4月10日正午。日満のロウリアに対する最後通牒の回答期限を迎え、クワ・トイネ公国首相のカナタは、蓮の庭園において政治部会の会議を主宰していた。日満の外交状況について、リンスイ外務卿から最終的な報告がなされる。
「もう間もなく正午を迎えますが、ロウリア王国政府から我が国政府や日満政府に対して最後通牒受諾の連絡はなく、更にはロウリア軍は我が国の国境を通過して、ギム防衛陣地に迫りつつあります。日満両国政府には事前の予想とは違って、懸命な外交努力に尽力していただきましたが、結果は残念ながら、ロウリア王国との開戦を避けることはもはやできなくなったと解するより他にありません。外務卿として日満両国にはこれまでの外交努力に対する謝意をテレビ通信にて行いました。首相からも日満両国首脳に謝意を表していただければと思います。」
「わかりました。午後3時から、日満両国とクイラの首相とのテレビ会議が控えています。このときに外務卿からの進言を実施しましょう。次に軍務卿から現在のギム陣地の状況について詳しい報告をお願いします。」
「わかりました。まずこちらの地図をご覧ください。
凄く精巧な地図となっておりますが、日満からの航空写真という、空からの魔写を拡大したものとなっております。今月4日の時点には、国境の森林地帯のロウリア側に大規模な部隊の集結が確認されております。それが8日まで徐々に増えつつも、街道を横切る動きを見せることなく野営を続けておりましたが、9日に至って徐々にではありますが、部隊の進発が確認されております。一時間ごとに魔写、いえ写真を撮ったそうですが、兵士の集団が一本の線となって街道を進軍している様子が、この写真からも見て取れます。彼らが集結する先は此処、国境の森林地帯が開けた形になっている広野です。また、森林地帯は途中から緩やかな起伏が生じており、我々がニージェイ高地やニージェイ山と呼んでいる高地の最高点がこの広野になります。広野は緩やかな傾斜があり、ギム防衛陣地が見渡せるような形となっており、どうしても敵軍が広野に到達した時点で、ギム防衛陣地の現状は知られてしまいます。かなり強化した、もはや要塞と言っても過言ではない陣地を見た敵軍がどう思うか。日満軍本部と現地の司令部では、ギム防御陣地で敵軍に出血を強要することで、戦争を有利に進めることを想定していますが、敵軍が果たしてこの要塞に突っ込んでくるのか、私としては訝しいところがあります。」
「それは、日満軍の当初の戦争計画に修正が必要であるということを軍務卿は主張されるのですか?」
シューン・ギック内務卿がマルータ・コンボウ軍務卿に質疑を投げかける。我々よりも技術的に優位にある日満軍の作戦が当初から破綻しているというのは、なかなか言いづらい話だ。
「いえ、私が個人的に思っているだけのことかもしれません。地形だけでも異様ですが、私はこの陣地の武装を知っています。だから、私はこの陣地を責めることなど考えることもできません。無駄に死体の山を築くだけです。しかし、彼らはそれを知りません。地形に戸惑いを覚えることは確かでしょうが、攻撃をしないという決定までできるかというとわかりません。ただ、何と言ってもこの異様さです。この畝状竪堀というのは、おそらく敵軍でも初見の地形でしょう。兵の通り道を誘導するということで少数でも大軍に対峙することのできるよく考えられた地形です。弓で攻撃するとすれば、おそらく盾を以て防ぐことができると考え、ある程度の損害覚悟で突っ込んでくることは予想できます。とはいえ、私ならこの地形の異様さに何か得体のしれない恐怖心を抱いて進軍を躊躇する。そういうわけです。」
「なるほど。日満軍の予想通りとすると、我々の損害はないかそれに極めて近い状態でロウリア軍に大打撃を与えることになるが、外れるとなると彼我の損害がないまま戦争の終結もありうるという事か。私としては、同様の効果が得られるなら戦費が安くて済む、予想が外れる方がうれしいが・・・」
マケーテ・オクレンカ大蔵卿が周りを見渡して苦笑すると、周りも苦笑する。
「先遣隊が躊躇しても、本隊が同様に躊躇するとは思えません。日満側から知らされた情報によると、今国境を越えて侵攻中の部隊は先遣隊であり、このあとで本隊がやってくるようです。軍部としては、先遣隊を徹底的に減らしておくことで、本隊の攻撃が躊躇する方が助かるのですが。」
