【完結】ツインターボは諦めない   作:クロ

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第38話 無敗の帝王

 

 

午前4時。真夜中のトレセン学園でツインターボは立ちすくんだ。ランニングで汗をかいた肌が、冬の空気にあてられて、氷のように冷えていく。だが構わずに呆然と前だけを見つめている。そこには鹿毛のウマ娘がいた。彼女はターボの不自然に口を半開きにして時間が止まったような反応を見せたことに首をかしげた。

 

 

「あれ、生きてるよね? なんで固まっちゃったのさ」

「あ……あー……あーーーーー!! おまえ、思い出したっ!」

「……って、まさか忘れてたの!? この有名なボクの顔を!!!」

「温泉で話したウマ娘だ!!」

「しかも出てくるのがそっち!? 合ってるけどさ!!」

 

 

なんで知らないのさーとショックを受ける鹿毛ウマ娘、出鼻をくじかれて肩を落とす。まあ確かに間違っているわけではないのだが複雑だ。

 

二人は初対面ではない。初めて言葉を交わしたのは夏合宿の時。山奥のリハビリステーション兼温浴療養所で、回復訓練を受けている最中に突撃してきたのが始まりだ。あの時、ターボはトレーナーに連れられてプチ旅行中で、一方の彼女は回復訓練中だった。

 

しかし、その対面はともかくとして鹿毛ウマ娘は自分が有名な自覚があった。だからさぞ驚かれるだろうと期待していたのだ。それなのに、まさか相手が自分のことを覚えていないとは思わなかった。自分が意識していた相手がこんな調子では、そりゃ肩も落とす。

 

 

「あー、こういうの久しぶりかも。調子狂うな〜もう……きみほんとにトレセンのウマ娘? ていうか約束通り重賞勝ったんじゃないの? なら見たことあるでしょ、ボクのことくらい」

 

「んー……あっ! そういえば脚治ったんだな。包帯取れてるじゃん!」

 

「えー……まあどうでもいっか。ていうか、こんな道端で雑談してたら寒いし、あのへんでちょっと休憩しない?」

 

 

彼女は近くに置いてある自販機を指差して言った。そういえば……すごく寒い。足を止めてしまったために、体に底冷えする冷気が襲いかかってきてツインターボは凍えた。鼻水をすすりあげ、両腕で体を抱えながら後を追いかける。トレーニングも大切だけれど、久しぶりに話はしたかったのだ。

 

鹿毛のウマ娘は自販機から手早く二本の飲み物を購入し、そのうち一本を震えているターボに投げ渡してきた。両手で慌ててキャッチして掴むととても暖かくて、ポカポカする。買ったことがない『はちみー』と書かれたドリンクだった。

 

 

「今日は冷えるよね。それでちょっとは温まるでしょ」

 

「あったかい……」

 

 

隣り合ってベンチに座る。ふと空を見ると夜が明けていた。闇に包まれていた空に僅かに赤みが差していて、手元の缶とは別に体が温まった気がした。口をつけたターボは、ほっと息をついた。慣れ親しんだにんじん味ではないが、これも落ち着く味だ。

 

 

「思ったより早い再会になったね、ツインターボ。キミ、宣言通りに頑張ってるじゃん」

 

「おお! おまえ、ターボのことちゃんと見てたんだな!」

 

「そりゃあね。ライスやマックイーンを倒してGⅠに勝つとは思わなかったけど……っていうか、あんなハチャメチャなレースでよく勝てたよね。ボクのトレーナーもびっくりしてたよ」

 

「勝つぞ。だってターボが、さいきょーのウマ娘だからな!」

 

 

ターボはハチャメチャな走り方をしている自覚をあまり(・・・)持っていない。一応、新聞やテレビにも口を揃えて同じようなことを言われるので、そういう風に言われていることは知っているけれど。でもこれこそが正解なのだ。だってトレーナーやみんなと作り上げてきた走り方だから。何よりも、これ一本を武器に勝ってきたから。

 

 

「ま、この前のジャパンカップはラッキーだっただけだけどねっ。次は無理じゃないかな〜?」

 

「なにーーっ!!? 次もターボが勝つぞ、勝って三冠とるもん!!」

 

