大日本帝國召喚   作:もなもろ

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いやはや、小説の続きではなくて、小説世界の過去のこと、いわゆる設定集的な方向で筆が乗ってしまいました。山縣・松方両首相を巡る動向についてです。次の11代第二次伊藤内閣は日清戦争ですね。


大日本帝国歴代内閣(9代から10代まで:第2議会から第5議会まで)

大日本帝国歴代内閣

9代 第一次山縣有朋内閣 (2551(明治24・1891)年5月6日~2552(明治25・1892)年6月20日)

▽来歴・概要

 元長州藩士。陸軍中将。男爵。内務大臣。

 伊藤内閣内部の議会対策を巡る対立は、伊藤の辞任により超然主義的意見が一応の優勢を観た。この後を受けて組閣することとなったのが、伊藤内閣の陸軍大臣であった山縣有朋である。山縣が後継首班といて推進されたとき、時の参謀総長であった大村益次郎は大反対したと言われている。首相職は帝国全体のかじ取りを担う役目であり、山縣のような軍人では不適当であるとのことであった。大村の反対を押し切って山縣は組閣した。

 成立直後の山縣内閣を襲ったのが、大津事件である。時のロシア皇太子が日本国内を旅行中に巡査に切りつけられるという事件が発生した。”詳細は「大津事件」を参照。”

 大津事件の責任を取って数人の大臣が辞職するに至ったが、事件の処理に成功した山縣は政権担当に自信を深め、第2議会に挑んだ。しかし、議会勢力と山縣内閣との対決は早期に訪れた。山縣内閣の樺山資紀海軍大臣が、衆議院本気議において行った演説が野党側を刺激した。議事は空転し、野党勢力は樺山海相に対する非難決議を議事日程に提出しようとしたが、山縣首相は衆議院に対して停会を命令した。山縣首相は、議会停会中に事態の打開を図った。非公式の場にて、野党幹部に対して樺山海相に陳謝をさせることを提案したが、野党側は少なくとも注意の決議を出すことを主張した。山縣首相を始め内閣側が公開の議場での対応を拒否したため、山縣首相は衆議院解散を奏上した。

 選挙に臨んで、山縣内閣は大規模な選挙干渉を行った。品川弥次郎内務大臣は、警視庁と府県警察部を指揮し、野党系立候補者に対する選挙取締りを強化した。野盗系立候補者の選挙法違反はどんなに軽微なものであったとしても取締り、政府の意向に沿うことを予め表明した議員対しては、あからさまな買収などがあったとしても告発を握りつぶした。

 しかし、政府の努力も空しく、辛うじて議会第一党は野党となった。前回議会において、「土佐派の裏切り」という党内分裂を招いたことで、立憲自由党から一部の議員が離党し、最大時は130議席を持っていた自由党は解散時92議席となっていた。選挙後の議席は88議席と若干落ち込んだものの改選300議席中の第一党となった。

 第二党となったのは、院内会派中央交渉会である。第一回議会において、政府系の議員を中心にした院内会派大成会は、あくまで議員有志による団体であって、政党ではないという姿勢を堅持した。衆議院解散に際して、会派解散の届などは特に提出していなかった。これは、総選挙で再度議員に選出されれば、そのまま前回の会派に所属するものと思われていたからとされている。ところが、品川内相による選挙干渉は大きな波紋を呼び、政府系と呼ばれていた議員の多くも眉を顰める状態となった。解散時79議席を数えた大成会系の議員は、78議席と解散時の議席を維持したが、選挙期間中大成会という所属を口にするのは、控えざるを得ない状況となった。そこで、中央交渉会という会派を称することとなった。

 第三党は立憲改進党である。伊藤内閣の総辞職後、大隈は山縣首相に対しても是々非々の態度で臨むとしていたが、蛮勇演説を巡る対応では、終始反政府側に回った。こちらも改選前43議席から40議席へと減少した。

 その他与党系野党系共に少人数の政党があったり、旗幟を明らかにしない無所属議員や会派があるなどしたが、明確な与党系が102議席、野党系が138議席と改選前よりも政府系の勢力は後退した形となった。それでも、この当時は衆議院選挙の結果が内閣の死命を制するという政治体制ではなかったので、山縣首相は政権担当を継続した。

 明治25年度予算が先の国会中に議決されなかったので、憲法の規定に依り前年度予算が執行されていた。しかし、政府が推し進める海軍力整備には、新規予算の成立が必要であり、そのためには、本年度予算の衆議院通過が必要であった。5月2日に召集された第3議会においては、山縣首相は開会当初から選挙干渉問題で苦しい立場に置かれた。早期の海軍力増強を必要としていた海軍関係者の苛立ちが募っている5月末に、山縣首相周辺からこの事態の原因を作ったとして樺山海相の更迭の噂が飛び込んだ。陸軍出身の山縣が樺山海相に腹を切らせるという動きに海軍関係者は山縣降ろしを画策した。

 海軍には薩摩藩出身者が多い。軍人による政界工作の動きを知った、政界に於ける薩摩閥の長老、現内大臣の伯爵大久保利通はこの工作に激怒した。彼はすぐさま貴族院勅撰議員となり、院内会派研究会を組織していた小栗忠順伯爵と連絡を取り、善後策を協議し始めた。5月31日、大久保、小栗、そして山縣の三者は会談を開き、政府原案にできるだけ近い形で予算を通すので、貴族院での成立後に退陣するよう迫った。会談には、参謀総長であった大村益次郎、前総理の伊藤博文も招聘され、山縣は予算成立後の退陣に同意した。会談は麹町区三年町にある大久保伯爵邸で行われた。大久保の雅号を取り、甲東邸会談と呼称される。

