先生に宛てて書いた文をお竜に渡した。お竜から龍馬を経て、無事に先生の元へと届くだろう。
日の本でなによりも信頼のおける飛脚便だ。
「ふうん、それじゃあその八十って娘を親のところに届ければいいのか」
「ああ、頼む。お竜さん飛脚便、大活躍の巻だな」
「ふふん、任せろよ。お竜さんがどこでもバビュンって飛んでってやるぞ」
篠田様の文には遠戚を頼り会津にいると記されていた。
会津かあ……と多少思わなくもないけど、これも何かの縁なのだろう。
よくよく調べれば篠田家は会津の武家の血を引いていた。
「いやです! 先生も一緒でなきゃ私はどこにも参りません!」
「八十さん……」
「どうするんだ、キュースケ。無理矢理連れて行くか」
「せっかく快諾してくれたのに、すまん。少し話してみるよ、ありがとうなお竜」
「それじゃ、また頼む気になったら呼べよな。気が向いたら飛んできてやる」
お竜が夜空を泳ぐように飛び、去って行く。
そんな異様な光景を前にしても、取り乱すこともなく八十は頬を膨らませて私を睨む。
「八十さん」
「いやです」
「何故、そこまで?」
頑なに京を離れないという八十の態度が不可解だった。
私とともにというけれど、ここまで懐かれるようなことをした覚えもない。
「……先生を姉のように慕ってはいけませんか、姉同然のお方のお側に居たいと思ってはいけませんか」
八十の言葉に流石に困惑した。
武市先生のように剣を与えたわけでもない。何故そこまで何でもない相手を慕えるんだろう。
広く静まり返った篠田邸の一室で、私と八十は向かい合っている。
二人して黙り込み、虫の音が庭から遠く空気を揺らす。開け放した障子から風が吹き込み、それに吹かれてパチパチと行灯の火が鳴る。
気がつけば深くため息が落ちた。
「私はお前の姉じゃない」
「知っています!」
「心を預ける方を決めている。その方のために他の全てを削ぎ落とし剣を振るいたいのだ。そこにお前の命まで背負う余地はない」
「そんな、そんなことは存じています! 先生に、あの刀を譲られたお方でしょう!?」
八十が茶の間に飾られた日本刀を指差す。
まあ……しばらく一緒に暮らせば気付きもするか。
「……私が邪魔であるのは知っています。それでも、私という荷物をおろせば、先生は、死ににいってしまう気がする……から」
一際強い、風が吹き込みフ、と行灯の火が掻き消える。
夜の帷が室内にまで降ろされて、暗闇の中で八十の動く気配が伝わる。
「……ごめんなさい、先生」
そんな八十の呟きが聞こえるまでに数瞬。目が暗闇に慣れてきた。八十の姿はなく、刀掛けの上から先生の刀も消えている。
ゾ、と背筋が凍った。
「八十!!! 貴様!!!!」
八十の後を追って叫んだ。
久しぶりに身体中の血管が沸き立つような怒りを感じる。
「なんて愚かな小娘か。殺してやる。殺してやる……!」
夜の移動に慣れていない娘の足でそう遠くは行けないはずだ。
そして追われると理解しているならば、普段と違う道を、私が知らないだろう道を選ぶはず。
怒りに沸く心臓に反して、頭だけは冴え冴えと冷えていく。
八十の逃走ルートを絞りながら夜の京を駆ける。
許さない。
いくら世話になった家の娘といえ、わたしから剣を奪うのは許さない。許してなるものか。
曲がり角で、白刃が閃く。
その場を飛び退き、刃を避ける。曲がり角の闇に顔が隠れてわからない。袴に帯刀、見た目だけなら武士のような印象を受ける。
「おう、久しぶりじゃの。邑田」
「あぁ? 誰じゃあ、おまんはぁ……!! わしの邪魔をしゆうがか」
「ん、篠田の娘か。素直なえい娘じゃ、おまんが死ぬ気だと少し話しちょったら、わしらに協力するち言うきのう。ありがたく利用させて貰うた」
土佐弁を話す男が刀を抜いて立っていた。
はーん、全部コイツの策略か?
