神の一手   作:風梨

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約8000字



第10話

 

 

 

 

「──名人」

 

 その一声(ひとこえ)に気がついて、塔矢行洋は振り向いた。

 そこには現在の『本因坊』の座を守り続けている桑原仁が飄々としたいつもの表情で歩いてきていた。

 

「おや、桑原先生。おはようございます」

 

「久しぶりだね、顔を合わせるのは。ちょうどいいから、挨拶もしておこうか」

 

 そう言い始めた桑原は碁聖戦の挑戦者に自らが決まったと言い放ち、飄々と『ヨロシク』と言った。

 その後もいくつかのやり取りを経て、話題は塔矢行洋の一人息子の話へと移った。

 

「そういえば、キミの息子さんはどうしてる? 院生じゃないんだろう?」

 

「私とはよく打っています。家に来る棋士たちとも打っていますし、碁の勉強には事欠きませんよ」

 

「ほぉそうかい。そりゃあ良かった。で、プロ試験はまだ受けないの? 随分と前からプロ並みだって噂が聞こえてたけどねぇ。彼、今どうしてるの?」

 

「ええ……」

 

 行洋は思い返す。

 つい先日の息子とのやりとりを。

 

 

 

 自宅の和室での一幕だった。

 月明かりが照らし出す中で、夜の春風が頬を撫でる。

 据えてある碁盤には棋譜が並べられている。

 目の前の盤面から視線を逸らさず、行洋は静かに語り出した。

 

『アキラ。海王中で囲碁部に入ったと聞いた時、私は何も言わなかった。お前の存在が、部の励みになると校長先生に言われた事もあり、お前の好きにさせた。……だが、大会に出るとはどういうわけだ。お前のウデでたかだか部活の大会に出るなどいかにも配慮に欠けよう。お前らしくもない……。いったい何があった?』

 

『周りを思いやる余裕が、今のボクにはありません』

 

 自身を状況を理解しているアキラの言動に、行洋は棋譜を並べていた手を止めて聞き入った。

 

『進藤ヒカルが部活で大会に出るという限り、ボクは彼を追うだけです。──お父さん。生意気に聞こえるかもしれませんが、ボクの目標はお父さんです。ボクはその自信と自負をボク自身の努力で培ってきた。でも、違ったんです』

 

 言葉を切って、手のひらを見つめながらアキラは言葉を続けた。

 

『真っ直ぐ歩いて行けばいいと、そう思っていました。真っ直ぐ歩いていれば、神の一手に近づけるのだと思っていたんです。けど、それはあまりにも甘い考えでした。──ボクは手も足も出なかった。あの、進藤ヒカルに。お父さんとも違う。緒方さんとも違う。彼の存在がボクに重くのしかかる。……今は、彼を追うことだけしか……、ボクの頭の中にはないんです』

 

『彼は強い。この私に勝つほどだ』

 

『わかっています。けれど、それが追うのを辞める理由にはなりません』

 

 真っ直ぐとした瞳。

 その眼光を正面から受けて行洋は少し満足げな笑みを浮かべた。

 

『恐れながらも立ち向かっていくのか……。いいだろう、お前の好きにしなさい。私はお前を応援しよう』

 

『! ……はい! ありがとうございます!』

 

 

 恐れながら立ち向かっていく息子の姿に、行洋は深い満足感を抱いていた。

 それこそが人を成長させる。

 以前のアキラにはなかったものだ。

 震えながらも追い、怯えながらも、挑もうとするアキラの姿こそが。

 

 神の一手に近づいていく唯一の道であると、行洋自身が知っている。

 

 

 

「……息子は今、中学校の囲碁部にいますよ」

 

「はて、学校の囲碁部? またなんでそんなところに?」

 

「はは、近々部活の大会にも出るらしくて。なんでも、私を負かした少年も参加するようなのです」

 

「……あの噂か。ほぉホラかと思っていたが、本人の口から出たとなれば真実か。……出来れば詳しく聞きたいが、タイトル戦が控えているこの状況では流石に難しいか」

 

