大日本帝國召喚   作:もなもろ

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猶子:実親子ではない二者が親子関係を結んだときの子。身分や家格の高い仮親の子に位置付けられることによって社会的に上昇したり、一家・同族内あるいは何らかの関係を有する他氏族間の結束強化のために行わる。家督や財産などの相続・継承を目的としない点で養子と異なっており、子の姓は変わらず、仮親が一種の後見人としての役割を果たすなど、養子と比べて単純かつ緩やかで擬制的な側面が大きい。


華族令(明40皇2) / 大日本帝國東京都麴町区霞が関外務省 2675(平成27・2015)年11月17日(火)

華族令(明治四十年皇室令第二號)

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朕樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ華族令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

   華族令

第一條 凡ソ有爵者ヲ華族トス

 有爵者ノ家族ハ華族ノ族稱ヲ享ク

第二條 爵ハ公侯伯子男ノ五等トス

第三條 爵ヲ授クルハ勅旨ヲ以テシ宮内大臣之ヲ奉行ス

第四條 有爵者ハ其ノ爵ニ相當スル禮遇ヲ享ク

第五條 有爵者ノ婦ハ其ノ夫ノ爵ニ相當スル禮遇及名稱ヲ享ク

 有爵者ノ寡婦其ノ家ニ在ルトキハ特ニ從前ノ禮遇及名稱ヲ享ケシメ其ノ家ノ戸主トナリタルトキ又ハ襲爵者ナクシテ其ノ家ニ在ルトキハ其ノ者ニ限リ特ニ華族ノ族稱ヲ保有セシメ從前ノ禮遇及名稱ヲ享ケシム

第六條 有爵者ノ家族ニシテ左ニ揭ケタル者ハ華族ノ禮遇ヲ享ク

  一 曾祖父、祖父、父

  二 爵ヲ襲クコトヲ得ヘキ法定ノ推定家督相續人及其ノ嫡長男子、嫡出ノ男子ナキトキハ其ノ庶長男子

  三 戸主タリシ者

  四 前三號ニ揭ケタル者ノ配偶者

第七條 有爵者又ハ前二條ノ禮遇ヲ享クヘキ者左ノ各號ノ一ニ該當スルトキハ其ノ禮遇ヲ享クルコトヲ得ス

  一 禁治産者及準禁治産者

  二 身代限ノ處分ヲ受ケ債務ノ辨濟ヲ終ヘサル者及家資分散若ハ破産ノ宣告ヲ受ケ其ノ確定シタル時ヨリ復權ノ決定確定スルニ至ル迄ノ者

  三 刑事ノ訴ヲ受ケ勾留又ハ保釋中ニ在ル者

  四 禁錮以上ノ刑ノ宣告ヲ受ケタル時ヨリ其ノ裁判確定スルニ至ル迄ノ者

第八條 有爵者ハ法律命令及華族ニ關スル規程ノ範圍内ニ於テ家範ヲ定ムルコトヲ得

 家範ハ宮内大臣ノ認許ヲ受クヘシ之ヲ廢止變更スルトキ亦同シ

 有爵者未成年者又ハ禁治産者ナルトキハ家範ヲ定メ又ハ之ヲ廢止變更スルコトヲ得ス

第九條 爵ハ男子ノ家督相續人ヲシテ之ヲ襲カシム

第十條 爵ヲ襲クコトヲ得ヘキ家督相續人又ハ其ノ法定代理人ハ相續ノ開始ヲ知リタル時ヨリ六箇月内ニ宮内大臣ニ家督相續ノ屆出ヲ爲スヘシ

 前項ノ屆出アリタルトキハ宮内大臣ハ勅許ヲ經テ襲爵ノ辭令書ヲ交付ス

第十一條 襲爵ハ家督相續開始ノ時ヨリ其ノ效力ヲ生ス

第十二條 左ノ場合ニ於テハ家督相續人ハ爵ヲ襲クコトヲ得ス

  一 國籍喪失ニ因リ家督相續開始シタルトキ

  二 第十條第一項ノ期間内又ハ家督相續開始ノ時ヨリ三箇年内ニ家督相續ノ屆出ヲ爲ササルトキ

  三 第二十二條又ハ第二十四條ニ依リ華族ノ族稱ヲ享ケサルトキ又ハ之ヲ失ヒ若ハ之ヲ除カレタルトキ

第十三條 有爵者及其ノ家族ノ身分ニ關シ監督上必要ナル事項ハ宮内大臣之ヲ管掌ス

第十四條 有爵者婚姻、養子縁組、隱居、協議上ノ離婚若ハ離縁又ハ家督相續人ノ指定若ハ其ノ取消ヲ爲サムトスルトキハ戸籍吏ニ其ノ屆出ヲ爲ス前、隱居ヲ爲スニ付キ裁判所ノ許可ヲ要スル場合ハ其ノ許可ヲ請求スル前宮内大臣ノ認許ヲ受クヘシ

 有爵者遺言ヲ以テ養子縁組ヲ爲シ又ハ家督相續人ノ指定ヲ爲スノ意思ヲ表示シタルトキハ養子トナル者又ハ之ニ代ハリテ承諾ヲ爲スコトヲ得ヘキ者ニ在リテハ其ノ承諾ヲ爲ス前、被指定者又ハ其ノ法定代理人ニ在リテハ相續ノ承認ヲ爲ス前宮内大臣ノ認許ヲ受クヘシ

 前二項ノ規定ハ當事者ノ一方皇族ナルトキハ之ヲ適用セス

第十五條 有爵者法定ノ推定家督相續人ノ廢除若ハ其ノ取消ヲ爲サムトスルトキ又ハ被廢除者廢除ノ取消ヲ爲サムトスルトキハ裁判所ニ請求スル前宮内大臣ノ認許ヲ受クヘシ但シ有爵者遺言ヲ以テ家督相續人ノ廢除又ハ其ノ取消ヲ爲スノ意思ヲ表示シタル場合ハ此ノ限ニ在ラス

第十六條 有爵者ノ家督相續人ニ選定セラレタル者又ハ其ノ法定代理人ハ相續ノ承認ヲ爲ス前宮内大臣ノ認許ヲ受クヘシ

 前項ノ規定ハ被選定者皇族ナルトキハ之ヲ適用セス

第十七條 有爵者ノ家族婚姻、養子縁組、分家、廢絶家再興又ハ他家相續ヲ爲シ若ハ他家ノ家族トナラムトスルトキハ有爵者又ハ其ノ法定代理人ハ之ニ同意ヲ爲ス前宮内大臣ノ認許ヲ受クヘシ

