日本社会党機関紙5月26日号
外務省官制問題を糺す
問われる、帝國の目指すべき未来像
外務省の官制は未だに地球世界のままで動いている。友邦満洲帝國の国務院外交部がクワ・トイネとクイラから得た情報を基にして3月の終わり官制改革を行い、転移世界の基準に合わせたのとは大違いである。
これにはいくつかの理由がある。
我が帝国は転移以前は国際連盟理事会の常任理事国のポストに在った。国際連盟には、連盟加盟国の代表で構成される総会、総会の決定を執行する機関としての理事会、総会や理事会の事務を担当する事務局といった主要機関が置かれていた。理事会は任期の定めのない常任理事国8か国、3年の任期で総会によって選出される9か国の非常任理事国の17か国で構成されていた。常任理事国8か国は、所謂大国として位置づけられる国であり、国際連盟設立当初からの日英仏伊露の五大国に始まり、後日独墺が加わり、最後に米が加わって8か国となった。この8か国は世界をリードする存在であり、世界各国の中でも別格の存在として扱われていた。例えば、この8か国は大体の国に於て査証免除の扱いを受けていた。
我が国民は自国が大国として扱われていることを誇りに思っており、未だに旧世界への思慕の念が強いのは言うまでもない。また日本人特有の言霊思想も加わり、旧世界の地域名などが入った名称を変更することは、旧世界への思いを捨て去ることであり、また忘れることでもあり、旧世界との絆を切った結果旧世界に戻れなくなるのではないかという強迫観念が存在している結果でもある。
更に転移直後から元の官制のままで、この世界の地域情勢に応じてある程度の業務を割り振り、現在まで対処できているのであるから、今更官制改正は不要であるという声もまた存在する。外務省官制たる勅令の改正には、外務省が起案し、内閣法制局が審査し、閣議決定され、枢密院で審議され、そこまで進んで法令として公布される。その手間をかける必要があるのかという声だ。
しかし、これらの理由は全て表の理由である。最大の理由は既得権益という政治である。明治に外務省が発足し、欧州局が設立されて以来、欧州局長や英国課長、仏国課長といった欧州局内課長職は、華族の独占状態にあった。これは、ヨーロッパに貴族が多く、外交を貴族が扱っていることが多いため、日本側もカウンターパートとして華族を大使公使として派遣したためであり、必然的に地域対象部局である欧州局も華族本人や華族の推定家督相続人が部課長に就任してきたためである。
この欧州局が無くなればどうなるか。華族が独占してきた職を平民に開放される可能性があると考えた華族たちは、外務省官制の改正に頑強に抵抗しているのである。その中心人物に徳川外相がいる。外務大臣は、政党内閣が憲政の常道として確立された今でも政党の政治家ではなく、華族が就任するのが明治以来続く慣習となっている。かつては、軍部大臣も武官のみが就任していた時代があったが、今や武官経験者の政党政治家が就任するのが常例となっている。だが、外務大臣だけは華族の牙城として、政党に明け渡していない。
華族の牙城はこれだけではない。貴族院もまたその名の通り、華族の牙城である。貴族院議員は次の3種に大別される。皇族男子からなる皇族議員、華族からなる華族議員、天皇の任命による勅任議員の3種である。
皇族議員は帝國議会の開院式及び閉院式に出席したり、各種行事に参加することはあっても、議事に参加することはないのが常例である。任期、定員、歳費はない。
勅任議員は数多くの資格によって区分される。その定数はすべて合わせて256人である。
勅撰議員は政府の推薦によって任命される終身議員であり、定数100名である。政党に所属することは禁止されているが、政府の推薦が絡むことから、政党の影響下にないということはない。推薦に際しては、枢密院の貴族院勅撰議員推薦委員会の議決を経る必要がある為、枢密院とも関係がある。任期は定められていないが、勅撰から6年で議員を辞職する慣行となっており、その際に再任されない可能性はある。
帝國学士院会員議員は帝国学士院会員のうち帝国学士院が推薦した議員を任命する。定数は10名であり、任期は6年である。
多額納税者議員は、土地あるいは工業・商業につき多額の直接国税を納める有権者(但し華族を除く)の中から互選の上で勅任された議員である。各都道府県につき1人が任命され、73人が定数である。任期は6年。
地方議員は、多額納税者議員制度が金持ち優遇の批判が高まってきたことから設けられた制度であり、多額納税者の互選資格のない有権者(但し華族は除く)の選挙の上で勅任された議員である。各都道府県につき1人が任命され、73人が定数である。この選挙は、日本唯一の小選挙区制度で選出される議員である。貴族院議員は政党への所属が禁止されているが、政党推薦という形で当然に政党の干渉を受けている。定数増加が時折政治問題となる。任期は6年。