「無理だね。強豪はいなかったし、海外の有名なウマ娘も出てなかったし……それで結構ギリギリだったでしょ。けど次のレースには、このボクがいる」

 

 

鹿毛のウマ娘は好戦的に微笑み、ベンチに座ったまま隣のターボを真っ直ぐに見つめた。思いもよらなかった返しにターボは目を丸くする。次のレースは有マ記念。しかしその情報と、温泉地で偶然出会ったウマ娘という情報が噛み合わない。

 

しかしターボはトレーナーとの会話を思い出した。戦うかもしれないウマ娘のことはしっかり教わっていた。有マ記念、ウマ娘。ライバル。対戦相手。記憶と照らし合わせるうちに、パズルのピースを合わせるようにひらめく。点と線が繋がった。目の前のウマ娘に感じていた既視感にようやく思い至って、ビックリして大声で叫んだ。

 

 

「あーーーーっ!!!!! おまえ、トウカイテイオー!!!!」

 

「今気付いたの!!? 遅すぎだよもうっ!!」

 

 

前髪に白流星の入った鹿毛のウマ娘──トウカイテイオーは、ターボの反応に憤慨した。知っていないとおかしいとは思ってたけど、やっぱり知っているじゃないかと。素で忘れられるような経験は初めてだったので、テイオー側も思わず素で叫んでしまった。

 

 

「温泉の時もちょっと思ってたけどさ! 同期のくせにボクのことを知らないなんてひどいじゃん!!」

 

「う……もしかして怒らせちゃったか……?」

 

「え。いや別に怒ってはいないけど。あー、調子狂うなあもうっ。知っててもいいんじゃないのって思ったの。それだけっ!!」

 

 

どう見ても怒っているので、さすがに申し訳なさと肩身の狭さを感じた。

 

 

「ボクはキミのこと、よく知ってるよ。選抜レースで一人で怪我してたでしょ。あの時のこと結構印象に残ってるんだよね。ああいうの見るのは初めてだったからさ」

 

「あれなー、すごく痛かったぞ。そういえばおんなじだな!!」

 

「骨折ね。これのおかげで一年も走れなくてえらい目に遭ったよ」

 

 

この二人。同じような怪我を負ってえらい目に遭っていた。相対的にターボのほうが軽傷ではあるが、その後の境遇の悲惨さはテイオーに理解を示されるほど。何の憂いもなく過去の話だと笑うターボを見て「えー……」と、納得のいかなそうな顔をした。

 

 

「けど治ってよかったな!」

 

「そうだね。これでようやくキミとレースで勝負できる」

 

 

ターボは純粋に嬉しそうに笑っていたのだが、一方でテイオーの眼差しは真剣だ。蒼く静かな瞳の中に強い闘争心が宿っている。それははっきりと自分に向いていると気づいた瞬間、尻尾にビリリと痺れが走る。緊張で体がこわばった。

 

この感覚をツインターボは知っている。秋の天皇賞、初めてGⅠの舞台に立った時にも感じたレース前特有の威圧感。朝日の登り始めたばかりのなんてことのない時間。本番並みの緊張感に包まれていた。トウカイテイオーは、ツインターボを真っ直ぐに見つめていた。

 

 

「トレーナーから聞いたよ。キミ、最強のウマ娘を目指してるんだってね」

 

「う、うん……」

 

「凄いウマ娘だって認めるよ。キミは確かにマックイーンやライスに真っ向から勝ったから。それでも最強にはなれない。なぜなら次の相手はこのトウカイテイオーだからね」

 

 

無敗の三冠ウマ娘・トウカイテイオー。歴史に名前を刻んだ偉大なレジェンドウマ娘・シンボリルドルフの再来と呼ばれた最強格。それに気付いたターボの表情もまた変わる。自らの魂を賭けて、血反吐を吐くような想いで手をかけた称号。そこに至るための最後の壁こそが目の前のウマ娘なのだと認識したから。

 

 

「このボクが、キミよりも強いって証明する。この勝負受けるよね?」

 

「うん。でも勝つのはツインターボだ! おまえを倒して三冠ウマ娘になるっ!!」

 

「なら今度は忘れないように覚えておいてよね。有マ記念でキミを倒す、無敵の帝王の名前を。もう一度言うよ。ボクの名前はトウカイテイオーだ」

 