 小栗と大久保を中心に、自由党板垣総理、改進党大隈総理及び党幹部との間に調整が行われ、6月8日衆議院で予算が通過した。貴族院での審議は、小栗が主導権を握ったことで、速やかに予算審議を修了させ、6月13日に可決させた。

 後継首班の選定に関しては、山縣の意見が考慮された。曰く、衆議院の動向に振り回されていては安定的な政権運営はできない。しかも、日本の海軍力拡張は急務でありながら、この動きに過激派(野党のこと。当時、政権内部では与党を温和派、野党を過激派と呼んでいた。)勢力は断固たる拒否を突きつけている。立憲政治を継続していくことが我が国にとって重要であることは理解しているが、しかし、政府が衆議院に対して、吾輩の内閣のように予算と引き換えに引導を渡すということは我が国の今後を危うくするものではないか。山縣は、以上のような内容と共に、次期内閣首班には、はじめから裏工作を行い、戦いを放棄するのではなく、なるべく政府の意向を通すよう動くべきであると説いた。

 小栗や大久保と言った長老クラスは既に政党を政権側に取り込むことを考え始めていた。だが、政党の要求をすぐさま国政に反映させるようなこともまた危険視していた。新規の軍艦建造費を盛り込んだ予算を否決に追い込んだ政党勢力は、支持者である地方地主層の利益である民力休養・政費節減を代弁する存在にすぎないと喝破していた。それがため、伊藤博文が枢密院議長を辞任し、政党を組織しようとした動きを時期尚早として押しとどめていた。

 しかし、立憲政治を運営していくうえで、議会対策は重視しなければならないことは確かである。野党勢力の「民力休養・政費節減」論に敢然と立ち向かうためには、しっかりとした理論武装が必要であると判断した小栗ら長老は、山縣の後継首班に財政の専門家であった松方正義を推挙した。

▽在任中の主な出来事

・大津事件

・蛮勇演説

・品川内相による選挙干渉

・第2回衆議院議員総選挙

・甲東邸会談

▽内閣の出した主な法令

・鉄道敷設法

・民法典(第2議会・審議未了)

▽内閣の対応した帝國議会

第2回帝國議會・通常会

日程

 召集:2551(明治24・1891)年10月 8日(官報公示9日)

 集会:2551(明治24・1891)年11月21日

 開会:2551(明治24・1891)年11月26日

 解散:2551(明治24・1891)年12月25日

 会期:90日、開会から30日目に解散

議院役員

貴族院議長

1 小栗忠順(おぐり ただまさ)

 就任:2550(明治23・1890)年10月24日(留任)

 退任:

 生年:2487(1827)年7月16日(文政10年6月23日)、63歳

 出生:武蔵国江戸駿河台(東京都)

 学歴:

 官職:貴族院議員・華族議員(伯爵・1期・無所属)

 前職:

  江戸幕府外国奉行、勘定奉行、歩兵奉行、軍艦奉行、若年寄

  法制局長官(1)、内閣書記官長(2)、内務大臣(3)、内閣総理大臣(4、7)

 特記:旗本小栗忠高の子。三河小栗氏第12代当主。

    永年の功績、帝國議会開設の功により伯爵陞爵

貴族院副議長

2 細川潤次郎(ほそかわ じゅんじろう)

 就任:2551(明治24・1891)年9月30日

 退任:

 生年:2494(1834)年3月11日(天保5年2月2日)、57歳

 出生:土佐国高知城下南新町(高知県高知市桜井町)

 学歴:幕府海軍操練所、中浜万次郎門下生

 官職:貴族院議員・勅選議員(無所属)

 前職:幕府司法局出仕、元老院議官

 特記:

衆議院議長

1 中島信行(なかじま のぶゆき)

 就任:2550(明治23・1890)年11月26日(留任)

 退任:2551(明治24・1891)年12月25日(衆議院解散)

 生年:2506(1846)年10月5日(弘化3年8月15日)、44歳

 出生:土佐国高岡郡塚地村(高知県土佐市塚地)

 学歴:

 官職:衆議院議員(神奈川県第5区)

 会派:立憲自由党

 回数:1回(1期)

 前職:元土佐藩士/幕府通商司出仕、神奈川県令、元老院議官

 特記:

衆議院副議長

1 津田真道(つだ まみち)

 就任:2550(明治23・1890)年11月26日(留任)

 退任:2551(明治24・1891)年12月25日(衆議院解散)

 生年:2489(1829)年6月25日(文政12年7月25日)、61歳

 出生:美作国津山藩上之町(岡山県津山市)

 学歴:オランダ・ライデン大学

 官職:衆議院議員(東京府第8区)

 会派;大成会

 回数:1回(1期)

 前職:江戸幕府蕃書調所、騎兵差図役頭取、目付、司法奉行、司法大臣(1)、元老院議官

 特記:

第2回衆議院議員総選挙

 改選数:300

 投票日:2552(明治25・1892)年2月15日

 選挙制度:小選挙区制(一部2人区制)

 実施地域:45府県(北海道、沖縄県、小笠原諸島を除く)

 選挙権:

  直接国税15円以上納税の満25歳以上の日本国民男性

下記の者は権利の適用除外

   華族の当主、現役軍人

   禁治産者、破産者、公民権剥奪者及び停止者、刑事被告人

 被選挙権:

