4月9日の朝9時頃、ロウリア王国軍東方征伐軍は、その先遣隊が不安を押し殺してギムに至る街道を東進し始めた。これ以上の遅延は許されない。東方征伐軍副将のアデムが督戦した結果無理やりにではあったが、進軍が開始された。しかし、その足取りは重い。
東部諸侯領軍司令部の重い空気は全軍に伝播し始めたからだ。兵士は司令部が抱えている不安が何なのかはわからない。兵士の中には耳に聡い連中がおり、それらから、どうも戦争の形勢があまり思わしくないことを知る。どうも斥候に出した連中が戻ってこなかったらしい。逃げたのか死んだのか、死んだのなら偵察者の死体が転がっているはずだ。
先遣隊の先陣を切ったグレイブゲルト子爵は、狭い街道の脇に目を凝らしながら馬を歩ませる。死体が転がっているのであれば、どういう経緯かはわからぬものの確かに偵察兵はやられたということだ。本陣に一報も入れることなくやられたということは相当の手練れが潜んでいるという事になる。子爵は兵士に命じて、側面の警戒を厳重にしながら行軍を継続していった。
マインゲンとギムの街は直線距離にして凡そ20kmある。マインゲン中心部から国境の森林地帯までは約2km。ギムからギム防衛陣地までは約3km、ギム防衛陣地からニージェイ高地の最高点である国境の森林地帯までは約2km。つまり約13kmの行程を森の中を進むということになる。すべてが直線ではないため、実際にはやや距離があるし、平地ではなく多少の起伏があるため、甲冑を着た兵士が一日で踏破するのはやや厳しい。
荷馬車を使用する行商人も同じで、一日で踏破するのは難しかったため、山小屋のようなものが中間地点に置かれていた。クワ・トイネとロウリアの行商人が共同で保守管理を行っていたが、クイラの獣人部隊によって破壊された。
グレイブゲルト子爵とオーランゲルーデ子爵は、この山小屋跡地で一晩明かすこととし、一応の見張りを建てた。だが、クイラの獣人部隊はもはや監視に注力しており、敵兵殺傷の任務を行っていない。少数の偵察兵を始末することはできても、多数の兵を殺傷するだけの武器を持っていないからである。ここで下手に動くと、警戒心を高めてしまう。彼らは、遠方から数取器(野鳥の会が使うアレ)を使用して敵兵の数を数え、無線にて司令部に伝える任務に切り替えていた。
翌朝、何の襲撃もなったことに両氏爵は安堵し、偵察兵が戻ってこなかった理由は戦争を前にして怖気づいて逃げだしたのだろうと見切りをつけ、進軍を再開した。彼らの見立ては間違っていたのだが、そんなことなどもはやどうでもよいと言わんばかりの事態が幕を開ける。
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グレイブゲルト子爵領ヘンゲン村出身兵士 ガルーデ
爺さんから先陣を務めるのは、兵士の誉れだという話を聞かされたことがあった。若い時にクワ・トイネと戦争になり、その時に徴兵された爺さんは、戦利品を村に持ち帰って、一躍有名になった。領主様が戦争に赴くので、村からも兵士を出すようにという指示が村役人からあった。俺も爺さんのように戦利品を持ち帰って、有名になるんだと意気込んで徴兵に応じたのはいいが、どうも様子が違う。
マインゲンで何日も足止めを食い、百人隊長もなにやら浮かない顔をしなさっている。どうかしたのかと聞いてみると、お前らは何も知らなくていい。ただ、俺が言う通りに動いていれば、戦争が終わったら村の英雄になれる。それだけ考えてればいいとなにやら景気のいいことばかり言いやがるが、顔と言葉が噛み合っちゃいねえ。
マインゲンから動かねえこと5日目にして明日の朝ギムに向けて出立すると命令があった。2日かけてギムの手前まで移動するとのことだ。街道に入ったら街道の右側を歩くものは右側の森を、反対の側は反対の森を注意深く見ながら歩くようにとのことだ。こんなとこから敵が襲ってくるってのか。森だぞ森。
そう思ってずっと歩いたが、結局何もなかった。森の中で夜を明かし、翌朝進軍を再開する。お天道様が西の空の正面に見えること、森を抜けることができた。山の頂上で百人隊長他先に歩いていた兵士がぼーっと突っ立って前を見ている。なんだよまあ、ここでテントを張って、後からやってくる領主様を迎える準備をしなきゃいけねえってのに、ぼーっとしている暇なんかねーぞ。
「隊長、何をしているんですか。はやくテントの準備を・・・。」
異様な光景が眼下に広がっていた。俺は無学だし、戦争のことなんか正直言ってわからねえ。だが、眼下にそびえる敵の防御陣地から伝わってくる殺気がここまで伝わってくるかのような感覚が襲ってきた。こいつはやべー。
