「はいこんにちは」
「暇か」
「いやあ、だってアンタ重要参考人だしね」
「あ、斎藤さん」
「はい、八十ちゃんもこんにちは。最近近くで変な感じの怪しい奴を見かけなかった?」
「見かけてないです! ね。先生」
「そうですね。新撰組のおかげで巷の不穏が嘘のように平穏ですよ」
「あらぁ、嬉しいこと言ってくれるねえ。ね、沖田ちゃん」
「あはは、そうですねえ……八十ちゃん、こんにちは」
「沖田さんもこんにちは!」
訪ねてきたのが斎藤であると知り、奥から現れた八十が寄ってくる。
斎藤の隣にいた沖田も、なぜ自分がという顔をしながら相槌を打つ。
流石に隊長格二名を相手にするのは手間である。
そのためこの間のような不穏なやりとりはなくなり、表向きだけ穏やかな会話が続く。
「いつもご苦労様です。よければお茶でも出しましょうか」
「遠慮しときます、もう帰りますんで」
瞬間沖田の足が斎藤の尻を蹴り上げる。
「っでぇ! 何すんだ沖田ァ!」
「斎藤さん! 何やってんです! チャンスですよ! ここでケリをつけて私を巻き込むのはやめてください!」
「えー? 急に耳が遠く……」
「斎藤さん!」
小声の会話には聞こえないふりだ。
何やら思惑がありそうで、とても嫌。
こうも警戒されてしまうと、同志からの接触も先生からの文も受け取れない。
本気で困る。
どう対処したらいいのか分からない。教えて先生……。
コイツら揃って殺してもいいだろうか。でもそうしたら世話になった篠田様に、八十にも迷惑をかけてしまう。
どうしたらいい、動けない。
「お、いたな。キュースケ。お竜さんだぞ」
夜が更けたころ。
そんな暢気な声が空から降ってきた。
夜闇に解ける真っ黒な長い髪。人ならざるものの鮮やかな瞳が宙を浮いていた。
「お竜、どうしてお前が……まさか龍馬もいるのか?」
「キュースケが新撰組とかいう奴らに監視されてて連絡が取れないとリョーマが困っていたからお竜さんが文を持ってきてやったんだぞ。飛脚お竜さんだ」
お竜がふよふよと顔の近くを泳ぐ。
その手から文を受け取り、中に目を通した。
今の龍馬の現況と各地の志士の情勢が記されている。有難いなあ。
「……元気そうだな」
「リョーマは元気だぞ。あとなんか武市からお前宛の文もある」
「……」
もう一通。お竜の手から文を受け取る。
流麗な先生の文字。
恐る恐る広げて、愕然としてしまう。
【久助。お前はこれより剣を捨て、ただ一人の[[rb:女子 > おなご]]として生きなさい。お前を娘のように世話して欲しいと篠田様には頼んである】
要約すると、そんなことが記されていて、
「……アァ?」
こめかみの血管が浮かび眉間には皺が、喉からは怒りの声が漏れた。
「それじゃあ二人の文は確かに届けたぞ。返信があるならまた来てやろうか?」
「……いい。わざわざ届けてくれてありがとうな。お竜」
「気にするな。リョーマの頼みだ」
来たときと同じようにお竜は空から飛んで去っていった。
室内に一人で残され、ぐしゃりと手の中で文を握り潰す。
今さら女として生きろって何だよ、クソが……。
・・・
剣を与えてくれた人に剣を捨てよと言われてしまった。
私の剣は先生のために振おうと決めていた。ならば、その先生が不要というなら大人しく捨てる他にないのだろう。
文を読んですぐは怒りを抱いたけれど、それでも先生が言うなら、と怒りを飲み込んだ。
床の間に飾っておいた刀を眺める。
先生から貸してもらっている刀も返さなければいけないだろう。
刀掛けから持ち上げて、ほんの少し鞘から抜く。研ぎ澄まされた刃が白く光る。
いつでも使えるように……篠田家に世話になる間にも手入れを怠ったことはなかった。
「こんにちはぁ」
「……」
「あら、なんだか元気ない?」
「今日は一人か……」
門口に斎藤が立っている。
ヘラヘラとしていた斎藤の視線が手にしたままの日本刀へ一瞬移り、目が細められた。
「丁度いいところにやって来てくれたな、壬生狼」
「へえ……? 本性隠すのはやめたってワケかよ。鬼久助」
八十は手習いに行っている。
この時勢にと思わなくもないけど、動乱を過ぎても生きるならば必要なことだろうと説得した。
鞘を後方に投げ捨て、刀を構える。チャキ、と目の前で鍔鳴りの音。
お互いに見合う。
先に仕掛けたのは私だった。斎藤へ地面を蹴って、刀を振るう。
──女の身でも刀を振るっても良いのだと、先生は言ってくれた。
──だからこの剣は先生のためにだけ、先生の志のために振おうと心に決めた。
──その心こそが、私の誇りで、剣そのもので人生で。
なら今の私は何だろう。
ふと腕から力が抜ける。気力のない刃に何かを斬れるはずもない。とくにそれが新撰組の隊長格ならばなおさらに。
視界を赤が塗りつぶす。冷たい切先が、熱された火鉢のような灼熱を右目に襲う。
「……馬鹿が!! 殺す気ねえなら刀なんざ抜くんじゃねよ!!」
斎藤の怒鳴り声。
手拭いが右目に押し当てられて、血を吸い赤く染まっていくのが視界の端に見えていた。
何でコイツは応急処置をしようとしてるんだ。私は敵なのに。
先生に要らないと言われて、先生のためでなく振る私の剣は死んでいる。
もう鬼久助は死んでしまった。
「あらあらあら!? どういうことですか!!? 斎藤さん!!」
「あーもう、うるせえよ、沖田」
「いやいや! そのお久さんの顔の傷! 山南さん! 土方さん! ついに斎藤さんがやりやがりましたよ!」
「さ、斎藤くん? その娘さんは一体……」
「あぁ? なんだ。斎藤テメエ、女の顔を斬ったのか?」
斎藤に手拭いを押し付けられたまま手を引かれて、連れて行かれたのは何と新撰組の屯所である。
は?
