福岡家家族構成
祖父 福岡 勇作(ふくおか ゆうさく)
生:2603・昭和18(1943)年6月10日:71歳
福岡県福岡市出身。士族。父は退役海軍大佐の福岡雄太郎(故人)。福岡県立筑前中学第五学年修了、官立福岡高等学校、九州帝国大学法学部卒。奏任判事に任官。27歳の時に妻イネと結婚。42歳の時、次男隆義を川遊び中の水難事故にて亡くす。このときより、福岡家では水泳をやることが家訓となった。44歳の時に父の死去に伴い家督相続。福岡の勤務地を希望し、転勤を断ったため出世コースからは脱落。55歳で長崎控訴院福岡分院民事部部長判事として退官(勅任判事)。68歳で子隆史に家督を譲り隠居。
現在は、町内会副会長として町内美化活動に精を出している。
趣味の囲碁はアマ五段。住所地近くの、小学校、青年学校の囲碁部の外部顧問(名誉職)も務める。
祖母 福岡 イネ(ふくおか いね)
生:2605・昭和20(1945)年11月3日:69歳
福岡県福岡市出身。旧姓春日、士族春日十治郎の次女。福岡県立警固高等女学校第四学年修了後同校高等科卒。福岡銀行に就職。25歳の時に勇作と結婚。三男二女を儲ける。勇作の地方転勤に付き添うが、義父の介護のため途中からは福岡の本宅にて別居生活となった。九州帝國大學経済学部聴講生卒の資格を得たのちに、福岡銀行に復職。融資部、リスク管理部勤務を経て、65歳で福岡銀行本店リスク管理部長補佐まで昇進し、退職。現在は、町内会婦人部にて町内の奥様方の家政運用に一役を買っている。
父の影響で始めた趣味の剣道は、下手の横好きながら、今も続けており、週一回の区立体育館で行われる練習会に参加している。実は、一度だけ福銀代表として九州金融団体の親睦体育会に参加したことがあるらしいが、この結果について家族が触れることはタブーとなっている。
父 福岡 隆史(ふくおか たかふみ)
生:2631・昭和43(1968)年7月23日:46歳
福岡家戸主。佐賀県佐賀市出身。士族。父勇作が、長崎地方裁判所佐世保支部長として勤務していたころより、海軍軍人を志す。熊本県立水前寺中学四学年修了後、海軍兵学校入学。しかし、訓練中の事故により右足部に重傷を負い、足首より先を切断、義足となった。これにより止む無く依願退学となる。郷里福岡に戻り、海軍水交社福岡支部の事務員として勤務する傍ら、大日本障碍者体育連盟理事長下村義則男爵の知己を得て、障碍者スポーツの普及に尽力。自らも、障碍者水泳選手として国際大会に3度出場した。時の兵部大臣より名誉海軍大佐の称号を与えられたが、本人は海軍兵学校の同期会からもらった「名誉艦長」の方がうれしかったとも伝えられる。
私生活では、妻豊美と23歳の時に結婚。下村男爵の縁によるものであるが、佐賀県の大地主であった佐賀家は平民籍であったことから父勇作が難色を示す。母イネの叱責により、父も結婚を承諾した。選手として第一線を退いたのちは、水交社の事務員として勤務する傍ら、後進の指導にも励んでいる。
母 福岡 豊美(ふくおか とよみ)
生:2632・昭和44(1969)年12月7日:45歳
佐賀県佐賀市出身。旧姓佐賀、平民佐賀一太郎の娘。佐賀県立大和高等女学校第四学年修了後、私立鍋島高等農林学校卒。父一太郎が、佐賀県農業者組合の理事であった縁もあり、佐賀県農会品質向上指導部に就職。佐賀県内の農業生産品の質と量の向上に向けた取り組みの補助を行う。
22歳の時に勇作と結婚。佐賀家でも、父一太郎が、新郎の学歴が海軍兵学校中退ということもあり、うちの娘より学歴が劣る男に娘をやれるかと難色を示した。職場の佐賀県農会も子育てが落ち着いたら復職してもらう予定で就職させたため、はじめはあまりよい顔はしなかった。下村男爵の要請で、鍋島侯爵と黒田侯爵が調停に乗り出し、父一太郎を説得。当初両家の関係はぎくしゃくしたものとなっていたが、孫の誕生を機に雪解け。
二男二女を儲けたのち、次女涼子が尋常小学四年生にあがり、手もかからなくなったことを受け、実家の縁で福岡県農会農業指導部に再就職。
趣味は絵画。大和高女と鍋島高農の在学中は美術部に所属。帝展九州支部の入選の受賞歴あり。なお、福岡家の家訓に従い、着衣泳を習得させられたため泳げることは泳げる。
長女 福岡 彩香(ふくおか あやか)
生:2656・平成8(1996)年1月15日:19歳
