱい頑張ってきたんだ、必ず何とかしてやる。今日は明日の調整に備えて休むんだ」

 

 

 最初は驚いたようにびくっと青緑色の耳が立ったが、すぐにぺたんと垂れた。時計はすでに午後六時を過ぎている。いくら焦っているからといって門限破りをさせるわけにはいかない。

 

 

「明日もミーティングだから今日は早く寝るんだぞ」

「わかった……とれーなー、ターボ、明日もちゃんと早起きして来るから待っててね!」

「ああ。俺も締め作業をしてから帰るよ。お疲れさん」

 

 

 ターボは俺を信用してくれるようになっていた。名残惜しそうにしていたけれど、絶対に言いつけを守るという気合を見せつつトレーナー室を出ていった。足音が遠ざかっていく。俺は静寂が戻った部屋で息を整え、デスクに戻って腰を下ろす。

 

 

「くそっ……!! もう時間がないッ……!」

 

 

 頭を深く抱えながら絶望した。ターボの前で見せた余裕は虚勢だ。勝たなければいけないというのに、俺はいまだ何の成果も出せずにいた。

 

 方法が思いつかない。素人に思いつくはずがない。テーブルの上にはウマ娘の心理学や論文、医者に問い合わせた結果のレポートが散乱していた。藁にもすがる思いで専門外の分野にも手を出したが、どれもツインターボの現状を打ち破れるものではなかった。

 

 つまるところ、こうした問題への対処法は『長い時間がかかる』の一点張りだった。無茶をさせずに少しずつ自分に向き合って治していくしかないという。その理屈は理解できる。しかし……

 

 

「今勝てないと、あいつの夢は終わるんだよッ!!」

 

 

 気持ちが昂るあまり、思わず机に拳を打ち付けた。現実は明後日の未勝利戦で勝てなければ終わってしまう。悠長なことは言っていられない。専門家でもだめなら、どうすりゃいいんだと両手で顔を抑えた。

 

 

「っ……だめだな。休憩しよう」

 

 

 まず冷静になろうと息を整える。苛立って備品に当たるなんてトレーナー失格だ。こんな姿をターボに見せるわけにはいかない。ふと横を見るとテレビが勝手についていた。衝撃で備え付けのリモコンが床に落ちてしまったらしい。椅子の背もたれに体重を預けて、電源が点いたテレビを眺める。

 

 

『凄まじい走りを見せる先頭・サイレンススズカ! その後ろにピタリとスペシャルウィークがつけるッ! この大一番で因縁の対決だッッ!』

 

 

 テレビから流れてくるのは実況解説と観客の盛大な声援。未勝利戦が行われるのと同じ、中山レース場で行われた過去のGⅠレースの映像だ。同じ逃げウマのGⅠウマ娘が出走しているので、何かの参考になるかもしれないとターボと一緒に見ていたものだ。

 

 

『とれーなー! ターボね、こんなふうに走りたいんだ……!!』

 

 

 一緒にレースを見ていたときのツインターボはそんなことを言っていた。スズカといえば、GⅠウマ娘の中でもトップクラスだ。あんな風に走ることができればさぞ気持ちがいいだろう。

 

 

「俺がもっと優秀だったら、ターボを気持ちよく走らせてやれたのかな」

 

 

 改めてトレーナーとして何もしてやれない無力感を抱えた。いけない、せっかく気持ちをリセットしようと思ったところだったのに。首を横に振ってリモコンを拾ってテレビの電源を消そうとした。

 

 

『ターボはいつも、誰よりも楽しそうに笑っていました』

 

 

 思い出して不意に手が止まる。

 

 頭をよぎったのはナイスネイチャの言葉だった。入学してすぐにツインターボと友達になっていた彼女は、学園で一番ターボのことを知っている存在だ。わがままで子供っぽくて、たとえ一着になれなくてもレースそのものを誰よりも楽しそうに走っていたと評していた。

 

 そういえばレース映像を見ていたときはすごく楽しそうだった。

 

