【完結】ツインターボは諦めない   作:クロ

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最終話 これからも

 

 

ツインターボとの最初の三年間が終わり、そして新年を迎えた。

 

一年前は殺風景だったトレーナー室にはウィニングライブを飾った雑誌新聞記事が並び、ガラス棚にはGⅠトロフィーが合わせて6つも飾られている。部屋に設置した薄型テレビはアナウンサーと解説者が並んで、ウマ娘たちの今年の動向を伝えていた。日本中を興奮の渦に巻き込んだ有マ記念のレースの熱はいまだ冷めていないらしい。

 

スピーカーから声が流れているはずなのに、自分の机で黙々と手紙を書いているペンの音が妙に耳に響く。まだ冬休み期間ということもあって、外も静まり返っているせいもあるだろう。すると控えめに扉がノックされる音が聞こえた。手を離して顔を上げる。入室を促す。ぺこりと頭を下げながら入ってきたのは、トレセン制服姿のナイスネイチャだ。

 

 

「失礼します。こんにちは、トレーナーさん」

 

「ナイスネイチャ。あー……ターボは今日は休みでいないんだ、すまないな」

 

「それは残念。けど今日はトレーナーさんから言伝を預かって来たんです」

 

 

ターボがいないと聞いて少し残念そうだったが、そちらは本題ではないらしい。用件を伝えるために近づいてこようとしたネイチャだが、違和感を感じてふと足を止め、ビクッと体を震わせた。部屋の片隅で上の空になっているオグリキャップを見つけたのだ。

 

部屋にいたのは俺一人じゃなかった。ぼうっと天井を見上げながら、彫像のように動かない。明らかに普通ではない様子にビビっていた。あまりにも静かだったので気づかなかったらしい。テーブルまで近づいてきて、オグリに聞こえないようにこっそり尋ねてくる。

 

 

「トレーナーさん。どうしたんですかあれ……」

 

「それがだな、この前の有マ記念からあまり調子が良くないんだ。最後の失速が相当悔しかったんだな」

 

「あー……今までターボ以外には負けなしでしたもんね」

 

 

ネイチャは納得したような、そうでもないような。複雑そうな顔を見せた。

 

有マ記念でオグリキャップは六着だった。それまでにオグリキャップに黒星を付けたウマ娘は、公式レースではツインターボしかいない。それもローカル時代の中京盃、不得意な短距離レースでの二着だ。それ以外は全て一着というトウカイテイオー以上の優秀な成績を残している。

 

有マ記念のレース内容は決して悪いものではなかった。しかし。元々オグリは無敗であることにこだわりを持っているわけではなかったが、初めての着外で動揺しないはずがない。もっともネイチャは「むしろ今までが普通じゃなかっただけでは」と言いたげな顔をした。着外なんて日常で、むしろオグリは最善以上を尽くして有マ記念に挑んだからだ。

 

そもそもあのレース、シニア級ウマ娘全員がオグリキャップ対策を仕掛けてくるような、考えうる限り最悪のレース展開だった。普通のウマ娘なら終盤に入る前に脱落するような理不尽の中、耐え抜いて抗った。その根性は、最後に競り比べに加わった時、仕掛け人のマックイーンやライスシャワーも驚き顔を見せていたほど。

 

とはいえ、あの状況ではどうしようもなかった……とは言わない。もっと経験を積ませてやれれば、結果は違ったかもしれないから。その点は俺の落ち度だ。

 

 

 

「フォローは考えているから大丈夫。それよりネイチャ。君はどうだ」

 

「えっアタシですか……?」

 

「有マ記念で三着。すごい結果だったが、浮かない顔をしているように見えたから」

 

「あー……うちのトレーナーさん以外にも言われちゃいますか……」

 

 

問いかけると、ネイチャは少し言葉を詰まらせて目を丸くした後、苦笑いしながら肩をすくめた。他のトレーナーの担当ウマ娘に聞くことではなかったかもしれないが、質問が口をついて出た。案の定、あの結果に思うところはあったようだ。