「なるほど。そちらの方が合理的だな。」
「ええ、大蔵卿もご納得いただいたように、我々としては先遣隊と本隊が合流されるよりは、本隊の合流前に先遣隊が戦いを挑んでくれた方が後々の行動がうまく運ぶ可能性があります。しかし、先遣隊が攻撃を行ってくれるかはまだわかりません。」
「先遣隊の指揮官は誰かわかりますか?」
カナタ首相が軍務卿に問いかける。
「前線からの報告によりますと、先遣隊には、ジューンフィルア伯爵領軍の旗、オーランゲルーデ子爵領軍の旗、グレイブゲルト子爵領軍の旗、ナンベルハイト男爵領軍の旗が確認されています。地位からいえば、ジューンフィルア伯爵が先遣隊の指揮官であると予想されます。」
「なるほど、確かジューンフィルア伯爵領で物資の焼失騒ぎがあったと報告がありましたね。今回の戦いでその損害を補填するつもりならば、攻めてこざるを得ないのでは。」
「無論その意見は正しいです。ただ、それによって領民が多数死ぬことになれば、その方が長期的に見て領にとっては痛手ではないでしょうか。領主が攻撃を躊躇する可能性は十分にあります。」
「なるほど。やはりその時になってみなければわからないということですね。わかりました。軍務卿、日満側との意思疎通をしっかりとお願いします。さて、大蔵卿。日満との通貨協定についてはどうなっていますか。」
クワ・トイネ公国政府内部で対ロウリア戦を除いて重要な課題の一つが、日満側との通貨協定の締結であった。文明外国家の通貨の脆弱性についてはすでに述べた通りである。日満側はクワ・トイネの通貨を必要とせず、クワ・トイネ側は日満の企業から物を仕入れる場合には日満の通貨を必要とする。
日本円と満洲元の関係については、西暦1935年に日本政府と満洲政府との間に、「満日為替相場等価維持に関する声明」が発表され、日本円を基軸とする管理通貨制度が発足し、1日本円を1満洲元とする原則が生まれた。その後、変動相場制への移行に際しては、1日本円を1満洲元とする原則を大体において維持するために、日満両政府が為替介入を行った。海外の投資家からは不人気であり、市場を信用しないこの日満政府の行動は、西暦2007年に起こったレーマン・ショックに対して、日満通貨の価値を早期に安定させ、恐慌からの早期回復を為す要因になったことから再評価されている。
ロデニウス綜合開発共同事業体は、工員の給与の支払は日本企業の場合は日本円、満洲企業は満洲元とそれぞれの通貨で行った結果、クワ・トイネとクイラの日満共同租界では、円と元が使用される形となった。
こういう関係から日満共同租界に進出した日本企業も満洲企業も円と元のどちらの通貨でも決済可能としたため、租界内においてクワ・トイネやクイラの通貨が入り込むスキはなかった。日満両政府としても、租界開設の目的はあくまで、自国民の法的な保護と早期の国土開発のための各種の手続き簡略化を目的としたものであって、租界内で使用される通貨には考えが及んでいなかった。
各企業としても、工員が現地通貨での給与支払を希望したのであればともかく、そうでないのであれば、わざわざ手間のかかる両替をしてまで現地通貨で給与を支払うということをしない。さらに工員の側ももともとは期間契約の契約社員であって、いずれそれぞれの自国に帰るため、現地通貨での給与支払など希望しなかった。
悪いことはさらに続く。日満政府は、クワ・トイネ人やクイラ人との交流も兼ねて、日中は租界の出入り口をオープンにしていた。無論入国時には日没までに租界から退出するようにとの誓約を受けてのことであったが、租界内での買い物も可能とあっては、クワ・トイネ人やクイラ人は日満の通貨を欲するようになる。近隣の農家から農業収穫物、あるいは近隣住民から鉱石の購入を始めた日満の企業は、当初は購入に際して現地の通貨での決済を行っていたが、次第に売主の側が日満の通貨での決済を希望しだしたため、そちらのほうが楽でもあったため、原則自国通貨での売買に移行した。
このため、租界内だけで通用していた円元が租界外にあふれ出したのだ。円と元が現地通貨を駆逐しだしたのを、経済人は内心喜び、政治家官僚はともに頭を抱えることとなる。クワ・トイネやクイラの政府内部では、外交軍事の担当者の間では日満に対する評判はよいが、財務の担当者の間ではそれは非常に悪化していた。