 実際に走る時はすごく苦しそうにする。

 

 つまり……走ることは大好きなのに、辛い経験ばかりを積み重ねてしまったのだ。好きでもないやり方で走らされて変わってしまった。それに気づいた瞬間、天啓が舞い降りてくる。慌てて時計を確認すると午後六時を過ぎたばかりだ。

 

 

「よしっ、この時間なら飛ばせばまだ間に合う……!」

 

 

 作戦を思いついた。

 

 これは単なる思いつき。正真正銘最後の悪あがきだ。しかし他にやれることが何一つ思いつかない以上、やってみる価値は十分にある。俺は急いでツインターボにまつわる必要な資料を鞄に突っ込んでトレーナー室を飛び出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の早朝、約束通りの時間にターボはトレーナー室を訪れた。

 

 まだ太陽が顔を見せ始めたばかりの時間帯で、案の定相当眠かったのだろう。赤ジャージ姿のまま眠そうに目尻を擦っていた。しかし部屋で待っていた俺の姿を見てきょとんとした顔を見せた。

 

 

「とれーなー……出かけるの?」

「ああ、そのつもりだ」

 

 

 俺は普段のTシャツ姿ではなく外行きの黒ジャケットを着ている。さらに机には荷物を積み上げていて、外出準備ばっちりだ。しかしそんな予定は一言も伝えていなかったので戸惑っていた。

 

 

「じゃあターボ、今日は一人でトレーニングするの……?」

「そんなわけあるか。一緒に連れていくぞ」

「え。でも、トレーニングしなきゃ。明日が本番のレースだぞっ」

 

 

 こんな時に予定外のことをさせれば不安を感じさせる。そんなことは分かっている。それでもやらなくちゃならないのだ。不安がっているターボの前にかがんで、視線をしっかりと合わせた。

 

 

「ターボが勝つためのとっておきのトレーニングを考えたんだ。そのための外出だ」

「とっておき……え、なにそれかっこいい!!」

「ついでに秘密兵器も用意してある。レースに勝つための特別な道具だ」」

「ひみつへーきっ!?!?」

 

 

 不安から一転、興奮気味に腕をブンブンを振ってテンション爆上げ。俺は机の上から球体状の道具を投げ渡す。「わわっ」と、ターボは慌ててそれを両手で受け止めた。しばらく手でいじり回して受け取ったものが何なのかを確認し、やがて頭の上にピコンと電球光らせる。

 

 

「頭にかぶるやつ!!」

「ヘルメットだ。昨日ターボのサイズに合うやつを買ってきたんだ」

「すごいすごい! ちょーかっこいいじゃん!!」

 

 

 ウマ耳の箇所だけ突起のある、ウマ娘用のフルフェイスのヘルメットだ。さらに机の上に重ねている他の品は手袋やプロテクターなどの防護具セットだ。

 

 それをつけて着いてきてくれと指示をした。トレセン指定のジャージの上から防護具を装備させるのを手伝い、ヘルメットだけは抱えさせて駐車場に連れ出す。日曜日ゆえに道中は誰とも出会わなかった。ほとんど車の止まっていない駐車場には真っ黒なバイクが鎮座していた。

 

 

「これに乗って出かけるぞ」

「え、マジで!? これとれーなーの!?」

「なかなか格好いいだろう」

 

 

 その胴体部分に手を置いて俺のだと示すと、ターボはあんぐり口を開けた。

 

 俺の趣味はほぼレースウマ娘関係に集約されている。そしてこれもその一環だ。つながりがないように思えるが、実は走ることが生きがいなウマ娘にとって、バイクというのは全盛期以上の速度で風を感じられる乗り物であり、ヒトにとってもウマ娘の速度を感じられる道具である。だから俺も免許を取り、乗ってみることにしたのだ。

 

 そしてターボの反応は顕著だった。『ツインターボ』というエンジンにまつわる名前を持つだけあって、目の前のバイクに大興奮。ウズウズと両手を携えながら今までで一番のテンション爆上げで尋ねてくる。