 

それはレース前の宣戦布告。二人の視線から鋭い稲妻が走る。まるで出走直前の如く闘争心をぶつけ合い、互いに一歩も引くことはない。ツインターボは険しい表情を浮かべて、一方のテイオーも真剣だ。倒すべき敵は他にも大勢いる。だが二人にとって、目の前の相手は倒さなければならない理由のある(ライバル)だ。

 

 

「これで借りも返したし、ボクは行くよ」

 

「ほへっ」

 

 

数秒後。緊張感のある空気が途切れる。先にテイオーが雰囲気を切ったためだ。肌寒い早朝に似つかわしい穏やかな空気が戻ってくる。同じように踏ん張っていたターボも肩の力が抜けた。立ち上がったテイオーは数歩歩いたのちに振り返り、ターボの手元──ドリンクを指先で示した。ついでに今度は、じっと念押しするような目線も加えて。

 

 

「あとこれは勝負とは別に。ちゃんとお店のほうのはちみーも飲むこと。さっきの顔、全然飲んだことない味って顔してた。どうせ行ってないんでしょ」

 

「え……あ。うん、行ってないぞ……」

 

「やっぱり。冬もトレセンの前でお店やってるからさ。ボクのおすすめは固め濃いめ多め。これは宿題ね」

 

 

テイオーはそれだけ言い残して、ジョギングしながら去っていった。まだ早朝なので他のウマ娘の気配は感じられない。はちみードリンクを手に一人取り残されたターボは震えていた。

 

 

「トウカイテイオーか。うーん、トウカイテイオー……トウカイテイオーっ!! そうだったんだな、あれがターボが戦うウマ娘っ……!!」

 

 

後から込み上げてきた。興奮のあまり体に力がこもる。口元は嬉しそうに開いている。

 

一足先に三冠ウマ娘となったライバルのオグリキャップ。今まで一度も勝てていない親友のナイスネイチャ。無敗の三冠ウマ娘、『三強』最後のトウカイテイオー。他にもメジロマックイーンやライスシャワー、イクノディクタス、マチカネタンホイザ。勝ちたいと思っていたウマ娘が全員出走する。『最高で最強のウマ娘』に至るための舞台が整っていた。だからツインターボは嬉しかった。

 

 

勝負して真っ向から打ち勝つのだ。ツインターボは誰にも負けない。そう信じられる連なりがある。溜めてきた力と歴史がある。有マ記念を目前に、新たな覚悟がツインターボを奮い立たせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人用トレーニングルームで、トレーナーはオグリキャップの指導をおこなっていた。

 

トレセン学園には最高峰のウマ娘を育成するために最新の機器が揃えられている鏡貼りの専用部屋がある。その中でも優秀な成績を残したウマ娘やトレーナーには、更なる特権として、個室を使うことが許される。あまりこういう場所を使うことはないのだが、今回は特別だ。

 

というのも菊花賞の後の触診で脚に違和感を感じたため、今は普段よりも厳密にチェックするようにしていたのだが、まあトレーナーがウマ娘の足を触るというのは見た目が良くない。ついでにオグリが今年度で有名になりすぎて、絶対に他のウマ娘の目がある。人目を気にしなくてよくなる場所があるのは、ありがたいことだった。

 

 

「……うん。よし、問題なしだ。前と違う感じはしないか?」

 

「ああ、問題ないと思う」

 

 

そしてオグリの足から手を離す。少し前に感じた違和感は無くなっていた。オグリキャップ自身も頷いた。完全に安心できるというわけではないけれども、ひとまず問題ないと呼べる状態まで持ち直したと思える範囲だ。

 

 

「トレーナー……どうだろう?」

 

「有マ記念の出走もこの状態なら許可できるよ」

 

「そうか、よかった」

 

 

そう言うとオグリの顔に出ていた不安が消えて胸を抑えた。11月のGⅠレースを逃してしまったのは少し残念だが、本命のレースには間に合った。

 

 

「俺も安心したよ。三冠が終わっても、オグリキャップというレースウマ娘はこれから始まるんだ。せっかく大勢に応援してもらえるようになったのに、せっかくのファンにも申し訳ないしな」

 

 

