アルタラス王国王都ル・ブリアス ロウリア大使館
― アルタラス王国駐箚ロウリア王国大使 ローデリヒ・ベルシュ
秘書官に満洲国の大使、いや違う、満洲国の公使ローズモンド・マニャールに接触を命じてから数日が立った。それにしてもややこしい。大使ではなく公使と言わねばならない。今更だが、関係を改善する以上、相手に寄り添う形を示さねばならぬ。名前を間違うなどもってのほかだ。この名称にいち早く慣れねばならない。
本日の朝、大使館に登庁したわしは、秘書官から昨夕に満洲国側から密会の要請の返事があったことを知らされた。あれから4日、ようやく知らせてきた返事には、時間と場所と服装の指示があった。時間は午後1時。場所は、アルタラスの王室が管理している外国使臣専用ビーチ。その際には、海水浴に来たように見せるために水着持参とのことだ。この歳で海水浴とはバカバカしいことだが、これもやむを得ない。もとよりこちらから他に知られないように接触したいと申し出て実現したことだ。その点では外国使臣専用ビーチでの密会はよい場所だ。あそこならば、在外公館長とその指定した少人数の人物の他にはアルタラス王家の人間しか入れない。他者の目は排除できる。
日にちについての指定はなかった。なんでもここ最近のマニャール公使はあの時間専用ビーチに通っているらしい。だからいつでも結構という事らしい。妙な女だ。それほどまでにあの海岸が気に入っているのか。とはいえ、泳ぐわけではないので水着を用意する必要はなかろう。取り急ぎ、秘書官になんとか海辺で過ごすのによい服装を用意させ、手土産のロウリア産の酒と干し肉とともに秘書官を連れて専用ビーチに向かった。
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アルタラス王国王都ル・ブリアス 王室専用海岸文明外国家区域
専用ビーチは、王城はアテノール城の側にある。王室専用地であり、国王が他国の使臣と会うのに都合がよいことからもそれがわかる。今回は大使館の馬車は使えないため、馬車を一台準備させた。わしが専用ビーチに向かうのは、日々の政務に疲れたため、午後から休暇を取り、波の音を聞きながらゆっくりとするためだ。専用ビーチに入る際に管理する門番にそう伝え、寝椅子とパラソルを用意してもらった。これからちょくちょく世話になるかもしれぬので、門番にも酒を差し入れた。
専用ビーチは波の音も静かで、なるほど確かにあの女公使が気に入るのも無理がないと思った。日差しは強いが、パラソルの下にあればそれほどのものではないだろう。海風は潮の匂いを運んでくるが、これがなかなかどうして心地よい匂いだった。そういえば、わしの故郷は軍港ダートマスに近いオースフィンであったな。ベルシュ子爵家の次男に生まれたわしは、子爵家を継ぐのは難しいので、身を立てるために外交官となった。幸いにして頭の出来は良かったので、こうして文明外国家でも筆頭格のアルタラスの大使となったが、なるほど潮の香りは、子爵家を継げなかった昔を思い出すのか。かつてはあまり嗅ぎたくない匂いであった。しかし、歳を取ったせいであろうか、久しぶりに嗅いでみるとこの香りは悪くないものとおもえてしまう。
海岸には寝椅子やパラソルの他にもいろいろと見慣れない物が置いてあった。2人の人間が荷物番を兼ねてもいるのだろうか、周囲を見渡しながら立っていた。あの見慣れぬ服装は満洲人に違いないであろう。海に目を向けると何人かの人間が海面から顔を出していた。海上には小舟があり、そこには人が乗っていた。はて、あれらも満洲公使館の職員だろうか。そして、肝心のマニャール公使の姿が見えぬが。
不思議がっていると、海面に顔を出していた人物たちが小舟に揚がっていった。驚いているところに海中から3人の人間が姿を現した。何やら金属製の重そうなものを背負っていたが、それを外して船上に人間に渡して自分達も船に揚ってきた。ややっ、あの身体つきは女ではないか。黒光りする全身を覆う布に包まれているが、あの肉置きは女だ。まさかあの女公使、本当に海水浴に興じていたのか。
彼女らが目を覆っていた物を外すと、そこには見知った顔があった。なるほど、確かにあの顔は満洲国の公使ローズモンド・マニャールだ。黒光りする布は、首から腹にかけて開くことができるようで、それを脱いでいた。やはり思った通りだった。あの女は実に肉置きがよい。細い腰が豊満な胸とふくよかな尻を引き立てる。しかも、やたら煽情的な水着がそれを強調する。しかし、海水浴を行っていたというのは本当のことだったか。だが、わしが驚いたのは、マニャール公使に続いて舟に揚ったもう一人の女だ。なぜ貴方がここにおられるのですか。ルミエス・ラ・ファイエット殿下。
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― アルタラス王国第一王女 ルミエス・ラ・ファイエット
