大日本帝國東京都首相官邸 大会議室
― 内閣書記官長 荒池正十郎
「本日の閣議は以上。これより懇談会に移ります。」
「懇談会に移ります。」
総理の指示を追って、私がそう宣言すると出入り口付近に座っていた内閣書記官が出入り口のドアを開け放った。外からは、書類束を持ってきた数名の書記官が入ってきて、閣僚に書類を渡していく。
「まず、私から。連盟理事国連絡懇談会で話し合われた件についてです。ロデニウス大陸での戦争が終結したため、イギリスを中心とする列強諸国の諜報員は、徐々にフィルアデス大陸、即ちパーパルディア皇国を中心に散り始めたようです。これにより、パーパルディア皇国に関する情報を取得していくことを約束してくれました。」
「まずは、重畳だ。どうも我々日本人は背格好と言い、雰囲気と言い、現地人とは違うからな。潜入任務と言うのにはなかなか向かないところだった。」
「徳川さん。確かこれまでは、満洲国内にいた人物がパーパルディア皇国に潜入しているということであったが、それはどうなるのですか。」
岡内務大臣が感心しているところに、田山通産大臣が質問を行った。
「満洲国の諜報員は元々数が少ないこともありましたし、それに北部のマオ王国やトーパ王国のほうへも散りました。全体数が少なかったのです。そういうわけでこれからはロデニウス大陸全域を我が国が担当し、それ以外の国々は列強諸国の諜報員にお願いするということになりました。」
「では、これからパーパルディア皇国に関する情報がいろいろ入ってくるということなのですか?」
田山大臣の再質問に対しては、殿山情報局総裁が、さて、それはどうなるかわかりませんぞ、と話し始めた。
「満洲国の情報機関から入った連絡なのですがね。近頃パーパルディア皇国にある地方都市アルーニやデュロといった都市の見廻りの衛兵が増えたという報告が挙がっている。パーパルディア皇国には、我等の世界のようなパスポートもなければ、在留資格という概念もない。身なりや態度から、これはと思う者を見つけては、どこの国の出身か、入国してきたルートはどこか、我が国には何の用できたのかなど質問をしているらしいのです。それに、エストシラントの港湾入国監視所でも入国監視の際の質問事項などが増えたとの情報もあります。これらの情報から考えると、どうも現在パーパルディア皇国は防諜に力を入れているようですな。諜報員は、商人に偽装して入国をしているようですが、なかなか難しい任務になりそうですよ。」
徳川大臣も首を縦に振った。列強諸国の協力が得られるという状況ではあるが、事態を楽観視してはいない。
「では、パーパルディア皇国へ入国すること自体が難しいということなのですか。」
「いや、そうではないようです。都市部での滞在と首都港からの入国が難しくはなってきていますが、地方からの入国はそう難しいことではなりません。ただ、情報収集はやはり都市部で行うものです。地方ですと衛兵の見回りも少ないですが、見知らぬ人間が数人やってきて滞在しているとなっては、怪しまれるでしょう。地方は人間関係が濃いからですな。そういう面からも情報収集は都市部に拠点を設置してやるべきなのですが、そこが現在難しい。」
「なるほど。」
「殿山総裁のおっしゃるように劇的に改善するということは無いと考えております。それは、理事国懇親会でも話題にでました。ですが、これまでクワ・トイネやクイラから聞いた話によれば、パーパルディア皇国は拡張政策をとる危険な国家というのが、彼らの認識です。彼らの国内情勢を知ることは今後の交渉にプラスとなると思います。」
「そのパーパルディア皇国ですが、国交樹立の交渉はどのような感じでしょうか。」
「王大臣のご質問ですが、なかなかどうして。」
德川大臣は首を横にふり乍ら陰鬱そうな表情をうかべた。
「国交交渉をクワ・トイネ公国国内で継続中ですが、我が公使館員に対しての露骨な賄賂要求がひどいようですな。手土産ということで、金銀の塊をいくらかクイラ国内で調達して渡しましたが、もっとよこせという声がひどいようです。ある者は私にもっと渡せば大使に連絡を取ってやるといい、ある者は本国に連絡を取ってやるので手土産を忘れぬようになという。以前の懇談会でもお話ししましたように、交渉相手をどこか別の国に変更したとなりますと、臍を曲げて、妨害してくる可能性が高いということですので、賄賂要求をあしらいながら交渉を継続していますが、正直このままではまともな外交関係の構築など難しいですな。」
