【完結】ツインターボは諦めない   作:クロ

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第7話 約束

 

 

「この申請は受理できません」

 

 

 ターボの未勝利戦が終わったその翌日。俺は理事長室に向かって二人の女性と面会した。まず中央の椅子に腰掛けている小学生のように小柄な少女が、幼いながらも中央トレセン学園の頂点に立つ理事長の秋川やよい。控えるようにそばに立っているのが、緑のスーツに身を包んだ秘書のたづなさんだ。

 

 二人は険しい表情を浮かべていた。その原因は俺がテーブルの上に置いた『退職願』の封筒が原因だった。それを受け取れないとたづなさんが首を横に振り、同じく厳しい表情をした秋川理事長が、手に持った扇子を閉じて先端を俺に向けてきた。

 

 

「困惑ッ! このようなものを持ってきた理由を聞かせてもらいたい!」

 

 

 二人が俺に対して怒っているのが伝わってくる。俺はその理由を重々承知していた。

 

 中央トレセン学園は日本で最高の学舎であり、職員は相応の期待を持たれたうえで採用されている。採用の前提として『トレーナーであること』が求められているのだ。それを全て投げ出そうとしていると思われたのだろう。

 

 

「急な話で申し訳ありません。ですが、どうしても必要なことなんです」

「ツインターボさんの件は我々としても申し訳なく思っていますが……」

 

 

 厳しかったたづなさんの表情に僅かに同情的な気配が混ざった。担当ウマ娘であるターボの陥っている状況を知っているためだろう。しかし二人が考えているような理由で、こんなものを出したわけではなかった。

 

 

「責任を取るためと言われればその通りです。ですが、俺はトレーナーであることを投げ出そうとしているわけではありません」

「むっ?」

「それはどういう意味でしょうか……?」

 

 

 俺の返答は予想していたものではなかったらしく困惑する。俺は持ってきた仕事用の鞄から、一冊のバインダーを取り出して二人の前に差し出した。たづなさんがそれを受け取ってくれた。背見出しの部分には『ツインターボ レース結果1』とマジックで記している。

 

 

「過去のレース資料をまとめたものですが、昨日の未勝利戦で出た結果を入れてあります」

「拝見します」

 

 

 たづなさんは戸惑いながらもファイルを手に取り、パラパラとめくっている途中で手が止まる。そして目の色が変わった。信じがたいというような表情に変わった。

 

 

「これは。まさかそんな……」

「所望ッ!! たづな、こちらにも見せてくれ!」

 

 

 たづなさんの顔色が変わったのを見て、秋川理事長もバインダーを受け取って同じページを確認する。そしてたづなさんは俺に尋ねてきた。

 

 

「ツインターボさんは大変な課題を抱えていたはずです」

「はい。まだ完全な解決には至っていませんが、この通り可能性を見せてくれました」

「……たったの一ヶ月で克服したんですね」

 

 

 たづなさんはツインターボの陥っている状況を知っていて、だからこそ資料の示している事実の価値を伝えることができた。

 

 渡した資料には今日の未勝利戦のデータが事細かに記されている。録画などから表やグラフ形式でまとめて、他のウマ娘との比較なども一目でわかるように加工した。結果だけ見れば二着だが、それ以上のレース内容までも読み取ることができるようにした。

 

 これは当然の話だが、この世界は過程ではなく『結果』のみが評価される。その視点だけならターボは未来のないウマ娘と客観的に評価を下さざるを得ない。しかし将来的な素質まで含めれば話は全く変わってくる。

 

 データが示すツインターボの走りは、ただ一点を除いて凡庸だ。しかし最後に見せた1ハロンがあまりにも特別で。俺やナイスネイチャのみならず、たづなさんと理事長をも驚かせた。

 

 

「確かにレースでは負けました。しかし上に行けるウマ娘だということを、今日のレースでターボ自身が証明したんです」

 

 

 ツインターボに実力があるという事実を客観的に示している。現場でレースを観戦するか、あるいはこうして資料を作って可視化しなければ分からないような話だが、たづなさんならばきっと理解してくれると俺は信じた。

 

 俺はターボの想いを未来に繋ぐためにここに来た。資料に目を通し終えた秋川理事長は静かに腕を組む。どう思われているかは分からなかったが、今はただ全力で突っ走るしかない。