「おい、ガルーデ。おめえ、ちょっと領主様の下に走って行ってくれ。至急、いや大至急森を抜けられたし、だ。この光景、俺もどう説明していいかわからねえ。敵の防御陣地を大至急確認しに来てください、これだけを必死になって伝えてくれ。いいな。」
「わ、わかりました。ガルーデ走って戻ります。」
畜生。そうか、偵察に出ていた連中が逃げ出したって噂は本当だったんだな。俺も逃げたいが、周りは兵士ばっかりだ。ここじゃあ逃げられねえ。どうにかして逃げ出さねえとやべーぞ。
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ギム防御陣地本陣 四か国軍総司令部
― 西部方面騎士団団長副官クレマン・ジラール
先日の夕方、森の中に潜伏しているクイラの獣人部隊から無線が入った。「ロウリア軍先遣隊、森の中ほどにて野営を実行中。我等は所定の作戦に従い、敵の兵数の計測を実施する。計測後、また連絡する。」
「とうとう来ましたな。」
ベルゲングリューン上将が、モイジ団長、いやモイジ総司令官に話しかける。ギム総司令部は、モイジ総司令官の下、ベルゲングリューン上将が参謀長として補佐する形式をとっている。
「ええ。あの位置で夜営して、翌朝進発するとすれば、明日午後3時過ぎには、敵の兵士はニージェイ山に到着するでしょう。そして、その数がどれだけ膨らむのか。ここからニージェイ山の正面は見えても、裏側は見えません。参謀長、ドローンによる偵察をこまめに行いたいと思いますが、いかがでしょうか。」
「焦ることはありませんぞ、総司令官閣下。先遣隊の最後尾は本日夜営して、明日のだいたし同じ時間にこちらに来ることとなるでしょう。クイラの獣人部隊から、おっつけ兵数の報告が来るでしょう。それを待ってから、兵種の確認などのために偵察を行うのがよろしいでしょう。」
「そうか。やはり私は焦っていたということですな。敵が目の前に現れた。連中を後ろに行かせては、ギムの街がどうなるかと思うと、力が入りすぎていたようです。」
モイジ総司令官が、柔らかく微笑む。無理もない話だ。ギムの街にはモイジ総司令官の家族がいらっしゃる。ここで奴らを撃滅しなければならない。
「それより、公都のほうに連絡を入れておくべきでしょう。もう間もなく実際に戦端が開かれることとなります。我等も本国に連絡しなければなりません。」
滝沢師団長がそういうや否や自分の副官に命令を出している。なるほど、そういう連絡は副官の役目なのだな。
「では、モイジ閣下。私の方から公都の軍務局に魔信を入れておきますが、よろしいでしょうか。」
「ああ、任せる。」
「ジラール副官。公都に連絡が終わったら、お願いがあるのですが。」
ベルゲングリューン参謀長が私に声を掛けた。はて、なんだろう。
「魔信をだいたい一時間ごとに彼らに流してほしいのです。ここはクワ・トイネ公国の領土である。早急に引き返せと。」
「え、敵はもう目の前まで来ているのですよ。今更彼らが引き返すとはとても思えませんが。」
モイジ総司令官も私も目が点だ。
「ええ、それでもです。一つは対外向けの宣伝目的です。我々は最後の最後まで避戦の言葉を投げかけ続けた。我々は平和を愛する集団であり、決して望んで戦争を行ったものではない。この立場を強化することが目的です。たとえ、ここで何万のロウリア兵が命を落とそうと、それはあくまでもロウリア側の責任です。もう一つは、警告、いや挑発とでもいうべきでしょうな。我々の陣地はロウリア側からしたら異様な形式です。このような防御陣地見たことは無いでしょう。知らないというところには、恐怖心が芽生えます。攻めかかるのに躊躇するでしょう。しかし、我々がそこに引き返せと戦いに消極的な様を見せるとどうなりますか。」
「なるほど。知らない恐怖心を与える存在が、戦いに自信の無い魔信を投げかけている。それも何度も。相手からすれば、恐怖心が薄れる可能性はありますね。」
「ええ、まあうまくいくかどうかはさておき、ここで彼らを逃がすわけにはいきません。やれることは何でもやっておくべきでしょう。」
「わかりました。ジラール。今の参謀長の申し出も含めて魔信の準備と実行を頼んだ。」
「了解しました。夜はどうしましょうか。」
「夜はまあいいでしょう。日が沈むまで続けて、魔信はまた明日の朝に再開しましょう。」
魔信室に向かいながら思う。いよいよロウリアとの戦端が開かれる。我々の戦力は確かに強大だ。しかし、それに胡坐をかいてはいけないだろう。気を引き締めなおさねば。