「──何やってんですのあの人は〜〜〜!!」
メジロマックイーンがソユーズのトラブルを知ったのは日も暮れようかという時間である。
日本で絶大な知名度を誇る元競争ウマ娘、ゴールドシップのソユーズ・ミッション参加。必然的に邦国のメディアは本ミッションに対し多いに注目していた。その為か、ロスコスモスやロシア政府から正式な声明が発せられる前から、バイコヌールに待機していたスタッフから何らかの問題が発生したことが伝えられる。第一報から数時間遅れるようにして出された公式声明は、夕方の報道番組を塗り替えるには充分すぎるインパクトであった。
はてさてゴールドシップの旧友か、親友か、悪友か。トレセン卒業・競走ウマ娘引退後も続く奇妙な関係の中、URA地方支部での打ち合わせを終えるや否や、彼女──メジロマックイーンも、例に漏れず自邸のテレビに釘付けになっていた。
「制御、不能!?そんなことって…」
青ざめた顔で狼狽える。メジロ家は多額の資産を持つ国内きっての名家だ。が、その財力を以ってしても家の力が及ぶのは大気圏内まで。遥か上空500キロを飛翔するカンオケをどうこう出来る筈もなかった。
「あの人が何かやらかしやがったに違いありませんわ!だから私は反対したのに〜〜〜〜〜〜!」
頭を掻きむしりながら転がり回る。令嬢の発作を感知した使用人が部屋の扉を開け放ち、慌ただしく駆け寄った。
(ちなみにメジロマックイーンが我を忘れて暴れ出すのは大抵甘味かゴールドシップが関わった状況の為、使用人及びSPには対ゴールドシップの
「しっかりなさって下さい!オイ!プロトコル・《G》だ!」
「いや〜〜〜〜〜〜!!」
──彼女はどうも、件の破天荒ウマ娘がやらかしたと信じきって疑わない。しかし、珍しく今回に限ってはゴールドシップは何も関与していないことを、彼女はまだ知らないのだった。
「あのおバカ〜〜〜〜〜〜!!!!」
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『今誰か私のことバカっつったな?』
言っていない。少なくともトレーナーはその悪態を飲み込んだ。
「…言ってないけど正解だよ。お前、クルー2人諸共心中するつもりか?」
『な、ワ、ケ、ねーだろ!作戦だよ作戦!天才ゴルシちゃんの天才的作戦じゃい!あるだろうが、燃料のドケチ精神から生まれた超絶エキサイティングなスピード調整方法が!』
彼女の言うそれ。宇宙開発における悪魔的とも称される精密技術。
「──まさか、スイングバイか?」
『ふふーんご名答!』
歴史上で有名な物には太陽系外探査機《ボイジャー》や小惑星探査機《イトカワ》などがある。しかしそれらの例はいずれも──
「何言ってんだ、スイングバイは加速の為の技術だろ!それに有人宇宙船のスイングバイなんて前例があるかどうか」
『
「減速…!?」
『うし、そんじゃゴルシちゃんの軌道力学授業だ。トレピッピの思ってる通り減速スイングバイは加速スイングバイに比べて前例が少ねぇからな。通常の加速スイングバイは天体──つまり地球の公転方向の反対側を
話に脂が乗ってきた。トレーナーのみならず、船長、副船長、地上管制官達までもがうんうん、と相槌を打つ。先程までよく分からない流派のチョップを繰り出していたウマ娘とは到底思えない。今日のゴールドシップは場違いなほど呑気だったが、今は特に愉快そうに見える。
『減速ってのはその逆だ。地球の公転方向に対して前側を通る。すると宇宙機は地球に近づく形になるから、公転速度ぶんがマイナスされる。エネルギーが100%やり取りされる訳じゃねえけどな。
今この船は10.9キロメートル毎秒ですっ飛ばしてるから、あともうちょい加速すれば第二宇宙速度、地球の重力を振り切れる訳だ。軌道制御スラスタで舵を微調整しながら地球の前側に突っ込んで、再突入速度までどうにか減速する。──どうだ?シビれるだろ?』
シビれる。凡そ常人では思い付かないような大胆な方法だが、確かに理にかなっている。
「…すげえこと考えんなお前」
『おうよ。やってみる価値あるだろ?』
「少し待て、こっちで計算してみる」
『お?良いけど多分無駄足だと思うぜ』
無駄足?何が?
謎の忠告に首を傾げつつ、トレーナーはメンバーにてきぱきと指示を出して計算を始めた。キーボードを叩く音がリズミカルに響く。
(軌道計算のテンプレートに現在の速度と座標を入力して…)
『楕円軌道をとった場合のエネルギーやり取りの公式はっと…』
(公転軌道面に対する侵入角度は…)
『主星の質量をm1とした時、公転半径 r2in の真円の公転軌道を公転速度 v2in で公転している質量 m2 の惑星に対して…』
(そうか、減速
『再突入には最悪でも8.5キロ毎秒まで減速しなきゃなんねーから、これだと
(つまり求められるのは適切な侵入角度と──)
『──適切な侵入速度!導き出されるソユーズのスピードは──』
「『15.852キロメートル毎秒だ』」
は?とトレーナー。
「いや、ゴルシお前、どうやって計算した?」
『あ?暗算に決まってんだろ。生憎手元に電卓がねーからよ』
──人智を超えている。脳内で?オペレートルームのハイスペックコンピュータと同等の計算をやってのけたのか?
「…お前、何者?」
ふふん、と鼻を鳴らして答えた。
『決まってんだろ、スーパーアイドルウマ娘のゴルシ船長サマだ』
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「CCよりエクスペディション57。たった今重力均衡圏L4を通過した。擬似軌道からのデオービット・ポイントまであと260秒」
『エクスペディション57了解した。船内気圧を0.8まで下げる。最終計算終了、軌道スラスタも問題なく動くぜ』
「CC了解。──緊張してないか?」
『全然?むしろすっげーワクワクしてる、レース前とおんなじぐらいな!なんたって帰ったら高級ビュッフェ食べ放題だ』
「おい!高級ビュッフェは聞いてないぞ、焼肉からグレードアップしてるじゃねえか!」
『ジョーダンだよ、言ったろ?まだまだやり残したことが山ほどあんだよ。マックイーンにも土産話してやんなきゃだし…何よりアンタの顔も見れてねえしな』
「…そうかよ」
『お?照れてんのかー?何だよカワイイとこあんじゃねえか』
「うるせえ。それより時間だ、点火準備!」
『おうよ!行くぜソユーズ-MS改めゴルシちゃん号、
推力エンジンを数秒蒸し、遠地点から離脱する。微調整をしたら後は地球の重力に任せて自由落下するのみだ。前代未聞のオペレーションが今始まる。