パーパルディア皇国皇都エストシラント パラディス城第一外務局監察官室 中央暦1640年1月18日(月)午後1時30分
ガシャーンという破壊音と共に怒号が部屋に満ちた。
「タールを今すぐここへ連れてこい!!」
パーパルディア皇国第一外務局監察官室の主が、第一外務局員に荒声を上げて命令した。怒鳴られた哀れな局員は、すぐさまに踵を返して部屋を出て行った。
日満両国特使との式典は第三外務局が主導して行われていたが、この式典には、第一外務局員も参加していた。しかし、式典の途中で中座するというのは無作法であるという第三外務局員の主張により、式典が終わるまでは室内に留め置かれていた。式典が終わるや否や、その第一外務局員は迎賓館を駆け出して、第一外務局長に報告に向かった。第一外務局長室では、局長はレミールの部屋にいると言われ、再び走り出し、監察官室にたどり着いた時には息が上がっていた。
息を乱している局員が部屋に入ってきたところ、レミールもエルトも訝し気な様子で彼を見た。だが、日満両国国民に対するスパイ容疑拘束事件にイライラしていたレミールは、貴族が息を上げて走ってくるなどなんという醜態かと一喝し、言いたいことがあるなら早く言えと怒鳴りつけた。
外務局員は息も絶え絶えに報告を始めた。いらいらしながら聞いていたレミールであったが、話の内容が進むにつれ、レミールの額にはしわが寄りはじめた。そして、エルトの顔は青ざめた。斯くしてレミールは、報告に来た第一外務局員の足元に手元にあったティーカップを投げつけて、怒鳴り散らしたのであった。
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「報告書は速やかに作成し、カイオス局長とマリンドラッヘ局長、そして、もちろんレミール殿下にも提出の予定でございます。」
パーパルディア皇国第三外務局東部担当部長アルダンテ・ブラジウス・タールは、レミールに対して恭しく語りかける。先ほど、日満両国との交渉を終え、迎賓館の一室で報告書の作成を主導していたタールは急に呼び出されたのにもかかわらず、驚きをおくびにも出さずに、レミールに貴族の礼をとりながら答えた。
「黙れ!!この屑が!!貴様はこのパーパルディアを亡国にしようとしているのだぞ。」
タールを連れてきた第一外務局員は、自分が怒鳴られたわけではないにもかかわらず、ビクッと震えていた。しかし、タールは動揺することなく答える。
「私の知る所に依れば、この件で不利な立場にいるのは日満両国なのです。私は、この交渉は充分に皇国の利益を最大化するためにギリギリのラインを攻めぬいたものと考えております。」
「黙れ!黙れ!貴様等外3の連中に彼らの何がわかるというのだ。外3などクズ共の吹き溜まりではないか。ろくな情報も持たぬのにいい加減なことを!」
激高したレミールは唾を飛ばしながらタールを詰る。髪を掻きむしりながら半狂乱したかのような怒声を上げる彼女に第一外務局員は戦慄するが、タールは余裕綽々と言わんばかりに話始める。
「事の起こりは今月の1日の夜のことでございます。ショーンレミールの駐屯地施設内にスパイが侵入し、ショーンレミールの駐屯部隊はこれの捕縛に成功いたしました。スパイは新年の宴のため、警備が手薄になった隙を見て侵入し、駐屯地内の機密文書を奪取し、皇国の対外政策の一端を入手しようとしたのでしょう。しかし、同地には皇国陸軍の精鋭部隊が待ち構えていました。防諜にも長けた部隊のようですな。彼らは、スパイが文書を入手しようとしたその瞬間を狙い、スパイに対して魔法をかけました。催眠魔法を食らったスパイは抵抗する間もなく、眠りに落ち、彼らは見事にこれの捕縛に成功いたしました。」
激高していたレミールであったが、自分の怒りを全く意に介さずに話始めたタールを睨みつけながらも椅子に腰を落とし、話を聞く姿になった。外1の職員もレミールの姿を見て幾分緊張を解いた。
「しかしながら、このスパイに対する尋問は難航したようです。なかなか口を割らない。よほどに高度な対尋問訓練とやらを受けていたのでしょうな。」
「・・・拷問にかけたのか。」
レミールが質問を発したことでタールは我が意を得たりという気持ちになった。レミールが自分の話を聞く方向で気持ちを軌道修正したと見え、一瞬だけニンマリとした顔になりかけたが、そこは腐っても皇国貴族であった。表情を緩めぬままに再度話し続けた。
「さて、そこまでは。しかし、その精鋭部隊の部隊長の1人の働きによって、ようやくスパイは自白に至りました。スパイの名は、コレット・アンヌ・クロエ・ジヌー。彼女はフランス王国対外治安総局極東支部の諜報員であることが判明いたしました。」