温和な表情を常に浮かべている德川大臣が、このような顔をして話すことになるとは珍しいこともあるものだ。閣僚一同も驚きを隠せないようだ。
「徳川さんがそこまでおっしゃられるとは・・・。どうでしょう、視点を変えて、ムー国やミリシアルとの国交樹立を急ぐというのは。」
「國枝さんのご発言の意図はわたしも理解しています。関係各国から聴取した事実によれば、パーパルディア皇国の外交部局は担当国の国力ごとに分局されているとのこと。ならば、列強国とされているムーやミリシアルの国々のパーパルディア大使館へ交渉先を変更すれば、その妨害もないか、交渉には影響しない程度のものとなるだろうと予想しています。」
閣僚からも、なるほどという声や確かにそうだろうという声が聞こえた。
「つくづく面倒な話ですな。他の国々と同じであれば、国交樹立などもう数か月前に終わっていた話だというのに。それにしても、クワ・トイネの公使館の者には気の毒ですな。実りのない仕事をこれからもいわば時間稼ぎのためさせねばならぬとは。」
李大蔵大臣がふうとため息をつきながら話し出すと、徳川大臣がご安心を、彼らには特別な手当を出して、労には報いますと答えた。李蔵相はじっと徳川外相を見つめた。
「ご安心を。外務報償費か私のポケットマネーで対応しますので。」
苦笑しながら、徳川大臣が説明すると、李大臣は大臣の篤志に感謝するとつづけた。閣僚も何もそこまでしなくても、きちんと予算措置をという声があがったが、李大臣は周りにじろりと身をやりながら言った。
「国務大臣諸卿は我が国の台所を理解していないな。これから、国債500万円の償還の準備が始まる。3回に分けて起債した国債は、200万、200万、100万。それぞれ年0.2パーセント、0.15パーセント、0.125パーセントの利息をつけて償還される。これをどこの財源から引っ張ってくるつもりじゃ。まず、各省大臣、各省政務次官、各省参与官の政府三役各位の給与は一部減額させてもらう。大臣の年俸は5000円じゃったな。大臣は1割5分、政務次官は1割、参与官は0.7割。」
閣僚からうめき声が挙がる。
「これでも元本全体からすれば、大した額ではない。故に、所得税・法人税の税率を一時的に増加させた分を財源としている。これは時限立法じゃ。第一回起債分の200万、これを償還するのは来年3月末。この償還のための財源なのじゃ。それ以降の償還のための財源は決まっていない。総理には、大蔵省としての意向は伝えた。来年度償還分、即ち第二回起債の200万円の内10パーセントから15パーセントは行政整理によって捻出する。政府三役だけではない。各省次官以下幹部職員の給与も一部削減とさせてもらうつもりじゃ。」
バカな!役人の給与削減だと!ざわざわとする大会議室。これは、観測気球か。それとも大臣は既に腹を固めたのか。
「省内では、はじめ一斉返納による給与返上という措置という話も出た。そのほうが国民に対するインパクトは強い。増税を理解してもらいやすいだろうということじゃった。しかし、それでは課税所得は元々の年俸で計算されてしまう。それがために削減となった。そのあたりも承知されたい。この件はなかなか各々省内で同意を取るのがむずかしかろう。故に関係法案はすぐに閣議提出とはしない。」
閣僚はちらちらと隣の者の顔をうかがっている。「で、では、私のほうからも一言。」そう言って、伊田文部大臣が話始めた。
「ええと、例の官立長崎大学の案件です。お手元のペーパーには、来日してご遺体の検分に立ち会っていただきましたクイラの大魔導師閣下の意見も含む検視所見が届いております。といいましても、立ち会った長大職員による記録のほうでして、閣下の手による正式な所見はまた後日ということになります。」
ふむ・・・。『水魔法にて作成された魔法痕、すなわち魔素の塊が遺体の全体を覆っている。遺体発見時うつ伏せになっていた遺体には遺体表面に水魔法の魔法痕が皮下組織(大魔導師閣下に顕微鏡画像にて確認)に浸潤しているのを確認。家屋延焼による遺体熱傷が表皮組織を破壊。事案の状況推察とも合致する。』ふむ・・・。