福岡県福岡市出身。福岡市立〇〇小学校卒、福岡県立福岡高等女学校第四学年修了、同校高等科第三学年修了見込。4月より私立福岡大学経済学部入学予定。
福岡家は先代勇作の次男隆義が水難事故に遭遇したことのトラウマによって水泳が家訓となったために、彩香も幼少期より水泳教室に通わされた。このため、全国小体連(全国小学校体育大会)の常連メンバーとなり、将来のオリンピック選手としての活躍が期待されてしまった。福岡高女入学後も水泳部に所属し、中体連、高体連の常連となっていたが、進路は体育学部ではなく、経済学部であった。本人は、祖母のような銀行マンになりたいと語っていたためである。半〇直樹がかっこよかったからという動機もあるという声を聞くが、定かではない。福岡大学体育学部長は残念がったが、水泳を続けるとの本人の言葉もあり、胸をなでおろした。
成績は中の上。高等科卒業論文の題名は「不動産投資信託という家計の金融資産選択にむけての一考察」。
趣味は日本舞踊。母方の祖母から手ほどきをうけている。
長男 福岡 真一(ふくおか しんいち)
生:2658・平成10(1998)年6月24日:16歳
福岡県福岡市出身。福岡市立〇〇小学校卒、福岡県中学修猷館第四学年修了見込。4月より官立福岡高等学校入学予定。
長男真一も長女彩香と同様に幼少期より水泳教室に通わされた。しかし、九州小体連(九州小学校体育大会)の常連メンバーまでとはなったものの、全国小体連に進むことはなかった。姉と比較されることに対しては、姉は姉、自分は自分と割り切っていた。中学入学後も水泳部に所属していたが、九州中体連の常連メンバー入りは果たしたが、全国へは進めなかった。
将来は県庁勤務を希望している。
成績は上の下。国史、法制、経済を得意とする反面、物理、化学を苦手とする典型的文系。
趣味は、祖父の影響もあってか囲碁。囲碁部との掛け持ちも、水泳の成績に響いたのではという周囲の声もあるが、運動神経の問題もあるんじゃないかなと語った。
次男 福岡 善吉(ふくおか ぜんきち)
生:2661・平成13(2001)年4月10日:13歳
福岡県福岡市出身。福岡市立〇〇小学校卒、福岡県立福岡工業学校第一学年修了見込。
長女、長男と続いた祖父、父の水泳熱も薄れたのか、幼少期より水泳教室に通わさせたのは同様であるが、泳力は一般人よりも泳げる程度のレベルである。次男の趣味は、野球に向けられた。小学生時代はリトルリーグに所属し、最高学年では6番打者一塁手を務めた。福岡県名門の野球部がある福岡工業学校に入学したのもその関係である。全国中等学校野球選手権大会、通称甲子園大会への出場を夢見ているが、異世界転移後は、電力確保の関係からナイター設備の使用が禁止されたため、練習の時間があまりとれず、ちょっと不満に思っている。
成績は中の中。成績表上、不可はないものの、可と良しかなく、優は体育の一科目のみ。父からはこれ以上成績を落とすと、野球部を退部させると脅しをかけられている。
次女 福岡 涼子(ふくおか りょうこ)
生:2663・平成16(2004)年2月8日:10歳
福岡県福岡市出身。福岡市立〇〇小学校5年生。
彼女も福岡家の家訓に従ったが、そこまで熱を入れる方ではなかった。次女の興味は書道にあった。
小学校5年生にして、秋の帝展の出品した作品は、東晋時代の能書家にして書聖として名高い王羲之の蘭亭序の全臨であった。帝展の審査員は、当初、なかなかの作品であるが入選に値するほどでもない、地方支部はなぜこれを中央に送ってきたのかといぶかしんだが、作者の年齢を聞いたところ驚いた。作品の出来そのものは、入選に値するものではないが、小学生が書いたとすれば驚きである。帝展審査員が迷った末に出した結論が、特別賞の授与であった。
成績も上の中と申し分はない。今本人の関心は医学に向いているらしく、すでに高等女学校で使われる生物の教科書を姉に借りて読んでいるらしい。ド〇ターXとの関連性は確認されていない。
どうしてこうなった。
当初は軽く人物設定をして、本稿長男の目線で拙作の世界を子供の目線・一般人の目線から描こうとしたのですが、チート家族になってしまいました。
次作はこの家族を使って、物語内部の世界を描いていこうかと思います。
筆者は福岡在住のため、福岡の描写があります。