ロウリア王国の中央の意向は未だ正式には国境付近の都市には通達されていないものの各都市や町村に対して物資を大量に確保せよとの命令が中央政府から出ている以上は、そういうことなのだろうという空気が漂っていた。各街の物資の物資集積所には警備兵が置かれており、隠されていたのであるが、モノの動きを完璧に隠匿することはできない。そういう状況下で事件は起きた。
ロウリア王国首都ジン・ハークとビーズル、そしてマインゲンを結ぶ街道沿いには多数の宿場町が存在する。このマインゲンとビーズルとの中間地点に宿場町であるフィルアシアという町がある。人口およそ1500人を数え、ジューンフィルア伯爵領の中でも二番目に大きな町となっていた。この町の物資がいくらか焼失する事態が起こったのが昨9日の深夜であり、ジューンフィルア伯爵は緘口令を敷いたが、マインゲンの街にも噂が届いていた。
「確保していた物資の4分の1から3分の1が焼失したか・・・。これは伯爵にとっては大きな痛手となったな。」
コーヒー豆を挽いた香りが漂う所長室で、マインゲン出入国審査所長のアウゲスト=ハンメルは部下からの報告を受ける。二人は椅子に腰かけて、コーヒーの味を楽しんでいた。
「この失態に対してジューンフィルア伯爵は、領都ジンフィルアから代わりの物資をフィルアシアに送る手はずとなったようです。そういう形で損失を補填するというようですが、伯爵は、釈明状とともに自分を対クワ・トイネ戦の先陣として推挙願いたいとの嘆願も併せて行ったようです。」
「おそらく、クワ・トイネから補填した分の物資を徴発するのだろう。先陣ならばいくらかちょろまかすことは可能だろうからな。」
「なるほど、所長は今回の件、事件と事故どちらだとも思われますか。フィルアシアの衛兵は火の不始末という方向で捜査をしているようですが・・・。」
部下から質問を受け、ハンメルは腕を組んで考えるそぶりを見せる。そして、ややあって答えた。
「まあ、この時期に起こったことだからな。事故というよりも事件とみた方がわかりやすくはある。おそらく、クワ・トイネ公国の特務機関「リーン・ノウの擁護者」か、クイラ王国の「アル・クイラの長い手」のどちらかが動いたとみるのが適切だろうが・・・。」
ハンメルはただの事件というよりも妨害工作の類と推測する。クワ・トイネ、クイラともに諜報機関を抱えている。もちろんロウリアとて、そういった類の機関はある。王室特別監査室と呼ばれているそれは国外のみならず国内の諸侯領にも密偵を放っており、フィルアシアの失態は魔信を通じてすでに中央に届いていた。
「しかし、所長、彼らの存在については、そういう存在があるといった程度のことしか、わかっておらず、またこれまでそういう破壊活動は行ってこなかったと思うのですが。」
ハンメルの部下、シュワルコフは、所長の指摘の疑問点を話す。諜報機関と破壊工作機関はまた別のものだろうと。初仕事で妨害工作など簡単にできる者であろうかと。
「うむ。そういう見方もあるが、昨今の情勢を鑑みるとやはり、なりふり構わずというか、方針を変えたとも考えられる。そういう推測はいろいろとできるが決定的な見解というのは見つからんだろう。それよりもだ、シュワルコフ君。我々に必要なことは、我々の物資集積所の安全の確保だよ。警備をしっかりと行い、小火などださぬように衛兵の注意を引き締めることだ。そして、万が一の外からの攻撃に備えて、物資を守ることだ。とはいっても、我々には衛兵に対して直接の命令権限がないのだがね。」
「確かに所長のおっしゃる通りかと。マインゲン市長もそういう認識ですか?」
「うむ。こういった報告は市長にも当然耳に入っていることだろう。マインゲンが諸侯領ではなく王国直轄地である以上は、何かあっても他から調達して補填するということはできない。あれだけの物資だ。何かあったら、市長以下市の重役連中の首が飛ぶだけではすまん。特に我々は、出入国審査局だ。変な人間を入国させたとでも言われたら、我々の首も危うい。さてそこでだ、この問題に対する解決策なのだが、中央の内務局外務局連名で新しい指令が届いた。これに沿って今後の入国管理は厳重に行いたい。」
