満洲帝國の首都新京特別市は、その名称が示す通り、ただの市ではない。
満洲帝國の地方自治体は広域自治体として「省」が設けられている。法的な位置づけとしては、日本の都道府県に相当する。この省の下には、市(県級市)と県が存在する。これらは日本の市郡に相当する。そして、この下に県級市には区が設置され、県には市、鎮、街が設置される。なお、興安省や黒河省などの蒙古人が居住する地域では旗という単位も存在している。
新京特別市は、満洲国で唯一「省」の監督下にない市で、自治の権限も省に匹敵する位置づけとなっている。但し、いくつかの違いもある。例えば、任命についてであるが、各省長官は省の議会である省会議長の推薦(推薦者を決定する際に行われるのが、省会議員、県級市会議員及び県会議員での選挙である。被選挙人は該当する省の住人である。間接選挙制を採用している点は日本の都道府県首長と同様である。)に基づいて皇帝が任命する。新京特別市長は、新京特別市会が意見を述べる権利は与えられているが、国務総理大臣の任命となる。
新京特別市は、満洲帝國の首都であり、各国の外交使節が駐在している。新世界転移以前から存在する各国大使館公使館の近辺に新世界の公使館が建設されたのは、日本国と同様である。日本大使館の近辺にはクワ・トイネ公使館とクイラ公使館が設置され、マオ公使館とトーパ公使館はロシア大使館、シオス公使館はドイツ大使館、アワン公使館はオーストリア=ハンガリー大使館、アルタラス公使館はフランス大使館の側に其々設置された。
各々の公使及び公使館職員は、其々の大使館から日満両国が基調としている外交ルールのレクチャーを受け、電子機器などの操作に習熟するための訓練を受けていることは日本駐在の公使達と同様である。
満洲帝國に駐在する各国公使は、マオ王国に駐在する各国大使館員から選ばれた。公使が大使よりも格落ちするというところから大使館員でも可と判断されたこと、国交樹立から間もないことから公使館員の数も少なくても問題ないと考えられたことから、マオ王国の大使館駐在員から数名を満洲国に派遣することで実は日本国よりも満洲国に着任する公使の方が早かった。
彼らは、マオ王国首都ペピーンを出立し、満洲国とマオ王国の国境を越えて、少ししたころには、街の様相ががらりと変わったことに驚き、移動手段が馬車から鉄道に変わるころにはさらに驚き、新京の高層建築・高度文明を見たときには震えあがっていた。仮の公使館に到着してすぐに魔信を通じて、本国に満洲国が尋常ではない国家であることを説明しようとしたが、彼ら自身がこの状況をうまく説明することができず、また本国からも長い海外生活に加えて、未開(と本国は考えていた)の国家に左遷されたことが相当に堪えたのであろうと簡単に考えていた。
マオ王国はロウリア王国と国交を結んでいた。第三文明圏外では、ロウリア王国は強国であった。ロウリアがロデニウス大陸の統一を考えていることは、マオ王国も把握しており、軍事強国化をさらに強めることに警戒心も持っていたが、マオ王国とロウリア王国との間には海があり、ロウリアがマオに攻め込むことは容易ではなく、いつか発生するであろう統一戦争には不干渉の立場で臨むことを考えていた。
しかし、そこに満日両国という異物が突如として現れた。満洲国とは当初緊張関係にあったが、満洲国側に敵意がないことがわかると国交樹立に動いた。国境線を不安定なものとすることはマオ王国側からしても避けるべきことであったし、さらには国境を守護していたナン辺境伯から決して敵対するようなことがあってはならないという報告があったことも後押しとなった。
そうであっても、王国宮廷は日満側の実力については特に関心がなかった。ナン辺境伯は、満洲側と交流を深め、積極的な友好関係を構築すべきであるという意見書を提示していたが、王国宮廷としては満洲側と敵対的な動きをしないのであればよく、ことさらに積極的な動きをする必要はないと考えていた。ロウリアがクワ・トイネとクイラに攻め込もうという動きを強めているとき日満から共同勧告の提案があった時も、わざわざロウリアとの間に波風を立てる必要はなく、また満日側も強硬に共同勧告実現について要請してこなかったため、宮廷の決定を大きく動かすような形とはならなかった。
事態が急速に動いたのは、4月12日である。早朝から午前中にかけてのロウリア王国によるクワ・トイネ侵攻が頓挫したころ、まだマオ王国宮廷は、ロウリアの軍事行動すら掴んでいないころである。昼前から日満の公使館員の動きがせわしなくなっていたと思ったら、数時間後にはロウリア大使館員の動きも激しくなり、マオ王国外務尚書にロウリアの大使が面会を申し込み、満日両国についての質問を行うに至ったのである。更には、それと並行して、満洲公使と日本公使からロウリア王国に対する開戦宣言書の写しが外務局に届けられるとともに、満日駐在のマオ公使館からも満日両国による対ロウリア宣戦布告の情報が魔信によってもたらされた。
