風の強い日だった。
11月も中頃に差し掛かるというところ。街路樹が落とした葉の河を、無邪気に踏みしめ跳ねる少女と、その背を追いかける少女。鹿毛の髪を棚引かせて少女は振り返った。
「ねぇ、オトナになったら何になりたい?」
キョトンとした目で芦毛の少女は立ち止まる。
「…おばあさまをこえられるぐらいの、だれよりも速いウマ娘ですわ!」
そう答えた。足元の落葉が風に攫われふわりと舞った。少女は聞き返す。
「あなたはどうですの?」
「私?」
鹿毛の少女は再び前を向くと、背伸びして空を指差す。寒空が星の瞬きをそのままに伝えていた。
「流れ星!あの空を流れる流れ星みたいに、輝くウマ娘になりたい!」
そう言ってニカッと笑った。すてきな夢ですわね、と芦毛の少女は返した。
「ゴメン、もうそろそろ行かなきゃ。じゃ、
跳ねるように駆け出す。時々振り向いては、芦毛の少女に手を振った。
「ばいばーい、マックイーン!」
彼女が見えくなるまで手を振り返した。
つられて叫ぶ。
「さようならー!ゴールド──────…」
そこから先に言葉は続かない。
マックイーンと呼ばれたその少女は、その場で立ち尽くした。
「…あの子、どなたかしら…?」
確かに憶えているのは、鮮やかな鹿毛色の前髪から覗く、ひとふさの流星のような芦毛。
綺麗な色だったなと、少女は思った。
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「───侵入速度が速すぎる」
バイコヌールのトレーナーからの通信にゴールドシップはすかさず聞き返した。
『マジかよ!今どんくらいだ!?』
「現在9.7キロメートル毎秒だ!このまま突っ込んだら機体が焼け焦げるぞ!」
ゴールドシップ立案の有人減速スイングバイ作戦は、結論から言えば半分失敗していた。回復したと思われていた推力エンジンの精密操作が再び故障したのである。結果、計算よりも減速が効かず、規定速度よりも秒速約1.7キロ、時速換算で約4500キロもオーバーしている。
『機械船
三段のモジュールで構成されたソユーズのうち、後方の機械船が切り離される。ゴールドシップらの乗る帰還船の前方、軌道船諸共それらは地上には到達せず燃え尽きる運命にある。トラブルの原因になったのも機械船だが、彼女らをここまで生かしたのもまた機械船である。鋼鉄の戦友にゴールドシップは別れを告げた。
「どうする!?軌道を脱出してもう一度スイングバイをするか!?」
『いんやもう燃料が足りねぇ!このまま突っ込む!』
最後の手段だ、と彼女は唸る。
『こうなりゃ一か八か
『無茶ですよ!姿勢が制御出来なくなって機体が空中分解します!』
『───あぁもう鈍臭ぇ!!細工は流々、取舵いっぱーーーーーーーーい!!!!!』
泣き叫ぶ船長副船長両クルー。
一方トレーナーは、今回ばかりはゴルシの作戦に賭ける他無いと思っていた。
「30度は傾けすぎだ!大気圏面との
『了解、信じるぜトレーナー!!」
過速度時緊急減速弾道再突入───いわゆる弾道突入は、さながら水面を跳ねる石に喩えられる。機首を大気圏面に対し通常よりも大きく傾けることで得られる絶大な減速力と引き換えに、機体のバランスが崩れ空中分解するリスクを常に抱えるのだ。それだけに乗り心地は人類の開発した乗り物の中でも最悪と言われ、搭乗員に課されるGは通常の倍、8〜9Gである。よしんば地上に生還出来たとしても搭乗員の重傷は免れない。
『うぉお!!聞いた話より10倍はスリリングじゃねえか!!こんなにヒヤヒヤするのは宝塚記念以来か!?』
流石のゴールドシップもこの窮地に焦りを隠せなくなっている。異常傾斜を感知した計器が一斉に悲鳴に似た警告音を上げ始めた。
『どうだ!?速度はどんくらい落ちそうだ!?』
「まだ足りない!せめてあと0.5キロ…!」
───考えろ!彼女達は勇敢だ。絶望的な状況にあっても常に気丈に振る舞って、俺たちに責任を感じさせないようにしてくれた!俺はその間何をしてた?言われたろ、託されただろ!約束しただろ!俺が必ずアイツを地球に戻す!!死なせて堪るか!!
『第2パージポイント通過!軌道船切り離すぞ!』
───やるしかない!
「固体逆噴射ロケットだ!軌道船切り離した瞬間に点火しろ!」
「…!本気かよ!?」
固体逆噴射ロケットは本来帰還船が着陸する際その衝撃を和らげる為の、謂わばクッションの役割を果たす機構である。ここで使用すれば、着陸時は舌を嚙みちぎりかねない程の衝撃に見舞われることは間違いない。
「
『ハッ、やっぱオメー最高だな!いつからそんなギャンブラーになったんだ!?』
「バーカ!お前をスカウトした時から俺は世紀の大博打打ちだよ!」
『そりゃ良かった!サメのエサになる前に助けに来いよ、相棒!!』
軌道船が切り離される。同時に、帰還船前方のノズルが逆噴射を始め、無謀にも大気に挑もうとする2.7トンの弾丸を必死に押し留めんとする。機体の振動が一層激しさを増す。骨が軋み、身体が押し潰れる。
『ハハッ見ろよ!今ロシアの真上を通過したぜ!そっちからでも見えてんじゃねえか!?』
その直後。吹き上がった猛烈な炎が丸窓からの景色を覆った。
一般的に、宇宙機が大気圏に突入した際に炎を纏うのは機体と空気の摩擦だと説明されるが、厳密には異なる。超音速で飛翔する機体が前方の空気を凄まじい密度まで圧縮せしめ、その結果生じた熱が8層の断熱ブランケットと耐熱アブレータを焼き焦がし、空に炎の軌跡を作るのだ。船外の温度はゆうに1500度を超えるが、船内の温度は基本約20度に保たれる。
…すげえ。
ゴールドシップは呟いた。
見てるか、マックイーン!やったぞ!アタシは夢を叶えた、アタシは確かに今───
「…いや、違うな。流れ星じゃ燃え尽きちまう。今のアタシは…!」
凄絶な振動と熱の光が極限に達す。大気圏面をバウンドした機体が遂に「地球」に潜り込む。
「アタシは
──着陸まで、あと7分半。