衆議院議員水野利信先生国政報告会における演説
衆議院議員水野利信プロフィール
水野 利信(みずの としのぶ)
昭和27(1952)年6月6日生まれ 63歳 AB型
静岡県沼津市出身
祖父:水野忠亮子爵(明治7(1874)年11月生、駿河沼津5万石水野出羽守家)
父:忠亮三男忠利(大正7(1818)年3月生、静岡県士族)
利信代議士の父忠利氏は東京府豊多摩郡渋谷町に生まれ、成年して水野家累代の所領であった沼津に居を移す。水野子爵家の家扶として沼津周周辺の私有地管理の傍ら、沼津市会議員を2期にわたって務める。その後、立憲政友会公認、三葵会推薦で沼津市、熱海市、御殿場市などを選挙区とする静岡二区(定数4名)より衆議院選挙に出馬する。沼津を地盤とし、沼津市内の得票数においては他候補の追随を許さず、以後4期連続当選する。4期目の任期中に死去し、地盤は子利信により継承となる。
昭和27年に生まれた水野代議士は、昭和40年に沼津市内の小学校を卒業後、静岡県立沼津中学に入学した。中学では野球部に所属し、中学四年時に主将に選出され、部を県内2位に導くリーダーシップを発揮した。卒業後は、静岡市内にある学校法人翔葵学園静岡専門学校法学部に進学し、卒業後は沼津市役所に入職。水野忠利には2人の息子がおり、利信は次男であった。長男利憲は、警察官として静岡県警察に奉職しており、既に県警の幹部職員でもあったため、衆議院議員に転職するのは時機が悪かった。静岡県士族水野家は長男利憲が家督相続したが、忠利の地盤は次男利信が継承した。父忠利氏の死去により市吏員を退職して、補欠選挙に出馬し、初当選する。以来5期連続当選し、直近2回の選挙においてはトップ当選。
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〇司会 それでは、衆議院議員水野利信から選挙区の皆様方に国政の報告をさせていただきます。皆さま拍手でお迎えください。
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〇水野代議士
諸君。年の瀬の忙しいこの時期に不肖水野忠利の国政報告会にお集まりいただき、まことに以て感謝の念に堪えません。壇上からではありますが、厚く御礼申し上げます。
さて、平成27年。本年は、まことに波乱にとんだ一年でありました。忘れることもできないあの1月16日正子の時空災害。日本国の施政権の及ぶ範囲、小さな島々を含めて日本国の領域全てが、日本の住民もろとも違う世界に、太陽系とは全く別のこの星に移動したのです。皆様方も驚いたことでしょう。無論、吾輩も驚きました。あの日は、帝国議会の召集詔書が渙発される予定の日でした。しかしながら、未曾有の災害を前にして、内閣は26日に予定していた議会召集日を延期したのであります。
16日の深夜、吾輩は、帝都渋谷の水野子爵邸にて、就寝しておりましたが、直ちに議員会館に戻りまして、政友会の同志諸君と共に永田町にある政友会本部に詰めたのであります。何が起こったのかを知りたいのは、他党の議員諸君も同じようでございまして、民政党をはじめとして他党の議員諸君も政友会本部に続々と押し寄せました。首相官邸より党本部に連絡が入りまして、特別に帝國議会議事堂において全帝國議会議員に現状について山上首相より説明する機会が設けられたのは、20日のことでした。このことはマスコミにも伏せて行われました。山上首相から知らされたことは、現在国民諸君の知る所となっている情報とほぼ同じだったのであります。
この時空災害に際しては、日本国内に住んでいる日本国民や在日外国人をはじめとして住民には何ら被害は生じなかったのでございますが、日本国外に住んでいる日本国民とは一切の交通が遮断されました。在日外国人はその本国に帰還することができなくなり、在外邦人は帝國本土に帰還することができなくなったのであります。これにより、外国に一時滞在していた家族を持つ方々、なかんずく一家の大黒柱と突然の離別となった方々も数多くおられます。この沼津の地においても、そのような方々がおられます。
我々立憲政友会所属の代議士には、それらの方々の窮状の声が届いておりました。そしてそのような声は他党の代議士にも届いておりました。我々は、彼らとも協力して、帝国議会召集後に一個の法律を議会に提出いたしました。それが、時空災害帰還困難者家族窮乏救助法でございます。日頃は政府与党の方針に反対ばかりする社会党や共産党といった政党の議員ですら賛成して、そういわば、挙国一致の賛成を以てこの法律は成立したのであります。この法律によって、時空災害時に給与所得者が外国にいたがために、収入を得る手段を失った家族に対して、生活扶助を行うことができるようになったのであります。
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諸君。この法律は2月終わりになって貴族院を通過し、ようやく成立したのでありますが、その間の一月ちょっとの間、これらの帰還困難者家族に対しては地元住民の互いの支援があり、町内会などの相互扶助により生活を維持していたと聞き及んでおります。日本国民は相見互い、相互扶助の尊い精神を以て未曽有の危機を脱しました。