 前項ノ規定ハ婚姻ノ當事者ノ一方皇族ナルトキハ之ヲ適用セス

第十八條 有爵者又ハ其ノ法定代理人其ノ家ニ入ル者ノ入籍ニ同意ヲ爲サムトスルトキハ其ノ同意ヲ爲ス前宮内大臣ノ認許ヲ受クヘシ

第十九條 有爵者又ハ其ノ推定家督相續人養子縁組ヲ爲ス場合ニ於テハ其ノ養子、家督相續人ノ指定又ハ選定ノ場合ニ於テハ其ノ家督相續人左ノ各號ノ一ニ該當セサルトキハ宮内大臣ノ認許ヲ受クルコトヲ得ス

  一 養父又ハ被相續人ノ男系ノ六親等内ノ血族但シ他家ヨリ入リタル者ノ實方ノ親族ヲ除ク

  二 本家又ハ同家ノ家族若ハ分家ノ戸主又ハ家族

  三 華族ノ族稱ヲ享クル者

第二十條 宮内大臣ノ認許ヲ受クヘキ者認許ヲ受ケスシテ第十四條乃至第十八條ノ行爲ヲ爲シタルトキハ情状ニ依リ華族ノ禮遇ヲ停止シ又ハ爵ヲ襲カシメサルコトアルヘシ

 第十八條ノ規定ニ違反シタル場合ニ於テハ入籍者ハ華族ノ族稱ヲ享クルコトヲ得ス

第二十一條 有爵者死刑又ハ懲役ノ宣告ヲ受ケ其ノ裁判確定シタルトキハ其ノ爵ヲ失フ

 有爵者ノ婦前項ノ場合ニ該當スルトキハ其ノ禮遇ヲ禁止ス

第二十二條 第五條第二項ノ禮遇ヲ享クヘキ者又ハ有爵者ノ家族前條ノ場合ニ該當スルトキハ其ノ者ニ限リ華族ノ族稱ヲ失フ

 新ニ爵ヲ授ケラレタル者ノ家族ニシテ前條ノ場合ニ該當スル者アルトキハ其ノ者ニ限リ華族ノ族稱ヲ享クルコトヲ得ス

第二十三條 有爵者又ハ第五條、第六條ノ禮遇ヲ享クヘキ者左ノ各號ノ一ニ該當スルトキハ其ノ禮遇ヲ停止ス

  一 華族ノ品位ヲ保ツコト能ハサル者

  二 宮内大臣ノ命令又ハ家範ニ違反シ情状重キ者

第二十四條 前三條ニ規定シタル場合ノ外華族ノ體面ヲ汚辱スル失行アリタル者ハ情状ニ依リ爵ヲ返上セシメ、華族ノ族稱ヲ除キ又ハ其ノ禮遇ヲ停止若ハ禁止ス

 第五條、第六條ノ禮遇ヲ享ケサル家族ニシテ前項ノ失行アリタル者ハ華族ノ族稱ヲ除ク

第二十五條 有爵者其ノ禮遇ノ停止又ハ禁止中ニ在ルトキハ第五條第一項、第六條ノ禮遇ヲ享クヘキ者モ共ニ其ノ禮遇ヲ享クルコトヲ得ス

第二十六條 有爵者其ノ品位ヲ保ツコト能ハサルトキハ宮内大臣ヲ經テ爵ノ返上ヲ請願スルコトヲ得

第二十七條 第二十條第一項、第二十三條、第二十四條ノ處分ハ勅裁ヲ經テ宮内大臣之ヲ行フ禮遇ノ停止ヲ解除スルトキ亦同シ

 前項ノ處分及解除ニ付テハ宗秩審議会ノ審議ヲ經タル後勅裁ヲ經ヘシ

 禮遇ノ禁止ヲ解除スルハ特旨ニ由ル

第二十八條 削除

   附則

本令ハ明治四十年六月一日ヨリ之ヲ施行ス

明治十七年奉勅達華族令及明治三年九月十日太政官布告ハ之ヲ廢止ス

 

 

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〇この話に出てくる人物

池田幸政(いけだゆきまさ)

 第17代備前岡山池田侯爵家当主(侯爵家としては6代目)。正三位勲四等侯爵。岡山池田家は、德川家康の女婿であった播磨姫路52万石池田輝政を家祖とし、輝政の孫の光政が備前岡山31万5千石に移封となって以来、明治維新まで岡山を領した。伺候席は大広間席、賜諱・世嗣殿上元服を許される。松平備前守家、池田宗家、池田少将家ともいう。池田家は、岡山市、岡山県内に本社を持つ企業の株式を多数取得している。また、池田家は、幸政の父隆政が設立した株式会社池田動物園の筆頭株主である。

 幸政は、昭和30(2615、1955)年12月生まれの59歳。備前岡山池田侯爵家第16代当主の池田隆政(侯爵家としては5代目、平成24年死去)の長男。母は、昭和天皇と香淳皇后の第四皇女・池田厚子(順宮厚子内親王)。弟に伊予西條松平伯爵家第14代当主松平頼信。妻は、ドイツ国ザクセン=コーブルク=ゴータ公国第三公女池田・ヒルデ・ハイデマリー(ハイデマリー・ヒルデ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ)。

 華族は、学習院で就学することが慣例となっている(華族就学規則(明治25年宮内省達甲第2号)第三條第一項は、「華族の学齢者は学習院に入学して初等学科中等学科を履修することを常例とす」と定める。)。幸政もこの例にもれず、学習院初等科から中等科、高等科へと進み、最終的に学習院大学科を卒業し、外務省へ奉職した。

 外務省入省後、欧州局へ配属となり、学習院高等科のときにドイツ語を第二外国語として履修した経緯から、ドイツ国大使館へ勤務する。昭和56(2641、1981)年2月11日、25歳の頃に駐ドイツ国大日本帝国大使館で開かれた紀元節祝賀のパーティーで、ドイツ国ザクセン=コーブルク=ゴータ公国フリードリヒ・ヨシアス・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ公の第三公女ハイデマリー・ヒルデ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータと見初め合い、恋仲となる。昭和50年代は、国際結婚について周囲の理解はまだまだ薄く、特に華族の場合はほぼ皆無であったこと、幸政が国家の機密を扱う外交官であったということ及び相手方が公女(公爵の子女。日本と欧州の爵位制度には若干の相違があるが、侯爵よりも上位の相手ととらえられた。つまり、ザクセン=コーブルク=ゴータ公からしたら、格下の相手と婚姻させることとなる。)ということから宮内大臣の認許に多少の時間を有した(華族当主及び推定家督相続人の婚姻に関しては事前に宮内大臣の認許が必要(華族令第十七條))。

