【完結】ツインターボは諦めない   作:クロ

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エピローグ 夢の続き

 

トレセン学園に新たな春が来て、やがて冬が来る。

 

季節が巡って今年も桜が満開の時期を終えた。俺は学園に併設されている練習用コースを彷徨っていた。数年前は専属契約を結んでトレーナー業に集中していたが、あれから自分の担当ウマ娘を持っていなかった。

 

 

(今年も、結局スカウトできなかったな……)

 

 

仕事をボイコットしているわけではない。人望がないわけでもない。むしろ逆。心のどこかで、もう一度燃え上がる瞬間を待っている自分がいたし、昔のようにウマ娘を導いてほしいと望まれてもいた。

 

 

『期待っ! 君のような優れたトレーナーにぜひ活躍してもらいたいっ!! むろん今もサブトレーナーという形で十全に支えてもらっているのは分かっているが……渇望ッ! 君のウマ娘にかける情熱を、そして輝きを再び見せてほしいのだッ!!』

 

 

GⅠウマ娘を育成したトレーナーとして。中央トレセン学園に二度と起こせない奇跡を起こしたパートナーの片割れとして、担当を持って欲しいと学園側から求められた。

 

 

「専属契約か。けど、また昔のようにと言われてもなぁ……」

 

 

あれから時間が経ったせいか、ウマ娘側からのアプローチはかなり減った。とはいえゼロではない。中には一目見て凄い才能の持ち主だと直感できた子もいた。しかし、その契約の申し出を全て断ってきた。

 

それはなぜか。

 

燃え尽きたわけではない。サブトレーナーとして活動は続けているし、その仕事にはやりがいも感じる。不満は何一つないどころか楽しい。しかし、専属となると尻込みしてしまう。求められている期待に応えられる自信が、まるで持てなかったから。かつての担当ウマ娘のように接して、育成を完遂できる気がしなかった。

 

 

中央トレセン学園を散歩しながら、練習に励んでいるウマ娘をぼんやりと眺めるのが春のルーティーンとなっていた。あの時と同じように、運命の出会いがあるかもしれない。仕事をサボっているわけではない。学園の様子を見るのも立派な仕事だからと言い訳をして、期待をかけていた。

 

 

 

「ミラ子〜、おっそいぞーー!!」

 

「ふへぇ、ごめん〜。もうちょっとだから〜〜」

 

 

 

コースを見る。どうやらウマ娘同士で自主練習をしているところらしい。先に練習メニューを終えた二人のウマ娘が、遅れている芦毛の子に呼びかけていた。その様子から、今年の新入生でないことはすぐに分かった。

 

そして全員がゴールに到達した後、少し言葉を交わして解散となった様子だ。最後まで走っていた子は残って練習していくらしい。

 

俺はなんとなしに、何かに惹かれたようにふらりと近づいた。そして芦毛の子がこちらに気づいて顔を向ける。

 

 

「ん、あなたは……?」

 

「ああすまない。トレーニングの邪魔をしたかな」

 

 

ウマ娘と視線が合った。ミラ子、と呼ばれていたその子は、スポドリを飲んで休憩を取っているところだ。第一印象は平凡なウマ娘。だが未発掘の光を感じた。

 

まず目を引いたのは彼女の毛並み。柔らかな灰色の髪が肩までふわりと広がり、まるで風に乗るように軽やかだ。耳の部分には特徴的な白と青の縞模様のカバーを被せたウマ耳がぴんと立っており、その可愛らしい姿が彼女の純朴さを引き立てている。ウマ娘としては少し控えめな印象だが、その目元はどこか親しみやすさを感じさせる。少しゆるっとしたシルエットだが、練習用のウェアは彼女の体型にぴったり合っている。

 

 

「トレーナーさん……ですよね。えっと。何かご用でしょうか?」

 

 

そんな彼女は、俺の胸元に金色の蹄鉄バッジが付いているのに気付いて困惑したようだった。

 

 

「よければ君のトレーニングしているところ、見させてもらってもいいかな」

 

「ええっ……私ですか? えっと。誰かと間違えてませんか。いいところなんて見せられないですよ?」

 

 

一応、何かしら目をつけられたことは悟ったらしいが、そのことに戸惑っていた。大丈夫だから続けてと伝えると、彼女は怪訝がりながらも「はぁ……」と気のない返事をして、トレーニングを再開した。少し迷っていたが、気にしないことにしたらしい。

 

トレーニングが一段落したのを見計らって、彼女と話をしてみることにした。仰々しいものではなく、ちょっとした雑談という雰囲気で言葉を交わす。

 

 

 

「なるほど。どっちが早く勝てるか友達と競ってる、と」

 

「そうなんです。入学してからずっと負けてて。あ、私ヒシミラクルって言います〜」

 

 

話しかけた当初は警戒心を感じたが、俺が「まだ二人しか担当したことない新人だけど」と言ったあたりから、気を抜いて答えてくれるようになった。トレーナーに声をかけられて緊張していたみたいだ。

 

さらに、俺がたまたま散歩をしていたところだった告げると、なら身構えなくてもいいやとなったらしく。「急だったからびっくりしましたよ〜」なんて安心したように言った。ヒシミラクルは、友達と一緒に練習をしに来ていたらしい。そして、その理由はレースに勝つためという極めて真っ当なものだった。

 

 

「この時期のレースというと、未勝利戦で合ってるかな」

 

「ですです。トレセン学園に入れたわけですし、勝てなくても、ちょっとくらい頑張らないとな〜……って思って。一応練習してたって感じですね」

 

 

照れ照れと手で頭の後ろに触れながら、内心を明かすヒシミラクル。しかしこうして話していると強く感じさせられる。俺が今まで接してきた子とは違う価値観を持ったウマ娘だと。こう……全体的にゆるっとしているというか。親しみやすく、そして闘争心の薄いタイプだ。

 

しかしこの子と話しているうちに、俺は既視感を感じた。ちょうど全く同じ。かつてこのコースの片隅で、絶望の中で膝を抱えて泣いていたウマ娘がいた。その姿が脳裏に鮮やかに蘇る。もっとも、その出会いの時と違って悲壮感はない。

 

 

