暦を確認したら、4月12日は日曜日でしたので、一部修正です。
著者紹介
りひろお。昭和35年6月、京畿道仁川市に生まれる。京畿道立仁川中学、陸軍士官学校を経て、20歳で陸軍少尉に任官。第20師団歩兵第76連隊本部に配属となる。陸軍大学校卒業後は、兵部省と参謀本部とを行き来するようになる。陸軍大佐55歳(2675年)で定年予備役となる。最終時の役職は参謀本部総務部総務課長補佐。現在は、帝國在郷軍人会京畿支部理事を務める傍ら京畿道会議員として地方政治に携わっている。
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参謀本部は大日本帝国における陸軍統帥を担う最高機関である。満洲帝國軍の事例を先にみたように、我が軍もまた陸海空軍の軍種に分かれる。(もっとも我が軍の場合は、陸軍、海軍、陸軍航空隊という名称分類とはなるが。)
参謀本部は、明治に設立されたが、現在の根拠法令は昭和21年軍令陸第3号(巻末史料)である。この法令の特徴たるは、副署した大臣である。これまで軍令は軍部大臣が副署し、内閣側が署名することは無かった。しかし、法令の公布について定めた公式令(明治40年勅令第6号)が改正され、軍令には、内閣総理大臣と主任の軍部大臣及び主任の軍部長官が副署することとなった。内閣総理大臣が署名することで統帥に関することも国務であるとする観念が醸成される嚆矢となった。しかし軍部長官が署名することで、統帥は軍部が握るものであり、国務の容喙を許さずという行政慣行が一掃されたわけではなかった。
参謀本部の編制は参謀総長が定めることとなり、これは各省大臣が各省の局より下の分課規定を作成するのと同様の権限である。ただし、各省分課規程が官報に公示されると同様に参謀本部の分課規程が官報に公示されるわけではない。これは参謀本部の組織が非常に機密性の高い職務を含有するためである。
こういう関係で参謀本部の分課規程は現時点では公開されていない。しかしながら、参謀本部の組織全てが機密たる職分を持っているわけではない。筆者が勤務した参謀本部総務部などは、機密も扱う部署ではあるが、それは各省の大臣官房も同じことであり、そういった部署についての情報は軍機保護法(昭和12年法律第72号)も柔軟対応をしている。そして、それを裏付けているのが、政府軍部の刊行物である。
兵部省の刊行物である国防白書、参謀本部の刊行物である陸軍白書などには、参謀本部の組織の概要が掲載されている。以下がそれである。
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参謀本部
参謀総長(陸軍大将)
参謀次長(陸軍中将又は陸軍少将)
総務部
総務部長(陸軍少将)
総務課長(陸軍大佐又は中佐)
人事課長
教育課長
第一部(作戦編制動員)
第一部長
作戦課長
編制動員課長
第二部(情報諜報)
第二部長
企画課長
第三部長(運輸通信)
鉄道船舶課長
車両課長
通信課長
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高等官官等俸給令(明治43年勅令134号)によれば、陸軍大将は親任官、陸軍中将が高等官一等、少将が二等となり、ここまでが勅任官である。大佐が高等官三等となり、以下少尉の高等官八等までで奏任官となる。これが我が国の陸軍武官の官等である。
各省大臣クラスが親任官であるため、参謀総長と同身分となる。参謀次長は各省次官クラス、各部長が各省局長クラスとなる。各部課長はこれも各局課長職が三等から五等の等級にある書記官から補職されるため同クラスとなる。
また、参謀本部は大本営陸軍部を構成する一部局としての側面もある。
大本営は我が陸海軍を統合運用するために設けられた機関である。大本営は総務部、陸軍部、海軍部、航空部、情報部、兵站部に分かれており、大本営陸軍部長は参謀総長の、海軍部長は軍令部総長の、航空部長は作戦総長の兼任となっている。情報部は参謀本部、軍令部、作戦本部の各情報部長が副部長を兼任し、情報部長は文官である内閣情報局副総裁が兼任している。兵站部は、参謀次長、軍令部次長、作戦次長が副部長を兼任し、兵站部長は兵部次官の兼任となっている。
大本営は、陸海軍統合作戦のために設けられた組織であり、特に他職と兼任はなく、総務部長は陸海軍中少将が補任されることとなっている。
(巻末資料)
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朕参謀本部條例ヲ改定シ之ガ施行ヲ命ズ
御 名 御 璽
昭和二十一年二月十一日
内閣総理大臣 町田 忠治
陸軍 大臣 安藤 利吉
参謀 総長 梅津美治郎
軍令陸第三號
参謀本部令
第一條 参謀本部ハ国防及用兵ノ事ヲ掌ル所トス
第二條 参謀本部ニ総長ヲ置ク親補トス
総長ハ天皇ニ直隷シ帷幄ノ機能ニ参画シ参謀本部ヲ統轄ス