 

 

「校則に従えばターボの夢はここで終わりです。ですが俺はターボがトゥインクルシリーズで走り続ける資格があると判断しました」

「話は分かりました。ですがルールを曲げるわけにはいきませんよ」

「いえ、退学を取り消してほしいと直訴しにきたわけじゃありません。そのためにそれを受け取っていただきたいのです」

「それは、どういう……?」

「理解ッ! つまり君はッ、彼女の担当を続けるつもりなのだな!」

 

 

 たづなさんは困惑したが、秋川理事長は俺のやろうとしていることを全て理解した。扇子を握り直し、その先端で俺の提出した退職願を示す。俺は頷いて答えた。

 

 

「はい。トレーナーの仕事は夢を追うウマ娘を導くことです。俺はツインターボの夢を叶えると約束しました。ターボが諦めていない以上、トレーナーを続けたいと思っています」

「納得ッ! まず君の意志は理解したっ! そして感謝ッ! 彼女を導いてくれたことに、心から礼を言わせてほしいッ!」

 

 

 一介の新人トレーナーでしかない俺に、秋川理事長は深々と頭を下げてくる。しかしその礼は受け取ることができない。そもそも今の状況に陥らせたのは俺の落ち度だ。

 

 

「そのお礼は受け取れません。俺がもっとしっかりしていれば、そもそもターボを悲しませることはなかったんです」

「トレーナーさん……」

「ですが未熟者の俺でも、できることはあります。ターボは諦めずに魂を燃やして走ってくれました。あの奇跡の走りを無為にするわけにはいかないんです」

 

 

 言い切って、それから改めて二人の目を見る。これ以上ないほど深く頭を下げて理事長に頼み込む。

 

 

「今日ここに来たのは二つお願いをするためです。聞いてもらえますか」

「……承諾ッ。まずは聞かせてもらおう」

「俺をターボと同じトレセン学園に移籍させてください。そしてもしターボが条件を満たすことができたのなら、学園への再編入を許していただきたいんです」

 

 

 身勝手な願いなのは分かっている。一人の都合で振り回していいはずがないのは分かっているが、これ以外に夢を繋ぐ方法を思いつかなかった。

 

 ツインターボを一人で地方に追いやっても、勝手に育って勝てるようになるはずがないのだ。本気で、最速でターボを這い上がらせてやれるのは俺しかいない。そのために俺は行かなくてはならない。

 

 秋川理事長は再び腕を組んで険しい表情。たづなさんも考え込むようにうつむいて、それは難しいのではないかという表情を隠さなかった。

 

 

「君の言い分は分かった。が、しかしッ!」

「はい。一度退学になったウマ娘は学園に再編入した例は過去にありません。ローカルシリーズで実績を示したとしても、理事会を通すことは困難でしょう」

 

 

 未勝利戦に勝てずに退学になったウマ娘が復帰することが許されるかと言えば、ルールや校則に定めはなく、URAの規定にも特に記載されていない。しかし規定がないのは、規定する必要がないからだ。そして難しいのは、これはターボ一人の問題ではないということだ。

 

 仮に認めると問題が起きる可能性がある。『一度退学になったウマ娘でも簡単に復帰できるんだ』と誤解されたり、『あの子はいいのにどうして私はダメなの』などと言われるかもしれない。不要なリスクを取らないのが大人の社会。前例がないことは世間では通らないのが常だ。だから仮に実績を残すことができたとしても、中央トレセン学園が否と言えばそれで道は閉ざされてしまう。

 

 しかし、どれほど薄い可能性であったとしても賭けなければならない。

 

 だって俺は一緒に叶えると約束した、ツインターボのトレーナーなのだから。

 

 

 

「ツインターボは必ずGⅠを取るウマ娘になります。どうかお願いします!!」

 

 

 秋川理事長だけの力でどうにかなる問題ではないかもしれない。しかし俺は、この人に知ってもらわなければならない。少しでも誠意を尽くして本気であることを知ってもらわなければならなかった。

 

 秋川理事長は少しの間口を閉ざして考えていた。しかしやがて勢いよく扇子の先端を俺に向けて、鋭く問いかけてくる。

 

 