スパイの所属が明らかになったことで、部屋に緊張が走った。
「エルト。フランスというのは確か。」
「はい、日満両国が元にいた世界での列強国の一つです。」
「うむ。やはりそうか。タール、しばし待て。」
レミールはエルト以下外1の職員に命じて日満両国について調べた書類を再度確認しなおした。外1は、レミールやエルトの指示で日満両国について調べていたがその中には、日満両国が元にいた世界の国々、彼らのいうところの異世界国家についても調査していた。
「フランス王国。本国はヨーロッパ西部に位置し、世界の諸地域に海外領土を有する。人口は8千万人を超える。国際連盟設立時以来の常任理事国であり、国際連盟大使会議の議長国を務める。異世界における世界公用語は英語が主流となっているが、現在においても正式な公用語はフランス語であるか。うむ、大国だな。そして、対外治安総局。・・・フランスの国家安全保障に関係する情報の収集及び分析、国外でのフランスに対する破壊活動の摘発及び予防、国家利益のための機密作戦の実施などか。うむ。確かにスパイ活動を行う者と見て間違いないな。だが、タール。わらわは、フェンに滞在する日満両国の国民がスパイ行為の嫌疑で拘束されているという報告を受けているが、フランスの女諜報員の存在などは知らぬ。貴様、外1へ渡す情報を握りつぶしていたのか。」
レミールが再び憤怒の形相でタールを睨みつけるが、タールは意に介さない。
「事は軍の機密に属する話でございますからな。おいそれと外には出せぬ話です。ただ、ショーンレミール駐屯地に駐屯する根拠地隊は監察軍の所属でございますから、私にも報告が挙がってきます。」
「だが、カイオスはこのことを知らなんだぞ。なぜ、第3外務局長であるカイオスに情報が渡っておらぬ。」
「カイオス局長は皇帝陛下の御名代としてアルタラスへと赴かれております。皇国貴族としては破格の栄誉。御心労も大きなものでしょう。スパイの捕縛如きに心を砕かせるわけにはとてもとても。」
「ぐう、貴様、皇帝陛下の勅命まで持ち出すとは、不敬な。ちっ、それで。このフランス人スパイの件がなぜ日満両国国民の拘束と結びつく。」
「スパイがフェンに入国する際なのですが、我が国でいうところの渡航許可証、あちらでいうところの旅券ですが、これを偽造し、それをフェンの官憲に提示したうえでフェンに入国したと自白しております。そして、その偽造旅券を現地の協力者に預けたと。その現地の協力者があの日満両国人たちの中にいるという訳なのです。」
タールは、フランス人スパイと日満両国国民との関係性がつながったと主張したが、外1の職員たちにはその関係は希薄なものとしてしか理解できなかった。
「タール部長。その説明では納得しかねます。その諜報員の自白を基にしてスパイの嫌疑で拘束するのであれば、その協力者だけでよいではありませんか。ニシノミヤコ付近の日満両国国民を一斉に拘束する必要性がありません。」
「第一外務局長のお相手はミリシアルやムーといった列強国ですからな。列強国相手にはこのような交渉はできますまい。もちろん、私も日満両国はミリシアルやムーと言った列強に伍する大国であることは理解しております。しかし、日満両国には隙がある。そのことはレミール殿下も充分にお分かりのはずです。」
これまで淡々とした説明を続けていたタールであったが、最後の言葉を吐いた時には、頭を突き出して幾分ニヤリとした表情を見せた。しかし、タールの挑発をレミールはいなした。
「ふん。日満両国に隙があるという点は認める。だが、かの国々は超大国というべき存在だ。けして、怒らせてよい相手ではない。さっきもエルトが言ったが、タール。貴様の説明では、日満両国国民を拘束するだけの理由にはなっておらぬ。それこそ、相手に付け入るスキを与えるだけではないか。」
「とんでもございません。殿下、そもそも、なぜフランス人の工作員が我がパーパルディアの基地を何故探っていたとお思いですか。」
タールの質問にレミールをはじめ第一外務局の局員が考え始める。そこにタールは追加の情報を出してきた。
「日満両国国内には、フランスをはじめとしてイギリスやドイツなどを筆頭に異世界各国の国民が日満両国の転移と共にやってきたのです。しかも、彼らは日満両国の国民とは違い、頼るべき政府がないのです。必然的に滞在先の政府を頼らざるを得ない。そして、日満両国国内に滞在する諸国民の多くが、日満両国政府が発した特別法により日満両国の国籍を取得したことが報道されておりました。これによりフランス人の多くがフランス系日本人という地位を得ることとなりました。」