本当に利用されただけならば八十の命は奪わずにいてやろう、と怒りが萎む。
私の知らない声。ならば新たな土佐勤王党党員だろうか。帯に差す小刀を握る。
「まずは名乗らんか。誰じゃあおまんは」
「……はは、お前は昔から武市にしか興味がなかったものなあ……でも裏切った」
「あ?」
「武市の奴と土佐勤王党を裏切って新撰組と夫婦になりやがった」
「なってねえ」
「ハ、あんだけ家に通わせてか」
セリフを整理すると、ある程度予想していた悪い展開になっているということか。
今どき通い婚のことを当てはめるとか、本当に考え方が化石で嫌になる。
キレそう。
「安心しろ。先生の刀はワシらが回収してあの娘は野盗の仕業に見せるために適当に傷つけてから殺す。お前はその前にここで殺す」
「カスが」
出来るものならやってみろ、と小刀を抜いた。
「ハ! そんな短刀で何が出来る!?」
男が刀を構えて、腕を振り上げた。隙が大きく鈍い動きだ。
道場での稽古そのままを繰り返すような単調な振り上げ、振り下ろすだけの道場剣術。
その首へ小刀を横へ閃かせる。
「ゴパ」
首から鮮血が溢れて、男の体が地面に蹲る。刀を離し、手で首を押さえる。
その指の間から留めなく血液が流れ落ちていく。
「おまん、わしを知らんがか」
「あ、ぁ、あ?」
「しばらく前の京では鬼久助ちゅう名前でちっくと知られちょったち思うがのう。まあえいか。この刀、もらうぞ」
話しぶりからまだ、仲間がいるようで。早く八十に追いついて保護しなければなるまい。
あと先生の刀を返せ。
「八十! 待て」
「先生! 嫌です」
ようやく追いついたと思えば八十は刀を抱えて、店に入ろうとしているところだった。
よくもここまで走ったものだと少し呆れる。
八十は根性のある子だった。
池田屋と看板の掲げられた店の店内からは十数名の気配がしている。
その全てが敵ではないだろうけど、それでも今の私の武器は小刀と拾った刀が一振りのみ。警戒するには十分すぎるほど足りた。
「八十」
「嫌です!」
「その刀は私の命より大事なものなんです。八十、どうか返して」
「、でも……でも、」
「おう、ようやっと主役が到着か、久助」
「キャア!」
店内から伸びてきた手が八十の肩を掴み、無理矢理店内へと引っ張り込んだ。
八十は抵抗の間もなく、店内へと転がっていく。
「邪魔じゃ娘。今のう、おまんをどう処罰しちゃるか他の同志と相談しちょったんじゃ。先生を裏切った大馬鹿はどう痛めつけちゃろうかのう!!!」
まあた土佐だよ。
店内から酔いどれて現れたのは巨大な体躯の浪人だった。
今回は先生の道場でも見かけた顔だ。
「確か……清水ちうたかの、そのアバタ顔は」
「両角じゃあ!! この阿呆ガァ!!」
「おう、あんま土佐もんを殺させんでくれ。先生に怒られゆう」
刀を大きく振りかぶる巨体へ、私も拾った刀を構える。目の前の敵を"斬る"ことに全意識を集中させかけた。
視界の端で青いだんだら羽織と行灯が見えた。
集中は途切れて、先ほどの両角のセリフが脳内で繰り返される。
『今のう、おまんをどう処罰しちゃるか他の同志と相談しちょったんじゃ』
この男だけでなく、池田屋店内には他の奴らも集まっているのだ。
……先ほど斬り捨てた男もまた『ワシら』と言っていた。
これが計画的な私刑なら、新撰組がこの集まりを察知しても不思議でない。
そもそも武市先生がこの騒動を知っているわけがないので、そうなれば自然とコレは武市先生以外の暴走となるわけでして……。
血気盛んな若者に緻密な計画を練り秘密裏のうちに実行できるのかと問われれば否である。
──このままじゃ鉢合わせる!!!