  直接国税15円以上納税の満30歳以上の日本国民男性

下記の者は権利の適用除外

   華族の当主、現役軍人

   禁治産者、破産者、公民権剥奪者及び停止者、刑事被告人

   宮内官、裁判官、会計検査官、収税官、警察官

   管轄区内の府県郡官吏

   各選挙区の市町村選挙管理担当吏員

   神官、僧侶、教師

 選挙結果:

  自由党

   前回選挙:130

   選挙直前:92

   獲得議席:88(△4)

  中央交渉会

   前回選挙:新党

   選挙直前:79

   獲得議席:81(+2)

  立憲改進党

   前回選挙:41

   選挙直前:43

   獲得議席:40(△3)

  立憲帝政党

   前回選挙:新党

   選挙直前:18

   獲得議席:17(△1)

  無所属

   前回選挙:

   選挙直前:55

   獲得議席:74

・第3回帝國議會・臨時会

日程

 召集:2552(明治25・1892)年3月18日(官報公示19日)

 集会:2552(明治25・1892)年5月 2日

 開会:2552(明治25・1892)年5月 6日

 停会:2552(明治25・1892)年5月16日自

    2552(明治25・1892)年5月22日至(7日間)

 閉会:2552(明治25・1892)年6月14日

 会期:40日

議院役員

貴族院議長

1 小栗忠順(おぐり ただまさ)

 就任:2550(明治23・1890)年10月24日(留任)

 退任:2552(明治25・1892)年 6月14日(辞職)

 生年:2487(1827)年7月16日(文政10年6月23日)、63歳

 出生:武蔵国江戸駿河台(東京都)

 学歴:

 官職:貴族院議員・華族議員(伯爵・1期・無所属)

 前職:

  江戸幕府外国奉行、勘定奉行、歩兵奉行、軍艦奉行、若年寄

  法制局長官(1)、内閣書記官長(2)、内務大臣(3)、内閣総理大臣(4、7)

 特記:旗本小栗忠高の子。三河小栗氏第12代当主。

    永年の功績、帝國議会開設の功により伯爵陞爵

貴族院副議長

2 細川潤次郎(ほそかわ じゅんじろう)

 就任:2551(明治24・1891)年9月30日

 退任:

 生年:2494(1834)年3月11日(天保5年2月2日)、57歳

 出生:土佐国高知城下南新町(高知県高知市桜井町)

 学歴:幕府海軍操練所、中浜万次郎門下生

 官職:貴族院議員・勅選議員(無所属)

 前職:幕府司法局出仕、元老院議官

 特記:

衆議院議長

2 星亨(ほし とおる)

 就任:2552(明治25・1892)年5月3日

 退任:

 生年:2510(1850)年5月19日(嘉永3年4月8日)、41歳

 出生:武蔵国江戸築地小田原町(東京都中央区築地)

 学歴:横浜英学所、開成所、英ミドル・テンプル

 官職:衆議院議員(栃木県第1区)

 会派:自由党

 回数:1回(2期)

 前職:幕府大蔵局、横浜税関所長、弁護士、自由党員

 特記:実父は左官職人。

衆議院副議長

2 曾禰荒助(そね あらすけ)

 就任:2552(明治25・1892)年5月3日

 退任:

 生年:2509(1849)年2月20日(嘉永2年1月28日)、43歳

 出生:長門国(山口県)

 学歴:

 官職:衆議院議員(山口県第4区)

 会派:中央倶楽部

 回数:1回(2期)

 前職:長州藩士/内閣記録局長、衆議院書記官長

 特記:

▽内閣閣僚

内閣総理大臣

9 山縣有朋(やまがた ありとも)

 生年:2498(1838)年6月14日(天保9年閏4月22日)、51歳

 出生:長門国阿武郡川島村(山口県萩市川島)

 学歴:松下村塾

 官職:陸軍中将

 前職:長州藩士/太政官兵部省出仕、幕府陸軍局出向、内務大臣

 特記:男爵、内務大臣兼任

外務大臣

9 青木周蔵(あおき しゅうぞう)

( ~2551(明治24・1891)年5月29日免)

 生年:2504(1844)年3月3日(天保15年1月15日)、47歳

 出生:長門国厚狭郡生田村(山口県山陽小野田市)

 学歴:長州藩校明倫館

 官職:特命全権公使、外務次官

 前職:駐独公使、兼駐墺公使、外務省参事官、外務次官

 特記:初入閣、男爵

    大津事件の引責辞任

10 榎本武揚(えのもと たけあき)

(2551(明治24・1891)年5月29日任~ )

 生年:2496(1836)年10月5日(天保7年8月25日)、54歳

 出生:武蔵国江戸下谷御徒町(東京都台東区浅草橋)

 学歴:昌平黌、長崎海軍伝習所修了

 官職:海軍中将→海軍大将

 前職:江戸幕府軍艦頭、海軍副総裁、開拓使長官、駐露公使、農商務大臣

 特記:西丸御徒目付・榎本武規の次男

    男爵

内務大臣

7 西郷従道(さいごう じゅうどう/つぐみち)

( ~2551(明治24・1891)年6月1日免)

 生年:2503(1843)年6月1日(天保14年5月4日)、47歳

 出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市加治屋町)

 学歴:

 官職:海軍中将

 前職:薩摩藩士/江戸幕府陸軍局出仕、歩兵奉行、開拓使転出、内務省工部大学校校長、陸軍参謀本部高級部員、陸軍参謀次長、陸軍次官

 特記:男爵

    大津事件の引責辞任

8 品川弥二郎(しながわ やじろう)