 

 

「やっとGⅠに勝ててブロンズのジンクスも破れて、壁を越えられたと思ってたところで、また三着やっちゃって。まあ悔しいですよ」

 

「……そうか」

 

「ま、結果には納得してますけどね。今回ばかりは仕方ないっていうか。あの時、トップ争いをしていたテイオーとターボを傍で見ていましたから。そういう勝負だったんですよ」

 

 

ため息をついたネイチャは、それきりバッサリと感情を区切った。悔しさを感じつつも納得して、ウマ娘のレースはそういうものだと結果を飲み込んだようだ。見事なメンタルコントロールだ。

 

もっともナイスネイチャは先頭を争っていた二人と知り合いで、だからこそ今回ばかりは仕方ないと納得したのだろう。ツインターボとトウカイテイオー。二人の全身全霊の戦いは異次元の域だったから。

 

 

 

「それ、何を書いていたんですか?」

 

 

手を止めているとネイチャは首をかしげる。最近は毎日のように格闘している書類の山はテーブルになく、かわりに見慣れない便箋のセットが置かれていたのが目に入ったのだろう。

 

 

 

「手紙を書いてたんだ。ターボのご両親に」

 

「ご両親ですか……色々ありましたもんね。アタシは会ったことないですけど、びっくりしたんじゃないですか。ローカルシリーズに行ったと思ったらシニア三冠なんて取っちゃって」

 

「そうだな。実はあんな無茶な進路を許してくれた礼も、まだちゃんと会って伝えられていなくて。この機会に直接会いに行くべきだと思ってな」

 

「そうですね。ターボにとって良い報告になってよかったです、ホントに」

 

 

ネイチャの表情も明るい色を帯びた。

 

大変なことも多かったが、多くの大人に支えられたおかげで今の成功がある。中でもご両親が今の進路を許してくれたのが大きい。ツインターボの母親はトレセン学園のOBで、理解がある人だった。だから納得いくまで挑戦していいとターボに言い、任せてくれた。

 

もっともその愛娘が中央に復帰し、あろうことか勝負服で有マ記念に勝つなどとは想像もしていなかったようで、テレビを見て卒倒したらしい。まあそうなる。そのあたりも含めて報告しにいくのだ。きっとターボも久々の帰省に大喜びすることだろう。

 

手紙は区切りのいいところまで書き終えてペンを置き、向き直った。

 

 

 

「よし。待たせてすまないな。それでトレーナーからの言伝というのは?」

 

「有マ記念も終わったことですから、また交流会をやりませんか……って。去年と同じような感じですけど、今回はうちだけじゃなくて、もう何チームか参加を希望してまして」

 

「なるほど。そういえば流れでそういう話をしたこともあったけど、実際に話が決まったのかな?」

 

「参加希望トレーナーのリストを預かってきました」

 

 

交流会とはつまり、去年頻繁にやっていた合同トレーニングだ。有マ記念ではライバル同士になったので控えていたが、年明けて心機一転といういいタイミングだ。

 

ネイチャが持って来た紙のリストを見ると、ほとんど知っている名前だった。少し意外だったのはマチカネタンホイザと、そのトレーナーの名前があったことくらいだろうか。

 

 

 

「マチカネタンホイザ……俺はよく知らないけど、君やターボとはいい友達だと聞いているな」

 

「あとはイクノもですね。夏祭りの時に仲良くなってから、学園でもよく話すようになって。なんていうか波長が合うんですよね。いい子なんですよ。オグリ先輩はまだ苦手みたいですけど」

 

「はは……一緒にやれるならうちとしては大歓迎だぞ。ただ、そういうことなら俺の方からも推薦したい人がいるんだ。伝えてもらっていいかな?」

 

「え。トレーナーさんがですか?」

 