 

 

「とれーなー、触っていい!?」

「別にいいけど、これから乗るんだぞ」

「えっ、ターボも乗っていいのか!? ……ありゃ。でも免許もってないぞ?」

「運転はダメだけど、後ろに乗るだけなら大丈夫。車の助手席に乗るのと同じさ」

 

 

 ターボは興奮しながら楽しそうに座席やフレームの部分に触れていたけれど、ふと何かに気付いたように固まって、青緑色のウマ耳をしゅんとしおれさせた。明日がレースだと思いだし、抱えている不安が戻ってきたのだ。

 

 

「気が乗らないか?」

「そ、そんなことないぞっ」

「大丈夫だ。遊びに行くんじゃない。これに乗ることも含めて勝たせるための作戦なんだ」

 

 

 俺は言い切った。昨日思いついたばかりの突発的な作戦だったけれど、堂々としていないと成功するものもうまくいかなくなってしまう。不安がないわけではないが自分を信じてやりきるしかない。

 

 

「ターボ、ちゃんと勝てる?」

「ああ、勝たせてやる。大切な時間を俺にもらえるか」

「……わかった! とれーなー、ターボも一緒に行く!」

 

 

 ターボは俺を信じてくれた。

 

 力強く頷いてくれたとき、じんと胸が熱くなった。ターボにとって今日は貴重な一日だ。しかし信じて預けてくれた。必ずやり遂げなければならないという使命感とプレッシャーが心にのしかかる。こうして俺は虚勢を張って最後の賭けに出た。

 

 初心者のターボにヘルメットを被せて乗り方を教えた。まずは軽く練習がてら、俺が先に座ってからターボを後ろに座らせる。慣れないヘルメットの圧迫感が苦しいのか、ターボは頭を締め付けるものを鬱陶しそうに手で位置を直し続けていた。

 

 

「乗り方はこんな感じだ。両足で車体を挟んで、手でしっかり腰を掴むんだ。絶対に離すなよ」

「うん……っ」

 

 

 体を俺の背中にピッタリとくっつけて、俺にすがりつくような格好になる。安定したのを確認してからエンジンをかけるとターボの手が僅かにこわばった。様子を見ながら左足を動かしてギアをニュートラルから1速に変更、アクセルを回す。

 

 

「走った。走ったよ、とれーなー!?」

 

 

 そりゃあ走る。エンジン音が高まると、掴まれた腰周りがウマ娘パワーで強く締まった。ターボはグルグル目を回しながらあからさまに動揺している。ミラーで背後の様子を確かめながら、早朝で誰もいない駐車場を10キロに満たない速度で軽く走ってみた。

 

 すると徐々に慣れてきたのだろう。楽しくなってきたようで、声色にも余裕が出てきた。

 

 

「わ、すっごい! ターボ、座ってるだけなのに動いてるぞーー!!」

 

 

 ターボにとっては体を動かさずに風を感じながら走るのは初めての経験だったらしく、とても楽しそうだ。慣れてしまえばこちらのものだ。しかし今のは慣らし、まだまだこんなものじゃないぞ。

 

 いったん脇にバイクを止めて、バイザーを上げてターボに聞く。

 

 

「それじゃあ出発するぞ。準備はいいか?」

「うんっ!」

 

 

 すぐに慣れたターボは余裕ありげに頷いた。さあ、ここから作戦開始だ。

 

 アクセルを回して駐車場から、慎重にトレセン学園の外の市内に出る。早朝を狙ったおかげで交通量もほとんどない。道中ですっかり慣れ切ったターボは大喜びで叫びまくっていた。

 

 

「すごいぞー! ぶっとばせーーっ!」 

 

 

 背中で子どもらしくはしゃいでいるのを感じながら笑みを浮かべる。今のターボからレース前に顔を出す苦々しい表情や苦しげな雰囲気はない。これならば作戦が成功する可能性は大だが……念のために赤信号で停車している最中に振り返って尋ねてみる。

 

 