「気になるのは、この2点ですな。長大医学部法医学教室の主任教授の検視所見『口や鼻から入った水が気管から肺にかけて到達しているのを確認。だが、気管内の熱傷の状況を観察すると失火による燃焼に巻き込まれて、高熱の空気を吸い込んだことによる熱傷のようには見えない。皮膚の損傷の激しさと呼吸器系の内臓の粘膜の損傷具合が、通常の焼死体の臨床所見と合致しないように感じる。遺体は死後焼かれたようにみえる。』と大魔導師閣下の意見『魔素を合成して作成される魔法は、それぞれの魔法毎で違った魔法痕を作り出す。それによれば、水魔法の魔法痕とは違う、魔法痕があるように見える。おそらくは火魔法か土魔法。だが確証はない。魔法ではない火と水魔法との間でなんらかの変化が起こった可能性もある。遺体は焼け落ちた家屋の中、即ち土の上に置かれていた。同じく、水と土の間で変化がおこった可能性もある。だが、小生のこれまでの経験上から言って、わずかではあるが、火と土の魔法の痕跡があるように感じられてならない。』。いずれも失火に巻き込まれての単なる事故死ではないという可能性を示している。」
大出警保院総裁がペーパーを指で叩きながら話し出すと、泉運輸大臣も続いた。
「伊田さん。これ、なんで閣議に出さなかったの?大出さんのいう通り、これ追加捜査が必要な案件じゃないの。必要なら内務省か司法省か警保院から長崎県警か長崎地裁検事局に追加捜査の指示が必要で、個別の事件に国として介入するとなれば、せめて閣議での了解は取り付けるべき話だが?」
「ええと、それは。」
「泉さん。それは私が止めました。」
「え?総理が?」
閣僚一同が総理の顔を見る。総理は説明をはじめた。
「既に御上への遠藤氏の死後の叙位叙勲、褒章授与の上奏手続は終了しております。叙勲者への更なる追加捜査などは、死者の体面を汚すものです。良いこととは思えません。」
「しかし、総理。この件他殺ということになれば、我が国民が被害に遭ったということです。慎重な対処を行わなければならぬ案件ではありませんか。」
泉大臣が食い下がったが、総理は首を横に振った。
「それに、他殺と言うのも可能性の一つに過ぎません。このペーパーにも、たとえば食中毒などで死亡した場合は、呼吸が停止する為、その後焼死体となったとしても、肺に延焼は見られないという意見も併せて記載されています。大魔導師閣下も確証はないがと前置きしています。何より、遠藤氏の安らかな眠りを妨害するなと言う声はまた盛り返してきています。DNA鑑定が修了後遺体は速やかに御遺族に引き渡すべきです。それに、德川大臣。」
「はい。実は、駐フェン公使からの報告なのですが、フェン王国側から探りを入れられているような事態が起こっています。大臣各位ご承知のように、フェン王国内にあるパーパルディア皇国の植民地と言える町の警備の為パーパルディア皇国の陸軍の部隊が駐屯することとなりました。この派兵自体は、町を建設するときにフェン側とパーパルディア皇国側で交わした協定に書いてあるところの自衛目的のための派遣です。人数も我が国の基準でいうところの1個中隊以下程度となっております。人数から言っても少数であり、フェンの国家主権を脅かすに足るような規模でもありません。しかしながら、どの国でもそうでしょうが、軍隊の駐屯など基本的には嫌がるものです。我が国がパーパルディア皇国に抗して、軍隊の派遣を妨害してくれるのかどうか、フェン側から我が国がどう対応するのか探りを入れてきているようというのはこういうことです。」
閣僚一同がこれはどうしたものかという顔になった。泉大臣は、それならばフェンは我が国に近いところですし、他国の軍の駐留は望ましくないのではという意見を言ったが、李蔵相から泉大臣は私の話を聞いていたのかと言われて黙りこくった。
「この問題、下手に動いてパーパルディア皇国と緊張関係になっても困ります。パーパルディア皇国側も大挙して侵略してくるという話ではないのです。あくまでも自衛の為の駐屯とのことです。彼らがそういう理解ならば、フェンの為に我が国がフェンの矢面に立ってパーパルディア皇国と交渉する義理はないでしょう。」
「つまり、総理。この問題深入りしないというのは。」
「まあ、何かしら魔法との関連があるというのが本当であるとすればですね。何しろフェン人というのは魔法を使えないということらしいのですから、フェン人が魔法を使用して遠藤氏を襲撃したというのはあり得ない話です。そうなると、他国内で魔法を使用して他国民を殺害するということになれば、犯人はそう多くないでしょう。だが我が国民を襲撃する動機がありませんし、それに証拠も何もない。下手に騒いでも何も得られないということになるのであれば、何もしない方がよいと私は思います。」
総理の決断に泉大臣も服した。懇談会は続いて、1月末に発布した緊急勅令を廃止することについての意見交換が始まった。クワ・トイネやクイラから食料や原油などが本格的に届き始め、時空災害前の流通が回復しつつあるためだ。もう少しだ。もう少しで平時に戻れる。