アルタラス王国王都ル・ブリアス ロウリア王国大使館
― アルタラス王国駐箚ロウリア王国大使 ローデリヒ・ベルシュ
「落ちただと・・・。バカな。攻撃が始まってからまだ4日目だぞ。」
大使館に出勤してきたわしに秘書官から思いもよらぬ情報が告げられた。そして、秘書官は首を横にふり、更に驚愕な事実を伝えた。
「いえ、違います。マインゲン市の陥落は2日の午後3時であります。つまり、攻撃の翌日には降伏しました。」
わしは大使館室の自分の机の椅子に崩れ落ちるように座った。ギムでの敗退。東方征伐艦隊の敗北。そして、マインゲン市の陥落。開戦後、わしの耳に入ってくる情報は常に信じられぬものばかりであった。本国からの通信やアルタラス外務局からの連絡では、我が軍の一方的な敗北のみが伝わってくる。そのようなことあり得るはずがない。
開戦前、本国やアルタラス外務局員の連中は、クワ・トイネ公国など一ひねりだと言っていたではないか。なぜ、こうも戦前の予測を外れるのだ。いや、分かっている。頭では理解しているのだ。日本国と満洲国の仕業であると。様々な報告でこの二国の軍事力によって、戦前の想定が覆されたと聞いている。しかし、しかしだ。理性がそういっていても感情がそれを肯定することを拒否する。
「マインゲンは50年前の戦争で我々が獲得して以来、最前線の街として防衛には力を入れていたはずだ。城塞都市として、それなりの防備も持っていたはずだ。おまけにパンドール将軍率いる東方征伐軍が駐屯していたはず。攻略にはそれなりの時間がかかるはずだ。いったいどういうわけだ。」
わしは、まだ働かない頭を働かせて、秘書官に問いかけてみる。情報と考える時間が欲しい。
「本国からの魔信、そしてアルタラス外務局から聴取した情報によれば、敵の攻撃前から我が軍は弱体化が進んでいたようであります。繰り返される偵察行動の失敗。戻らない偵察員。話に尾ひれがついて、逃亡兵も続出する始末。王国陸軍の正規軍と諸侯軍そして傭兵を併せて7万ほどいた軍勢はまず傭兵部隊が戦場から離脱し、次いで諸侯軍からも脱走兵が出始めました。脱走兵については諸侯も捜索隊を派遣しましたが、その捜索隊も戻らぬ者が続出したようです。そして脱走の流れは、正規軍からも出始める始末。パンドール将軍閣下も士気の低下には頭を痛め、軍勢の維持に注力していましたが、何ら打開策が打てる状況ではなかったようです。4月末の時点では兵力は6万人を切るようになっていたそうです。
そこへ5月1日、敵軍による総攻撃が始まったそうです。敵は、ギム西方陣地から長射程の武器を使い、我が軍のワイバーン駐屯基地や歩兵の駐屯基地に猛烈な攻撃を与えたそうです。地上のワイバーンはことごとくやられ、歩兵にも数多くの死傷者を出しました。
敵の攻撃は大規模魔導攻撃そのものであり、その威力は、一つ一つの攻撃が、王宮魔導師団の全力攻撃に相当するものであったそうです。現地にいた魔導師の報告によれば、王宮主席魔導師であるヤミレイ師でも、あれだけの攻撃は3発ほどしか撃てないであろうと結論づけています。そのような攻撃が数十発、およそ一時間降り注いだそうです。
そして、敵の攻撃によって混乱した軍勢には大量の脱走兵が出現。マインゲン城にいたパンドール将軍の司令部も攻撃と脱走兵の対応に恐慌状態に陥りましたが、そこに敵の捕虜となっていたジューンフィルア伯爵が降伏の軍使としてやってきたそうです。
この時点で死傷者は1万人を超えており、脱走兵を合わせれば、東方征伐軍はほぼ瓦解したと言ってよい状態であったそうです。パンドール将軍は降伏を受諾し、国王陛下への謝罪のために自決しようとしたそうですが、敵軍から、最高指揮官である将軍が自決して不在となっては、責任ある立場の者がいないという事であり、軍としての降伏は認められないと言われたそうで、泣く泣く捕虜となったそうです。