申し訳ないと口にしたが、実際にはちょっと怖かった。というのも菊花賞が終わった時点で、オグリ出走見送りの可能性を世間に発表したのだが……まあものすごい反響だったのだ。何せクラシック三冠ウマ娘の怪我だ。マイルCSやジャパンカップ、有マ記念が直前に控えているタイミングということもあって、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 

知り合いのトレーナーや、さらにたづなさんからも状況確認の連絡が来たのは記憶に新しい。ウマ娘の脚は実は繊細な器官だ。いくらオグリが強靭な身体の持ち主といえども病に抗えるわけではない。だから大丈夫とは誰も断言できなかった。何事もなかったのはいちファンとしても喜ばしいことだった。

 

 

「トレーナー、口元がニヤついていないか?」

 

「当たり前だろう。トレーナーにとっても有マ記念は憧れなんだ。担当二人とも送り出せるよりも嬉しいことはない。ターボも大喜びだったし。オグリだってそうだろう?」

 

「ああ、必ず出たいと思っていたレースだ」

 

 

有マ記念はウマ娘・トレーナーともに憧れる最高のレースだが、特に去年。カサマツトレセン学園でクリスマスを楽しみながら『来年はこのレースに出られるようになろう!!』なんて話をしていたのだ。

 

例えるなら子供が宇宙飛行士になりたいと願った夢が叶ったようなものであり、しかも出走枠にギリギリ滑り込んだ……なんてものではなく。二人揃って人気投票上位と予想されているのだ。まだ確定はしていないが、おそらく揺らがないだろう。

 

 

 

「トレーナーとしてこんなことを言うのも何だが、二人がここまで凄いウマ娘に育ってくれるとはな……」

 

「そうか? 私はイメージ通りだ。大勢の人を幸せにできる凄いウマ娘になるのが、私の夢だから。最高の舞台で一番になる。そのために有マ記念は必要だ」

 

「そうだな。ここで一番になったウマ娘こそ最高のウマ娘だと思う。お前の目標で、ターボの目標でもある」

 

 

そう言うと、オグリのウマ耳が敏感に震えて、そして気まずい顔になってしまう。

 

 

「……初めて本番での勝負だな」

 

「ああ。だが勝者は一人しかいない」

 

 

一着枠は一つしかない。当然だ。そして今回のレースは中京盃とは成長度合いも、レース条件もファンの注目度も、何もかもが違う。中央でも通用するほどに成長を遂げたうえでの激突になる。身命を賭して王冠を奪い合うことになる。

 

 

「俺はトレーナーとしてできる限りのことをする。ゲートが開く瞬間までは絶対平等だ。三女神に誓う。それでもレースの結果だけは違う。俺はツインターボのトレーナーだから」

 

 

二人に差を付けることはありえない。責任があり、期待もしている。二人に勝ってほしいという気持ちは本物だ。だが唯一、オグリキャップに与えてやれないものがある。心の底から信じられる存在は、一人しかいないということ。

 

レースの勝敗を左右するのは才能、努力、運の三つだと、あるレジェンドウマ娘は言った。しかしウマ娘からそれらを引き出すのは、かけがえのない存在だと俺は思う。俺にとってそれはツインターボであり、ツインターボも俺を信じている。だから俺たちは勝ってきた。夢を叶えて引退するまで、この根幹が揺らぐことはありえない。

 

 

「分かっているさ。そういう約束だからな」

 

「ああ。だが言葉にして伝えるだけだと、きっと平等にはならない……そうだな。ちょうどいい時間だから少し待っていてくれるか」

 

「どこか行くのか?」

 

「ちょっとな。少し休憩していてくれ」

 

 

まさに今がちょうど良いタイミングだと思った。オグリに軽く声をかけてから個室を出る。オグリは、首にタオルをかけたジャージ姿のままで、一瞬きょとんとした表情を浮かべてその場に残された。

 

それから数十分後に俺が戻ってくる。オグリは律儀に同じ体勢のまま部屋にポツンと座って待っていたが、部屋に入る前から何かを察知していたらしい。すでに半ば立ち上がって、驚いた。

 

 

「トレーナー!!?」

 

 

俺が人を連れて戻ってきたとき、それが『誰』なのかも分かっていたようだった。俺はトレーナー。そして、隣に連れてきたのもトレーナーであった。オグリの視線は間違いなく隣に向いていた。