宮廷も日満鍬杭とロウリアとの戦争状態を認識し、今後の対応を協議していた。そこに、マオ駐在のアルタラス大使館から極秘の依頼が飛び込んだ。曰く、ロウリア王国は満日両国を良く知らずに、クワ・トイネとクイラに攻め入った。これでは、アルタラス産の魔石の大量購入国であるロウリア王国が危機的な状況に陥る事にもなりかねない。ロウリアに事態を正確に認識させるためにも、アルタラスのマオ大使館から満洲のアルタラス公使館に人員を移動する際にロウリアの大使館員をアルタラス人として外交官の身分で送るので、マオ王国側もマオ王国の外務局員として満洲のマオ公使館にロウリア人をマオ王国人として送り込んでほしい。見返りにアルタラス産の魔石を融通する。という内容であった。
マオ宮廷は、アルタラスがロウリアの敗北を予想していることに驚いていた。しかし、これには裏がある。
アルタラス本国のユグモンテ外務卿は、満日のロウリア宣戦布告時の会談で満日に対しての警戒心を引き上げたが、だからといって自国が矢面にたって、満日と事を構える状況ではないと考えていた。何しろ、アルタラス王国は島国であり、外征を行うための軍備は持っていなかった。隣国であるパーパルディア皇国ともロウリア王国とも事を構えるような相手ではなく、ロウリアに追随して満日相手に軍事行動を起こすことのできる前提が存在しなかった。そこで、ロウリアを通じて満日に対するスパイ活動をおこなうことを考えた。
国交を結んでいる以上外面はよくしなければならない。マオ王国現地で採用したマオ王国人と思った人間が実はロウリア人であったということに留める必要があった。このため、外交官ではなく、従者として採用したものとするのが、アルタラス本国がマオ駐在の大使館に宛てた指令であった。
ところが、マオ駐在のアルタラス大使館員は本国からの指令が満日両国に露見した場合を恐れた。先にも書いた通り、満洲駐在のアルタラス公使及び職員は元マオ駐在の大使館職員であるため、満洲駐在の外交官はマオ駐在外交官と頻繁に連絡を取っていた。距離的に近かったことも幸いして、十分な説明を行うことができた。これにより、本国からの指令を従者に扮したスパイ活動を行う諜報員としてではなく、正規の外務局職員として在満公使館で監視付きの勤務者として、ロウリア本国に日満と戦争を継続することの危険性を知らせるメッセンジャーとして扱うことにした。
マオ宮廷がアルタラス大使館職員からの説得に応じてロウリア人の雇用を決め、満洲国に送り出し、彼らがマオ公使館とアルタラス公使館に到着したのは、4月24日のことであった。
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満洲帝國新京特別市 駐満アルタラス公使館
― 在満アルタラス公使館二等書記官 ジャスティン・ブラナー(在マオロウリア大使館二等書記官)
馬車で揺られて、満洲国との国境に到着したのは昨日の夜になってからだった。そこから国境の監視所に向かい、外交官であることを証明する書類を提示したらすぐに入国ができたが、この監視所の建物は三階建ての大きな建物であった。室内は昼と同様の明るい光の中に包まれており、清潔感で溢れていた。監視所を出ると、外であっても街の明かりが明々としていたのが印象的であった。この国境の街は、満洲帝國浜江省東寧県綏芬河市というらしい。マオ王国と満洲国との国境の街のひとつとのことだ。ここから鉄道に乗り換え、恐るべき速度で移動する乗り物で満洲国の首都新京にやってきた。
新京駅に到着し、その建物を出ると、この世のものとは思えない光景が広がっていた。何十階建てか一目ではわからぬ高い建物が何軒も連なっており、馬が引かない馬車それも普通の馬車の何倍もの大きさのある馬車が尋常ではない速度でジンハークの中央通りよりも広い大通りを行き交い、道路は硬い岩のようなものでおおわれており、等間隔に樹木が並んでいる。
ぼーっと立ち尽くしていると迎えがやってきた。公使館公用車という車に乗り込み、アルタラス公使館に到着する。そばには、青白赤の旗が翻っている建物があった。おそらくあれが事前に聞いていたフランス王国大使館なのだろうと思った。
アルタラス公使館はまだ建築中の為、平屋のユニットハウスという建物が5棟設置されていた。それぞれ玄関と応接室を設置した棟、公使館職員の勤務する棟、公使執務室と公使応接室が置かれている棟、公使館職員の居住する棟、公使公邸として使用する棟と別れており、玄関棟と公使館勤務棟と公使執務棟は繋がっていた。