現在敵軍はマインゲン市の掌握に乗り出しています。マインゲン市長は権限を停止されましたが、市の行政庁の組織は維持して、彼らを下部組織にしたうえで、敵軍の司令部からの命令を遂行するようにしているようです。その掌握がいつまでかかるのかは分かりませんが、その時間を利用して、本国はマース川を防衛ラインとして戦力を急派しています。」
目まぐるしい動きだ。名将パンドール将軍をもってしても日本軍と満洲軍を止められぬのか。遅きに失したかもしれぬが、敵が強大であることは認めざるを得まい。もう迷ってはならぬ。祖国ロウリアの敗北は決定的だ。しかし、それを最小限に留めねばなるまい。それを行うのは、我ら外交官の仕事だ。
「秘書官。ここだけの話だが、本国に先走って我等は敵国に渡りをつけるぞ。連中にいち早く接触し、祖国の敗北を最小限のものとせねばならぬ。」
秘書官の顔が驚愕している。
「本国からの指示もないまま敵国と講和交渉するのですか!それは、大使の権限を越えた行為ではありませんか。」
だからどうした。ことは急を要する。敵の侵攻が再度始まれば、おそらくまたしてもあっけなく撃破されるであろう。そうなれば、マース川からジン・ハークまでは平原が続くため、王都まで遮るものがない。そしてマース川を越えて再度敗れることがあるようであれば、再度の防衛戦は難しいだろう。敵が王都に到達する前に講和を成立させねばならぬ。まだ我等に余力があると思われるうちにやらねばならん。本国には敵国から大体の講和条件を取り付けてからそれを報告し、呑ませる。本国からの指示を待っていては手遅れになる。俺はそう言って秘書官を黙らせ、敵国の大使との会談を調整するように命じた。
「日本国と満洲国といずれと接触しましょうか。我等は交戦中の敵国同士です。大ぴらに接触できませんので、秘密裏に行う必要があります。両方と一同に会うとなれば、アルタラスの外務局に骨折りを願うこととなりますが。」
「そうだな・・・。いや、今は駄目だ。外務局に接触して正規のルートで話し合えば、本国に連絡がいく。いまはまだ予備交渉よりもさらに前の段階だ。中立国を通して連絡を取る段階じゃない。時間と場所の指定を相手側に任せたうえで相手方と秘密裏に接触する必要がある。」
「わかりました。それで、どちらの国と交渉しますか?」
それが実に悩ましい問題だ。わしらは開戦後本国からの要請もあって、日本国と満洲国について調査を続けてきた。わしらの調査によれば、日本国の君主は満洲国の君主を兼ねていることが分かっている。つまり、満洲国は日本国の属国なのだが、満洲国はその事実を否定するのだという。おそらく国の対面を考えて精一杯の抵抗をしていると考えるが、問題は満洲国側の否定に対して宗主国である日本が何の反応も示さないという点だ。
宗主国と属国の関係であるが、関係が冷え切っているのかと思いきやこの戦争では共同作戦を行っている。軍同士は良好な関係を築いているが国としては冷え切った仲であるというのは考え辛い。だから、関係性がよくわからない。
「従前の調査によれば、宗主国である日本国に話を通せば、属国の満洲国にも話は伝わるのですが・・・。」
秘書官が遠慮がちに問いかけてきた。日本国と満洲国の関係は百年にも満たない。調査によれば、日本の君主が満洲の君主を兼ねるようになってから50年ほどのことだ。主従関係が希薄化するような年月を経ているわけではない。形式的な宗主国というものがあり得るのか。いや、まて確か先月・・・。
「秘書官。先月の開戦日のことだがアルタラスの外務局に行き、日本国と満洲国の大使から開戦宣言書を受け取ったことを覚えているか?」
「え、ええ。はい、私も秘書官ですので、同席しましたから。」
