富と名声のためにトレセン学園の門戸をくぐったら同期が王族と気性難な件について   作:RKC

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22話 最近冷えるなぁ

 

(トレーナー)

 

 私はクズだ。トレーナーという肩書をのうのうと名乗ってはいるが、なんて事は無い。その実態はウマ娘の望みを叶える事すらできない無能。交わした約束すら守れない始末。何たる不道徳、何たる不誠実、何たる無責任か。

 そんな存在を表現するには? クズ、ゴミ……いや、私が持ちうる語彙で表現することなどできない。とにかく“最低最悪の何か”とだけは言える。

 

 酷く痛むお腹を手で押さえた。まだ胃に穴は開いていないと思う。

 

 シャカールに三冠を取らせてあげられなかった。無理なトレーニングをセーブするだけなら誰でもできる。私は誰でもできる事をやっただけだ。プラスアルファの勝利をもたらす事、(あた)わなかった。

 

 ぐにゃりと視界が歪んだ。――いつものめまいだ。

 

 ファインを笑顔のまま走らせてあげられなかった。スカウトした時に“満足させてみせる”などと大言壮語を吐いておきながら、その実は虚構。帰国が控えているファインは、いつもの溌溂(はつらつ)さが見る影もない。苦しそうな顔で毎日を過ごしている。一人の教え子を笑顔にする事すら(あた)わなかった。

 

 頭痛がする。嫌な事を考えない様に痛み出す、私の頭は何と都合良くできているのだろうか。

 

 グリードを勝たせてあげられていない。シャカールやファインの対処に夢中で、一人で練習する彼女に十分な気を回せていなかった。トレーナーとして最低限の仕事すら(あた)わなかった。

 

 能わない。能わナい。能わ無い。まさしく無能。

 

 吐き気を覚えるが昼食を抜いたのが幸いした。

 フラフラと幽霊のように彷徨(さまよ)っていると、廊下の曲がり角から口笛が聞こえてきた。反射的に胃が縮み上がる。

 聞きなじみのあるメロディーがどんどん近づいて来て、避ける間もなく曲がり角で出会った。

 

「うえっ!? トレーナー!?」

 

 私の教え子――グリードは目を丸くして驚いている。ばったりと出会っただけにしてはオーバーな反応だ。

 

「……大丈夫? お腹抑えてるけど。まだ治ってない? もう一回病院行く?」

 

 私の不格好な立ち姿を見て、心配そうな表情を浮かべるグリード。

 

 あぁ、彼女は何て優しいんだろうか。自分をまともに勝たせてくれない私に対しても気を回してくれるのだから。

 

 そんな考えが浮かぶと同時にひどく情けなくなる。本来なら私が生徒の心配をする立場にも関わらず、逆に心配される始末。

 

 ギリギリと胃がさらに痛んだ。

 

「大丈夫、薬飲んだからじきに良くなるよ」

 

「そう? なら良いけど……あんまり無理しちゃダメだよ?」

 

 無理、か。私の様な無能が無理をせずしてどう責務を果たせば良いのだろう。

 痛みが一段とひどくなる。

 

「グリードはこんなところで何してたの?」

 

 ここはあまり使われる事のない校舎棟の一つ。私は上の空でうろついている内にたどり着いていたが、グリードは何の用があってここにいるのだろうか。

 

「んー……まぁ端的に言うと、ファインとシャカを一緒の部屋に閉じ込めてた。ファイン、色々とため込んでるみたいだから、シャカに受け皿になってもらってる所」

 

 その言葉を聞いた途端、頭から血の気が引いていく。思わずその場に座り込んでしまった。

 

「ちょ! 本当に大丈夫、トレーナー?」

 

 しゃがみ込んで、心配してくれるグリードの声も耳に入ってこない。

 

 本来ならファインのメンタルケアは私の仕事。にもかかわらずグリードがその仕事を果たしている。無能な私に代わって。

 ……本当に私の存在意義は何なのだろうか? 何もしていないならまだ良い。しかし、現在進行形で担当に余計な心配をかけてしまっている。もう……ホントに……もう……。

 