「ターボ。こうやって走るのは楽しいか」

「うん! バイクのことすっごく気に入ったぞ! これがあればどこまでも行けるね!」

 

 

 片腕をぶんぶん振って一生懸命に感情を伝えてくれた。信号が青に変わる前にクラッチを握りながら軽くアクセルをふかす。ミラー越しに視線を合わせた俺はニヤリと笑って見せた。

 

 

「楽しいのはこれからだぞ。前を見てろよ。エンジン全開でいくぞ!」

「わかった! とれーなーいけっ、エンジンぜんかぁいーーっ!!」

 

 

 市街地の信号は全て抜けた。俺は姿勢を低めてアクセルを回して加速する。俺とツインターボを乗せたバイクは山中に続く道路を駆け抜けた。

 

 

(そのまま見てろ。最高の瞬間を見せてやる……!)

 

 

 早朝。前の道には誰もいない。いつの間にか風切り音とエンジン音だけが響いている。

 

 視界にある全てのものが、街にいたときよりも速い速度で背後に流れる。街にはなかった冷たい空気がジャケットの内側に滑り込んでくる。緑の風が全身に当たるのがたまらなく心地がいい。

 

 俺は腰を掴んだターボの手に触れて、片手の指先で道の先を示した。促されるままにターボは前を見て、小さく声を溢した。

 

 

 山の木々、道路標識、真っ白なガードレール。

 運良く天気は日本晴れ。夏の柔らかな雲が山向こうから伸び上がっている。

 地面が流れて、正面からの冷風が吹き付ける。

 

 それは、まだ越えられていないスピードの向こう側の世界。

 

 今のツインターボに見せたかった景色が広がっていた。一年間も無理な走り方を強要され続けて、忘れさせられてしまった快感。しかし消えてなくなったわけじゃない。この景色を求めてウマ娘は走るのだ。スピードの世界がツインターボを前に進ませてくれるはずだと信じた。

 

 

(思い出してくれ。走ることは楽しいことなんだ。そうだろう、ツインターボ……?)

 

 

 声もなく、ただ現実をもって問いかける。

 

 誰よりも速く走る時に感じる風、目の前に広がるのは開けた視界。トレセンを出てからはしゃいでいるだけだったターボは、魅入られたように車道の先を追いかけている。

 

 どこまでも続く道の上で、俺たちはウマ娘がレースで駆け抜ける速度で走り続ける。

 

 

 

 そうやって走っているうちに、バイクは終点のダム湖に到着した。

 

 速度をゆるめてパーキングエリアに入る。二人分の重量があるので丁寧に停車してエンジンを切り、ヘルメットのバイザーを上げて周囲を見回す。すでに多くのバイク乗りのヒトとウマ娘がいて、仲良さげに談笑している。

 

 早朝に出てきたはずだが、人気スポットなだけあって一番乗りというわけにはいかなかったようだ。振り返ってターボの様子を確かめた。

 

 

「着いたぞ。降りられそうか?」

「うん」

 

 

 ターボは出がけとは正反対で、借りてきた猫のように大人しくなっていた。 バイクスタンドを立てて先に降りて、身長の低いターボが降りる手助けをする。手を引いて見晴台のようになっている場所に移動する。

 

 美しい湖と山々が見えている。東京では決して見ることのできない四方八方が山と森に囲まれた、自然の世界。どこもかしこも水面と森の匂いで満たされている。その中でターボは夢見心地のぼうっとした表情のまま動かなかった。

 

 ひょっとして疲れさせてしまっただろうかと不安になったが、よく観察すると青白いウマ尻尾がせわしなくブンブン動いていることに気づいた……これはどっちだ。今までに一度も見たことがない反応で、それがいい兆候なのか判断がつかなかった。

 

 

「ここ、すっごくきれいだ」

 

 

 ターボはぽつりと言った。どうやら、楽しんでくれてはいるらしい。

 

 

