以前の記事でクワ・トイネからカルーネスまではだいたい飛行機で1時間半、馬車だと優に1週間はかかると書きました。調べたら福岡から名古屋までのフライト時間と同じでした。その福岡と名古屋の直線距離は約619kmで、車だと763km、鉄道だと808.9kmとのこと。同じく、カルーネスからジン・ハークまでの距離はあんまりないと書きましたが、これは原作単行本に載っているロデニウス大陸の地図をみたところそういう判断になりました。
うーん、600から800となると、これ、設定に矛盾が出そうだ。で、調べてみたら、江戸時代の旅人が1日に歩く距離がだいたい30から40km。馬車だと1日に動ける距離は20から40km、馬を乗り継いでも50kmぐらいが限度とのこと・・・。あれれ~、おかしいぞ~。600キロを1日50キロで進んだとしても12日かかる。「クワ・トイネ国立歌劇場」の記事で書いた1週間は優にかかると矛盾する。うーん、やっぱり駄目じゃねえか。ということで、過去記事修正します。
もう一度原作書籍版を読み直したところいろいろな記述を確認できました。「ギム制圧後、東方55kmの城塞都市エジェイを攻撃する。540km離れた首都クワ・トイネには我が国のような城壁はなく、エジェイさえ落とせばあとは云々」、「国境から20km付近の町ギム」、「ロウリア艦隊の位置はマイハークから西方500km」、「王都ジン・ハークから海までは約43km」、「軍隊をビーズルからジン・ハークまで急速に移動して、ジンハーク周囲の敵を攻撃させるのに必要な日数は準備も含めて3日もあれば」「ジン・ハークの南東にビーズル」などといった記述がありました。特に、この540kmがジン・ハークからの距離なのか、ギムからのなのか、エジェイからの距離なのか文章中からははっきりと確定できませんでしたが、文脈からしてエジェイからの距離でいいかなと思います。ということで、公都クワ・トイネからギムまでの距離は約595kmとします。ギムからマインゲンの距離はもともとの20kmのままで大丈夫そうなんで、そのままで。公都クワ・トイネから新たな国境の町マインゲンまでは615kmとなって、徒歩・馬車ともに中間の1日35kmと30kmで計算して、18日と21日ぐらいかかるということにします。
ジン・ハークから北の方向にあるカルーネス(原作でいうところの北の港)との距離はそのまま43km。ジン・ハークから街道が伸びているビーズルとの距離は、軍隊が1日にどれぐらい強行軍で動けるかということを豊臣秀吉の中国大返し(約230kmを7日から10日で移動)から推測して、軍隊が強行軍で1日に動ける距離を23から32kmとすると、69kmから96km。準備も含めて3日もあればという点と重い武器を持った兵士の移動で到着後すぐに攻撃参加という点から、急速に戻るけれども移動だけで体力を失わせるようなことはできないから、そういう意味でも移動距離を考えると、ジン・ハークからビーズルまでの距離は75kmとする。こうすれば、一般人がビーズルからジン・ハークまで徒歩移動すると2、3日の距離となって、途中に宿場町が1つ2つくらいできる感じになる。
ここまでで確定した距離が、690kmになって、残りはビーズルからマインゲンまでの距離だけど、別の過去記事で、マインゲンとビーズルとの中間地点にジューンフィルア伯爵領の中でも二番目に大きな町フィルアシアという町があるということを言っています。他にも宿場町はありますし、ジューンフィルア伯爵領だけを通るわけではないので、ここは福岡名古屋間の距離の中でも一番長い800kmをとって、ビーズルからマインゲンまでの距離は110kmとしちゃいます。間に3つの宿場町を置けば、ちょうど都合がいい。ということで、公都クワ・トイネから王都ジン・ハークまでの街道距離は800kmくらいあるということにします。徒歩だと23日、馬車だと27日になります。とすると、馬車だと1か月かかるというのが非常に都合がよい計算になりますので、過去記事「クワ・トイネ国立歌劇場」の記事を修正して、1週間を1か月にします。いやあ、細かい事が気になるのが僕の悪いクセ(水谷豊の口調で)。