(2551(明治24・1891)年6月1日任~2552(明治25・1892)年3月11日免)

 生年:2503(1843)年11月20日(天保14年閏9月29日)、47歳

 出生:長門国阿武郡椿郷東分村(山口県萩市椿東)

 学歴:松下村塾

 官職:

 前職:長州藩士/太政官大蔵省出仕、幕府内務局出向、内務参事官

 特記:初入閣

    枢密顧問官任官。選挙干渉事件の引責辞任

9 河野敏鎌(こうの とがま)

(2552(明治25・1892)年3月11日任~ )

 生年:2504(1844)年11月29日(天保15年10月20日)、48歳

 出生:土佐国高知城下(高知県高知市)

 学歴:

 官職:

 前職:土佐藩士/太政官刑部省出仕、幕府司法局出向、元老院議官、退官、立憲改進党副総理、枢密顧問官

 特記:初入閣。立憲改進党系。

大蔵大臣

7 日下部太郎(くさかべ たろう)

 生年:2505(1845)年7月10日(弘化2年6月6日)、44歳

 出生:越前国福井城下江戸町(福井市宝永四丁目)

 学歴:米ラトガース大学科学校

 官職:

 前職:福井藩士/江戸幕府大蔵局出仕、主計部長、大蔵次官

 特記:留任

陸軍大臣

5 大鳥圭介(おおとり けいすけ)

( ~2551(明治24・1891)年11月1日免)

 生年:2493(1833)年4月14日(天保4年2月25日)、58歳

 出生:播磨国細念村小字石戸(兵庫県赤穂郡上郡町岩木丙字石戸)

 学歴:閑谷学校、適塾、江川塾、ジョン万次郎門下生

 官職:陸軍中将→陸軍大将

 前職:長州藩士/江戸幕府陸軍局出仕、歩兵奉行、開拓使転出、内務省工部大学校校長、陸軍参謀本部高級部員、陸軍参謀次長、陸軍次官

 特記:男爵

    留任

    枢密顧問官に任官

6 大山巌(おおやま いわお)

(2551(明治24・1891)年11月1日任~ )

 生年:2502(1842)年11月12日(天保13年10月10日)、48歳

 出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市)

 学歴:幕臣・江川英龍門下生

 官職:陸軍中将

 前職:薩摩藩士/スイス・ジュネーブ留学、陸軍次官

 特記:初入閣

海軍大臣

5 樺山資紀(かばやま すけのり)

 生年:2497(1837)年12月9日(天保8年11月12日)、53歳

 出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市)

 学歴:昌平黌、長崎海軍伝習所修了

 官職:海軍中将

 前職:江戸幕府陸軍局出仕、警視総監兼陸軍少将、海軍参事官、海軍次官

 特記:初入閣

司法大臣

5 山田顕義(やまだ あきよし)

( ~2551(明治24・1891)年6月1日免)

 生年:2504(1844)年11月18日(天保15年10月9日)、46歳

 出生:長門国阿武郡椿郷東分(山口県萩市)

 学歴:長州藩校明倫館、松下村塾

 官職:陸軍大佐

 前職:長州藩士/太政官兵部省出仕、幕府陸軍局出向、司法局転任、司法大臣

 特記:留任

    大津事件の引責辞任

6 田中不二麿(たなか ふじまろ)

(2551(明治24・1891)年6月1日任~ )

 生年:2505(1845)年7月16日(弘化2年6月12日)、44歳

 出生:尾張国名古屋城下(愛知県名古屋市)

 学歴:尾張藩校明倫堂

 官職:元老院議官

 前職:尾張藩士/江戸幕府文部局出仕、初等教育部長、駐フランス公使、駐イタリア公使

 特記:

文部大臣

7 川路太郎(かわじ たろう)

 生年:2505(1845)年1月28日(弘化元年12月21日)、44歳

 出生:武蔵国江戸番町冬青木坂上(東京都)

 学歴:蕃書調所、昌平黌、横浜仏語伝習所、英国留学

 官職:文部省高等教育局長兼参事官

 前職:幕府大蔵局、文部省初等教育局長。第5代文部大臣。

 特記:男爵。川路聖謨の孫。

    再入閣

農商務大臣

6 陸奥宗光(むつ むねみつ)

( ~2552(明治25・1892)年3月14日免)

 生年:2504(1844)年8月20日(天保15年7月7日)、51歳

 出生:紀伊国和歌山(和歌山県和歌山市吹上三丁目)

 学歴:神戸海軍操練所

 官職:衆議院議員(和歌山県第1区)

 前職:紀州藩士/太政官大蔵省出仕、外務局出仕、駐米公使

 特記:留任

    枢密顧問官任官

7 井上馨(いのうえ かおる)

(2552(明治25・1892)年3月14日任~ )

 生年:2496(1836)年1月16日(天保6年11月28日)、56歳

 出生:周防国吉敷郡湯田村(山口市湯田温泉二丁目)

 学歴:長州藩校明倫館

 官職:

 前職:長州藩士/太政官大蔵省出仕、幕府大蔵局出向、内務局、内務奉行並、工務奉行、外務奉行、外務次官

 特記:再入閣

逓信大臣

3 後藤象二郎(ごとう しょうじろう)

 生年:2498(1838)年4月13日(天保9年3月19日)、53歳

 出生:土佐国高知城下片町(高知県高知市)

