富と名声のためにトレセン学園の門戸をくぐったら同期が王族と気性難な件について 作:RKC
あんなフォントが存在するとは露知らず、カタカナを用いていましたが、やはり漢字の方が引き締まりますね。
(ファインモーション)
トレーナーが倒れてから数週間が経つ。今はすっかり元気――とまではいかないが、トレーナー業務を行えるぐらいには回復している様子だ。
それにしても、朝になってお見舞いに行った時にグリードがトレーナーをあやしてたのには驚いたな……。
周りに居る他の患者さんも気にせず、いつになく優しい顔でトレーナーを撫でていたのは印象に深い。トレーナーの方は生徒に甘えて慰められたという事実に、再び胃を痛めていたが。
ガラッ
椅子を引く音によって、回顧にふけっていた私の意識が現実に引き戻された。トレセン学園の食堂。私の対面に座ったのはシャカール。彼女がテーブルに置いたトレイには大量の料理が乗っている。
「今日はご飯抜かなくても良いの? 断食してるんじゃなかったっけ?」
私はシャカールにそう声をかけた。
「止めだ止め。体が衰えて足が遅くなる一方だ」
シャカールが断食し始めたのは、グリードがレースで勝ってから。彼女のマネをしてみたが、結果としては空振りに終わったようだ。
「うーん……グリードはどうして痩せた体であれだけ早く走れたんだろうね?」
「知るか。科学的に考えても無駄って事だけは確かだがな」
「精神的な話になって来るのかな……? 体を不満足状態にして、レースでの勝利をより強く望む様にした、とか」
「――精神で勝てるなら俺だって……!」
声が大きくなりそうだったのを自覚したのか、シャカールはそこで一区切り。
「……こんなに苦労してねェよ。仮に精神論でカタがつくンなら俺の今までの合理性は全否定だ」
言葉にはしなかったが、そんなことは認められないというシャカールの想いがひしひしと伝わってくる。
「でも、精神の状態が体に影響を与える事は科学的で合理的な話じゃない? 楽しければ体も良く動くし、逆に辛ければ動くのだってしんどいよね?」
「精神さえ良けりゃ、あんなガリガリの体でも良いってのか? ――心身、両方あってこそだろうが……!」
憂さ晴らしのように頭を掻くシャカール。未だに彼女は自分の限界を超える方法を見つけられていないようだ。
「……お前の方は大丈夫なのか?」
「ん? 何の事?」
「いや……その……帰国の件だよ」
少し冷静になったシャカールが私の心配をしてくれる。
「その事なら大丈夫だよ。心配しないで」
私は力強く答えた。
「そうか……。あんまり無理はすンなよ」
断食を試みていたシャカールがそれを言うのかと、少し面白く思ってしまった。
私はシャカールの力になってあげたい。その気持ちは未だ健在だが、今は自分の案件の方を優先しようと思っている。使命も、レースも、トレセン学園への残留も、全てを満たす欲張りな方法を今実現しようとしている最中。シャカールの手伝いはそれを終えてからの方が、私にとっても心配性の彼女にとっても、きっと良い事なのだろう。
食事を終えた私たちはトレーニングコースに場所を移していた。
トレセン学園は午前が一般のカリキュラム、午後がレース関係のカリキュラムと別れている。今日の午後はまるまる走りの練習に当てて良い事になっていた。
ターフの上で深呼吸をすると、緑の香りが鼻を満たす。少し前の思い悩んでいた時はくどく感じられたが、今は果物の様な芝の匂いを素直に堪能することができる。
口から鋭く息を吐き、地面を蹴った。10歩とかからず最高速付近まで加速。風切り音が耳を包む。
楽しい。走る事が楽しい。生身の体で60kmを出している緊張感。生身の体で60kmに迫る速度を出せる万能感。歯を食いしばりながらも、口角が上がるのを禁じ得ない。
あぁ、こんな風に感じるのは久しぶりだ。ここ最近は色々な事があって、純粋に走る事を楽しめなかった。今は全ての負債を洗い流し、未来に向かって歩みを進められている。何の憂いも無い。
忘れかけていた享楽を取り戻した私は、更に加速しようと足を踏み込む。すると目の前をよぎる影が。
蝶々。あの時以来、見かける事の無かった胡蝶が今私の眼前に。頬から力が抜け、自然な笑みになる。
……ふふ、また私を導いてくれるんだね。
