大日本帝國東京はこの国の首都である。この事実は、他国からすれば、厳然たる事実としてとらえられているが、日本国国内においてはやや趣がことなる。
皇室典範第十條には、「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」とあり、第十一條には、「即位ノ禮及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」とある。同じ君主国である、イギリスの事例を参考にすれば、前王の崩御後に「セント・ジェームズ宮殿」で、イギリス首相や首相経験者、枢密顧問官、英王冠領英自治領諸国の代表者などから構成される「王位継承評議会」が開かれ、王位後継者の公式な即位が布告される。これが、「践祚」と表現されるだろう。そして、「即位の礼」にあたるのが戴冠式である。戴冠式は「ウェストミンスター寺院」で執り行われる。イギリスの場合は、践祚も即位式も同じくロンドンで行われる。それに比して日本においては、践祚=皇位継承の告示と即位式が違う場所で行われるのである。
この事実に着目して日本国内においては、日本の首都は京都であるという言説がある。曰く、「即位礼」は内外に皇位の継承を「お披露目」する儀式である。その式典の場所が京都において行われるということは、それだけ京都の地位が高いことを意味する。「東京奠都の詔」には、天皇が東京において政務を執行することを宣言している。しかしそれは、維新の混乱のため東国の民心を安定させる目的があったためである。政治に終わりというものは存在せず、神武創業の精神に基づく政治は現在も継続している。つまり、明治維新は現在も継続しており、天皇は現在も民心の安定に努めるために行幸を継続しているに過ぎない。現に天皇の玉座である高御座は今も京都皇宮にある。玉座が移動していない以上、京都が首都であるという事実は揺るがない、というのが京都単独首都論(提唱者の京都帝國大学文学部教授岩橋幸三(国史学講座)の名を取って岩橋論、京都学派とも呼ばれている。)の趣旨である。
この理論は、国際的な意味での首都の定義、すなわち首都機能という政治権力の中枢はどこかという点を全く無視しており、首都という言葉をある意味文学的な修辞でのみ用いているため、国際的には通用しない理論であった。そこから、実社会の状況に沿った理論が産まれた。まずは、東京帝國大学法学部教授(第二国際公法講座)であった三雲純一が提唱した東京単独首都論(三雲論、国際学派、東京学派とも呼ばれる)である。国際的な首都の定義である立法、行政、司法の国家権力の中枢所在地である東京が首都と呼ばれているとする理論は、日本国内の事情・歴史を一切斟酌しない態度で臨んでおり、わかりやすさはあったのだが、一般民衆の共感を得るには程遠いものであった。
そこから東京遷都論(大石論、大阪学派)が産まれた。「東京奠都の詔」によって、段階的に首都機能が移転し、京都は事実上廃都となったというもので、大阪帝國大学法学部教授大石蔵輔(法制史講座)によって提唱され、文部省国定教科書に採用寸前となったが、旧堂上貴族を中心とする貴族院会派「堂上会」は、その出自から京都学派の支持者が多く、これが政治問題化した。昭和21年6月、来年度から使用される予定の国定教科書、「国史概論(高等学校又は高等女学校高等科科目)」、「法制経済(高等学校又は高等女学校高等科科目・中学校又は高等女学校尋常科社会科科目)」と「公民科(実業学校又は青年学校社会科科目)」にこの大石論に基づく、東京遷都についての記述が行われたが、これを不服とする甘露寺大祐貴族院議員(堂上会所属)は、貴族院文教委員会において、天皇の詔を歪曲している理論をなぜ採用するのかと文部省官僚に説明を求めた。事件は貴族院本会議にも波及し、阪大の大石教授も帝國議会に召喚されて釈明と反論に及んだ。一時は、堂上会所属議員を中心に大石教授への停職処分にも言及した貴族院建議案の提出もささやかれていたが、学問の自由を侵すものとして提出には至らなかった。「国定教科書事件」、「大石事件」と後に呼ばれる事件は、国定教科書への大石論の不採用を結論としつつも、堂上会が求めていた大石論への政府不支持声明は認められず、首都論の決着は先に持ち越された。