「あと何ヶ月かしたらデビューできなくなるけど……」

 

「まあ、勝てなくても普通科で卒業して大学に入って、普通に就職できればいいので」

 

「なるほど。確かに今はデビューできなくても退学にならないからな」

 

 

悲壮感がない理由は簡単。一昔前であれば退学寸前の絶望的な状況だ。しかしヒシミラクルのような子は、今の(・・)トレセン学園では珍しくない。

 

 

「えっ。やっぱりそれって本当なんですか!?」

 

「んん?」

 

 

何気なく話していると、ヒシミラクルは妙なところで食いついてきた。ちょっと必死な顔で迫ってくる。

 

 

 

「退学ですよ、退学! ちょっと前まで、デビューできなかったら退学っていう校則があったらしいんです! 噂でしか聞いたことないですけど本当なんですか!!」

 

「……ああ。あったよ。そういう校則が」

 

 

頷くと、ヒシミラクルは信じられないと、感じたショックを隠さなかった。俺もデビューできずに退学になったウマ娘をこの目で見てきた者としてカルチャーショックだ。今の子は知らないのか……。

 

 

「ひええ……わたしじゃ絶対無理。しかも昔は自分でトレーナーさんを見つけないと、デビュー戦にすら出られなかったんですよね。信じられませんよぉ」

 

「今は専属トレーナーはデビュー後に契約できるけど、当時はウマ娘はトレーナーの奪い合いだったよ」

 

「それって合わせると、めちゃくちゃハードル高くありませんか!? トレーナーさんと契約するのって相当大事(おおごと)なのに、契約できなかっただけで退学になっちゃうってことですよね!?」

 

「そもそもレース競技の世界は厳しいから、それも当然っていう考え方だったんだよ。うん、でもやっぱり強制退学はかなりキツいよな……」

 

 

俺はデビューできずに退学になったウマ娘を実際に見てきたし、担当していたからよく知っている。最後の未勝利戦に負けて、チャンスを喪失したウマ娘達の後ろ姿は、今思い出しても胸が痛くなる。

 

弱肉強食が是とされ、次々にウマ娘を振り落とし、その環境の中で自力で食らいついて勝利をもぎ取ることこそ良しとしてきたトレセン学園。一つの在り方として正しいのかもしれないが、学生であるウマ娘に課すにはあまりに酷な条件だ。

 

 

 

しかし、それも数年が経ってありかたは大きく変化した。

 

具体的には、未勝利バが三冠を獲る前代未聞の事件(・・)がきっかけに、根幹が揺るがされたのだ。

 

 

当時のトレセン学園は優秀なウマ娘を輩出しつつも、さまざまな課題を抱えていた。ウマ娘の強制退学。トレーナーの供給不足。そして目の届かない場所で行われていた不正問題。秋川理事長の名の下に大改革が打ち出され、新しいルールが粛々と打ち出されているところだ。

 

中でも最も大きい変化は、デビューできなくても学園に在籍できるようになったということだろう。これによって遅咲きのウマ娘は救われるようになった。他にもデビュー・未勝利戦専門のトレーナーが誕生したことなどで、『デビューできない』事態はほぼなくなった。

 

 

(学園を、この短期間で変えてしまったんだから、理事長は本当に凄い人だ)

 

 

他にも多くの状況が変わった。急激な変革で問題が起きることもあるけれど、以前から言われていたような問題は解消されつつある。手始めに打ち出されたトレーナー候補制度も、その後は順調だ。

 

 

「いやあ、それがわたしの世代だったら退学まっしぐらでした〜。普通なウマ娘にとってはありがたい話ですね」

 

 

むろん、そんな裏事情も含めた経緯を新世代が知るはずもない。ヒシミラクルは頭の後ろに手をやって、安心したように言った。この子に限らず、未勝利戦に勝てないウマ娘が大半なので、同じ感想を持っている子が今の多数派だろう。

 

そして、この子はデビューせずに進学を前提に話していた。今は自主トレをしているが、自分が勝てるとは全く思っていなさそうだ。しかし俺はそれとは全く別の、この子の未来を思い描いた。

 

 

「まだ分からないぞ。次のレースで勝って、デビューすることになるかもしれない。そうなれば関係ないだろう」

 

「あはは、ないですよ。ないない。トレーナーさんもさっき言ってたじゃないですか、あと数ヶ月しかないって。そろそろ本格的に受験勉強しなきゃ、まずいなって思ってるくらいなんですから」

 

「見込みはあると思う。君は今日トレーニングをして頑張っていたから。成長しているなら、次のレースは勝つかもしれない」

 

「も〜〜そんなこと言って、おだてないでくださいよ。ここのトレーナーさんに言われたら、お世辞でも本気にしちゃいますから!」

 

 

ヒシミラクルは頬を赤く染めながらも照れ隠しのように手を振る。冗談だと思っているようで、褒められて満更でもないようだ。だが俺は別に冗談でもおだてていわけでもなかった。先の練習風景を見て、彼女には素質があると信じていた。

 

彼女は、まだ自分の可能性に気づいていない。ヒシミラクルの中に眠る可能性。その扉を開く鍵を、俺は見つけられるかもしれない。

 

 

「よければ、このままトレーニングを見学させてもらってもいいかな」

 

「いいですけど……トレーナーさんも変な人ですねえ」

 

 

ヒシミラクルはペットボトルを置いてグッと腕を伸ばした後、そのまま練習を再開して走り始めた。俺は様子見をしつつ、自分の中に生まれた疑問を解こうとしていた。

 

俺はどうして彼女に注目しているのか、理由が分からなかった。素質を持っていても、モチベーションを保てないウマ娘は珍しくない。レースの世界はそれほどに厳しい。だから普通、トレーナー側からわざわざ契約を申し出るケースは少ない。磨かなければダイヤモンドは光らない。自分の行く末を決めるのはどこまでいってもウマ娘本人だ。意志を持つウマ娘は、自分からアピールしに行くものだ。

 

 

(……あの時と一緒だ)

 

 

ヒシミラクルの姿が、俺がトレセン学園で担当した子とかぶった。

 

