いきどまりの鬼   作:あん仔

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此れにて生き止まり

 龍馬を介して送った文はついに返事が届くことがなかった。

 先生はひどく頑固な男だったと思い出す。

 それはそれとしてお竜経由で私を襲った土佐勤王党党員たちの処遇については不問にすると伝えてくるのでやっぱり身内に甘い。

 なら私に剣を振るわせろよ。

 私はアンタの剣になりたいんだよ。

 篠田邸に一人きりで生活している。家人には暇を出して、本当の意味で一人きりだ。

 いつ何時に返事が来ても動けるように、常に身支度を整えている。

 

 八十は両親の待つ会津は移り、訪ねてくるのは斎藤と稀に沖田くらいなものだった。

 

 

「きっと新撰組は暇なんだろうな」

「暇じゃないよ」

「ならサボりか」

 

 

 今日も今日とて訪ねてきた斎藤は床の間の前で正座する私の横で寝転がっていた。

 初めの頃は縁側にいたので時が経つにつれ少しずつ距離が近づいてきている気がする。

 

 

「だーかーらーさー!」

「なんて無駄な時間だ……とくに何をするでもなく出かけることもしないのに、あまりに時間が無駄だ」

「セリフを重複させるほどなの? えー……じゃあデートとかする?」

 

 

 がばり。

 斎藤が体を起こして、私の顔を覗き込む。

 目が合えばポ、と頬を染め斎藤に首を掻きながら提案された。

 

 

「未婚の男女が二人きりで出かける気か?」

「……そりゃわかってますけどぉ! いやだって暇とかいうし」

「分かってるよ、私に会いに来てるんだろ」

「おっ……?」

 

 

 斎藤の片眉が吊り上がる。

 先生から返信はない。ピキリと、こめかみに血管が浮く。

 

 

「あーーーっ!!! もう!!!! 先生のべこのかあ!! 返事ばあしゃんしゃんしやがれ!!!!!」

「わあ!? なに突然!」

 

 

 頭を掻きむしり叫んだ。

 ただ待つだけで時間が過ぎていく。もういっそ土佐に帰ってやろうか。

 そうしたら邑田の奴らに見つかってもっと面倒なことになるんだけど。

 

 

「文の返事が来ないんだ」

「あ〜? そうなんだ……」

「どういう意味だと思う?」

「脈なし…?」

「先生とはそういうのじゃない……」

「いやに、しおらしくなるじゃないの……」

 

 

 肩を落とす。

 斎藤の手がしばらく肩の上を彷徨ってから、そっと置かれた。慰めるように軽くトントンと叩かれる。

 

 

「その先生って前に言ってた剣の師匠?」

「うん、私に剣をくれた人」

「そっかあ」

 

 

 斎藤はそれ以上何も言わなかった。ただ肩に手を置き、寄り添っている。

 何してんだこいつ。

 

 

「何だ」

「……別に?」

 

 

 振り向いてみれば、口の端をモゾモゾと動かしながら緩めるのを戒めているような、情けない顔をしていた。

 へにょりと結局、斎藤の口は緩く笑みの形を作った。

 

 

「久助は僕に来るなっては言わないね。こうして肩に触れても振り払うこともしない。ね、もういいんじゃない?」

「……」

「とっくに僕に絆されちゃってんでしょ〜?」

 

 

 ニンマリと目を細めて笑う斎藤にイラッとしてしまう。

 それは確かにそうなんだけど、直接指摘されると腹が立つって分からないかな?

 

 

「いだっ」

 

 

 その頬をつねる。

 

 

「調子に乗るなよ、壬生狼」

「あだだ。ひっぱんないでよ」

「ブス」

「これでもウチじゃモテる方なんだけどなぁ!」

 

 

 頬をさすりながら涙を浮かべる斎藤に、今のやりとりがあんまりにも馬鹿らしく吹き出す。

 指摘の通り、とっくに絆されてる。それはそうなんだよなあ……。

 

 

「……先生の返事が来たら、その、お前にも、返事をしてやる」

「お!! 本当かよ!」

「……こんな傷物の年増を嫁に欲しいなんてお前は変わってるんだなあ」

「あはは。その傷、つけたの僕だしねえ」

「……もしも先生に、私はいらないってきちんと言われたら、そのときは私も折れるしかないからさ」

「……?」

 

 

 

 池田屋騒動の後、再び床の間に戻った刀を見る。

 そのときは私は剣を諦めて、お竜に頼んで先生にあの刀を返してもらおうか。

 本当に、心の底から悔しいけれど。先生が言うなら仕方ない。そうやって自分に言い聞かせるしかない。

 

 私は先生の剣。

 先生のためにだけ剣を振るいたい。

 その先生が不要とするなら私にもう役割はないんだろう。

 

 ちゃんと折って欲しいと思うのは我儘だろうか。どうであっても未練は残るのだろうけど。

 

 え? 池田屋騒動のときに土佐もんを斬ってた?

 あれはアイツらが私を殺そうとするからじゃないですか。

 殺されかけたら殺さないと……。先生の言葉を聞く前に死ぬわけにはいかないからね! しょうがないだろ!