 

ネイチャは意外そうな顔をした。交友関係がほぼ無かったおかげで、契約したばかりの時代、ツインターボの模擬レースの相手が見つけられなかったのは苦い思い出だ。顔の広いネイチャトレーナーに比べて、新人だった俺と他のトレーナーに付き合いがほぼないのは周知の事実。当時付き合ってくれたネイチャも、一体誰だろうと疑問に思っているのが伝わってくる。

 

 

「ちょうどこの後部屋に来ることになっているから、少し待っていてもらえるか」

 

 

それはかまいませんけど、と。ネイチャに座って待っていてもらうように伝えた。それから十分もしないうちに再び扉がノックされる。するとソファに座って無言を貫いていたオグリキャップのウマ耳が、不自然にピクリと震えた。

 

 

「失礼します」

 

 

どうぞ、と俺が入室を促してその人物が入ってくる。待っていたナイスネイチャは初対面の大人に礼儀正しく頭を下げた。一方で無反応を貫いていたオグリは仰天し、その場で飛び跳ねるように立ち上がった。その反応にナイスネイチャは「わっ!?」と身を引いた。

 

 

「な、なっ……トレーナー!?」

 

「ああ。久しぶり……ってほどでもないか。この前ぶりだな、オグリ」

 

 

逆さに被った野球帽を外して笑顔でオグリと対面した男性。彼はカサマツトレセン学園で担当を引き受けていた元々のトレーナーだ。

 

しかしなぜここにいるのか。前回、一ヶ月前はライセンス試験で東京に来ていて会うことができた。しかし今日はそういう時期ではない。ならば答えは限られる。オグリは今まで落ち込んでいたのが嘘のように、まるで巨大な芝犬のようにウマ尻尾を振って駆け寄った。そしてトレーナーを勢いのまま床に押し倒した。

 

 

「トレーナー! 本当にトレーナーなのかっっ!!?」

 

「うお!? あ、ああ。本物だが……」

 

「ここにいるということは、ひょっとして、いや。分かったぞ。合格して中央のトレーナーになれたんだな!!」

 

「いや……その。だめだった」

 

「ええっ!? なら落ちたのか!!?」

 

 

トレーナーにウマ乗りになったオグリキャップは大ショックを受けた。有マ記念に負けた時なんて目じゃないほど激しく動揺しているのが分かる。普段の物静かな姿を知っているネイチャは、信じられないものを見たような表情を浮かべていた。感情の乱高下はトレーナーにしか見せない甘えた時だけの姿で、普段はクールな感じだからギャップがすごい。

 

間違った推理をして気まずい空気になる。オグリは捨てられた子犬のように、おそるおそるつぶやくような声量で尋ねた。

 

 

「そ、そうか……それじゃあどうしてここに?」

 

「それなんだが。理事長さんにトレーナー候補生として拾ってもらえたんだ。中央ライセンスの試験には落ちたんだが、総合評価自体は悪くなかったらしくてな」

 

「トレーナー候補……?」

 

「聞いたことがないのも無理ない。最近できた制度らしくてな。中央トレーナーの補佐として近くで一定期間勉強させてもらって、認められればトレーナーになれるらしい。仮免許みたいなものだと説明されたな」

 

「仮免許ということは……やっぱり、これからは中央(ここ)にいてくれるのか!?」

 

「嬉しいことに、そういうことになったぞ」

 

 

喜ぶべきか困っていたオグリの表情が、ぱあっと太陽のように明るくなった。そして二人はギュウと抱き合った。この話を聞かされて知っていた俺は、後方腕組みしたり顔でうんうんと頷いた。

 

要するに彼は中央トレーナーの卵で雇われたということだ。雇用形態は正式なトレーナーとは違うが、しっかりと給料も出る。生活圏はすでにカサマツではなくこちら側だ。

 

 

 