「ハハハ、おっしゃる通りですね。どうかご勘弁を」

 

「まったく、中々に活きの良いのが育ってるじゃないか」

 

 桑原と会話しながらも、行洋の脳裏にあったのは進藤ヒカルのことだった。

 盤面で向かい合った際の、歴戦の棋士を前にした時のような圧迫感。

 凄まじいまでの気迫が伝わってくる姿を。

 

(それにしても、私にも勝ち、アキラをより高みへと導いていく。進藤ヒカルとはいったい、何者なのだろうか)

 

 天才の一言では片付けられない人物の出現に、行洋自身戸惑いを覚えながらも、どこか興奮している自分を自覚する。

 己を諌めながらもその眼差しには今まで以上の眼光が宿っていた。

 

 彼ならば、遅かれ早かれ棋士の前に姿を現すだろう、と。

 行洋はその機会がいつ何時訪れても良いようにその時に備えていた。

 

 

 

 

 

「──けど、良かったな。あかりも大会出れてさ」

 

「うん! 津田さんが初心者だけど、やってみてもいいって言ってくれてよかったぁ。金子さんもバレー部との兼部で大会に出てもいいって言ってくれて。私たちも優勝目指して頑張るね!」

 

「ああ、目指せ打倒海王! だな!」

 

「お弁当も作ってきたから、みんなで食べようね」

 

「おぉ! お前えらい!」

 

「えへへ、でしょ」

 

 ヒカルとあかりが仲良く談笑していると、葉瀬中メンバーが続々と集合してきた。

 

「おうおうおう、相変わらず来るのが早いじゃねーか、小僧」

 

「あはは、おはよう。進藤くん、昨日は眠れた? ボク、今日が楽しみすぎてちょっと寝不足だよ」

 

「ったく、お前は遠足前の小学生かよ」

 

「しょ、しょうがないだろ! 去年は僕たちが海王を倒したんだ……。失格になっちゃったけど。でも、今回も前回と同じメンバーだし、ボクは去年と比べてもずっと強くなってる。また勝てるかもって思ったら、もう楽しみでしょうがないよ!」

 

「……ま、小僧が負けるとこは想像できねーから、1勝は確実だからな。とゆーか、前回と同じがいいって理由で大将じゃなく三将を選ぶなんざ、変な小僧だぜ、まったく」

 

 悔しげに顔を歪めながらもヒカルのことを認めている加賀の物言いにヒカルが嬉しそうに破顔した。

 

「へへっ、海王戦が楽しみだね、加賀、筒井さん! 海王の三将ってどんな奴かな?」

 

「おまっ、前から思ってたけどよ、なんでオレだけ『さん』が付いてねーんだよ!」

 

「あいたた! だって、加賀は加賀だろ!?」

 

「理由になってねーだろが!」

 

 ワイワイと話し合う葉瀬中メンバーに近寄る一人の少年がいた。

 彼はヒカルの一言に応じて、覚悟を持って言葉を告げに来ていた。

 この日を長らく待ち望んでいた、その本心を滲み出すような眼差しで。

 

「──ボクだよ。海王の三将はボクだ、進藤」

 

「塔矢!? な、なんでお前が? そうだ、前に筒井さんが言ってた。プロを目指す奴は囲碁部になんか入んないって。なのに、お前が海王にいて、しかも三将……?」

 

「ボクと打たないと言ったのを覚えてるか?」

 

「あれは! ……お前が、囲碁部をバカにしたようなことを言うから……」

 

「……それに関しては全面的にボクが悪かった。ごめん。……でも、だからこそ、ボクもキミと同じ立場になったんだ。キミは言った。囲碁部で大会に出るんだと。だから、ボクも海王の囲碁部として大会に参加した。──やっとここまで来た」

 

「……塔矢」

 

 

 ヒカルと相対しながら、アキラは今日までの記憶を辿る。

 本来ならアキラは大将だった。

 

 しかしそれを、先生に無理を言って三将に変えてもらった。

 この大会が終われば退部するという、厳しい条件を付けてまで。

 全てはヒカルともう一度対局するために。

 