「疑問ッ! 成せればよいが、成せなかった場合に君はどうするつもりなのかっ!?」

「俺はツインターボを必ずGⅠレースに勝たせます。ですが万一駄目だったときに、おめおめとトレーナーを続けようとは考えていません」

「……そこまでの覚悟をされているのですね」

 

 

 これほどの願いをしているのだ、自分だけ退路を残していいはずがない。

 

 秋川理事長とたづなさんは視線を合わせて頷いた。その結果は同意見だったようで、扇子と手のひらを叩き合わせて乾いた音を鳴らした。そして俺の出した退職願を手元に引き寄せる。

 

 

「あいわかった! そこまでの覚悟があるのなら、我々は君の願いを受け入れよう!!」

 

 

 その場に立ち尽くした俺の前で、ぱらりと扇子を開いて了承の意をかえしてくる。頼んだ本人である俺は信じられない思いで思わず尋ねた。

 

 

「いいんですか……?」

「うむ、受諾ッ! 君の担当ウマ娘への想いを汲んで預かることにするッ! 確かに君の言う通り困難な願いだが、もとは我々の責任でもあるっ。ゆえに前例が原因で夢が阻まれることがないことを、この場で私が保証しようっ!」

 

 

 まさかこの場で了承の返事がもらえるとは思っていなかったが、学園のトップが是と言ったからには決まりだ。心の中で戸惑いと喜びがせめぎ合う中、たづなさんが念の為にと釘を刺してくる。

 

 

「これはお二人を特別扱いするという意味ではありません。優先的にスカウトするとか、採点を甘くするなどといったことは一切しません。他のウマ娘と平等に扱います」

「もちろんです、ありがとうございます ……!」

 

 

 はなから優遇されることなんて望んでいない。俺が申し入れたことは歴史ある中央トレセン学園の中でも突拍子もない願いだったはず。無謀な挑戦が成せる可能性がゼロではなくなった、その事実だけで感謝があふれた。俺は秋川理事長とたづなさんに対して最大限の礼を示したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ターボの退学が決まって数週間後、8月某日の朝方。

 

 朝日が差し始めたばかりの早朝に、トレセン学園美浦寮の前に小型の引っ越しトラックが停まっていた。引越し業者の制服を着た外部のウマ娘が作業を行っている。普段よりも少しざわついている寮の前にバイクでやってきた俺は、エンジンを切ってヘルメットを外した。

 

 

「ふうっ。まだ早かったか……?」

 

 

 寮の窓を見上げて様子を確かめると部屋のカーテンは全て閉まっている。まだほとんどのウマ娘は夢の中。今日がツインターボの退寮日。出迎えにやってきたのだが、もう少し遅くてもよかったかもしれないと小さく欠伸をした。

 

 様子を見にいこうにも、担当トレーナーといえど学生寮の中に入るわけにはいかない。バイクに腰掛けながら引越しの様子を見守っていると、寮の方から赤色のジャージを来たウマ娘が出てきた。

 

 あれは……もしかして、ヒシアマゾンか。

 

 褐色肌の彼女は学園でも数少ないGⅠレースの頂点を勝ち取った名ウマ娘の一人。この美浦寮の寮長でもあるヒシアマゾンだとすぐに気付いた。腰掛けていたバイクから降りて、駆け寄ってきた彼女を迎えた。

 

 

「寮長のヒシアマゾンさんですね、長い間ターボがお世話になりました」

「ああ。あんたが噂の、ターボに付いてくっていうトレーナーかい。礼なんていいよ。寮生を守るのがこのヒシアマ姐さんの仕事だからね」

 

 

 彼女はなんでもないことのようにひらひらと手を振った。だがヒシアマゾンと言えば、ナイスネイチャに次いでターボの口から名前の上がったウマ娘だ。相当お世話になったに違いない。

 

 ヒシアマゾンは寮の建物の方を視線で示した。

 

 

「ターボはまだ作業中だからちょいと待ちな。早いうちに片付けるよう言ってあったんだがね。昨日バタバタとやり始めたみたいで、時間がかかっているみたいなのさ」

「終わるまでここで待たせてもらっても構いませんか?」

「もちろん……さあて、そうなると手すきか。暇ならちょいと雑談に付き合ってもらっても構わないかい」

「はあ」

 

 

 ヒシアマゾンは腕を組みながら、探るような視線でじっとこちらを見つめてくる。

 