この採用枠はターボの活躍が大きく影響している。というのもターボの元トレーナーが行っていた不正の件が、上層部でかなり問題になったらしい。GⅠを勝てるウマ娘を理不尽に潰すことなど決してあってはならない。それで話し合いとなって、いくつかの対策が打たれることになった。URA所属のマルゼンスキーが、その流れを電話で俺に教えてくれたのだ。

 

ターボが他のウマ娘の何十倍も苦しい思いをすることになったのは、多くの原因があった。元トレーナーの横暴と不正は分かりやすいが、そもそもそうしたウマ娘の声を聞く仕組みがなかったことや、トレーナー不足による機会損失があったことなど。元々燻っていた数々の問題に、本腰を入れて取り組むきっかけになったのだという。

 

 

(すぐに全部が変わるわけじゃないだろうけど、ありがたい話だ)

 

 

ツインターボは中央トレセン学園ほどの組織を動かした。結果こそが全て。そういう意味でターボの残した伝説はこれ以上ないほど分かりやすい。同じような目に遭うウマ娘がいなくなるのは、間違いなく良いことだ。

 

今回のトレーナー候補枠の新設もその一環で、採用基準に至らない『惜しい』トレーナーに対して予算を宛てて人材を育てる一環。彼は合格ラインに達しなかったが、オグリキャップを育成した手腕と意気込みは本物。そんな背景もあって、理事長直々に選ばれたというわけだ。

 

 

「そういうことで、うちが彼を中央トレセン初の候補生として受け入れることになった。しばらくは俺が担当トレーナーなのは変わらないけれど、今後もよろしく」

 

「はい。よろしくお願いします……!!」

 

 

オグリに跨られたままのオグリトレーナーだが、帽子を外してしっかりと挨拶を返してくれた。ナイスネイチャは、普段は感情の分かりづらいオグリが尻尾を振って甘えている様子がやはり信じられないようで、何度も俺に視線を向けてきた。だがあれがオグリキャップだ。ネイチャもいよいよ納得せざるを得なくなって、息をついた。

 

 

「了解しました。オグリ先輩のトレーナーさんの件、ちゃんとトレーナーさんに伝えておきます」

 

「ああ、頼んだ」

 

 

用事を終えたナイスネイチャは、それじゃあ失礼しました、と言い残し去っていこうとした。しかし扉に手をかけた途中でふと足を止める。

 

 

「それとトレーナーさん。あの、ツインターボのことですけど」

 

 

顔だけで振り向いたネイチャと視線が合う。しかしネイチャは言葉を止めた。何かを俺に聞こうとしたみたいだったが、唇をグッと噛んで「……いえ、やっぱり何でもないです」と言って部屋を去っていった。

 

オグリトレーナーは「今のナイスネイチャだよな!? 生のナイスネイチャだ、本当に中央トレセンに来たんだ……」と呟いて感動して気付いていなかった。地面に座り込んだオグリキャップは、ターボの名前を聞いて寂しそうに地面を見つめた。俺は特に何も言うことなく、気づかないふりをして、書き終えた手紙に封をする作業に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はツインターボと約束を交わしていた。レースに勝ったらバイク(ツインターボ号)で旅に連れていってやると。その約束を果たす日がやってきた。

 

万全の準備を整えたある休日。例によって後部にウマ娘用ヘルメットを被ったツインターボを乗せてバイクに乗っていた。晴天の下でハンドルを硬く握りしめながら。ウマ娘の脚で出せる最高速度を超えて高速道路を突っ走っていた。後ろに乗ったターボは大喜びだ。

 

 

「いいぞ、はやいぞ!! とれーなっ、ターボ全開だぁーーーーっ!!」

 

 

しっかりと腰を掴みつつも、もう片方の手を振って喜びようを全身で表していた。喜び方が大袈裟な気もするが、これが俺の知る普段通りのツインターボだ。それに、こうして遠出するのは夏以来。今回は泊まりがけの旅行ということもあって、テンションは極めて高い。