そこで、現在の主流を占める立ち位置の皇都帝都併存論(三石論、修正東京学派)が誕生した。東京帝國大学法学部教授(法制史講座)の三石琴平が提唱した、京都は正式な首都、東京は事実上の首都というのは、実に玉虫色の決着ともいえるが、日本国内の状況に即してはいたため、昭和32年度の「法制経済」及び「公民科」の国定教科書に採用されて、現在に至る。
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大日本帝國京都府京都市左京区 オーストリア=ハンガリー帝国大使別邸
―大日本帝國駐箚クワ・トイネ公国特命全権公使 ライムライト・オランゲ
京都は格式においては首都東京を上回るものとされている。この地に大使別邸を置くことができるのは、イギリス、ドイツ、フランス、オーストリア・ハンガリー、イタリア、ロシア、アメリカの七か国大使とオランダと満洲国の公使のみと言われている。日本国が地球にあったころの列強国なのだそうな。
私は、今月20日から日本国神戸市にクワ・トイネの領事館を開設するための調整のため神戸市を訪れていた。神戸市内の領事館開設候補地の選定に始まり、領事館建築設計施工業者との面談、神戸市長・神戸市会議長との面会、神戸市庁・神戸市会の見学、神戸を含む関西財界関係者との懇親会、神戸高等商船学校でのクワ・トイネ人留学生の受け入れ状況の確認など様々な業務を行っていた。週末には、駐日オーストリア・ハンガリー帝国大使のゲーアノート・レーデ伯爵からお招きを受け、京都の左京区にあるオーストリア=ハンガリー帝国大使別邸を訪ねていた。京都には、日本の観光名所神社仏閣が多数あるとされている。レーデ大使の案内の下週末は観光を行う予定となっていた。
25日に平安神宮を参詣した。この静粛な雰囲気はどこか東京の宮城を思い起こさせるものであった。レーデ大使は、ここの神苑にてしばらくの間静寂を楽しみ、京都帝國大学、銀閣寺、知恩院などの名跡を見学した。
この日の夜は大使別邸にて晩餐会が行われた。京都選出の代議士、京都府知事、京都府会議長、京都府参事会員、京都市長、京都市会議長、京都市参事会員、第十六師団長、京都帝國大学総長、京都市在住の華族などの出席があった。私は、たくさんの人間と握手をし、会話を交わした。
クワ・トイネが国際的な地位向上を握るカギは日本にあると私は考えている。いまだこの世界の各国は日本を知らない。しかし、世界の国々が日本を知れば、日本の地位は一躍列強トップクラスに躍り出ると私は考えている。日本国といち早く接触を果たした我が国は、日本の力を借りて、国内の文明化をいち早く進めている。先日、マイハークから公都、エジェイ、ギムを結ぶ鉄道の建設が始まったとの連絡を受けた。このような鉄道設備などはロウリアはおろか、パーパルディアにもない。今まで以上に日本からの支援を受けて、このような文明の利器を導入すれば、我が国の地位は格段に上昇する。文明外国家の中で頭一つ抜け出すことができる。
ただし、日本文明における便利な機器の数々を動かすには、クイラから産出される石油が必要不可欠だ。早急にクイラとの間にも強固な絆を築いて、石油を運ぶパイプライン建設を進める必要がある。そして、クイラから産出されるのは、石油にとどまらない。各種の鉱物も豊富なのだ。クイラの鉱物は、我が国のマイハーク西部の租界と同様の租界地域を通過して、船舶で日本や満洲に運ばれている。この石油や鉱物を運ぶ船舶を我が国も手に入れる必要がある。船舶だけではなく、それを動かす人間も必要だ。そのため、神戸高等商船学校にクワ・トイネ人留学生の受入枠を作ってもらうように日本文部省や運輸省を通して働きかけている。