 これは……なるほど疑われているようだ。初対面のナイスネイチャや、退職願を出した時の秋川理事長、たづなさんと同じ疑わしげな視線が向けられている。彼女が何を思っているのかは察しがついた。

 

 

「アンタ、ターボのために中央トレーナーの立場を捨てるそうじゃないか」

「……まあ、そうなりますね」

「ローカルで勝っての再スカウトねえ。そんなことを本気でやろうっつーのは、酔狂にも程があるんじゃないかい」

「同期のトレーナーからも同じことを言われましたよ」

 

 

 俺は苦く笑うしかなかった。ヒシアマゾンの言葉は正論だ。俺はターボを勝たせるために中央トレーナーを辞める。狭き門を潜ったばかりでその立場を手放すのは、酔狂と思われても仕方がない。

 

 必ず夢を遂げられる確信があるわけじゃない。スカウトに目をかけてもらえなければそれまでだし、たとえば一度でも怪我をすればあっけなくチャンスは失われてしまう。そんな無謀な挑戦をなぜするのか。ヒシアマゾンは嘘を見透かそうとするかのように赤色の瞳を細め、真意を透かそうとしてきた。

 

 

「担当を続けるためなら今の立場も惜しくないってのかい」

「惜しいですよ。俺だって中央のトレーナーになるために人生賭けてきましたから」

「それでもやるってのかい。なぜ?」

「ツインターボはあなたをも超えるウマ娘になるからです。だから立場を捨てたなんて思っていません」

 

 

 ヒシアマゾンは俺の回答に目を丸くしたあと、少しして吹き出すように笑った。

 

 

「ぷはっ。アンタ聞いてた通りとんでもないトレーナーだねえ。そこまで言い切るかい!」

 

 

 笑われたが、決して馬鹿にするようなものではない。俺の回答はヒシアマゾンの気に入るものだったらしく気持ちのいい笑い顔がかえってくる。俺も気を緩めて苦笑いした。

 

 

「ターボが勝てなかったのはただ巡り合わせが悪かっただけだ。今諦めてない時点で間違いなく素質がある。それを見てトレーナーを辞めるなんて、それこそありえませんよ」

「そいつは同意見だよ。あれはまだもっと走れる子さ……希望すりゃあ学園にはしばらくいられるのに。一番乗りで退寮するのはローカルシリーズを走るためだと聞いたけど。そいつも入れ知恵かい?」

「はい。スカウトを取るために、ターボには一戦でも多く勝ってもらわなくちゃいけませんから」

「夢を持たせた責任はちゃんと取るんだろうね」

「必ず連れ戻しますよ。それが俺の背負う責任です」

「気に入った。いいね。どんなヤツかと思ってたけど、あんたはいいトレーナーだ」

 

 

 ヒシアマゾンは俺を気に入ったらしくバンバンと俺の背中を叩いてくる。ウマ娘パワーがそのまま伝わってきたのでちょっと痛かったが、本人に悪気はなくからからと笑っていた。俺も悪い気はしなかった。

 

 

「分かった。その挑戦に免じてあの子の部屋はそのまま空けとくよ。行くのは西のトレセンだって?」

「ええ。一番早く受け入れてくれたので、そこに決めました」

「夢の終わりまでしっかり見せてもらうからね」

 

 

 ヒシアマゾンの気遣いに感謝していると、寮の入り口から聞き慣れた声が俺を呼んだ。

 

 

「──あっ、とれーなーだッ!」

 

 

 見ればウマ娘用ヘルメットを大事そうに抱えているツインターボだった。赤色ジャージの上にプロテクターなどの防具をつけ終わっていて移動準備は万端だ。ということは引っ越しの準備を終えたのだろう。ターボを見るヒシアマゾンの表情が和らいだ。

 

 

「作業は終わったのかい」

「うん。さっきのでターボの荷物は全部だ!!」

「そうかい……向こうに行っても、体に気をつけるんだよ」

「ふふん。とれーなーがいるからへっちゃらだぞ!」

 

 

 ヒシアマゾンはターボの頭を優しく撫でる。別れの時が来てしんみりするかと思いきや、ターボは普段通りの元気そうな笑顔を見せた。まったくいつもの調子だ。

 

 引越し業者のウマ娘は一足先に出発した。これでツインターボの荷物はなくなって、いよいよ学園とさよならする時がきた。三人でトラックを見送ったあと、ヒシアマゾンが改めて俺の乗ってきたバイクを呆れたように見た。