 

 

さて。どこに向かうのかというと、目的地は山中にある温泉旅館だ。

 

ターボが喜ぶ場所は事前に色々考えた。たとえば動物園とか遊園地とか、あと夢の国とか。しかし大抵はダメだ。今やツインターボは日本で名前の知らない者がいない有名人。学園の一歩外に出ればサインや握手を求められるようになってしまったからだ。ついでに俺もトレーナーとして顔が売れてしまったせいで、ウマホに来るメッセージが凄いことになっている状況だ。

 

そんなわけで、大衆の集うエンタメ施設はほぼNG。何年かすれば落ち着くのだろうが、今回の旅行はそうもいかない。ならばどうやってターボの苦労をねぎらおうかと考えて……ふと夏合宿の時に温泉に日帰りしたことを思い出したのだ。

 

 

(静かな場所も嫌いじゃないんだよな。ちょっと意外だけど)

 

 

前に療養施設に行った時も楽しそうだったから大丈夫か。観光地は厳しいが、人目を忍んでひっそりと建つ旅館くらいならいけるだろう。一番ターボが喜ぶのは風を感じながら移動することなので、できるだけ遠出して、長い時間乗れるようにしてやろう。そういうプランを立てた。

 

 

 

『うおーーーー!! なんだこれ!? すっごい、山きれい! 変な匂い!!』

 

『硫黄の匂いだな。峠から見える景色が綺麗だろう』

 

 

 

森の中を走った末に峠に入って視界が開けてきた。バイクは禿げた山間をぐんぐん登っていく。微かに硫黄の香りが漂ってきて、度重なる未知の体験にターボは楽しそうだった。

 

一応快晴の日を選んで出かけに来たのだが、天候は大当たりだ。澄み渡る青空がどこまでも広がり、山々がなだらかに連なっている。道は長く続き、曲がりくねるように山の斜面を縫うように伸びていた。陽の光を浴びて、緑と茶色が混ざり合った山肌が美しく映え、遠くの景色までくっきりと見渡せる。

 

 

『ここもお気に入りで、担当が勝ったら連れてきたいと思っていた場所なんだ』

 

『ターボが勝ったぞ!!』

 

『そうだな。また一つ夢を叶えてもらったよ』

 

『ふふん。これから、とれーなーの夢は全部ターボにお任せだな!』

 

 

ふふんとヘルメットの中でドヤ顔する。だが本当にターボに夢を全部叶えてもらったようなもの。運転中なので頭を撫でられないのが残念だ。

 

標高が高く雄大な自然がより広く見えるためか、退学前に連れていった山中の湖よりももっと綺麗に見える。こうして目の前に広がる美しい景色が、今日という特別な一日をさらに輝かせてくれるように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅館に到着してすぐに圧倒された。というのも今回の旅はお金に糸目をつけなかった。担当が勝ったおかげで、ボーナス云々でお金に困らなくなった……ということもあるけれど。レジェンドウマ娘級の実績をあげたツインターボにふさわしい宿を探そうと思ったからだ。しかし俺もターボも庶民。適当に知っていそうな人からアドバイスを受けつつ、宿を選んだのだが。

 

 

「ようこそお越しくださいました」

 

 

到着してバイクから降りてエンジンを切った瞬間、旅館の出入口から着物を着たスタッフが迎えに出て、上品な笑みを浮かべながら挨拶してくれる。その歓迎の仕方に、俺とターボは少し戸惑って顔を見合わせた。わざわざ出迎えてくれる宿なんて聞いたことがない。

 

 

「本日は当館をお選び頂き、誠にありがとうございます。お荷物はこちらでお預かりいたしますね」

 

「よ、よろしくお願いします……?」

 

 