素質を伸ばしてやれずに退学を選ばせてしまったウマ娘。同じこの場所で出会った、どんなことがあっても諦めないウマ娘。かつて俺が担当していた二人とは、容姿が似ているわけではない。性格や素質も全く違う。けれども、俺はこの出会いに運命のようなものを感じていた。

 

この子の持っている素質を育てられるのは、きっと今日出会った俺しかいない。

 

胸の奥で眠っていた熱い想いが、ゆっくりと目を覚まし始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとミラ子、トレーナーと契約したってほんとなの!?」

 

「わ、びっくりした。いや〜そんなわけないじゃん」

 

 

たびたびヒシミラクルのトレーニングに顔を出すようになって。ヒシミラクルは集まった友達に問い詰められていた。単なる学生同士のじゃれあいだが、興味を持たれるのも無理もないこと。

 

ヒシミラクルに専属契約の話が持ち上がっている。

 

そんな噂が流れていた。本当なら正真正銘のミラクルだ。というのも、一年生のメイクデビュー前なら、優秀なウマ娘を確保しておきたいというトレーナーの思惑もあるので、ない話ではない。しかし二年目の未勝利バは違う。特定のトレーナーが毎回練習を見にきているというのは、大きな衝撃をもたらした。

 

もっともヒシミラクルは、全くそのありがたみを感じていない。なんだかいつも来てくれるな〜、程度の感想しか持っていなかったのでギャップがあった。

 

 

「専属トレーナーなんて私にはもったいなすぎるよ〜。そう言ってるんだけど、あのトレーナーさん、走ってるところとか、勉強とか見てくれるんだ。親切だよねっ」

 

「いやいや、そんなことある??」

 

「つまりミラ子に興味持ってくれてるってことでしょ? ならやっぱ脈あるって! 専属契約までこぎつければ、デビュー確定じゃん!」

 

「いやいや。無理だよ〜。私そこまで必死に頑張れないし」

 

 

などと緩く話しながら準備運動をする三人。ヒシミラクルは乗り気ではなかった……というよりも、契約まで進むとは思っていなかった。

 

確かにあのトレーナーさんは親身に自分を見てくれる。トレーニングの途中でアドバイスを求められれば普通に答えてくれたし、授業のことや進路の話も親身に相談に乗ってくれた。それを今まで普通に受け入れていたけれど、友人に言われてヒシミラクルは不安になる。確かに、どうしてそこまで親身に見てくれるのだろうと。

 

……もちろん、少しは察していた。素質があるって言ってくれたし、やっぱり、そういうことなのかも。でも、そんなこと本当にあるの?と疑いたくなる自分もいる。

 

彼が一体自分にどういう未来を見ているのか、まるで分からない。だって自分は、どこにでもいる普通の未勝利ウマ娘なのだ。だったら真意を確かめたい。ヒシミラクルはモヤモヤを晴らすために、そう考えた。

 

 

 

 

 

 

 

「あの〜トレーナーさん。いつも見てもらってますけど、お仕事とか大丈夫なんですか?」

 

 

自主練習していたヒシミラクルは、いつものように練習用コースに来たトレーナーに直接尋ねた。今までこんなに真面目に励んだことはなかったけれど、デビュー戦の終わりが近づいてきたことと、トレーナーが見てくれるようになったことで、いつもより増しでがんばっていた。

 

 

「これも仕事だから大丈夫だよ」

 

 

しかしトレーナーは自分とは違う。彼はお給料をもらって働いている人だ。自分のようなウマ娘と関わっていたら、仕事をしていないと怒られるのではないか。なぜわざわざ時間を割いてくれるのか分からず、ヒシミラクルは訝しんだ。

 

 

「でも私みたいな子を見てても仕方ないじゃないですか。これも噂で聞いたんですけど、担当の子が勝たないとお給料にならないんですよね、トレーナーさんって」

 

「えっ、いやいや。そんなことないって。その理屈だと、自分の担当がいないサブトレーナーは給料0で働くことになるだろう」

 

「うわ。それめちゃブラック……」

 

「確かに重賞レースに買ったら多少ボーナスは貰えるけど、それはオマケだな」

 

 

相槌を打ちながら話を聞いた。身近にトレーナーバッジを持った大人がいないので、トレーナーと話すことはヒシミラクルには新鮮だった。しかも割と気安く接してくれるのも助かっている。しかし今日は雑談に興じてばかりはいられない。聞かなければならないことがあった。

 

 

「あの。勘違いじゃなければですけど……じゃあ来てくださるのって、わたしのこと、スカウトしに来てるんですよね?」

 

 

なあなあに過ごしていたけれど、直球で聞いたのはこれが初めてだった。トレーナーは「ああ」と頷く。

 

 

「……やめておいたほうがいいですよ? 私、もうすぐ二桁負け目前だし。今は選抜レースの時期ですよね? もっと凄い子たちが沢山いるんですから、私なんか……」

 

 

人差し指同士をツンツンとつつきながら、わざわざ遠ざけることを言う。しかしトレーナーのことをいい人だと考えているからこその配慮だ。自分のようなデビューできないウマ娘を担当するなんて勿体無い。だからネガティブな言葉を言ってみたが、トレーナーは意にも介さなかった。

 

 

「未勝利の子を担当するのは初めてじゃないし。それに凄いっていうなら、君も十分に凄い素質を持った子だと思う」

 

「うぇぇ〜〜!? ええとっ。そう言ってもらえるのは、悪い気はしないですけど。わたし、自分が勝てないことくらいわかってますよ?」

 

「今まではそうだったかもしれないけどな。一つ聞きたいんだが、ヒシミラクル。君は走るのが好きか?」

 

「はぁ。まあ、もちろん楽しいです」

 

「それなら大丈夫。君には素質がある!!」

 

 

このトレーナーさん、判定が緩すぎないだろうか。ヒシミラクルはさらに訝しんだ。

 

 

「トレセン学園の入学試験で、夢を聞かれただろう。それにはなんて答えたんだ?」

 

「うーん……割と俗っぽい理由なので、あんまり言うのもあれなんですけど。みんなわたしが活躍すると喜んでくれるし、せっかくだからビッグになりたい! ……みたいな感じだったかな。まあそこまで行かなくても、多少勝てたら嬉しいなって思ってたんですけどね」