ロウリア王国首都ジン・ハーク 聖ロメニエル大聖堂 中央暦1640年1月18日(月)午後3時30分
― クワ・トイネ公国外務卿ビーデン・リンスイ
まさか、わしがロウリアの土を踏むことになるとはな。1年前は露ほどにも思わなかったわい。
朝日が昇って少したった頃、わしは、公都クワ・トイネの郊外にあるクワ・トイネ国際空港から午前7時発のクワ・トイネ発カルーネス行きの飛行機に乗った。同乗するのは、リンスイ伯爵家からわしと妻、筆頭文官と騎士団長、文官1人、騎士3人、家令と家従2人、女官3人の計15人とクワ・トイネ外務局からロデニウス大陸課長とその課員2人の計3人、合計18人。他にもクワ・トイネの政府関係者や日本人や満洲人の民間人が30人ほど乗り込んでいた。カナタ首相からは、国家的な行事に公人として出席するのだからと政府専用機を使用することを勧められたが、わしはこれを断った。クワ・トイネ公国は未だ発展途上である。政府専用機を運航する金があるなら、首都の開発に廻すべきだと主張した。かっこいいことを言ったが、わしはまだ日本人や満洲人のパイロットが運航する航空機に乗りたい。クワ・トイネ人のパイロットを信用していないということはないがやはりまだ不安だ。
それに民間機であるならば、日満人との交流も期待できる。現に、わしが機体に乗り込んでいることを発見した日本人や満洲人の民間人が接触してきた。彼らは商社の人間で、カルーネスからジン・ハークに向かう街道やカルーネスからビーズルを通りギムに向かう街道の整備事業のために現地視察をする予定だと言っていた。特に、ジン・ハークからジューンフィルアまでの街道の整備についてはロウリア王国に帰還したジューンフィルア伯爵からの正式な商談だという。ジューンフィルア伯爵、侮れぬな。日満両国を早くも引き込みにかかったか。帰国直後は領内も混乱していたであろうが、早くも新たな事業を起こすか。しかも、正式な国交樹立前に接触するとはやり手だな。捕虜となっている間に日本国側と人脈を築いただけでなく、満洲国側とも接触したか。
この商社マンたちとの会話を通して我がリンスイ領にトラックによる長距離輸送を手掛ける企業を誘致することを依頼した。日本や満洲との国交樹立以後、我が領の酒造ギルドを束ねる立場にもある、当家の御用商会「バーリー酒造」は、リンスイ伯爵家の文官の口利きで日本や満洲の酒造企業から酒造技術の指南を受けた。日本や満洲にとっても、この申し出は渡りに船であったということだ。
領都トースイとマイハークを結ぶ軽便鉄道は、日本国に輸出する農作物の輸送を扱うものであった。満洲国は、その広い国土を利用して主要農作物の時給率がほぼ100%であったために我が国からの主要農作物はほぼ輸入していない。満洲国の気候上栽培がむずかしい作物については諸外国から輸入していたようだが、ここ最近になり、我が国においてコーヒー豆の収穫ができるようになったため、満洲国は一部の作物を我が国から輸入し始めた。そのため、軽便鉄道の輸送列車にも満洲国向けの輸送コンテナがぼちぼち出現し始めた。
重要な農作物は主食に用いられるものが中心となる。日本や満洲との国交樹立当初、我が領から搬出された農作物は麦類を収穫直後の状態のままでトラックに積み込まれていった。当初は、何台ものトラックが車列を組んでマイハークに向かっていったが、去年の6月に軽便鉄道のトースイ駅が領都の郊外に建設されると、トラックはトースイ駅から我が領内を巡回するようになった。