 

ウマ娘には並外れた聴覚がある。ターボが俺の足音を聞き分けられるように、きっとオグリもそれで察したのだろう。だがたまげるのも無理はない。俺が連れてきたのは俺より少し年下の大人。トレードマークの野球帽はかぶっておらず、フレッシュなスーツを着ていた。ついでに入館許可カードを胸のホルダーに下げている。

 

 

「久しぶりだな。調子を崩したって聞いてたが大丈夫か、うおおっ!?」

 

 

俺ではなく彼。カサマツでオグリキャップを支えた、本来の(・・・)トレーナーの登場だ。そしてオグリの動きは早かった。復活した脚を存分に生かして飛びかかり、肩を両手で掴んでぐんぐんと揺さぶったのだ。GⅠウマ娘のパワーで振り回されたオグリトレーナーはたまらず目を回した。

 

 

「どうしてここに!? ひょっとしてトレーナーは中央のトレーナーになれたのか!!」

 

「い、いや。まだ。うぐ、今日はそのための面接だった……!!」

 

「あ、す、すまない。つい興奮してしまった」

 

 

口から魂が抜けそうになっているのを見て、ようやく慌てて手放した。一般人なら失神ものだが、彼もトレーナー業を務める者。元よりオグリキャップを担当していただけあって、一つ咳払いして元通り。彼が苦手とするのは財布に直接影響のある暴食のみで、この程度なんてことはないのだ。

 

 

「脚なら大丈夫だ。今はこの通り」

 

「それは何よりだ。久しぶりに間近でお前を見たんだが、逞しくなったな。まだ一年経ってないのに三冠ウマ娘になったんだなあ……」

 

「うん。頑張った」

 

 

オグリはジャージをめくって脚を見せて、オグリトレーナーも真剣な眼差しで見違えた担当の姿を見ている。三冠達成を頑張ったの一言で済ませるのも、それで納得するのも二人らしい。彼は皐月賞、ダービー、菊花賞の全て現地応援に来ていたが、関係者でないため二人きりの機会はなかったので、久しぶりの邂逅だった。

 

 

「部屋は午後6時まで取ってある。中央に来る話を聞いていたから、その時間まで許可を取った。ここは誰も来ないからな。部屋の外に出なければ好きにしてもらっていい」

 

「こんな機会を用意してくれるなんて。ありがとうトレーナー……!!」

 

「俺が戻ってくるまで、あとのことを任せたぞ」

 

 

オグリは芦毛のウマ尻尾をブンブン振って、テンションも見たことがないほど爆上げだ。オグリトレーナーは俺に頭を下げたが、こんなのは当然のことだと制して部屋を出た。部屋を出た俺は個室のほうに振り返って胸を撫で下ろす。

 

 

「これで役目は果たせたな」

 

 

有マ記念の前でよかった。

 

俺とツインターボが絆で結ばれているように、オグリキャップが心の底から信じているのは彼だ。俺は最後の支えになってやることはできないが、それでいい。なぜなら彼がオグリキャップを支えるから。

 

この場は彼に任せて、溜まった仕事を消化するために、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして──

 

 

 

最高の舞台に選ばれた16人のウマ娘は、最後のレースに向けて心血を注いでいた。残りの日々を勝利をもぎ取るために時を過ごしていた。シニアもクラシックも関係ない。目指すのはただ一着のみ。

 

 

メジロマックイーンは、復帰したウマ娘(ライバル)との本番での再戦に闘争心を燃やし、ライスシャワーは二度の敗北を心に刻み、ツインターボの二度の敗北に歯噛みしながら汗を飛ばしてランニングマシンで走り続けていた。

 

ナイスネイチャとイクノディクタスは、トレーナーと共に有マ記念の分析に没頭し、次こそは一番を取ると誓った。マチカネタンホイザはトレーニングを兼ねて毎朝トレセン近所の神社に行き、目を瞑って手を合わせて祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえテイオー。ツインターボにお礼、結局言わなかったんだね」

 

 

特別個室のトレーニングルーム、インターバル中。担当ウマ娘のトウカイテイオーがにんじん風味のスポーツドリンクから口を離したのを見計らって、彼女を受け持つ初瀬トレーナーは話しかけた。それに対してテイオーは何を言っているのかとムッとした表情でかえした。