第三條 総長ハ国防用兵ノ計画ヲ掌リ用兵ノ事ヲ伝達ス
第四條 参謀本部ニ左ノ職員ヲ置ク
次長
副官
部長
課長
部員
附
前項職員ノ外必要ニ応ジ出仕トシテ士官ヲ置ク
第五條 次長ハ総長ヲ補佐シ各部ヲ監督シ部務ヲ整理ス
第六條 副官ハ総長ノ命ヲ承ケ庶務ヲ掌理ス
第七條 部長ハ総長ノ命ヲ承ケ課長以下ヲ指揮シ其ノ主務ヲ掌理ス
課長及部員ハ各上官ノ命ヲ承ケ服務ス
第八條 総長、次長、部長、課長及部員ハ参謀官トス
第九條 出仕ハ総長ノ命ヲ承ケ服務ス
第十條 在外帝国大使館及公使館ニ大使館附武官、公使館附武官及同補佐官トシテ兵科将校ヲ置キ総長之ヲ管ス
第十一條 附ハ准士官、下士官、兵、陸軍書記又ハ技手ヲ以テ之ニ充ツ各上官ノ命ヲ承ケ服務ス
第十二條 参謀本部ノ編制ハ別ニ之ヲ定ム
第十三條 参謀本部ニ於ケル服務規程ハ総長之ヲ定ム
附 則
本令ハ昭和二十一年三月一日ヨリ之ヲ施行ス
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大日本帝國東京都三宅坂 参謀本部第一部作戦課
― 参謀本部第一部作戦課員 陸軍書記 石井三次郎
参謀本部作戦課は定時が午後5時であるため、午後6時ともなると普段であれば人はいない。参謀本部全体で2名の宿直勤務者が置かれており、宿直室で緊急の通信などを処理することがあるくらいである。ましては本日は日曜日。通常であれば、宿直勤務者が2名出勤するのみで、業務と呼ぶようなものは行わない。まあ、まれに休日出勤で溜まった業務を片付けに来る職員もいないわけではないがね。
しかし、本日は午前の時点で課員全員に非常呼集が命じられており、前線から通信で送られてくる戦闘概報などの処理にあたっていた。午後6時の時点でも、クワ・トイネ公国西方都市ギムとギム防御陣地から送られてくる情報の集約と整理に課員は総出であたっている。室内にあるホワイトボードには、前線からの報告書や状況の要点などが磁石で止められたり、走り書きされて課員全員が状況の把握と大本営や兵部省に渡すための資料作りに追われている。
陸軍書記という職は文官職だ。武官だらけの参謀本部では異色の存在とはいえるが、こういった資料整理などを行う人材は必要だ。
俺は、午後1時から一時間の休憩を挟んだのちは、机の上で官庁推奨の初芝製の電算機(パソコン)を使用して、官庁推奨の表計算ソフト「三四郎」を使用して、各部隊の戦果、被害数、消費物量数などの計算とグラフ化などを行っていた。午前中の情報を纏め終わったのは、午後3時半過ぎのころだ。我が軍の各部隊から集約した結果は、戦果1367名、捕虜23名、被害としては、戦死は0、負傷が12名だった。だが、鍬人の負傷者が多数いるとの別電があった。
作戦課長に作成した資料を渡し、満洲陸軍統帥本部から送られてくる資料とも付け合わせて、全体の戦果数などを資料にしてほしいとの命令を受けて、その作業にあたっていた4時過ぎ、前線で再度戦闘が開始されたという至急電が到着した。
作戦課はまた忙しく人が動く。先ほどと同じように、参謀本部各部や大本営、兵部省に連絡を入れる者は電話での連絡を行い、俺は再度表計算ソフトの新たなファイルを作って計算を始める準備をしていた。
前線からの報告がちょくちょく入るが、今回はなかなかの激闘が行われているらしい。我が軍に戦死者が出たと聞いた作戦課長は眉間にしわを寄せて、前線の司令部と電話を行っていた。
「それで。うん、まだ集計中というのはわかった。概報でいいから。それはいつわかるの?いや、わからんじゃ困るって。マスコミにもね。記者発表を待たせ取るんですよ。」
作戦課長の石毛陸軍大佐がイラついた声でしゃべり続けている。机上の灰皿には煙草の吸殻が山になっている。
「ともかくね。詳細はさ、翌日の朝刊に間に合うように、21時くらいまでには頼む。まずは、概報だよ。だいたいの戦果と被害。これがないとマスコミ発表ができん。うん。つまり近衛師団の戦果はだ、敵野戦軍の全滅というよりも殲滅だねそれは。捕虜多数。我が方の被害は、死傷者10名程度。それで、倒した兵はだいたいどれくらいの数で、いや大体でいいから大体で。そう5割以上ね。6割。残りが捕虜ということだね。よし、それで分かった。ありがとう。こっち戻ってきたら一席設けさせてもらうから、うん。はい。」
敵野戦軍殲滅か。素晴らしい戦果だな。ロウリア軍の機先を制した形となったわけだ。石毛大佐が受話器を置いて席を立った。
「諸君。我が近衛師団を含むクワ・トイネ派遣軍は敵野戦軍を殲滅させた。捕虜多数。敵の12000名近くが捕虜だ。まずは、緒戦の大戦果だ。我が軍の損害は極めて軽微。第一部長に報告後、記者会見が行われるので、手すきの人員は、会見場の設営に回ってくれ。総務部と第三部からも応援を頼んでくれ。文官は集計に尽力を頼む。明日の朝刊に間に合うように、詳細データを作成してくれ。」
石毛大佐が部屋を出ていく。とりあえず、コーヒーを淹れてくるか。