 ポーランド分割時のドイツ軍のポーランド侵攻は、欧州各国にも緊張を招いた。ドイツ国皇帝ルイ・フェルディナント1世は、緊張緩和を目的にザクセン=コーブルク=ゴータ公フリードリヒに対して、公女ハイデマリーと幸政の婚姻を認め、貴賤結婚としないことを依頼した。斯くして、昭和60(2645、1985)年3月、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国コーブルク市のエーレンブルク城にて、両家の結婚式が行われた。

 幸政は、ドイツ大使館一等書記官、国際連盟帝國日本代表部一等書記官を務めた後、日本へ戻り、欧州局独国課長補佐へ就任した。池田家先々代侯爵の宣政が昭和63(2648、1988)年に83歳で死去したが、宣政は隠居せず、終生侯爵にあった。これは、幸政の父隆政が、岡山にて経営していた池田牧場、池田動物園の運営にかかりきりで、貴族院侯爵議員としての務めを果たすことが難しいと宣政に訴えていたからである。隆政は、襲爵後に貴族院侯爵議員となったが、帝国議会開会中本会議へ登院することが少なかった。平成へ代替わりした後も、先帝の威光を笠にして(隆政の妻が昭和天皇の第四皇女であることを差す)、華族の義務を蔑ろにしているという後ろ指をさされる事態となり、侯爵の家督相続人である幸政が華族内部で調整を図るために東京に戻ることとなったのである。

 平成3(2651、1991)年10月、父隆政が満65歳を迎えたのを機に隠居。幸政は36歳で侯爵を襲爵した。貴族院侯爵議員として活動を始める為、欧州局独国課長補佐から軽いポストの欧州局参事官へと異動した。帝國議会開会中は休職の扱いとなった。

 官吏の定年は60歳となっている。満60歳を迎えた次の3月31日が定年と定められている。平成27年12月に60歳を迎える幸政の退官は平成28年3月31日であったが、いろいろと難しい官僚人生であったことから、次第に省内に同情の声も集まりだし、平成26年10月1日に欧州局長に任官することとなった。その際に、退官までの間は、帝国議会への登院を休むようにとの勅旨が下された。

池田幸政略歴

氏名 池田 幸政(いけだ ゆきまさ)

身分変遷 戸主池田宣政長男隆政の長男(出生) → 推定家督相続人(分家) → 戸主(家督相続)

族籍 岡山縣華族→ 岡山縣華族 → 岡山縣華族(侯爵)

氏名 本人続柄 当人続柄

父 隆政(たかまさ) 備前岡山池田侯爵家第15代当主宣政の嫡子

母 厚子(あつこ) 昭和天皇と香淳皇后の第四皇女

妻 ヒルデ・ハイデマリー(ザクセン=コーブルク=ゴータ公国第三公女)

年齢 年月日 記事

0歳0ヶ月 昭和30年12月6日 岡山県岡山市において出生

3歳11ヶ月 昭和34年11月15日 東京都港区高輪南町の池田侯爵邸に転居。

6歳3ヶ月 昭和37年4月1日 学習院初等科入学

12歳3ヶ月 昭和43年3月31日 学習院初等科卒業

12歳3ヶ月 昭和43年4月1日 学習院中等科入学

17歳3ヶ月 昭和48年3月31日 学習院中等科卒業

17歳3ヶ月 昭和48年4月1日 学習院高等科入学

19歳11ヶ月 昭和50年12月1日 徴兵適齢届提出(港区役所)

20歳0ヶ月 昭和50年12月6日 叙 従五位(侯爵嗣子)

20歳3ヶ月 昭和51年3月31日 学習院高等科卒業

20歳3ヶ月 昭和51年4月1日 学習院大学科入学/外交官研修所研修生

20歳5ヶ月 昭和51年5月24日 徴兵検査(東京聯隊区司令部)、乙種認定

20歳8ヶ月 昭和51年9月1日 ドイツ国ベルリン大学政治学科聴講生

21歳3ヶ月 昭和52年4月1日 在独國帝國大使館外務書記生

21歳8ヶ月 昭和52年8月31日 ドイツ国ベルリン大学政治学科聴講生修了

22歳10ヶ月 昭和53年11月1日 高等試験外交科試験に及第

22歳11ヶ月 昭和53年12月1日 陸軍歩兵第十聯隊入営(1年短期現役兵)/大学科休学

23歳11ヶ月 昭和54年11月30日 予備役編入(陸軍伍長)

23歳11ヶ月 昭和54年12月1日 学習院大学科復学

24歳3ヶ月 昭和55年3月31日 学習院大学科修了

24歳3ヶ月 昭和55年4月1日 外務省入省/任 外務事務官/叙 高等官七等

24歳3ヶ月 昭和55年4月1日 外務大臣官房文書附/同文書課課員

24歳6ヶ月 昭和55年7月1日 任 外交官補

24歳6ヶ月 昭和55年7月1日 在独國帝國大使館総務部勤務

25歳2ヶ月 昭和56年2月11日 駐独大使主催紀元節祝賀のパーティーで後の妻と知り合う。

25歳6ヶ月 昭和56年7月1日 外務省欧州局独國課文書係長

25歳9ヶ月 昭和56年10月1日 兼職 外務省国際情報局第一課東欧情勢分析官

25歳10ヶ月 昭和56年10月8日 兼勤 警保院高等局外事課(東欧情勢分析)

26歳0ヶ月 昭和56年12月6日 叙 正五位(侯爵嗣子)