「その際に中立法規の話となった。日本国の大使が中立法規を厳正に適用しようとして、アルタラス側と揉めたのを覚えているか。」
「はい。そうでしたね。魔石の取引を制限せよなどとアルタラスを敵に回してもおかしくない発言でした。あの時は驚いたものです。」
「そうだ。そして、その時に日本国大使をなだめたのが満洲国の女大使だった。」
「!そ、そうでした。あの時は、あの女はすました顔をして、日本の大使とアルタラスの外務卿との話に興味がない風にお茶を飲んでいたかと思うと、日本の大使に一言二言話しかけて、日本の大使の発言を修正させていました。すると、大使。我々が接触する相手というのは。」
「そうだ。あの女大使だ。日本国と満洲国の力関係はまだわからんが、少なくともあの女大使は、日本国の大使の発言を修正する力を持っている。それが、あやつの能力が高いゆえに日本国の大使も引かざるを得なかったのか、あやつの色気に日本の大使が惑わされたことによるものなのかはまだわからんが、少なくともあの女大使に我々の意見を通すことができれば、日本の大使もそこまで反対することはあるまい。逆に日本の大使に話を通しても、あの女大使の反対で頓挫することがあり得る。先に落とすのは、あの女大使だ。」
方針は決まった。あとは、あの女大使に時間と場所の指定は任せるが、他者に知られることなく話がしたいこと、なるべく早急に会合がしたいことを伝えるだけだ。わしは、大使館で雇用しているアルタラス人を通じて、満洲大使館に信書を送ることを秘書官に命じた。この話を知っているのは、秘書官のみ。他言厳禁としたのはいうまでもない。
あとは、満洲国と日本国が要求する講和条件を予想しておくことだ。まず、マインゲンの割譲。これは当然のことだ。我等としても受諾するより他にあるまい。
次に賠償金の問題だ。これをどれだけ抑えられるかだ。本国からの情報によれば、どうも我が国はパーパルディア皇国から多額の軍事支援を受けているらしい。おそらく戦勝によって得られる利益を見込んで借りている金だろう。そうであるのならば、敗戦ともなれば、返済を迫られることになるだろう。それを我等は拒絶できぬ。返済できぬとなれば、パーパルディアのことだ。無理やりにでも取り返しに動くであろう。そこが我等のねらい目だ。
日本国と満洲国のこれまでの外交姿勢を顧みれば、我がロウリアの開戦を思いとどまらせるような外交活動をしていた。つまり、戦争を回避するような外交活動を第一に動くであろうと考えられる。そこで、賠償金を値切る。そして、返済も無理のない範囲で行う。すべてはパーパルディアへの借款の返済を第一として動かねば、パーパルディアが報復に動くかもしれぬというのだ。我等がパーパルディアに滅ぼされれば、マインゲンの割譲も賠償金も日本と満洲は受け取ることが出来ぬ。そういう方向で話を持っていけば、賠償金の大幅な減額も可能であろう。
そして国内政策であろうな。日本国はクワ・トイネ公国とクイラ王国の宗主国でもある。彼らの関心を買うためにも、本国の亜人政策は撤廃を要求されるであろう。そうなると国王陛下の怒りを買うだろうが、これはやむを得ん。もとよりジン・ハーク以外の地に亜人は奴隷階級として生存しているのだ。
このことを国王陛下は今まで見て見ぬふりをしておられた。いずれロデニウスを統一するまではということで暗黙の事実であったが、これを正式に事実としてご承知いただく。やむを得ないときは、王太子か王太弟に譲位いただく。
そうなるとクワ・トイネ公国とクイラ王国とも正式に国交を結ぶ必要が出てくるな。ふむ、外交官のポストが増えるのは、外務局の人間としてはうれしい限りだが、左遷ポストにもなりかねんな。それでは、二か国の宗主国である日本国が気に入らんだろうが、これはまあ次世代への宿題とでもするより他にないか。