アルタラス和平工作
中央歴1639年11月初頭に起きたパーパルディア皇国によるアルタラス王国への外交要求に端を発する派国大使殴打事件は、パーパルディア皇国によるアルタラス王国への懲罰的出兵を不可避のものとした。しかし、開戦直前の時期においては、パーパルディア皇国による出兵を止めるべく、日本国政府はいくつかの和平調停工作を行っていた。
もっともこの時期、日本国はパーパルディア皇国との間に国交がなく、直接的な交渉が行われていなかったことは周知の事実である。そこで、外交的な解決を図るべくいくつか別の方面からの接触が行われた。
一つのルートは、満洲国とパーパルディア皇国との国境に位置するクーズ辺境伯領を通した和平工作である。このルートにおける接触は、満洲国国務院外交部が対応した。
8月下旬に新たなトーパ王国副使として赴任先に移動中であったクーズ辺境伯は移動中に消息を絶った。しかも、あろうことかクーズ領内を移動中にだ。おまけに、クーズ辺境伯は、田舎の我が国に赴任することを嫌がっていたという噂も飛び交っていた。かといって、任地への移動中に消息を絶ったというのであれば、単なる職務放棄とも断ぜられない。パーパルディア皇国府内府典礼局は、クーズ辺境伯の地位を彼の嫡男に承継させるべきか否か迷っていたが、「死体が出ないのであれば、生きている可能性がある。ならば、爵位の継承は待つべきである。」という皇帝の判断により、嫡男への継承は保留となった。このため、クーズ辺境伯領に設置されていたクーズ統治機構の機構長のみ新たに皇都から派遣されることとなった。この動きは貴族の所領としての辺境伯領と行政機構としての統治機構とを分離する嚆矢となったがこれはまた別の話である。
クーズ統治機構では、本部長ハーロルト・バルチュが代表となり、満洲国側との間で協議に入ったが、統治機構はあくまでもパーパルディアの地方自治体のようなものに過ぎない。勿論、辺境伯という土地柄、他国との外交関係を処理するだけの権限は与えられてはいたが、それはあくまでも、パーパルディア国境に接する国との外交関係について差配する権能があるにすぎず、皇国と他国との一般的な外交問題を処理する権能があるわけではない。案の定、バルチュはクーズ統治機構本部長として満洲国側からの書状の写しを受領するに留めたし、満洲国側も特に書状に対する返答を要求はしなかった。
この他にも、日満両国が国交を結んだ各国にあるパーパルディア皇国の大使館に対して書状を渡した。アルタラス問題についての平和的な解決を望むという主題の文書は、これもまた大半の各国大使館の受付で不受理となるか、受付職員が受理するに留められた。
これらはみな、日満外交部局による表向きのポーズとして行われたにすぎない。日本国の政界では野党勢力がアルタラスの独立維持を主張し、政府与党への攻撃材料としていた。これらの動きに対するポーズとして、日本国政府・外務省は、定例の会見でこの動きを伝えていた。これとは別にオフレコではあったが、日本国及び満洲国政府は、国交樹立交渉中のムー国内において、パーパルディア大使との間に交渉を持っていたようである。
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ムー国首都オタハイト郊外 パーパルディア皇国大使公邸
― ムー国駐箚パーパルディア皇国大使 オスヴィン・ゲラルト・フォン・グレーゴール=パルネス
「大谷閣下、于閣下。それが難しいことは、貴殿にも当然理解できるものと私は考えているのだが、ブラッケ次官も一体どうしたというのだね。ムー国は、既に我が国の方針に理解しているものと思っていたが。」
最近、第三文明圏の周辺国家が面白い動きを見せている。いや、面白いなどと言ってしまうと不謹慎であるな。だが、事もあろうに皇国の大使を打擲に及ぶ文明外国の国王がいたなど面白いとしか言いようがないわ。これも日本国・満洲国と言う存在が生み出した変化なのだろうか。
「そもそも、アルタラス国王があそこまで強硬な手段に及んだということが、常識に反して理解しがたい。私は、日本国や満洲国がアルタラスの後ろ盾について皇国に対して反旗を翻させたと理解していたが?」
「まさか!」