「ふむ・・・。それで?」
「フランス系日本人ということになれば、日本国又は満洲国の政府から旅券を発行してもらえます。そうすることで彼らはこちらの世界の各国に入国することが可能なのです。実際に、クワ・トイネやクイラといった国々は日本国や満洲国が発行した旅券を確認して、日満両国からの民の受入れを行っております。」
タールの発言は半分は正しい。クワ・トイネやクイラに日満両国在住のフランス人が入国するときはフランス政府発行のパスポートを見せても入国許可は下りない。存在しない政府が発行した証明書は有効ではないのである。但し、日満両国政府は転移災害に伴う特例国籍法による特別国籍を申請しない者を対象にして特別な旅券を発行している。それぞれの大公使館を通じて日本外務省や満洲外交部に申請すれば、日満両国政府が発行する特例旅券を取得できることになっている。特殊な例であるため、タールたちが知ることは難しかった。
「故に、彼の女諜報員は偽造した旅券によってフェンに入国せざるを得なかったのです。ですが、なぜ、その者は危険な諜報活動に従事せざるを得なかったのか。そう、それは日満両国政府とその諜報機関が取引をしたからに他ならないのです。」
タールは得意げな顔を浮かべて自らの推理を披露しつづけた。
「日満両国人、なかでも日本人はパーパルディア人と比べて髪の色が違うなど風貌に差があります。これでは、我が国や我が国の海外基地に潜入しての諜報活動には向かないでしょう。そこで、彼ら日満国内にいる外国人スパイがスカウトされたというわけです。祖国と連絡も取れなくなった彼らにとって、危険なスパイ活動を継続する必要などありません。にもかかわらず、諜報任務に赴いた。これは日本両国政府からの強い指示があったにほかなりません。これまでのスパイ活動の摘発を行わない代わりに、対外諜報活動に協力せよと。」
「なるほど。つまり、貴様は今回のスパイ活動の責任は日満両国の政府にあると考えているのだな。そして、その責任追及のために日満両国国民を拘束し、国交樹立交渉の初手で相手より有利に話をすすめようとした。そうだな。」
「その通りでございます。」
タールはレミールが自分の意図を理解したことを嬉しく思い、ニコリと微笑んだ。だが、レミールは不機嫌な顔のまま話を続けた。
「だが、それでも、わらわは貴様の見通しを甘いと考えておる。日満両国にとって国民の命は重い。日満両国の国民は、君主の臣民とされている。先のロウリアとの戦い、その緒戦で軍の兵士が数人戦死した。数人だぞ、数人。それだけで軍のトップの首が飛んだのだ。彼らの思考回路を我々のそれと同じと考えるな。貴様のやり方は危険極まりない。もうこれ以上この問題に口を出すな。」
タールはレミールの前で深く一礼して、御意とのみ言葉を発した。実際、これ以上は自身の手に負えぬとタールは感じていた。満洲の陳特使は不機嫌な表情をし、抗議に近い言葉を発してきたが、日本の朝田特使は徹頭徹尾へりくだって対応してきた。超大国の外交特使でありながら、あの対応に終始したことはタールには理解不能であった。理解できぬ以上、下手な地雷を踏みかねない。これ以上は手を引きたいと考えていたのである。
「ちなみに、タールよ。日満両国の国民には監禁すること以外、一切の手を出すなと事前に通知しておろうな。魔信が途中で切れて、その後で言及したとのことらしいが。」
「ああ、いえ。実は式典終了後に魔導通信機について部下に尋ねてみたのですが、映像通信は魔力使用量が大きいためか切れてしまったのですが、音声通信だけは生きていたようなのです。実際に音声通信のランプが灯っていたと報告を受けています。ですので、レミール殿下の御名を以て、日満両国国民に対して無益に害さぬように現地部隊に命令したという事実は確かに。」
「ふん。勝手にわらわの名を使いおって。だが、まあよい。それにしても、タール。外3は周辺国からむさぼり散らすだけの無能しかおらぬと思っていたが、少しはまともに物を考えるやつがいたのだな。」
タールはレミールの言葉ににやりとしたままで一礼して、部屋を去っていった。その後を見送ったレミールはエルトに指示を出した。
「ともかく、拘束された日満両国国民を速やかに開放し、日満両国に我が国へのスパイ行為に対する抗議を行う。だが、間違えるな。解放が先だ。今回の我が国の行動は、警告であったということを十二分に理解してもらわねばならぬ。その方向で至急日満両国特使との会談を準備せよ。無論わらわも出る。」
「はい。」