勿論それだけではありません。この沼津においては、八代にわたりこの地を治めました水野出羽守家、現在の水野子爵が私財を投じて、炊き出しなどの支援を行いましたことは、記憶に新しいことかと思います。それ以外にも沼津市とその周辺に在る水野家の私有地農場において、農作業の臨時雇いと言う形で困窮者家族の支援にあたりました。吾輩は、平民籍ではありますが、水野子爵家の関係者として、水野子爵のその高貴なる血の使命に従った行動を大いに賞賛するのであります。
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[水野代議士壇上の水を飲む]
諸君。時空災害の発生から早くも1年が立とうとしております。その間、我が国は新たに近隣となった諸外国と友誼を交わし、また不幸にも干戈を交わしたこともございましたが、我々は前の世界と同様に平和に暮らすことができております。これには、我が同盟国である満洲国の存在も大きいと吾輩は思うのであります。我々は一人ではないのであります。個人において友人が大切であるように、国家においても友邦の存在は重要なのであります。そして、この世界においても我々は友邦を得る事が出来た。真な僥倖と言わねばなりません。
しかしながら、その友邦の国力はこの世界においては、心もとないのであります。4月に起こったロデニウス戦争において、我が国や満洲国の支援なくば、クワ・トイネ公国やクイラ王国は戦争に勝つことはできなかった。これは、当事者であるクワ・トイネ公国やクイラ王国も認めていることでございます。
不肖この水野、政府の中においてはお役目を戴いてはございませんが、党の政務調査会の外交委員と国防委員を拝命しております。これがため、政府に対して働きかけを行い、両国の軍事力の状況改善の為、国軍が持つ兵器のなかでも安価なもの、それほど高度な技術が使われていないものを一部でも輸出するようにと外務省と兵部省に運動を行っておりました。そして、その一部が今般輸出されたことは報道などでも諸君の知らるる所となったことであります。
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諸君。吾輩は思うのであります。兵器の更新はなされねばならぬと。いや、これは何も吾輩のみの意見ではないでしょう。兵器に限らず、あらゆる道具類は更新されなければならぬことは皆様方も御承知でしょう。先ほどの話にもありましたように、帝国は満洲国と協同して、クワ・トイネ公国やクイラ王国に兵器を輸出しております。陸上兵器に関しては、歩兵銃や手りゅう弾、歩兵砲といった比較的安価な武器が輸出されております。歩兵が使用する武器ばかりであり、騎兵が使用する戦車や砲兵が使用する榴弾砲などの歩兵と比べて高性能の兵器は輸出されておりません。海軍艦船に関しては、二等海防艦と三等海防艦が輸出され、巡洋艦はおろか駆逐艦も輸出されておりません。航空兵器に至っては、輸出実績はありません。
勿論、高度な兵器には、その操作に高度な修練が必要であります。一朝一夕にこれらの兵器を彼らが使いこなせるとは思っておりません。しかし、隣国ロウリアから侵攻された二か国の防衛は急務なのであります。そこで、吾輩は提案いたします。我が国軍が保有する現代兵器の操作を教習し、その運用法を学習するための学校を!この沼津に!開学することを!
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諸君。諸君は御存じでありましょう。この沼津の地は明治初年に軍学校、沼津兵学校がございました。幕府最後の将軍でありました慶喜公は、東海道の宿場町そして港町として栄えておりましたこの沼津の地に学校を築くことを時の沼津藩主水野忠敬にお命じになられました。そして、この沼津の地ともほど近い韮山には江戸時代の終わりに反射炉が築かれました。近代日本の原動力となった、その出発点となった地がこの沼津の地なのであります。
[水野代議士両腕を大きく開く]
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諸君。吾輩は、この沼津の地にクワ・トイネ公国人やクイラ王国人を招き、彼らの為の兵学校をつくる、このことを既に政友会本部を通して、外務省と兵部省に申し入れております。沼津の地には、大いなる可能性があります。伊豆半島の下田には、海軍の警備区要港が置かれてあります。御殿場市には陸軍の演習場もあります。軍事教育の地としては、この沼津は歴史的にも、現実の教育環境としても相応しいのであります。
諸君、吾輩と共に、この沼津の地を盛り上げるべく、大いに運動を進めていこうではありませんか!
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