ゾロゾロと現れる新撰組隊士にどうしたものかと、眉間に皺が寄る。
「山崎さぁん! すんません、ちょっとこの人のこと診てくれません?」
「わ!? は!? いや、構わねえけどよぉ……お前、いくら相手が靡かねえからって程度があんだろ……」
「いや僕悪くないんで」
「なんとも意味わからねえなあ」
「あ〜、目玉は無事だなあ……斬れてんのは瞼だけだよ、相変わらずの凄腕か。相手が女子じゃなけりゃあな」
「でも僕は悪くないよね」
「うん」
「なんでそこでアンタも頷けるの?」
山崎という男に右目を診られて、とにかく治療を受けた。へえ、新撰組にも医術の心得がある奴がいるんだぁ。
そんなこと知っても本当に今更なんだけど。
「わーわー! 斎藤さんこの野郎! そこになおりなさい! 沖田さんが介錯しますから」
「しないよ?」
「大丈夫ですか、お久さん? 斎藤最悪ですね、殺しましょう」
「では代わりに殺してください」
「任してくださいよ!」
「おいやめろよ」
治療が済むと、沖田が寄ってくる。私の顔を覗き込んできて思いっきりしかめっ面を作った。
「冗談です。沖田さん、今回は私が悪いので物騒なことはなさらないでね」
「は、はあ……えっ、何があったんです?」
「ちょっと刃傷沙汰ってやつ? まあ返り討ちにしたけど」
「それやっぱり斎藤さんが何かしたんじゃないですか? あれですか、お久さんに遊女遊びがバレましたか」
「……黙秘」
半目となった沖田から斎藤が顔を背けた。
そこで部屋の周りをウロついていた隊士たちも、女絡みの刃傷沙汰かあ、と散っていく。
ひとまずは私が先に刃物を持ち出したと各々理解したらしい。
まあ刃物だね。日本刀だけどね。
変な誤解が解けてよかったね。
もっと面倒な誤解を生んでる気もするけど。
「事情はともかくだ。斎藤、女の顔に傷つくって責任取らねえってことはねえな」
「はいはい……取りますよ、取らせていただきますって、責任」
「……?」
縁側に仁王立つ美丈夫が圧を放ちながら、斎藤へ告げる。
責任?
「士道に背くまじきこと〜ってやつでしょ、はいはい」
「一体何の……」
「よかったですね、お久さん。このヘラヘラ新撰組も責任は取るらしいです」
「はあ……責任……」
訳がわからず繰り返す。
そのうち、近藤とか山南だとか名乗る男に挨拶をされて斎藤に送られ屋敷に帰ることになった。
「責任ってどういう意味だ?」
「……おいおい説明してくよ」
「ふうん……」
「先生! どうされたんですか! その顔!」
屋敷から八十が駆け寄ってくる。
「じゃ、ここで。もしかしたらまた来るかもしんないけど、そんときはよろしくー」
「ええ……来るなよ」
「一応、その責任取らなきゃ僕が切腹になっちゃうんでね。アンタの意見は聞いてないなあ」
八十がやって来る前に常のヘラヘラ笑いに戻って斎藤が背を向け離れていった。
その背を見送り、なんなのかと首を傾げた。
まさか女の顔に傷をつけたから、その責任として嫁にもらうとかそんな時代錯誤なことはないと思うけど。
数日後にそのまさかだったと知ることになる。
おいおい新撰組、本気か?