バレたらまずいと、何故だか思ったのだ。
「ええい!!! 邪魔はおまんじゃ!!!」
「ぐっ! このっ!!」
腹を蹴り上げ、男がバランスを崩して背中から倒れたのに乗り私も店内へと足を踏み入れた。
店内で私たちの様子を窺っていたらしい志士が腰の刀に手を添えて立ち上がる。
「どこちや! 八十!!」
「は、せ、んせ……」
店の奥。階段の先で服装から武士ではない、男に囲まれた八十の姿が見えた。
顔には痣、服は乱れて。八十の死は野盗の仕業に見せかけるとも言っていたなあ!!!!!!
「こんのボケカスがぁ……!!!!!!!」
刀を抜いた攘夷志士に囲まれて、八十の姿はまた見えなくなった。
「動くな!! 邑田ぁー!!」
「もうえいわ。 おまんら揃って死ね」
同志を殺したら先生に怒られるとか、そんなことももう思考の片隅に追いやって、ただ刀の柄を握った。
"斬る"
"斬る"
ただひたすらに"斬る"
「ぎゃあ」「ひい」と悲鳴がいくつも響いては視界が真っ赤に染まっていく。
立ちはだかる者を斬り結びながら階段を駆け上がる。
「大人しく死なんかぁ!!! 邑田ぁ!!!」
「おまんみたいな裏切り者、先生も死ねち言うちゃったぞ!!」
苦し紛れに糞の上塗りをするボケにまた怒りが沸いた。
臓腑が丸ごと煮え立つような烈火に叫ぶ。
「先生がわしにそがなこと言うはずあるかぁ!!!」
「御用改である!!」
やがて階下から怒鳴り声と忙しない足音が聞こえ始めたときには二階で立っているのは私だけだった。
「せ、んせ」
「帰るぞ」
「ぅ、うう……」
近くに投げ捨てられていた先生の刀を拾い痣だらけの八十を肩に担いで、窓枠に足をかける。
二階。池田屋の店先には誰もいない。踏み込んできたのは数人か。
本隊でないなら早く引き上げれば鉢合わせすることなく逃げ切れる。
「ッ、こ、これは、一体……?」
どこかで聞いた声が背後からした。
けれど気に留めず池田屋二階の窓から飛び降りる。八十を担いで刀を脇に、血塗れで駆けた。
「おーい、助けに来てやったぞ〜。掴まれキュースケ」
空から軽い声がかけられて、細い手が脇に回って足が地面から遠ざかる。
「……お竜」
「まったくキュースケは。お竜さんを呼べって言ったはずだぞ。お前が血塗れになるとリョーマが心配しちゃうだろ」
「……何から何まですまんな。手間をかける」
「仕方ないからカエルで許してやろう」
お竜に抱えられて、空を移動しながら、ようやく肩の力が抜けていった。
八十はやっぱりご両親の元に返した方がいい。
私の側ではどんな危険に巻き込まれるか分かったものではないから。
刀を取られて殺そうとしていたことは都合よく忘れることにした。
この騒動を経て、八十はようやく首を縦に振ってくれた。
少し遅かったかもしれないけれど生きているならどうにでもなると、覚悟を決めたそうだ。
「やあ、お久ちゃん」
「……少し顔がやつれたな」
「あはは、そりゃ君もだろ。僕の方はつい先日に大捕物があったんでね。……邑田久助って君のこと?」
「ああ、池田屋か……お互い大変だったな。入れよ、酒でも出してやる」
「……毒盛られたりしないかなあ、それ」
「そう思うなら飲まんでもいいんだぜ」
「はいはい、嘘嘘。冗談、飲みましょ、一緒に二人で」
後日。顔を出した斎藤に何か聞かれることも聞くこともせず黙って酒を飲み交わした。
「八十ちゃんは?」
「篠田様の元に送った。そろそろ着く頃合いだろう」
「そっか。ところでどこの酒? 美味しいね」
「なんだかんだ郷里の酒が一番だからな」
「へー」