 

 

身の丈を超えてました……と補足するヒシミラクル。特別な情熱や不屈の精神とは離れている、かなり俗っぽい普通の理由だ。自覚もあり、トレーナーという職を持つ大人に語るのはやはり恥ずかしかった。

 

 

「あはは。ごめんなさい。トレーナーさんに聞かせられるような夢じゃないですよね」

 

「……ますます君をスカウトしたくなった」

 

「ええっ!! 今のどこにそんな要素ありました!?」

 

 

ミラ子は大困惑した。トレーナーはますますスカウトしたいと感じるようになっていた。

 

他のトレーナーが聞けば「もっと高い夢を持ちなさい」とか、「他にやりたいことはないの?」と言われるような場面だろう。しかしこれがいい。この子を導くのは自分しかいないという予感と、自分自身の後悔を晴らすために。自分を選んでもらえるようにアピールをした。

 

 

「どんな理由でもいいんだ。楽しくレースを走ってビッグになりたい。いいじゃないか。もちろん途中で大変なこともあるだろうけれど。乗り越えられさえすれば。君は、そうなれる可能性がある」

 

「……私。本格的にスカウトされてますよね」

 

「まあ、そういうことだな」

 

「あの、トレーナーさん。それって狙ってやってます?」

 

「ん?」

 

 

ジト目で見てくるヒシミラクルの言葉に首をかしげる。狙ってやってるとは、どういう意味だろうか。そりゃあスカウトを狙ってここに来ているわけだけれど。話の流れが読めない。

 

 

「とぼけないでくださいよ。これ、ありがちなやつ。トレーナーさんに偶然見つけてもらった未勝利ウマ娘が逆転してGⅠに勝つっていう、トレセン学園のジンクスの話そのものじゃないですか」

 

「そんなジンクスがあるのか?」

 

「今時の子はみんな知ってますよ」

 

 

初耳だ……いや、未勝利ウマ娘が逆転するなんて、どこかで聞いたことがある話だ。内心を言い当てられたようでギクリとしたけれども、少なくともジンクスにあやかっているつもりはない。だから動揺が表情に出ることはなかった。

 

 

「君をスカウトする理由か。そうだな……素質があると思ったのは嘘じゃない。レースに挑戦する理由がいいと思ったのも本当だ。ただ君の言う通り、もうひと頑張り必要なのも事実だ。選抜レースに出ている子をスカウトすれば、ジュニア級から育成ができる」

 

 

正直に全てを話すのを聞いて、身構えていたヒシミラクルは意外そうな顔をした。絶対にスカウトしたいという空気を出していたのに、ネガティブな要素をあえて口に出したからだろう。

 

 

「それでも君を選ぶ。割と個人的な理由も込みなんだが、聞いてくれるか」

 

「な、なんですか。個人的な理由って」

 

「トレセンに採用されたばかりの頃、君と似たタイプのウマ娘を担当したことがあって、色々あって失敗したんだ。未勝利戦も勝たせてやれなかった。あれから猛勉強して、自信も持てるようになった。もう一度、君のようなウマ娘を育てたかったんだ」

 

「おお、本当に個人的な理由ですね」

 

 

最初は何を言われるかと戦々恐々していた。だが、本当に完全な個人の都合だった。ヒシミラクルは、そのことに失望するどころか、むしろ警戒心を解いて興味を持ってくれた。

 

まあトレーナーが自分のためにウマ娘を担当するなんて、いい顔はされるものではない。なぜならトレーナーはウマ娘のために存在するのだから。ヒシミラクルが何とも思っていない様子なのは、もとより自分が本気でデビューできると思っていないからだろう。

 

そして、俺が失敗談を語ったことは思った以上に好印象だったようだ。最初に比べるとますます距離感が縮まって、ヒシミラクルはニヤニヤと見上げてくる。

 

 

「なるほど。トレーナーさんの勉強の成果をわたしで試したいってことですね」

 

「それも少しある。でも俺の都合なんてどうだっていいんだ。一番は、君のようなウマ娘がここで終わるのは本当にもったいないと思ったからだ」

 

「え……わ。近い、近いですよっ、トレーナーさん」

 

「もし、大学進学を蹴ってデビューに賭ける判断をしてくれるなら、全力でサポートする!! 絶対に損はさせないことを約束する!!」

 

 

迫る。一度は調子に乗ったヒシミラクルだが、突然トレーナーが熱意を出しはじめたのを見て口元を引きつらせた。

 

正直なところエゴも大きかった。しかしトレーナーがウマ娘を選ぶ理由なんかよりも、この子が走りたいと願って俺を選んでくれるかのほうが何百倍も重要だ。もちろん、お互いに不幸にならないかを判断する必要はあるけれど。ヒシミラクルと接して、この子となら全力でやっていけると確信した。

 

 

「だから、君をスカウトしたい」

 

「えっと……今までずっと負け続きですし、普通にそのまま負けちゃうかもしれないですよ?」

 

「その点は大丈夫。こう見えて、前の担当を重賞で勝たせた実績もある。今は他のトレーナーとの横のつながりもあるし、安心してくれていいぞ!」

 

「えっ、すご! 見た目普通なのに、実は凄いトレーナーさんだったんですね!」

 

 

将来を決めかねていたヒシミラクルの見る目が、そこで一気に変わった。反応がすごく早くて苦笑う。ほとんどのウマ娘がデビューできずに終わっていく中、重賞に勝たせたことのあるというのは、大きなステータスなのだ。そして普通、そういうトレーナーは実績を残したウマ娘に枠を取られていく。

 

それならデビューしてもいいかと、あまり動いていなかったヒシミラクルの心が傾いた。だって重賞を取ったトレーナーさんは珍しい。デビュー前ならともかく、この時期にわざわざ見てくれる、実績のある人なんていないから。夢が叶うならそのほうがいい。満更でもなさそうな顔をしたヒシミラクルは、活躍する未来の自分を思い描いて、わくわくしながらトレーナーに迫った。

 

 

「できればデビュー戦に勝って、オープン戦も勝ってみたいです! GⅢ……は、さすがに望みすぎですか?」

 

「いや。君の場合は……天井は決めない。行けるところまで行く感じで、どうだろう」

 