 

 

 

 ★

 

 

 

 特別に空の青い夏だった。

 風を通すため篠田邸中の障子は開け放たれて、部屋の中は真っ青な空の下の外に比べたら少し薄暗い。

 篠田邸で一人過ごすようになってから季節が巡り、一年が経った。

 一通の文が届けられた。

 

 

 ──以蔵さんと武市さんが死んだ。

 

 

 記されていたのはただそれだけ。

 乱れに乱れた筆跡で、文には涙の跡がいくつも残っていた。

 ああ、本当なのだと思い知る。

 

 龍馬はそんな嘘をつかない。そんな冗談を言わない。龍馬は報せを知って、泣きながら私にも伝えてくれた。

 文を握りしめる。クシャリと、手の中で紙に皺が出来る。

 

 遠い空。目に焼き付くような青い空に白い入道雲が浮かんでいる。

 

 

「お竜さんはリョーマのところに戻るぞ。……一緒に行くか?」

「……いい。届けてくれてありがとう、お竜」

「ん、リョーマの頼みだからな」

「ハハ……なら早く龍馬の元に戻ってやれ。アイツはあれで泣き虫だからな、心配だろ?」

「そうだな、そうする」

 

 

 昼間だからか、お竜は空を飛ばずに地を歩いていた。

 一度振り返り、けれどお竜は龍馬の元へ帰っていく。そこがお竜の帰る場所だからだ。

 

 姿が見えなくなったのを確認してから手の中でクシャクシャの皺だらけになってしまった文を抱きしめる。

 

 

「あ、ぁあ…………ッ」

 

 

 膝から力が抜けてその場に崩れ落ちた。

 もう立ち上がれない。

 

 死んだ。

 先生も以蔵も死んだ。

 

 

 唇は震えるのに、喉からは音が漏れるばかりで言葉の形にならない。

 この期に及んで何を言おうと?

 もう言葉は届かない。返事は永遠に届かず、あの刀を返すことも叶わない。

 龍馬のように涙すら出なかった。私はなんて薄情な……。

 

 師は死に、好敵手すらも。

 剣は二度と握れない。振るえない。最早、剣は折れていた。

 

 

「……久助?」

 

 

 ぽっきりと折れたところ声が降ってくる。顔を上げれば、真っ青な青空に濃い隈の刻まれた三白眼のワカメ頭。

 

 

「あぁ……お前か……」

「こんなところで何してんの……? ほら」

 

 

 二の腕を掴まれて、強引に立ち上がらせられた。足に力が入らず、よろけた背中に手が回された。

 

 

「……なんかあったのか」

 

 

 斎藤の顔がすぐ近くにある。

 血の臭い。怪我をしている様子がないので、それは染み付いてしまったものだろう。

 新撰組もまたいつ死んでもおかしくない組織である。

 

 

「お前もいつか死ぬんだろうな」

 

 

 いつかのお竜から聞いた龍馬の言葉を思い出す。結婚するなら強い男がいいと思った。今は違う。

 斎藤の腕を振り払い、その胸を押す。

 

 

「どいつもこいつも……」

 

 

 自分でも驚くほどに低い声だった。

 腹の中が煮える。私は置いて行かれた。もう戦って死ぬことも出来ない。

 きつく噛み締めた奥歯が鳴る。

 これは嫉妬か、それとも怒りか。感情が混ざり過ぎて最早自分ですら判別がつかない。

 ただただ激情が腹の奥に渦巻くのだ。結局私はどいつもこいつも、とその先になんと言おうとしたのか。

 

 

「死なないよ」

「はあ?」

 

 

 静かな声に振り向く。

 斎藤は真っ直ぐな目をしていた。普段のヘラヘラとも遊びで殺気を放ったときのような抜き身の刃じみた鋭い目でもなく。真っ直ぐに私を見つめて、真剣な顔をしている。

 

 

「馬鹿馬鹿しいでしょ? そういうの」

「仮に武士の子の言葉とは思えんな」

「武士って言ってもねえ、ほら僕末席も末席。足軽の子だし、今じゃ壬生浪士とか言われちゃってるし誰かに仕えるとか、ましてや命をかけるとか性分じゃないんでな」

 

 

 手を持ち上げられて、斎藤の指が握りしめていた文を抜き取る。

 それを広げて、綺麗に折り直すとまた私の手のひらの上に置いた。

 

 

「俺は死なない。絶対に何があっても、生き残る」

 

 

 そう言い切ってから、斎藤の顔にヘラリと普段のヘラヘラ笑いが浮かぶ。

 斎藤の小指が私の小指に絡みつく。

 

 

「約束するかい」

「……阿呆じゃ」

 

 

 遊女の行う心中立てのような、仕草にまるで本気であるのかと錯覚しそうになる。

 出来ない約束なんて交わすものではないけれど、死なない、生き残るという言葉のなんて、なんて。

 泣きそうになったのを無理やり口の端を持ち上げた。きっと不細工な笑い方だったろう。

 それでも斎藤の言葉は一番、欲しい言葉だった。

 

 

 先生が全て斬れと一言だけでも言ってくれたなら私は尽くを斬り捨てたのに。先生はそれを望まず、以蔵の投獄すら私に知らさなかった。

 

 ……以蔵が捕まっていることすら、私は知らなかったのだ。知らされなかった。

 

 

「もしも。もしもその約束を違えたら、お前の首を斬り落とす」

「わあ、過激。ほら……約束。俺はアンタを置いてかないよ」

 

 

 私からも斎藤の小指に指を巻きつける。表情を綻ばせ、斎藤は囁く。

 

 交わされた約束は小指と共に離れ、形には残らない。

 それでもいいか。気休めでもなんでも、まだ預けられるものがあるなら構うまい。

 

 

 

 

 

 この人を留まりにして、私はこれで生き止まりだ。

 

 

 

 

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