26歳5ヶ月 昭和57年6月1日 任 大使館三等書記官/叙 高等官六等/在独國帝國大使館政務部勤務

27歳1ヶ月 昭和58年2月1日 兼任 副領事/在ケーニヒスベルグ帝國領事館勤務

27歳8ヶ月 昭和58年8月12日 ザクセン=コーブルク=ゴータ公国第三公女ハイデマリーに求婚

27歳8ヶ月 昭和58年8月16日 祖父池田宣政侯爵により宮内省に婚姻認許願が提出

27歳11ヶ月 昭和58年11月14日 在墺國帝國大使館に出向

28歳1ヶ月 昭和59年1月12日 在独國帝國大使館に帰任

28歳2ヶ月 昭和59年2月16日 在ジュネーブ國際連盟帝國政府代表部に出向

28歳5ヶ月 昭和59年5月24日 在独國帝國大使館に帰任

28歳5ヶ月 昭和59年6月5日 ポーランド分割戦争(墺によるポーランド侵攻)勃発

28歳8ヶ月 昭和59年9月1日 ポーランド分割戦争にドイツ参戦

28歳10ヶ月 昭和59年11月1日 任 大使館二等書記官/叙 高等官五等

28歳11ヶ月 昭和59年11月15日 叙 勲六等単光旭日章

29歳0ヶ月 昭和59年12月16日 婚姻願に対する宮内大臣認許

29歳3ヶ月 昭和60年3月11日 ザクセン=コーブルク=ゴータ公国第三公女ハイデマリーと結婚

29歳3ヶ月 昭和60年4月1日 在独國帝國大使館政務部情報課長補佐

29歳10ヶ月 昭和60年11月1日 外務省欧州局独國課総務係長

30歳9ヶ月 昭和61年10月1日 在独國帝國大使館政務部情報課長

31歳5ヶ月 昭和62年6月1日 在ジュネーブ國際連盟帝國政府代表部に出向

32歳1ヶ月 昭和63年1月9日 祖父池田宣政侯爵死去、父池田隆政襲爵

32歳3ヶ月 昭和63年4月1日 任 公使館一等書記官/叙 高等官四等

32歳3ヶ月 昭和63年4月1日 在ダルエスサラーム帝國政府事務所長(独自治領東アフリカ)

33歳9ヶ月 平成元年10月1日 任 大使館一等書記官

33歳9ヶ月 平成元年10月1日 在独國帝國大使館広報部長

34歳0ヶ月 平成元年12月6日 叙 従四位(侯爵嗣子)

34歳8ヶ月 平成2年8月18日 ロシア内戦勃発

34歳9ヶ月 平成2年10月1日 兼任 侍従(宮内高等官四等)

34歳9ヶ月 平成2年10月1日 兼職 在独逸帝國大使館帝室応接官兼大使館情報官

35歳10ヶ月 平成3年10月21日 父池田隆政襲爵隠居/同日宮内省に隠居届・襲爵願を提出

35歳10ヶ月 平成3年11月2日 在ジュネーブ國際連盟帝國政府代表部に出向

36歳2ヶ月 平成4年2月8日 外務省欧州局独國課長補佐

37歳0ヶ月 平成4年12月6日 侯爵襲爵允許

37歳1ヶ月 平成5年1月13日 宮中において叙爵式

37歳1ヶ月 平成5年1月13日 貴族院侯爵議員(勅任二等待遇)

37歳2ヶ月 平成5年3月1日 外務省欧州局参事官(外務事務官/高等官四等)

37歳5ヶ月 平成5年5月18日 叙 勲五等双光旭日章

40歳6ヶ月 平成8年6月6日 叙 正四位(侯爵)

41歳3ヶ月 平成9年4月1日 任 外務書記官

46歳6ヶ月 平成14年6月6日 叙 従三位(侯爵)

46歳11ヶ月 平成14年11月10日 叙 勲四等瑞宝章

47歳3ヶ月 平成15年4月1日 叙 高等官三等

53歳6ヶ月 平成21年6月6日 叙 正三位(侯爵)

58歳9ヶ月 平成26年10月1日 任 外務省欧州局長/叙 高等官二等

59歳1ヶ月 平成27年1月16日 転移災害

60歳0ヶ月 平成27年12月11日 外務省欧州局英国課長補佐朝田泰司を猶子とする

 

 

 

 

松平頼信(まつだいらよりのぶ)

 伊予西條松平伯爵家第14代当主(伯爵家としては5代目)。正三位勲四等伯爵。伊予西條松平家は、寛文10(2330、1670)年、初代和歌山藩主德川頼宣の三男の松平頼純が3万石で入封して、立藩。明治維新後、伯爵に叙爵。西條松平家は、愛媛県西條市に本社を置く企業の創設に際して、本社社屋の土地を提供する代わりに株式を取得してその株式配当を得ている。また、藩校擇善堂を起源とする西條市立擇善堂小学校の代々名誉校長を務める。

 頼信は、昭和32(2617、1957)年5月生まれの58歳。初名は、隆信。備前岡山池田侯爵家第16代当主の池田隆政の次男。兄に、第17代備前岡山池田侯爵家当主の池田幸政。妻は、伊予西條松平伯爵家第13代当主松平頼実の長女。松平頼実の婿養子となる。婚姻養子縁組を機に、西條松平家の通字である「頼」の字を入れた頼信に改名する。

 頼信は学習院初等科から中等科、高等科へと進み、最終的に学習院大学科を卒業し、外務省へ奉職した。入省後、頼信はフランス王国大使館にて勤務する。いわゆる部屋住みの身分であったが、兄の国際結婚、実父の貴族院登院のサボタージュと何かと実家の縁で華族内部でも腫れ物に扱うような扱いを受ける形となり、婚姻や養子の口がなかった。それでも、外交官としての経歴は問題なく、流暢なフランス語を話し、フランス、イギリス、国際連盟と各任地で活躍する。平成3(2651、1991)年8月から始まったロシア内戦における大使会議(※)予備交渉の席で対露局外中立の方針で各国を取り纏めるなど辣腕ぶりを見せつけた。

 平成5(2653、1993)年に帰国し、欧州局仏国課長補佐に就任(36歳)。欧州のサロンで、独身のまま過ごす彼を好奇の目で見る者も現れ出したため、日本へ避難する意味もあった。それでも、国会対策においてその秀でたところを見せた。平成6年2月に女子学習院において行われた日仏関係に関する講演会に参加。その際に、当時女子学習院高等科に在学中であった松平頼実の長女に見初められ、猛アタックを受ける。

 兄幸政は、自身の国際結婚や家の関係でなかなか弟に婚姻や養子の先がなかったことを悔いていたため、弟の婿養子入りに早くから同意していた。対する松平家側も当主頼実には3人の女子しか生まれなかったことから、婿養子を取ることを考えていた。平成に入った頃から徐々に国際結婚への認知度が上がり始め、頼信への扱いも収まってきたころから、松平家側も頼信の婿養子入りを問題なしと考えるようになったことも頼信の婿養子入りを後押しした。斯くして、妻の女子学習院高等科の卒業を待って、平成7(2655、1995)年6月、東京華族会館において結婚式が行われた。