物が集まると人が集まり、町ができる。トースイ駅周辺には、日満両国の物流会社の出張所ができ、トラックの運転手たちの社員寮ができた。すると、日満両国人を対象にした商売を行おうと領都の商会が進出し始めた。だが、我が国から日満両国人に提供できるものは少ない。日用品の質は比べ物にならないし、そもそも日満両国で通用している同じようなものすらない。結果として、トースイ駅付近には飲食店や売春宿が進出するにとどまったが、食事の質というものもにも差があった。特に酒が美味くないという意見には困った。我が領は穀倉地帯としてクワ・トイネ国内でも一・二を争う地位にあったため、酒の材料ということでは困らなかった。だが、美味くないという質の問題はどうしようもなかった。
そこで、当家の御用商会「バーリー酒造」は我が家の文官に相談して技術指南を受けることを計画したということだ。その技術指南を受けて領内で作られた献上酒を飲んだが、これまでの酒よりもはるかに美味いものであった。この酒を提供したところ、トラックの運転手たちも我がリンスイ領の酒を美味い酒であると、本国にも負けていないものであると評価を改めることになった。そうなると、今度は我が領の酒を他領や日満両国などに貿易品として販売しようという話もでてくる。ただ、筆頭文官の報告によれば、適切な保管手段と輸送手段がないとのことであった。日満両国人は酒を冷やして飲むのを好む。常温の酒を好まない。この点、トースイ領では、バーリー酒造が日本から太陽光発電機と冷蔵庫を購入して、酒を冷やし、各飲食店には、魔術ギルドから水魔法を得意とする者を派遣してもらうことで温度管理を行うという体制を採った。だが、これを他領まで行うというのは難しい。そして、軽便鉄道は日満向けの農作物輸出品を移送するという点で作られたものであるから荷物を追加することも難しい。それどころか、軽便鉄道は運航時の揺れが馬車並であるため、輸送時に酒樽が損傷する可能性が高いとされた。
そこで、わしは、長距離輸送を行う冷蔵トラックによる輸送の是非について筆頭文官に調査を命じた。新しく運送ギルドの設立を命じて、新たな商会を設立させる案や輸送部門を伯爵家の直営にし、騎士団を新設する案などがでたが、結局のところ、日満両国の物流企業を誘致して、そこに任せるのが一番であるという結論となった。
日満の商社マンとの協議の結果、街道の整備を併せて行う必要があるのではという話になった。トラックによる輸送を考えるのならば、道の整備は重要でトラックの燃費にも関わることだとのことだ。そこは頭が痛い。トースイとマイハークとを結ぶ軽便鉄道の途中にはスーイデン駅がある。この周辺は中央政府の直轄地だから何とでもなるが、トースイからスーイデンの間、スーイデンからマイハークの間には諸侯の領地を通過する領域がいくつもある。小さいながらもその先祖を辿ればミズ・トイネ王国期の諸侯に行きつくとされている貴族ばかりだ。領地に対する想いが強い。街道の整備のためという理由で他国の人間が様々な手を加えることにいい顔はせんだろう。やはりそこは頭が痛いところだ。
