大日本帝国の地方統治機構は、俗に「1都3府20道49県」という73都道府県の広域地方自治体によって分割統治されている。この地方自治体であるが、設置根拠が若干異なる。
地方自治体たる道府県については、道府県制(明治32年法律第64號)という法律により規定されている。この法律により、議決機関たる道府県会と副議決機関たる道府県参事会、執行機関たる道府県知事の職務権限が規定されている。さらに、地方行政機関たる道府県の設置に対しては、地方官官制(平成2年勅令第147號)において、知事以下の職務権限や内部部局定員が規定されている。
これに対して東京都の場合には、独自の立法がなされている。地方自治体たる東京都を規定するのは、東京都制(昭和18年法律第89號)であり、地方行政機関たる東京都を設置するのは、東京都官制(昭和61年勅令第284號)である。
東京都と道府県の差異は、いくつかある。一つ目が首長の違いである。首長の名称を東京都は東京都長官と言い、道府県は道府県知事という。
都長官と道府県知事とは官等も変わる。東京都長官は親任官であり、道府県知事は高等官一等乃至二等である。後述する勅令指定都市を抱えている道府県の知事は高等官一等(各省次官、陸海軍中将)、それ以外は高等官二等(各省局長、陸海軍少将)となる。
首長は地方議会の推薦という名の選挙を経て任命される。その全てに於て議会(東京都の場合は都議会、道府県の場合は道府県会)議員の選挙となり、勅令指定都市のみ市参事会員に投票権がある。被選挙権者は、道府県の場合は、原則としてその都道府県に住所を有する者とされているが、その前提として内務省地方局が所蔵する○○道府県知事推薦者名簿に登録される必要がある。この名簿の登録には内務大臣の認証を必要とする。東京都の場合は、内閣官房が所蔵する東京都長官推薦者名簿があるが、この登録には閣議決定が必要である。
二つ目の権限について、その大きな違いとして、道府県は道府県警察を所管するに対して、東京都は警視庁を所管しない。確かに、警視庁は他の道府県警察と同様に自治体警察の面もあるが、国家機関として別途警視庁官制として勅令を以て内務部局も組織されている。道府県警察は地方官官制によって大枠が定められ、各道府県知事の命令である道府県令を以てその内部部局が定められている。
都道府県という広域自治体の下に基礎自治体である区市町村が設けられている。
区は東京都制にて規定されており、特別区とも称される。特別区には区会という地方議会が設置される。その職務権限は市の議会である市会のそれに並ぶ。区の首長は区長と呼ばれる。区長は区会の選挙で選ばれる。
市町村は、市制及び町村制という法律によって規定されている。市制第六條は、「勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス其ノ財産及造営物ニ関スル事務其ノ他法令ニ依リ区ニ属スル事務ヲ処理ス」とある。この勅令で規定される市は区を置くことができるが、この区は行政区とも称され、区の議会を設置することはできない。区長は市長の任命により選ばれる。
この世界には、名誉市長(無給)を置く事例が多くみられる。例えば、福岡市には、黒田侯爵家当主が代々福岡名誉市長として就任していた。旧大名家の当主はそのような形で封建社会の名残を残していた。また、町村制の既定では、町村長は名誉職であることが原則であったことから、知行取の旗本や各家中の武家の中には、町村長に就任して、封建社会の町村の統治体制を近代にスライドさせたような形で残したものも多かった。
そして、国主格と言われた大名家は名誉職県知事として就任することも多かった。先の黒田侯爵は福岡県の名誉知事として代々就任している。
東京の場合は、徳川公爵家がそういう地位に該当し、代々名誉東京府知事、名誉東京市長として就任していたが、東京府が東京都に制度改変した際に東京市が無くなった。しかし、徳川家への配慮から、東京市長という名称だけは残り、徳川公爵家は、存在しない市の市長として今も尚、その名をとどめている。
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宮城東御苑旧本丸地域にはコンテナハウスが早速設置された。征夷大将軍に就任した徳川慶幸公爵は、このコンテナハウスで寝食を行い、各部局からの報告書に目を通し、必要な提案を行っていった。
まず、山上内閣総理大臣、飯尾枢密院議長、近衛貴族院議長、山崎衆議院議長、真柴大本営総監、鄧会計検査院長、元木大審院長の7名に対して、各位が戦時に対して最も必要と感じる行動をとるように要請した。
