かつて戦車道の世界に、ただ一人で飛び込んだ少年がいた。
その少年の名前は
一躍界隈で注目されていた彼が進学先として選んだのは、高校戦車道四強の一つとして名高い黒森峰学園だった。戦車道四強の中でも伝統や格式を最も重視する黒森峰が、なぜ彼のような界隈の異端児の入学を承諾したのかは諸説あるが、最も有力なのは当時高校一年生ながら黒森峰の隊長に就任していた西住まほの進言故というものだ。ともかく、彼はその年の夏の全国大会も一年生ながらレギュラーメンバーに名を連ね、一回戦、二回戦と立て続けに試合の勝敗を分けるキーマンとなり、戦車道の専門誌や新聞の紙面を賑わせていた。
しかし、夏大会中のある日、散々新聞社や出版社から引っ張りだこにされていた彼の名は忽然と紙面から姿を消した。世間は彼の名声を妬んだ何者かに干されただの引退しただのと真相を探るが、何も分かることはなくただ分かったことは、「櫻井惟輝」という生徒は
──そう、今までは。
*
──県立大洗学園・生徒会長室──
「君の正体は分かってるんだよー、〝坂井くん〟? 河嶋ー、例のアレ見せてあげてー」
そして今、彼の姿は大洗学園の生徒会長室にあった。角谷生徒会長は飄々とした声を出しながらも、針の尖端のような鋭い眼光で彼を射竦める。
「これは去年の夏の戦車道の全国大会で黒森峰学園を特集した雑誌だ。ここのメンバー一覧にお前の名前が入っていることは確認済みだ。──ウチの名簿には偽名が書かれていたせいで 、見つけるのに骨が折れたがな」
「ここの写真を見た時は驚いたよ、まさか黒森峰のレギュラーメンバーがウチの学校に転校してたなんてねー。ほらコレ、『黒森峰の
生徒会長室に呼び出しが掛かった時から、嫌な予感はしていた。だが、まさかここまでの窮地に立たされることになるとは思いもしなかった。──彼の頭は猛スピードで回転しながら、この場から
「いやぁ、ウチも人員不足でねぇ……櫻井君にもやってもらいたいんだよねぇ、戦車道」
単刀直入に斬り込まれてなお、彼の顔にほとんど諦めの色が浮かばないのを見た会長が、とどめを刺すように言う。
「イヤだ、って言ってもいいんだよ?ま、それならそれで、明日からこの学校に君の席はないんだけどね」
不穏な言葉が耳に入り、咄嗟に言葉の真意を訊き返す。
「どういうことですか?まさかそんな無茶苦茶なことができるとでも?」
「できないとでも思った?生徒会も舐められたもんだねぇ」
脅迫には十分なほど殺気を孕んだ声で俺を威圧する生徒会長の目からは、氷のような冷酷さが垣間見えた。
「……分かりました。やりますよ、戦車道」
その言葉を聞いた会長は、干し芋を袋から一つ取り出して俺に渡し、満足気な表情を見せる。先の
「……これは?」
「いい返事が聞けたからね、これ報酬。食べていーよ」
「……ありがとうございます」
「あ、そうそう、私はあの辺のことあんま分かんないからさー。この後西住ちゃんとこ行って話聞いといてよ」
そうして俺は会長から貰った干し芋を義理のように咀嚼しながら、釈然としない気持ちで生徒会室を退室する。──甘いはずの干し芋は、紙のように味がしなかった。
*
──県立大洗学園・某所──
古びた赤煉瓦の倉庫を通り過ぎると、硝煙の香りが鼻腔を満たした。と同時に、黒灰色の車輛が目に入る。
──IV号戦車D型。なぜか砲塔横にはデフォルメされまくったアンコウが描かれていた。短砲身7.5cm砲が煙を上げている。
(戦闘中!?駄目だ、早く退避しないと危険──)
と、俺の後ろから何かが空を切って飛んで来た。飛来した「ソレ」は俺に当たりこそしなかったものの、俺のすぐ横をすり抜けて地面に突き刺さった。
衝撃波をモロに受け、俺は吹き飛ばされて地面に転がる。
(痛った……誰だ、進入禁止区域を指定しなかった奴は!?)
土煙の先で、倒れている俺に気付いたらしいIII突が動きを止め、車長が無線機に向かって怒鳴っているのが見えた。
「ちょっとーみぽりんー!今の砲撃で誰か巻き込まれてたってー!」
「沙織さん、本当ですか!?」
「西住殿ー、やっぱりちゃんと進入禁止区域にしていた方がよかったのでは……」
IV号の車体から何人かの女子が顔を出し、俺の方を伺っている。そして、
「とにかく……麻子さん!」
「あーい」
IV号が土煙を上げて俺に向かってきた。砲塔と車体のハッチが開き、乗組員が顔を出す。
「あっ、みぽりん!この子ってさ、朝会長が言ってた子じゃない?」
「沙織さん、今はそんなこと言う時じゃないよ……あ、あの、お怪我はありませんか?」
「あ、あなたは……」
「えー、なになにー?みぽりんの元カレ?」
空気を読まないオレンジ髪の娘が楽しそうに訊く。
「いや、そうじゃない。西住の前の学校──黒森峰時代の同級生だ」
軽くただの顔見知りだと説明したが、みほは焦りに焦っている。
「ど、どうして櫻井くんがこの学校に……」
「どうして、と言われてもな……お前と一緒だ、俺もあの学校にいられなくなっただけだ。──多数派の暴力ってのは酷いもんだな」
一応、事実に反することだけは言っていない。みほと少し理由は違えど、あの学校にいられなくなったのは厳然たる事実だ。
「え、櫻井ってあの櫻井殿ですか!?」
「優花里さん、何か知ってるんですか?」
「知ってるも何も、戦車道で櫻井って言ったら『駿足の貴公子』の異名でお馴染みの櫻井殿じゃないですか!西住殿と一緒に黒森峰の副隊長を務められたことで、戦車道界隈では超がつくほどの有名人ですよ!いやあ、お会いできて光栄です!」
優花里さんと呼ばれた茶髪が急に饒舌になる。心なしか息も上がっているように見えるが、こう熱心に賞讃されるのは嫌いではない。──だが、みほが若干機嫌を損ねているように見えるのは……気のせいだろうか?
「今はしがない一般人だ。気にしないでくれ。そう言えば西住……また戦車道をやると聞いたんだが?」
「うん!西住流じゃない戦車道を……私だけの戦車道を見つけるって決めたから!」
そう答えるみほの顔は決意に満ち溢れながらも、どこか哀愁を帯びていた。
だが、きっと戦車道を続ける意味が見つかったのだろう、彼女の佇まいはどこか堂々としていた。
[To be Continued]
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