 頼信はその後、外務省総合外交政策局総務課長、駐フランス自治領赤道アフリカ連邦特命全権公使、総合外交政策局長、欧州局長を歴任後、平成25(2673、2013)年4月、外務次官に就任する。德川外相をよく補佐し、平成26年12月には、次期駐仏大使としての内示を受け、平成27年4月の赴任で調整に入っていたが、平成27年1月の異世界転移により、駐仏大使の話は立ち消えになり、外務次官の任を継続している。

 

※大使会議:国際連盟大使会議ともいう。国際連盟の正式な機関ではないが、事実上の機関として扱われる。イギリス、イタリア、ロシア、日本、ドイツ、オーストリア、アメリカの在仏大使とフランス外相(議長国)が参加し、フランス外務省に事務局を置く。国際連盟理事会は、非常任理事国も含めた会議体であり、基本的に公開された会議であるが、大使会議は国際連盟理事会常任理事国のみが参加し、非公開の会議となっている。

松平頼信略歴

氏名 松平 頼信(まつだいら よりのぶ)

身分変遷 戸主池田宣政長男隆政の次男(出生) → 推定家督相続人(分家) → 戸主(家督相続)

族籍 岡山縣華族→ 香川縣華族 → 香川縣華族(伯爵)

氏名 本人続柄 当人続柄

父 隆政(たかまさ) 備前岡山池田侯爵家第15代当主宣政の次男

母 厚子(あつこ) 昭和天皇と香淳皇后の第四皇女

養父 頼実(よりざね) 一條公爵家第27代当主一條実文の次男

養母 光子(みつこ) 烏丸伯爵家第19代当主光喬の次女

妻 智子(ともこ) 伊予西條松平伯爵家第13代当主頼実と光子の長女

年齢 年月日 記事

0歳0ヶ月 昭和32年5月15日 岡山県岡山市において出生(池田隆信)

4歳6ヶ月 昭和36年11月15日 東京都港区高輪南町の池田侯爵邸に転居。

6歳10ヶ月 昭和39年4月1日 学習院初等科入学

12歳10ヶ月 昭和45年3月31日 学習院初等科卒業

12歳10ヶ月 昭和45年4月1日 学習院中等科入学

17歳10ヶ月 昭和50年3月30日 学習院中等科卒業

17歳10ヶ月 昭和50年4月1日 学習院高等科入学

19歳7ヶ月 昭和52年1月11日 徴兵適齢届提出(港区役所)

20歳0ヶ月 昭和52年6月3日 徴兵検査(岡山聯隊区司令部)、甲種認定

20歳0ヶ月 昭和52年6月4日 在学者特例中入営延期及1年短期現役兵志願書提出

20歳10ヶ月 昭和53年3月30日 学習院高等科卒業

20歳10ヶ月 昭和53年4月1日 学習院大学科入学/外交官研修所研修生

21歳6ヶ月 昭和53年12月1日 岡山歩兵第十聯隊入営(兵籍番号歩10第32753)

21歳6ヶ月 昭和53年12月1日 学習院大学科休学/外交官研修生休職

22歳6ヶ月 昭和54年11月30日 予備役編入(陸軍伍長・兵籍番号:岡徴第675373)

22歳6ヶ月 昭和54年12月1日 学習院大学科復学/外交官研修生復帰

23歳3ヶ月 昭和55年9月1日 フランス王国パリ政治学院聴講生

23歳3ヶ月 昭和55年9月1日 在仏國帝國大使館外務書記生

25歳3ヶ月 昭和57年8月31日 フランス王国パリ政治学院聴講生修了

25歳5ヶ月 昭和57年11月1日 高等試験外交科試験に及第

25歳10ヶ月 昭和58年3月31日 学習院大学科修了

25歳10ヶ月 昭和58年4月1日 外務省入省/任 外務事務官/叙 高等官七等

25歳10ヶ月 昭和58年4月1日 外務大臣官房附/同人事課課員

25歳11ヶ月 昭和58年4月15日 叙 従七位(法定初叙)

26歳5ヶ月 昭和58年11月1日 任 外交官補

26歳5ヶ月 昭和58年11月1日 在仏國帝國大使館総務部勤務

27歳0ヶ月 昭和59年6月5日 ポーランド分割戦争(墺によるポーランド侵攻)勃発

27歳3ヶ月 昭和59年9月1日 ポーランド分割戦争にドイツ参戦

28歳10ヶ月 昭和61年4月1日 在英國帝國大使館総務部勤務

29歳1ヶ月 昭和61年7月1日 任 大使館三等書記官/叙 高等官六等

29歳2ヶ月 昭和61年7月15日 叙 正七位(法定陞叙)

29歳11ヶ月 昭和62年5月1日 外務省欧州局仏國課文書係長

30歳7ヶ月 昭和63年1月9日 祖父池田宣政侯爵死去、父池田隆政襲爵

30歳10ヶ月 昭和63年4月1日 在仏國帝國大使館政務部勤務

31歳4ヶ月 昭和63年10月1日 兼任 副領事/在ストラスブール帝國領事館勤務

31歳7ヶ月 昭和64年1月6日 在仏國帝國大使館政務部勤務

32歳0ヶ月 平成元年6月1日 在ジュネーブ國際連盟帝國政府代表部勤務

32歳5ヶ月 平成元年11月1日 任 大使館二等書記官/叙 高等官五等

32歳5ヶ月 平成元年11月10日 叙 従六位(法定陞叙)

33歳0ヶ月 平成2年6月1日 在仏國帝國大使館政務部勤務

33歳3ヶ月 平成2年8月18日 ロシア内戦勃発

33歳3ヶ月 平成2年8月25日 大使会議予備交渉において対露局外中立方針で交渉妥結

33歳3ヶ月 平成2年9月2日 在ジュネーブ國際連盟帝國政府代表部に出向

33歳3ヶ月 平成2年9月11日 国際連盟理事会において対露局外中立決議(理事会決議第867號)

33歳6ヶ月 平成2年12月8日 在仏國帝國大使館政務部長補佐

34歳0ヶ月 平成3年6月1日 在ストラスブール帝國領事館勤務

35歳1ヶ月 平成4年7月1日 在仏國帝國大使館広報部長

36歳1ヶ月 平成5年7月1日 外務省欧州局仏國課長補佐

36歳4ヶ月 平成5年10月1日 叙 高等官四等

36歳5ヶ月 平成5年10月15日 叙 正六位(法定陞叙)