 学歴:吉田東洋門下生、開成所

 官職:民間

 前職:土佐藩士/太政官大蔵省出仕、幕府内務局出向後退官。自由党幹部。

 特記:男爵。初入閣。大同団結運動の指導者。自由党系。

内閣書記官長

9 周布公平(すふ こうへい)

 生年:2511(1851)年1月7日(嘉永3年12月6日)、40歳

 出生:長門国萩城下(山口県萩市)

 学歴:

 官職:

 前職:長州藩士/幕府陸軍局出仕、ベルギー派遣、司法局転任

 特記:

法制局長官

6 井上毅(いのうえ こわし)

 生年:2504(1844)年2月6日(天保14年12月18日)、47歳

 出生:肥後国熊本城下坪井町(熊本県熊本市中央区坪井)

 学歴:必由堂、熊本藩校時習館、横浜仏語伝習所

 官職:枢密院書記官兼任

 前職:熊本藩士/太政官大蔵省出仕、幕府司法局出向、内閣書記官、制度取調局

 特記:

 

 ―――――

10代 松方正義内閣(2552(明治25・1892年)6月20日~2554(明治27・1894年)4月1日)

▽来歴・概要

 元薩摩藩士。男爵。大蔵大臣。

 松方内閣は、超然主義体制における最後の内閣と位置づけられている。この内閣の後も揺れ戻し的な形の内閣は何度か存在したが、政治史的な評価としては、この内閣を境にして変化が生じている。

 小栗・大久保たち政界長老は、この内閣が明治維新政府にとって正念場と心得ていた。選挙干渉事件後の更迭人事で荒れる内務省に山縣有朋を内務大臣として配置し、蛮勇演説事件を起こした樺山資紀に替えて西郷従道を海軍大臣に就任させた。外務大臣には条約改正交渉を継続させるために榎本武揚を留任させて、帝国議会の第一党自由党を懐柔させるために後藤象二郎を農商務大臣に就任させた。大蔵大臣には自身の腹心の部下であった渡辺国武を就任させた。貴族院議員小栗忠順も逓信大臣として入閣し、伊藤博文枢密院議長も班列大臣として入閣した。大久保利通内大臣は一歩引いた立場で遊撃的な動きを行う為、選挙干渉事件で引責辞任した白根專一元内務次官を内大臣府御用掛に引っ張り、政界工作の足掛かりとした。

 第四議会が開会され、当初は松方首相によるこれまでの財政知見が生かされ、議論において野党に切り込んだ。微に入り細を穿つ舌鋒は、政府提出予算案における野党側が求める冗費を徹底的に切り詰めるものであることを証明しつつあった。一方で、野党側、特に立憲改進党は、かつて党首の大隈重信が蔵相であったこともあってか、財政について一家言ある人間も多く在籍していた。大蔵省の非主流派に属していた者の中には官を辞して、代議士となった者もいた。彼らは、本年度予算には未だ無駄があると主張し、衆議院での予算否決を目指していた。

 第三議会のような紛糾状態にはないが、政府側の意図したとおりの議会運営には至らず、野党勢力は政府の新規軍艦建造費を削除した予算修正案が衆議院予算委員会を通過した。松方内閣は帝國議会の停会を発し、閣議で善後策を模索する。山縣、井上を中心に、解散に打って出るべきと主張する閣僚もいたが、これまでの経緯から野党勢力の議会議席縮小は難しいと判断した小栗や伊藤は、別の手段に出た。明治26年2月10日、内閣閣僚、枢密院議長及び貴衆両院議長、副議長へ参内の指示があり、いわゆる「和協の詔勅」が下されるに至った。

 この詔勅によって、政府は新規の軍艦建造費の復活を得て、野党側は帝室費の下賜と職員年俸の1割減と更なる行財政改革を行うことを政府に約束させた。明治政府の進める富国強兵政策は首の皮一枚でつながり、政府の中では、野党との協力体制を構築することの必要性を認識する者が増えた。

 松方首相は、政治の混乱で帝室費の下賜に至り、陛下の宸襟を悩ましたことを深く恥入り、帝国議会閉会後に辞職する意思を漏らしたが、ここで総辞職すれば、野党勢力に付け入るスキを与えるとして、首相職の続投を要請され、内閣は継続した。

 明治初年より政府の掲げる大きな課題は条約改正問題であった。条約改正を実現しようとした榎本外相であったが、議会からその条約を結んだのは他でもない幕府ではなかったかと言う点で攻撃を受け、榎本外相は自身が主導しては、条約改正問題で議会の好意は得られないとと判断し、第5議会終了後に外相を辞任した。外務大臣に就任した陸奥宗光は、青木周蔵駐独公使に命じて英国との条約改正交渉に入った。条約改正においては、日本が外国と同格であることを示すためにも、外国人に日本人並みの権利を保障すべきであるとする意見が政府側の了解事項となった。即ち、これまで居留地内でしか居住を認められなかった外国人にも、居住地外での居住の自由を保障するという内地雑居の解禁を改正方針とした。しかし、内地雑居を解禁する交渉方針に反対する勢力が明治26年10月1日に大日本協会を結成し、国民協会・改進党・東洋自由党・同盟倶楽部・政務調査会を加えた6団体(対外硬派、硬六派)が中心となって、外国人に対する強硬策(現行条約励行運動)を政府に要求した。