こんなにサービスがいいのかと驚きながら、荷物を渡すと全て運んでくれた。手ぶらで敷地の砂利道へと移動する。女将さんが一歩前に出て、俺たちを旅館内へと誘った。玄関口までの道が小さな庭園を突っ切るような構造だ。俺は旅館の落ち着いた雰囲気にすっかり魅了されていた。ターボは特に、キョロキョロと周囲を見渡して、興奮が隠せない様子だった。

 

旅館の入口をくぐると、温かみのある灯りが迎えてくれた。木の温もりが感じられる美しい天井に、和風の照明が柔らかく光を落としている。広々としたロビーには伝統的な和風のデザインが散りばめられていて、壁や柱は重厚感のある木材で作られていた。絨毯の上を進むと、目の前には落ち着いた色調の畳敷きの休憩スペースが広がっており、低めの照明とともにどこか懐かしさを感じさせる空間が広がっていた。

 

 

「うわぁ、すごい! これ、ターボが今まで見たことない感じだぞ!」

 

 

ターボは興奮したように、ロビーをキョロキョロと見渡していた。確かにこれはちょっと人生で経験したことがない感じだ。「凄いところ予約しちゃったなあ……」と声が出る。その言葉を聞いた女将さんが、嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

 

「ありがとうございます。ツインターボさんと、そのトレーナーさんにお越しいただけて光栄です。実は私もスタッフも、ターボさんのファンなんですよ」

 

 

女将さんが、俺たちに微笑みながら告げた。こんな離れた場所でまで知られていると思わなかったのだろう。その言葉にターボが目を丸くして驚いたように反応する。

 

 

「ターボのこと知ってるのか!? 本当に!?」

 

「ええ、もちろん。テレビで見て以来、大ファンになったんです」

 

「ようし、それなら特別にターボがサイン書いてやるぞっ!」

 

「嬉しいです! では色紙を用意しますので、どうぞよろしくお願いします」

 

 

レース場で注目されるのは、出走バなのである意味当然だが、旅行先でも知られていると知ったターボはかなりの上機嫌だ。もっともそれがなくてもターボは喜んでサインを書いただろうけれど。スターウマ娘らしく気取るどころか、子供っぽい無邪気な反応に、周りのスタッフたちも思わず笑みをこぼす。

 

色紙が運ばれてくると、ターボは慣れた手つきでスラスラとサインを書いた。書道を習っていたのかと思うほどの達筆だ。「ついんたあぼ」と平仮名で、さらにトレードマークである勝負服ウサギの可愛らしいイラスト付きなのがターボらしい。ついでに俺のほうにも求められたので、そこそこ無難に書いた。

 

 

「どうだ! ターボのサインだ! 大事にするんだぞ!」

 

「本当にありがとうございます。こちらは当館で大切に飾らせていただきますね」

 

「あの……ツインターボさん! 握手して頂けませんか!?」

 

「もちろんいいぞ! みんな遠慮せずにどんどんこい!」

 

 

ファンサービスを歓迎しているとわかると、スタッフたちは次々に感激しながらターボに握手を求めた。人気のない場所を選んだのに、結局目立ってしまっている気がするが……まあ悪くない。だって、この景色はずっとターボが心から望んでいたことなのだから。彼らは口々に感謝の言葉を述べた。

 

ターボは嫌な顔をするどころか、むしろ嬉しそうに「そうかそうか」とドヤ顔で握手に応じた。途中から宿泊中のお客さんも気付いたようで、同じようにファンサービスを求めた。それも喜んで受け入れた。時折俺もそれに混ざりながら、祝福されるターボを見守った。しかし喜ぶ気持ちばかりではなかった。

 

 

「応援してました。諦めないレース、本当に素敵でした!!」

 

「感動をありがとうございました」

 

「本当にお疲れ様でした、ツインターボさん……!!」

 

 

