いきどまりの鬼   作:あん仔

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江戸修行

 日本の幕末期には(おに)久助(きゅうすけ)と呼ばれた人斬りがいた。

 

 

 

 女の身でも刀を振るっても良いのだと、先生は言ってくれた。

 だからこの剣は先生のためにだけ、先生の志のために振おうと心に決めた。

 

 その心こそが、私の誇りで、剣そのもので人生で。

 

 

 家出同然に故郷を飛び出して、同郷の昔馴染みからの文で先生が切腹をしたと知るまでは──。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 土佐藩に生まれた。

 邑田という上士の家に、長女として生まれた。

 

 

 私は生まれつき同じ年の誰より体が大きく力が強かった。そして暴れん坊だった。

 

 鬼子と言われ始めた私を父は少しでも落ち着くならと、弟と共に道場に放り込まれた。

 

 武市瑞山の道場だった。

 

 

 十五の歳。

 

 

「藩の臨時御用として江戸に行くことに決まったき、おまんも来んか」

「へっ」

 

 

 道場に顔を出すと先生に呼ばれて開口一番の言葉だ。

 

 

「どいた嬉しゅうはないか。おまんはうちの道場でも一二の剣の腕を持っちゅうき、ええ刺激になるろう」

「それは嬉しいけんど、……父様が許すか……」

「お父上から許可は頂いちゅう。剣を極めたいならついて来るとええ、久助」

 

 

 先生の真っ直ぐな言葉に途端にしどろもどろになってしまって、腰に差す刀の柄を何度も握ってしまう。

 

 久助は私の名前だ。

 

 邑田家の長女、とはいえ幼い頃の弟は体が弱くその厄払いとして弟が元服を迎えるまでは私が長男として育てられた。

 ただそれだけの男としての名前。男としての生。

 

 弟が成長した今となっては無用になって久しい[[rb:名前 > 私]]

 

「ええんやろうか? わしが剣を極めてしもうても? 誰より強うなってしまうけんど」

 

 誰よりも剣の才能がある自信があった。

 武市先生の弟子の誰よりも、以蔵なんかよりも私の方がずっと天才だし、ずっと強い。

 

 生意気を言っている自覚もある。

 すると先生は小さく吹き出して、望むところだと微笑んだ。

 

 

「この刀をおまんに貸しちゃろう」

 

 

 そして、私に刀を貸してくれたのだ。

 

 

 それから私は永劫にその刀を返す機会を失ってしまうことになる。

 

 

 

 ★

 

 

「どいて、おまんもついてくるがよ」

「わしは剣の天才やき」

「あぁ!? わしの方が天才やけんど!?」

「はぁん? わしに一度も勝てちょらんくせに何を言いゆう」

「勝っちゅうわ! おまん、記憶を消しちゅうぞ!」

 

 

 江戸に着いてからも、ぶつくさと不満そうに言う以蔵を鼻で笑う。

 歳が近いこともあってか、以蔵とは昔からこんな風にギャンギャンと言い争う仲だった。

 私の方が強いけどね〜、と口笛を吹きながら顔を真っ赤にしてムキになる以蔵の竹刀を躱す。

 

 実際、私と以蔵の剣の腕は良いところ同等くらいだ。

 悔しいことに私は以蔵をまだ一度も真っ向から負かしたことがない。

 それはそれとして私の方が強いんだけど。

 

 

「久助さん、久助さん」

「なんちや、龍馬」

 

 

 邑田久助として江戸での修業中、同じく江戸に剣術修行に来ていた龍馬が手招きをしていた。

 士学館での稽古終わりのことだ。

 

 他の塾生たちはそれぞれ江戸観光に出掛けている。

 それは主に遊郭やらなんやらで、私には興味のない場所だった。

 

「これ、さな子さんのお古を借りて来たんや。久助さんは他の奴らと違うて江戸に来てこっち稽古ばっかしで退屈やろ?」

「へえ、こがにええもんをわしが着てもええのか?」

「そう言うてさな子さんに借りてきちゅうき。よかったら一緒に遊び行かん?」

 