 

 

「しっかしまあ、これまでいろんな子を見送ってきたけども。バイクで学園を出ていくのはあんたらが初めてだよ」

「すみません。ターボがどうしてもこれがいいって言うもんですから……」

「格好いいでしょ。ターボこれがいいの!!」

 

 

 引越し業者のトラックに乗せるつもりだったのだが、ターボは絶対にバイクに乗るぞと嫌がったのだ。バイクに一度乗せてからすっかり味をしめてしまったらしい。装備はちゃんと全部整えたので断る理由はなかったのだが、ヒシアマゾンを呆れさせるくらいには甘やかしすぎたかもしれない。

 

 とはいえツインターボは今まで我慢に我慢を重ねて涙を飲んでいる。だから、このくらいのわがままを聞いてあげたってバチは当たらないだろう。ターボと同じように俺も改めてヘルメットをかぶりなおした。

 

 

「ターボ。アタシがいなくても、トレーナーの言うことを聞いてしっかり励むんだよ! トレーナー、アンタにツインターボを預けたよ」

「いってきます!!」

「任されたよ、ヒシアマゾン」

 

 

 激励してくれるヒシアマゾンの前でヘルメットのシールドを下げ、ターボがしっかりと背中にしがみついたのを確認した。スタータースイッチを入れる。エンジンがかかり重低音とともに揺れ始めた。

 

 クラッチをつないで俺とツインターボを乗せたバイクが動き出す。これで本当に最後だ。ミラー越しに背後を確認すると、ターボは顔を後ろに向けて美浦寮とヒシアマゾンを見ていたが、途中でうつむいて俺の腰をギュウと強く掴んでくる。

 

 泣きそうな顔で唇を噛みしめているのがかすかに見えた。ヒシアマゾンの前だから我慢していたのか、いよいよその時が来て溢れてきたのか。戻ってくると約束はしたけれど未来は分からない。しかし、それでも俺は前を向く。

 

 

(ツインターボ。君は諦めないと言った。なら必ず夢を叶えることができると俺は信じる。俺も君を支えられるくらい立派なトレーナーになって、ここに戻ってくる)

 

 

 俺はターボが泣いているのに気づかなかったふりをして視線を前に戻した。そこで路肩から人影が走って近づいてくる姿を捉えて、わずかに思考に空白が生まれた。瞬間、急いでギアを戻してブレーキを踏む。

 

 

「……!」

 

 

 それほど速度を出していなかったために大した反動もなく停車できた。しかし前の様子を見ていなかったターボは驚いた様子で、慌てて声をあげた。

 

 

「っ、どうしたの、とれーなー」

「──ツインターボッ!!」

 

 

 ターボの戸惑い声は、別な声に遮られた。

 

 飛び出してきたそのウマ娘はターボの名前を呼んで走り寄ってくる。ツインターボは驚いた様子でヘルメットのシールドを上げた。息を切らしながら走り寄ってきたウマ娘の肌は汗ばんでいて、相当急いでここにやってきた様子が伺える。

 

 

「ネイチャ……!?」

 

 

 飛び出してきたのはナイスネイチャだ。普段と違って髪を結っておらず、特徴的な赤緑色のメンコも付けていない。急な親友の来訪を見たターボは慌ててバイクから降りようとしたが、ネイチャは肩を掴んでその場にとどめた。

 

 未勝利戦のあと二人が会っていなかったことは話に聞いている。きっと気まずかったのだろう。ツインターボは申し訳なさそうにうつむいて打ち明けた。

 

 

「ネイチャごめん。ターボね、だめだったんだ……」

 

 

 ターボは謝罪する。ナイスネイチャにとって今がクラシック級挑戦の大切な時期だ。必死に足掻いた一ヶ月では何度も練習に付き合ってもらった。だから勝てなかったことを負い目に思っていた。しかしネイチャ自身は首を横に振った。

 

 

「謝るのは私の方。アタシはもっと何かできたはずなのに、友達のアンタを助けられなかった。辛い想いをしてるのに何もできなかったこと……毎日ずっと後悔してた」

「…………」

「でもっ、それでも。今日でお別れなんて思ってない」

 

 