 第五議会においても、硬六派の主張は止まらず、12月8日には現行条約励行建議案を提出した。自由党はこの動きには載らなかったが、与党の位置にいた国民協会がこの建議の提出に関わっており、議席状況を鑑みれば可決の公算が強かった。この建議が成立すれば、日本の世論が条約改正に反対を示しているということにもなりかねず、それは英国との交渉に悪影響を生じる可能性が大いにあった。可決を阻止したい松方内閣は、硬六派に建議案撤回を持ちかけたが、応じなかったため、12月30日衆議院を解散した。

 松方首相は、条約改正について政府が本気であることを英国に示すためにも、英語が話せる伊藤博文に首相を交代することを望んだ。伊藤もこれを快諾し、総選挙後の臨時議会開会前に内閣が交代することとなった。

 

 

▽在任中の主な出来事

・和協の詔勅

・陸奥演説

▽内閣の出した主な法令

▽内閣の対応した帝國議会

第4回帝國議會・通常会

日程

 召集:2552(明治25・1892)年10月12日(官報公示:13日)

 集会:2552(明治25・1892)年11月25日

 開会:2552(明治25・1892)年11月29日

 停会:2553(明治26・1893)年 1月23日自

    2552(明治25・1892)年 2月 6日至(15日間)

 閉会:2553(明治26・1893)年 2月28日

 会期:92日(2日延長)

議院役員

貴族院議長

2 蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)

 就任:2552(明治25・1892)年 6月14日

 退任:

 生年:2506(1846)年9月28日(弘化3年8月8日)、45歳

 出生:

 学歴:英オックスフォード大学卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:外務省御用掛、駐仏公使

 特記:第14代徳島藩主。

    第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕の次男。斉裕は第11代将軍・徳川家斉の二十二男。

貴族院副議長

2 細川潤次郎(ほそかわ じゅんじろう)

 就任:2551(明治24・1891)年 9月30日

 退任:2553(明治26・1893)年11月13日(議員辞職)

 生年:2494(1834)年3月11日(天保5年2月2日)、57歳

 出生:土佐国高知城下南新町(高知県高知市桜井町)

 学歴:幕府海軍操練所、中浜万次郎門下生

 官職:貴族院議員・勅選議員(無所属)

 前職:幕府司法局出仕、元老院議官

 特記:

衆議院議長

2 星亨(ほし とおる)

 就任:2552(明治25・1892)年5月3日

 退任:

 生年:2510(1850)年5月19日(嘉永3年4月8日)、41歳

 出生:武蔵国江戸築地小田原町(東京都中央区築地)

 学歴:横浜英学所、開成所、英ミドル・テンプル

 官職:衆議院議員(栃木県第1区)

 会派:自由党

 回数:1回(2期)

 前職:幕府大蔵局、横浜税関所長、弁護士、自由党員

 特記:実父は左官職人。

衆議院副議長

2 曾禰荒助(そね あらすけ)

 就任:2552(明治25・1892)年5月 3日

 退任:2553(明治26・1893)年8月30日(議員辞職)

 生年:2509(1849)年2月20日(嘉永2年1月28日)、43歳

 出生:長門国(山口県)

 学歴:

 官職:衆議院議員(山口県第4区)

 会派:中央倶楽部

 回数:1回(2期)

 前職:長州藩士/内閣記録局長、衆議院書記官長

 特記:

第5回帝國議會・通常会

日程

 召集:2553(明治26・1893)年10月12日(官報公示:13日)

 集会:2553(明治26・1893)年11月25日

 開会:2553(明治26・1893)年11月28日

 解散:2553(明治26・1893)年12月30日

議院役員

2 蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)

 就任:2552(明治25・1892)年 6月14日

 退任:

 生年:2506(1846)年9月28日(弘化3年8月8日)、45歳

 出生:

 学歴:英オックスフォード大学卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:外務省御用掛、駐仏公使

 特記:第14代徳島藩主。

    第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕の次男。斉裕は第11代将軍・徳川家斉の二十二男。

貴族院副議長

3 西園寺公望(さいおんじ きんもち)

 就任:2553(明治26・1893)年11月13日

 退任:

 生年:2509(1849)年12月7日(嘉永2年10月23日)、42歳

 出生:山城国京都(京都府京都市)

 学歴:ソルボンヌ大学卒業

 官職:貴族院議員・勅選議員(侯爵・無所属)

 前職:東洋自由新聞社長/

    駐墺公使、駐独公使、兼駐白公使/

    賞勲局総裁、法典調査会副総裁(総裁は伊藤博文)

 特記:

衆議院議長

2 星亨(ほし とおる)

 就任:2552(明治25・1892)年 5月 3日

 退任:2553(明治26・1893)年12月13日(除名)

 生年:2510(1850)年5月19日(嘉永3年4月8日)、41歳

 出生:武蔵国江戸築地小田原町(東京都中央区築地)

 学歴:横浜英学所、開成所、英ミドル・テンプル

 官職:衆議院議員(栃木県第1区)

 会派:自由党

 回数:1回(2期)

 前職:幕府大蔵局、横浜税関所長、弁護士、自由党員

 特記:実父は左官職人。

3 楠本正隆(くすもと まさたか)

 就任:2553(明治26・1893)年12月15日

 退任:2553(明治26・1893)年12月30日(解散)

 生年:2598(1838)年4月14日(天保9年3月20日)、55歳

 出生:肥前国玖島城下岩船(長崎県大村市玖島)

 学歴:

 官職:衆議院議員(東京府第4区)

 会派:立憲改進党

 回数:2回(1期、2期補欠)