過去形でターボに感謝を告げるファンの言葉には、どうしても複雑な想いを抱かざるを得なかった。顔に出すことは絶対にしないけれど。まるで舞台が終わった後のような寂寥感を感じて、胸がずきりと痛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果的に、今回の宿泊先選びは正解だった。

 

いきなりファンサービスから始まることにはなったけれど、客の受入数が多い宿ではないため、交流も収集がつかなくなるほどではなかった。宿のサービス、例えば施設やご飯、周囲の環境なども最高だった。温泉を満喫し、ターボと一緒にご飯を食べて散歩をして、星を見た。田舎の山から見える空はプラネタリウムよりももっと輝いていて、東京からは決して見えない絶景を一緒に楽しめた。

 

 

「ぷはぁーーっ! すんごく綺麗だったね、とれーなーっ!!」

 

「本当にな。日帰りばっかりで泊まったことはまではなかったけど、最高だった」

 

 

ひとしきり楽しんで部屋に戻ってくると、ターボは敷いてあった布団に両手を伸ばして飛び込んだ。仰向けに大の字で倒れたターボは満足顔だ。首からストラップのように下げたウサギのぬいぐるみが脇に転がった。

 

本当に楽しかった。単に宿が良かったからということもあるけれど、何よりも嬉しいのは、ツインターボと一緒に来られたということだろう。担当と絆を確かめるために温泉旅行に来る。これも、トレーナーになったらやりたいことの一つだったから。

 

 

「とれーなー、窓際はターボだからね! あとテレビつけていい!?」

 

「もちろんいいぞ。だけどその前に、いいか」

 

 

あとは部屋でのんびりして休むだけだ。しかし一つだけ、どうしても引っかかっていることがあった。旅館に到着した時にターボがファンからかけられていた祝福の言葉。あの光景が忘れられなかった。

 

 

「……脚を見せて欲しいんだ、もう一度」

 

 

 

俺が頼むとターボは一瞬キョトンとした顔をしたが、「いいぞ!」と。モゾモゾと四つん這いで移動してから、窓際の小さなテーブルに揃って置かれている椅子に腰掛けて、浴衣の裾をまくった。少し座高が低いが、脚を見せる姿勢はいつもの触診と同じだ。

 

ターボのふくらはぎに触れると、指先から違和感が伝わってくる。水も弾くような艶やかな肌。しかしかつては存在しなかった爆弾が、内側に存在してしまっていた。有マ記念の直後に診た時と全く変わらない。撫でるように軽く指先で押して確かめる。

 

 

「こうやって触っても痛くはないんだよな」

 

「なんともないぞ!」

 

「……でも、変わらないんだよな」

 

「うん。たぶんね、きっと同じようには走れないぞ」

 

 

予知夢とは違う独特の直感。ターボ自身がそれを強く感じていた。

 

走り終えてウイニングライブも終えたその日。三冠達成直後の帰り道でふわふわした気持ちでいた俺に、ターボは何気ないことのように伝えてきた。多分、もう今までみたいには走れないと。意味を理解した時、事故を起こす寸前まで動揺したのは記憶に新しい。

 

 

「無理、させたもんな」

 

 

……走れなくなったわけではない。完全に脚を失ったなどという話ではなく、むしろ普通に走る分にはほとんど問題はないだろう。問題は限界を越えてしまったことだ。

 

元々『ターボジェット』の(フォーム)はターボの脚質に向いているものではなかったが、秋の天皇賞の土壇場で発動させたダブルジェットで、さらに負担をかけた。普通に走るのとターボジェットでは使う筋肉が全く違う。分かっていたからこそ怪我をしないように十分に気を払ってきたが、弱い部分にとうとう限界が来てしまった。

 

走ることはできる。だが今までのレースと同じようには走れない。

 

これ以上、GⅠと同じように走らせるのは危険だと、直接脚に触れた指先が訴えてくるのが分かる。だからこその判断。しかし正しかったのだろうか。今になって後悔していると、ターボはその心を見透かしたようにムッとした。