 

 

「言うわけないじゃん。別に、直接助けてもらったわけじゃないんだしさ」

 

「私はすごく感謝してるんだけどな〜」

 

「それは別にいいけどさ。絶対本人には言わないでよね! 本気の勝負に遠慮とかされても困るし。ないと思うけど、そういうのはいらないから!!」

 

「はいはい」

 

 

テイオーは口を尖らせてトレーナーに釘を刺した。来る有マ記念で『最強』の名を冠したトウカイテイオーが特に意識している相手は3人いる。同じクラシック三冠を達成したオグリキャップ。同格のライバルとして意識しているメジロマックイーン。そして、シニア三冠を成し遂げようとしているツインターボ。

 

テイオーがツインターボを強く意識しているのは、他の二人と違う理由があった。ただレースに勝ち進んでいるからではない。自分に匹敵する強さを持っているかもしれないからと、そんな風に思っているからでもない。初瀬トレーナーは担当の想いを理解している。

 

 

「結局、この一年は怪我との戦いになっちゃったか」

 

「ホント、さんざんだったよね。結局目標だった春シニア三冠には一戦も出られなかったし。無敗の三冠を達成したボクが出てたら余裕だったと思うんだけどなー! マックイーンも絶対倒してたし!」

 

「あはは。本当にそうだったらよかったんだけどね」

 

 

テイオーの大胆な発言を聞いた初瀬トレーナーは安心したように微笑む。二人の間に流れている和やかな雰囲気は、半年前からは考えられないものだった。なぜならトウカイテイオーは、現役の真っ只中で、渇望していたレースに一年にも渡って出走できないほどの怪我を負ったからだ。

 

契約を結んでからクラシック三冠の道を進んでいる間は順風満帆だった。だが途中で、雲行きが怪しくなった。トレーナーが怪我の兆候を感じ取ったからだ。

 

ジュニア級のある日、テイオーは怪我を負う夢を見た。骨折して三冠レースに出走できなくなるという、縁起でもない悪夢。テイオーは「ボク、弱気になってるのかな……」程度に捉えていたが、彼女はテイオーから相談を受けた時点で、全力でサポートした。レースの歴史に名前を残すウマ娘は予知夢を見ることがあると知っていたからだ。

 

トウカイテイオーは、無敗の三冠を達成した。夢の通りにはならなかった。だが、菊花賞で一着を取った直後に故障が発生してウィニングライブに出ることなく退場。故障を避けることはできなかった。

 

入院以降はリハビリを続けてきたのだが、それも治りきったと思った時点で故障。何ヶ月もレースを走れない日々が続いた。それはウマ娘として、幼い頃から無敗の三冠ウマ娘(トウカイテイオー)の在り方を定義し、貫いてきた彼女にとって苦しい日々となった。

 

 

「ねえテイオー。今だからできる話、してもいい?」

 

「いいけどなにさ。前にボクを注意した時みたいに、今のテイオーじゃマックイーンには勝てないよー、とか言うつもり?」

 

「本当はこんなこと言っちゃいけないんだけど。私も結構絶望してたんだ」

 

 

自分のトレーナーの口から出たのは予想外の言葉。それ聞いて、テイオーは驚き目を丸くする。それもそのはず。これまで彼女はネガティブな言葉を口にしたことはなかった。春シニア三冠に出走できないと分かった頃、レースウマ娘としての人生を諦めることも視野に入れる必要があると医者に言われた時でさえ、荒れ果てたトウカイテイオーを明るく支え続けてきたというのに。

 

テイオーは感情を隠したことはない。一緒に夢を叶えてくれた彼女を信頼して甘えていた。勝った時の喜びも、どうしようもない現実への諦めの涙も隠したことはない。だが受け止めてくれた彼女の内心を想像したことは一度もなかった。だからトレーナーの本当の心情を聞いた時。テイオーは、胸の奥から湧き上がってくる感情で苦しくなった。

 

 

「トレーナーとして身体を壊すような指示をするわけにはいかない。走るのを止めようって言わなくちゃいけなかった。でもテイオーは私の夢だから諦めたくなかった……その板挟み。こんな気持ちを隠してたんだから、ちゃんと言わなくちゃ。ごめんなさい。今まで無理をさせて、ごめんね」