機内での日満両国の商社マンとの間の有意義な会談を行ったためか時間の経過が早いように感じた。わずか1時間半程度の飛行で飛行機はカルーネスに到着した。そこからは、徳川外相が手配してくれたリムジンバスに乗り込み、日本陸軍の護衛と先導で王都ジン・ハーク城外の駐屯地に向かった。日満両国の機械馬車は速い。通常ならば、カルーネスからジン・ハークまでの道のりは馬車で通常2日、馬を替えればば1日といったところだ。途中の宿場町がそれを示している。カルーネスからジン・ハークまでの街道は、クワ・トイネの街道改良工事におけるそれと同じように自動車専用道と馬車専用道と歩行者用の道路に分けられていた。街道中央に上りと下りの自動車専用道が一車線ずつ設けられており、車道の外側にはロープの仕切りがなされてある。交通事故を防ぐ仕掛けだ。何しろ鋼鉄の塊が馬車の何倍ものスピードで走っていくのだ。動いてはひとたまりもないだろう。バスは物凄い速さで街道を南下し、30分ほどでジン・ハークから3km手前にある連合軍駐屯地に到着した。
―――――
ロウリア新国王の戴冠式使節団は、外務卿たるわしと妻、筆頭文官と騎士団長、ロデニウス課長とその課員2人の他、既にカルーネス入りをしている外務局員5人の12人で構成される。我らは、ジン・ハーク郊外の駐留軍基地内のクワ・トイネ仮公使館に入り、支度をした。徳川外相が私を呼びに来て、馬車でジン・ハークへ入城しようと言ってきたのには驚いた。街道では日満鍬杭の軍隊が周辺警備を行って聖ロメニエル大聖堂への道を確保していた。
道中わしは徳川外相に昨日のパーパルディア皇国のカイオス第三外務局長の件を聞いてみたが、もう少し待ってほしいと言われた。もう少し情報の精査が必要であることの事だ。ならばそれでよい。こちらから協力できることがあれば遠慮なく申し出てほしいと伝えて、この件は終わりとした。
新国王となるのは、去年の10月にダ―ルドルフ大公領を継承され、ロウリア王国の摂政に就任されたウィンチェスター・テルエ・フォン・ダールドルフ大公である。摂政就任以来国内外を飛び回り、昨年の11月20日には、日本国の長崎県対馬で行われた陸軍特別大演習を観戦したとのことだ。在日クワ・トイネ公使館附の観戦武官からの報告では、長崎県対馬の上見坂演習場に設けられた天皇大本営の行在所内で、ダ―ルドルフ大公は天皇から直接軍事演習における両軍の配置や部隊の動きなどを説明を受けたとのことだ。その様子を見ていた武官の報告では、ダ―ルドルフ大公は始めはがちがちに固まっていたとのことであったが、終わりになると大分リラックスできたとのことで、やはり生まれ持っての王族というのは違うと思ったものだ。
この戴冠式には、諸外国の駐ロウリア大使とその妻が出席しているが、我が国とクイラ、日満両国はちょっと違う。我が国は、外務卿たるわしが使節団長を務めているが、クイラはメッサル外相の他にクイラ王弟のマルワーン・ナースィル・アル=スラーン=クイラ殿下が使節団長として出席された。他国の王族が、それも半年くらい前まで戦争をしていた間側の国の王族が元敵国の戴冠式に出席するなど前代未聞だろう。ロウリアの式部官が「クイラ王国よりクイラ国王王弟、マルワーン・ナースィル・アル=スラーン=クイラ殿下と同妃殿下の御入場」という声を上げたときは大聖堂内部が驚きの声に包まれたものだった。満洲国からは森山外相と参議のバインオール・スミヤバザル氏が共同の使節団長として入場した。これには、あまり声が挙がらなかった。参議という職がどういうものなのかわからなかったのだろう。そして、日本国からは嵯峨宮師仁親王が使節団総裁、高円宮盛仁親王が副総裁、そして徳川外相が使節団長として入場した。嵯峨宮殿下は62歳になる元帥陸軍大将の階級にある皇族軍人だ。軍人らしく筋骨隆々たる体躯と日本陸軍の正装に身を包み、威風堂々と入場してきた。親王妃のマリア殿下もまた艶のある美しいドレスに身を包んで殿下の一歩後ろを歩いてきた。続くのは、先ほどの師仁親王とは違い23歳と若い青年皇族である盛仁親王。軍服ではなく、皇族大礼服と呼ばれる菊紋と唐草模様というデザインをあしらった服で入場した。まだ結婚していないようで、親王は一人で入場してきた。徳川外相は続いて入場した。先ほど馬上で見た文官大礼服だ。