正直にいえば、高等商船学校に入学できるだけの学力を持つクワ・トイネ人はいない。入学試験の問題を読んでみたが、クワ・トイネ人の中でも高い学力を持つと自負していた私ですらさっぱりだった。高等商船側からは、実業学校系の商船学校の留学枠から導入してはとの声もあったが、それでは、遠洋航海を行う人材が得られない。クワ・トイネの国際的な地位の向上のためには、今の状況では難しい。ある程度自立していなければ、日本国の従属国と言われてしまうだけだ。
京都帝國大学総長からは、初等学校を整備する必要性を説かれた。すそ野を広くしなければ、将来にわたって優秀な人材を確保し続けることは難しいとのことで、私も賛成だ。すでに、本国は日本の文部省に人を送り、学校関係の法令の調査に乗り出している。満洲国文教部にも同様に人を送り、日満の学校関係の法令の違いを精査して、今のクワ・トイネにも運用可能な形の学校制度の設立を急がせている。まずは、公都において来年四月から実施し、これを公国直轄領に広げる。ロードマップは完成している。
政界関係者とは、代議制における諸点についてを話した。広く意見を求めることは重要だ。それは理解できる。しかし、我々は貴族政を採用している。その点で、民本主義を採用している日本国とは政体が違う。だが、彼らはそうではないというのだ。民本主義は、貴族政でも王政でも採用可能だと説く。なにも議会政治を取り入れる必要はない。ある程度意見を聞く機会を与えればよいのだという。300年ほど前の日本国の指導者である徳川幕府八代将軍が取り入れたとされる「目安箱」を採用されるとよいという。広く意見を聞くという姿勢が大切なのだと言う。
晩餐会を終了し、レーデ大使の下へ明日の予定を確認しに行ったところ、明日の午後には日本海軍が、ロウリア艦隊と会敵するという情報を私に知らせた。今すぐ東京に帰るべきかとも思ったが、タブレット端末も持ってきている。何かあれば、ここからでも対応は可能だと言われ、明日は大使別邸のテレビで戦況を確認することとした。
翌朝は、日本軍の必勝を祈願し、少し遠いところにあったが、岩清水八幡宮に参詣した。レーテ大使によれば、この神社は武神を祭っているのだという。必勝祈願にはちょうど良いだろうとのことであった。
必勝祈願を終えて、大使別邸に戻る最中のことだ。私やレーデ大使のスマホから軽快な軍艦行進曲の音楽が鳴った。大本営海軍部発表が行われる際のニュース速報音であり、日本国内で製造流通しているスマホには強く推奨されている機能だった。大本営臨時発表は、ロウリア艦隊との交戦が始まることを知らせるものであった。
「ほう。とうとうか。日本海軍の戦艦の活躍が見られる日が来るとは、異世界生活も悪くはないか。」
レーデ大使が感慨深げに話し始めた。レーデ大使の話では、オーストリア・ハンガリー帝国の海軍も戦艦を保有しているが、日本海軍のそれと比べると小規模な物であるという。それゆえに巨大な軍艦が動いているさまを見るだけでも胸が躍るのだと言った。転移前の世界では、戦艦が活躍する様というより、大きな戦争はもう何十年と起こっていない。もちろん平和は尊いものであり、それに異論をはさむつもりはないが、戦艦が活躍する姿というものは別問題だとのことであった。
別宅に戻り、大広間に設置されたテレビを見ながら、茶を楽しんだ。遠い距離をへだてて、日本海軍が戦闘を行っている。2,3か月前は故国の危機と感じていたのだが、日本国満洲国と同盟関係を結んでからというもの、そのような感覚は霧消した。
前哨戦は、一方的長大な射程を有する日本海軍がロウリア艦隊のはるか射程外から一方的に攻撃を行った。