「分かりました。じゃあ、やれるところまでやるっていう感じで、お願いします!!」

 

 

そして普通の流れとはあまりにかけ離れた形で、二人は握手を交わした。これにて専属契約は成立。二人はトレーナーと担当ウマ娘という関係になった。

 

そしてこの後。職員室に向かったヒシミラクルがたづなさんに契約書類を渡し、トレーナー欄に書かれた名前を見て「そうでしたか、例のトレーナーさんと……」などと意味深に呟かれて。

 

 

「あの、どうかしましたか?」

 

「何でもありません。これからのご活躍、期待していますね。ヒシミラクルさん」

 

 

二年目の未勝利バにかけるにしては期待が過ぎないかと思うような言葉をもらって、首をかしげた。変な反応に引っかかるものがあったけれど、ともかく。ヒシミラクルの契約は正式なものとなった。

 

そして最初の目論見通り、トレーナーに見守られながら見事に未勝利戦に勝利した。今までの敗北が嘘のような快勝だ。こうして、叶わないと思っていたデビューへの道が開けた。

 

そしてこのレースが、彼女の人生の分水嶺だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ヒシミラクルは、本当に何も知らなかった。

 

 

今までの停滞が嘘のようにトントン拍子でデビューに向けた計画が進んでいった。偶然出会ったトレーナーが普通な自分に目をかけてくれて。トレーニングを見てもらった結果、割といい感じで成長が実感できるようになった。トレーナーがつくとこんなに違うのかと、驚いたものだ。

 

トレーナーは凄かった。指示はめっちゃ大変だけど、三日も経てばトレーニングの成果が実感できるようになった。今までではありえない成長スピードで、トレーナーの重要性を心底理解したものだ。だから未勝利戦も勝つことができた。

 

 

『ほんとに勝っちゃった……』

 

『やったなミラクル!! 君なら勝てるって信じてたぞ!!』

 

『いやぁ、それほどでも……えへへ』

 

 

言葉巧みに乗せられた気がしなくもないが。努力の結果、10連敗前に未勝利戦を切り抜けてデビューすることとなった。そしてその勝利を契機に、ついに本格的にトレーニングを始めることになったのだ。こうなっては後には引けない。大学進学はスッパリと諦めて、レースに専念することとなった。

 

悪い気はしなかった。こうなるとプレオープンや、オープン戦の勝利も現実味を帯びてくるからだ。勝てば地元のみんなにも自慢できる。度重なる幸運(ミラクル)を友達に羨まれつつ、ふわふわした気持ちでジャージに着替えてコースに向かった。

 

今日は本契約後、最初のトレーニング日だ。

 

 

 

 

 

「さあて場所はここだったよね……んんんん?」

 

 

トレーナーと出会ったコース。そこには先客がいた。自分と同じウマ娘だ。

 

金色の髪がふわりと舞い上がり、青いリボンが彼女の清楚な制服にアクセントを添える。ひときわ目を引くのは、その長い髪の先にかかる青いグラデーション。まるで空を思わせる色合いが、彼女の個性を一層際立たせていた。

 

あの子……知っている。いやまさか、見間違いでなければ、あれは。

 

 

「ネオユニヴァースちゃん!?!?」

 

「ん……ヒシミラクル……先輩?」

 

 

なぜここにいるのかと、ヒシミラクルは仰天した。うっとりとした眼差しを向けてくる彼女の名前はネオユニヴァース、一年下のデビュー前の後輩だ。ネオユニヴァースは感情の読めない目で、狼狽えるヒシミラクルをきょとんと見つめかえした。

 

 

「うわぁ!? な、なんで!? ど、どうしてユニヴァースちゃんがここにいるの!?」

 

「それは……ランデブー。ここはボイドクラウドの特異点だから、ネオユニヴァースは来たよ」

 

「といいますと?」

 

「つまり、PRMS。ここで"トレーナーを待つ"をしている」

 

 

トレーナーさんと約束している。独特な言葉回しだが、とりあえず、そのことはヒシミラクルにも伝わった。

 

 

「ってことは私、集合場所、間違えたかな……。どうしよう。あの……一応確認なんだけど。わたしの今日のトレーニング相手って、ユニヴァースちゃんじゃないよね……?」

 

「不明。そうかもしれないし、違うかも。ネオユニヴァースはよろしくと。"挨拶"をする……べき?」

 

 

ユニヴァースは、まるで違う世界にいるかのように、ふわりと首をかしげた。その動作には何とも言えない不思議な魅力があった。だがヒシミラクルは混乱した。

 

 

(何で!? ユニヴァースちゃんは三冠候補の凄いウマ娘なのに、私なんかと一緒にトレーニングだなんて……違うよね? もしそうだったら、絶対に釣り合わないよ……!)

 

 

頭の中がぐるぐると混乱してきた。実のところ、ヒシミラクルとネオユニヴァースは顔見知り同士。学年こそ違うものの、寮の部屋が隣同士。入寮時には「トレセンのことなら私になんでも聞いて!」なんて、先輩風を吹かせてドヤ顔していたこともあった。

 

だからトレーニングもない話ではないのだが、それは立場が釣り合っていればの話だ。

 

普通な未勝利バの自分と、彼女では圧倒的に釣り合いがとれない。ネオユニヴァースは三冠達成実績のあるトレーナーに早々にスカウトされた、将来のクラシック三冠候補だ。本来先輩風を吹かせるなんてとんでもない相手である。そんな子が、平凡な自分と合同トレーニングをするなんてありえない。

 

 

「あの……私、実はあんまり詳しくないんだけど。ユニヴァースちゃんのトレーナーさんって、昔、クラシック三冠のウマ娘を担当した事もあるベテランさんなんだよね? ユニヴァースちゃんも来年のクラシック三冠を目指してるんだよね?」

 

「アファーマティブ。トレーナーは、MISA。ネオユニヴァースと"交信する"をした」

 

「やっぱりそうだよね! ……やっぱりトレーナーさん、集合場所を間違えたな?」

 

 

ネオユニヴァースの返答を聞いて、ヒシミラクルは確信する。自分は間違っていないと。ならば多分、トレーナーさんは場所か日取りを伝え間違えたのだろう。ダブルブッキングしてしまったか、はたまた集合場所を間違えたのか。