 そんな事を考えながら立ち上がると、視界が白く染まった。

 

「ちょっと……! あぶなっ!」

 

 立ち眩みを起こした私をグリードが支えてくれる。それがまた、私の胃痛を大きくさせた。

 

「ごめんね、もう大丈夫だから……」

 

 グリードの腕を掴み、自分の足で立とうとしたその時。私の小さな手がグリードの前腕部分を一周した。

 

「……え?」

 

 あり得ない。手首ならともかくだ。ある程度の太さがある前腕部分を掴んでいるにも関わらず、親指と中指がくっついてしまっている。服の厚みもあるのに。

 あまりに細い手ごたえに、間抜けな声が口から漏れた。

 

「やっぱりもう一回病院行った方が良いんじゃない? ヤバそうなら私もついてくよ?」

 

 グリードはそう言いながら、急いで私の手を振りほどく。その不自然な動きに私は確信を強めた。

 払われた手で再び彼女の腕を握る。

 

「な、何? そんなに腕掴んじゃって? 支えがいるなら肩……あー、私か弱い女の子だからSPの隊長でも呼んでくるね! ここで待ってて?」

 

「グリード」

 

 腕を振って私の手から逃げようとする彼女の名前を呼ぶ。彼女は隠し事がバレた子供の様な表情を浮かべた後、観念したように力を抜いた。

 

「……何、トレーナー?」

 

「袖、(まく)って。手袋も」

 

 私がそう言うと、グリードは素直に手袋を外し両袖を捲る。その瞬間、息を呑んだ。

 

 彼女の前腕と手首は肉がこそげており、ひどく細い。普段は肉に包まれていて忘れそうになるが、体の芯は骨という事を嫌でも分からせられるこけた腕だ。

 手の指も骨と皮が優位で、関節部分が痛々しい程に目立っている。肉が少ないせいで掘りの深い手の甲はとても女の子のそれではない。

 そして最も特徴的なのが皮下脂肪という隠れ蓑を失った静脈。前腕、手首、手のひら、手の甲、指の先――所かまわず縦横無尽に走っている。そのどれもが酸素を失った血液の色で、自分の存在をこれ見よがしに主張していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「グリード……これ、いつから……」

 

「ん~、ドンドン痩せていったから具体的にいつからっていうのは難しいけど……食事制限始めたのは1か月ぐらい前かな」

 

 気が遠くなりそうだった。過度なストレスで心臓が仕事を放棄して、脳まで血流を回してくれない。血行不良で指先が痺れる。

 

 私はどれだけ無能を晒せば気が済む?

 

「あー……そんなに深刻に考えなくても大丈夫だよ? 見かけは悪いけど不調は無いし。それより浮いた血管触ってみる? ぷにぷにしてて意外と心地いいから。ほら」

 

 私の顔色を(うかが)ったグリードが重ね重ね気を使ってくれる。親指をずらして彼女の血管に触ると、弾力と暖かさ、そして生々しい脈の息遣いが伝わってきた。

 しかし、それはとても弱弱しい。痺れた私の手では全ての感覚が減退して感じられる。

 

「ご飯、食べてないの……?」

 

「あんまり。でもそっちの方が走りの調子良いからさ。えっと……」

 

 グリードはポケットからストップウォッチを取り出して、私に見せてくる。

 

「ほら、このタイム。昨日出したんだよ。凄いでしょ?」

 

 自慢げな顔をするだけあって、そこに表示されていたタイムは私が知る彼女の自己ベストを大きく更新していた。

 

「そんな体で走ったの……?」

 

 絞り出すような金切り声。

 

「うん。何回も走るのは流石に無理だけど一回ぐらいなら平気だよ」

 

 そうじゃない。そうじゃないよ、グリード。

 

「なんで……?」

 

「なんでって……こっちの方が速く走れるから。理屈は分かんないけどね」

 

 ダメ……もう……わかんなくなってきた……。

 

「病院行こう……? 拒食症なのか消化器官が弱ってるのか、何が原因かは私なんかじゃ全然分かんないけど……とにかく早く治さないと……」

 