わたくしは、マニャール公使の海遊びのお相手をしながら、政治経済外交社会文化についての様々なことを公使からを学んでおります。彼女の教えてくれることはわたしの世界を広げてくれ、いつか満洲国と日本国を訪れてみたいと思うようになりました。ここ最近は、ロデニウス大陸での戦争の状況を映像を通して知ることができました。ギム防衛陣地での戦闘、ロウリア艦隊が一方的に攻撃され、艦船が沈められる様、戦車が走る姿、占領後のマインゲン市の様子などは、今わたくしがその地にいるかと錯覚してしまうかのような鮮明な映像が目に焼き付いています。
まだ開戦当初、満洲国と日本国がロウリアとの開戦に及んだあとに開かれた会議で、居並ぶ政府重臣を前にして満洲国側の弁護をしたことは間違っていませんでした。マニャール公使への好意は別にして、彼らの国と争ってはいけない。次々と外務局や商業港から入ってくるロウリアの敗報を前にして、ようやく政府内も落ち着きを取り戻し、この戦争に於てロウリアに味方するのは得策ではない。やはり中立を維持すべきとの見解が多数を占めるようになりました。対満日警戒派の筆頭格であったユグモンテ外務卿も満日への警戒は継続すべきだが、ロウリアに味方して開戦に及ぶべきということは全く言わなくなりました。
マニャール公使は、対ロウリア開戦後、こうして王室専用ビーチによく足を運ばれるようになりました。わたくしも時間の許す限り、彼女のお相手をし、マニャール公使が知っている旧世界の歴史などを聞き、そこから得られた教訓などを理解し、今後の自分の活動に役立てるよう勉強しております。
公使から、今日はおそらく特別ゲストが来ると言われて、誰が来るのかと思っていました。時間まではいつものように海遊びを楽しみます。公使が用意してくれた水着とウェットスーツを着て、酸素ボンベをつけて海に潜り、海の中を楽しむとともに、魚介類を銛で突いての漁を行っていました。公使もホスト役として、魚をいつも以上に獲り、満洲国公使館の料理人に調理を任せていました。
海の中では声が聞こえません。おまけに重い酸素ボンベを背負っているので、海面に上がるのも一苦労です。なので、公使の手信号で船に揚るという指示が出た後、私はリルセイドの助けを借りて、海面にでて、手を伸ばしてくれた公使の手を掴んで船に揚りました。船に揚った私が見たゲストの顔は私も見知った顔で驚きました。満洲国とは交戦しているはずのロウリア王国の大使、ローデリヒ・ベルシュ殿の顔があったのですから。
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― アルタラス王国駐箚満洲帝国特命全権公使 ローズモンド・マニャール
船が砂浜に着き、私たちは上陸した。最初のころはこのエンジン付きボートにも彼女たちアルタラス人も驚いていたけど、今日はもう驚いていない。むしろ驚いているのは・・・ってことね。さて、外交交渉は相手を出し抜いてこそ。これはまだ軽いジャブね。そして、まだジャブの連続をと。
「ハーイ。ベルシュ大使閣下。奇遇ね。貴方も海遊びかしら。波の音は静かで、風も気持ちい。いいところに目を付けたわね。それにしても、ここは最高ね。潮の流れも緩いし、ダイビングにはもってこいの場所よ。」
努めて明るく。まずは、ノーテンキに。すると相手は。
「マ、マニャール公使。何故ここに王女殿下がおられるのだ。我々は此処で秘密裏に・・・」
そう言いかけた後、相手の顔がハッとして、口を閉ざした。いいわねえ。そうそう、そうこなきゃ。秘密裏に接触して、話し合いを行うネタについては予想できていた。あとは、その交渉先に彼らが宗主国とみている日本ではなくて、属国としてみている満洲国を選んだ理由。簡単な方からってことでしょうが、私が女だからって丸め込みやすいとでも思ったら大間違いよ。
「あら、今日、私たちは、「たまたま」、「偶然」、こんなとこで鉢合わせしただけの敵国同士の外交官に過ぎませんでしたわよね。違ったかしら。」
相手の斜めに構えて流し目で彼らを見る。ベルシュ大使は、ひきつった顔をしていた。そう、わたしは始めに偶然会っただけだと言ったにもかかわらず、彼がそれを覆した。つまるところ、相手の自滅。この交渉の主導権を私が保持し続けるための先制攻撃。この場の支配者は私よ。
顔だけ後ろを向けて、ルミエス王女を見る。父王を補佐したいと外交官として積極的な活動をしていると聞いていた。けなげで可愛いじゃないの。お姉さんがきっちり鍛えてあげるわ。そう思って、ニッコリとほほ笑んだら、王女はビクッとしてひきつった顔をしていた。あら、失敗したかしら。
でも、ここで、アルタラスの王族と懇意になっておくのは私にとって必要なこと。ここアルタラスは、文明圏外国家の中でも一番に文明圏国家と近い位置にあるという。中でもこの世界の列強第一位であるとされている神聖ミリシアル帝国に一番近い文明圏外国家。この世界の常識に当てはめれば、重要な国家の一つ。その王族と懇意にしているということは、今後の私のステータスになる。そして私はキャリアを積み重ねてゆくゆくは、満洲国初の女性外交部大臣になる。
そのためにも、この子との仲は大切にしなきゃね。私は、ルミエス王女に近づき、耳に顔を近づけて手を当て小声で話しかけた。