 ネイチャの表情には悔しさと後悔が滲んでいる。今生の別れを告げるつもりで来たのかと思ったが、そうではない。彼女は胸に自らの手を当てながら高らかに吠えた。

 

 

「だから別れの言葉は言わない。アンタならここに戻ってくるって、アタシは信じる!!」

 

 

 ナイスネイチャの声は震えていて、しかし力がこもっている。それはツインターボが切望していた言葉だ。泣くのを一生懸命我慢していたターボの色違いの瞳が水辺のようにくるりと光って、ヘルメットの内側でぼろぼろと大粒の涙を落とした。

 

 

「ライバルとして、トゥインクルシリーズでアンタを待ってる。必ず勝ち上がってきなさい。ツインターボ……!!!」

「っ……!!!」

 

 

 ターボは乗っていたバイクから立ち上がり、飛び出して。そのままナイスネイチャの胸に飛び込んだ。ネイチャは、それをなんなく受け止めて胸の中におさめる。

 

 

「勝つよっ……ターボ、ぜったい最強のウマ娘になって戻ってくるからっ……」

「分かってる。アタシはずっと、ここで待ってるから」

 

 気丈に振る舞おうとしていたツインターボは、親友の胸の中で子供のように泣きじゃくった。ナイスネイチャの目尻にもかすかに涙が浮かんでいた。

 

 俺は視線を上げて空を見上げる。旅立ちの日にふさわしい、茜色の夜明け空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ねえ、とれーなー』

「何だ?」

 

 

 俺とターボを乗せたバイクは最高速度で高速道路を走っていた。メーターはウマ娘の出せるスピードを遥かに超えた値を示している。最初は前を見るどころか、怖がって顔を隠すように密着していたのに、一時間も走ると余裕が出て風とエンジン音の中で前を見て楽しむようになった。

 

 何気ない時間を過ごしていた時。しっかりと腰に手を回したまま、インカムを通して囁くように尋ねてきた。俺は振り返ることなく聞き返す。

 

 

『ターボ、ちゃんと夢を叶えられるかな』

 

 

 初めてターボの口から弱気な言葉が溢れる。俺の脇腹あたりのジャケットを握りしめていた。

 

 口では強がっていても、負けた悔しさや将来の不安は確実に心を蝕んでいるのだと改めて思い知らされる。そして俺も同じだ。人生を賭けて得た職を投げ出して不安で仕方ない。失敗したらどう生きていこうかなんて何度考えたことか。俺はハンドルを強く握りしめて──笑った。

 

 

「叶うさ」

 

 

 振り返る必要はない。どうやら俺は突っ走るのが性に合っているらしい。言い切ってしまうと清々しい気持ちになって、こわばっていた力も自然と緩んだ。ターボは視線を上げて後ろから俺の顔を見た。

 

 

『そうかな』

「そうさ。だって俺だけじゃない。ナイスネイチャやヒシアマゾン、秋川理事長、たづなさん。みんなターボのことを応援してるんだ」

 

 

 一つ、俺の自信につながっている事実を伝える。

 

 いま名前をあげたのはターボの歩もうとしている道がどれほど険しいかを身をもって知っていて、それでも応援してくれた人々だ。ウマ娘として頂点に挑戦している者、あるいはそれを導く役割を負ってきた教導者たち。彼女たちがツインターボなら本当に成し遂げてくれるかもしれないと思ってくれている。

 

 俺だけの決断だったなら、きっと今の問いにどう答えるべきか迷っていたはずだ。これからはみんなの想いが俺たちを支えてくれる。

 

 

「諦めなければ、どんなことだってやれる。そうだろう?」

『そっか……そうだねっ!!』

 

 

 不安げだったターボも、その言葉でもとの明るい笑顔に戻ってくれた。

 

 無謀な挑戦は百も承知。成せば成る。振り返らずに突っ走ってやりきるのが俺たちのやり方だ。俺は高速道路でアクセルを回してバイクを加速させる。ターボも突き抜ける風とスピードを楽しんで、片腕を振り上げた。

 

 

「新天地目指して、いくぞツインターボ!」

『うん! カサマツトレセンに向けてっ! ターボ全開だぁーーっ!!!』

 

 

 ここから誰も進んだことのない道を往く。

 雲一つない晴天の空は、まるでこの旅立ちを祝福してくれているみたいだった。

 

 

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