 

しかし困った。せっかくデビューしたのに初日から躓いてしまうのは、さすがに避けたい。大学進学を諦めた矢先に縁起が悪いのは勘弁だ。ネオユニヴァースが首をかしげながら様子を眺めてくる、その横で、焦りながらウマホを取り出し、急いでトレーナーにメッセージを打ち込んだ。

 

 

トレーナーさん

 

既読
トレーナーさん、今どこですか

既読
集合場所いつものコースで合ってましたっけ?他の子が来てるんですけど

 

合ってる。もう着くよ。

 

 

 

 

 

 

 

返信はすぐに返ってきた。だが、場所はここで間違いはないらしい。

 

 

「……?」

 

 

そうだとすると練習用コースのダブルブッキングだろうか。そんな疑問の答えは一分も経たずに解消されることとなる。

 

二人のところに大人が近づいてくる。ネオユニヴァースがパタパタと手を振っているのを見た。最初は自分のトレーナーが見えた。遅いですよトレーナーさん、と。やきもきさせられたことに不満を口にしようとする。

 

 

「トレーナーさん! 遅い……で、す……」

 

 

視界に入った瞬間、言葉が出なかった。まるで頭の中が真っ白になるような衝撃だった。ネオユニヴァースが待ち合わせ場所にいたことなど、完全に忘れてしまった。

 

近付いてきたのは三人組。一人は自分のトレーナーで、後の二人は女性トレーナーとウマ娘。特にウマ娘のほうは、トレセン学園に所属する子なら誰もが知る人物だった。

 

 

「あ、あ、あ、」

 

 

ヒシミラクルは愕然とした。その横で、女性トレーナーはネオユニヴァースに向けて気軽に手を振った。

 

 

「お待たせ〜、ユニ。待った?」

 

「スフィーラ。ネオユニヴァースは、"準備する"を済ませたよ」

 

 

ネオユニヴァースは空に何かを持ち上げるように両手を上げて、ふらふらと体を揺らす。奇妙な動作を見た彼女は苦笑していた。ミラ子は直接知らなかったが、成り行きを見ていれば自ずと分かる。彼女が噂の、クラシック三冠ウマ娘を担当していたという生ける伝説。ネオユニヴァースのトレーナーだと。

 

しかし問題はもう一人の方だ。超有名ウマ娘がヒシミラクルの前で腕を組んで、どんと構えてきた。

 

 

「待ってたぞ! フ・フ・フ。おまえがとれーなーの新しいウマ娘だな!!」

 

 

そのウマ娘はトレセン学園の生徒は必ず知っている。なぜなら一度は走ったことがあるから。授業の名目で、走る機会が与えられるただ一人のレジェンドウマ娘。青い毛並みに動きやすいジャージの服装。彼女はにいっとギザギザな歯を晒し、ドヤ顔気味な笑みを浮かべていた。

 

 

「つ、ツインターボ、さん……っ、本物……!?」

 

「そうだぞ、ターボはツインターボだ!!」

 

 

青ざめたミラ子の脳は限界寸前、バグを起こして凍りつく。

 

ツインターボ――未勝利のウマ娘から地方レースを経て、誰もが不可能だと言った秋シニア三冠を成し遂げた、まさに伝説のウマ娘。その名が響くたびに、全てのウマ娘が立ち止まり、敬意を表する。そんな存在。さらにその引退後、中央や地方問わずに日夜ウマ娘を支えている彼女を師と呼ぶウマ娘も数知れない。

 

 

不屈のウマ娘(メイショウドトウ)Road to the top(ナリタトップロード)サトノの至宝(サトノダイヤモンド)

 

この数年でツインターボが背を押した名ウマ娘達だ。その名前を知らないものはいない。かの有名な『ダブルジェット』を継承する大逃げウマ娘こそ現れていないものの、諦めない心を受け継いでいる。

 

そしてミラ子の顔は真っ青になる。突然目の前にテレビの向こう側の超有名人が、なぜ自分のために現れたのか、なんとなく察してしまったから。

 

 

「どうしてツインターボさんほどのウマ娘が、こんなところに……っ」

 

 

さらに、そこで聞き捨てならない一言が飛び出したことを認識する。さっきこう言わなかったか。トレーナーの新しいウマ娘はお前かと。ツインターボが『とれーなー』と呼ぶ人物は一人しかいない。ギギギ、と壊れた機械のように隣のトレーナーをみる。

 

 

「トレーナーさん!? ちょっと聞いてもいいですか!?」

 

「うん、いいぞ」

 

「ツインターボさん、今、トレーナーさんのことをトレーナーって呼びましたよね……!?」

 

「ターボは俺の担当ウマ娘だからな」

 

「聞いてませんよ!!!???」

 

 

ヒシミラクルは心の底から叫んだ。だって今日は普段通りトレーニングをするつもりできたのだ。知らない人に見られるし、ちょっぴり頑張るつもり程度の心構えで。

 

 

「ってことはトレーナーさんが獲った重賞ってもしかして……三冠、とか?」

 

「ターボの秋シニア三冠だな」

 

「いやいやいや!!? じゃあトレーナー室にあったトロフィーがそうなんですか!? 他のトレーナーさんの担当ウマ娘のものが大半だって言ってたじゃないですか!!」

 

「ああ、オグリキャップの賞だな。前に担当してたからな。現役期間が長かったからそのぶん多いんだ」

 

オグリキャップ先輩!? クラシックに春シニア三冠も獲って10冠達成した、あの!?」

 

 

話が大きくなり過ぎてもう意味がわからない。後輩のユニヴァースが見ていなければ、ひっくりかえっていたところだ。トレーナーは申し訳なさそうに手を頭の後ろにやった。

 

 

「すまん。名前も書いてあったし、俺も結構メディアに出てたし。てっきり知ってるものかと……」

 

 

知らん知らん、とヒシミラクルはブンブン首を全力で横に振る。これはさすがに物申そうと思った……が。いや待てと思いとどまった。一度も経歴を調べようとしなかった自分にも大きな問題があることに思い至った。トレセン学園では、契約前にウマ娘側でしっかり調べろと口を酸っぱくして言い付けられるのだが、ヒシミラクルはそれをしていなかった。それに、出会ってから何度も気付ける場面はあった。