「私の姿、立ち居振る舞い、言動を見て、しっかり学びなさい。きっと、外交官として今後ご活躍される王女殿下の糧となります。」
王女殿下は、ハッとして私の顔を見た。もう一度私はニッコリとほほ笑む。今度は力強い目をしていた。さて、第二ラウンドの開始かしらね。
「ベルシュ大使閣下。私は王女殿下にこのアルタラスの海の幸を御馳走にしようと海に潜って漁をしておりましたの。せっかくですから、あなたも一緒にいかがですか。きっと、あなたにとっても有意義な時間が過ごせるはずですよ。」
相手のミスに乗っかり、そこを責め立てるのではない。ミスをリカバーしてあげたうえで、相手の望む交渉の場に引きずり込む。ま、勿論それは私の設定した土俵の上にだけどね。
「あ、いやしかし、公使閣下。本使と貴使の間柄でそれは、」
「あ、ちょっと待って。」
「は?」
「悪いけど、普通に話してくださらないかしら。今まで通りに。大使閣下がかしこまって話するの聞いておりますとなぜか背中が痒くなりますの。」
相手が話しやすいようにリラックスさせるのも交渉の上では常套手段よね。特に今の状況のように相手側が悪い立場に置かれている以上、そして、私の先制攻撃というペテンに引っかかった今では、席を立ちかねない。ここアルタラスで、ロウリアとの講和交渉を行う。これは私にとって大きなステータスになる。逃すわけにはいかない。そして、それを私が取り仕切るうえでも、相手に席を立たせるわけにはいかない。
「・・・。王室専用ビーチの中は、表の外交の場と違って別世界だ。本来では、アルタラスの王族と外交するための場所だ。ここで、他国と外交を行うというのは、表の外交の流儀とはまた別の流儀が必要か。ここだけの仕草とさせてもらうがよろしいかな。」
あっけの顔に捕らわれていたベルシュ大使が、静かに目を伏せて考え込み、そういった。そうね、この場の支配者である私が命じたのだから貴方は従うしかないのよ。
「だが、この会合。本来ならば、わしと公使の間で秘密裏に行われる予定だった。それを反故にされるのは聊か心外だ。その落とし前はどうつけてくれる?」
調子に乗ってきたじゃない。そうそう、そうこなきゃね。私は、今一度ルミエス王女殿下に向き直り、話し出す。今度はベルシュ大使にも聞こえるように普通の声量で。
「王女殿下。これから殿下には、外交交渉、外交戦の現場を御見学いただきます。しかし、殿下は第三者です。この場で見たこと、聞いたことはきっと王女殿下の糧となります。外交官として重要なことはいくつかありますがまず第一は、機密を守ることです。今回は、既に機密であることがお分かりのことと思います。機密を守れないようならば、重要な仕事は任せられませんし、そんな人物とわかってしまうようでは、相手は信用しません。外交官とは、誠実であると他人から見えることが重要です。このことがわからないようであれば、父王陛下のお役には立てないでしょう。いかがですか。」
「はい、わたくしも公使殿の訓示しかと受けたまわりました。機密の重要性は理解しております。そして、機密を重視する姿勢を見せること、そういう姿勢を持っていると他人から見えるということは、こういう場に同席することを認められるための資質であると考えていますがいかがでしょうか。」
「素晴らしい。殿下は実に深くご理解為されていますね。」
「ありがとうございます。ベルシュ大使殿。この度のこと口外は致しませんので、どうか同席を認めて下さいませ。」
さあ、見なさい、ベルシュ大使。私はアルタラス王族の心をここまでつかめているのよ。それも第一王女、現国王の溺愛する娘を。アルタラス王族の要請を、この子の同席を貴方に拒否できるかしら。
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― アルタラス王国第一王女 ルミエス・ラ・ファイエット
一瞬でもマニャール公使が怖いと思ったわたくしは自分自身を恥じました。わたくしも外交官として父様をお助けしなければならぬ身。公使の立ち居振る舞いは、弁舌で戦う外交官を目指しているわたくしの糧となるはずです。わたくしはベルシュ大使に同席をお願いしました。そして、ややあって、ベルシュ大使はひきつった顔のまま、同席を認めてくれました。
「ベルシュ大使閣下の寛容に感謝を。」
マニャール公使がベルシュ大使に頭を下げたので、わたくしも王族の一礼しました。そして、マニャール大使はわたくしに振り返っていいました。
「よかったですね、王女殿下。でも、機密を守ることの良い点は今言った外交官としての重要な資質だけではありませんよ。」
はて、それ以外に何があるというのでしょうか。公使に再びお尋ねしてみました。
「我が国の友邦、日本国の有名な作家の一人がその代表作の作中でこういう名言を登場人物に語らせています。「女は秘密を着飾って美しくなる。」と。美しい貴方が、更に美しくなるためにも秘密は必要ですよ。秘密は女を女にするんです。」
わたくしは顔を赤らめてうつむいてしまいました。