聖ロメニエル大聖堂での新国王の戴冠式は荘厳極まりない中で行われた。聖壇の前に立つロメニエル教の大司祭に対して、ダールドルフ大公が傅いた。大司祭が「汝はロウリアの王冠を継ぐものとして、ロウリアの王冠に忠誠を捧ぐか。」と問いただした時、大公は「誓う」とだけ述べた。その言葉を確認した大司祭は、顔を上げて、聖堂内に集まった全ての者に対して宣言した。
「今茲に、神の恩寵下におけるロウリア国王、至尊極まりなき聖ロメリエルの王冠が覆う全てのロウリア諸民族の守護者、ジンハーク城伯、ダールドルフの大公、タレーラン、ヘッセン、ジルベスター、クラッセンブルクの公爵、テルエの侯爵、マオリス、イルクナー、アンデリウム、テールマエの伯爵たる、ハーク・ロウリア・ウィンチェスターに対し、聖ロメニエルの御手に代わりて、茲に王冠を授ける。」
大司祭は、司祭から受け取った王冠をハーク・ロウリア・ウィンチェスター新国王に被せた。すると、国王は立ち上がり、こちらに向き直った。
「余は茲に宣言する。ロウリア王国の安寧秩序を守り、ロウリア臣民の幸福を増進し、ロデニウス大陸各国そして大東洋諸国と共にロデニウス大陸そして大東洋の平和を永久に守護すると。」
ハーク・ロウリア・ウィンチェスター新国王が宣言するや、嵯峨宮師仁親王が流石は軍人というべき大きな声で新国王への祝意をささげた。
「ロウリア新王陛下ばんざーい!」
殿下の音頭に合わせて、わしらも万歳の掛け声をかける。すると、三度目の万歳で聖堂内の全ての出席者が万歳の掛け声を挙げた。
―――――
新国王の戴冠式が終わると祝宴が開かれる。新王にはその後もロメニエル教の宗教行事が続く。歴代のロウリア王に対しても王となったことを報告するため、聖ロメニアル大聖堂にある霊廟に赴くことになっているようだ。そのため、新王が祝宴に参加するのは晩餐会からとなっており、その間は戴冠式に参加した各国要人をロウリア政府関係者やロウリア王族が迎接する祝宴が開かれる。
その場で中心となったのは、日満鍬杭の4カ国だ。他の国々が駐在大使の出席に留まるのに対して我々は外相が参加している。外交の責任者と直接面識を得るチャンスなどそう多くはない。ましてや派遣国の外交責任者ではなく、違う国のとなればなおさらだ。
「うーむ。見事な時計ですな。やはり、あの日本国と満洲国の同盟国は違いますなあ。」
シオス王国の駐ロウリア大使がわしに話しかけてきた。国交樹立を記念して、德川大臣から贈られた日本の時計会社「精工舎」製の高級懐中時計。秒針が一定のリズムで狂いなく動く。細やかな意匠がほどこされている。普段使いにはできないが、こういうときには重宝する。羨望の視線にはちと困るがな。
「ははは。うん、ちょっと失礼。」
突然胸のポケットに入れた携帯電話が鳴り始めた。
「おー、それがあの有名な携帯電話ですな。魔導を使わぬ魔信機と聞いたことがありますぞ。」
「いかにも。本国から連絡のようです。ちょっと席を外します。」
祝宴会場の隅に向かって歩いていくと、途中で日本の徳川外相が会場の外に出ていくのが見えた。はて、彼も電話か。とにもかくにも電話に出んとな。ふむ、日満部の日本課長のシャーメン・ナタダか。
「わたしだ。ナタダ君。なにがあった。」
『リンスイ卿、大変です。駐日公使館から緊急連絡です。フェン王国内部で日本人が・・・』
携帯電話を持つ手が硬ばった。これは・・・いかん。大東洋地域の安定に悪影響が出かねんぞ。
―――――
― 大日本帝國外務大臣 侯爵徳川義輝