 ただそれだけのために、アキラは前回の対局からの約半年間努力し続けてきた。

 二度の敗北で得た経験を元に、必殺の刃を研いできた。

 全てはこの日のためだけに。

 

「今度は前のような負け方はしない」

 

 鋭い眼光で力強く宣言する塔矢の背後から、大勢の新たなメンバーが顔を見せた。

 総勢が海王中学の制服を着ている。

 海王囲碁部の面々だった。

 

「へぇそう。キミだったのね、塔矢のいう進藤ヒカルって」

 

 そう告げたのはショートカットの美少女だった。

 彼女は魅力的な余裕の微笑みを浮かべながら続ける。

 

「塔矢が追いかける相手がいるなんて。キミと塔矢の一戦が楽しみだわ」

 

 毅然とした立ち振る舞い。

 王者としての風格すら漂う海王中の姿に、葉瀬中のメンバー。特に女子であるあかりは『ゴクリ』と生唾を飲んだ。

 海王囲碁部の女子。

 つまり、あかり達の対戦相手だからだ。

 

 そんな彼らの邂逅を目にした周囲が騒ぎ立てる。

 

「おい、あれ塔矢じゃないか。って、海王の制服着てるぞ?! あいつプロ並みなんだろ? なんで囲碁部にいるんだよ」

 

「前にアイツ囲碁雑誌で見たぜ、名人相手に3子で打ってるって。バケモンだよ」

 

「プロ入りが待たれる期待の星とかって奴だろ? 俺も見たぜ、それ。けど、なんでそんな奴がこんなとこにいるんだ? 院生じゃないの?」

 

「バッカ。院生なら、アマの大会には出られないハズだろ」

 

「おい、俺たち一回戦海王じゃん。……終わったな」

 

「さっき塔矢三将とか言ってたぜ。俺じゃなくて良かったぁ」

 

「さ、三将〜〜!!? なんで三将!? 海王どーなってんだよ! 実力順なら塔矢が大将だろ!? オレやだよ!」

 

『ワイワイガヤガヤ』と喧騒が室内に溢れかえる。

 そんな音声を背負いながら、葉瀬中のメンバーは海王と向き合っていた。

 筒井が思わずといった様子で口を開いた。

 

「三将……。まさか、進藤くんを追って……」

 

「あいつの言い方を考えるに、間違い無いだろうな。……けっプロなんざいつでも成れるってか。相変わらず嫌味なやろーだぜ」

 

「でも、さすがの進藤くんも塔矢アキラが相手じゃ厳しいんじゃないかな?」

 

「どーだか。進藤のヤツも桁違いに強え。……どうなるか見ものだな」

 

「あっ、でも、進藤くん。名人にも勝ったって言ってたんだった……」

 

「んなっ、名人だ!? そりゃお前、さすがに置石はしただろうが、進藤もプロ並みってことじゃねーか。……ますます結末が見えねえ」

 

「進藤くん……」

 

 心配そうに呟く筒井を余所に、向かい合うヒカルとアキラの二人。

 前哨戦として舌戦の矛が交わるかと思いきや、アキラはそれ以上何も言わずに、ヒカルに背を向けた。

 

 後の全ては盤上で語る、とでも言いたげな様子にヒカルは思わず一筋の汗を流した。

 

 半年前。

 塔矢アキラは佐為に一刀両断された。

 けれど、それはアキラが弱かったからではない。

 むしろその逆だ。

『あの佐為』が手加減すれば負けると判断したから手を緩められなかったのだ。

 

 あの時点でそれほど佐為に迫った塔矢が半年間打倒ヒカル……いや。打倒佐為を目標にその牙を磨き続けてきた。

 そんな恐ろしい事実を今更ながら認識して、ヒカルは背後を仰ぎ見た。

 

(佐為。……勝てるよな?)