 

「っ……謝る必要なんてない! だって戻ってこれた!! 次のレース、ボクは全力で走れる!!」

 

 

テイオーは溢れる感情のままに表情を歪めて、立ち上がって声高に主張した。何度も故障した脚をようやく取り戻せたのはトレーナーがいたからだ。謝られる理由なんて一つもない。一緒に諦めない選択をしたのは間違いではなかった。

 

 

「……ありがとね、テイオー。やっぱりあなたは私の最高のウマ娘だ」

 

「当然っ!! それにボクの夢はまだ終わってない。そういうことを言うのはまだ早いんじゃない?」

 

「無敗の三冠ウマ娘の更に先、だね」

 

 

トレーナーの視線を受けてテイオーも真っ直ぐに頷いた。契約した時に交わした約束は、トウカイテイオーの夢を叶えること。即ち無敗のクラシック三冠ウマ娘になること。それは既に果たしてしまった。だから、本当は引退してもよかったはずだったのだ。

 

 

「夢を叶えてみて分かったんだ。ボクが本当になりたかったのは、無敗のクラシック三冠ウマ娘じゃなかった」

 

 

怪我で落ち込んでいた時、テイオーは同期に何度か言われたことがある。『勝ったんだからいいじゃん』と。確かに周りから見ればその通りだ。クラシック三冠だけでもウマ娘の歴史に残る記録。しかもそれを無敗で達成したのだ。これはまごうことなき偉業である。

 

しかし同期に問いかけられた時、テイオーは苦笑いしながらやんわり返しつつも、心の中では絶対に頷くことができなかった。納得して引退してもいいじゃんと考えて、眠れない夜を過ごしたのは一度や二度ではない。

 

夢の始まりは、憧れのウマ娘(シンボリルドルフ)に近づくことだった。しかし、本当になりたいものは違った。だって、それじゃあ、本当に凄いウマ娘になったとはいえない。

 

 

「トレーナーが持ってきてくれた、レースの記録を見て思い出したんだ」

 

 

自身の運命に葛藤し、泣き喚き、憔悴して諦めかけていた。回復訓練さえ放棄して引きこもりかけていたテイオー。しかしある日、なんとなしにトレーナーの持ってきた記録を目にした。それはツインターボの復帰戦。4月に行われたGⅢだった。

 

テイオーも青いウマ娘の存在は薄らと覚えていた。印象に残る見た目だから……ということもあったけれど、選抜レースで大怪我をしていた印象が残っていた。だから思い出せた。そして、未勝利のままローカルシリーズに移籍したとは信じられなかった。画面越しに見たターボの走りはまだ完成していなかったけれど、その走りから目が離せなかった。

 

鮮烈だった。理由は分からなかったが心揺さぶられた。ツインターボが脚を痛めて悶える、今の自分のような姿を目にしていたことがあったから。興味を惹かれてトレーナーのもとに戻った。ツインターボの復活は自分が心の奥で望んでいたもので、何度も心を追われて、無理だと諦めていたものだった。

 

 

「ボクは二度と諦めない」

 

 

諦めたくない。折れかけて心が死んでいたテイオーは泣いた。だが同時に失っていた大切な何かを取り戻した。だから、今のトウカイテイオーは強い。その顔には、かつて以上の輝きが宿っている。

 

 

「ツインターボにも、マックイーンにも、オグリキャップにも負けない。カイチョーも超える。無敗最強の帝王になる。それが今の夢だ」

 

 

挫折を超えたテイオーはブランクを感じさせるどころか、明らかに以前よりも強さを増していた。身体から滲み出る闘志は、今やレジェンドと呼ばれるウマ娘の放つそれと遜色ない。目標は当然勝つこと。自分こそが『皇帝』と呼ばれたウマ娘を超える『帝王』となる。そのためにここにいる。

 

 

「全てのウマ娘を倒して頂点に立って、そのことを証明するよ」

 

「私が支えるよ、テイオー。一緒に勝とう」

 

 

テイオーは一度成った王者だ。追われる者として、再び栄光を守り抜くために全力を費やした。

 

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