ロデニウス大陸・アルタラス島間ロデニウス水道上空 中央暦1640年1月17日(日)
一年前の今頃は、ロウリア王国最大の軍港として、クワ・トイネ公国マイハークに向けて出撃する軍船で埋め尽くされていたカルーネスは、今日本軍及び満洲軍により保障占領されていた。ロデニウス戦争の結果敗戦国となったロウリアは軍備制限を受け、賠償金を払うことになった。このような条約によって相手国に強いた条項が実行されることを監視し、また、それを強制させるために軍事力を以て威圧するのが保障占領である。
カルーネスは今現在日本軍と満洲軍の占領下にある。日本軍は一月交代で、日本本土から平時編制の一個歩兵聯隊を派遣している。これに対して満洲軍は違う師団の歩兵聯隊から抽出した数個の大隊を臨時編成させた聯隊を編成して長期駐屯させている。カルーネスの港湾施設は近代的なものではないので、海軍の軍艦が駐留できるものではないので、三等海防艦に相当する艦艇が数隻存在する限りであったが。代わって、日本陸軍航空隊や満洲空軍は、カルーネスに大規模な航空基地を保有している。同盟国である利点を生かして、共同管制を行い、三本の滑走路を保有する。しかし、航空基地にある飛行機は輸送機と攻撃・輸送のヘリコプターが主軸となり、戦闘機は置かれていない。
カルーネス航空基地には、連絡偵察機が数機置かれている。連絡偵察機とは、駐屯地間で人員・物資を運ぶ機体であり、カルーネス航空基地に配備されている機体は、ジン・ハーク、カルーネス、ギム、マイハークなどとを結ぶ機体である。この機体には、現地の貴族が搭乗することもあり、機内は貴賓席を設けている。
このカルーネス航空基地から大日本帝国陸軍航空隊に配備されている連絡偵察機が一機飛び立った。その機体の貴賓席で一人の男が目頭に手をあてながら涙を流していた。その男の名は、クラウス・カルステン・フォン・カイオス子爵。パーパルディア皇国において、第三外務局長の要職にある人物であった。
「あー・・・。」
カイオス本人は自分が声を出したとは思っていないだろう。おもわず、声が漏れたといった様子だった。しかしながら、長年カイオス子爵家に仕えた執事は見逃さなかった。
「いかがされましたか、旦那様。」
自らの腹心に声をかけられたことで、カイオスは首を戻して横に振って執事の方を向いた。
「ハルバード、私は声を出していたか。」
「ええ、とても感慨深げに・・・。」
「そうか・・・。」
執事と他愛のない会話を交わしたことでカイオスの表情にも険が取れたのだろう。リラックスした顔をしていた。
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カイオスは、パーパルディア皇帝よりアルタラス国王の戴冠式に「自身の名代として」出席せよとの勅命を受けた。
アルタラス王国にこの旨が通知されると、アルタラス貴族は極めて驚愕した。一つは、パーパルディア皇国の外交を司る国家機関の長がアルタラスを訪問するということにだった。パーパルディアは、これまで国家機関の長が文明圏外国に足を運ぶということがなかった。皇国貴族が、蛮族の統治する土地にわざわざ出向くなど無駄なことで、何の利益もないことであると考えていた。それどころか蛮族の支配する土地など不衛生であり、身が穢れるとでも考えていた。
もう一つは、カイオスの来訪が、皇帝の名代としてということであった。各国の国王が戴冠式を行う場合、同格同士であれば相互に名代を送ることはよくあることである。ルディアスが皇帝となる以前のパールネウス王国時代もまたこの慣行に従い、名代を送りあっていた。ルディアスが皇帝となってからまだ日が浅く、新たな国王が即位した事例がないためパーパルディア皇国がどのように対応するのか周辺諸国は注視していた。そして、ルディアスはアルタラス国王の戴冠式へ皇族を名代として送らずに、臣下の者を名代として送った。
これに対しては、いくつかの点で評価されることとなった。まず、パーパルディア皇国が少なくとも文明圏外国を儀礼的な面からも一段低く見ているということを表明したという点である。国力による国の力関係と言う事実上の上下関係は厳然と存在するが、儀礼的な関係ではこれまでどおり、パーパルディアは他国と接するのではないかと考えていた者もいた。これにより、文明圏外国家へ皇帝の名代をおくるときは、臣下の者で充分であると言うメッセージを諸外国に与えた。
もう一つは、カイオスと言うパーパルディアの一子爵が、いわゆる門閥貴族を差し置いて、皇帝の名代という立場を認められたことである。カイオスは第三外務局長と肩書を持つが、それは第一外務局長や第二外務局長に比して劣るとみられていた。しかし、皇帝の名代と言う立場を手に入れたことで、カイオスに対する評価は改まった。パーパルディア政府の政策決定におけるキーマンとしてとらえられるようになった。当然、彼に近づこうとする者も出始めたが、カイオスは新年の祝賀行事にも出席せずにアルタラス訪問の準備を行い、1月5日にアルタラスに向けて出発した。
ところが、彼はアルタラスへは向かわなかった。密かにロウリア行きの船に乗り、カルーネスへと向かったのである。カイオスのロウリア王国訪問の理由はひとつ。日満両国外相に対する非公式会談を行う為である。