 

『さて、どうでしょうか。私はこの半年間でヒカルとあかりの指導に力を入れてきましたが、彼はその間ずっと己の力を磨いてきたハズです。楽しみですね』

 

(楽しみっちゃあ楽しみだけど、負けるのだけはごめんだぜ、佐為)

 

『ええ、もちろん。やるからには勝つつもりでやりますよ、私は』

 

『メラメラ』と闘志を燃やす佐為の姿にヒカルは少しだけ余裕を取り戻して苦笑いした。

 

 そして、係員の男性からの声が掛かる。

 

 

「大会を始めます。1回戦男子。川萩中・対・田井中。葉瀬中・対・岩名中。海王中・対──」

 

 葉瀬中の1回戦は順当に勝ち上がった。

 3・0で快勝での勝利。

 当然という顔をする加賀。

『ホッ』と一息を吐いた筒井。

 この後に控える塔矢を見据えて少し固い表情のヒカル。

 三者三様の様子を見せる。

 

 そして、塔矢アキラ。

 彼は1回戦では非常に丁寧な碁を心がけていた。

 少しでも、高ぶる気持ちを鎮めるために一手一手に時間を掛けて打った。

 付け入る隙を与えれば、途端に首が胴から離れるだろう。

 アキラにはその確信があった。

 積み重ねたものをぶつければ良い。

 そう思いながらも心とは不思議なもので、気にしないようにしよう、と思えば思うほどに強く意識してしまう。

 

 掌を固く握りしめる。

 今日こそは、進藤ヒカルに勝つ。

 その一念を掴むように。

 

「随分と一手一手がゆっくりだったな、塔矢」

 

(ユン)先生。……少し気持ちを落ち着かせようと、思いました」

 

「そうか。葉瀬中は3-0で勝ったよ。さすがは去年私たちを下したメンバーだった」

 

「進藤の対局を見られたんですか!? どうでした?」

 

 その返答に尹は苦慮した。

 強かった。

 そう言ってしまうのは簡単だ。

 しかし、ヒカルの碁を再び目にした尹は前回のヒカルがマグレなどではなかったと再確認した。

 つまり、塔矢以外に勝てる者は海王中に存在しない。

 三将になるために退部まで懸けたアキラの判断が正しかった。

 

 伝統を守るため塔矢を大将に任命した、自らの間違いを認める事に否はない。

 王者は堂々としていなければならないからだ。

 だが、他でもない自分が塔矢に厳しい条件を突きつけた。

 そんな自分が塔矢を純粋に応援しても良いものかという迷いが生じた。

 

「……そうだな。キミを三将にした判断は正解だった、と言わざるを得ない。まるで去年の進藤くんを見ているかのような、それほどの対局だったよ」

 

「……では!」

 

「心して掛かった方がいい。いや、私に言われるまでもないだろうが……。それほどの打ち手だったよ、彼は」

 

 緊張感すら伴って、そう告げる先生の姿を見て。

 アキラは『ブルリ』と武者震いが止まらなかった。

 退部のことも既に頭にはない。

 今、アキラの頭の中にあるのは進藤ヒカルのことだけだ。

 彼と三度相見えることが嬉しくて仕方がなかった。

 震えながらも、恐れながらも、塔矢が浮かべる表情には喜色が滲んでいた。

 

「先生。ボクはこの日のために修練を積んできました。必ず、必ず勝利して見せます!」

 

 その純粋なまでに勝利を求める姿は尹の心残りを振り払うのに十分だった。

 応援しよう、心から。

 その気持ちで尹は精一杯の言葉を繋げた。

 

「ああ、彼に勝てるとすれば、それは塔矢。キミだけだ。……初めはキミを大将に任命した者が、こんなことを言うのは筋違いかもしれない。だが、海王中が優勝するためにはキミの力が、塔矢アキラの力が必要だ。──頼んだぞ」

 

「ハイ!!」

 

 勢い良く、戦意漲らせて塔矢は答えた。

 

 そしてお昼の時間となった。

 一人で席に座ったままの塔矢に、海王中学3年のショートカットの美少女である日高がお昼のために声を掛けた。

 

「塔矢、お昼食べないの?」

 