「そうだ。パーパルディア皇国側は邦人の早期解放を約束した。だから、君は総理に報告して、閣内の強硬論を収めろ。そうだ、蔵相とも協調して動け。あの爺さんのことだ、簡単に首を縦には振らん。わしのほうはまだ戻れん。晩餐会には新国王も参加する。欠席というわけにはいかん。君は三條政務次官とともに閣議に出席して外務省の立場を説明せよ。いいか、絶対に軍の動きを封じ込めろ。」
とんでもないことが起こった。しかも、外務大臣たるわしが国内にいないときに。
フェン王国内で映画撮影をしていた白澤監督や汪監督を始めとする映画撮影関係者やそのエキストラとなっていた日満両国の帝國臣民がパーパルディア皇国の官憲に身柄を拘束された。しかもその事実を、正午から起こなわれていたはずのパーパルディア皇国との初めての公式行事である賠償金交付式典でパーパルディア皇国側から聞かされた。式典にはムー国の駐派大使の臨席を頼んでいたし、大東洋各国の中にも参加した者がいるということなので、おそらくこのニュースは数日中には我が国民にも知れ渡る可能性が極めて高い。
由々しき事態であるが、式典終了直後にパーパルディア皇国側から追加説明を行いたいとの申し出があった。異例の事態だ。正午から1時間弱ほど行われた式典が終わってすぐ、そう、松平次官からの報告では午後1時半には日満両国の特派使節が第一外務局の会議室に通されて、皇后内廷者のレミール殿下から直々に追加の説明があったとのことだ。
フェン王国内のパーパルディア皇国の植民地ショーンレミール内の軍事施設にフランス人スパイが侵入し、拘束された。そのスパイは偽造旅券を使用して、フェンに入国したが、これを手引きした者が映画撮影の関係者にいたとのことである。更には、ショーンレミールの軍事施設を携帯電話のカメラで撮っていた者がいたということである。これは日満両国の軍事機密を保護する法令でも違法とされているものであり、パーパルディア皇国においても同様であるということなのだ。これらの法令違反者を、ショーンレミールの特設法廷で一斉に即決裁判で処罰するが、日満両国との国交樹立前であることに鑑み、一律に恩赦を与えて解放するとのことである。
対応した朝田特使からの報告によれば、これらのことをレミール殿下が自ら説明したとのことだ。朝田君の報告では。これらの説明をよどみなくレミール殿下は行ったということで、こちらからの質問にもレミール殿下が自ら答えたということだ。間違いなく、レミール殿下はパーパルディア皇国内で重要な政治指導者の一人だ。皇帝専制の非立憲体制国家、皇后内定者という身分をも考えれば、彼女の発言は皇国内で相当な重みがあり、帝國臣民の解放はほぼ間違いなく実行されるとみてよい。
しかもだ、先ほどの式典のときとは打って変わって、日満両国とパーパルディア皇国との国交については、クワ・トイネ公国やクイラ王国などと同様の条件でよいとして、極めて早期に締結したいとの希望を伝えてきた。パーパルディア皇国としては、外交関係の基礎は、ウィーン外交関係条約の規定を準用しても構わないとも伝えてきた。貿易協定については国交樹立後に別途協議していくということでよいとも伝えてきた。
我等の世界の法令をも調査している。パーパルディア皇国は綿密に我々を調査して、この交渉に臨んできた。クワ・トイネなどに派遣されている外交官などとは違う。彼らは交渉相手たる存在だ。ここで事を荒立てる必要はない。それに、帝國臣民は学校教育の中で軍機保護法についても学習しているはずだ。この点では、我等の側にも落ち度がある。パーパルディア皇国の法令で有罪の宣告を受けたとしても、帝國国内ではその効果はないものとして扱えば、拘束された彼らも不満は持たないだろう。
「わしは明日の朝一の飛行機で帰国する。夕方の閣議を頼むぞ。」
厄介なことになったが、パーパルディア皇国との国交樹立に弾みがついた。災い転じと福とするよう我等は最善を尽くさねばならぬ。