 前職:大村藩士/新潟県令、元老院議官、東京市会議長

 特記:

衆議院副議長

3 楠本正隆(くすもと まさたか)

 就任:2553(明治26・1893)年11月26日

 退任:2553(明治26・1893)年12月15日(議長就任)

 生年:2598(1838)年4月14日(天保9年3月20日)、55歳

 出生:肥前国玖島城下岩船(長崎県大村市玖島)

 学歴:

 官職:衆議院議員(東京府第4区)

 会派:立憲改進党

 回数:2回(1期、2期補欠)

 前職:大村藩士/新潟県令、元老院議官、東京市会議長

 特記:

4 安部井磐根(あべい いわね)

 就任:2553(明治26・1893)年12月18日

 退任:2553(明治26・1893)年12月30日(解散)

 生年:2492(1832)年4月17日(天保3年3月17日)、61歳

 出生:陸奥国安達郡(福島県二本松市)

 学歴:

 官職:衆議院議員(福島県第2区)

 会派:無所属

 回数:2回(1期、2期)

 前職:二本松藩士/福島県会議長

 特記:

第3回衆議院議員総選挙

 改選数:300

 投票日:2554(明治27・1894)年3月1日

 選挙制度:小選挙区制(一部2人区制)

 実施地域:45府県(北海道、沖縄県、小笠原諸島を除く)

 選挙権:

  直接国税15円以上納税の満25歳以上の日本国民男性

下記の者は権利の適用除外

   華族の当主、現役軍人

   禁治産者、破産者、公民権剥奪者及び停止者、刑事被告人

 被選挙権:

  直接国税15円以上納税の満30歳以上の日本国民男性

下記の者は権利の適用除外

   華族の当主、現役軍人

   禁治産者、破産者、公民権剥奪者及び停止者、刑事被告人

   宮内官、裁判官、会計検査官、収税官、警察官

   管轄区内の府県郡官吏

   各選挙区の市町村選挙管理担当吏員

   神官、僧侶、教師

 選挙結果:

  自由党

   前回選挙:88

   選挙直前:76

   獲得議席:120(+44)

  立憲改進党

   前回選挙:40

   選挙直前:42

   獲得議席:60(+18) 

  国民協会

   前回選挙:新党

   選挙直前:69

   獲得議席:35(△34)

  同志倶楽部

   前回選挙:新党

   選挙直前:19

   獲得議席:22(+3)

  同盟倶楽部

   前回選挙:新党

   選挙直前:17

   獲得議席:15(△2)   

  立憲帝政党

   前回選挙:17

   選挙直前:14

   獲得議席:13(△1)

  大日本協会

   前回選挙:新党

   選挙直前:

   獲得議席:9

  無所属

   前回選挙:74

   選挙直前:63

   獲得議席:26

▽内閣閣僚

内閣総理大臣

10 松方正義(まつかた まさよし)

 生年:2495(1835)年3月23日(天保6年2月25日)、57歳

 出生:薩摩国鹿児島郡鹿児島近在荒田村(鹿児島県鹿児島市下荒田一丁目)

 学歴:藩校造士館

 官職:

 前職:薩摩藩士/太政官民部省出仕、幕府大蔵局出向、大蔵奉行、大蔵次官、大蔵大臣、枢密顧問官

 特記:男爵

外務大臣

10 榎本武揚(えのもと たけあき)

( ~2553(明治26・1893)年4月1日免)

 生年:2496(1836)年10月5日(天保7年8月25日)、55歳

 出生:武蔵国江戸下谷御徒町(東京都台東区浅草橋)

 学歴:昌平黌、長崎海軍伝習所修了

 官職:海軍大将

 前職:江戸幕府軍艦頭、海軍副総裁、開拓使長官、駐露公使、農商務大臣

 特記:西丸御徒目付・榎本武規の次男

    男爵

    留任

11 陸奥宗光(むつ むねみつ)

(2553(明治26・1893)年4月1日任~ )

 生年:2504(1844)年8月20日(天保15年7月7日)、51歳

 出生:紀伊国和歌山(和歌山県和歌山市吹上三丁目)

 学歴:神戸海軍操練所

 官職:

 前職:紀州藩士/太政官大蔵省出仕、外務局出仕、駐米公使、農商務大臣、衆議院議員(1期)、枢密顧問官

 特記:再入閣

内務大臣

10 山縣有朋(やまがた ありとも)

 就任:2552(明治25・1892)年6月20日

 退任:2553(明治26・1893)年3月11日(枢密院議長就任)

 生年:2498(1838)年6月14日(天保9年閏4月22日)、54歳

 出生:長門国阿武郡川島村(山口県萩市川島)

 学歴:松下村塾

 官職:陸軍中将

 前職:長州藩士/太政官兵部省出仕、幕府陸軍局出向、内務大臣、内閣総理大臣(9)

 特記:男爵

11 芳川顕正(よしかわ あきまさ)

 就任:2553(明治26・1893)年3月11日

 退任:2554(明治27・1894)年4月 1日(内閣総辞職)

 生年:2502(1842)年1月21日(天保12年12月10日)、51歳

 出生:阿波国麻植郡山川町(徳島県吉野川市)

 学歴:

 官職:

 前職:徳島藩士/江戸幕府大蔵局出仕、内務局転任、内務次官

 特記:

大蔵大臣

9 渡邊國武(わたなべ くにたけ)

 生年:2506(1846)年3月29日(弘化3年3月3日)、48歳

 出生:信濃国諏訪郡東堀村(長野県岡谷市)