玄関から公使執務室へと入り、着任の挨拶をする。今回在満アルタラス公使館勤務となったのは、私の他に2名。一等書記官と二等書記官が一名づつだ。マオから一緒にやってきたのは二等書記官。アルタラス本国からやってきたのは一等書記官だ。
着任の挨拶を受けたのは、ジェラール・ジュアン公使。元在マオアルタラス公使館の一等書記官だ。公使の他には、一等書記官が1名、二等書記官が2名の総勢4名体制で始まった組織も3名が追加となった。
「遠路はるばるよく参られた。ジェラール・ジュアン満洲帝國駐箚アルタラス王国特命全権公使です。貴官等の職務は、一等書記官が私の公務日程の補佐と私の代理、二等書記官が一等書記官の補佐と満洲国で発行されている文書の共通語翻訳となる。最優先で進めている職務は、満洲国からの軍事支援協定の本国への説明用文書の作成と本国の説得、そして満洲国側の説得だ。もう知ってのとおり、満洲国はロウリア王国と戦争中だ。そして満洲国はその初戦でロウリア野戦軍壊滅の大戦果を挙げている。私は、なんとしてもこの国と軍事支援協定を締結して、この国の武器を輸出してもらわなければならないと考えている。
二等書記官には、この国の軍事関係の書籍の翻訳を並行して行ってもらいたい。新京市中の図書館では、無料で書籍を借りることができる。我々の予算では、本を買うことはできるだけ避けたい。それでも、この国の本の内容を本国に届けることは重要な任務と心得ていただきたい。
では、本日は宿舎で休んでいただいて、周辺の散策にでも出かけていただきたい。あと、ブラナー二等書記官は少し残ってもらいたい。」
私以外が公使執務室から出され、足音が段々と遠ざかっていくのを聞いていた公使は、足音が聞こえなくなるなると、一度ドアを開け、周りに人がいないことを確認した。そして私の側に戻った後に公使が話し出す。
「もうわかっていると思うが、君はあくまでもアルタラス公使館所属の一等書記官として職務を行ってもらう。職務で見聞きした情報をどう扱うか、それだけは君に一任する。ただし、満洲国に対して敵対的な行動については一切禁止する。」
私は予想されたとおりの申し出について苦笑した。
「ええ、勿論わかっております。この国にケンカを売った本国が少しでも早いうちに戦争を終わらせることができるように私が見聞きした情報を本国に送るだけです。」
「弁えているのであれば問題ない。本国への報告には、駐シオスのアルタラス大使館に向けてメールを送り給え。そこから、シオスのロウリア大使に連絡を入れるのが、君の本国に一番早く情報が届くはずだ。メールについては、また後日教える。この国での職務はパソコンを使うことになる。その操作方法を覚えてもらわなくては、仕事にならない。」
了承し、何か聞いておきたいことは他にあるかと問われたので、この国に到着してからずっと思っていたことを聞いてみた。
「どうしてこのように危ない橋を渡ることを了承されたのですか。この国であっても身分を偽ることは犯罪であるはずです。敵国人を迎え入れることは危険なのではありませんか。」
ジュアン公使は溜息を吐いて、私の問いに答えた。
「先にもいったように、私は満洲国に対して軍事支援協定の締結を提案したいと思っている。そのためには、この戦争を早く終わらせて、出征部隊を戻す必要がある。それとなくこの国の外交部に聞いてみたが、戦時中に他国の支援を行うのは難しいという話を得た。まあ、それは道理だ。アルタラスに武器を渡すよりも自軍で消費する方が優先だ。だから、私はこの戦争を早期に集結させるために、ロウリア本国が満日両国の実力を正確に知るための手助けをする必要があると思っている。この戦争は、満日両国軍がロウリアを蹂躙するだけの結果しか見えない。ならば、早期に終わってくれる方がロウリアにとっても、アルタラスにとっても、満日にとってもよい。そのためには、ロウリア自身が情報を手に入れることが必要だ。だから、こういう形となった。これが答えだ。」
その答えを聞いた時、私はもう一度苦笑した。
「そうですな。この戦争。我が国に勝ち目などありません。ただし、本国がそれに気づくのは難しいでしょう。私の言葉も上層部に受け入れられるかどうか。この国に来たことが無いものにとっては信じることは難しいでしょうね・・・」
ジュアン公使は再度溜息を吐いて私の顔を眺めていた。そして、うちも同じだよとつぶやいた。なるほど、どこの国の上層部も同じような状況という事か。だが、それでも、我が国と違い、アルタラスは戦争をしていない。ならば、なにか打開策がありそうだが・・・。