今月4日で不惑の歳に突入しました。まだまだ迷ってばかりです。
ルミエス王女薨去
去る12日早朝、アルタラス王国の第一王女ルミエス・ラ・ファイエット殿下が薨去されたことがアルタラス当局からの布告により判明した。王女は未だ17歳の若さであり、突然の薨去の知らせにアルタラス国内では動揺が広がっている。尚、アルタラス王国を含む新世界の多くの国では数え年による年齢計算が行われており、当記事においてもその表記で行う。
ルミエス殿下は、中央歴1622年12月20日、アルタラス国王ターラ・ド・ラ・ファイエット陛下と故・王妃アメリア・ルドラ侯爵夫人との間に生まれた第一王女であった。両親の寵愛を一身に受けて成長し、数年前からアルタラス外務局にて儀礼担当外交官として海外大使との儀式を担当していた。
キャリアに転機が訪れたのが、今年の7月初めから始まったロデニウス戦争講和会議である。アルタラス王国王都ル・ブリアスにて、アルタラス王の仲介という形で始まった講和会議には、国王の代理としてルミエス王女が出席した。アルタラス国王の仲介によって開かれた講和会議であることを儀礼的に象徴するため、ルミエス王女は講和会議に毎回出席した。しかし、本来であれば、その場に居ればよいだけであるにも関わららず、彼女は毎回の議事録に目を通し、討論の内容を理解したうえで出席していたとのであった。
講和会議における討論をつぶさにした彼女は確かに外交について学び、知識を涵養したといえよう。その学びの結果が発揮されたのが、8月15日の講和条約調印式における閉会式宣言であろうが、これを精華と言ってよいかについては見解が分かれている。勿論、彼女の宣言は、地球世界での外交活動を知る我々にとっては、非常に高い評価を得たものであったことは言うまでもない。平等な関係性にある主権国家通しによる正義と秩序によって規律される国際社会のありかたを望むという内容には、突然の転移現状の影響が色濃く残る我が国や日本の国民にとって、勝手の違う新世界の中で、我々と同じ価値観を持っている人間が存在していることを示すものであり、大いに勇気づけられるものとなった。中等教育を受ける年齢という若さと見目麗しい容姿と相まって、彼女はアイドル的な存在となった。
しかし、この世界においては、我々の常識とは異なった価値観が幅を利かせている。我が満洲国を含む周辺地域は第三文明圏と呼称されており、この地域ではパーパルディア皇国という国が幅を利かせている。彼女の発言は、パーパルディア皇国の地域大国たる地位に異論を投げかけるようなものであったがために、パーパルディア皇国はもとより、自国の上層部からも白い眼で見られるようになったことは記憶に新しい。
彼女の国際社会におけるデビューといってもよい講和条約調印式の当日夕刻にアルタラス王宮において開かれた祝賀晩餐会に彼女の姿はなかった。第一夫人が出席したために、王女が引いた形となった、長期の緊張から解放され体調を崩したなどと様々な憶測を呼んだが、王女が表舞台に復帰することはなく、先日の薨去の発表となった。
国務院外交部はロマン・トゥーロフ外交部次官を弔問の使者としてアルタラス入りをさせることを昨日の夕方の外相への囲み取材で発表するとともに、宮内府及び帝國議会に対しても同様の使者を立てるように通知したとも述べた。
在アルタラス公使館からは、今月10日に一身上の都合で辞職したローズモンド・マニャール駐ア公使に代わって就任したアルフレット・カルメンラーデ公使が王宮に登城し、弔意をささげた。
(アルタラス当局発表原文)
―――――
王宮司祭官長布告
ターラ・ド・ラ・ファイエット陛下が第一王女ルミエス・ラ・ファイエット殿下におかせられましては、ここ数日床に伏し、典医の診候を受けておられましたが、12日深夜よりにわかに御危篤の御状態となり、同日早朝、創生王タスの御座所へと続く階段を上られました。
殿下の憔悴殊の外痛ましく、御自らの姿を御見せになることを殊の外厭まれ、王に対し奉り御自身の葬礼の儀は御省略あそばすよう御遺言を残されました。故に王宮司祭官は勅裁を経て、ルミエス殿下の聖骸を聖ベルナルド大聖堂へ葬送せりしことをアルタラス全土に布告す。
中央暦1639年11月12日
王宮司祭官長 聖ベルナルド教皇オースチン・エルデ・ド・ラ・ファイエット
―――――
国務院外交部、パーパルディア皇国クーズ辺境伯領との間に暫定協定を締結へ
満パ国境一部開放へ
国務院外交部は、熱河省山海関県級市と国境を接しているパーパルディア皇国クーズ辺境伯領との間に両国国境を通過する暫定協定を締結する用意が整ったことを明らかにした。暫定協定は来週末にも調印の見込みだ。
一般に、辺境伯とは、中央から離れた場所に位置し、大きな権限を認められた地方長官である。国と国との間の一般的な権利義務関係を構築することまでは権限が与えられていないが、中央政府から離れた位置にあり、国境守護の役割を与えられていることから、国境外の国とも最低限の交渉を行う権限があるとされている。クーズ辺境伯領においても、この意味の辺境伯と同じく、我が国が転移するまではリーム王国やマオ王国との間で貿易などの交渉にあたっていた。
我が国の転移後、突如現れた我が国の存在を危険視し、度々国境紛争が起こったが、その頻度は徐々に少なくなっていった。5月の半ばごろより、山海関市の出入国管理署において、クーズ辺境伯領側との間に国境安定化に向けた交渉が断続的に行われてきた。
暫定協定の内容としては、出入国管理署からみてクーズ辺境伯領側に交流施設兼市場を設置し、その市場内での貿易を解禁すること、施設には、満洲国側とクーズ辺境伯領側で入り繰りを設けて、両国人の出入国を監視すること、満洲国は将来的にクーズ辺境伯領内に領事館を設置するため、交流施設内にその準備使節を派遣し、クーズ統治機構も同様の使節を派遣すること、クーズ辺境伯はパーパルディア皇国との間に国交樹立に向けた橋渡しをすることなどが盛り込まれた。