オクレンカ大蔵卿はこれまでの交渉の概況を話し出す。
「大蔵局より権限を持たせた人間を日満の大蔵部局に送り、クワ・トイネ公国の国土内部では我々の通貨を使うように日満の商人に命令を出してもらうようにと、現に日満の国内では我々の通貨は使っていないではないかと、そういった方向性で交渉を行うようにと送り出したのですが、けんもほろろでした。第一に、政府が企業に過度に干渉するのは統制経済と言い、好ましい政策ではないということ、第二に、日満の憲法上臣民公権という権利があり、経済活動の自由は之に含まれ、政府がこれに安易に容喙するのは憲法違反となること、第三に、企業が自国通貨を使用するのは、結局それが利便性があるからであって、不便になることはしたがらないため、このようなことを行えば、企業の進出は止まり、クワ・トイネの発展スピードが落ち、それはお互いにとって損であるという事を挙げて、我々の希望は入れられませんでした。」
気落ちした大蔵卿は、リンスイ外務卿を見ながら話し出す。
「リンスイ卿は、日本人や満洲人は親切であり、礼儀を知り、お互いの利益を尊重する姿勢を見せていると言いましたが、話が違うではありませんか。相手方は我々の主張を一顧だにしませんでしたぞ。」
「いや、それは、我々が対応したのは外交部局の人間であって、外交と経済は違いますので、交渉のやり方も異なるのではないかと思いますが・・・。」
「どうだろうか。この件、外務局にも手伝ってもらって、田中公使や金公使から日満政府に話を挙げてもらうというのは。」
「いや、それはやめた方がいいでしょう。」
カナタ首相がコンボウ軍務卿の提案に反対する。
「別に日満が礼儀知らずの不親切な人間であるというわけではありません。理由を示したうえで反対したのです。それに、国家機関の人間、特に財政を預かる人間というのは、時にシビアな物の考え方を致します。それは、大蔵卿御自身が一番ご存じでしょう。ならば、我々の取るべき道は第一に、日満の商人が我々の通貨を欲するように持っていくこと。まずは、クワ・トイネ人がクワ・トイネ国内において我々の通貨で売買を行うように法を制定すること。当初は日満の商人も我々の通貨で我々の農家に支払を行ってきたのです。日満の商人にとっては元に戻すだけです。そういったことができないということではないでしょう。次に、クワ・トイネ人には、租界内での行動に制限を掛けます。具体的には、個人で売買を行わずに、我々が日満の企業と一括して契約を行い、その品を我々が国民に対して販売するようにすることです。その際に、我々が自国の通貨で支払うように交渉することが重要です。小口の取引なら嫌がられても、大口の取引ならばまだ見込みはあります。そして、これを大蔵部局だけの財政の問題としてではなく、お互いの外交的な問題であると認識してもらうことです。その意味ではコンボウ卿の提案は間違っていませんが、大蔵部局の頭越しに外務部局に話を通すと大蔵部局の顔を潰すことになります。相手も人間です。同格の部署間でそういうのは嫌がられるでしょうから、私が直接山上総理や李総理に話します。こうすれば国と国との問題として対応が可能となるでしょう。」
「しかし首相。それはそれで、大蔵部局の顔を潰すことに変わりはないのでは?」
「総理大臣には下位の者に対する指揮命令権限があると聞いています。ならば、大蔵部局に対する指揮命令の範疇で動いてもらいます。この問題放置すると厄介なことになります。ロウリアの侵攻を日満両国の助けを得て、我々は対処しています。我々一国だけならば、解決できない問題を両国が力を貸してくれているのです。ならば、この問題も両国の助けを得て解決に動くより他に手はありません。それには、我々も努力しなければなりません。すべてを日満に投げるようなことがあってはいけません。大蔵卿、そういう方向性で今度は話をお願いします。日満両国に何かをしてもらうのではなく、この問題が非常に重要であり、お互いの関係性にひびが入りかねないので、何か解決策はないか、我々にできることは無いのかとそういう方向性で話をお願いします。」
「わかりました。担当者には、そういう方向性でもう一度交渉をさせます。」
「頼みます。私は、両総理に話をしてみます。」
クワ・トイネ公国の問題は他にも山積している。それはまた別の機会に語りたい。