「俺が学生の時に見つけたお気に入りの場所でな。いつかトレセンに入って担当ウマ娘ができたら連れてきてみたいと思ってたんだ」

「じゃあターボがはじめて?」

「そうだな。ちょっとそのあたりを歩いてみるか」

 

 

 余計な防護具一式はバイクの荷物入れにしまって、あたりを散歩してみることにした。遊歩道のように道が湖面に沿って続いている。太陽も出発した時より高く昇っていて、山の冷たい風がツインターボの長髪を穏やかに揺らした。そしてふと何かを思いだしたように顔をあげる。

 

 

「とれーなー。さっき走ってるときウマ娘とすれ違わなかった?」

「ん、そうだな。このあたりは景色がいいから専用レーンが敷かれていて、ウマ娘でも走れるようになっているんだ」

 

 

 コース以外でウマ娘が走れる場所といえばウマ娘専用レーンだ。歩道とは別に用意されており、東京の街中でもよく見かける。山奥の自然の中で走ることができるここは、ウマ娘にとっては隠れ名所のランニングスポットなのだ。

 

 

「とれーなー、ターボも走りたい……!!」

 

 

 うずうずと訴えてくるターボの言葉に俺は一瞬固まった。

 

 遅れて嬉しさが込み上げてくる。この一ヶ月間でずっと聞きたかった言葉だ。ターボはずっと走ることを望んでいたけれど、こんなにも純粋な気持ちで『走りたい』と言われたのは初めてだ。この機会を逃してなるものか。間髪入れずに頷いた。

 

 

「そうだな。今日のトレーニングはこの湖のコースを走ってもらおうと思う」

「やったぁーっ!!」

「ただ普通のレーンだと他のウマ娘とか車を気遣って走らなきゃいけない。向こうに練習用のコースがあるから使わせてもらおう」

 

 

 ターボが見たのは一般のレーンだ。しかし法的な速度制限があるし、他のウマ娘が走っている。坂も多く、落ち葉やコンクリートの凹凸などで道の状態も最良とはいえない。誰のことも気にせずに全力を出すには不向きだ。

 

 ターボの手を引いて広場になっている道のほとりを二人で進む。そうして二分ほど歩いたところに、小さなレース場が見えてきた。長円形のコースには合成ゴムが敷かれている。トレセン学園のコースに比べれば見劣りするが、誰でも申請なく使用することができるウマ娘専用の練習場だ。

 

 

「すっごい! ほんとに湖のそばにレース場があった!!」

「やっぱりこの時間なら誰も走ってないか。使い放題だな」

 

 

 やっぱり早朝に出てきたのは正解だったな。

 

 これが俺の作戦。スピードを楽しんでもらった後に、自分の足で走る楽しさを思いだしてもらうことでトラウマを克服させる。心から走ることを楽しめばきっと全力を出せるはずだと考えた。他のウマ娘が来ない間は、この場を独占させてもらうことにしよう。

 

 

「特に指示はしない。せっかくいい場所に来たんだから好きなように走っていいぞ。俺はここで見てるからな」

「うん! いってくる!!」

 

 

 ターボは意気揚々とコースの中に入っていった。その表情は今までと明らかに違う。この一ヶ月、走る直前になると息苦しそうに身構えていたのに、走りたくてうずうずしているといった雰囲気だ。俺は祈るような気持ちで見守った。

 

 

「大丈夫だ。ターボなら、きっとやれるはずだ」

 

 

 作戦はうまくいっている──そう感じながらも、内心は心臓バクバクだ。

 

 これで走ってみてやっぱり全力が出せなかった、となると本当に打つ手がない。何よりターボを落ち込ませてしまうのが目に見えている。俺はツインターボというウマ娘を復活させることができるのか。これが俺にできる精一杯で最後の手段だ。

 

 祈るような気持ちで見守っている反面、走る準備を終えたターボは呼吸を整えた。精神統一するかの如く目を瞑っている。そしてターボは思い切り地面を蹴った。弾き出されるようなスタートだ。そして俺は思わず身を乗り出した。

 

 

「きた、きたっ……!! ターボ……!」

 