 

 ニコニコと綺麗なおべべを持った龍馬はお人好しの見本のように笑っている。

 

 

 道着から龍馬から渡された着物に着替えて、腕を広げてクルリと回る。

 袖に散った梅の花の柄が控えめで可愛い。

 

 

「わしゃ何でも似合うのう。剣だけじゃのうて見た目も天才じゃ」

「うんうん」

「なんだよ、言いたいことがあんなら言えよ」

「いやいや、似合ってるよ。久助さん」

「けっ!」

 

 

 わざとかなんなのか、このタイミングで土佐弁をやめた龍馬から顔を背ける。

 

 

「んー、かわいいお嬢さんを久助って呼ぶのもなんだかだし、お久さんと呼ぼうか」

「好きに呼べよ」

 

 

 ニコニコと、幼い頃から変わらないお人好しは私の手を引いて町へ歩き出す。

 多分傍目には兄妹に見えているだろう。

 

 

「あの店のお団子が美味しくてねぇ、お久さんにも食べさせたかったんだ」

「ふうん、そんなに美味いなら先生にもお土産に持って帰ってやろ」

「うん、アギもきっと喜ぶよ」

 

 

 小さな茶屋に入り、龍馬が言う。

 小さい店舗ながらに店内はそこそこ混み合っている。

 

 注文しての待ち時間。店内に道着姿の三人組がドタバタとやって来た。

 背の高い青年二人に、線の細い少年。竹刀袋を肩にかけて稽古帰りなのだろう。

 線の細い少年は、よくよく見れば少年のものではない肩の丸さと骨格をしている。

 

 

「今日も沖田さんのだいしょ〜り〜! ねえねえ近藤さん、お祝いにお団子を買ってください!」

「近藤さんにたかるな! 沖田ぁ!」

「なんですかなんですか、土方さんのいじわる〜」

 

 

 沖田、近藤、土方。

 三人組から聞こえてきた名前にふと、どこかで聞いたことがあるような不思議な感覚に囚われる。

 

 

「あの子、女の子だね。お久さんと同じで剣術道場に通ってるんだね」

「……」

「年も同じくらいかな? 話しかけてみたら?」

「下手なナンパじゃあるまいし嫌だね。気になるならお前が声かけてこいよ」

「いやいや、僕が声をかけたらそれこそナンパじゃないか」

 

 

 私が三人組を気にしていることに気がついたらしい龍馬がもしかしたら友達になれるかもよ、と囁く。

 龍馬の脛を蹴り上げた。

 

 

「江戸には友達作りに来てるわけじゃないから」

「んー、友達は多い方がいいと思うけど」

 

 

 困ったように苦笑して、龍馬は頰を掻く。江戸に来て、武市先生も龍馬もあちこちの藩の男たちと交友を深めていることを知っている。日本の未来について憂いているらしいけどそれに関して私は全く興味がなかった。

 いつもの癖で柄を握ろうとして、腰に差していないことを思い出す。

 

 女物の帯では刀を差せない。それだけが不満だ。

 

 

「本当に一人で平気かい?」

「平気平気。私は強いしな」

「うん、それもそうか。じゃあ着物は明日にでも取りに行くよ」

 

 

 茶屋を出て、しばらく歩いて湯屋に行くと龍馬と別れた。

 龍馬はお団子の包みを抱えている。

 これから龍馬は馴染みの遊女に会いに行って貢ぐんだろう。

 才谷のボンボンはこれだから。文に書いてお姉さんにチクってやろう。

 

 

 体を洗うこと自体は普段から出来るけど、湯屋の女湯に入ってお湯に浸かるのは中々難しい。

 一応男装というか男として江戸に来ているから気持ち的な問題だ。

 

 

 体を洗いお湯に浸かる。全身の筋肉が解れるような心地よさ。

 