カイオスの行動はカイオス単独ではなし得なかった。国家戦略局企画官のヘンリー・ミクリッツ・フォン・イノス男爵が裏から手をまわした。国家戦略局の依頼でカイオス子爵領の商会にロウリアへの貿易船を手配させ、その貿易船にカイオス子爵を乗り込ませた。船はアルタラス島を東回りで経由して、ロウリアに向かった。この頃になると、ロウリア西部を荒らしまわっていた海賊は幾分落ち着いており、貿易船は難なくカルーネスに入港することができた。
カルーネスは、日満両軍の軍事占領下にあるもののそれは全面的な軍政下にあるということではなく、サンデル伯爵領カルーネス市としての施政権そのものは生きていた。それがために、カルーネスの民間貿易港としての役割は生きていた。そして、カルーネス港は日満軍の手によって整備されているところがあり、かつジン・ハークへと続く街道をゆうしていることから貿易港として栄え始めていた。それがために入国者も多いが、戦争に敗れた直後ということもあり、カルーネスの港湾管理当局は人員を補充できずにいたため、入国審査は甘いところがあった。それがために、カイオスは自身がパーパルディア皇国第三外務局長であるということを知られずに入国できた。
カイオスは、直ちにカルーネスの日本軍駐屯地に向かった。狙いは、ロウリア国王の戴冠式に向かう德川外相である。
日満両国とロウリア王国との間に国交はない。国と国との行き来を閉ざしている状態であるため、日満両国の外相がロウリアに入国するのは問題ではある。しかし、新たな国王が即位すれば、国交を樹立することを秘密協定で結んでいるため、その協定を履行する意思が充分にあることを示すために、日満両国外相がロウリア国王戴冠式に出席することとなっている。
新たに平和的に国交を樹立するとは言っても、ほんの10か月くらい前には戦争をしていた国同士である。軍事力の誇示は必要であるがため、戴冠式当日にジン・ハークに近い陸軍駐屯地に輸送ヘリで向かい、そこから日満両国陸軍の護衛を連れて戴冠式が行われる聖ロメニエル大聖堂に向かうことになっている。
ロウリア王国内ではあるが、ロウリア王国の施政権の一部が停止されている地域に留まるという理屈で、平和条約によって保障占領されているカルーネスに日満両国外相はとどまり、そこでロウリアとの国交樹立に向けた交渉を行うこととしていた。このことを国家戦略局経由で知ったカイオスは秘密裏に日満両国外相に非公式の会談を持ちこもうとしたのである。
日満両国の外交当局は、パーパルディアが接触するのを待っているのではないか。そのように踏んでいたカイオスの予測は当たった。駐屯地前で警護する歩哨に自分が第三外務局長のカイオスであることを名乗り、自家の紋章とパーパルディア皇国の外務局紋章を見せ、日満両国の外相と秘密裏に会談したいということを告げてきた。自分の顔は、クワ・トイネやロウリアの外交責任者ならば知っているはずであるということを話し、歩哨は直ちに上官を通じて駐屯地内の外交官に連絡を取った。寝耳に水の来訪に外相秘書官は、このことを徳川外相に伝えると同時に満洲国側やクワ・トイネ外務局に連絡をとった。隣接する駐屯地に満洲国の外交部大臣はいたため、直ぐにやってきた。カイオスの顔を写真で採り、クワ・トイネのリンスイ外務卿に確認したところ、パーパルディア皇国の年鑑に描かれているカイオスの顔と一致しているという回答を得たため、急遽の非公式会談が行われた。
カイオスはこの会談で日満両国との間に国交樹立についての大幅な道筋を取り付けた。即ち、列強国であるムーと同等の条件で国交を樹立するということ、エストシラントからそう離れていない海に面している地域を治外法権地帯設定として認めるということ、パーパルディア人は日満両国内で他の外国人と同じ自由を認めること、クワ・トイネやクイラと同じ条件で鉄道敷設についての協定を結ぶということなどが認められた。
交渉が終わると、カイオスは膝から崩れて、ソファーから滑り落ちた。そして、自分は今後正式な交渉に加われないだろうが、どうかこの条件で交渉を纏めてほしいと哀願した。どういうことかと日満両外相が尋ねると、自分は皇帝陛下の名代としてアルタラス国王の戴冠式に出席することになっていたが、日満両国との交渉を優先した。この機会を逃せば、皇国と日満両国との間で事前に道筋をつけることはできなかったと考える。しかし、それは皇帝陛下の命令に従わなかったということであり、自分は反逆罪となるだろう。死罪を賜るということも十分にあり得る。だから、自分がいなくなっても、今この時点では私がパーパルディア皇国の国家機関の長であることから、その人物と交渉妥結したという事実を以て押し通してほしいということだった。
徳川外相は、カイオスの漢気、国家を憂う忠誠心に心を打たれて、駐屯地の連隊長にアルタラスの国際空港に向けて陸軍の連絡機を飛ばすように要請した。これから飛べば、夕方には着くだろう。明日のアルタラス国王の戴冠式には充分に間に合うはずだとして、カイオスを飛行機に押し込めた。
カイオスを乗せた連絡機は、アルタラスのミリシアルとムーが共同で運営する国際空港に到着した。既に徳川外相から連絡を受けた駐アルタラス日本公使館の職員の車が空港に差し向けられていた。カイオスは、公使館が採ったホテルに宿泊し、明日のアルタラス国王の戴冠式に向かうこととなった。