「滅相もありません!」
大谷、于両使節団長がパッと顔を上げて、私の話を否定した。まあ、それもそうだな。大谷氏や于氏から聞く話だけではなく、ムー国外務省からの情報、パーパルディア本国から送られてくる情報など総合して考えてみると、日満両国は不思議なことだが第三文明圏に覇を唱えようとしていない。国力を考えると間違いなく、我が国にとって代わるだけの力があるにもかかわらず、彼らはそういう動きを見せてこなかった。それでも、アルタラス国王を我が国にけしかけて戦争を誘発する、我が国に先に手を出させるというのはやはり考えすぎであろうか。・・・この際もう少し突っ込んだやり取りが必要だろう。
「しかし、本国から遠く離れたムー大陸から眺めてみると、そういう解釈も亦成り立つとしか言いようがない。アルタラス単独で我が国に抗しようというのは、自殺行為だとしか言いようがない。そうではないか、ブラッケ次官。」
「そうですな。我がムー国は科学文明国であり、パーパルディアとアルタラスのような魔導文明国ではありませんので、国力の違いについて詳しいとはいえません。それでも、一般的な前提として言えば、列強国であるパーパルディア皇国と文明圏外国であるアルタラスとでは、正直比べるまでもないことだと思います。アルタラス国王がどうしてあのような蛮行に及んだのか、普通に考えますと、大使殿下のおっしゃるとおり、日満両国の関与を疑うところです。ですが、殿下、そのことについては、こちらにいらっしゃる両閣下から、明確に日満両国政府の関与は一切ないと否定の言葉を戴いております。」
大谷、于両閣下が口々に、「然り。」、「我々はアルタラス王国に対して何らの指導的立場を保有しておりません。」と言う。一体なぜ、アルタラスへの影響力がないというようなことを声高にいうのだろうか。自国の勢威が他国に対して影響力を発揮するというのは、国際社会においては有用なはずなのだが・・・。
「とにかく、皇国のアルタラス征伐の動きは最早止めようがありませんぞ。討伐軍が集結しつつあるエストシラント軍港では、正規軍の他にも義勇軍も集まり、彼らは各自で輸送船を調達しつつありとの報告も入っております。むしろ、討伐軍の出征は急がねばなりません。正規軍が行動しているそばで義勇軍にウロチョロされては溜まりますまい。それに、義勇軍とやらは軍紀も糺されているのかどうか怪しい。もともと今回のアルタラスへの外交においてアルタラス島の治安の過度の悪化は認めないと通知してきたのは、ミリシアルやムーであったはずですぞ。そして、日本国と満洲国、両閣下も我が国のアルタラス国への指導権付与については大筋において合意されていらっしゃったはずです。我が国は、貴国等との取り決めを破ろうというつもりはないのです。ただ、アルタラス側が当初の予定に反した行動をとってきたので、それを修正しているにすぎません。それも、貴国等と結んでいる約定を反故にしないように最大限の注意を払ってです。アルタラスへの軍事行動については、既に政府内で決定されたものです。今更派兵中止になんぞできませんぞ。」
私がそういうと、向かいに座っているムー国、日本国、満洲国の3代表がお互いにちらちら顔を眺めあい、日本国の大谷閣下が一つ頷くと、私の顔を見ながら話し出した。
「貴国の立場はごもっともとしか言いようがないことも重々承知しております。ですが、我々としても看過できない問題が生じております。こちらをご覧ください。」
大谷閣下が秘書に命じて大きな紙をテーブルの上に広げさせた。これは・・・地図か。うーむ・・・、何と精巧な地図か。我が国の沿岸部が描かれているな、エストシラントとデュロなどの位置関係がわかる・・・。うーむ、流石だとしか言いようがないな。東北のクーズ辺境伯領と満洲国の国境はやはり、内陸部も描かれている。うーむ・・・。やはり彼らは敵に回してはならぬ存在だ。だが、唯々諾々と従う訳にもいかぬ。難しいな。