「いや、話には聞いていましたが、日本海軍の攻撃はすさまじいですな。これは転移前の世界では当然の結果といってもよいのでしょうか。」
「もちろんだ。この程度の攻撃は日本海軍であれば朝飯前だ。といっても、転移前の世界ではこれだけの戦果はどこの海軍でも可能だ。」
「転移前の世界では、軽巡や駆逐艦はどこの国も持っているということですか?」
「そうだな。小さな国であれば、軽巡クラスを艦隊旗艦にしている場合もあるかもしれない。ただ、砲の精度は日本海軍に比べると劣るかもしれないが、それでもマストのみを破壊するというあの日本海軍並みの練度がないだけで、船体に命中せることは可能だ。というより、普通は船体に直撃させて撃沈させることを考える。日本海軍の攻撃方法は、おそらく天皇の意向が強く反映されているのだと思う。人死にを極力ださないことを日本天皇は強く願っていると聞いた。慈悲深いとは思うが、おそらくかの君主の願いは届かぬだろう。」
日本の天皇には二度謁見する機会があった。一回目は対日使節団団員として日本を訪れていた時、二回目は日本駐箚特命全権公使として信任状奉呈式に臨んだときだ。いずれの機会の時も天皇の姿・声を聞くだけで身の引き締まる感覚を強く覚えたものだ。レーデ大使にも信任状奉呈式のことを聞いてみたら、やはり緊張したといった。ヨーロッパの皇族王族と比べても日本天皇は独特の存在感を有しているらしい。
過去の思い出話などを話し合ったりしているうちに日本海軍の攻撃が始まった。
戦艦の主砲発射音がテレビ画面から一段と大きな音を出していた。3連装1基につき2門、合計6発の主砲弾がロウリア艦隊の先のはるか彼方から襲い掛かる。その主砲弾は、ロウリア艦隊の中央付近を狙いとしているらしい。戦艦の主砲が木造帆船に当たっても貫通していくだけで、大した被害は与えられない。ゆえに、榴弾が発射されるのだというテレビの解説者の発言にレーデ大使も同意した。日本海軍の戦艦の主砲弾には三式弾という榴弾があり、それが発射されたのであろうとのことだ。
主砲発射から数分後、主砲弾がロウリア艦隊に降り注いだ。一瞬では何がどうなったのか、わからなかった。ロウリア艦隊の上空で大爆発が起こり、火球が発生したと思うと、ロウリア艦船の数隻が見えなくなり、その見えなくなったところに煙が上り始めた。その煙の周囲の船が燃えているの見え始めた。そして、上がっていた煙が見えなくなると、そこには海が見えた。船体の残骸のようなものがいくつか見えるが、5,6隻分の船があったと思われる地点に船はなく、その周囲の船が大きく損傷して、炎上していた。おそらく鎮火は不可能だろうと思われ、損傷の具合も甚だしい船が15,6隻程度。燃えているがなんとか鎮火はできそうな船がその周囲に30隻程度。そんな艦船の空白海域が6個できていた。
「すさまじいものですね。」
「ああ、オランゲ君もそう思うか。今回は主砲の向きや仰角をそれぞれの砲塔で変えていて、目標をばらばらに攻撃したのだろう。あの主砲の攻撃がある程度密集した状態であれば、被害はさらに増えていたことだろうな。」
テレビカメラは燃えている船の一隻にスポットを当てた。船体の片舷に穴が開いており、そこからの浸水が確認できる。穴を防ぐことができれば、何とかなるだろうが、帆が燃えている。帆は燃えにくい布を使用していると聞いていたが、絶対に燃えないというわけではないのだなと思った。
画面は再び戦艦に戻り、今度は3発の主砲弾が発射する様子が映し出された。ロウリア艦隊にまたしても大きな被害が出るのだろう。
日本に赴任してからは本国の安全を疑うことは無かった。それはあくまでも頭の中で理解していることだったが、この映像を見てそれが実体化されたことをうれしく思った。本国の家族を思い、その身の安全が保たれたことを嬉しく思いながら、私は今一度茶を口に含んだ。