36歳9ヶ月 平成6年2月19日 女子学習院における日仏関係講演会で後の妻と知り合う。

37歳8ヶ月 平成7年2月1日 父池田隆政侯爵により宮内省に婚姻認許願が提出

37歳8ヶ月 平成7年2月1日 松平頼実伯爵により宮内省に婿養子縁組認許願が提出

37歳9ヶ月 平成7年3月1日 婚姻及び婿養子縁組願に対する宮内大臣認許

38歳0ヶ月 平成7年6月5日 婿養子届及び改名届提出(愛媛県西条市役所)・松平頼信に改姓名

38歳0ヶ月 平成7年6月10日 華族会館において結婚式

38歳0ヶ月 平成7年6月11日 叙 従五位(伯爵嗣子)

38歳2ヶ月 平成7年7月15日 叙 勲六等瑞宝章(年功叙勲)

38歳2ヶ月 平成7年8月1日 三葵会愛媛第二支部長

38歳3ヶ月 平成7年9月1日 任外務書記官

38歳3ヶ月 平成7年9月2日 外務省総合外交政策局総務課長

39歳3ヶ月 平成8年9月13日 長男 頼重(よりしげ)出生

40歳0ヶ月 平成9年6月1日 叙 高等官三等

40歳2ヶ月 平成9年8月1日 外務省欧州局仏國課長

41歳6ヶ月 平成10年11月19日 長女 佐和子(さわこ)出生

41歳10ヶ月 平成11年4月1日 任 公使館一等書記官 /兼任 領事

41歳10ヶ月 平成11年4月1日 在フランス自治領赤道アフリカ連邦帝國公使館政務部長

42歳0ヶ月 平成11年6月1日 在フォールラミ帝國領事(仏自治領赤道アフリカ連邦)兼勤

42歳4ヶ月 平成11年10月1日 免 兼勤

43歳4ヶ月 平成12年9月18日 次女 阿美(あみ)出生

43歳5ヶ月 平成12年10月15日 叙 正五位(法定陞叙)

43歳5ヶ月 平成12年11月1日 任 侍従 /叙 宮内高等官三等

43歳8ヶ月 平成13年2月11日 叙 勲五等瑞宝章(年功叙勲)

44歳3ヶ月 平成13年9月1日 任 特命全権公使(親任待遇) /叙 高等官二等

44歳3ヶ月 平成13年9月1日 在フランス自治領赤道アフリカ連邦特命全権公使

45歳8ヶ月 平成15年2月1日 任 外務省総合外交政策局長

45歳11ヶ月 平成15年5月2日 次男 孝義(たかよし)出生

47歳2ヶ月 平成16年8月1日 任 大使館参事官

47歳2ヶ月 平成16年8月1日 在仏國帝國大使館政務部長

48歳8ヶ月 平成18年1月15日 叙 従四位(法定陞叙)

49歳1ヶ月 平成18年7月1日 任 外務省欧州局長

49歳2ヶ月 平成18年7月15日 叙 勲四等瑞宝章(年功叙勲)

50歳5ヶ月 平成19年11月1日 任 総領事

50歳5ヶ月 平成19年11月1日 在マルセイル帝國總領事(フランス王国)

50歳9ヶ月 平成20年3月1日 叙 高等官一等(本官は特命全権公使)

52歳5ヶ月 平成21年11月1日 在フランス王国特命全権公使

53歳1ヶ月 平成22年6月15日 叙 正四位(法定陞叙)

53歳11ヶ月 平成23年5月1日 在ジュネーブ國際連盟帝國政府代表部公使

55歳10ヶ月 平成25年4月1日 任 外務次官

56歳0ヶ月 平成25年5月15日 養父松平頼実伯爵隠居/同日宮内省に隠居届・襲爵願を提出

56歳1ヶ月 平成25年6月15日 伯爵襲爵允許

56歳2ヶ月 平成25年7月15日 宮中において叙爵式

57歳6ヶ月 平成26年12月1日 駐仏大使の内示、平成27年4月赴任予定

57歳8ヶ月 平成27年1月16日 転移災害

 

 

 

朝田泰司(あさだたいし)

 ご存じ原作登場人物。昭和56(2641、1981)年2月14日生。34歳。鳥取県平民。

 鳥取県立中学尚徳館を優秀な成績で四修し、第六高等学校(岡山県岡山市)へ入学。中学修了時に鳥取県名誉知事でもある、因州鳥取池田侯爵家当主池田敏夫から表彰状と奨学一時金が贈られる。六高卒業後は、京都帝國大学法学部に進み、平成15(2663、2003)年4月、外務省へ入省。入省時の身元保証人が因州鳥取池田敏夫侯爵であったことから、外務省の主流派閥に身を置くことができた。

 平成15年の英国課は課長に松平博郷(まつだいらひろさと)伯爵(雲州松江松平伯爵家当主)、課長補佐に李裕栄(りゆうえい、子爵、妻に加賀前田侯爵家の分家である前田土佐守家の次女)、酒井正清(さかいまさきよ、播磨姫路酒井伯爵家推定家督相続人)の体制であった。播磨姫路酒井家の分家に上野伊勢崎酒井子爵家があり、仙台子爵の夫人を因州鳥取池田家から迎えていた経緯で、酒井家と池田家につながりがあった。この経緯から朝田は酒井の下についていた。朝田の官職歴は、外務省欧州局に配属された後に外務省各局で精勤し、通商産業省への出向を経て、再度外務省に復帰した後に酒井とともに英国大使館に赴任した。

 英国在勤中の平成22(2670、2010)年9月11日(29歳)、酒井本家酒井忠正伯爵の媒酌で兵庫県士族中村義忠の三女との間に結婚した。夫人とともに英国に再度赴任した後、通算4年2カ月の海外在勤を終え、本省英国課に復帰し、企画係長を命ぜられた。その後、英領香港総領事館へ領事として在勤を命ぜられ、平成26(2674、2014)年3月に帰国。英国課日英協定室長に任ぜられる。日英協定室は、日英同盟に関する同盟協定そのものや日英交換陸軍地位協定などを取り扱う英国課でも重要なポジションであり、英国課総務係と並ぶ出世の登竜門的な職でもあった。とはいえ、朝田が平民籍である以上は欧州局の高級官僚(課長級以上)に出世することは難しく、あと10年程度奉職し、英国課長補佐または他局の課長まで上り詰めたら、外務省の関係法人である日英友好協会などに天下る予定であったと考えられている。