「あ、日高先輩。ボクはちょっと」

 

「そう?」

 

 塔矢に断られて少し残念そうにする日高に、同じく3年の囲碁部の大将である岸本がひっそりと話しかけた。

 

「日高。お昼の前にちょっといいかな。内密で聞いておきたいことがある」

 

「? ええ、いいわよ」

 

 物陰に消えていく二人。

 そしてヒカルはと言うと、あかりとちょうど話していた。

 

「ヒカル、お弁当! みんなで食べよ。葉瀬中は男子も女子も一回戦突破だもん! 次に備えなきゃ!」

 

「おー、おめでと。けど、んー、いや。オレいーわ。わざわざ作ってくれたのに、悪いな」

 

「え。いいって……」

 

 ショックを受けたようなあかりの表情に思いを巡らせる余裕はヒカルにはなかった。

 塔矢を意識してのことだった。

 佐為が負けるとは思わない。

 だが、この半年間で塔矢がどれほど強くなったのか。

 無策で向かってくる奴じゃない。

 きっと腹案(ふくあん)がある。

 純粋な実力だって向上させただろう。

 

 ヒカルも強くなった。

 だが、佐為にはまだ勝てない。

 もし塔矢が佐為に勝ってしまうようなら。

 あるいは、さらに隔絶とした才能の差を見せつけられてしまったら。

 

 そう考えてしまって、とてもではないが食事は喉を通らないだろう、と思っての行動だった。

 考え込みながら当てもなく海王の校舎を歩けば、とある会話が耳に入った。

 

 

「──岸本くん話って。もしかして、告白とか?」

 

「バカなことを言うな、日高」

 

「あはは、ごめんごめん。塔矢がイジメにあってたことでしょ?」

 

「……塔矢は確かに部では浮いた存在だったが、やはりホントだったか」

 

「ええ。三人がかりで塔矢に目隠し碁をさせて、恥をかかせるか、囲碁部から追い出すかしたかったらしいわ。私がたまたま止めに入ったんだけどね、運が良かったわ。私も、塔矢も」

 

 強気な姿勢を漂わせながら、日高が続けた。

 

「でもね。仮にどんなに恥をかかされたって、塔矢は囲碁部を辞めなかったでしょうね。彼ってアレでいて頑固なところがあるから」

 

「ふっ、だろうな」

 

「ただただ、進藤ヒカルのためにね。……対局を見たわ。女子の部とは少し時間がズレてたから見れたんだけど、途中までね。……塔矢があそこまで執着するのもわかる気がするわ」

 

「何? オレは残念ながら間に合わなかったが、それほどだったのか?」

 

「もちろん。……すごく、すっごく強かったわ。対局相手がそこまで強くなかったから、正確なところまではわからないけれどね。恐らく塔矢と5分の実力。だけど、希望的な事を言えば塔矢の方が有利かしらね。彼ってなぜか妙に古い定石を使っていたから、あれじゃあ序盤にかなり追い込まれそうなのよねぇ。……でも、その実力は十分。終盤以降のオオヨセ(終盤戦の初期で十目以上の大きいヨセ)が凄まじかったわ。──進藤ヒカル、塔矢アキラ。きっと、これから先の時代を担う二人なんでしょうね。嫉妬しちゃうわ」

 

「キミらしくもない。竹を割ったような普段の振る舞いからは想像もできない言葉だね」

 

「あら、私だって乙女なのよ? 少しナイーブな気持ちになることもあるわよ」

 

「そうだな、失礼した」

 

「いいわ、他ならない岸本くんだもの」

 

「……塔矢は、今回の大会。(ユン)先生に逆らってまで、進藤と同じ三将になった。今日限りで囲碁部をやめることを条件にして。自分の身勝手さを承知しているものだから、塔矢も辛かっただろう。心中を察するよ。──それでもなお、『一度きりでいい!』と尹先生に食ってかかった塔矢の顔。今でも鮮明に思い出せるよ」

 

「……それ、ちょっと見たかったかも」

 

「おや、日高が年下好きだとは思わなかったよ」

 