 学歴:諏訪高島藩校長善館

 官職:

 前職:諏訪高島藩士/江戸幕府大蔵局出仕、高知県令、大蔵省調査局長、主計局長、大蔵次官

 特記:初入閣

陸軍大臣

6 大山巌(おおやま いわお)

 生年:2502(1842)年11月12日(天保13年10月10日)、48歳

 出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市)

 学歴:幕臣・江川英龍門下生

 官職:陸軍中将

 前職:薩摩藩士/スイス・ジュネーブ留学、陸軍次官

 特記:初入閣

海軍大臣

7 西郷従道(さいごう じゅうどう/つぐみち)

 生年:2503(1843)年6月1日(天保14年5月4日)、49歳

 出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市加治屋町)

 学歴:

 官職:海軍中将

 前職:薩摩藩士/江戸幕府陸軍局出仕、歩兵奉行、開拓使転出、内務省工部大学校校長、陸軍参謀本部高級部員、陸軍参謀次長、陸軍次官

 特記:男爵

司法大臣

6 田中不二麿(たなか ふじまろ)

 就任:2552(明治25・1892)年6月20日(留任)

 退任:2552(明治25・1892)年6月30日(司法官弄花事件による引責辞任)

 生年:2505(1845)年7月16日(弘化2年6月12日)、46歳

 出生:尾張国名古屋城下(愛知県名古屋市)

 学歴:尾張藩校明倫堂

 官職:元老院議官

 前職:尾張藩士/江戸幕府文部局出仕、初等教育部長、駐フランス公使、駐イタリア公使

 特記:

7 井上毅(いのうえ こわし)

 就任:2552(明治25・1892)年6月30日(留任)

 退任:2554(明治27・1894)年4月 1日(内閣総辞職)

 生年:2504(1844)年2月6日(天保14年12月18日)、48歳

 出生:肥後国熊本城下坪井町(熊本県熊本市中央区坪井)

 学歴:必由堂、熊本藩校時習館、横浜仏語伝習所

 官職:枢密院書記官兼任

 前職:熊本藩士/太政官大蔵省出仕、幕府司法局出向、内閣書記官、制度取調局、法制局長官

 特記:

文部大臣

7 川路太郎(かわじ たろう)

 生年:2505(1845)年1月28日(弘化元年12月21日)、47歳

 出生:武蔵国江戸番町冬青木坂上(東京都)

 学歴:蕃書調所、昌平黌、横浜仏語伝習所、英国留学

 官職:文部省高等教育局長兼参事官

 前職:幕府大蔵局、文部省初等教育局長。文部大臣(5)。

 特記:男爵。川路聖謨の孫。

    再入閣

農商務大臣

8 後藤象二郎(ごとう しょうじろう)

( ~2554(明治27・1894)年1月22日免)

 生年:2498(1838)年4月13日(天保9年3月19日)、53歳

 出生:土佐国高知城下片町(高知県高知市)

 学歴:吉田東洋門下生、開成所

 官職:民間

 前職:土佐藩士/太政官大蔵省出仕、幕府内務局出向後退官。自由党幹部。

 特記:男爵。初入閣。大同団結運動の指導者。自由党系。

9 井上馨(いのうえ かおる)

(2554(明治27・1894)年1月22日任~ )

 生年:2496(1836)年1月16日(天保6年11月28日)、56歳

 出生:周防国吉敷郡湯田村(山口市湯田温泉二丁目)

 学歴:長州藩校明倫館

 官職:

 前職:長州藩士/太政官大蔵省出仕、幕府大蔵局出向、内務局、内務奉行並、工務奉行、外務奉行、外務次官

 特記:再入閣

逓信大臣

4 小栗忠順(おぐり ただまさ)

( ~2553(明治26・1893)年4月1日免)

 生年:2487(1827)年7月16日(文政10年6月23日)、64歳

 出生:武蔵国江戸駿河台(東京都)

 学歴:

 官職:貴族院議員・華族議員(伯爵・1期・無所属)

 前職:江戸幕府外国奉行、勘定奉行、歩兵奉行、軍艦奉行、若年寄

    法制局長官(1)、内閣書記官長(2)、内務大臣(3)、内閣総理大臣(4、7)

    貴族院議長(1)

 特記:旗本小栗忠高の子。三河小栗氏第12代当主。

    永年の功績、帝國議会開設の功により伯爵陞爵

5 榎本武揚(えのもと たけあき)

(2553(明治26・1893)年4月1日任~)

 生年:2496(1836)年10月5日(天保7年8月25日)、56歳

 出生:武蔵国江戸下谷御徒町(東京都台東区浅草橋)

 学歴:昌平黌、長崎海軍伝習所修了

 官職:海軍大将

 前職:江戸幕府軍艦頭、海軍副総裁、開拓使長官、駐露公使、農商務大臣

 特記:西丸御徒目付・榎本武規の次男

    男爵

内閣書記官長

10 平山成信(ひらやま なりのぶ)

 生年:2514(1854)年12月25日(嘉永7年11月6日)、37歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:

 前職:幕臣/農商務省・外務省・大蔵省

 特記:

法制局長官

7 尾崎三良(おざき さぶろう)

 生年:2502(1842)年3月3日(天保13年1月22日)、50歳

 出生:山城国葛野郡西院(京都市右京区)

 学歴:オックスフォード大学聴講生

 官職:貴族院議員(勅選)

 前職:三條実美家臣/太政官出仕、元老院議官

 特記:

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