またこれら勅任議員には衆議院議員と同じ額の歳費が支給されているが、多額納税者議員だけは制度開設から一貫して辞退している。
勅任議員には任期(事実上も含む)や定数が設けられているが、華族議員には任期や定数が設けられていない者がいる。それが公侯爵議員であり、彼らは全員が自動的に貴族院議員になる。公爵には近衛家などの摂家や徳川将軍家などが対象となるほか国家に勲労ある者が陞爵されてなることがある。宮内省の記録では現在13家が公爵となっている。侯爵には清華家や徳川御三家他国持大名格が叙爵されたほか国家に勲労ある者が陞爵されてなることがある。宮内省の記録では現在45家が侯爵となっている。
これ以外の伯爵子爵男爵についてはそれぞれの爵位内での互選となっている。任期は6年。定数は150となっており、現在各爵位の家は142、398、597家となっている。定数は構成数の比率で配分され、6年ごとの互選の際に調整される。この結果として、それぞれ19、52、79の議席が割り振られている。伯子男爵議員には衆議院議員と同じ額の歳費が支給されている。これにより、華族議員の総数は208議席となる。
以上の結果より、464議席が貴族院の定足数として計上されている。
これら貴族院の院内会派には、政党の影響が及んでいないというのが日本社会になんとなく存在している空気だ。確かに、貴族院には徳川将軍家を頂点として、旧大名家華族によって構成されている三葵会(所属議員数29)と名付けられている会派がある。そして、旧公家衆で纏まっている堂上会(所属議員数21)もまたしかり。なるほど、彼らは議員選出の際に政党の世話にはなっていないであろう。故に政党の顔色をうかがう必要はない。
だが、それ以外の会派はどうか。貴族院最大の会派である研究会(所属議員数134)は、三葵会や堂上会に参加していない伯子男爵議員が中心であり、勅撰議員も数多く参加している。彼ら華族議員が互選に当たって、政党からの選挙スタッフを借りていることは公然の事実だ。そして、勅撰議員は再任されるために、政党から政策立案のための優秀な政策秘書を紹介してもらっている事実もまた政界関係者の間では常識だ。
故に政党の顔色を窺っている。にもかかわらず、なぜ政党は外交を華族に任せたままにしているのか。なぜ政党は外交を自己の判断で行おうとしないのか。
一つには、これまでの慣習が理由として存在するだろう。一つには、未だに貴族が外交を担っている欧州情勢が存在したであろう。だが、それ以上に大きいのは明治以前より続く名家を尊重しすぎるという国民性ではないだろうか。
実は、名家の発言というのは国民に対する影響力が大きい。かつて、「国定教科書事件」あるいは「大石事件」と呼ばれる学問の自由に対する重大な干渉事件が起こったことを記憶しているだろうか。あの事件において堂上会所属のK貴族院華族議員が行った演説は国民の多数の共感を呼んだ。明治以来100年以上 天皇陛下のおわすこの東京都下における街頭世論調査でも、京都廃都という理論は正しくないという意見が4割を占めた(正しいという意見は3割でよくわからないというのが3割)。
すなわち、政府政党は華族の存在を恐れているのである。既に堂上華族に時の政権は振り回されたという実績がある。武家華族に手を出したらどうなるのか。日清日露欧州西太平洋の各戦役で指導力を発揮した徳川家と今も徳川家に忠実な旗本八万騎と呼ばれた彼の家臣団の末裔と其の他譜代大名家や外様諸侯の存在を敵に回せばどうなるのかと。
だが、異世界転移という新たな秋を経て、その慣習やしがらみからは脱却すべき時が来たのではないだろうか。友邦満洲帝国では、外交部大臣は政党所属議員が就任している。この姿こそ、政党政治の本来の姿。憲政の常道のあるべき姿ではなかろうか。
そして、この政治闘争は一人の男の外務省課長職就任を拒んでいる。外務省欧州局英国課長代理の職に在る朝田泰司氏は、前英国課長の酒井正清伯爵の後を継いで課長職に就任する予定であった。酒井正清伯爵は、転移事件のために失踪宣告を受けた父酒井忠正伯爵の家督を相続し、外務省を退官して現在貴族院伯爵議員となっている。本紙記者は、各所への取材の結果、朝田氏が次期英国課長に就任する予定となっていることを突きとめた。にも拘わらず、辞令は課長代理としてであり、課長職は伊達侯爵家の推定家督相続人である伊達邦昭仏国課長の兼任となっている。
これの意図するところは明白である。華族勢力は平民籍にある朝田氏の課長職就任を拒んでいるのである。英国課には摂家の一つである一條公爵家の推定家督相続人が勤務していると言われている。彼に英国課長を継がせるために朝田氏の課長就任にマッタを掛けたのである。
もうこのような差別的待遇は許されない時代に来ていると国民諸君は認識すべきである。異世界転移。それは、我が国にとっては不幸な出来事であったことは確かである。しかし、災い転じて福となせるよう、国民は一層の政治的研鑽を積むべきである。
(編集部)