 転機が訪れたのが、平成27年1月の転移災害である。海外の在外公館にて勤務していた幹部候補クラスと外国出張中の英国課幹部が軒並みいなくなったことで、朝田は英国課課長補佐に昇進した。本来課長補佐に就く前には、英国課全体を俯瞰する総務係長を経験する必要があるとされていた。この抜擢人事は酒井英国課長の推薦によるものとされている。

 その後、酒井英国課長の伯爵襲爵に伴う退官を機に英国課長代理に就任(課長職は仏国課長の兼任)。英国課で対パーパルディア国交樹立の調整を行うにあたり、ヨーロッパ貴族の礼法を学んだり、対策室長の任務を兼任するなど多忙な日々を送っている。

朝田泰司略歴

氏名 朝田 泰司(あさだ たいじ)

身分変遷 戸主朝田泰介長男(出生) → 戸主(分家)

族籍 鳥取縣平民 → 鳥取縣平民

本人続柄 氏名 当人続柄

父 泰介(たいすけ) 鳥取縣平民朝田博成と朝田泰子の次男

母 典子(のりこ) 鳥取縣平民飯田卓と飯田茂子の三女

妻 頼子(よりこ) 兵庫縣士族中村義忠と中村薫の三女

年齢 年月日 記事

0歳0ヶ月 昭和56年2月14日 鳥取県鳥取市において出生

6歳1ヶ月 昭和62年4月1日 鳥取市立小学校入学

12歳1ヶ月 平成5年3月31日 鳥取市立小学校卒業

12歳1ヶ月 平成5年4月1日 鳥取県立中学尚徳館入学

16歳1ヶ月 平成9年3月31日 鳥取県立中学尚徳館第四学年修了

16歳1ヶ月 平成9年4月1日 第六高等学校(岡山県岡山市)入学

19歳1ヶ月 平成12年3月31日 第六高等学校(岡山県岡山市)卒業

19歳1ヶ月 平成12年4月1日 京都帝國大学法学部入学

19歳9ヶ月 平成12年12月1日 徴兵適齢届提出(鳥取市役所)

20歳4ヶ月 平成13年6月21日 徴兵検査(鳥取聯隊区司令部)、甲種認定

20歳9ヶ月 平成13年12月1日 陸軍歩兵第四十聯隊入営(在学者特例・1年短期現役兵)

21歳8ヶ月 平成14年11月1日 高等試験外交科試験に及第

21歳9ヶ月 平成14年11月30日 短期現役満了により予備役編入(陸軍伍長)

22歳1ヶ月 平成15年3月31日 京都帝國大学法学部卒業

22歳1ヶ月 平成15年4月1日 外務省入省/任 外務属/奏任九等待遇/外交官研修所

22歳7ヶ月 平成15年10月1日 外務省欧州局英国課総務係員

22歳11ヶ月 平成16年2月1日 任 外務事務官/叙 高等官八等/外務省欧州局英国課文書係主任

23歳0ヶ月 平成16年3月1日 叙 正八位(法定陞叙)

23歳6ヶ月 平成16年9月1日 外務省総合外交政策局国際連盟課文書係長

24歳2ヶ月 平成17年5月1日 外務省国際情報局第一課西欧係長

24歳11ヶ月 平成18年2月1日 通商産業省通商政策局欧州課長補佐

25歳8ヶ月 平成18年11月1日 外務省欧州局英国課文書係長

26歳2ヶ月 平成19年5月1日 任 外交官補/叙 高等官七等(定期陞叙)

26歳2ヶ月 平成19年5月1日 在英國帝國大使館総務部勤務

26歳3ヶ月 平成19年6月1日 叙 従七位(法定陞叙)

27歳0ヶ月 平成20年3月1日 兼任 領事官補/在エディンバラ帝國総領事館勤務

27歳6ヶ月 平成20年9月1日 兼任 副領事

28歳0ヶ月 平成21年3月1日 在英帝國大使館経済部勤務

28歳9ヶ月 平成21年12月1日 在ジュネーブ國際連盟帝國政府代表部出向

29歳2ヶ月 平成22年5月1日 在英帝國大使館政務部勤務

29歳6ヶ月 平成22年9月11日 兵庫県士族中村義忠の三女頼子と結婚(媒酌人酒井忠正伯爵)

29歳6ヶ月 平成22年9月12日 分家届提出(東京都目黒区役所・本籍同前)

30歳4ヶ月 平成23年7月1日 任 外務事務官/叙 高等官六等(定期陞叙)

30歳4ヶ月 平成23年7月1日 外務省欧州局英国課企画係長

30歳5ヶ月 平成23年8月1日 叙 正七位(法定陞叙)

31歳4ヶ月 平成24年7月1日 外務省領事局政策課長補佐

32歳0ヶ月 平成25年3月1日 任 領事/在英領香港帝國総領事館勤務

33歳0ヶ月 平成26年3月1日 外務省欧州局英国課日英協定室長

33歳11ヶ月 平成27年1月16日 転移災害

33歳11ヶ月 平成27年1月21日 叙 高等官五等/外務省欧州局英国課長補佐

33歳11ヶ月 平成27年1月31日 叙 従六位(法定陞叙)

33歳11ヶ月 平成27年2月11日 外務省欧州局英国課長代理

34歳1ヶ月 平成27年3月14日 兼職 対パーパルディア皇国国交樹立対策室長

34歳3ヶ月 平成27年5月28日 兼職 対ロウリア講和条約予備交渉全権委員

34歳9ヶ月 平成27年11月28日 任 大使館二等書記官/兼職 パーパルディア皇国派遣特使

34歳9ヶ月 平成27年12月11日 外務省欧州局長池田幸政侯爵の猶子となり、華族会館でお披露目

34歳11ヶ月 平成28年1月17日 パーパルディア皇国に派遣

 

 

 

 ―――――

大日本帝國東京都千代田区霞が関 外務省欧州局長室

 

 コンコンッと部屋の扉がノックされ、一人の男が入室してくる。外務省欧州局英国課長代理朝田泰司。対パーパルディア国交樹立の調整を担う彼は休みなしと言ってよいほどの勤務状況に合った。

 

「お呼びと伺いましたが。」

 

 欧州局長室の部屋の中には部屋の主の池田欧州局長と松平外務次官がいた。彼らは応接椅子に座っており、池田局長は朝田に対面の椅子に掛けるように指示した。テーブルの上にはコーヒーが置いてあったが、朝田が座るや否や池田局長が話し出した。

 