 

 走っているターボに笑顔が浮かんでいた。リミッターは外れた。 合成ゴムのコースを走るターボは、誰が見ても『逃げ』を打つウマの走りそのものだ。

 

 ターボ自身も最初は気づいていない様子だったが、途中で自分でも速く走れていることに気づいたらしい。笑顔から、さらにぱあっと嬉しそうな満面の笑顔にグレードアップ。何も阻むものがなくなったツインターボはにっと歯を見せて、どんどん加速していった。

 

 

「ターボエンジンッ、ぜんかいだぁーーーっ!!」 

 

 

 その走りに使命感や必死さはない。出会った夜に見た逃げ足よりもずっと速くて、キラキラと輝いている。ツインテールを背後になびかせてひたすらに前へ進んでいく。小さな体からは純粋に楽しいから走っているという気持ちが伝わってくる。

 

 

「やったな、ツインターボ」

 

 

 心が震えて涙が出そうだ。ストップウォッチを手に持っていたのに、タイムを測ることも忘れてターボの走りに見入った。コースのそばにいた通行人も足を止めてターボを見ている。人を惹きつける走りだ。

 

 やっぱりこの娘は、間違いなく最高のウマ娘になる。

 

 ギリギリになってしまったが、俺はようやくトレーナーとしての使命を果たすことができたのだと実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園に戻る頃には、すっかり日も落ちて夕方になってしまった。

 

 駐車場に帰ってきた俺はエンジンを止める。今日が初めてのターボだが、慣れた様子で自分からバイクを降りてヘルメットを外した。青水色のツインテールが背中に伸びて、しまいこまれていたウマ耳が窮屈そうに揺れる。そして深く息をついた。

 

 

「ほへぇ。ううっ、楽しいけどちょっと苦手だぞ。耳が変な感じだぁ」

「すまない。明日は大切なレースなのに疲れさせてしまったな」

「んー。ちょっぴりだけしか疲れてないぞ! ぜんぜん元気だしへーきだもん!!」

 

 

 自分のヘルメットを大事そうに抱えながらターボは歯を見せて笑う。

 

 思えば今日の作戦は本当に賭けだった。なにせ長距離移動は疲れのもとになる。レースに響いてしまうことも十分にありうるが、とはいえそれを上回るほどの成果を手にすることができた。勝ちの芽が得られたのだから万々歳。何より嬉しいのは、切羽詰まった空気がなくなったことだった。

 

 帰り支度を整えるためにトレーナー室に向かう道中、ターボはブンブンと腕を降りながら明るい声でひたすらに感動を伝えてきた。

 

 

「とれーなーのとっておき作戦楽しかった! ターボの本気、どうだった! すごかったでしょ!!」

「ちゃんと見たよ。それ聞くの、今日でもう何度目だ?」

「えへへ。やっととれーなーに、ターボの走りを見せれたのが嬉しいんだもん」

「そうだな。一ヶ月ずっと頑張った、偉いぞ」

 

 

 頭を撫でるとターボは嬉しそうに頭を差し出してきた。これで明日のレースも希望を持って挑むことができる。そうやって校庭を歩いている途中。三女神像の噴水の前でターボが不意に立ち止まる。

 

 

「とれーなーに聞きたかったことがあるんだけどさ」

「ん?」

 

 

 振り向くと、くりっとしたオッドアイを俺に向けていた。んー、と少し考える仕草のあとで尋ねてくる。

 

 

「ターボのとれーなーになってくれたときさ、夢を叶えたいって言ってたよね」

「言ったなあ」

「ターボが勝つと叶えられるの?」

「ああ。俺の夢は、最高のウマ娘を育てることだからな」

「……最高のウマ娘??」

 

 

 ターボは頭の上に「?」のマークを浮かべて首をかしげた。まあ、そりゃそうなるか。面接のときにたづなさんにも突っ込まれたことだし。自分でも相当曖昧な夢だと思う。

 

 