 

言わなかったトレーナーさんが悪いと思いつつも、それが本当なら知らなかった自分にも落ち度がある。というか他人には絶対言えない。強く出辛い。

 

 

「……ということは、わたし。三冠トレーナーさんの担当バということに……なっちゃうんですか?」

 

「しっかり担当するのは君が四人目だし、あんまり気にしないでほしい」

 

「気にしますよ!!!? だって、それが本当なら……」

 

 

三冠なんて、歴史上の達成者が指で数えられるほどの称号だ。上澄み、雲の上の神様、トレセン学園の全ウマ娘の羨望の的。そんな人に途中からタメ口で話したり、実は凄いトレーナーさんだったんですねとか、結構失礼なことを言いまくってしまった記憶がある。

 

だからヒシミラクルはさっと血の気が引いて青ざめた……だが。

 

 

「すまないな。過去に担当していた子のことで、君の決断に影響を与えたくなかったんだ」

 

「う、まあ……そう言われてしまうと……」

 

 

トレーナーが、すまなそうな顔をする。うつむくトレーナーを見て言葉を詰まらせた。そう言われてしまうと、まあ言い分は分からなくもない。三冠トレーナーだと知っていたら冷静ではいられなかっただろうし……言ってほしかったとは思うけれども。

 

別にこれは悪い話ではない。例えば重賞を勝っているのが嘘だったというなら問題だが、むしろ逆。引っ張りだこのトレーナーさんに見込んでもらえたのだ。約束通りに指導してくれるなら悪い話ではない。何よりデビューすると判断したのは自分自身で、その判断には影響しない。

 

少しの間せめぎあった末に結論を出した。失礼な態度を取ったのもトレーナーさんが実績を教えてくれなかったせいだと。ハッキリ教えてくれなかったのが悪い。何か言われても、お互い様だと割り切ることにした。今後何かあってもそれで押し通そうと決める。

 

 

……で、それはそれとして。

 

そんなにすごい人だったとなると、これからのことに不安は覚えるわけで。

 

 

 

「……トレーナーさん。わたし頑張ります。頑張りますけど……三冠とか絶対無理ですよ?」

 

「大丈夫。行けるところまで行くっていうのが約束だから。称号にこだわりはないよ」

 

「オープン戦に勝てなくても、怒らないでくれますか?」

 

「怒らない。ヒシミラクルのやれる範囲で、一緒に頑張ってくれればそれでいい」

 

 

それなら……うん、いいかも……。ミラクルの天秤が元の方に傾く。

 

言質は取った。別にオープン戦で終わろうと思っているわけではないけれど、重すぎる期待をかけられるのは勘弁してほしいのだ。だってトレーナーさんは普通じゃなかったけれど、自分は普通のウマ娘だから。とりあえず安心した。

 

 

「分かりました。じゃあ、今日はいつも通り。普通にトレーニングをすればいいんですね」

 

「うん」

 

「ユニヴァースちゃんと一緒なのと、ツインターボさんが一緒なのはどういうことですか」

 

「今日は俺と先輩、それにターボの三人で指導するからだな。できるだけ強くなるために!」

 

「……あの。トレーナーさん?」

 

 

約束して早々、とんでもないところに連れて行こうとしていないか。

 

そう目で訴えたが「トレーニングをするだけだから」とかえされた。確かにそれはそうかも。何か特別なことを求められているわけではないし、普通のウマ娘として、普通のトレーニングをすればいいのだ。

 

 

「よぅし。じゃあミラクル! あとネオユニ!! さっそくターボとターボエンジン全開でトレーニングだー!!」

 

「うぅぅ。ユニヴァースちゃんは、いいの?」

 

「ANOI。アセンションに不可欠。だからネオユニヴァースは、"求める"をするよ」

 

 

まだレジェンドを前に腰が引けているヒシミラクルに対して、ネオユニヴァースは明らかに乗り気だった。興味深そうにじっとツインターボを見つめていて、ターボもその視線に気付いて笑みをかえしている。なんだかよく分からないが通じ合っている。成り行きだが、こうなれば全てを振り切ってついていくしかなかった。

 

しかし実際にトレーニングを終えてみると、心配は杞憂だったと分かった。急に練習が厳しくなるとかそういうこともなく、間違いなく充実した時間だったと実感できた。少し大変になった気もしたけれど、トレーナーの言葉に嘘はなく、一ヶ月もすれば明らかに前よりも『レースに勝てそう』と思える実感が湧いてきた。

 

ヒシミラクルは、この人とならやっていけると思った。

 

だから、彼についていく覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最初の目標はオープン戦だ! 未勝利戦に勝ったばかりだから、まずは一つ勝って自信をつけよう!!」

 

「はい! えへへ、いよいよデビュー後初レースですね……!」

 

 

最初に感じた通り、トレーナーとの相性は悪くなかった。しっかりと期待はされているのは分かるけれど、『三冠ウマ娘になろう!!』とかのとんでもない無茶は言われない。前の担当(ツインターボ先輩)が凄まじすぎたので警戒していたが、このくらいの期待がミラクルの肌に合っていた。褒められるのも、レースに勝てるのも、かなり楽しかった。

 

 

 

「やった!! いきなりGⅢに勝つなんて、凄いぞ!」

 

「えへへ……まぐれですよ。たまたま調子がよくて、頑張れちゃったかも」

 

「君の実力だよ。順当に行けば次はGⅡだが……」

 

「ええっ、まだ早くないですか?」

 

「ま、とりあえずやってみよう。せっかく調子がいいのに、同じ場所で足踏みしてるのも勿体無いだろ?」

 

 

人を乗せるのもうまい。それは無理なんじゃ……と思っても、ついつい頷いてしまう。トレーナーの指示は常識の範囲内だ。従わなかったのはプールトレーニングを拒否した時くらいのもの。基本は『やれることはやろう』の精神で頑張った。

 

 

 

「スタミナをつけるのには絶好のトレーニングなんだがなぁ」

 