「既に聞いていると思うが、ムー国経由でパーパルディア皇国が我が国の外交使節の招待を打診してきた。どこまで内容は聞いているかね。」

「はい。パーパルディア本国は、今回のアルタラス騒乱で邦人が被害に遭ったことを受けて、その損害の見舞金を出すといっているとか。見舞金の授与の際には、パーパルディアの皇族が対応するとも聞いております。ということは、外交使節の役割はこれの受け取りとなると思います。」

 

 朝田が返答すると池田局長と松平次官は顔を見合わせて頷いた。

 

「結構だ。結構。朝田君。その受け取りの使節に君を任じたいのだが、パーパルディアへ行ってくれるか?」

 

 池田局長が朝田に打診すると、朝田は驚いた顔になり、局長に話し出した。

 

「私がですか。しかし、私は平民です。パーパルディアは式典に皇族を出すと言ってきておるようです。私では、外交上非礼になりはしませんでしょうか。」

「問題ないと考えている。我が国と同じく満洲国もまた式典に招待されているが、満洲国には貴族はいないのだからね。我が国の使節が平民だったからと言ってとがめられるいわれはない。」

 

 朝田は更に重ねて問う。満洲国の場合はそもそも存在しないが、我が国には存在する。存在しないものを出すことはできないが、存在するのであればわざわざ出さないとなれば、非礼になるのではないかと。池田局長はそれに対しても回答した。

 

「ムー国も、ムー王国と言う王政国家で貴族がいるらしいが、パーパルディアに駐箚している大使は貴族ではないらしい。皇族が出席する式典だからといってこちらも同じく華族を出す必要はないだろう。それに、パーパルディア側は、どうも式典後に国交樹立の交渉を始めたいようだ。ならば、実務家を送った方がよかろう。」

 

 納得がいった朝田は了解した。池田局長は顔をほころばせて頷いた。

 

「いや、よかった。ムー国大使が式典には陪席するし、その後の国交樹立交渉の席にもオブザーバーで入ることになるようだから、向こうでは安心していい。アルタラスであのような狼藉を働いた国だからね。そういう点では朝田君を送り出すのはちょっとあれだったが、なに心配しなくていい。」

「駐パーパルディアのムー国大使が式典や交渉の席に出席するのですか。」

 

 またしても朝田は驚いた。二国間交渉、あるたは満洲国も含めた三か国交渉の席に他国を同席させるとは意外だ。

 

「パーパルディアの今回のアルタラスでの行動。ムー国側が面子を潰されたとお怒りのようだ。おかしなことが起こらないように魔よけのつもりらしい。」

 

 池田局長が笑いながら話すと、松平次官が咳払いをして、話し出す。

 

「朝田君。むこうでは、ムー国は仲介役として動くが、パーパルディアの不利になるように立ち回ることはないとも言ってきている。今回のアルタラスの出来事もあってだが、我が国の外交方針は不変だ。犯罪人引き渡し条約の締結か、租界地区の設定無くして、国交樹立はあり得ない。それをまず肝に銘じておいてほしい。」

「はい。」

「難しい交渉になるだろう。だが、ムー国によれば、パーパルディアの上層部は必ずしも野蛮ではないということだ。事実として、ムー国も我々の要求を受け入れた。その点を強調すれば、パーパルディア側も折れざるを得ないだろう。まあ、国交は結んだが貿易が簡単には行わないということになれば、向こうから何らかのアクションが期待できるだろう。トーパのような例もある。まあ気楽にな。」

「はい。ご教示ありがとうございます。」

 

 冷めないうちにな、といいつつ、松平次官がコーヒーカップを取ると、池田局長も同じくカップを手に取った。朝田も同じくカップを手に取り一口呑んだ。やはりいい豆を使っている。

 

「時に朝田君。」

 

 池田局長が朝田の名をを呼ぶと朝田が身構えた。

 

「初めの朝田君の懸念を払拭するというわけではないが、君、私か次官の猶子にならないかね。」

 

 朝田は目が点になって、固まった。

 

「驚くことはない。今の外務省の状況を見ればだ、高級官僚の幹部候補が減少してしまっている状況と言うのはよくない。私としては、君の課長代理の代理を外したいと思っているところだ。だが君は平民籍だ。外務省の伝統から言うと平民の課長というのはちょっと聞こえが悪い。そこはわかるな。」

 

 驚きからか、朝田は声が出ず、それでも首を縦に振ってこたえた。

 

「うむ。本当なら酒井さんがお願いできればよかったが、退官してしまったからね。後ろ盾としてはやや弱い。彼が伯爵議員の任期を終えて、外務省に戻ってきてくれればよいのだが、まだ数年かかる。次官はまだ数年外務省にいるだろう。私の定年は来年の三月までだが、外務省顧問として残ることもできる。多少の影響力は残るだろうから、後ろ盾としては問題ないと思うがどうかね。」

「はっ、私如きが身に余る光栄でありまして、ただただ、驚いております。」

 

 震えながら朝田が返答すると池田局長は鷹揚に頷いた。

 

「パーパルディアが猶子と言う概念を理解しているとは思えないが、もし何か言われたとしても、侯爵家か伯爵家の縁者とでも言えば、多少なりともごまかせよう。」

「あとは、我が省内の問題だな。外務省は伝統的に華族や士族出身者が幹部を占めてきた。私は朝田君にも幹部への道を開きたいと思っている。だが、外務省OBにはうるさい連中もいる。族籍は動かせないが、なに華族の次男、三男が婿養子とならず分家して一家を構えるときには平民籍となる。それでも、華族の縁者であることには変わらない。猶子関係とまあかわらんと思えばな。」

「ありがたいお話です。ですが、どちらかを私が選ぶというのは僭越な話でございます。何卒、お話を出していただく方は次官と局長で話し合っていただければと思います。」

 

 外務次官である弟の伯爵と外務省局長の兄の侯爵とどちらかを朝田自身で選べというのは朝田にとって酷な話である。

 

「まあ、それもそうか。わかった。君の後見人であった酒井伯爵と鳥取の池田侯爵とも交えてこちらで決めるとしよう。兄さん、酒井さんと池田さんへの連絡頼んでいいかな。」

「ああ、高輪の本邸に集まるということでいいか。」

「それでいいかと。華族会館の予約はこちらでとるよ。ああ、朝田君。奏任官の大礼服を特急で仕立て直しておいてくれ。吉日を選んで、華族会館でお披露目の会を行う。君がパーパルディアに向かう前にしておきたいからね。何、請求書はこちらに廻してくれたまえ。君、細君は、ローブ・モンタントは持っているかね。クリーニングを急がせてもらいたいが・・・」

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