レースの最中で余裕のなかった時と比べ、今は落ち着いて蝶々に身を任せることが出来る。地面を蹴った次の瞬間、重力と空気抵抗から解放された。
(エアシャカール)
「…………」
トレーナーが口を開けたままファインの走りを見ている。ファインはコーナーを曲がり、あっという間に俺たちの前を通りすぎた。
「ふぅ……トレーナー! 今の走り、タイムどうだった!?」
ファインはいつもの笑顔を5割増しにしてこちらに寄って来る。
「あ……その、ごめん。ストップウォッチ押すの忘れてた……」
「あら!? さっきはかなり良く走れたんだけど、少し残念だな」
「ほ、本当にごめんね? 余りにもファインの走りが良くて……うぅ」
「だ、大丈夫だから! また走れば良いだけだし。だからお腹を痛めないで、ね?」
最近は少しのミスでお腹を抑えるようになったトレーナーをファインが慰める。俺はそれを見ながら考えていた。
……正直やりたくは無いが、アイツに相談しに行くか……。
先ほどのファインの走り。明らかに彼女の――いや、ウマ娘という種族の括りすら逸脱した走りだった。エリザベス女王杯で見せた走りは、片鱗でしかなかったというのか。
驚愕と同時に歓喜を覚える。限界を超えるためのヒントが、再び目の前にあるのだから。
「やぁやぁやぁ! 久しぶり! 君の方から出向いてくるとは珍しい事もあったものだねぇ」
ハロゲンヒーターみたいな目をしたウマ娘が、余らせた白衣の袖を振り回しながら俺を出迎えてくれる。
「聞きたいことがあンだよ。今、時間良いか?」
「問題無いさ、ちょうど休憩しようとしていた所でね。紅茶でも淹れよう」
俺が尋ねたのは、アグネスタキオンというウマ娘の研究室。こいつはウマ娘の肉体の限界を追及している研究者肌のウマ娘。俺の目的と被る所があったため、一時は一緒に活動していた。しかし、限界に迫るアプローチが俺とは違いすぎたため、次第に疎遠に。こうして二人きりで話すのは久しぶりだ。
「角砂糖は何個入れる? 5個かい? それとも6個かい?」
「1個で良い。お前その内糖尿病になるぞ」
「その前に生活習慣病が先かもしれないねぇ。昨日は徹夜で作業していたから何も食べて無いし、寝ても無い。……あぁ、安心してくれたまえ。きちんとシャワーは浴びているよ」
「そこの心配はしてねェよ! ……ったく、ンなことだろうと思ったぜ」
俺は食堂で買っておいた弁当を机に置く。
「おぉ! 流石だねぇ、シャカール君! 私の事を良くわかっているじゃないか! 君は気が利く上にデータ解析も得意ときた。私の助手に欲しいくらいだよ」
「月100万貰っても嫌だね」
「つれないねぇ」
雑談を終えた瞬間、タキオンは速攻で弁当を食し始めた。3分とかからず全てを平らげ、お腹をさする。
「ふぅ……、一心地着いたよ。それで? 何の用だったかな?」
「昔お前が話していた速度限界の理論だ。それについて話してくれ」
「ふぅん……。君は昔、私の理論を“与太話”と断じたはずだが。どういう心境の変化だい?」
タキオンの目に火が灯った。こいつが何かに興味を持ったとき特有の目の輝き。
「俺のチームにいるグリードとファインのせいだ。グリードは科学をあざ笑うみてェに無茶して結果を出しやがる。ファインは蝶の幻覚見て加速しやがる。……もう俺だけの視点じゃどうにもならねェんだよ」
「ふぅん……。確かにグリード君とファイン君、どちらも興味深い対象だねぇ」
ニヤニヤと愉快そうな表情を浮かべるタキオン。なにやらスイッチが入ったらしい。
「グリード君は……」
「ちょっと待て。話が脱線しそうだ、本題に戻せ」
「悪いねぇ、興味深い話題の連続で少々興奮してしまったよ。……さて、本題は私の持論についてだったかな」
タキオンは砂糖たっぷりの紅茶で喉を潤した後、続ける。
「ウマ娘が速度の限界に迫るためには“感情”や“想い”といった精神面が重要だと私は考えている。ここまでは前も話したが、覚えているかな」
「あァ」
「次は、なぜ“感情”や“想い”といった精神面が重要なのか、についてだ。これを説明するためには“ウマソウル”という概念を理解してもらう必要がある……けれど、昔の君はここで脱落してしまったんだっけねぇ」
「脱落って言うんじゃねェよ。あまりにもバカらしいから聞く価値が無いと判断しただけだ」