「プールだけはぜっっっっっっっっったい嫌!! 嫌です! 順調に勝ててるんですから、いいじゃないですか!」

 

「それはそうなんだが。まあ、オグリみたいに海で溺れるよりはいいか……代わりに厳しいトレーニングになるけど、いいのか?」

 

「何がきても泳ぐよりはマシです! ユニヴァースちゃんも勝ったんですから、わたしだって一生懸命頑張りますよ! プール以外なら、なんでもやります!!」

 

 

無理だと思うことはしない。無茶はしないけれど、期待には応える。

 

期待された分だけ頑張りたいと思うヒシミラクルにとって、『行けるところまで行く』という目標は非常にやりやすかった。だから一年以上、自分でもビックリするほど頑張ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……そして。

 

現役でレースに挑戦するうちに、あっという間に時は過ぎてゆく。

 

 

未勝利から一歩ずつ進んできたヒシミラクルは少しずつ勝利を重ねた。振り返ればこんなに勝ったのかと驚くほど。過去の自分に言っても絶対に信じないだろうと思うような戦績を積んでいた。

 

そんなシニア級の中盤に差し掛かった頃。

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

雪のような青白い勝負服を着たヒシミラクルは、新たなステージに立っていた。

 

 

『さあついにこの時が来ました! 世界中のウマ娘が憧れる、伝説の舞台、凱旋門賞(・・・・)! ここで勝利を掴むことこそ、全てのウマ娘にとって至高の栄誉!歴史にその名を刻むのは、誰だ!?』

 

 

レース場には多くのウマ娘がいた。ある者は重々しくも鋭い気配を放ち、またある者は冷静に出走の時を待っている。経験してきたどのGⅠのレベルをも上回る海外最高峰のレースだ。

 

しかし、その中にただ一人。まるで狼の群れに迷い込んでしまった室内犬のような、全く状況を理解していないような表情で呆然と立ち尽くしているウマ娘がいた。それが日本代表・ヒシミラクルだ。

 

 

『遥かなる夢を追い、海を越えて集まった精鋭たち。日本からも、伝説を求めてやってきたウマ娘がその蹄を鳴らします!この地で、日本ウマ娘が世界の頂点に立つ瞬間が、ついに訪れるのか!?』

 

「あ、あの……トレーナーさん……」

 

 

これまで出走したどのレースをも上回る剣呑な気配に晒されて震え上がったヒシミラクルは、青ざめながら観客席に視線をやった。

 

トレーナーはサムズアップを返してきた。隣のツインターボさんは絶対大丈夫だと言わんばかりにどんと胸を叩いた。応援に来てくれた、仲良しのユニヴァースちゃんも一秒遅れて、ターボさんを真似するように同じポーズをとった。他にも駆けつけてくれた先輩達(引退したサトノダイヤモンドほか数人)が手を振ってくれた。違う、欲しいのは応援じゃない。

 

 

 

トレーナーさんにスカウトされてからオープン戦に勝った。その後はGⅢからGⅡ、勢い余ってGⅠにも勝ってしまった。そして、今ここにいる。

 

確かに行けるところまで行くとは言った。プール以外ならなんでも頑張ると言った。海外でレースに出るとは事前に聞いていたし、海外旅行という甘言に釣られて了承してしまった。でもどのくらい凄いレースなのか全く知らなかった。

 

 

 

『栄光の扉を開く一瞬のために、全てを懸けてきたウマ娘たち。世界一の称号を手にするための、最も過酷な戦いが、今始まろうとしています!』

 

「わたし、普通のウマ娘なのに」

 

 

ヒシミラクル的には半分は観光気分だった。だから全てを懸けた記憶なんてない。出発する時に、空港でやけにメディアの人がたくさん来ていたなあとは思ったけれど。GⅠに勝ったばかりだったし、まあ海外に出るウマ娘は珍しいよね、程度にしか思っていなかった。

 

だから集まった期待にミラ子はビビっていた。

 

今までのレースのようにミラクルを起こして、日本に勝利の栄光をもたらしてほしいと。多くの人から願われているのを感じる。普段はズブいが、かけられた期待は決して軽んじない。それがヒシミラクルだ。だから全力で走るけれども……

 

 

「なんで、なんでぇ……っ」

 

 

今さら震える手を抑えきれない。世界一を決めるこの舞台に、あの未勝利戦で諦めかけていた自分が立っているなんて。あまりの重圧に、現実感がまるで薄れてしまいそうだった。

 

 

「どうして、こうなっちゃったのぉ〜〜っ!?!?」

 

 

今更逃げられず、ヒシミラクルは半泣きでロンシャンレース場を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

結果。

 

 

終盤のフォルスストレート。情けなく嘆いていたのが嘘のような強さで、一気に全ウマ娘をぶち抜いた。そして強豪の海外のウマ娘相手に一着を勝ち取った。

 

トレーナーと先輩(ツインターボ)の期待に応えて、少しずつハードルを上げていたら、とんでもないところに連れてこられてしまった。こうしてレジェンド達に引っ張られたヒシミラクルは、行けるところ(凱旋門勝利)まで突き抜けたのだった。

 

 





やっつけ。









【おまけ】
最終話〜エピローグまでの数年間でGⅠに勝った『○○のツインターボ』達の声



メイショウドトウ
「ターボ師匠のおかげで、前より自信が持てた気がしててぇ……そう、そうですぅ! いつまでも負けてなんていられませぇぇん!! 今度こそ、オペラオーちゃんにも気合いと根性で勝ってみせますぅぅ!!」


ナリタトップロード
「菊花賞のあと、全然期待に応えられなくなってて落ち込んでいた時。それはもうすごくお世話になりました!! 師匠に受けた恩は忘れません!! これからもエンジン全開で! 一生懸命走ります!!」


サトノダイヤモンド
「キタちゃんにナイスネイチャ先生がいたように、私には師匠がいてくださりました。凱旋門賞で不甲斐ない結果を残してしまって。でも引退まで悔い無く走れたのは、手を引いて下さったおかげですっ! ……え、師匠のお役に立てることが? はい! 何でもおっしゃってください!!」


ヒシミラクル(凱旋門表彰式にて)
「どうして……どうしてここまで来たんでしょうね……」←New!!



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