「最強とは違うのか?」

「んー、ほら。ターボもウマ娘のレースは見たことがあるだろう」

「たくさん見たぞ! とれーなーとも一緒に見たし、授業でもたくさん見たっ!!」

「俺はレースには見る人に夢を与える力があるって信じてる。だからレースを通してファンに夢や希望を与えられるようなウマ娘を育てたい。それが俺の考えている最高のウマ娘で、やりたいことだ」

「ふふ。それならターボはすっごくキラキラするだろうな! 最強になるから!!」

 

 

 ターボは胸を張り、ドヤ顔をした。自分がGⅠの表彰を受けてウィニングライブの舞台に立っているところを想像しているような表情だ。まだ勝っていないしトラウマを打ち破ったばかりなのに、すごい自信である。

 

 

「そうだな。ターボが最強になってくれたら、それは最高のウマ娘になったってことでもある」

「そっか……! ターボが勝ったらとれーなーも嬉しいんだね!!」

「勝って格好いい姿を見せてくれるか?」

「もちろん! 勝ちたいから、ターボが勝つもん!!」

 

 

 俺は、ツインターボは誰かに夢を与えられるウマ娘になれると思っている。

 

 ターボは成功が約束されているエリートウマ娘のような秀でた秀才ではない。しかし泥臭くても這い上がるのをやめない、その素質こそ俺が惹かれた部分であり、最高の舞台で勝たせてやりたいと心から思った要因でもある。

 

 この一ヶ月間は俺に自信を取り戻させてくれたうえ、トレーナーとしても大きな自信を持たせてくれた。だから明日のレースに勝って、グレードの高いレースにも勝って最強のウマ娘に押し上げる。今の俺がやりたいことはそれだけだ。俺は全てを賭してターボに勝利をもたらしたいと思っていた。

 

 

「うーん、やっぱり最強はやめたぞ!」

「……え?」

 

 

 やる気をたぎらせた矢先、ターボは前触れなく唐突に自分の夢を諦めた。

 

 俺はあっけにとられて固まったが、しかしむしろツインターボはギザギザの歯を見せながらにいっと悪戯っぽく笑ってみせてくる。口角を大きく吊り上げながら親指で自分自身を差した。

 

 

「ターボの最強と、とれーなーの最高を合わせて……最強で最高のウマ娘になるっ!!」

 

 

 あっけなく自分の夢を捨てたかと思ったがそうではない。つまりそれは俺の夢も背負って走ってくれると、そういうことだろうか。

 

 

「え、えっと。最高のウマ娘っていうのは俺が勝手に言ってるだけだぞ……?」

「いいの! ターボがとれーなーの夢を叶えるって決めたの!! とれーなーとターボで一緒に勝つんだもん!!」

 

 

 普段おとなしいターボにしては珍しく駄々を捏ねるように叫んだ。

 

 俺が勝手に夢を賭けているだけだったのに、知ったターボは一緒に夢を叶えようとしてくれている。たとえ向かう道の先が同じであったとしても他人の夢を背負うなんてできることではない。無理しなくてもいいんだぞ……と言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 

「勝とう、二人で」

 

 

 噴水の前で立ち止まったターボをしっかりと見つめる。

 

 もともと担当ウマ娘の夢と人生を背負う覚悟を持ってトレーナーを引き受けた。ここからはそれ以上の覚悟が必要になる。最強で最高のウマ娘。いいさ、やってやろうじゃないか。負けられないという気持ちが胸の中から溢れんばかりに湧き上がってくる。

 

 

「明日のレースも、その次のレースも。いつか走るGⅠも……一緒に勝とう」

「とーぜん! ターボぶっちぎるからさ。これから一緒に勝とうね、とれーなーっ!」

「ああ。勝って、最強で最高のウマ娘になろう」

 

 

 この一ヶ月間、漠然と胸にあった不安や焦る気持ちは、この時にはすっかりさっぱりなくなった。タイムリミット直前で通じ合った俺たちはまったく同じように、ニッと不敵な笑顔を浮かべあうのだった。

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