「とはいえ、こうして私を訪ねてきてくれているのだから、今回は最後まで聞くつもりなんだろう? それならたっぷりと語ってあげようか」
両手を広げてご機嫌そうなタキオン。普段、こういう話を聞いてくれる相手がいないのだろうか。邪推をしている間にも彼女は続ける。
「“ウマソウル”とは、我々ウマ娘の中に宿ると噂されている別次元の生物の魂。一般的な認識はこんなものかな」
「だがよ、そんなのはあくまで噂だろ? 観測できない物を信じろと言われてもにわかには納得できねェ」
「確かに“ウマソウル”を物理的に観測する方法はまだ無い。しかし、“ウマソウル”が存在するという根拠ならいくつかある。まずは一つ目」
そう言ってタキオンは紅茶に角砂糖を一つ入れた。
「ウマ娘の名前だよ。君の名前はエアシャカールだが……その名前はいったいどこから来たのかな? まさか、「山田・エアシャカール・花子」なんてエキセントリックなミドルネームを付けているわけじゃあないだろう?」
ウマ娘の名前。それはウマ娘が生誕した時に、母親の頭に突然降ってくるものらしい。俺の場合はエアシャカール。親の苗字+名前という風にはならない。
「……おや? 納得いかないと言う顔だね?」
「当たり前だろ。俺達ウマ娘には別次元の生物の魂が宿ってるなんて話だったが、そいつの名前が母親の頭に降ってくるって? 信じろって言う方がどうかしてる。俺の頭に天啓が降りてきたんならともかくな」
「ふぅん……なら子供でもつくってみたらどうだい? ウマ娘を産めば君にも天啓が降りてくるかもしれないねぇ」
「茶化すな。他の根拠は?」
「それじゃあ、二つ目だ」
タキオンは紅茶に角砂糖をもう一つ入れた。
「ウマ娘が時速60kmで走れている事だよ。ウマ娘の体は人間と大差ない。骨格や筋肉など全てにおいてね。にも関わらず超人的な速度で走るウマ娘……何か別の力が働いていると考える他ないんじゃあないかな?」
「……それが“ウマソウル”ってか?」
「その通り! 他にも科学では説明できない現象はあるよ? 例えば、ウマ娘はGIのレースにおいて体操着でなく勝負服を着る。私の場合は今着ている白衣だねぇ。
この
「まぁな」
「他にもある。思い切り体を起こして走るメジロパーマー君やツインターボ君も空気抵抗に喧嘩を売っているわけだが、二人とも結果を残している。まぁ、例を挙げればキリが無いからこの辺にしようか。
この不合理を引き起こしているもの。それを“ウマソウル”と定義したいのだが、納得してもらえるかな?」
「……分かったよ。その前提で話を進めろ」
俺がしぶしぶそう言うと、タキオンは意外そうな表情を浮かべた。
「ふぅん……。やけに聞き分けが良いねぇ。君はお化けや幽霊なんかの非科学的な単語を聞くだけで拒否反応を示すぐらいだ。まさか“ウマソウル”の前提を納得してもらえるとは思わなかったよ」
「うるせェほっとけ。……それに幽霊ってンならそれらしいのに遭遇した事もある。だから、ひとまずは信じてやるって言ってんだ」
「ほう! 幽霊らしいものに出会ったって!? それはまた興味深い! カフェの“お友達”という幽霊らしい存在が身近にいるのだが、どうにも私は観測できない体質の様でねぇ。 よければ話を……」
「また脱線してんじゃねェよ!! さっさと続きを話しやがれ!!」
目を輝かせるタキオンを怒鳴りつけ、続きを促す。
「コホン、では本題に戻ろう。科学に喧嘩を売りながらウマ娘をウマ娘たらしめている“ウマソウル”という要素。これをいかに活性化させるかが、ウマ娘の限界に迫る鍵と私は考えている」
しゃべりすぎて喉が渇いたのか、タキオンは紅茶を口にする。追加で入れた角砂糖が紅茶の中で飽和したのか、ザリザリと粒っぽい音が聞こえてきた。タキオンは気にせず話し続ける。
「勝負服を着ると速く走れる。勝負服がどれだけ厚手で走りにくそうでも。
体を起こしたフォームにすると速く走れる。力学的にはどれだけ不利なフォームだとしても。
これは勝負服や走行フォームで“ウマソウル”を活性化させる事で、科学的には不利でもそれを補って余りある有利を手に入れていると私は考えている。そしてその活性化の手段として最も有効なのが……」
「“感情”と“想い”、か?」
「その通り! ここで私が初めに言った結論に戻って来るわけだね!