 

 

「いいの! ターボは全力で走れたんだから、満足なの!」

 

「……でも。こうならなかったら、今年のレースだって走れたかもしれない。走り続けられたなら、シニア級の二年目だって走れたんだぞ」

 

「い・い・の!! ターボ全開で走って勝てて満足したもん! それに、ダブルジェットをしなかったら勝てなかったじゃん!! 走れなくなったわけじゃないし!」

 

「それは、そうだけど……」

 

 

ダブルジェットを使わなければGⅠで白星を上げることは不可能だった。それはその通り。中央で通用した脚が使えなくなり、会見で引退を宣言することになっても、ターボに悔いはなさそうだ。それに元々の脚が壊れたわけではないので、現役が終わるだけで、ドリームシリーズへの出走は叶う。

 

 

いつか訪れる日が来た。それだけのことだといえば、それまでだ。しかし寂しい気持ちは消せない。俺はあのキラキラした姿をずっと見ていたかったから。どんな時でも諦めなかったツインターボの物語が終わってしまった。そう思うと胸が締め付けられるみたいだ。

 

 

「どうしても気持ちよく走りたくなったら、とれーなーと一緒にバイク(ツインターボ号)で走ればいいし! ……それにさ。ターボ、走るほかにも沢山やりたいことがあるんだ!」

 

「やりたいこと?」

 

 

 

しかしターボは俯いている俺と違って先を見ていた。俺が脚から手を離すと、ターボはその足をパタパタと動かして楽しげに言う。これまで一緒に夢を叶えるために努力してきた。その夢が叶った後の願いを聞くのは、これが初めてだ。

 

 

「そう! 自分で走るのは満足した! 最高で最強のウマ娘にもなれた!! だから次はね、とれーなーみたいになりたいの!!」

 

「……え。トレーナーって、俺と同じ職業につきたいってことか?」

 

 

きょとんと尋ね返した。ターボが指導者(トレーナー)になりたがっているなんて全く考えもしていなかったから。しかしターボは、それはちょっと違うと首を横に振った。

 

 

「同じじゃなくてもいいぞっ。ターボね、とれーなーに見つけてもらった時みたいに、困ってるウマ娘の力になりたいんだ!」

 

「困っているウマ娘の力に……」

 

「そう!! もうだめだーって思った時に助けてくれたみたいに、誰かを助けたいっ!!」

 

 

キラキラした目で俺を見ながら、新しく抱いたという、次の(・・)夢を語った。

 

真正面からオッドアイを向けて迫られた俺は理解する。夢を叶えたターボの表情には未練など一つもない。出会った時と同じキラキラした表情に、心を掴まれる。

 

新しく描いた次の夢には俺がいた。ターボは俺を、ずっと見てくれていた。

 

そのことに涙が込み上げてきた。

 

 

「そっか。それが今、一番やりたいことなんだな」

 

「うん!!」

 

 

コースで膝を抱えて泣いていたウマ娘が、誰かの幸せを願っている。嬉しい。引退の寂しさなんて吹き飛ぶほど嬉しい。トレーナーとして担当を最後まで導くことができたのだと心から思えた。

 

ツインターボというレースウマ娘の栄光は終わったかもしれない。『最初の三年間』で終わってしまうことに惜しさはある。しかしターボはこれからの人生も全力で走り続けるのだ。たとえジェット噴射がなくても。共に駆け抜けた魂は、今も輝いているのだ。

 

 

「ありがとう、ターボ」

 

 

感謝を伝えると、ターボはきょとんとしたけれど、すぐにいつものように曇りなく笑った。

 

想いは引き継がれた。形作って繋がれて、離れることはない。現役を退いたとしても変わらない。一緒に信じて突き進んできた道を二人で歩いていくのだ。

 

 

ツインターボと、これからも。

 

 




これにて本編完結です。ありがとうございました!
エピローグは後日投稿します。

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