 私がグリードの腕を引くと、驚くほど簡単に彼女はよろける。引いた手からも重さを感じない。質量が足りない。

 

 感情がぐちゃぐちゃになって涙が出そうになる。

 

「病気じゃないよ。私が好きでやってる事だから」

 

 よろけて私に寄り掛かったグリードが離れながら言う。

 

「信じてもらえないかもしれないけどご飯を抜いてると、この……ね? この……あ~! 何て言えば良いのかな!? とにかくここ! ここにあるのね? 何かがね!? 体の中にね!?」

 

 グリードは自分の胸を指差す。

 

「それが活性化して不思議と好戦的な気持ちになるわけですよ。レースで勝って、富、名声、力、この世の全てを手に入れろ、って感じに。そうするといつもより速く走れて、やったー! 万歳! ってなるんだけどさ。

 ここでご飯食べちゃうと、心臓の当たりにある何かが満足しちゃってさ。お腹いっぱいでサボり始めちゃうの」

 

「何それ……? ハングリー精神とでも言いたいの……?」

 

「そうそれ! まさに文字通り! 肉体的に飢えてる時は精神的に満足しようと天秤が傾くのかな? 何があろうと絶対レースに勝つぞ、って気分になれるんだ」

 

 だからといってこんなガリガリになるまで……

 

 私の反論は続くグリードの言葉によって黙らせられた。

 

「食事制限は辛いけど、このまま行けば重賞制覇も夢じゃなさそうだしね。もうひと踏ん張りかな」

 

 それを言われてしまうと、私はもう何も言えなくなってしまう。

 

 彼女を勝たせて上げられなかった私が彼女の努力に口出しできるのか? でもこのままだとグリードが倒れて……。いや、そもそも私の指導力が足りていればこんな危険な行為を彼女にさせなくて済んだ?

 

「……へくしっ!!」

 

 私が考え込んでいる間にグリードが大きなくしゃみをかました。脂肪が落ちたせいで体温維持能力が低下しているのだろう。厚着をしているのもそのせいか。

 

「……大丈夫?」

 

 捲られていた彼女の袖を元に戻す。そして、両手で彼女の手を包み、ゆっくりと擦る。

 彼女の手は外気と変わらないくらいに冷えていた。

 

「最近いつもより冷えるんだよね。ご飯抜いてるせいかな……あ、そうそう! ご飯抜いたせいといえば!」

 

 思い出した、という風にウマ耳を立てるグリード。

 

「ご飯抜きだとやっぱり体力足りなくてさ。食事制限が行き過ぎるとゴール前にガス欠起こしちゃうんだよねぇ……」

 

 当然だ。レースでは60km/hで2kmほども走る。それには相応のエネルギーが必要で、そのエネルギーは食事から摂取しているのだから。

 

「――だからさ、トレーナーが調整してくれない?」

 

「……え?」

 

 現実逃避気味にぼんやりとしていた私は、冷や水を掛けられた気持ちだった。

 

「だからトレーナーが私の調整してくんない? レースを走り切れるギリギリの食事量を見積もってさ。私そういうの苦手だから」

 

 ここにきて、グリードは私に(さい)を預けてきた。

 私は賽を手にただ立ち尽くす。

 

「……トレーナー?」

 

 グリードは勝ちたがってて、それを支えるのがトレーナーの役目。彼女を満足させてあげるのがトレーナーの役目? だから彼女の調整をする義務が私にはあって……あって……? あって? あって? だから彼女の頼みは断れなくて?

 

「…………分かった。出来る限りやってみる……」

 

 散々無能を晒してとっくに限界を迎えていた精神は支離滅裂な結論を導き出す。

 賽は指の隙間から零れ落ちた。

 

「ホント? てっきり反対されるかと思ったけど、言ってみるもんだね!」

 

 グリードの嬉しそうな声も遠くに聞こえる。

 

 彼女を怪我させない、レースで勝たせる。その両立を今度こそ果たさなければいけない。

 ――それまで体が持ってくれれば良いけど。

 

 痛むお腹に手を持っていこうとして、止めた。目の前の教え子をこれ以上心配させるわけにはいかないから。

 

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