更に具体的な行動指針についても指示を発した。帝國議会に対しては、両院協議会による法案審査を原則とするように要請し、巧遅よりも拙速を重視した法案成立による政府のバックアップを依頼した。枢密院には枢密院の保有する勅令審査権限を一時凍結し、政府案を無審査で成立させるように要請を出した。もちろん、法律も勅令も戦後に再審査をするよう内閣に約束させている。
大本営には、派遣軍が必要な武器物資を入手できるように内閣と協調することを説き、ギム西方陣地防衛戦で陸軍部隊に死者が出たことを理由とした真柴元帥の進退伺をひっこめさせた。
会計検査院には、戦後会計監査に不備があった場合に備えて、今の内から必要な手を打っておいてもらいたいが、それは統帥を極度に掣肘しないように注意してもらいと要請した。
大審院には、戦時において軍の不利益となるような違法行為については厳罰に処するように大審院検事局より下級審検事局に通達を出してもらうように依頼した。
征夷大将軍には、実は法令に規定されている職務権限というのはない。あるのは、天皇により任命される際に発せられる「朕を補佐し、兼ねて大政を委任する」という文言こそがその全てを示している。内閣も帝國議会も軍も天皇の補佐を行う機関であって、大権を委任される機関ではない。征夷大将軍徳川慶幸公爵は、その委任された天皇大権をフル活用して国家機関を調整している。
『もう間もなく吉田司令長官が攻撃を猶予した一時間が経過しようとしています。ロウリア艦隊は変わらず東進を継続しております。先行した水雷戦隊も距離を保持したまま、ロウリア艦隊を捕捉し続けております。』
「変わらずか・・・」
千駄ヶ谷の公爵邸に比べれば、驚くほど殺風景なコンテナ部屋の主、徳川公爵は、テレビ画面を見ながらひとりごちる。
「やむを得ません。ロウリア海軍としてもあれだけの数を数えた大艦隊です。20隻ほどを沈められたからと言って引き下がるとは思えません。」
「まあ、そうよな。10数隻の艦隊に対して戦いを交えずに撤退するという訳にもいかんでしょうな。」
かぶりを振りながら、尾張候である徳川外務大臣が徳川公爵の独り言を拾えば、紀州候である徳川茂頼貴族院議員が相槌を打つ。部屋の中には、徳川本家と徳川御三家、徳川御三卿の当主が揃っている。徳川家の人間は日本の政界、官界、軍部、学会、財界、言論界と多様な分野に散らばり、そこである程度の地位を築いている。
「しかしな。御上は皇軍将兵を虐殺者にしたくないと仰せであった。今後の戦闘経過を考えてもみるがよい。戦艦以下の艦艇の主砲が敵艦隊に向いているということは、今後は艦砲射撃による敵艦隊の殲滅戦ということになるのであろう。相手方には我々の攻撃を跳ね返すだけの力はあるまい。ただひたすらに討たれていく。攻撃する方もあまり愉快なことではない。」
内大臣府秘書官長を拝命している田安徳川家の徳川家行侯爵が心情を吐露すると周りも深いため息をついた。内大臣府は宮中と府中を繋ぐ官職として設置されており、内大臣は首相が辞任する際に次の首相を決める首班推薦会議の議長を務める。それゆえに天皇に近い職であり、秘書官長は内大臣の裏方として実務を請け負っているため、天皇の心情も身近に接することができる職である。
「とはいえ、事前の作戦計画では、半数を撃沈することで敵の士気をくじくこととなっております。半数を撃沈破すれば、半数は助かる見込みが高いです。また、半数を撃地破するといっても、海上の救助活動で助けられる捕虜も出てくることでしょう。御上には、それでご納得いただくより他にありません。」
軍令部第一部勤務の清水徳川家の徳川治智侯爵海軍大佐が話をつづけた。海軍内部では半数を超過する損害を与えることになるだろうと踏んでいたが、漏れ聞こえる天皇の内意に敵に与える損害をなんとか調整するようにと派遣艦隊に通知していた。もとより、戦場でどういう活動が行われるのかについては、艦隊司令長官の采配によるものであったが、現状彼我の艦隊相互の距離は十分に離れている。損害のコントロールは十分に可能だろうとみてよいだろう。
『吉田長官より攻撃開始の下達があったと報告がありました。戦艦常陸から主砲発射用意のブザー音が流れています。常陸の主砲が間もなく発射されようとしております。』
「さて、今後の戦闘経過では・・・。外相、講和要求案は出来上がっているのですかな。」
「はい、外務省内で我が国の原案は纏めて終わっており、現在は満洲国と調整中です。二か国原案を以てクワ・トイネとクイラとの協議に臨む予定となっております。」
「うむ。あとは、マインゲン陥落だな。それがあれば、中立国を通じての講和要求ということになるだろうな。」
「上様の御想像の通りです。マインゲン割譲は要求項目となっております。」
徳川慶幸公爵は、テレビ画面を見ながら、徳川外相に話しかけていた。