「ムー国と我が国及び満洲国は国交を樹立する準備がほぼ整いました。国交樹立後は直ちに貿易が開始されることになっております。我々が貿易において行う輸送の方法は、当然ではありますが、船舶での海上輸送となります。航空機を用いた輸送は速度こそ船舶での輸送とでは比べくべくもない段違いのものがありますが、一回で運べる量では船舶に軍配が上がります。この船舶輸送においては、航路は最短ルートを通るのが常道です。遠回りすればそれだけ、輸送のための費用が掛かりますので、それは当然の選択でございます。そうなると我が国そして満洲国がムー国との貿易で使用するルートはここ、アルタラス島とフィルアデス大陸との間にあるアルタラス水道となります。ここが一番の最短ルートとなります。従いまして、我々としては、アルタラスが軍事占領下におかれますと、非常に困るのです。」
なるほど・・・。貿易が絡むとなると、ブラッケ次官が一緒に来ている意味もまた・・・。
「ブラッケ次官。貴官もまた、大谷、于両閣下と同じ懸念を持っているということかね。」
「我が国の貨物船は、今後日満両国の港を目指して航海します。日満両国のそれと比べますと、船足が遅い上に途中で補給が必要ですので、当然ではありますが、日満両国以上に航続距離の最短化はシビアに考える必要があります。我がムー国としては、燃料補給のために、アルタラス島の北部にあるアマンダ港、そしてルバイル空港までの道のり。この部分を安全な形で確保しなくてはなりません。」
ブラッケ次官が地図を指差し、アマンダ港とルバイル空港を指でなぞりながら、話した。わたしは、ソファーにもたれかかり、口元を隠しながら言葉を紡いだ。
「ルバイル空港は何とかなる。もともとミリシアルとムー国の共用の空港であり、治外法権が設定されていたはずだ。我が国も貴国等の条約上の権利を侵害するつもりはない。だが、アマンダ港となると話は別だ。あそこは確かに民間の港湾ではあるが、我が軍の部隊が上陸するための拠点となるとこの港しかないと思う。一時的に我が軍の支配下に置かれることになるだろうが・・・。」
「アルタラス水道が貴国の支配下に置かれるとなると、我が国はともかく、日本国及び満洲国の船舶は通行することが難しいのです。」
ブラッケ次官の話を聞いた私は、大谷・于の両閣下に顔を向ける。
「我々の国の貿易貨物船は、全て民間の船舶です。国交を有していない国の影響下にある地域を通過せよとは命令できません。となると、彼ら必然的にムー国との貿易を忌避します。船舶事故に掛けられている保険の保険料を値上げするでしょうから、貿易品の値段も上昇します。」
「特に、我が国の場合は地理的な関係から、南のロデニウス水道を通るというルートは選択肢には一切入りません。我が国最大の貨物取扱量のある大連港から出入港する船舶は全てアルタラス水道を通過します。」
「我がムー国としては、対日対満貿易に将来性を強く感じております。殿下も乗車されました日満両国の自動車。非常に残念ではありますが、我が国のはるか先の技術水準です。このような自動車などの形状の大きなものは、航空輸送では運べません。船舶輸送が安全に開始されることは、我が国の今後の成長に不可欠なものと考えております。なんとか、日満両国が安心して船舶輸送を開始させることができるような方策を貴国政府に取っていただきたい。」
ムー国は科学技術国だ。同じ科学文明国、それもムー国よりも技術力のある日満両国との貿易を成功に導くために、我が国の行動を抑えにかかってきたというのか。確かに、ムー国で数年過ごしてきた私には、日満両国の技術水準と言うのが、ムー国のそれと隔絶しているということは素人目にもよくわかる。聊か複雑な気持ちではあるが、我が大使館員が、こっそりと日満両国のペンや電卓を入手しているという情報も聞いている。ムー国が日満両国との貿易を重要視する姿勢はよくわかる。だが、それでも。
「それでも、ムー国王の王冠の輝きがアルタラス国の国土を照らすということを言うつもりはないでしょうな。」
「ええ。勿論です。第二文明圏地域から見て、第三文明圏地域ははるか東の彼方です。我が国の影響力を伸ばすというつもりはありません。ただ、一定の配慮をお願いしたいという訳です。」
ムー国政府、ムー国外務省からの正式な外交通告と言うことではないわけか。ならば、やり様はあるが。だが、本国では、そろそろ出兵が始まる。もはや出兵そのものをどうこうできる段階ではない。戦後の協定でなんとかするしかない。早急に本国政府と日満両国との国交調整が必要だ。