 風呂はいい。

 

 

 また女物の着物を着て湯屋を出た。ホカホカと体から湯気が出ている気がする。

 

 

 ふと道の先が騒がしい。

 見れば上等な着物を身につけた少年たちが言い争いをしている。

 

 

「うるせえなぁ! 俺より弱いくせに偉そうに言ってんじゃねえよ!」

「なんだと! 口の聞き方には気をつけろよ、山口!」

「ハ! 親父の身分を傘に着なきゃぁ喧嘩も出来ねえのかぁ? いい身分だなぁ!」

「貴様!」

 

 

 あらあら、と思いながらその脇を通り抜けたとき、タイミング悪く肩を押されて体のバランスを崩した少年にぶつかられてしまった。

 

 

「わあ」

「ッ、」

 

 

 背中から来たもので、完全に油断してたこともあり地面に手をつき転んでしまう。

 風呂に入って身綺麗にしたばかりというのに手のひらには砂利が食い込み、さな子さんから借りた着物にも泥がが……。

 

 

「あぁ……」

 

 

 運悪く、転んだそこには泥が広がっていた。洗って落ちるか、と思わず眉を下げる。

 龍馬に説明すれば分かってくれると思うけど……。

 

 

「あーあ、お姉さん、平気ぃ? お前が押すから」

「わ、お、山口が悪いんだろ!」

「いや、お前だろ」

「どっちでもいい、くだらん」

「な! 女のくせに……なんて物言いだ!」

 

 

 押した方の少年が言い訳がましくそう言うと、押された──私にぶつかった少年が眉を吊り上げ言い返す。

 人をダシにして喧嘩を続けるのはやめてほしい。

 

 

「どっちも同じくらい弱いんだから喧嘩はやめとけ。目くそ鼻くそを笑うって言うんだよ、お前らみたいなのの喧嘩は」

「ハぁ!?」

「なんだと女風情が!」

 

 

 少年たちの眉が吊り上がる。お互いに向かっていたヘイトが一気に私へ向かってきた。

 ともかく私もこの着物の仇を取らねば腹の虫がおさまらない。

 手のひらの埃を払いながら立ち上がり少年たちと向かい合う。

 

 おそらく短気なのだろう。押した方の少年が私へ向かって手を伸ばしてくる。

 少し、脅すだけのつもりの敵意の薄い拳だ。

 

 

 その腕を掴み、ぐるりと一回転させて地面に転がす。

 

「はえ」

「は、はぁ?」

「愚か者ども。女だ身分だと相手を侮るから恥をかくのだ」

 

 残る少年を指差して、偉そうに説教をかました。

 

 実際に現実の力量に女も身分も関係ないので、至言と思え。

 

 性別年齢による腕力の差はあれども。

 

 

「ま、まて、まて」

「言い訳無用。この着物の仇を打たせてもらおう」

「わ、ワー!?」

 

 顔を青くして、顔の前で手のひらをふる少年の手首を掴む。

 ぐるり。

 

 

「わ、わ……」

「フン」

 

 

 強かに地面に体を打って目を回す少年たちを残して、私はその場から立ち去った。

 ザワザワと騒ぎを見ていた人たちの視線が痛かったのだ。

 

 

 

「近くで武士の子を投げ飛ばした正体不明の娘がいるらしい」

「へえ」

「とても凶暴な娘だったそうで、その娘を投げ飛ばされた子たちが探しているようだ」

「へえ、江戸って物騒」

 

「久助」

「私悪くないもーん」

「まあまあ、久助さんも着物を汚されてるわけだし」

「……他に正体が気づかれていないようなのが救いだが、久助。次はもう少し考えてから行動しなさい」

「へーい」

 

 

 後日、騒ぎを聞きつけた武市先生に釘を刺されてしまった。

 

 さな子さんには洗って綺麗にした着物を返したので一件落着ということでここは一つ。

 

 

 ……なんで私のこと探してるんだ?

 

 

 

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