君に身近な例を挙げると、ファイン君が分かりやすいかな? エリザベス女王杯、ファイン君は観客の期待を一身に背負い、レースを楽しみながら走っていた。その感情が彼女の“ウマソウル”を極限まで活性化させたんだよ!! 結果、蝶々の幻覚を見たというわけさ」
正直、納得は出来ない。しかしエリザベス女王杯の後、ファインが帰国を意識して塞ぎがちになってからは走りが悪くなっていたのも事実。もし、レースを楽しむ事がファインの“ウマソウル”を活性化させていたのならば、塞ぎがちになってから走りが衰えたことに説明がつく。
「グリード君についても語ろうか。彼女は“飢え”をトリガーとして、“ウマソウル”を活性化していたようだねぇ。あの細い体でよく勝てたものだ。とはいえ貧相な体とは裏腹に恐ろしい気配を纏っていたよ。君も同じチームなら体験したのだろう?」
「一応な」
「ちなみに私はグリード君と目が合って泣いた。彼女のデータを取ろうと思って声を掛けた時にね」
泣き虫が、とは言えなかった。あの時のあいつと目を合わせていれば、俺もどう思っていたか分からない。
「……とにかく、その“ウマソウル”を活性化するって話。試してみてやる。他に方法も無いしな」
「ひどい上から目線だが……まぁ、前向きになってくれたのなら何よりだよ」
タキオンは紅茶の残りを飲み干した。俺もカップに口を付けて水分補給をする。その後、疑問を口にした。
「試してやるが――俺は何をすりゃあ良い? 何をすれば“ウマソウル”とやらを活性化できる?」
「それは私に聞かれても困るねぇ。君の“ウマソウル”がどうやったら活性化するのか。君すら分からないのなら、他人の私に分かるはずはないだろう?」
「なら意味ねェじゃねェかよ!! クソ……っ!!」
結局、具体的な行動に移す事ができなければどんな画期的な案も机上の空論。俺が乱暴に頭を掻いていると、タキオンはこっちをまじまじと見つめてきた。
「――ンだよ?」
「いやなに、君の“ウマソウル”を活性化する方法だが……心当たりがないわけじゃない」
「本当か!?」
ガチャ、とカップが音を立てた。俺が机を叩くように身を乗り出したせいだ。
「けど、タダで教えてあげるってわけにはいかないねぇ」
「データ分析ぐらいならいくらでも手伝ってやる」
「それはお呼びじゃないかな。……そうだねぇ」
タキオンはもったいぶったように目線をズラした後、挑発的な瞳を向けてくる。
「新しい薬を開発したんだが、それを殿下様に飲ませてみてはくれないかな? 興味深いデータが取れそう……んぐ……っ!」
気づけば、乗り出した勢いのままタキオンの胸倉を掴んでいた。
「――売れって言いたいのか? 俺に、ファインを」
「おや? そうは聞こえなかったかな?」
フリーな左手に力がこもる。握りこぶしを作り、しばらくして手を緩めた。タキオンをソファに突き飛ばす。
「ふぅん……意外と優しいんだね。殴られるのも覚悟していたんだが」
気分が悪い。この場に居たくない。タキオンに背を向け、ドアノブに手を掛けたその時。
「今の君はまったく怖くないよ」
タキオンのその一言がやけに気になった。
「凄まれても
「……何が言いたい」
「入学直後の君はもう少し尖っていたと記憶しているよ。君の奥底には……言葉を選ばなくて悪いが、“気狂(キチガイ)”と表現する他無い何かを感じた。
私が“感情”や“想い”といった曖昧なモノを扱うのに対して、君は数字とデータだけを信じ、不確定要素を全て排除しようとしていた。君は私を“ロマンチスト”と称し、私は君を“数字の信奉者”と称した。
しかし、今の君はどうだい? 性格も丸くなり、数字すら裏切り……何が君を変えてしまったんだろうねぇ?」
タキオンはバカにした様子でもなく、ただ淡々と告げる。
「君は昔、走行中に右へとモタれる癖があったが、今は癖のないフォームに矯正されている。――本能のままに走ってみる事だね、騙されたと思って」
「…………」
俺は返事をせず、ドアノブを回した。
史実のエアシャカール
・右へ切れ込む癖がひどく、癖馬と付き合うのも上手な天才“武豊”騎手でも御しきれなかった。加えて、あまりの癖馬っぷりに「頭の中を見てみたい」と発言される。
・放牧中、柵に突進して外に逃げ出した際に骨折。その後予後不良で安楽死処分。
・上記に挙げた様に、非常に気性が荒く、その日の世話や調教係をくじ引きで決めていたらしい。