「あら、乙女の秘密を暴こうなんて、いけない人ね。岸本くん」

 

「いや、すまない。──だがまァ何にせよ、塔矢が居なくなれば囲碁部も落ち着くだろうが」

 

「そんなこと言って、岸本くんが一番残念がってるくせに。知ってるのよ? 塔矢と誰よりもあなたが打ちたがっていたってね。立場上どうしても難しいってボヤいてたんでしょ?」

 

「参ったな、誰に聞いたんだ?」

 

「内緒。さ、そろそろ戻りましょう。もーお腹ペコペコよ」

 

「そうだな、早めに昼食を済ませてしまおう」

 

「ええ、そうね」

 

「途中の自販機でよければ、何か買おうか」

 

「あらいいの? 気が利くわね」

 

「貴重な時間をもらったせめてものお礼だよ。『いちごオレ』でよかったかな?」

 

「……あなたも中々の情報網を持っているようね? 岸本くん」

 

「ははは、キミほどじゃないよ、日高」

 

「はははは」「うふふふ」

 

『仲良く』笑い合う男女を見送りながらも、ヒカルの内面は塔矢のことでいっぱいだった。

 

「イジメねえ、まあ当然かもな。アイツ、自分のことしか考えてねーから。……それくらい、佐為のことを追いかけてんだ」

 

『三将だって、頭を下げてなったんですね。あの子なら当然、大将でしょうからねえ』

 

「そこまでしないよ、フツー。お前のことしか頭にないんだ、アイツ」

 

 それを改めて自覚して、ヒカルは少し寂しいような気持ちになった。

 少しだけ、ほんの少しだけ、自分で打ちたいとも思っていた。

 佐為には悪いと思いながらも、ほんの少しだけ。

 

 だけど、そこまでして佐為を追いかけている塔矢のことを知ってしまえば、もうそんなワガママなんて言えない。

 

 ヒカルはそれでも伸び伸びと笑った。

 他でもない、佐為を信じているから。

 

 佐為はすごいヤツだ。

 いっぱい、いっぱい、コイツに打たせてやろう。

 そう思って『ニヤリ』と挑発的な笑みを佐為に向けた。

 

「佐為。負けらんねえ理由が増えたな。ここまで追っかけて来たんだ、生半可な打ち方じゃ塔矢は納得しねーよ、大丈夫か?」

 

『ええ、心して掛からねばならないでしょうね。彼のこれまでの努力に応えるためにも、『私たち』も全身全霊で立ち向かいましょう。さぁヒカル、準備はいいですか?』

 

「ああ」

 

 佐為はヒカルに深い感謝の念を抱いていた。

 打ちたい欲求を堪えている事を察していたから、尚のことその感謝は深かった。

 

 ヒカルは佐為のことを尊敬して、信じていた。

 始めはただ強さに圧倒された。

 対局を重ねる都度、次第に尊敬に変わった。

 そして。

 あの海王戦での素晴らしい一局を契機に、純粋な凄いという感想が良い変化を促して、気の置けない親友のような存在になっていた。

 それこそ思わず『ポロッ』と言葉を漏らしてしまうくらいには。

 

 ヒカルは一歩を踏み出していた。

 色々な意味で重要な『神の一手』に近づくその一歩を、人知れずに。ヒカル自身ですら気が付かないうちに。

 

 

 

「──第二回戦を始めます。海王と葉瀬。阿由と田井。浜地と──」

 

 ヒカルは向き合っていた。

 対面に腰掛ける、海王の三将、塔矢アキラと。

 

 アキラは真っ直ぐな瞳でヒカルを見つめている。

 ヒカルも、その瞳を真っ直ぐに見返した。

 

 佐為の代わりになる。

 そのつもりで、力強い瞳を返した。

 

「──始めてください」

 

 そして、三度目の戦いの火蓋が落とされた。

『四人』にとっての、運命の一戦が始まる。

 

 そして塔矢アキラは初めて目にするだろう。

『ヒカルの碁』を。

 

 

 


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