シュワルコフは持っていたコーヒーカップをテーブルの上に置き、姿勢を正し、命令を受領する態勢を取った。
「具体的にはどのような方針で臨むのですか。」
「中央からの指令によると、新規の亜人は入国禁止だそうだ。そして、定期的に出入国している行商人の亜人は、荷物改めを厳重に行い、荷馬車をひっくり返してでも荷物の中身を調べろとのことだ。人間族に関しても、新規の人間の入国に対しては、細かく荷物をチェックするようにとのことだ。荷物改めに同意しない以上は入国を禁じるとのことだ。」
徹底した入国審査ということだ。行商人が荷物の梱包を解くということは、また新たに梱包をし直さなければならず、サスペンションが不十分の馬車に揺られても問題ないように頑丈にしたものを再度梱包しなおさなくてはならないと手間が非常にかかる。事実上の締め出し政策のようにも見える。しかし、シュワルコフは中央の指令を聞いて、違う見方をした。
「新規の亜人ですか。新規の入国者ではなくて亜人だけとは、中央も徹底しているというかなんというか。」
発言しながら苦笑する部下をハンメルは部下をいさめる。
「これ、そういう発言は中央批判につながるぞ。俺は聞かなかったことにする。
あと、新規の人間というか、これは日本国に対する交渉の姿勢だな。変に我が国の動静を悟られないようにギムの街での連絡は続けるようにとのことだ。マインゲンに日本の外交官を入れる必要はないし、日本との交渉を進める必要はなく、相手方の国交樹立の要求は受け入れる必要もない。ただ、引き伸ばし続けよとのことだ。ついでにギムの街の状況を知らせよとのことだ。俺は外交官でもないし、スパイになったつもりもないんだが。」
今度はハンメルがぼやく。そんな上司を見て、部下は質問を投げかけた。
「日本との通信を継続せよということは、開戦はまだ先のことという事でしょうか。」
「わからん。現状はどう考えても、戦争準備を行っているようにしかみえん。それは、おそらく、というよりもほぼ確実にクワ・トイネもクイラも気づいているはずだ。これだけの物資の確保の動きを外に知られないということはないだろう。まだ本国からは正式な通達はない。だが、新規の亜人の入国を禁ずるという、中央の姿勢がクワ・トイネやクイラに伝わるのだ。開戦は時間の問題というより他にないだろう。」
シュワルコフは首を下げ、左右にかぶりを振って溜息を吐く。
「ふう。やり切れませんね。」
「ん?」
「いや、私も親父がここに移り住んでから、この街で生まれて過ごしてきました。亜人の行商人の顔見知りもおります。その連中と戦わなくてはならないかと思うとどうも気がめいります。」
「そうか。まあ、ここだけの話にしておきなさい。」
「外では言いませんよ。下手に密告でもされたらおまんまの食い上げですからね。」
「フッ。それもそうだな。しかし、いくら、中央が本腰でないことを表すためとはいえ、俺が外交官の真似事なんかをすることになるとは、まったく人生とはわからんもんだ。」
「全くですな。」
二人は再びコーヒーを飲みだす。今度はこちらから菓子でも持っていってみるかとハンメルが言い、シュワルコフがそれはいいですねと同意した。本国の指示は、とても国交樹立を求めに来た外交官に対して真摯な対応ではない。せめて自分たちの態度だけでも真摯なものにしようと考えるハンメルであった。
翌日、一月後に開戦という中央からの情報がマインゲン市長にもたらされ、ハンメルは頭を抱えることとなる。5日後の15日にはギムの街を訪れる予定となっていたため、どのような顔をして相手に会えばよいのか大いに悩むこととなった。